バリでは満月と新月の日にはお祭りがある。
その他にも暦に関連していろいろなお祭りがあって
1ヶ月のうちに何度もお祭りが行われるのだ。
満月の今日は、普段と少し違ってお祭りムードが漂っていた。
正装を着てお供え物を頭に乗せて歩いている女の人とか。
宿の近くの、村の集会所では、闘鶏が行われていた。
戦いの様子は、熱くなってる男の人たちに囲まれてしまっていて
よく見えなかったけど。
それぞれが自慢の鶏を持ち寄って、真ん中で戦わせているようだ。
そして、負けた鶏は、その場で足を切られて羽をキレイにむしられて、
ころんと、よく肉屋でみかけるような馴染みのあるチキンのような形にされる。
この一連の作業を、村の男の人はその辺の地面の上に座って、
ぜんぶ淡々と手作業で5分くらいで行うのだ。
負けた方の鶏の飼い主も、もうちょっと何か感情は無いものなのだろうか?
とも思うけど、特に別れを惜しむでもなく、その、さばく係りの男性に
「はい」と、負けた鶏を差し出すのだ。
この辺でみかける鶏は、やたらと凛々しくて勇ましいかんじだな
と思ったけど、それは闘鶏用にそう育てているからなんだなあ。
明らかに顔つきが違うのだ。
鶏も、職業(?)によって、風情が違ってくるものなのだなあ、と思う。
そう、それはやはり鶏にとって「職業」であって、
卵を産む鶏は、餌を食べて栄養つけていい卵を産むのが職業で、
闘鶏の鶏は戦う職業で、負けたら殺されて食用の肉になるということも
これまた職務を全うしているだけのことなのだ。
ところで日本の暦でいっても今日は七夕だ。
今頃ちゃんと日本では願いをこめて短冊が飾られているのだろうか。
なんとなく、バリで暦にしたがって過ごす姿を見ているうちに、
日本の行事もきちんとやりたいなあ、という気になってきた。
日本では、そういう行事をまじめにやるのがなんとなくダサいというか古いというか
そんなかんじの風潮になっているというか特に若い子ほどそうなんだけど。
しかしそういえばバリでは、日本みたいな「不良」みたいな子供っていないよな。
そんなことしてる余裕はないってことなのかもしれないけど。
「俺、バカバカしくって神様なんて拝んでられっかよ」というような考えの人は
いないと思われ、神様を拝んだり、暦に従った行事を行うのは
反発する事柄かどうかというよりも、毎日顔を洗って歯を磨くのと同じくらいのレベルで
「当たり前」というかんじのようだ。
さて、満月の今夜は、アルマ・オープンステージで行われる
創作ケチャを観にいく。
この公演は、新月と満月の日にだけ行われ、
振り付けも独特で、通常のケチャダンスとはいろいろ違う。
通常のを見た上で、これを見ると、違いがわかっていいかもしれない。
まず普通のケチャは、観客席で真ん中を取り囲むようにして観るのだが、
ここではステージ上で行われるので、ちょっと迫力が無いかも、と思った。
しかしそれは大きな間違いだったことを知る。
子供も混じっているというのも、珍しい。普通は上半身裸のおじさん多数のみで行われる。
子供の声のケチャ声コーラスも入るのが、なかなかよかった。
そして、たいまつを手に持ちながらずっとダンスをするというのもめずらしい。
更にびっくりしたのが決闘の場面で、
火のついたボール(ココナツ?)を、サッカーボールのように蹴っ飛ばし合うのだ。
しかもかなり思い切り蹴飛ばすので、客席の方に落ちてくるわ、
木に火が燃え移るわで、はちゃめちゃだ。
そのうち舞台上が火の海になるし。
こんなの日本では消防法云々とかで上演なんてできないだろうなあ。
こんなはちゃめちゃが行われながら、
舞台の後ろから、満月がだんだんと昇ってくる、というのがなんとも幻想的。
1時間と短めのステージだったけど、大満足だった。
しかし、バリの人は火に対する怖さが少ないんだろうか?
トランス状態になってると平気だというのだけれども。。
心頭滅却すればってやつ?
正装を着てお供え物を頭に乗せて歩いている女の人とか。
宿の近くの、村の集会所では、闘鶏が行われていた。
戦いの様子は、熱くなってる男の人たちに囲まれてしまっていて
よく見えなかったけど。
それぞれが自慢の鶏を持ち寄って、真ん中で戦わせているようだ。
そして、負けた鶏は、その場で足を切られて羽をキレイにむしられて、
ころんと、よく肉屋でみかけるような馴染みのあるチキンのような形にされる。
この一連の作業を、村の男の人はその辺の地面の上に座って、
ぜんぶ淡々と手作業で5分くらいで行うのだ。
負けた方の鶏の飼い主も、もうちょっと何か感情は無いものなのだろうか?
とも思うけど、特に別れを惜しむでもなく、その、さばく係りの男性に
「はい」と、負けた鶏を差し出すのだ。
この辺でみかける鶏は、やたらと凛々しくて勇ましいかんじだな
と思ったけど、それは闘鶏用にそう育てているからなんだなあ。
明らかに顔つきが違うのだ。
鶏も、職業(?)によって、風情が違ってくるものなのだなあ、と思う。
そう、それはやはり鶏にとって「職業」であって、
卵を産む鶏は、餌を食べて栄養つけていい卵を産むのが職業で、
闘鶏の鶏は戦う職業で、負けたら殺されて食用の肉になるということも
これまた職務を全うしているだけのことなのだ。
ところで日本の暦でいっても今日は七夕だ。
今頃ちゃんと日本では願いをこめて短冊が飾られているのだろうか。
なんとなく、バリで暦にしたがって過ごす姿を見ているうちに、
日本の行事もきちんとやりたいなあ、という気になってきた。
日本では、そういう行事をまじめにやるのがなんとなくダサいというか古いというか
そんなかんじの風潮になっているというか特に若い子ほどそうなんだけど。
しかしそういえばバリでは、日本みたいな「不良」みたいな子供っていないよな。
そんなことしてる余裕はないってことなのかもしれないけど。
「俺、バカバカしくって神様なんて拝んでられっかよ」というような考えの人は
いないと思われ、神様を拝んだり、暦に従った行事を行うのは
反発する事柄かどうかというよりも、毎日顔を洗って歯を磨くのと同じくらいのレベルで
「当たり前」というかんじのようだ。
さて、満月の今夜は、アルマ・オープンステージで行われる
創作ケチャを観にいく。
この公演は、新月と満月の日にだけ行われ、
振り付けも独特で、通常のケチャダンスとはいろいろ違う。
通常のを見た上で、これを見ると、違いがわかっていいかもしれない。
まず普通のケチャは、観客席で真ん中を取り囲むようにして観るのだが、
ここではステージ上で行われるので、ちょっと迫力が無いかも、と思った。
しかしそれは大きな間違いだったことを知る。
子供も混じっているというのも、珍しい。普通は上半身裸のおじさん多数のみで行われる。
子供の声のケチャ声コーラスも入るのが、なかなかよかった。
そして、たいまつを手に持ちながらずっとダンスをするというのもめずらしい。
更にびっくりしたのが決闘の場面で、
火のついたボール(ココナツ?)を、サッカーボールのように蹴っ飛ばし合うのだ。
しかもかなり思い切り蹴飛ばすので、客席の方に落ちてくるわ、
木に火が燃え移るわで、はちゃめちゃだ。
そのうち舞台上が火の海になるし。
こんなの日本では消防法云々とかで上演なんてできないだろうなあ。
こんなはちゃめちゃが行われながら、
舞台の後ろから、満月がだんだんと昇ってくる、というのがなんとも幻想的。
1時間と短めのステージだったけど、大満足だった。
しかし、バリの人は火に対する怖さが少ないんだろうか?
トランス状態になってると平気だというのだけれども。。
心頭滅却すればってやつ?
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