090818
これは東京で勤務中にもずっと思っていたことであるが、
都会の仕事の7割は、
「仕事をやってる風に見せること」
に労力を使っているなあ、と思う。
順調に進んでしまうと「仕事してない風」に見られるのを恐れて、
何度も難癖つけて、どーでもいいやり直しを命じるクライアント。
早く帰ってしまうと「仕事してない風」に見られるのを恐れて、
何か仕事をやってる風にして残業する社員。

そんなに時間かけていたくせに、
いざ、締め切り終了とか何かあれば途端にOKが出てすんなり終わったりする
のを見ると「やればできるのに、何でやんないんだ!」
と憤りを感じていた。

そんな中にいたので自分もそうやっていたけれども、
効率的にやって早く終わらせるということよりも、
「やってる風の演出」「仕事っぽいものの創出」
の作業が殆どであったと思う。

それは、「働いている」というよりも「動いている」という表現の方が
正しいと思う。

なんだかそんなことを思いながらやっていて日々「なんだかなー」とは
思っていたけれども、
でも仕事っているのはそういうものなのかもしれない、
と思うようにして諦めて豪に従おうとしていた。

そんな、仕事を無理やり創出する世界で長いこと働いてきたので、
今体験している酪農の仕事は、
「やってる風」なんて作業が皆無であることが、改めて新鮮だ。

用事があろうと体調が悪かろうと怪我しようと、
牛に「今日は具合が悪いから、明日にするねー」
ということは、言えない。
今日できることを明日に延ばすこともできないし、
明日の分を今日やっておくこともできない。

都会の先進的な仕事の方が進んでいて高尚だ、
と思わせられるような風潮があり、
なんとなくそんな洗脳のイメージに、自分も染まっていたところもあるけれども。
しかし今こうやって毎日必要なことをやりながら、
クリアな目線で、両方の世界を見てみると、
「都会っぽい仕事」と言われるものって、なんだか、おままごとみたいなものが多い。
「自称プロサーファー」とか。あ、これは別の話か。


以上思想が多くなってしまいましたが。
牧場での出来事といえば、
今日もまだ、子牛が産まれた。
ほんとによく産まれるもんだ。
でもその分受精も頻繁に行ってるしね。
今日も受精師さんを呼んで3頭分の受精をお願いしていた。

今日産まれた子牛にミルクを飲ませようとして
哺乳瓶を近づけたけど、飲もうとしなかった。
飲み物だといまいちわからないようだ。
どうしたもんだろう、とお母さんに渡すと、
小屋の中に入っていって、無理やり口をこじ開けて飲ませていた。