「同性愛者を入店させないで」と投書した客に「もう来ないでください」 お店の回答に称賛の声集まる - ねとらぼ 2017年05月16日 19時54分 更新

店側の文章に論理的なおかしなところがあるが、主旨は伝わるのでそこは置いておく。また当該の店がどのような店なのか詳細は不明だが、スーパーやデパートの類であるようなのでその前提で書く。
ことの本質は、排除を求める差別的投書に対して、同様に排除で対応している点だ。この本質において、この店は排除を求める差別的投書の主と何ら変わるところがない。
スーパーやデパートは、社会的・公共的存在としての責任を自覚し、このような投書には、まずは共生、包摂、理解を求めるべきではないか。当該掲示物らしき文章は、分断、憎悪、対立を煽っているようにしか読めない。
なぜこのようなやり方が素晴らしいと称賛されるのか、理解に苦しむ。「やり返してやった」ところがスカッとして気持ちいのか。しかし、その愉悦は「排除」による瞬間的な愉悦である点を自覚しなければならない。

店側の文章に論理的なおかしなところがあるが、主旨は伝わるのでそこは置いておく。また当該の店がどのような店なのか詳細は不明だが、スーパーやデパートの類であるようなのでその前提で書く。
ことの本質は、排除を求める差別的投書に対して、同様に排除で対応している点だ。この本質において、この店は排除を求める差別的投書の主と何ら変わるところがない。
スーパーやデパートは、社会的・公共的存在としての責任を自覚し、このような投書には、まずは共生、包摂、理解を求めるべきではないか。当該掲示物らしき文章は、分断、憎悪、対立を煽っているようにしか読めない。
なぜこのようなやり方が素晴らしいと称賛されるのか、理解に苦しむ。「やり返してやった」ところがスカッとして気持ちいのか。しかし、その愉悦は「排除」による瞬間的な愉悦である点を自覚しなければならない。
コメント