鬱病になったときのことである。勃起しなくなったのは。
初めは漠然とした不安と倦怠感であった。そのとき、私はそれを病気の初期症状であるとは認識していなかった。まず外を出歩く気力がなくなり、次に本を読む気力が消え、やがて映画やテレビを見る気力が失せた。会社に足を引きずり、休日は家に閉じこもり、やがて布団から出ないようになった。
そうなると、やることは一つである。自慰であった。
家にはエロ漫画とエロDVDがあった。それらを活用し、私はせっせと自慰をした。
異変が起きたのは、そうした生活が二年目に差し掛かった頃であろうか。
気が付くと、私は勃起しなくなったのである。初めは、イイ加減に使っているDVDやエロ漫画に飽きたのだろうと思った。私は新しいエロDVDを買った。しかし、我が性器はピクリとも応答せず。次に私は、ありとあらゆるオナニーを試そうと考えた。大量のローションを購入し、布団を一枚ダメにするオナニーを決行した。しかし、これも勃起には至らなかった。
かと言って、自慰の他にはエンターテイメントなど存在しなかった。私は勃起していないチンポを弄り、射精へと促す日々を送った。やがて手での上下運動すらかったるくなった私は、電動マッサージ機を購入、それを股間に押し当てて射精するようになった。これは驚くべき成果を上げた。電動マッサージ機は、ほんの数十秒で私を射精へと導いた。これこそタイム・イズ・マネーであると私は誇らしげに笑った。
そんな性生活が続いた頃、気が付けば、私は一睡もしない生活に突入していた。眠いのは眠いのだ。しかし、一切眠れない日々が続く。眠ろうと自慰をするのだが、それでも眠れない。一晩中抜きまくった後に会社に行くのは応えたが、しかしその日の夜も眠れないのだ。やがて幻聴のようなものを聞こえるようになった。社内で誰かが私の名前を呼ぶのだ。「はい!」そう言って立ち上がる度に、皆が首をひねった。誰も私に声をかけていなかったのだ。
そしてある日、家でテイラー・スウィフトのLOVE STORYという曲を聴いて、私は声をあげて泣いた。この歌はロミオとジュリエットを題材にした、いかにもなティーン向けのラブ・ソングである。そういう歌を聴いて、私はワンワンと泣いたのだ。正確に言うなら訳詞を読んで泣いたのだ。「ロミオが迎えに来てくれて、本当に良かった」私は心底ジュリエットの幸せを願い、その日のうちに心療内科の扉を叩いた。
それから二年、私の精神は徐々に回復に向かいつつある。こうしてブログを更新できるくらいには回復した。今、また会社を辞めようとしているが、それはもういい。経済的な困窮は予想されるが、またあのような状態に戻るよりは遥かにマシだ。
そして、本題はここである。今、私は勃起するのである。電動マッサージも、レッドブルも、アナル弄りも必要はない。ノーマルな手淫で、鋼のようとはいかなくても、それなりに勃起するのである。
ある人は、得意げにこう言う。「男はチンポでものを考えるのである」と。個人的には、その説には同意しかねる。私の経験から言うならば、やはり「チンポが考えるのではない。人が考え、チンポが従う」のである。ただし一言付け加えるならば、「チンポは時に人よりも、人の精神を表す」のだ。思えば、あのチンポが立たなくなったとき、私は心療内科の扉を叩くべきだった。あれは私の精神のSOSサインだったのだ。今ならばそう断言できる。
チンポは第二の脳みそではないし、チンポに心は宿らない。しかし、チンポが一つの心のバロメーターであることは間違いない。もし貴方のチンポに元気が無かったら、貴方は自分が思っているよりも疲れているのかもしれない。心と肉体の一つの基準として、チンポはそこにあり、ときに立ち、ときに萎えるのだ。