以下、致命的なネタバレがあります。

1040_rgb
「顔面騎乗」と言う行為があるが、この顔面騎乗と呼ばれる行為をどう解釈するによって、本作『デッドプール』の印象はまるで180度変えてしまうと言ってもよいし、あるいは全く変わらないという結論に達することもあるであろうが、これは個人個人の内面、ありていに言ってしまうならば性の嗜好という、どうしようもなく立ち入ることのできない私的な領域と、一方で社会的な眼差しによっていとも容易く揺らいでしまう外的要因、すなわち一つの言葉は多様なイメージを持ち、そんな言葉を使って行わねばならない批評なる手法の構造的な限界であると言えるもので、例えるならば「浣腸」なる単語を聞いた際にそれをSM的な性行為の文脈で捉える者もいれば、一方で医療的な文脈で捉える者もい るであろうし、言葉の持つ力に真摯に向き合えが向き合うほどに、批評は当初の目的を見失い、捉えどころのない衒学の森の中で迷い子となってしまうのであろうが、しかしそれでもその中を彷徨うことを真摯さと呼ぶのもまた事実であり、『デッドプール』と顔面騎乗は不可避の関係にあると言えるのであろうが、しかし「顔面騎乗」という言葉・行為に対する人々が抱く無限のイメージが実在するおいう現実を踏まえるなら、つまるところ表層のみを見て語ることも不可能であれば、それとは逆に映画の背後に実在する事情を持って語ることもまた不可能なのである。

何が言いたのかと言いますと、「顔面騎乗」――その行為をどう捉えるかが、本作『デッドプール』のキモだと思うわけです。

顔面騎乗、日本の四十八手で言うところの石清水(女性の愛液を啜る形になることから、この名前がついたと思われます)。読んで字のごとく、相手の顔に騎乗、すなわち座ることを指す行為でございます。主にSM的な行為の一つとして考えられておりまして、マゾ男性の顔面にサドの女性が座るのが今日では最もポピュラーな形だと言えましょう(もちろん、男性同士や女性同士で行うパターンもありますが、不思議と男性が女性に座るパターンはあまり見たことがありません)。鞭や縄などの専門的な技術や道具は不要でありますので、一見すると比較的簡単な行為だと言えるでしょう。

しかし、この顔面騎乗は非常にややこしい一面もございます。

あれは某AV女優さんの引退作品でございました。キャリアを振り返って的なインタビューを行う一幕があったのですが、その女優さんはサディスティックなプレイでも知られている人物でありながら、「女性器を舐められるのは苦手」と仰っていたのです。また、ある雑誌のインタビューでは、それこそ女王様的な行為を行うタイトルの主演女優さんが「(ムチで叩く、睾丸を蹴り上げる等のプレイは平気だが)顔騎だけは抵抗がある。悪い気がする」的なことを仰っていたのです。この話を見たとき、私は思いました。実は顔面騎乗という行為は、ああ見えて女性的にかなり敷居が高い行為なのではないかと。

「男性を殴る・蹴ることを仕事にしている女性の中ですら、顔面騎乗にはそれらの直接的な暴力行為よりも抵抗を抱く人がいるのですから、そうでない一般の女性にしたら、顔面騎乗という行為はかなり垣根の高い行為なのでは――?少なくとも、抵抗を覚える女性は一定数いるのではないか――?」

顔面騎乗に対してこうした認識を抱いて本作に臨むと、メインプロットとは別のところで、一つの筋が見えてまいります。それはデッドプールと恋人の性生活の変化です。

人体実験で醜悪な顔になってしまった傭兵のデッドプール。その見た目ゆえに、心から愛した女性のところにも戻れずにいました。しかし、ひょんな事から女性が憎き悪の組織に拉致されてしまいます。ブチキレたデッドプールは彼女を取り戻すべく戦いを挑みます。そして死闘の末に彼女を救い出し、ついにその前で素顔を晒したデッドプール。そんな彼に彼女はこう囁くのでした。

「その顔にまたがってあげる」

この映画は基本的にデッドプールと、その彼女が寄りを戻すまでのお話しです。予告で言っている通り、ラブストーリーとしての色が強く、やりたい放題の破壊的ブラックコメディを期待していくと、恐らく肩透かしを食らうことになるでしょう。個人的にはもっと『裸の銃を持つ男』や『サウスパーク』『シンプソンズ』などのようなドリフ感を期待していたので、その点では少々食い足りなかったというのが本音です。

正直、最後の最後で顔面騎乗の話にならなかったら、私はここまでこの作品に乗っかることができないかったかもしれません。しかし事実として、この映画は最後に顔面騎乗と言う言葉を出してきた。それだけで、私の心には強烈なフックとなったのです。

冷静に考えてみてください。このストーリーなら、最後は普通に正常位でも良いわけです。むしろ、顔にコンプレックスを抱いている男を受け入れる女性の話なら、顔の見える正常位・騎乗位などの方が収まりは良いはずです。にも関わらず、最後の最後に何故か「顔面騎乗」を持ってきた。ここに何か意味がある気がしてならんのです。

もちろん顔面騎乗に何の関心もなければ、よくある下ネタ・ジョークの一つとして流すでしょう。しかし私のような顔面騎乗に何らかの考えがある者としては、これは「よくある下ネタ」以上の意味を持ってきます。

私はこのシーンは本当に素晴らしいと思いました。それは、私の中で顔面騎乗が女性側から見ると、とても恥ずかしい行為であるという認識があるからです。キスや正常位以上に、よっぽど相手が好きでないと出来ない行為だという認識があったのです。途中、デッドプールは彼女と様々なセックスを行います。その中には彼女がデッドプールのアナルを掘るなどの過激なプレイも含まれていました。しかし、それらの様々なプレイをブッ飛ばして、最後の最後に顔面騎乗が来た。これはつまり、それらのプレイよりも顔面騎乗に重みがあるということです。

もしかすると、あの二人は色々な性行為をやっておきながらも、顔面騎乗だけはやったことがない……あるいは、彼女の方から言い出すことはまず無かったのではないでしょうか。顔面騎乗というモノが社会的にまだ変態色の強いプレイである以上、十分にあり得ることです(特に欧米では、クンニが日本よりもマイナーであると小耳に挟んだことがあります)。そうなると、つまり、あのラストの一言は、彼女が今まで以上に彼に心を開いたことの証しなのだと思うのです。

無論、インタビューで作り手側が顔面騎乗について言及したわけではありませんし、劇中で顔面騎乗に関する伏線シーンがあったわけではありません。言ってしまえば、ここまで書き散らかしたものは全て私の妄想にすぎません。しかし、最後の最後のささいな一言、いわば枝葉の部分が私の心に刺さったわけです。そして、この映画にはそうした枝葉が非常に多い。それは80年代ネタ、映画ネタ、アメコミネタ、無数の枝葉がついているのです。その一方で、枝葉の中心には「ヒーローもの」という大真面目な幹が一本通っている。

繰り返しますが、デッドプールという題材を考えれば、もっと無茶苦茶やっても良かったとも思います。しかし、枝葉をフックとして、王道ヒーローものとして見せ切る……そんな正攻法なスタイルと言いますか、言ってしまえば真面目な感じに、私は好感を持ちました。続編でのスケールアップに期待したいと思います。

先にも書きました通り、本作は枝葉が多い映画です。故に、映画で描かれた些細な部分を取り上げて、その背後にあるかもしれないものを勝手に妄想する――そんな楽しみ方ができる映画だと思います。重箱の隅を楊枝でほじくる楽しみがあります。いやぁ、映画って本当にいいものですね。