ずいぶん朝早くから見知らぬ人たちがこの宇多方(うたかた)家にやってくる。
最初に坐り込んだチョビ髭をきれいにそろえたパナマ帽の老翁はズボン幅の広いスーツに身を固め、わたしがいつも憩う縁台越しに硝子戸を抜けてやってきた。帽子をとったらそれはみごとな禿頭である。八畳の座敷は一挙にルーメンをあげる。
また長い白鬚をたくわえた爺様が家紋入りの羽織袴で正装し、ガタの来た玄関ドアのすき間からするりと音もなく入り込んでくる。
二階のベランダからでも入って来たのだろうか。赤児を抱いた野良着姿の婆さまが座敷に入ることもなく、階段を滑り降りたり、よじ登ったりしてむずかる赤ん坊をあやしている。
蛍光灯の引き紐を伝わり軽やかにステップを踏みながら登場した若者もいる。でもその若造、どこか頭の恰好が変。耳の両脇に髪の毛をまるく結い、アラジンの魔法使いのような扮装だ。
気がつくと畳の縁の間から陽炎のように立ち顕れた妖艶な丸髷の和装の女性もいた。
え~っ、軽装の具足をまとい、槍を携えた小柄な男も隣の空き地を踏みしめ、西方の硝子戸を開けることもなくすっと座敷に上がりこんできた。
どこからともなく次々とあらわれ出でたる奇妙な人たちがいつしか円座をなしてゆく。
あらかじめ定められた座席表でもあるかのようにごく自然に自分の座を占めていく。
たかだか八畳の座敷に集うにしては多すぎる人びと。実にたいへんな賑わいであることは確かなのだが・・・なんだか妙である。頭数は一、二、三・・・、十三、十四・・・、二十六、二十七・・・
お客を招くのが大好きな宇多方家でも、この奇天烈な集団は、数学で表現すれば、集合・・・{ x | P( x ) }・・・の“x”なるものが、この人たちの外見、属性、きわめて特異な所作などから割り出そうとしても皆目見当がつかない。
要素・・・要素・・・要素・・・。わたしの明敏な頭脳をフル回転させてみせるのだが、その“解”は求められぬ。
やはり、連日にわたる気象庁発表の常套句。
“いままで経験したことのない”猛暑と、寄る齢波の所為だろうか、脳内は霞がかかったかのように朦朧とし、思念をまとめる集中力をいちじるしく欠く。
もちろんこのような不可解な光景を目にするのは初めてだ。この情景から当然に聴こえるはずの雑多な音がこの聴覚鋭敏な麟太郎の耳に届いてこぬ。
いや、失礼! 紹介が遅れたが、わたしの名は麟太郎という。
その命名の由来は後ほど述べることとし、聡い・・・自分でいうのも面はゆいが、この宇多方家の主人、双耳(そうじ)ごときに比べるまでもないセンシティブでスマートなわたしの耳に一切の物理的音声が届かぬのは不思議である。
ところで、八畳間にはいったいどれだけの人数が坐り込んでいるのか。ざっと勘定してみても、四、五十人はいる・・・。
でも、その一人ひとりをつぶさに見れば決して窮屈そうではない。隣にはゆったりとした空間があり、狭苦しくは見えないのだ。
そんな不条理な光景に頭を悩ませ、前脚、いや失礼、猫なもんで勘弁くだされ、その前脚で目をこすりこすり窺がっていたところ・・・
背中をカタツムリのように丸めた痩せこけた老婆がこともあろうに座敷に鎮座する仏壇の天井から跳び降り、円座の鎖のなかに小さな躰をすぽっと割り込ませた。
「相変わらずじゃの、おマキ婆さま」
と、声がかかった。
初めて耳にした音声である。
「うん?」
カタツムリの老婆が皺くちゃの口元をすぼめ、顔の皺のなかにめり込ませた双眸(りょうめ)を絹糸のように細め、声の主を見つめた。
「どなた様じゃったかいね」
と、小さなフジツボのような口唇をひらく。
「ほぉ、安吾郎の爺様かえ~」
真っ黒な鉄漿(おはぐろ)・・・ではなく、みごとに前歯の抜けた小さな洞のような口内から薄雲の空気をもらした。
「うんにゃ・・・」
「婆さまの玄孫(やしゃご)の助二郎じゃがのう」
「・・・」
「お~お~」
カタツムリの婆さまは記憶の先っぽに何とか辿り着いたのだろう。
顔面中央をへこませ皺を絞り込んだその得心顔は干からびた梅干しそのものである。
「ほ~っ・・・ところで・・・」
マキの婆さまがすこし頸を傾げ、絹糸の目が座敷の隅っこを探った。
「そこにいなさるのは何方(どなた)さまかいのう」
唐突なカタツムリの誰何(すいか)である。
傍観者であると勝手に思い込んでいたわたしである。
この怪しげな集団の視線がいきなり注がれたのにはドギマギした。
心の用意もなく、どうリアクションしてよいのやらさっぱりわからない。
考えてみれば不思議である。
早朝からの奇天烈な展開を間近に見ておりながら、ここにいる誰からも関心を向けられない。
何の問いかけを受けることもなく、そしてつい先ほど、おマキ婆さまが登場するまでは一切の音も耳にすることがなかったのである。
無機質なコマ送りがされる無声映画でも鑑賞している観客のつもりでいたのである。
大仰に言ってしまうが、わたしは神の目としてこの八畳の狭い空間に浮遊し、存在しているとばかり勝手に思いこんでいた。
いま数十人の好奇の視線が痩せ細ってしまったこの身に不躾に振り向けられている。全身に冷や汗がじわ~っと噴き出してくる。
マキの婆さまの目元は、でも、優しげである。
わたしはその双眸の奥に点じる優しさの灯を信じ、犬歯が抜けた口を開いたのである。
「麟太郎といいます」
「・・・・・・」
「あれは・・・猫ではないのか」
と、ひとりが指さす。
「えっ、なぜ、犬畜生がこの場に・・・」
「犬ではない、猫じゃろう」
「犬畜生といっているのだ」
「猫だというのがお前様にはなぜ分らぬ」
「犬というのは畜生の枕詞・・・」
「あおによしと犬畜生とが一緒だと」
もう何だか、とんでもないのである、この連中。
「え~と・・・きょうはさて、何の日じゃ」
「施餓鬼会は過ぎた」
「八月一三日じゃ」
「うん?」
「そうじゃ、八月の・・・」
「誰かこの者、いや、この畜生を存じおるものは?」
「え~い、面倒じゃ、さっさと外へつまみ出せ」
と、八畳間はもう収拾のつけようもない混乱の極みに達する。
その果ては、「猫の分際で犬歯を欠いとるなんぞ、不届き千万」などと、別けの分らぬ、江戸の敵を長崎で、いや違うな、要は理不尽極まる妄言を吐く輩もでてきたのである。
円座の人びとは口々に泡を、いや唾を飛ばすものまでいて、八畳間はいよいよ騒擾の坩堝(るつぼ)と化していく。
そんな時である。
頃合いを見計らったようにして、「まぁ、まぁ、静かに」
マキの婆さまが枝豆のツルのように細い腕をしならせその座を御した。
「なにか事情があるのじゃろう。まずはここにおる麟太郎なるものの噺を聞いてみようではないかい」
と、皺の間に埋め込んだ双眸(りょうめ)を一瞬であるが、煌(きら)りと耀かせた。
幼子のような好奇に満ちた虹彩がわずかに開き、話を先へ進めるように促している。
そこで、わたしは一度深く息を吸いこみ胸の動悸を鎮め、人語(ひとご)でゆっくり、
「わたしはこの宇多方(うたかた)家の飼い猫、つまり世にいうペットである」
と、口にしたのである。
最初に坐り込んだチョビ髭をきれいにそろえたパナマ帽の老翁はズボン幅の広いスーツに身を固め、わたしがいつも憩う縁台越しに硝子戸を抜けてやってきた。帽子をとったらそれはみごとな禿頭である。八畳の座敷は一挙にルーメンをあげる。
また長い白鬚をたくわえた爺様が家紋入りの羽織袴で正装し、ガタの来た玄関ドアのすき間からするりと音もなく入り込んでくる。
二階のベランダからでも入って来たのだろうか。赤児を抱いた野良着姿の婆さまが座敷に入ることもなく、階段を滑り降りたり、よじ登ったりしてむずかる赤ん坊をあやしている。
蛍光灯の引き紐を伝わり軽やかにステップを踏みながら登場した若者もいる。でもその若造、どこか頭の恰好が変。耳の両脇に髪の毛をまるく結い、アラジンの魔法使いのような扮装だ。
気がつくと畳の縁の間から陽炎のように立ち顕れた妖艶な丸髷の和装の女性もいた。
え~っ、軽装の具足をまとい、槍を携えた小柄な男も隣の空き地を踏みしめ、西方の硝子戸を開けることもなくすっと座敷に上がりこんできた。
どこからともなく次々とあらわれ出でたる奇妙な人たちがいつしか円座をなしてゆく。
あらかじめ定められた座席表でもあるかのようにごく自然に自分の座を占めていく。
たかだか八畳の座敷に集うにしては多すぎる人びと。実にたいへんな賑わいであることは確かなのだが・・・なんだか妙である。頭数は一、二、三・・・、十三、十四・・・、二十六、二十七・・・
お客を招くのが大好きな宇多方家でも、この奇天烈な集団は、数学で表現すれば、集合・・・{ x | P( x ) }・・・の“x”なるものが、この人たちの外見、属性、きわめて特異な所作などから割り出そうとしても皆目見当がつかない。
要素・・・要素・・・要素・・・。わたしの明敏な頭脳をフル回転させてみせるのだが、その“解”は求められぬ。
やはり、連日にわたる気象庁発表の常套句。
“いままで経験したことのない”猛暑と、寄る齢波の所為だろうか、脳内は霞がかかったかのように朦朧とし、思念をまとめる集中力をいちじるしく欠く。
もちろんこのような不可解な光景を目にするのは初めてだ。この情景から当然に聴こえるはずの雑多な音がこの聴覚鋭敏な麟太郎の耳に届いてこぬ。
いや、失礼! 紹介が遅れたが、わたしの名は麟太郎という。
その命名の由来は後ほど述べることとし、聡い・・・自分でいうのも面はゆいが、この宇多方家の主人、双耳(そうじ)ごときに比べるまでもないセンシティブでスマートなわたしの耳に一切の物理的音声が届かぬのは不思議である。
ところで、八畳間にはいったいどれだけの人数が坐り込んでいるのか。ざっと勘定してみても、四、五十人はいる・・・。
でも、その一人ひとりをつぶさに見れば決して窮屈そうではない。隣にはゆったりとした空間があり、狭苦しくは見えないのだ。
そんな不条理な光景に頭を悩ませ、前脚、いや失礼、猫なもんで勘弁くだされ、その前脚で目をこすりこすり窺がっていたところ・・・
背中をカタツムリのように丸めた痩せこけた老婆がこともあろうに座敷に鎮座する仏壇の天井から跳び降り、円座の鎖のなかに小さな躰をすぽっと割り込ませた。
「相変わらずじゃの、おマキ婆さま」
と、声がかかった。
初めて耳にした音声である。
「うん?」
カタツムリの老婆が皺くちゃの口元をすぼめ、顔の皺のなかにめり込ませた双眸(りょうめ)を絹糸のように細め、声の主を見つめた。
「どなた様じゃったかいね」
と、小さなフジツボのような口唇をひらく。
「ほぉ、安吾郎の爺様かえ~」
真っ黒な鉄漿(おはぐろ)・・・ではなく、みごとに前歯の抜けた小さな洞のような口内から薄雲の空気をもらした。
「うんにゃ・・・」
「婆さまの玄孫(やしゃご)の助二郎じゃがのう」
「・・・」
「お~お~」
カタツムリの婆さまは記憶の先っぽに何とか辿り着いたのだろう。
顔面中央をへこませ皺を絞り込んだその得心顔は干からびた梅干しそのものである。
「ほ~っ・・・ところで・・・」
マキの婆さまがすこし頸を傾げ、絹糸の目が座敷の隅っこを探った。
「そこにいなさるのは何方(どなた)さまかいのう」
唐突なカタツムリの誰何(すいか)である。
傍観者であると勝手に思い込んでいたわたしである。
この怪しげな集団の視線がいきなり注がれたのにはドギマギした。
心の用意もなく、どうリアクションしてよいのやらさっぱりわからない。
考えてみれば不思議である。
早朝からの奇天烈な展開を間近に見ておりながら、ここにいる誰からも関心を向けられない。
何の問いかけを受けることもなく、そしてつい先ほど、おマキ婆さまが登場するまでは一切の音も耳にすることがなかったのである。
無機質なコマ送りがされる無声映画でも鑑賞している観客のつもりでいたのである。
大仰に言ってしまうが、わたしは神の目としてこの八畳の狭い空間に浮遊し、存在しているとばかり勝手に思いこんでいた。
いま数十人の好奇の視線が痩せ細ってしまったこの身に不躾に振り向けられている。全身に冷や汗がじわ~っと噴き出してくる。
マキの婆さまの目元は、でも、優しげである。
わたしはその双眸の奥に点じる優しさの灯を信じ、犬歯が抜けた口を開いたのである。
「麟太郎といいます」
「・・・・・・」
「あれは・・・猫ではないのか」
と、ひとりが指さす。
「えっ、なぜ、犬畜生がこの場に・・・」
「犬ではない、猫じゃろう」
「犬畜生といっているのだ」
「猫だというのがお前様にはなぜ分らぬ」
「犬というのは畜生の枕詞・・・」
「あおによしと犬畜生とが一緒だと」
もう何だか、とんでもないのである、この連中。
「え~と・・・きょうはさて、何の日じゃ」
「施餓鬼会は過ぎた」
「八月一三日じゃ」
「うん?」
「そうじゃ、八月の・・・」
「誰かこの者、いや、この畜生を存じおるものは?」
「え~い、面倒じゃ、さっさと外へつまみ出せ」
と、八畳間はもう収拾のつけようもない混乱の極みに達する。
その果ては、「猫の分際で犬歯を欠いとるなんぞ、不届き千万」などと、別けの分らぬ、江戸の敵を長崎で、いや違うな、要は理不尽極まる妄言を吐く輩もでてきたのである。
円座の人びとは口々に泡を、いや唾を飛ばすものまでいて、八畳間はいよいよ騒擾の坩堝(るつぼ)と化していく。
そんな時である。
頃合いを見計らったようにして、「まぁ、まぁ、静かに」
マキの婆さまが枝豆のツルのように細い腕をしならせその座を御した。
「なにか事情があるのじゃろう。まずはここにおる麟太郎なるものの噺を聞いてみようではないかい」
と、皺の間に埋め込んだ双眸(りょうめ)を一瞬であるが、煌(きら)りと耀かせた。
幼子のような好奇に満ちた虹彩がわずかに開き、話を先へ進めるように促している。
そこで、わたしは一度深く息を吸いこみ胸の動悸を鎮め、人語(ひとご)でゆっくり、
「わたしはこの宇多方(うたかた)家の飼い猫、つまり世にいうペットである」
と、口にしたのである。