『プレーンソング』感想と、日常系4コマ漫画の可能性。

保坂和志の『プレーンソング』を読んだので、その感想と、そこから4コマ漫画の可能性について考えたのでいろいろ書いてみます。





まず、『プレーンソング』(1990年発表)の概要を簡単に紹介。

この小説、なんといってもストーリーとか筋のようなものが、ほぼ皆無。

主人公がちょっと広めのアパートを借りて、そこに若者たちが続々と転がり込んでくる。で、主人公はなんとなくそいつらの面倒を見たりする。

その間、とくにこれといってドラマティックな事件が起こるでもなく、淡々と日常が過ぎていくのだけど、その一見平凡な日常の中でふと何か考えたり感じたりすることがある。

それは誰もが生活の中で抱くような些細でありふれたもので、だから普段は気にもとめず、それらの感覚はすぐに忘れていってしまう。本当に、そういうささやかなもの。

『プレーンソング』はそのようにして、一見なにも起こらない日常を淡々と描くことで、意識されるかされないかの瀬戸際のような微妙な感覚を、丁寧に表現していく小説です。

保坂和志の独特な文体も、感覚や思考といった主観的な領域を巧みに浮かび上がらせることに大きく貢献していて、このことは巻末で石川忠司さんがわかりやすくその手法と効果について解説しています。

とにかく『プレーンソング』は、非常に独特の手法で、平凡な日常の中にある、見落としそうな繊細な感覚を丹念に描いた小説と言えます。いやまあ、アパートに若者が転がり込む生活が平凡かどうかは若干微妙ですけど。



とまあそんな保坂和志のデビュー作『プレーンソング』なわけですが、この読書体験は実際に読んでみないことにはさっぱりわからないと思うのですね。

なので、いくら内容を語ってもいわゆる「ネタバレ」的な読書体験の損ない方は不可能だと思います。

例えば、匂いって言葉で伝えられないじゃないですか。「くさい」「いいにおい」みたいな良し悪しの評価はできても、それ以上のネタバレって無理ですよね。

保坂小説もそういうところがあって、というかそういう側面が非常に強く出ていて、やっぱり魅力的な小説っていうのはそうでなくてはならない、と改めて感じました。言葉で伝えられない感覚を、言葉で表現するという。

小説とはまた異なる文学の形態ですが、詩は完全にネタバレで作品の魅力を損なうことは不可能ですよね。本来、文学ってそういうものなんじゃないでしょうか。

いえ、ネタバレで魅力が損なわれるタイプの作品がダメだと言っているわけではないのですが(ネタで勝負する系の小説も好きですし)。



で、『プレーンソング』を読み始めて間もなくの頃なんですが、僕は妙な既視感のようなものを覚えました。

『プレーンソング』を読みながら体験する感覚が、どうも何かに似ているのです。

その「何か」というのは小説ではなく。

小説でない「何か」で、こんなのあるよな……。と、どうにもそのように感じられるのです。

んで、すぐにはその正体がわからず、もやもやしたまま読み続けていたのですが、後半になってあるキャラクターが登場した瞬間、自分の中にあった疑問が氷解しました。

そのキャラクターの名前は「ゴンタ」。

自主制作映画を撮ってるんだけど、一度も作品を完成させたことがないという若者です。

で、このゴンタの撮影する映画っていうのが少し変わっていて、映画というかビデオなんだけど、ひたすらビデオカメラを回しながら周囲の人たちを撮っている。

で、撮りながらぶつぶつ独り言なんかをつぶやいている。

ビデオの撮影法っていうのも独特で、喋っている人にフォーカスするでもなく、漫然とふらふらと視点が移動する。

そしてこのゴンタの撮影している映画(というかビデオ)こそが、僕が『プレーンソング』を読んで抱いた印象そのものなんです。

まあ僕は小説の登場人物であるゴンタの撮影したビデオを見たことはないので、正確には「それに近いもの」ですが。

「それに近いもの」というのは、例えば素人が撮影した無編集のビデオだったり、あるいは映画とかで意図的にカメラを回しっぱなしにして、カットを行わずにそこに漂う空気感のようなものを伝えるシーンだったりです。

ええと、例えば普通の映画だと。いや映画じゃなくてTV番組とかでも良いんだけど、何か強調したい被写体があって、そこを切り出して、そうして強調したいカットを集めてつなげて画面を作っていきますよね。

それって、普通の小説もそうなんです。どこかにフォーカスを絞り、描きたい対象がくっきり浮かび上がるように、輪郭を持った描写を連ねていく。

ところが、保坂小説はそれをしない。

とりとめのない思考が浮かんでは消え、特に意味のない台詞を誰かがつぶやき、周りの情景は特別な意味を持たずにただただそこに在るように在る。

被写体を定めずに回しっぱなしにしたビデオカメラのように、一人の主人公の「主観」――感覚や思考――を時間に沿って忠実に再現していく様は、他の小説にはない大きな特徴です。非常にユニーク。

石川忠司は巻末の解説でそのことを「究極のリアリズム」と表現し、文学史に残る偉大な達成であると評価しています。

それは本当に、僕もまったくの同意見で、小説というジャンルにおいてここまで「主観」を忠実に描出したことは革命的とも言えるだろうし、こんなことが可能だったのかと驚くほかありません。





さて、ここから話が変わります。

僕はここ最近、文学の未来についてけっこう真面目に考えています。

どれくらい真面目に考えているかというと、おっぱいについて考えるときと同じくらい真面目に考えています。

それで、おっぱいの未来なんですが、巨乳至上主義の反動がそろそろ本格的にマスマーケット上で観測されると思うんですね。

あ、違う。今回は文学の話や。

ええと、文学の未来。その主なテーマは「ポスト小説」です。

今でこそ文学というと小説が主流みたいなイメージがありますが、小説の歴史なんてたかが知れていて、文学というと詩や戯曲がその中心にずっとありました。
(世界で最初の小説は、17世紀に書かれた『ドン・キホーテ』と言われています)

でもって、そういった時代の流れみたいなのを考えたときに、今後も小説が文学の主流であり続けるかというと、やはりそこには疑問を挟まざるを得ません。

じゃあ小説のあとに何が文学の主流になるのか。詩や戯曲が復権するということはたぶんないでしょう。たぶん、小説の座を奪うものが出てくるとしたら、より新しい形態の言語作品のはずです。

その候補はいろいろ考えているのですが、僕がその中でも有力視しているのは「マンガ」です。

えっ、マンガ?

と思われるかもしれません。

漫「画」というくらいですから、あれは文学よりも絵画や映画のような視覚芸術なのではないかと。

しかし、小説にしたって詩にしたって、完全に視覚を切り離して言語のみで成立しているかというと、決してそんなことはありません。

どんな詩や小説も、それが文字によって表現されたものであれば、視覚的な要素を必ず含みます。

積極的に視覚効果を取り入れた小説や詩も、たくさんあります。

そしていまや、小説を読む人はすっかり少なくなり、代わりにみんなマンガを読んでいますよね。

マンガがどこまで文学と呼べるのかは確かに難しいところです。ですが、そもそも文学というものの境界線はそんなに明確なものではありません。

その曖昧な境界線から、今後マンガが文学の領分へ浸食を進めてゆくのはおそらく必然の流れだと思いますし、すでにそれは始まりつつあるとも考えています。



ここで保坂小説の話に戻ります。

保坂和志の小説は(というか僕はまだ『プレーンソング』しか読んでいないので、僕の読んだ『プレーンソング』は)、あたかもビデオカメラを回し続けるようにして、個人の主観を忠実に写実的に描くものです。

言語によって成立する小説という分野において、実際にそのような表現が可能であることを、保坂和志は巧みかつユニークな手法で証明しました。

そこで僕の興味は次のようなものになります。「果たして同様の表現がマンガにおいて可能だろうか?」と。

マンガというのはバラバラの絵を順番に並べ、物事を描いていきます。これ、保坂小説的な表現には向いていないように思えます。どうしても、マンガというものはカメラの切り替えがついて回る表現形態だから。

でも、絶対に無理なのかというと、そう言い切ってしまうこともできなそうです。

そうして、しばらくあれこれとこの問題について頭を使っていたわけですが、ふと思い当たりました。

4コマ漫画ならいけるんじゃないか? と。

実をいうと、最初は4コマ漫画こそ保坂的表現に最も向かない手法なんじゃないかと思っていました。

なぜかというと、4コマという決まった区切りを持って、描写が進行していくから。

こうした意図的な区切りは、情景や心象をありのまま描くにはあまりに恣意的です。

ゆえに、4コマ漫画で保坂的表現は無理だと。

そのように思っていたのですが、ふと視点を変えてみると、4コマ漫画の持つ別の特徴に気づきました。

それは、常に一定のコマの大きさ、一定のコマ間隔、一定の視線移動で作品が成立しているということ。

そのことに気づいた途端「4コマ漫画こそが、最も保坂的表現に向いた形態だ」と、ほぼ確信を持って考えを改めることになりました。

そう、普通のマンガではコマの大きさにメリハリがあって、それがつまり描写する対象を意図的に強調したり、状況をより効果的に整理したりといった機能を担います。

4コマ漫画にはそれがない。それがない代わりに、4コマという区切りの中で、オチをつけることによって作品のフォーカスを絞っています。

しかしここで、オチをつけず、ただ漫然と、だらだらと、何が起こるでもない日常を描けば、保坂小説のようなリアリズムが実現できるのではないか?

そう思ってみると、確かに最近の4コマ漫画というのは、明快なオチもなく、明確なトピックもなく、ただキャラクター達の生活の一部を漫然と描いたものが増えているように感じます。

その手法を芸術の域まで高めた作品となると、残念ながら僕は寡聞にして知りません(おそらく、そこまで追求してしまうと商業作品になりにくいためでしょう)。

しかし、書き手の側に「4コマ漫画からオチという制約を取り払えば日常を描く新しい手法になり得る」という感覚が意識的であれ無意識的であれ生じているというのはほぼ間違いなく言えそうです。

思えば、いがらしみきお氏あたりがそういった手法の嚆矢となり、やがてあずまきよひこ氏がその表現が持つ可能性の片鱗を見せたことによって、現在の状況に至っている気がします。

この道に、いったいこれからどういった才能が続き、どんな作品が世に出るのでしょうか。

この手の新しさというものは、えてして発表から評価までにタイムラグがあるものです。もしかしたら既に発表されているのかもしれません。






マンガが本当に小説の地位を奪って文学として認められるようになるのか、日常系4コマ漫画がやがて「究極のリアリズム」に到達できるのか、いずれも僕の頭の中で勝手に繰り広げた机上以前の空論なので果たしてどうなるものやら分かりませんが、ひとつだけ言えそうなのは、どうやら僕はやっぱりおっぱいのことがたまらなく好きらしいということです。

KDDIのiPhoneは買いなのか?

はあはあ。

ホテルが臭かったせいではないのですが、そしてもちろんトイレの水を飲んだせいでもありませんが、しばらく体調を崩していました。

もうすっかり回復しましたが、改めて薬の偉大さを感じる出来事でした。クスリ最高!!



そんなわけで、KDDIがiPhoneを販売するというニュースについてです。

サプサプサプライジングすぎて、昨日は世間が大盛り上がりでした。

AppleもKDDIも一切そんなことは言ってなくて、ただ日経が例によって断定口調ですっぱ抜いただけなのですが、他のニュースメディアも続々とそれに続いて報道を過熱させて、完全に確定ニュースみたいに扱われています。

例えば、今日の産経だとこんな感じですね。

 KDDI(au)が、米アップル製スマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」の次期モデルを発売することが22日、分かった。スマホの投入が遅れ、携帯電話の契約者数で3位のソフトバンクに激しく追い上げられているKDDIは巻き返しに向けて強力な“武器”を手にすることになる。ただ、アップルは通信会社に販売ノルマや料金面で条件を提示することで知られ、KDDIからは「アイフォーンは毒まんじゅうにもなり得る」(幹部)との声も出ている。


一次ソースは日経だけのはずなんですが、もう完全に確定しちゃってる書き方www

もしも日経の勇み足だったらどうするんだww



そんな報道で大丈夫か?

日経が自信を持って断定している以上、それなりの裏があるのでしょうが、相手はAppleです。

事前の情報リークをとにかく嫌う企業ですので、このニュースが原因でご破談なんてこともありえます。

実際、iPadの発表前に大手出版社のマグロウヒルCEOがiBooksのことをうっかり喋っちゃって、iBooksのパートナーから外されたという事件も過去にありました。

あとは、バーに落ちてた未発表のiPhone4をスクープしたGizmodoが、それ以降Appleのイベントに招待されなくなったりとか。

噂話程度ならKDDIのiPhone報道も許されるとは思うんですが、ここまで断定口調の報道はマズいんじゃないかなあと思います。

しかも、10月にAppleがiPhoneの新モデルを発表するというのは、既に誰もが知っている公然の事実と言って良いのですが、まだ正式なアナウンスはなく、これもあくまで「噂」にすぎません。確度が少し高いというだけで、あくまでもまだ噂段階です。

というわけで、本家のAppleがまだ発表すらしてない製品について、取り扱いを明言するような報道はヤバい気がします。

たとえKDDIがノーコメントを貫いて、日経が一方的に報道したんだという被害者的な態度を取ったとしても、情報管理の甘さをAppleに突かれたらどうなるものやらわかったもんじゃありません。

はてさて、このビッグニュース、どういう顛末を辿るものやら見物です。



Appleのキャリア拡大路線

翻ってAppleの立場からすると、パートナーが増えるのは悪い話じゃありません。

ソフトバンクはAppleの忠実な犬だったので結構可愛がられていた節はありますが、日本国内のほんの一部のシェアを握っているにすぎません。

KDDIもパートナーにすることで、シェアから単純に試算して、日本市場でのiPhoneの売り上げが倍になることが期待できるわけで、AppleにとってもKDDIとの協力は吝かではないでしょう。

実際に日本以外では多キャリアからの販売は当たり前になってきていますし。

ソフトバンクの独占体制が崩れるのは時間の問題というか、よくここまで保ったなという気がします。



まさかのKDDI

それにしても、auがiPhoneを出すとは……。

NTT docomoがiPhoneを出すことはあっても、auがiPhoneを出すことは少なくとも4Gの時代まであり得ないだろう、と思っていました。

そもそもKDDIだけ通信方式が他と違うので物理的にiPhoneが使えないという事情があったのです。

ゆえに、auだけは絶対にない、と断言しても良かったわけです。

そんな中でauがAndroidを猛プッシュし始めたというのは当然の流れですし、また、それによってiPhone by auは絶対に出てこないという観測が強まったとも言えます。

ところが、今年の初め頃にCDMA版iPhoneがアメリカでVerizon向けにリリースされたことで少し事情が変わってきます。

VerizonとKDDIは同じ通信方式を用いているので、auでもiPhoneが使えるようになるんじゃないか?という噂がこの頃ちらほらと出現し始めました。

しかし、ここでもやはり「それはない」という見方が主流であることに変化はありませんでした。

というのも、VerizonとKDDIは通信方式こそ同じものの、使っている周波数帯がまるで違ったからです。

Verizon対応のiPhoneを日本に持ってきても、KDDIの電波は拾ってくれません。
(ちなみに、普通のiPhoneはソフトバンクの電波だけじゃなくてdocomoの電波も拾えます。拾ってもdocomoのSIMがないと使えませんが)



KDDIはなりふり構っていられない?■

そんなわけで、とにかくKDDIのインフラというのはiPhoneが使えるような環境ではなかったので「iPhoneがKDDIから出ることはない」というのがこれまでの認識だったわけです。

それが覆ったわけで、そりゃあ大ニュースです。株価も変動するわけです。

でも、じゃあ一体ぜんたいどうやってiPhoneをKDDIのインフラで使うのか、という話になってくるわけですが、なんでも基地局の対応周波数を拡大しているんですって。

おおおお。

そこまでしてiPhoneが欲しいのかauよ。Android auとはなんだったのか。

いえまあ、そもそもAndroid auのちょっと前には「auの本気を見て欲しい」とか言ってIS01を出したり、そのちょっと前には「日本にスマートフォンはまだ早い」とか言ってたわけで、一貫性のなさはいまさらあげつらうことでもない気はしますが。



本題:KDDIのiPhoneは買いなのか?

……で、僕が一番気にしているのは「iPhone by au」は果たして「買い」なのか?ということです。

ソフトバンクが嫌だからiPhoneを避けていた、という層は一定数いるわけで、そういう人たちにとってiPhone by auは魅力的に映るのだと思います。

……が、はてさてauのiPhoneってソフトバンクに比べてそんなに良いものなんでしょうか?



通信の品質はソフトバンクよりKDDIの方が良い?

まず、真っ先に言われる話として通信の品質です。

ソフトバンクよりもKDDIの方が通信品質は高いと言われていますが、今後どうなるのか。

まず、KDDIが持っているこれまでのインフラがそっくりそのままiPhoneで使えるわけではない、という点に注意が必要だと思います。

これまでのインフラは周波数帯が違うので、iPhoneには対応していません。

iPhoneや他の海外端末向けに拡大した周波数帯のみが、iPhoneの通信に使えます。

しかも、iPhoneが導入されたらトラフィックが増大して回線が逼迫するのは必至。

個人的な予測では、通信の品質に期待しすぎない方がいいかなあ……という感覚です。

まあ、周波数の話とか技術的なところは僕もあまり詳しくないので認識に間違いがあるかもしれませんが。



携帯メールとMMS

次に、携帯のキャリアを変更したくない理由の一番に上がるのが、メールアドレスです。

携帯用のメールアドレスの変更が面倒だからキャリアを変えたくない、という至極現実的かつわかりやすい動機です。

で、iPhoneでauの ezweb.ne.jp ドメインの携帯メールが使えるようになるかというと、ちょっと微妙っぽいです。

というのは、iPhoneが採用している携帯メールの形式はMMSってやつで、softbank.ne.jp とかはMMSなんですが、auの ezweb.ne.jp はMMSではないらしいのです。

これは僕も全然知らなかったというか、携帯メールはみんなMMSだと思っていたんでKDDIがMMSを採用していなかったことにびっくり仰天なのですが、とにかく今のままではたとえKDDIからiPhoneが出たとしても ezweb.ne.jp のメールアドレスは使えません。

実はソフトバンクも当初は似たような事情があり、iPhone 3Gが出た頃はiPhoneがMMSに対応していなかったので softbank.ne.jp のメールが使えませんでした。

その代わりに i.softbank.jp というEメールアドレスが与えられて、今ではEメールとMMSと両方使えてしまうややこしい状態になっているのですが、まあとにかくいわゆる「携帯メール」というのは、かようにスマートフォンとの互換性がしばしば問題になります。

売れに売れまくっているdocomoのXperiaとかGalaxyとかも、発売直後は携帯メールが使えずに後のアップデートで対応したりしていました。

KDDIがどう出るかはわかりませんが、携帯メールが使えるとしても、時間をかけて ezweb.ne.jp をMMSに対応させる → iPhone で携帯メールが使えるようになる、というタイムラグが発生することは避けられそうにありません。

というわけで、携帯メールアドレス変えたくない派の人は、いずれにせよしばらく様子見の必要がありそうです。



料金プランはどうなる?

ソフトバンクといえば積極的すぎる料金戦略で有名です。

たぶん、ソフトバンクのがんばりのおかげで、日本は世界で一番安くiPhoneが使える国だと思います。

そこにKDDIがどう対抗してくるか。

電波の周波数を変えるくらいの取り組み様を見るかぎりでは、他のスマートフォンと同様な料金プランなんていうぬるいやり方を採用するようには思えません。

きっとソフトバンクに対抗するに足るだけの魅力的な料金プランを提示するでしょうし、そうしないとAppleも顧客も納得しないでしょう。

ただ、そうなると今度は既存のAndroid auを買ってしまった顧客の顰蹙を買うこと受け合いなので、そのへんどうなるのかかなり見物な気がします。

目が離せませんね!



実はdocomoでもiPhoneは使える

ギークな人たちの間では常識なのですが、意外に一般に知られていないこととして、docomoの回線でiPhoneを使う方法があります。

先に現行のiPhoneはdocomoの電波を拾うと書きましたが、要するにiPhoneにdocomoのSIMカードをぶっ刺せばdocomoの回線とネットワークが使えちゃいます。

ただ、これにはいくつか制約があって

1.日本で流通しているiPhoneはSIMロックというのがかかっていて、ソフトバンク以外のSIMを認識しない。

2.iPhone4のSIMカードは特殊な形状で、普通のSIMが刺さらない。

という二つのハードルを跳び越えなければなりません。

そのためには、

1.海外で流通しているSIMロックのかかっていないiPhoneを入手する

2.日本通信というところが出しているSIMがiPhoneに刺さる形をしていて、docomoの回線に対応しているので、これを契約する。

という手法を取ることになります。

これで、評判の悪いソフトバンクの回線を使うことなく、NTT docomoさまの回線を用いてiPhoneライフを満喫することができます。

で、これってデジタルガジェットが好きな人の間では常識みたいな手段で、別に裏ワザみたいなのでもなんでもないんですが、実行してる人はそんなにいません。

なんでかっていうと、単純にめんどくさいからです。

国外向けの端末をわざわざ入手して、当然正規の流通ではないのでまともなアフターサポートもついてないし、それでdocomoの回線は使えるけど、docomo.ne.jpのメールアドレスが使えるわけでもないし、ぶっちゃけあんまり労力に見合わないんです。

いや、労力に見合わないというか、労力に見合わないと判断する人が多い、というか。

つまりこのことから何が言いたいかというと、

「KDDIでiPhoneが出たとして、できるだけ分かりやすく、そしてできるだけ安く提供されないと、大きなアドバンテージにはならない」

と思うのです。

そのへん、ソフトバンクはかなり意識的に戦略を考えていて、やすくてわかりやすいプランの提供にすごく力を注いでいたなーと思うのです。

KDDIはそれと同様かそれ以上のことをやらないと、情報リークで損なったAppleの信用を取り戻すのは厳しいだろうなあ。

人ごとだけど、がんばれー。



結局、KDDIのiPhoneは買いなのかどうか

ていうか、Appleがまだ発表すらしていない製品についてどうこう言ってる時点でおかしいんですが。

KDDIもソフトバンクも9月末に秋モデルの発表があるとかで、そのときにiPhoneについての発表もあるとか報道されてたりもするんですが、いやいや、Appleが発表する前にキャリアが、しかも日本のキャリアごときがiPhoneの発表をするなんてあり得ないですよ。

なんかもう、そういう報道が出てるってこと自体、このニュースの信憑性が怪しくてしょうがないんですが、しかしこれだけ規定事項として報道された以上、もし覆ったらそれはそれでえらいことで、うーん一体どうなるのでしょう。

そういえば、その昔セガとバンダイが合併してセガバンダイになるってニュースで言ってたけど結局ご破談になったこととかありましたね。

まあそんな話は置いといて、今のところ僕の意見を率直に述べると、ソフトバンクが出そうがKDDIが出そうが、iPhoneはiPhoneで、その価値に大した差は生じない、ということになります。

こんだけ長々と述べてそれかい、という感じですが。

なので、ソフトバンクに比べて極端に良いとか悪いとか、そういうのはあんまりないんじゃないかというのが個人的見解だったりします。

そりゃまあ、MMSとか料金プランとか、多少の差はあるでしょうし、Appleとの付き合いに関してはソフトバンクの方が一日の長があるので若干ソフトバンクに分があるような気はしているのですが、iPhoneのもたらす体験ってそういうキャリアによる些末な部分をはるかに超越する部分があると思うんですよ。

だからこそ、KDDIもなりふり構わずiPhoneの獲得に走っているのでしょうが、逆にそれだからこそ、キャリアの違いなんて大した意味を持たないと思っています。

まあ、いずれにせよ、選択肢が広がって競争が促されるのは良いことです。

報道機関やKDDIがユーザが今後頓狂な言動を起こしませんように。

あと、docomo も早くiPhone扱えるようになるといいですね。

8月8日終わり

結局、水を飲む間もなく日が変わりました。

ホテルの部屋が死ぬほど臭かった件

ここのところ出張を伴う仕事が多くて、ふらふらと県外を巡回しております。

さて、今日も今日とて仕事を終えて、某県某市のホテルにチェックイン。

部屋の扉を開けたとたん、異変は起こります。

「何か……何かにおう……!」

喩えるなら、にんにくが腐ったにおい。

部屋に入った瞬間、立ちこめる摩訶不思議スメルに、軽く面喰らいます。

ちょっとこれまで生きてきて、経験したことがないにおいです。

一番近い経験は、やっぱりにんにくを腐らせたときでしょうか。

あと、わずかながら、掃除不十分な公衆トイレのような面影も感ぜられます。

とりあえず、ホテルの客室のにおいとしては少々不自然です。

そこで、僕はこう判断しました。

「まあ、いいか」

耐えられないと思ったニオイでも、30分くらいその場に身を置いていればやがて慣れてしまい気にならなくなるというのは、既に解剖学実習等で経験済みです。

少々くさくても、寝れればOKです。

荷物を放り投げ、悪臭の中コンビニ袋を広げる自分。

とりあえずお腹がすいているので食事です。

くさいけど、空腹の方がやや勝っています。

 【くさい(4.7) < はらへ(5.3)】

ちょうどこれくらいの黄金比です。



ちなみに、今日のメイン。



いや、買ったのは8個入りじゃないですが。

パッケージも写真とはちょっと違うんですが、紀文の玉子とうふそうめん風です。

これが美味しいのなんのヘルシーのなんので、部屋がくさいのなんか忘れて食べたくなるくらいなんですけど、上のリンクからぜひ買ってくれると僕の銀行口座に少しだけお小遣いが増えるという仕組みになっております。

で、これ、食べるときに一度水を切らなきゃいけないんですよ。

なので、そそくさと玉子とうふそうめん風を抱えてバスルームへ。

ちなみにこのときのテンションは、鼻が慣れてきたこともあって【くさい(2.7) < はらへ(7.3)】くらい。

そこでハザードは発生しました。

バスルームに入ったとたん、【くさい(8億) < はらへ(0.0)】ですよ。

それはもう、あまりにも強烈なニオイに、うっかり不等号をそのままにしちゃうくらいです。

とにかく臭い。死ぬほど臭い。バスルームが臭い。バスルームが死ぬほど臭い。

超刺激級。

これはあれだ。

たぶん、あれです。

よくわかんないけど、蓋は閉まってるけど、トイレ。おトイレ。お便器。あの中がきっとやんごとないに違いない。

とりあえず玉子とうふそうめん風の水を洗面所でよく切って、その間も、自分のこの低い鼻もついにもげ去ってしまうのだなあと別れを惜しみ、それから玉子とうふそうめん風を脇に置き、意を決してお便器のお蓋をオープンしました。

正直、中から死体が出てきても驚かないくらいの覚悟だったのですが、中は空。

空っぽです。

何にもない。

お水もない。

……水!

そう、お便器のお水!

あれは下水のニオイが上がってくるのを防ぐ役目をしているのですね。

ゆえに、あの水が干上がると辺り一面がとても臭くなる。

……いやいや、それにしても臭すぎる。えっ、下水ってこんなに臭いの? 改めて驚きです。

小学生の頃、家のトイレが汲み取り式で、バキュームカーの汲み取りとかよく横で見てましたけど、こんなにひどくはなかったです。



原因がわかったので、あとは対処するだけです。

1.バスルームの換気扇を回す。

2.便器に水を満たす。

ところが、水が流れない……。このトイレ、完全に干上がってやがる……。

そんなわけで、私は思い切ってバスルームのシャワーを便器に突っ込んで水を出しました。

「えーっ、おシャワーをお便器に!? 汚い! ありえない!!」

と感じる方もいるかもしれませんが、そもそも風呂とトイレがくっついてる時点でありえないと思いますよ。

何にせよ、ユニットバスという造りのおかげでシャワーという非常手段が使えたのは事実。

ユニットバスも捨てたもんじゃないなと見直しましたが、そもそも便器がしっかりすればいいだけです。

便器にシャワーが差し込まれてる図はなかなかにシュールで見ごたえがあったのですが、慌てすぎてて写真を撮っていないのが悔やまれます。



その後、においはだいぶ和らいだんですが、やっぱり完全には消えなかったのでフロントに連絡して部屋を変更してもらいました。

最初からそうすればよかった。

玉子とうふそうめん風も、部屋を移ってから食べればよかった。


扉がつっかえるの図

ちなみに、シングルが空いてなかったのでツインがあてがわれました。

バスルームに入ろうとしたら、扉が片方のベッドにつっかえて笑ったwwww

なんなんだこのホテルwwwww



なんにせよ、トイレのあの水は素晴らしい。

今日だけ、感謝をこめて、特別に飲んであげてもいいくらいです。



ぽにょ

389589099


いや、これほんと一体どういうことなんだ……。

放置wwwwww

またしてもブログを放置してしまった……。

『黄色い遺伝子』vol.3の原稿募集の途中でぱったりと更新が途絶えていますが、死んだり頓挫したりとかではありません。

文学フリマも大成功に終わりました

ここのブログを触ってなかったのは、単に怠惰とか怠けとか、そういう類いのあれです。

言い訳をするなら、出張ばかりでほとんど帰宅しない生活をここ数ヶ月続けているから。あと、livedoorのブログ編集機能があまり使いやすくないから(それでも、Exciteよりはましかなあ)。



そんなこんなで、半端なく放置していてカビが生えたブログですが、MacBook Airを買って出先でも気軽に文章が書けるようになったことですし、ちょっとずつ運用を再開していきたいと思います。

いまだに根に持っている東京都の条例の話とか、最近また賑やかになってきた著作権の話とか、あと今期のCOMME des GARÇONSがおっぱい丸出しで腰を抜かした件とか、来期のHOMME PLUSが鼻血が出るほどイカしてる件とか、MacBook Airが快適すぎとか、いろいろ書きたいことや書いてみたいことがあるので、意識して日課にしてみます。



昨夜のびっくり行動:SOYJOYを食べようとして、ヘッドホンを食べた。

文学DJ、作例2

文学DJ企画、二つ目の作品が到着したので、これまた例としてお見せすることにします。





「あばばばばばば、ばあ!」
その言葉は彼の知らない世界へ、――神々に近い「我」の世界へ彼自身を解放した。彼は何か痛みを感じた。が、同時に又歓びも感じた。我知らずにやにや笑ひ出した。(陰鬱なる興奮)何処か阿蘭陀の風俗画じみた、もの静かな幸福に溢れてゐる。

 さようでございます。さようでございますか? 左様。あの「あばばばばばば、ばあ!」を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝いつもの通り、裏山の杉を伐りに参りました。すると山陰の藪の中に、あの「あばばばばばば、ばあ!」があったのでございます。
 丈でございますか? 丈は四寸もございましたか? 左様。「あばばばばばば、ばあ!」は仰向けに倒れて居りました。何しろ一刀とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、「あばばばばばば、ばあ!」のまわりの竹の落葉は、蘇芳に滲みたようでございます。あの「あばばばばばば、ばあ!」には、色こそ黒いが、確かに昨日遇って居ります。昨日の、――さあ、午頃でございましょう。あの馬は男に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は、顔はわたしにはわかりません。馬は月毛の、色こそ黒いが、いえ、何もございません。――そうそう、縄のほかにも櫛が一つございました。色こそ黒いが、「あばばばばばば、ばあ!」のまわりにあったものは、「あばばばばばば、ばあ!」

 イズムを持つ必要があるかどうか。イズムを持つと云ふ事がどう云ふ事か、イズムと云ふ意味や必要と云ふ意味が、考へ次第でどうにでも曲げられさうです。
お前さん、あたしはお前さん達を絞罪にすると云ひましたね。左様。「殺すぞ」「今にね、お前たちを皆絞罪にしてやるのだと思ふとをかしくなるのだよ」それもいろいろにこじつけられるでせう。

やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。あの「あばばばばばば、ばあ!」の男が持っていたのも――(昂然たる態度)
それならわたしは口を噤んだ方がいいでせう。

彼ははげしい懊悩を感じた。彼の耳へぶつぶつ云ふ音を伝へるだけである。それぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。………星は神秘な光明を放つて天上に輝いてゐる。



(sampling from:芥川龍之介「あばばばば」「或阿呆の一生」「イズムと云ふ語の意味次第」「バルタザアル」「藪の中」)





これこれ、こういうの待ってました。
(もちろん、ネタも歓迎です)

これを見るに、やはり文芸分野においてもコラージュ/サンプリングという手法はじゅうぶんに成立可能ですね!

どしどし新しい投稿をお待ちしております。

文学DJ、作例

告知の甲斐あってか、さっそく「文学DJ」の一作品目が寄稿されました。

作例として、ここで紹介しておきます。



『無題』
私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。
どうか Kappa と発音してください。

(sampling from 夏目漱石『こころ』/芥川龍之介『河童』)



短くシンプルでありながら、キレのあるネタです。

こんな風に、ネタに走ってもいいですし、もちろん真面目路線でもOKです。

そして、寄稿の際には、使用した元作品のリストを必ずつけるようにしてください

よろしくお願いします。

文学DJ(仮題)の詳細

詳細っつっても、以前の告知どおり「青空文庫をコピペしてみよう!」でほぼ全部語れてしまっているのですが。

それじゃああんまりにざっくりすぎて、何をどうすれば良いのかわからない人も多いかと思うので、軽く趣旨などを記しておきます。



まず、バックグラウンドの思想として「既存の文章を切り貼りするだけで、新たな作品を創造することは可能か?」という問いかけがあります。

音楽の世界では、録音技術が発明されレコードが流通しはじめるに伴って、DJと呼ばれる人たちが現れました。

そこでは、様々なやり方でレコードが利用され、やがて「既存の録音音楽を切り貼りすることで新たな音楽を創造する」という試みも積極的に行なわれていくことになります。

絵画や写真にもコラージュという手法は古くから存在します。

ところが、詩や物語といった文学の世界において、パロディという手法は存在するものの、そのまま既存作品を一言一句流用して切り貼りをするという手法は、ほとんどと言っていいほど見かけることがありません。



現代社会では多くのテキストが電子データ化され、文章の切り貼りはかつてないほどに簡単な作業になりました。

大学生のレポートは、ネット上の文献のコピペが蔓延しているともよく言われます。
(それを逆手に取ったこういう例もあるそうです)

ネット上でPVの多いサイトというのを見てみると、例えばこのブログはライブドアのサービスを使っているのですが、ライブドアブログのアクセス上位は常に2chのまとめブログです。

つまり、掲示板への書き込みをコピー&ペーストし、読みやすく編集を加えたものですね。

一種の「コピペ文化」とでも言えそうです。

こういったまとめブログ・コピペブログは「2chの書き込み」を「素材」としているわけですが、さて。

ではこれは「創作物」と言えるのか、それとも単に掲示板の内容を要約して紹介しているのに過ぎないのか。

多くの人は、後者の判断をすると思うのですが、よくよく考えてみると、これはけっこう微妙な問題を孕んでいる気がします。

いったい、創作・創造とそうでないものの間に、どこでどう線が引かれるのでしょう?

これはなかなか答えの出ない問題ですが、確実に言えるのは、文章の切り貼りという作業は昔と比べると飛躍的に簡易な行為になり、またそれに伴って、文章のコピペという手法が今後も幅広く用いられていくこととなるだろう、ということです。

そして、手法の浸透とともに、徐々に文化も変容していく可能性はじゅうぶんに考えられます。



コピペと言えば、昨年とても印象的な事件がありました。

『俺と彼女が勇者と魔王で生徒会長』というライトノベルの盗作&絶版騒動です。

これが『バカとテストと召喚獣』という作品の文章を剽窃しているということで、ネット上で大きな騒ぎになり、結局絶版・回収にいたったという顛末でした。

この件の何がすごいって、ストーリーとか内容をパクってるんじゃなくて、文章をほとんどそのまま真似してるんですよね。

しかも、それで賞を取っちゃってるのが尚すごい。

これって、自分で文章を書く才能はなかったけど、既存の文章をアレンジしながら組み合わせることで新しい物語を創る才能はあった、ということだと思うんですよね。

もちろん、それは今の出版界ではやってはいけない行為なんだろうけど、これはこれで特殊な才能だし、これで潰れてしまったのは惜しいと感じています。

この『俺と彼女が勇者と魔王で生徒会長』を創作物であると見なすのか、それともこんなものは創作物ではないと一蹴してしまうのか。

これもまた、一概には答えを出し切れない、微妙な部分があると言えそうです。

ちなみに、同じく昨年、文藝賞でも似たような事件がありました。

これなんて、錚々たる選考委員の面子が揃いもそろって内容を絶賛していただけに、たとえ盗作であったとしても読んでみたかったと思ってしまいます。

おそらく、元ネタを上手に料理して、元ネタ以上に楽しめる作品に仕上がっていたと思うんですよね(でなきゃ、文藝賞の選考に残って絶賛されるまでいかないでしょう)。

どちらのケースも、紙一重の差で、作者も作品も世間に受容された可能性があるのではないでしょうか。

たとえば、きちんと元になった素材を明記しておけば、どうだったでしょう?

やっぱり既存の作品を流用しているというだけで、一蹴されるのでしょうか。

でも本当に、流用は創作において絶対的な禁じ手でありタブーなのでしょうか。



人間は何かを模倣することでしか創造することができない、なんて言説も、手垢がつくくらいにあちらこちらで繰り返されています。

2010年は出版界での盗作騒動が目立ちましたが、書籍の電子化が進み、そして本を書くことが今以上にカジュアルになるであろう将来、こういった「盗用」とどう向き合うか、というのは文学界が直面する大きな問題となるでしょう。

そういった文脈において、音楽の世界で行なわれたような「DJ」的手法が、新たな文学の手法として成立する可能性もあると言えます。

あるいはそういった背景とは関係なく、単純に「文章のコラージュでどんな世界を表現できるか」という可能性の追求もあります。

そうした中で、闇の中を手探りするような覚束なさではありますが、今回「文学DJ」という企画を立ち上げました。

まず、著作権の問題をクリアーするために、ソースの文章は原則として「青空文庫」に限定します。
参考:青空文庫収録ファイルの取り扱い規準

英語が得意な人は、プロジェクト・グーテンベルクでもOKです。

いずれも、著作権的に二次利用が問題ないテキストであることを確認し、自在にコピペをすることで、新しい文章の世界を創ることに挑戦してみて下さい。

キーボードのタイプすら不要、マウスのクリックだけで作品が書けるという、なかなか新しい試みです。

たぶん、多くの方が「やり方はわかったけど……でも、何をどうやって、どういう作品にすればいいのかわからない」という状態なのではないかと想像しています。

それで、良いです。

なにぶん、新しい試み、実験的企画です。

先例があるわけでもなく、模範作品があるわけでもなく、まだ正解も不正解も、何が良い作品で何がダメな作品なのかも、まったく何も誰もわからない、未知の世界なのです。

だから、戸惑いはあって当然。

わからないながら、手探りで文章を組み合わせていくうちに、だんだん自分にとって心地よい言葉のリズムや、文の繋がりが見えてくるかもしれません。そうなればしめたもの。

あるいは、結局試行錯誤しながらもわけがわからずじまいで、出来上がったものも意味不明で原型を留めない文字列になっている、ということもあるかもしれません。それはそれで、やっぱりしめたものです。

気軽に参加するも良し、気合いを入れて挑戦するも良し。

一人でも多くの人に楽しんで頂き、そして一つでも多くの作品が届けば、企画を立ち上げた身として大変嬉しく思います。

見出しでミスリードを誘う新聞

なんというか、あまりにも「それはどうなんだ」と思ってしまったので。

東日本大震災:皮膚や目の疾患、増加 東北大の医師ら巡回治療--宮城・南三陸、女川
 ◇避難長期化、ストレス・感染症に懸念
 東北大学病院(仙台市)の眼科、耳鼻咽喉(いんこう)科、皮膚科の3科の医師らによるチームが、津波で大きな被害を受けた宮城県の南三陸、女川両町で無料の巡回診療を続けている。両町内の中核病院に医師を派遣していた経緯もあり「感覚器の病気を診る3科でまとまって被災者を助けたい」と巡回に乗り出した。医師らは口々に「被災者が困っている今こそ、医師の我々にできることをしたい」と話す。巡回チームの1日に同行した。【村松洋】

 「霧がかかったみたいに見えなくなって……」。南三陸町の避難所になっている町総合体育館横にあるプレハブの仮設診療所。東北大医学系研究科の中沢徹・准教授(40)らが診察する眼科の診察室に、左目の視界の下半分がかすむという男性(66)が訪れた。今年2月末、右足の静脈に血栓ができ、同県石巻市内の病院に入院し手術を受けた。目の曇りもそのころ気づいた。退院したら眼科で診てもらう予定だったが、入院中に震災に遭い、診療を受けられなかった。

 診断は「網膜中心動脈分枝閉塞(ぶんしへいそく)症」。目にできた血栓が原因という。血栓を溶かす薬の投与など早期の治療で進行を防げた可能性もあったが、1カ月以上が経過し回復は難しい。診察時には血栓がなくなっていたため経過観察になった。男性は「早く治してもらおうと思ったが、震災で病院にもいけなかった。原因が分かって少しだけ安心した。これ以上悪くならないようにしたい」と話した。

 この仮設診療所は震災後、イスラエルから医療支援に駆け付けた医療チームが建て、残していったものだ。鉄筋コンクリート5階建ての同町の中核病院で、大津波で4階まで浸水した公立志津川病院が仮設診療所としてこのプレハブで診療を再開している。

 東北大病院の巡回診療チームは3科の医師やスタッフ、医学部の学生ら15人前後。余震の影響で診療できなかった8日を除いて4月1日から毎週金曜日、南三陸町と女川町で医療にあたっている。限られた時間で一人でも多くの患者を診察できるよう、両町内で計5台のマイクロバスで送迎し、避難所の住民に集まってもらう。

 ◇大分から経費支援
 中沢准教授らの発案に、知人を通して活動を知った大分県由布市の有志が支援に動いた。バスのガソリン代など必要経費約100万円のうち半分を目標に募金している。

 女川町の総合運動公園にある体育館内の救護所。耳鼻咽喉科の加藤健吾医師(40)と浅田行紀医師(41)の元には、約20人の診察希望者が列を作った。町内に住む岸直勝さん(77)は、津波の後から「ゴー」という海鳴りのような音が消えない。鼓膜に異常はないが原因は不明。経過観察となった。

 ◇震災後、初の診察
 巡回チームによると、診察を受けるのは震災後初めてという人がほとんど。加藤医師は震災のために治療を受けられなかった患者の多さにやりきれない思いだが、一方で患者の変化に明るい兆しもみている。「アレルギー性鼻炎など、以前からかかっていた比較的軽微な疾患の患者も増えている。被災地でも震災前の日常が少しずつ戻り始めている兆候なのかな、とも感じるんです」

 塚田全(あきら)医師(34)は、県外から支援に来た日本皮膚科学会の医師らとともに皮膚科の診察にあたっていた。女川町立女川第一小学校で避難生活を送る阿部忠好さん(53)は頭皮の湿疹で受診した。親戚の家で週1回しか入浴できないうえ、避難生活のストレスも重なる。頭皮を殺菌する塗り薬などを処方してもらった。

 皮膚科では、頭皮がかゆくなる「脂漏性皮膚炎」や、ストレスでアトピー性皮膚炎が悪化したと訴える患者が目立つという。また、夏場になるとダニを介した感染症も懸念されるといい、布団や服を清潔な状態に保つよう、被災者やボランティアに呼びかけている。

 石巻市の親族宅に避難する及川美穂さん(31)と息子麗央(れお)君(9)は、自宅も、通院先の石巻市内の眼科も津波に流された。麗央君は震災前、近視の手前の症状とされる「仮性近視」と診断され、点眼薬で治療をしていたが、津波で夜用の点眼薬を失った。診察を受けた後、美穂さんは「薬がなくて症状が悪化しないかずっと心配だった。本当にほっとしました」と喜んだ。

 中沢准教授によると、被災者の中には津波からの避難時にコンタクトレンズやケア用品を持ち出せず、交換の期限を過ぎてもつけっぱなしにしている人も多いという。中沢准教授は「つけっぱなしだと角膜の感染症のリスクも高まる」と注意を呼びかけている。

 巡回診療は5月末まで続く。




ちょっとこの記事はどうなんだろう。

「東日本大震災:皮膚や目の疾患、増加」

さんざんマスコミで原発の問題が報道される中、この見出しだけ取り出すとあたかも放射線の影響が一般市民に出ているかのように見えてしまいます。

強い放射線を浴びると、皮膚の炎症や眼の白内障が起こりますからね。

今回の震災後の原発事故で、高濃度の放射性物質を含む水と接触し、作業員が足に放射線やけどを負った(?)という事故報道が印象に残っている方も多いのではないでしょうか。

(※この件なんですが、作業員2名が足に被曝をしたことはどうやら確かなのですが、読売の記事では「『ベータ線熱傷』を起こす可能性があるため、病院に運ばれた」「ベータ線熱傷は軽い痛みや水ほうを伴うが、病院に運ばれた2人に外傷は認められていない」と、症状が出ていないように書かれていますが、産経の記事では「2人は放射線によるやけどである『ベータ線熱傷』の可能性も否定できないという」「東電は2人が放射線による皮膚損傷を負ったことを受け」と、あたかも実際の症状があったかのように書いていて、実際皮膚症状があったのかどうかはよく分かりません)

そんなわけですので、放射線に怯える市民にとって「皮膚や目の疾患、増加」と言われると「ゲゲッ! やばいじゃん!」と思わず反応してしまうことは想像に難くありません。



ところが、実際に記事の内容を読んでみると、その病態は放射線とは何の縁のゆかりもなく、どれも日常的な症候です。

見出しにも本文にも「放射線」なんて書いてないですし、勘違いする方が悪いと言われるかもしれませんが、それでもやっぱり勘違いされるようなことを書く方が悪いと僕は主張します。

だいたい、この記事を読む限り、皮膚や眼の疾患が「増加」しているのかどうかも怪しいです。

何に比べて、どれくらい増加しているのか?

そこを示さずに「増加」と言われても見出しによる印象操作という感を拭えません。

震災前と比較して増加しているのか? 震災を受けていない地域と比較して増加しているのか?

それどころか、記事を何度読み返しても、そもそも皮膚や眼の疾患が増加しているという話がどこにも出てきません。

あるのは皮膚や眼の疾患を持った具体的個人のエピソードだけです。

強いて「増加」に言及している箇所を挙げるとすれば、

>巡回チームによると、診察を受けるのは震災後初めてという人がほとんど。加藤医師は震災のために治療を受けられなかった患者の多さにやりきれない思いだが、一方で患者の変化に明るい兆しもみている。「アレルギー性鼻炎など、以前からかかっていた比較的軽微な疾患の患者も増えている。被災地でも震災前の日常が少しずつ戻り始めている兆候なのかな、とも感じるんです」

ここですかね。

例に挙がっているのが「アレルギー性鼻炎」で、これは皮膚でも眼でもなく鼻の疾患ですが、患者さんが増えているそうです。

で、これは悪いことではなくて、むしろ良いこととして語られています。

震災直後は軽い疾患で医療機関を受診するなんていう余裕はとてもなかったのが、徐々に被災地も日常を取り戻し始め、ようやく軽微な疾患の受信者数も増えてきた、というニュアンスです。

だったら、見出しにもそういう明るいニュアンスを込めてください。

疾患、増加。とか言われたら、悪いことが起きてるようにしか見えないじゃないですか。

しかもこれ、この加藤先生が述べている「アレルギー性鼻炎など、以前からかかっていた比較的軽微な疾患の患者も増えている」っていうの、別に疾患が増加しているわけじゃないです。

受診者が増加しているだけです。

「疾患の数も受診者の数も、そんなの一緒だろ?」——いいえ、違います。

この場合、アレルギー性鼻炎の罹患者自体は増えていません。

一時的に震災の影響で医療機関へ受診できなくなっていた(受診者数が減少した)のが、少し状況がましになってきたおかげで、受信者数が回復しただけです。

疾患の数自体は変化していません。

受診者数の増加も、増加というより減少した分が回復した、と言う方がより正しく事態が伝わるような状況です。

ほんと、なんでこんな見出しなんでしょうか。ぷんぷくり〜ん(怒)



もういちど、記事本文を読み直し、改めて「皮膚や眼」の疾患増加に関連しそうな事柄を挙げていきます。

>皮膚科では、頭皮がかゆくなる「脂漏性皮膚炎」や、ストレスでアトピー性皮膚炎が悪化したと訴える患者が目立つという。また、夏場になるとダニを介した感染症も懸念されるといい、布団や服を清潔な状態に保つよう、被災者やボランティアに呼びかけている。

「脂漏性皮膚炎」やアトピー性皮膚炎の増悪についてですが、「目立つという」とは書かれているものの、やはり「増加している」とは明記されていません。

ただ、脂漏性皮膚炎もアトピー性皮膚炎もストレスで増悪しやすいことが知られており、被災によって罹患者数が増加する可能性はおおいにあります(ただ、ストレスの影響はこれら皮膚疾患に限った話ではありません)。

感染症の懸念についても言及されていますが、これはあくまで「気をつけないと今後問題になるかもよ」という注意喚起であり、言えるとしても「増加するかも」までです。

>中沢准教授によると、被災者の中には津波からの避難時にコンタクトレンズやケア用品を持ち出せず、交換の期限を過ぎてもつけっぱなしにしている人も多いという。中沢准教授は「つけっぱなしだと角膜の感染症のリスクも高まる」と注意を呼びかけている。

これも「気をつけないと今後〜」の話であり、今現在、角膜感染症が増えているわけではないようです(「交換の期限を過ぎてもつけっぱなしにしている人」は増えているように読めますが)。



まとめると、こんな感じです。

・耳鼻科、眼科、皮膚科の医師が無料の巡回診療を始めました。
・(患者さんたちの生の声)

・医師のコメント
「軽い疾患の受診者が増えてきており、日常を取り戻しつつある兆候かもしれない」
「今後は、ストレスや感染症による皮膚疾患の増加、コンタクトのレンズケアが行なえないことによる眼疾患の増加に注意をしてください」

……やはりこの記事に「東日本大震災:皮膚や目の疾患、増加 東北大の医師ら巡回治療--宮城・南三陸、女川」はないですね。

「東北大の医師ら『日常が少しずつ戻り始めている兆候』も、感染症などで注意喚起」あたりが、無難な見出しという気がします。

たぶん、これだと無難すぎて人目を引かないからダメなんだろうけどね。
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