東日本大震災以来、学会や各種イベントも中止となった上、日常的な読書さえもなかなかする気分にならず、パソコンに向かうのも、震災後の状況確認、計画停電や原発事故関連の情報収集ばかりでした。
(各学会からは、様々な支援の情報をいただきました。)

3週間を過ぎ、ようやく首都圏の交通機関もほぼ平常に戻り、患者様の足取りも元に戻りつつあります。
あらためて、今回の大震災によって、問われているものは何か?
大震災が教えてくれたものは何か?を考える余裕ができました。

アエラ増刊号しばらくの間、文字をゆっくり見る気になりませんでしたが、久しぶりに書店に行って思わず手にした本は、
AERAの増刊号:東日本大震災100人の証言「私たちはどう生きていけばいいのか」
有識者27人の提言と、
被災者100人の生の声が掲載されていました。

その中には、私のMindと共鳴するいくつかのキーワードがありました。
(以下、掲載されている27人の提言に基づいた文章です)

1.日本人の素晴らしさ

被災地の方々の穏やかな表情を見ると感じますが、不安定な自然と付き合ってきた日本人は「天然の無常」という感覚を持ちあわせている
ようです。そしてそこから、 日本人独特の忍耐心が生まれるようです。

希望学の研究をしている教授は、日本語の「まんざらではない」という言葉を当てはめていました。今の状況は、希望に溢れているわけではないけれど、生きていること自体は、まんざらではない。
そう思えることが「希望がある」ということなのです。

被害を受けても、他者を思い整然と行動する日本の人々に世界が驚きました。この気質はサービスの質につながり、世界から人を呼び込む力になるというのです。
医療でも、この気質の大切さを日々感じています。
そして、戦後米国から輸入した合理主義、個人主義など近代主義の枠組みではなく、今こそあらためて“大和心”を大切にしたいものです。

2.エネルギーを使う覚悟

地震により、ダラダラと続いていた安穏とした日常が断ち切られました。不況になっても、若者が平穏無事でいられたのは、日本に「強固な日常性」があったからだと言います。例えば、24時間営業のコンビニがあり、こんな便利なものがそばにあるのだから、不満を言わなくてもよいという感覚です。
また、都会に住む人は、あたかも無限にエネルギーが湧いてくるかように生活していました。震災後、電気は原発のある地域の大きな犠牲の元に来ていることがわかりました。そして、電力を極限まで使うことなく、アソビやユトリの必要性も理解できました。
今まで、便利さに鈍感になっていたのです。
エネルギーを使うという覚悟が、ひとり一人に必要です。
もちろん、エネルギー政策の見直しも必要です。
電力供給は、垂直統合型から分散双方型へ変換しなくてはならないでしょう。

3.情報の選択

地震後、マスメディアが情報提供する対象は次の3つでした。
1、被災者
2、原発などに不安を感じる首都圏の人たち
3、被害がなかった西日本の人たち
三者に同じ傍観者的なニュース報道することによって、あるマスコミは“怒り”をかいました。(確かに分けるのは難しいですが・・・)
また、ネットを使える層と、使えない層で、かなりの情報格差がありました。今後、ネットとマスメディアとの相互補完はできるでしょうか?
震災時にも大いに役立ったTwitterなどソーシャル・メディアの必要性は、今後教育の中でも、しっかりと教えていくべきなのでしょう。
また“情報”は生きるために必要か?本物か偽物か?が問われることになります。

4.震災が教えてくれた人間の本質

「被災地を歩くこと」によって気づいたこと・・・
人が全てをコントロールし、計画通りに生きようとするのは傲慢である。生かされていることにもっと謙虚にならなければ。

携帯電話の電波が少しでも入らないと怒り、通勤電車が数分遅れるとイライラすることが、実はおかしかったのではないでしょうか。

またこのような危機の時は、人の本質もよく見えました。
(これは私たちの法人内でも同様で、ここで働く者の心の中がよく見えました。)

東京でも・・・
一人暮らしのお年寄りに食べ物を届ける人がいます、何十キロの道のりを見ず知らずの人と励まし合いながら歩いた人がいます、初めて顔を合わせた隣人と手を取り合って余震を耐えた人がいます、手に入らなかった水を誰かに譲ってもらった人がいます。
震災が教えてくれたこと ⇒ 利他の心、人のやさしさ

これからは、自立型社会・・・その意味は一人ひとりが考えて行動すること
しかし、自立型社会だからこそ“利他”を発揮できる。
「自立型互助社会」へ

5.がんばろう日本

危機管理、災害に耐えうる技術、新エネルギーの方向性など、震災の教訓を生かした新しい方向性を世界に先駆けて打ち出すことが、東日本の復興と日本創生へとつながります。

しかし、今すぐに被災地のために、何かをしなくてはならないという強迫観念を持つことで、疲れ切っている人も多いそうです。
何もしないで、それぞれの持ち場を守りながら生活を続ける事も大事です。余力を持って、自分の力が必要な時に立ち上がるという考え方も大切だと思いました。

がんばろう日本最後に一言(こちらはAERA増刊号ではなく日経新聞の論説より)

3.11を機に、私たちの中にある共生のDNAがよみがえっている。
東京の街の灯は暗いが、人々の心の中には、新しい灯がともっている。


そして私自身に向けて、
がんばろう日本!!

blogram投票ボタン