2018年11月12日

菜園では「文化人」として心の満足を得ている

DSCN0003DSCN0005DSCN0006DSCN0012DSCN0013DSCN0014農(culture)と農業(agriculture)とは違う。農すなわち「耕作」や「栽培」は文化(culture)であり農業は文明(civilization、都市化という意味)である。都市文明があって農村文明がないように、文明は都市社会の形成と関連がある。都市を離れ文明の恩恵に与らず自然の中で暮らす人もいる。文明は自然と対比されることがある。塩野七生氏の本「男たちへ」の中に、「食は文化であり食べ方は文明である」と記されていた。それを使ってお金を稼げるのが文明で、お金を使って生み出した結果が文化である。たとえば筆を使って絵を描いたとしたら、筆はそれを使って生み出した絵を他人に見せることでお金や名声を得られる。絵はそれ自体が一般的等価物として社会で商取引に使われるものではないが、芸術的な価値があると認められれば芸術品に対する対価としてお金をもらえる。だから筆は文明で絵画は文化である。わが菜園での農(culture)は文化(culture)たらんとして文明をできるだけ排除してきた。文化人類学者の梅棹忠夫氏は、文明と文化の違いについて「文明は腹の足しになり文化は心の足しになるもの」 と言う。文明は食べても食べても食べ飽きず、一方文化は足るを知る。「文明は文化を破壊する。その逆(文化が文明を破壊する)はない」とも述べている。文化は進歩しないが変化はする。古来からの文化は現代に受け継がれるが進歩するわけではない。文明は時とともに進歩し、スペースシャトル、携帯電話、現代コンピュータに至り日々進歩している。「文明は心の煩悩の満足であり文化は心の愛の満足である」とも言えるだろう。菜園では文化人として心の満足を得ている。(写真;瀬戸内海、瀬戸大橋、下津井の風景・・、勝山や蒜山の山景色は見慣れてきた、地元倉敷の海の景色が眺めたくなった、児島の「風の道」を1年ぶりに歩いてみた)  

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2018年11月10日

結婚45年、結局は妻の手のひらの上で転がされてきた

IMGP0240IMGP0226IMGP0227IMGP0273IMGP0258長年連れ添っている夫婦の話である。いくら旦那(夫)が偉そうにしていても、結局は妻の手のひらの上で踊らされて(転がされて)いるだけ。いつの時代も世の夫たちは妻から「バカダンナ」だなんて言われてしまう。でも夫なんてバカぐらいがちょうどいいのだと思う。夫婦間なんて女性上位のほうがうまくいくものである。夫がバカで、妻がお釈迦様で手のひらでうまーく転がす。そんな夫もよくわかっているのである。妻に怒られているうちが華だってことを。だから夫婦間のコミュニケーションだってうまくいっているのだろう。踊っている夫は調子にのって、手のひらで踊らされていることに気がつかない。「手のひらの上で転がされている」夫を完全に支配している誰かがいる。それは地頭(じあたま)がよくて知識がなくても自分の頭で回答にいたる筋道を考えていける妻(恐妻?良妻?)である。そもそも世の夫は賢く頭の回転が早い妻を苦手とする。そんな妻の必殺技は「見て見ぬ振り」である。直感的にその場の雰囲気や相手の心を理解し解釈して即座に行動に移せる。そんな地頭の良さが恐妻や良妻には必要である。「世の男性は賢く頭の回転が早い妻を苦手とする」のではなく、「賢く頭の回転が早い妻に見透かされるのが嫌」なのである。妻には柔らかな鈍感力を発揮してもらって、「敢えて言わない」「敢えて触れない」「放っておいてくれる」などと・・、夫は自分勝手に思い込むのである。数えてみれば結婚して45年が経った?(結婚した齢も定かではなくななってしまった)。さほど広くもない妻の手のひらの上で所狭しと転がったり踊ったりし続けてきた。よくぞ手のひらから転げ落ちなかった・・・これが不思議である。(写真;閑谷学校の紅葉は絶景、中国の思想家孔子をまつる聖びょうの前には樹齢103年の2本の楷の木が植えられ、秋が深まると東側は黄色で西側が赤く色づき今が見頃であった)  
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2018年11月08日

「広く浅く」「こだわらず」「柔軟に」、残された人生は自由自在に暮らしたい

CIMG3618CIMG3615CIMG3611CIMG3610CIMG3608アルコールを飲むのを止められない人を「アルコール依存症」と言う。外来診療でこのような人をよく診る。ある患者が急性「アルコール中毒症」になり病院に救急搬送されしばらくの入院治療を受けた。主治医にも家族にも「見放された」思いがしたそうで、それ以来飲酒を絶った。断酒会にも入って数か月酒なしで暮らしている。でもよく聞いてみるとタバコの喫煙量がこれまでの倍に増えたと聞く。食事量も増え(ご飯を何杯もお代わりして・・)体重が重くなって困っている。結局この人は「依存心」が生来強いのである。モノだけでなく人に対しても依存性が強くて自立性が少ないのである。他人に依存できなくなるからお酒に依存する(溺れるともいう)。依存の反対語は自立ではなく自由だと思う。酒もたばこも飲まない飲めない人は飲める人がうらやましく思うことがある。モノや人に頼ったり依存することはその分「自由」を失うのだと思う。視野が狭くなって他が見えず行動の自由が損なわれていく。「広く浅く」「こだわらず」「柔軟に」、残された人生はこのように自由自在に生きていきたいものである。(写真;日生、岡山県の東の外れある漁港、日生諸島にはミカン畑が広がり、日生湾ではカキの養殖が盛ん、朝獲りの魚介類は「五味の市」で並べられている、昔のレンガ工場はセラミックスつくりに代わった、このような小さな町には関西からの観光バスが多く乗り入れている)  
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2018年11月05日

久しぶりに電車に乗って旅に出かけた

CIMG3596CIMG3587CIMG3589CIMG3595CIMG3592CIMG3599久しぶりに電車に乗って旅に出かけた。畑仕事もようやく一段落して余裕が出てきたし、病院の入院患者さんの容態も落ち着き携帯電話で緊急の連絡もなさそうであった。無性に現実から逃避したくなり、JRの一日乗車券を購入して最寄り駅から6時14分の瀬戸大橋線の始発に乗った。岡山駅で山陽本線に乗り換え7時6分に吉永駅で下車した。早朝から眩しいくらいの太陽が顔を出してきた。駅からはウォーキングの始まり。まずは紅葉が見頃の閑谷学校を目指して歩き始めた。大勢の人でにぎわう前の紅葉は独り占めである。見事であった。そこから山道をくだって備前の町並みを抜けて日生町まで歩いた。お目当ての「五味の市」で活きた芝エビを購入してカキオコ(お好み焼き)で昼食にした。日生はカキの養殖場で有名。飯を食ってから日生湾に浮かぶ鹿居島につながる日生大橋を渡った。さらに橋を超えて頭島へ。この島にはみかん山があちこちにある。みかん狩りを楽しんだが、みかんはもぎたてが旨い。少し酸っぱいが味は濃くて生きている。天然パワーを飲み込んだような気分になれた。夕暮れ前に電車はで最寄りの駅についた。何とも言えない爽快感と楽しさに浸った一日であった。仕事では生きがいとか使命感を、菜園では運動と自然のバランスと好奇心を発揮している。でもどちらも結構「肩ひじ」を張っているのだろう・・・。(写真;旧閑谷学校の紅葉、1670年に岡山藩主池田光政が庶民教育のために創らせた学校で特別史跡に指定、閑静な山あいにあり紅葉が美しい、特に中国山東省の孔子廟から種を持ち帰り移植されたカイノキは赤と黄色の見事な紅葉を見せる)  
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2018年11月03日

「食」と「自然」の関係を考えて秋ナスを焼いて食べてみた

CIMG3579CIMG3571CIMG3570CIMG3572「初物を食べると75日長生きする」と言われている。これは初物、すなわち旬に獲れたものは強い生命力を持っているからである。例えば旬の魚。大自然のエネルギーを体内に吸収している初秋のサンマは、冷凍されたマグロの大トロよりも明らかに体にいい。そのうえ安くて大量にある。質素であるがこれ以上豊かな食材もないだろう。「嫁に食べさせるな」といわれる滋味溢れる秋ナスよりも、促成栽培でつくられた冬のトマトを有り難がったりする。「食」と「自然」の関係を考えて秋ナスを焼いて食べてみた。夏ナスと違い削り節などふりかけなくても十分に甘くて旨かった。そして胃袋に収まると滋養がついた気がした。ナスの開花時期は6〜10月頃。花が咲いてから2〜4週間後が収穫の目安になるので6〜11月頃が収穫期になる。秋野菜といわれるように昔のナスの旬の時期は秋頃であった。でも栽培環境の改善や品種改良が進んで最近では夏頃から収穫できる種類や品種も増えてきた。野菜の実は子孫を残す種を育てるものである。美味しく育った実を動物に食べてもらって種を運んでもらうのが目的である。それは果物でも同じことが言えるであろう。だから食べごろは種が育った頃であり栄養に富み旨いのである。秋ナスは水分が少なくなり実自体も小ぶりで固くなる(実が引き締まるのである)。中身を見ると小さな種子ができてきている。夏ナスは節成りで多産、早熟で水っぽく柔らかく決して旨いものとは言えない。種なしであるからだ。秋ナスは見てくれが悪いのでスーパーなどの店頭に出回ることはない。我が菜園の秋ナスは霜が降りるまで宝物のように大事に育てている。(写真;わが菜園はたくさんの秋野菜が旬を迎えている、その中で枯れかかった老木にしっかり秋ナスが存在感を示している、周りの畑のナスは夏の終わりに処分されてしまっている、なぜかわが身を見るようで嬉しい)  
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2018年10月31日

近頃は相手に感謝されるよりも他人に感謝することを意識するようになった

CIMG3554CIMG3555CIMG3556CIMG3521夜中の3時。勝山の病院から受け持ちの患者さんが息を引き取ったとの携帯電話が入った。98歳のお婆ちゃん、点滴だけの看取りの死亡であった。当直医に死亡確認をしてもらうが、死亡診断書を書くのと病院からのお見送りは主治医の仕事だと考えそれを実践してきた。真っ暗な山間部を走る高速道路の運転には集中力がひと時も欠かせない。病室ではすでに駆けつけていた家族が集まってきていた。家族には入院中の経過(とくに苦しみがなくて・・安らかに・・)お伝えして、そして死亡診断書を書いて渡す。葬儀屋の車が迎えに来るまでの時間は、家族や親族と故人を偲びこれまでの生き様を思い出すことにしている。遺族の顔からは笑顔も漏れ、天寿を全うした老衰死の納得も得られる。死を悼むよりもよくぞ長生きできたことを褒めてあげるのである。主治医医も立派な「おくりびと」になれる瞬間である。「終わりよければすべてよし」の諺のごとく、お葬式で「最期はいい病院でいい先生に見ていただいて本人も幸せだった・・・」。このように思っていただけること意識しての演出(?)である。私自身も近頃は相手に感謝されるよりも他人に感謝することを意識するようになった。女房や子供たちや孫たちに感謝したい気持ちが湧いてくるのである。「ありがとう。おかげでいい人生を送れたよ・・・」と死に際では言えなくなるかもしれないから・・・、元気なころから少しずつその気持ちを表現したい・・と思うのだろうか。「感謝」には反射する作用がある。鏡のように跳ね返って自分のところに戻ってくる。親切にされたから相手に「ありがとう」と言うと今度は自分が相手から「ありがとう」と言われる立場になる。そんな心境になれてきたのである。要するに感謝するから感謝されるのである。(写真;県北の勝山の紅葉も見頃をむかえてきた、美しい紅葉には太陽の光が必須である、1本の木でも日当たりの悪い半分は紅葉が遅れ色も鮮やかではない、塩害と同じような現象はどの木でも見られた)  
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2018年10月28日

天国に行けるように、社会や人に貢献する仕事が「天職」?

IMGP2426IMGP2437IMGP2453久しぶりにこんな夢を見た。『70歳の誕生日前には天国行きか地獄行きかの判決を受けなければならない。青森の下北半島にある霊場「恐山」に鈍行列車を乗り継いでたどり着いた。霊場には「天国」と「地獄」がある。「地獄」では硫黄ガスが発生し草木の生えない岩山で、死者が朝から晩まで無数にころがっている石を積み重ねている。いくらやっても途中で積み石はくずれてしまう。「天国」ではエメラルドグリーンに輝く湖の周りに花が咲きほころび温泉も湧いている楽園である。その霊場に入るには「三途の川」を渡らなければならない。その橋のたもとに「閻魔様」がいて行先の判決が下される。「あなたはこれまで一生懸命、まじめに頑張ってきました。でも私服や自分の生きがいがその目的であり、社会的貢献度が少なかったですね。この世での人や社会に尽くし方がまだまだ足らない。このままでは上には行けません」と、・・通知表も何も見なくても「お天道様」はすべてをお見通しである。「どうしても下に行きたくない。どうにかなりませんでしょうか」といつもの「困った時の神頼み」をしてみた。「それでは数年の執行猶予を与えるので、これから先は死ぬまで人に奉仕する仕事をやってみなさい」。でも、今さら何が出来るのだろうか?困ったなあ・・・ 』。そこでこの夢から目覚めた。変な夢をみたものだ。62歳で中途半端に現役を辞めてしまったことがずっと自身の心の負い目になっていた。この歳で人のためになる仕事ができるだろうか。でも、天国に行けるように社会や人のためになる仕事が「天職」というものなのだろうか?(写真;青森の下北半島にある霊場「恐山」、7年前に旅した時に見た地獄と天国、ピンピンコロリではまずピンピンの生き方も問われているのだろう・・)   
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2018年10月26日

腎臓を効率よく働かせて体の隅々まで体液を常にクーリンにしたい

図10図9図3図1図4図5「シッコとウンコ」。動物は食べたら出さなければ生命が保てなくなる。ウンコは腸から糞としてシッコは腎臓から尿として排せつされる。実は、尿には体液中の老廃物だけでなく体液の成分調整で過剰になった電解質なども含まれている(腎臓は体液の精巧な生化学機能も果たしている)。腎臓の機能を表すのに「腎血流量」と「糸球体ろ過量」がある。腎臓には1分間に約1000ccの血液が流れ(臓器の中では最も血流が多い)、そのうちの100ccが糸球体でろ過される。1時間で6リットル一日で144リットルの血液がろ過される(原尿)が、その99%は糸球体につながる尿細管で再吸収され血管に戻される。体重の60〜65%(60Kgの人なら36リットル)が体液である。体液は細胞外液と細胞内液、細胞外液は組織液(細胞間液、リンパ液に相当する)と血管内液(血液)に分類される。腎臓は血管内の血液を直接ろ過する。組織液は毛細血管から血管には入り込み血液となる。細胞内液は組織液とゆっくりと交流する。さて正常な腎臓でもすべての体液をろ過しているだろうか? 組織液がどれほど血管内に入り込んでいるか、これこそが体液浄化(血液浄化だけではない)であり本来の腎臓機能であろう。これは心臓のポンプ機能にも直接関係する。心拍出量を増えれば血液循環が勢いよくなり組織液が血管内に戻りやすくなる。そして筋肉運動は組織液の流れ(リンパ流)を活発にして隅々の組織液をも血液に戻す。60兆個の細胞の生きる培地でもある組織液の環境をよくすることが細胞を活き活きさせ若返らせる。体液が淀んで濁ると赤潮の海水やアオコの池水のように細胞が生きていけなくなる。腎臓のことをよく知ってもっと効率よく働かせて体の隅々まで体液を常にクーリンーにしたいものである。(写真;腎臓は両側に2個あり握りこぶし大、1個の腎臓には100万個の「ネフロン」という機構があり糸球体と尿細管からなる、加齢とともに「ネフロン」の数は激減していく、赤潮の海やアオコの池のようにならないように・・、体液はいつまでも美ら海のごとくありたい)  
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2018年10月23日

「一人遊び」は感覚中枢を満足させたが心を豊かにはしてくれなかった

image1DSC_0077束縛が嫌で自由を求めて62歳で現役を引退した。あれから10年、畑も旅も山登りもウォーキングも単独行動。「一人遊び」が上手になり、他の人と共にする行動が苦手になった。でも現役医者に復帰してからは、「生業」ではチーム医療で一人でだけで行動することはできない。先週の「勝山喧嘩まつり」、ずっと前から楽しみにしていたので祭りの金曜日もマンションで泊まる予定にしていた。子供のころから祭り見物は好んで出かけていた。「晴れ」の気分になれるのと夜店めぐりが楽しみであった。仕事が終わり勇んで「一人遊び」に出かけ、お目当ての夜店めぐりをはじめた。運悪く(?)、だんじりの喧嘩場で写真を撮っていると後ろから「先生!」と声をかけられた。親しくしている知り合いのご夫婦であった。断り切れずに近くにあるご夫婦の家にお邪魔することとなった。勝山の昔ながらの「祭りご馳走」をいただき、地元のお酒(御前酒)の熱燗をお銚子で頂戴した。積もる世間話に花が咲きとうとう2時間もお邪魔することになった。よそ様の家にお呼ばれされたのも、酒を交わしながら食事をしたこともこれまでに数えるほどしかなかった。鯖寿司も松茸のお吸い物も茶わん蒸しも美味しかったが、何よりも他人との一飯の交わりが嬉しかったし、心は幸福感に満ち足りていた。夜更けまで続くだんじりの喧嘩場まで、夜道を三人でそぞろ歩きした。バックパッカーでホーチミン市で民宿した時のことを思い出した。家主の作った料理で一緒に泊まった外国人達と食事を共に楽しんだ。オーストラリアから来たご婦人達は食事の後に「アイアムハピー」とか「ビューティフル」と、お礼で言っていた。食事は舌や脳の味覚中枢が感じるだけでなく、食事を通して心を豊かにすることなのだと・・・その時に思った。これまでの「一人遊び」は感覚中枢を満足させたが心を豊かにはしてくれなかった。(写真;娘と息子の孫が5歳になる、誕生日祝いに神戸に住む娘が孫を連れて東京に住む息子の家に泊まりに出かけ、東京ディズニーランドに初めて遊びに行った、二人とも大はしゃぎで心が豊かになったのだろう)  
Posted by hhirano20 at 21:36

2018年10月20日

[勝山喧嘩だんじり」。「ドン」と「オイサ、オイサ」がいつまでも耳に残る

CIMG3509CIMG3507CIMG3505CIMG3478CIMG3477CIMG3472「ドン」と心臓が突き上げられるような振動。鈍い重低音が夜道に響く。2トンを超すだんじりをぶつけ合う「勝山喧嘩だんじり」を見物した。気合の入った男衆が「オイサ、オイサ」の掛け声とともに激しい競い合いが展開された。笹や提灯で飾った長さ5メートル前後のだんじり9基が、勝山町並み保存地区の4カ所の「喧嘩場」を移動しながら対決。互いに狙いを定めては、だんじりの前部(木製の柱)で激突を繰り返す。勝山だんじりの歴史は古く天保10年にさかのぼる。「勝山喧嘩だんじり」は19日と20日に開催され勝山の町は祭り一色に染まる。知り合いの家に招かれ夕食をご馳走になった。こちらの秋祭りのご馳走は3種類のお寿司(鯖ずし、巻ずし、揚げずし)が定番。それに松茸のお吸い物、筑前煮、茶わん蒸し、・・・。遠くから聞こえてくる太鼓や鐘の音を聞きながら何十年ぶりに祭りの夜を楽しんだ。すっかり勝山の住民になったような気分になった。(写真;「勝山喧嘩だんじり」、外傷やアルコール中毒でわが病院の夜間診療は忙しく以前には死者も出たと聞く、警察は黙認なので救急車は呼べない、「ドン」いう恐ろしい音に交じってだんじりの後ろで踊る若い女性たちの「オイサーオイサー」の掛け声がいつまでも耳に残っている)   
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2018年10月16日

《老医が高齢者の医療・介護施設で働いて思うこと》のタイトルで講演した

CIMG3459CIMG3452CIMG3455CIMG3453CIMG3457先日、病院の「健康教室」で《老医が高齢者の医療・介護施設で働いて思うこと》のタイトルで講演した。「ピンピン・コ〜ロリ」が理想的だと面白おかしく話した。77歳の女性がさっそく公演の感想を地元新聞(山陽新聞)の読者欄に投稿された。『地元の病院であった健康教室に行った。「最期は家?病院?施設?」という内容で、講師の内科の先生は72歳。お話は面白くて、あっと言う間の1時間であった。先生は、できれば家でずっと生活したいと思っても、いくら自力で頑張っても家での生活は90代が限界と言われた。私も母を96歳まで家で世話をした経験がある。母の面倒を見ながら「老い」について勉強させてもらったが、なかなか難しいテーマだ。家族のために、終活を考えておくことは大事だ。私もエンディングノートにはいろいろと書き込んでいる。また、主治医の先生にも延命治療はよろしいからと伝えている。・・・・・中略。老後とは「あの世に行くまでの年月はほんのわずかではないか!」。老いていくことは大変だが、できるだけ楽しく老いることを心掛けていきたい』。逆に、この文章から教えられ人生の先輩の姿勢を見習いたいと思った。老医といってもまだまだ未熟者だと恥ずかしい思いがした。(写真;吉備路国分寺の五重の塔、秋晴れに輝く塔は自然美の借景によく似合う)   
Posted by hhirano20 at 20:49

2018年10月14日

私自身が望む「自立死」には3つの継続条件がある

P1000019P1000030P1000015P1000257私自身が望む「自立死」には3つの継続条件がある。一つ目は「暮らしの」継続性でセカンドライフの今の生き方を最後まで続けたい。二つ目は「自己決定」の継続性で、最後まで自身の思いを貫きいつまでも自分らしく自由に生きたいのである。三つ目は「身体機能」の継続性で、残された身体機能は0になるまで使って自立したい。嘱託医をしている特養(特別養護老人ホーム)にはこのような高齢者(96歳の女性)が入所している。いつも薄っすら化粧をして、着るものも毎日違っておしゃれである。ベッドだけでなく家具や壁掛けなど個室を小綺麗に飾り、施設内住宅の感覚で暮らしている。毎日、長年綴っていた日記を一日も欠かさず継続している。漢字とひらがなの字は達筆で、内容もメモ書きではなくその都度の思いも書き表している。それに毎日のように子供や孫にあてて手紙を書いている。頭脳明晰で決して「ボケ」てはいない(カレンダーも時計もいつでも見られるように卓上に置いてある)。車椅子は使わず部屋の中だけではあるが無理をしないように杖歩きをしている。その彼女の施設内での生き様を観察して人生の「こだわり」を考えた。「こだわる」とは妥協せずにとことん追求するという意味である。こだわりこそ自我であり「わがまま」である。外車に乗るのも、プレートナンバーの数を揃えるのも、オシャレも、・・・・人の行いのすべてが「こだわり」なのである。自分自身の場合も、仕事でも野菜つくりでも山登りでも、これまでの人生では我流(自分スタイル)で他人の評価など気にしないで歩んできた。「こだわり」を失うことは自我をなくしてしまうことで、おそらく「認知症」の発症と関連があるのだろう。でも・・施設に入ってからも自分らしく暮らせるのだろうか。(写真;久しぶりに清々しい秋の朝を迎えた、朝散では朝陽の天体ショーが楽しめる季節になってきた)   
Posted by hhirano20 at 21:47

2018年10月11日

「マイホーム」が「ホームレス」化してきた

CIMG3393CIMG3391CIMG3451CIMG3448CIMG3444サービス業の出現とともに「マイホーム」の私的な生活領域を家の外部に出してきた。外食産業、クリーニング業、既製服産業、保育所や学習塾、ブライダル産業やシルバー産業がそうである。そして調理済みの商品から本来冷蔵庫やひき出しの中にあるはずの食材や文房具のようなものまで、コンビニに置いてあるとう理由でもう家のなかには置かなくなっている。車に乗れば数分で取りにいけからだ。病気の世話、出産、葬式まで「マイホーム」から外れた。誕生・病気・死は人間がもっとも自然に近くにあるもので、「自分は生き物である、いま生きているんだ」と実感する現場でもあるはずなのに・・。排泄物の処理もいまや水洗の普及で家庭内から去った。そんな中で自然との接点として家庭内に唯一残っていたのが調理である。人間が人間らしく生きるための最後の牙城といえる。命あるものを殺したり、切り刻んだり、煮たり、焼いたりして調理するのが食べ物である。魚、肉、野菜いずれも生命をもっている。人間がどんなに文明化されようとも食べるものの多くは生き物である事実は変わらない。つまり調理を行う台所はいかに自然と折り合いをつけていくかが問われる現場でもある。ふだんは忘れてしまいそうな自然だが、絶対に離れては生きていけないことを痛感するのが台所である。いまその台所を外に出しつつある。深夜・早朝にかかわらず「外の台所」まで走るのだ。どんどん家庭のなかに押し込むのが「マイホーム」ならば、逆にぜんぶ外に委託するのは「ホームレス」ということになるのだろうか。(写真;蒜山の「何もない」秋枯れの風景)  
Posted by hhirano20 at 09:12

2018年10月08日

『仕事と遊び』のバランスを楽しんでいる

CIMG3427CIMG3430CIMG3423CIMG3435CIMG3438『仕事と遊び』のバランス。勝山の病院に勤務しはじめて丸一年がくる。月曜日午前と水木金曜日の三日半日の非常勤医として「生業」している。地域包括病院の内科医として、主に高齢者の治療と看取りを病院だけでなく在宅や老人施設で行っている。老医にとっては高齢者の「病老死」は他人ごとではない気持ちで仕事をして学ばせてもらっている。蒜山高原は勤務病院のある県北山間部の真庭市にあり1時間も車に乗ればいつでも通っていける。月曜日の午後から蒜山高原に足を延ばし、水木曜日に宿泊していたワンルームマンションには金曜日も泊まり込んで土曜日も早朝から蒜山高原に遊びに出かけることにした。昨日は台風が近づく荒天にもかかわらず蒜山に出かけ、本日も霧雨が舞う自転車道を30Km、約7時間かけて歩いた。蒜山高原が好きなのである。標高500 〜600 mの高原地帯であり西日本を代表するリゾート地の一つである(西日本の軽井沢とも呼ばれる)。また日本有数の飼育数を誇るジャージー牛の牧場や肥沃な珪藻土の広大な高原野菜畑が蒜山三座を背景に広がる。週末やシーズンには京阪神・中国地方・四国地方方面からの観光客で賑わっている。東西20 km、南北10 kmのなだらかな高原は北海道の広い草原を思い出し、歩きながら胸を大きく膨らませたくなる気分になれる。そして胸を大きく膨らませると心も広がるような爽快な気持ちになれるのである。勝山を根城にして遊びに来ているのか仕事に来ているのか思い悩むことが時々ある。(写真;台風直撃の日の蒜山高原、春夏秋冬自然は様々に衣替えする、春から夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色など四季折々の景色や草花を楽しめる)  
Posted by hhirano20 at 07:43

2018年10月04日

菜園で培われた「性格」のままでは現役復帰できないのだろうか?

CIMG3410IMGP2726IMGP2717IMGP2718この10月1日で現役に再度復帰してから4年がたった。これまでリタイアしていた6年間の「性格」が変化しているのがわかる。気分のテンションが上向きになり、イライラ感が再現し出し、他人のことがいろいろ気になりはじめた。妙に正義感が高まり、他人の小さな過ちにも気になる。正しいことは正しい、悪いことは悪い。6年間で養われた「そんな事、どうでもいいではないか」は何処かに消えていきそうである。これらの心の変化は現役復帰するための心の必須条件なのだろう・・恐らく。「性質」は生来の「心」であり性根とか根性とも言われ、人間としてもって生まれたものである。身体と同じように誰しも5本の指や二本の腕や脚をもつが、でも少しずつ個人差がある。顔つきがそのよい例であろう。目も鼻も口も頬も、誰しもがもつがその形は微妙に異なる。それが十人十色の顔形になる。同じように生まれつきの「性質」にも多少の差が見られるのである。「性格」はその「性質」を生後自分が生きやすいように増長させたり抑制したり、複雑に修飾させたものである。だから「性格」はもの人の“生き様”そのものであり、良いも悪いもないはずである。「人格」は「性格」にもう一つ「知性」が加わったものであろう。医者としての“生業(なりわい)”に向いた「性格」にも変化が来ている。それも以前の現役時代の「性格」に戻ろうとしている。現役時代の「性格」を自分自身が嫌になり、それで早々に引退したのに・・。家族もそのことを最も恐れている。リタイアして菜園で培われた「性格」のままでは現役復帰できないのだろうか? はたしてこの「性格」の変化で“生業”と菜園とが両立できるのだろうか・・・。(写真;真庭市北房のコスモス畑、コスモス祭りが開催される会場、「コスモスパーク北房」は地元NPO法人が平成16年にオープンさせた巨大コスモス園で、広さ・品種の多さとも西日本最大級とか・・)   
Posted by hhirano20 at 19:24

2018年10月01日

樹木希林さんのご冥福をお祈りいたします

IMGP2668IMGP2696P2130044P1110172P1110223樹木希林さんは自分の「死生観」にぐさりと突きつけた・・そんな思いで彼女の生き方に引き込まれた。網膜剥離で左目を失明(手術は拒否)した翌年に右乳がんで手術。数年後には13カ所に転移が見つかった。全身がんを公表してから5年後の9月15日に逝去された。享年75歳、最期の年にも「モリのいる場所」「万引き家族」を公開。カンヌ国際映画祭へ渡仏しバルム・ドール獲得の瞬間に立ち会った。帰国後大腿骨を骨折し緊急手術。その後容態が悪化して8月30日に娘婿の本木雅弘さんが樹木の直筆メッセージを報告した。最期は本人の希望で大病院から帰宅し子供や孫たちや息子婿に見守られ翌日この世を去った(自然死)樹木希林の「死生観」を改めて考えてみた。彼女ほど自分の言葉をもった女優はいなかっただろう。「一人の人間として、ひっそり逝きたいのよ」「『いつかは死ぬ』じゃなくて『いつでも死ぬ『という感覚なんです」「いまなら自信をもってこう言えます。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします」「生きるということは、いろんなところをくぐり抜けて、どう墓穴に入るかという道」「欲や執着があると、それが弱みになって人につけこみやすくなる」「病を悪、健康を善とするだけなら、こんな人生つまらない人生はないわよ」・・・。希林流の言葉に見る強さの秘訣は何なんだろうか? 常識に抗い、自からの道を行く信念の人だったのだろう。普通なら人前では隠すような本音や日常での違和感をストレートに表現することで、独自の存在感を築き上げてきたのだろう。「やり残したこと? そんなの、ありませんよ」。樹木希林さんのご冥福をお祈りいたします。(写真;台風一過の実りと香りの秋、いつになったら本格的な秋になるのだろう・・・)  
Posted by hhirano20 at 20:46

2018年09月28日

沖縄での親族関係が羨ましい

P1000610P1000604P1000608P1000602P1000633沖縄ではお年寄りが病院に入院されると、長男だけでなく子供たちは総勢で見舞いや看病に集まってくる。そこで感心させられることは必ず夫婦で伴ってくるのである。例えば女房の父親の見舞いの場合では、亭主が留守番役で外食をして家で心配して待っているようなことはない。夫婦それぞれの親族の出来事は、夫婦2人の問題としてペアーとなって執り行われるのである。沖縄には親族が集まる祭りごとが多い。春のシーミ祭(お彼岸)では大きなお墓の周りに親族一同が集まる。お盆のウークイでは仏壇のある長男の家に親族一同が集まる。そしてこちらではモアイもある。家族や親しい仲間が月に1回集まってユンタク(懇親会)するのである。その他にも2週間に一回は子供達が親の元に集まってユンタクするという。その場合でも夫婦で両方の両親の家に集まり、男同士は父親と女同士は母親と部屋を分かれてユンタクする。老父母は子供や孫らに昔の苦労話や生き様を語るのだそうだ。そして、楽しそうに話している親の姿に、子供たちが自分の喜びとして感ずるのだそうだ。この様にして、沖縄の歴史や沖縄口(沖縄の方言)、親族の歴史を自然と頭の中に刻み込まれていくのである。沖縄では仏様崇拝ではなく祖先崇拝であることがよく理解でき羨ましくも思う。内地の子供は親の子以上に社会の子であるが、沖縄の子は親の子であり親族の子供だといえよう。(写真;台湾には各地に「老街」がある、都会の空洞化にともない旧市街地はシャッター街になっている、駅に近いこの地を「老人の集う街並みにつくり変え近郊から多くの老人が集う、屋外老人施設のようなものか、「老人元気で外がいい」を実践している、老人を敬うのではなく人生の大先輩を尊ぶかの違いも関係しているように思えた   
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2018年09月27日

細胞の「アポトーシス」と「老衰」という『自然死』

CIMG3393CIMG3387CIMG3386CIMG3383体の60兆個の細胞には「アポトーシス」という『自然死』がある。Apoptosis の語源はギリシャ語の「apo-(離れて)」と「ptosis(下降)」に由来し、枯れ葉などが木から落ちるという意味である。細胞の急速な縮小に続き、隣接細胞から離れ、核クロマチンの凝縮、核(DNA)の分解、細胞の断片化がおこり、細胞膜のバリア機能を保ったままアポトーシス小体が形成される。細胞内の成分が漏れ出す前には、マクロファアージなどの組織球や周辺の細胞がこのアポトーシス小体を貪食し細胞の内容物の流出は起こさせない。「きちんと身辺整理をした後に」 死んでいく。「遺灰は風に・・・」、インドには「サドゥー」と呼ばれる人達がいる。ボロボロのオレンジ色の布を身にまとい髪の毛は伸び放題、家族から離れて放浪の旅に出る。そしてもう2度と家に戻る事はない。老後の負担を子供達にさせたくないというのもあるのだろう。彼らは手ぶらで永遠の旅に出る。そして死ぬまで聖地から聖地を歩いて回る。これまでに在宅11人、施設26人を老衰で看取った。90歳以上の高齢者で他の病気もなく、なんというか… 光がゆっくりと消えていくように、呼吸数が減り、心音が少しずつ弱まり、眠るように亡くなられた。苦しみもなく、ネジ巻きの時計やオルゴールが止まるような穏やかな死であった。そう言えば、亡くなる少し前から眠っている事が多くなっていた。うつらうつら眠ることが「老衰」の死の前兆のように思えた。雪山の遭難シーンなどで眠りそうになる人をたたいて「眠ったら死ぬぞ!」というシーンを思い出す。目覚めている間は脳が今の状況などを判断しながら、何とか体を正常に保とうと、たとえば震えることで体温を上げようと反応する。しかし眠ってしまうとそれらの反応がなくなってしまう。「老衰」とは老化に伴って個体を形成する細胞や組織の能力が低下し、「内部環境」の恒常性の維持が困難になり多臓器の細胞死により生命活動の維持ができなくなることである。他の死因となるような病気をもたず純粋な「老衰」死は、2012年の日本の死亡者総数のうち4.8%でランク5位、80歳代前半までは死亡原因別ランク5位未満、80歳代後半の死亡者数のうち5.3%でランク5位、90歳代前半の死亡者数のうち11.0%でランク5位、90歳代後半の死亡者数のうち18.7%でランク2位、100歳以上の死亡者数のうち31.6%でランク1位である。「寿命が来た」「寿命が尽きた」などとも表現される「老衰」による死は、90歳以上の健康長寿者にだけに与えられる細胞のアポトーシスによる『自然死』なのである。インドの「サドゥー」の人たちも自然界のなかで『自然死』を迎えるのである。(写真;秋雨に煙る蒜山高原の風景の続き)   
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2018年09月25日

二日続けて雨の中傘をさして歩いた・・その理由を悟った

CIMG3400CIMG3396CIMG3402CIMG3403CIMG3397昨日も蒜山の自転車道を歩いた。二日前にも同じように雨の中傘をさして歩いたばかりなに・・。連休なのでマイカーや大型バスツアー客は多いが、雨の中をサイクリングしたり高原を散策する人はだれ一人いない。観光客のほとんどは蒜山焼きそばを食べて(露店の焼きそば屋のオジサンは一日で100万円の売り上げがあったと自慢していた)お土産店で時間を過ごしていた(遠方から車でやって来たのに・・気の毒である)。一方で・・30Kmの無人道路をひたすら歩く老人がいた。高原はガスで覆われいつ雨が降り出すかもしれないお天気なので、まわりの秋の景色を楽しむような快適さは一切ない。歩きながら6時間あまり「なぜ歩くのか?」だけを考えながら足は機械的に前を進めていた。「ピンピン」と生きさえすれば自然にコロリと死ねるとでもいうような甘い(?)見通しなのだろうか? ピンピン長生きを望む人は健康に気をつけ身体を大事にすることである。そんな人は身体が丈夫な分だけ最後はだらだらと時間をかけて死に向かう。心肺が丈夫なために急性発作を起こしても死に損ねたり(九死に一生を得ること)、身体は元気でも脳はそれについて行けず完全な認知症ということになりかねない・・・・。案じていたごとく途中から小雨がぱらつき始め、楽しみにしていた昼食はアンパン1個とジャージー牛乳1本になった。そして無駄な歩きの理由がわかった。それは私自身が望む「自立死」の3つの継続条件である。一つ目は「暮らしの」継続性でセカンドライフの今の生き方を最後まで続けたい。二つ目は「自己決定」の継続性で、最後まで自身の思いを貫きたい。いつまでも自由に生きたいのである。三つ目は「身体機能」の継続性で、残された身体機能は0になるまで使って自立したい(這ってでもトイレに行きたい)・・であった。(写真;雨の蒜山高原、何一つ感動する景色は撮れなかったが・・、でも家の近くを歩いてもよかっただろうか? 雨歩きだからこそ遠出して一流の道を歩きたい)  
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2018年09月21日

「不健康寿命」をいかに生きるかの議論は聞いたことがない

CIMG3380CIMG3382CIMG3385CIMG3389CIMG3387CIMG3386日常生活に制限が生じる(不健康寿命)期間は男9.13年、女12.68年(平成28年)。疾病予防と健康増進や介護予防などによって「健康寿命」を延ばして、生活の質の低下を防ぐとともに社会保障費軽減を期待する。老人の『施設入らずウオ―キング』こそ「健康寿命」を延ばそうとする願望であろう。でも「不健康寿命」の期間も10年ほどある。そしてこの人生の最期は誰も避けては通れない。それなのに「不健康寿命」をいかに生きるかの議論は巷ではほとんどされない。「健康寿命」を延すことで「不健康寿命」をただ先送りしているようにも思える。病院のベッドで寝たきりになり、老人施設で過ごす車椅子での日常生活、多くのこのような「不健康寿命」の人達はどんなことを思い、何を楽しみに生きているのだろうか。老人車を押して最後の最後まで自宅で死まで迎えられる人はまれである。日本では病室という社会から隔離された空間では、「死」が現代医療の敗北の姿として扱われている。一般人には見えなくなった「死」が自分とは無関係であると錯覚し、やがて「人が死ぬとはどういうことなのか」を考えなくなった。いきなり「自宅で死ぬ」という選択肢を目の前に突きつけられれば戸惑ってしまう。しかし現在の日本における在宅医療や在宅死を推進する急速な流れは、それらが社会的に認知されシステムが成熟するのを待ってはくれない。「死」に対する考え方や心構えを、私たち一人ひとりがしっかりともたなくてはならなくなった。自宅には、風や光、生命の存在、癒しや愛情が感じられて、過去とのつながりや自分の存在が確認できる空間と時間がある。何者にも邪魔されない自分だけの世界で人生を振り返り、この世で大切な人に出会えたこと、さまざまな経験、人生における苦しみや悲しみさえ、旅立つときにはすべてが感謝となり、心から「ありがとう」と言えるのだろう。「死」はゴールではなく命のバトンタッチである。自分の命が自分だけのものではないという気づきこそが、心豊かに生き抜き、愛とエネルギーを次の命に注ぎ込む。自宅で死ぬことの本当の意味はそこにあると思う。(写真;秋雨が降りしきる蒜山高原ウォーキング、この自転車道を傘をさして歩くのも又楽しい、山の風景よりも足元の景色も秋を感じさせられた)   
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2018年09月16日

発酵食品に含まれるカビについての話

CIMG3377CIMG3370CIMG3368そば発酵食品が注目されているがそれに含まれるカビについての話。代表的な発酵食品は次のものがある。日本酒(米を麹カビと酵母で発酵)、納豆(大豆を枯草菌で発酵)、味噌(大豆を麹カビ、乳酸菌、酵母で発酵)、醤油(大豆と小麦を麹カビ、乳酸菌、酵母で発酵)。これらの発酵食品は体に良いとされている。それは、これらの発酵食品に含まれる微生物自身が善玉菌であったり体にとって有益な栄養素が含まれていたりするから。麹カビは酵素の宝庫とも呼ばれデンプン、タンパク質、脂質など、さまざまなものを分解してくれる。そして、その過程で、糖、アミノ酸、クエン酸、ビタミンB類、GABA(神経伝達物質として抗ストレス作用をもつアミノ酸)などが作られる。また、乳酸菌は善玉菌の一種であり生体内で乳酸、酢酸など人に有益な物質を作る。さらに、酵母はさまざまなビタミンやアミノ酸だけでなく、鉄分やマグネシウムなどのミネラルも含んでいる。 人間の腸の中には有益な物質を作る善玉菌と有害な物質を作る悪玉菌が存在し発酵と腐敗は腸の中でも起きている。善玉菌は人間にとって有益な物質を作ってくれるが、悪玉菌はアンモニアや硫化水素を出して腸内環境を悪化させている。つまり、善玉菌は人間にとって有益な物質を出すので善玉菌の活動は発酵で、悪玉菌は人間にとって有害な物質を出すのでので悪玉菌の活動は腐敗である。腸の中は36℃で常に人間が食べた栄養たっぷりの食べ物が供給されるので発酵にも腐敗にも絶好の環境。腐っている食べ物には敏感に反応するが自分の腸の中で食べ物が腐ることには無頓着である。腸内で悪さをする悪玉菌は体内の消化できなかった食べ物をエサにして増殖する。こうなると便秘や下痢といった腸内のトラブルだけでなく、肌荒れやアレルギー、風邪をひきやすくなるといった体の症状が出てくる。しかし、発酵食品を食べると、カビが産生する酵素によって腸内の活動がアップし悪玉菌のエサになることを防止する。悪玉菌のエサになってしまった宿便(長く腸に滞在しているお通じ)も排泄しやすくなるので便秘解消にも繋がる。そして発酵食品には善玉菌が多く含まれ、酵食品に含まれるカビは腸内環境を整え免役力のアップにも寄与する。(写真;蒜山高原のソバ畑は花盛り、種子を製粉して蕎麦粉にする、日最低気温の平均値が17.5℃を越えると実に栄養が行かず結実率は顕著に低下するため山間地や冷涼な気候の地域で栽培される事が多い、7-8月に播種し9-11月に収穫する秋ソバである)   
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2018年09月13日

理想の最期は『ピンピン➡ネンネン➡コロリ』

P1030049IMGP2704IMGP2035IMGP1925健康寿命は延びたのに平均寿命が増えたことによって「不健康寿命」は男性9.1年、女性12.7年と要介護期間がさらに伸びた。『ピンピンコロリ(ピンコロ)』の意味は「病気に苦しむことなく、元気に長生きし(ピンピン)、最後は寝つかずにコロリと死ぬこと」であり、健康寿命の長さを言い表した標語であった。「ピンコロ」を望む理由としては「家族に迷惑をかけたくないから」「苦しみたくないから」「寝たきりなら生きていても仕方ないから」である。これは核家族化やライフスタイルの変化で、家族のきずなや地域社会とのつながりが薄れている社会状況が根底にあるのだろう。最期の「コロリ」は心筋梗塞や事故などの「突然死」のことでありそれは無理な願いである。最期を迎える現実のパターンを図式で考えてみたい。「ピンピン➡ネンネン又はネ〜ンネ〜ン➡コロリ又はダ〜ラリ」と「ダラダラ➡ネンネン又はネ〜∼ンネ〜ン➡コロリ又はダーラリ」の二つのコースを考えてみたい。「ピンピン➡ネンネン又はネ〜ンネ〜ン➡コロリ又はダ〜ラリ」の場合。ピンピンは元気に生きて健康寿命を少しでも長く伸ばすこと。ネンネンは不健康寿命を少しで短縮し死に際も短くする。ネ〜ンネ〜ンは寝たきりが長くて最期もダーラリといつまでも死にきれないでいる。「ダラダラ➡ネンネン又はネ〜ンネ〜ン➡コロリ又はダ〜ラリ」の場合。健康寿命をダラダラ暮らすとネンネンがネ〜ンネ〜ンと長引いてダ〜ラリとした往生際となる。『ピンピン➡ネンネン➡コロリ』が理想であり、多少(一週間くらい)寝込んでもいいから少しずつ死に向かっていき(死ぬ心積もりをしたい)たいものである。「最期は家で?病院で?施設で?」。この答えは75歳になるまでの努力で決まりそうである。(写真;「空はもう秋・・」、秋雨前線の通過する空は不安定、さまざま雲が観察される頃でもある)  
Posted by hhirano20 at 19:20

2018年09月10日

死を支える医療は苦しむ時間をできるだけ短くして、「神の手」で上手に逝かせてやらなければならない

特養(特別養護老人ホーム、家に代わる「終の棲家」である)に12年間入所暮らしをしてきた寝たきりお婆ちゃんは91歳。体が弱って食べ物を口に入れようとしなくなった。週1回、病院外来に施設の車で連れてきてもらい点滴を1本して命を繋いできた。とうとう脱水症になり入院した。介助して食べさせようとしても口の中に貯めて飲み込もうとしない。家族は胃ろうや経鼻チューブによる栄養、さらに中心静脈からの栄養補給も望まない。「人間食べなくなったら死である」。入院では末梢静脈からの点滴と少量の酸素吸入、さらに胃内レビンチューブが入っていた。これらの医療のために患者さんは両手を抑制されている。尿量が減ってきて、点滴は全身のむくみ(浮腫)を増すばかりであつた。患者さんの体は確実に死に向かっているのに・・。これらの医療行為はそれを妨げているだけで患者さんの苦痛を増やしている・・。主治医として遅ればせながらの苦渋の決断をして再び家族と相談した。すべての医療行為を中止して「看取る(自然死)」ことを承諾された。病院でこのまま最期を迎えるのか、住み慣れた特養に戻って看取るかの選択を家族にしてもらった(在宅看取りは出来ないと言われた)。金曜日午後から退院して主治医が付き添って施設に無事帰った。すべての束縛が外され、病院という雰囲気から解放されたのか久しぶりに笑顔が見られた。翌土曜日は畑から施設のスタッフと電話で連絡し合って経過観察した。施設では話もするし酸素吸入なくても呼吸苦はない。翌々日曜日の明け方3時に寝床に置いた携帯電話がなった。心肺停止状態になったと看護師から報告が入った。早速飛び起きて、暗くて大雨の降る高速道路を走って施設に到着。家族親族は皆さんベットの周りに揃って主治医の到着を待っていてくれた。4時47分死亡を確認した。死亡診断書には「老衰」と書き、「エンジェルケア(死後の処置)」をして葬儀屋の車で帰宅した。車を見送りながら「入院なんかさせないで最初から施設で看取りにすればよかったのに・・・」と悔やんでみた。やはり食べなくなったら無理して食べさせない、そして気休め自己満足の点滴や酸素吸入はしない。「病院死」と「自然死」の違いを思い知らされたようだった。「ピンピン・コロリ」のコロリは「早く!うまく!安い!」、この牛丼屋の宣伝文句を病院死でも実践したいものである。死を支える医療は苦しむ時間をできるだけ短くして、「神の手」で上手に逝かせてやらなければならない・・。これからはこんな医者を目指そうと考えた。 シルバー川柳入選作品 • 紙おむつ地位も名誉も吸いとられ(厚木のかずちゃん) • 字を忘れ考えてるうち文忘れ(鳥海一郎) • いつ死ぬか分かれば貯金使うのに(遙) • 生きがいは何かと聞かれ「生きること」(山田和一郎) • 手をつなぎ互いの杖となるあした(荒木惠子) • 物忘れ知識を少し捨てただけ(加藤義秋)   
Posted by hhirano20 at 21:32

2018年09月07日

老後は一日一日を楽しく過ごす(have a good time)ことでいい

P1110114P1110115P1110176寝床に入り眠りにつくまでのしばしの間は「楽しい」ことを考えることにしている。現役時代は「ワーカホリック(仕事中毒)」の仕事人間であった。明日の過密なスケジュールを朝から順番に頭の中でイメージしていくうちに寝床の中で憂鬱になり悪夢を見ることがしばしばあった。それで床の中では「楽しい」ことを考えることにしていた。でも、その当時「楽しい」ことは「食べること」と「歩くこと」しかなかった。「食べること」の楽しみが高じて「食べたい時に食べたいものを食べる」ことが習慣になった。閉店間際のスーパーで食材を選びそれから家で夜間自炊して食べた。周りの医師達は「晩酌」を楽しみにしていた。帰宅すると冷蔵庫に直行して冷えた缶ビールを一気に飲み干すことを「楽しみ」にする看護師も多かった。リタイアした人達の「楽しみ」方に注目してきた。川や池でのブラックバス釣り、ゴルフの打ちっ放し、パチンコや競艇などの賭け事、散歩や山歩き、大型ショッピングモーレ詣で、図書館暮らし、などなど。でも、家での晩酌を唯一の「楽しい」こととする男性高齢者は圧倒的に多い。菜園の周りで田圃や畑をもつ住民の「楽しい」ことは野菜づくりである。どんなにちっぽけな畑にも毎日通って野菜を見て回るのが一番「楽しい」ことである。どんなに順風満帆そうな人に見えても、その本人にしか分からない「悩み」や「不安」って必ず持っていると思う。「楽しい」ことを考えることこそが、これらの嫌な気分を忘れさせてくれる。楽しく生きる(enjoy life)ことでも、楽しく暮らす(live a happy life)ことでもない。老後は一日一日を楽しく過ごす(have a good time)ことでいい。朝の散歩で立ち寄る藤戸寺のお大師さんの前では「本日も元気で楽しく過ごせますように」と合掌するのを欠かさない。(写真;県北の勝山では彼岸花が咲きはじめた、「時告げ花」の別名があるがごとく彼岸の日に咲くものと思っていたが・・、これも地球温暖化のせいか?、この花の特異なことは、花のあとで葉が伸びてくるが、冬と春を越して夏近くなると葉は全く消えてしまい地下の球根だけが残る、そしてこの時期になると突然人の踏み入れないあぜ道の端から芽が伸びてくる、人嫌いの花でもある)     
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2018年09月05日

この夏、太平洋側の異常高温は「空気の脱水症」である

いお477355245333799360673233CIMG0351この夏は猛暑が続き干ばつが国土の64%に広がったと報道された。余りメディアは報じていないがわが国の野菜畑でも干ばつの被害は大きい(水田は別であるが・・)。梅雨明け後猛暑と共にほとんど雨が降らなかった(風も吹かなかった)。熱帯の東南アジア諸国の乾季では一日一回はスコールにて雨に恵まれる。この数年わが国には夏定番の夕立がない。夕立をひき起こす入道雲ははるか彼方に見られるだけだ。梅雨が明けて強い日照を浴びた途端どこの畑の夏野菜も干からびて枯れてしまった。わが菜園ではこの2カ月間大量の水遣りを朝晩欠かさずに行ってきた(菜園の8月の水道料金が数万円也)。菜園で昼寝をして畑の干ばつ状況を観察し様々対処した。水をホースで散布してもほんの瞬間だけ表面の土の白色を土色に変えるだけ。真夏の海水浴場の砂浜の如くで地温が熱くて火傷しそうだ。さて、その干ばつと猛暑の関係を考えてみた。これまで猛暑が干ばつを引き起こすものだと思っていた。気温が上がるから水分が蒸発して干ばつを引き起こす・・と。実はその逆で「干ばつが猛暑を引き起こす要因になっている」。乾ききった畑の中のハンモッグに揺られ汗をかきながら寝ていてこのような考えが閃いた。干ばつというのは地面が乾燥した状態なのでそこから蒸発する水分が限りなく少なくなる。地面が水分を含んでいると太陽エネルギーは空気中の水蒸気に吸収されるけど、水分がなく乾燥した状態だと太陽エネルギーが空気に直接影響を与えてしまうため気温が上昇しやすくなる。この夏の天気予報によると亜熱帯の沖縄の最高気温が最も低い。沖縄で32℃超える日はまれであった。それなのに「南の熱風が吹きこんで今日も猛暑になる」と天気予報士は連日煽り立てる。液体の水が蒸発して気体になるとき一グラムにつき約600カロリのー熱を周囲から奪い、それを体内(水蒸気の)に隠し持って大気中に浮かぶ。そして水蒸気が上空で液体の水に戻るときに隠し持った熱を周囲に吐き出す。この時水蒸気は「燃える」のである。山越えの気流は風上側の斜面を上昇するときに水に戻り燃え、「燃えかす」の雲や雨を風上に残し熱だけを持って風下に吹き下りて風炎になる。これが「フェーン現象」である。日本海側で35℃を超えるのは「フェーン現象」で太平洋側の異常高温は「空気の脱水症」である。(写真;瀬戸大橋のはる彼方に入道雲が見られる、大気の脱水のため夕立や雷を起こすこの雲も発達が悪く局所的であった)   
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2018年09月03日

「サンゼミOB会」の宿泊農業研修。宴の話題は「ピンピン・コロリ」であった

CIMG3331CIMG3338CIMG3342CIMG3347CIMG3349週末は3か月に一回の「サンゼミOB会」の宿泊農業研修に参加した。社会人就農研修を受けた仲間の集いで17年ほど続けて開催されている。吉備中央町にある「体験農園」で共同農作業を行ったのちに、広い農園の敷地内に移築された茅葺の古民家で一宿一飯の「老人の集い」が繰り広げられる。男だけの自炊で畳に布団を並べて敷いてザッコ寝をする。70歳から75歳の元気な「野菜バカ」を自称する孫を持つ爺さん達である。今回の宴の話題は「ピンピン・コロリ」であった。斃れる(倒れる)までは「老人元気で外がいい」を実践し、畑や田んぼで趣味や道楽としてアクティブにそしてクリエイティブに一年でも長く生き延びたいと望む。そして悔いのない人生を終わらせたい。自然相手の農業はこのような願いを叶えられる最適な生き方であろう・・と確信している(これこそが野菜バカの所以である)。そして「コロリ」。これは「ピンピン」とうまく接続しないものである。もしその時が来たらコンビニのごとく「早く、安く、上手い」逝き方をすることである。それは「安楽死」ではなく「自然死」である。「動物は食べられなくなったら死、動けなくなっても死である」。人間も同じで、食べられなく(食べなく)なったら「食べない、食べさせない」ことが「コロリ」の必須条件である。飛行機は目的地に向かって高度をどんどん上げて飛行するが、その後は徐々に高度を下げていく。飛行場(死)が近くなってくるとシートベト着用(体の臓器は死の準備に入りました)のサインがアナウンスされる。「食欲が減退して食べる量が減ってきた」「お酒を飲む量が減ってきた」「体重が減り皮膚がシワシワになり顔などが腫れぼったくなってきた」「暑くて(寒くて)外に出れなくなり、家の中でボーとして引き篭もることが多くなった」「すぐ横になりたくなり、眠りが浅く嫌な夢を見ることが多くなった」・・・。飛行機は飛行場に向けてさらに高度を下げ「最終着陸態勢」に入ったことをアナウンスする。人の死もここが正念場である。シートベルトの装着を再度確認すると同じように、もうここからは「食べない、食べさせない」「点滴もやめる」など一切の医療行為は終わりにする。そしたら「せん妄状態」になり意識は低下し、脳内麻薬である「エンドルフィン」が分泌され一切の苦痛が取り除かれ潮の引き時に息をそっと引き取る。これが看取りによる「自然死」であり「老衰」である。「コロリ」とはこのような逝き方をさすのであろうか。(写真;OB会の宿泊研修は老齢男子の自立支援学級、調理とご飯炊き、洗い物、お茶つくり、寝床つくり、部屋掃除、ごみの片づけ、断水のため大型タンクや簡易便所の設営・・・皆さん農業だけでなく家事力も主婦並みである)  
Posted by hhirano20 at 21:18

2018年08月31日

健康という節約

IMGP2726IMGP2717IMGP2718JA(農協)で近くの農家の人を対象にした秋冬野菜つくりの講習会があった。参加者はJAの直売所に出荷されているベテランの菜園家である。彼等の話を聞いていて今どきの農家の本心を知らされた思いがした。秋の葉野菜は虫との戦いであり、農薬なしでは葉っぱに穴があき、葉の中から蝶の幼虫が出てきたりしかねない。だから種を撒く時から農薬をふんだんに使用するそうだ。でも彼等の家で食べる野菜には決して農薬は使用しない。手で丁寧に虫を駆除するそうだ。消費者の「速く、やすく、たくさん」の感覚が食品にかかわる産業に手っ取り早くつくることを強いてきた。多くの人が安い食品に慣れてしまい少しでも値段が上がることに敏感に反応する。毎日の食材が安いのは家計から考えれば歓迎すべきであろう。けれども食品を安くするために沢山のものを失った。これ以上値段を下げたらもう利益は出ないという限界の価格がある。多くの農畜産物や加工食品の値段はこの価格を下回っていると聞く。この安さの追求は安全を保証する範囲を大きく超えてしまっている。賞味期限や原材料、産地などを偽装する食品偽装事件が余りにも多すぎる。コスト削減のために食品業界がモラルを失っていると言われる。でも、そうしなければやっていけない切迫した状況が業界にはある。限界を超えた価格破壊は食品の安全とともにつくり手のプライドも打ち砕いた。プライドを保った多くの食品業者や農家は経済的に破綻して廃業していった。その責任の一端は消費者にもあると思う。安いということはほとんど例外なく安全性との引き換えだ・・と、消費者自身が認識すべきである。良質であっても高い食品は家計には負担である。そこで安さを求めて節約することは間違いなくあとで何倍にもの医療費となって返ってくる。健康こそが一番の節約である。安全は目に見えない。その野菜が良いのか悪いのか、その食品が安全かどうかを、もっと自分の感覚で判断したいものだ。遠い外国から何日もかけて船で運んでもまだ日本の野菜よりも安い。この価格破壊が日本の農業を壊してしまった。(写真、コスモスは秋桜で秋の花? 畑の周りではもう咲きはじめている、猛暑の影響か?、でもコスモスは日が短くなってくると開花する花である)  
Posted by hhirano20 at 18:02

2018年08月29日

「皮膚は体の中の鏡」。高齢者の肌を見ると体の老化具合が推測可能である

図1図2図3図4老人施設では超高齢者の診察でいつも思うことがある。90歳を超えてもなお体も脳も元気で若々しい人が少数ながらいる。それらには女性も男性も共通した所見がある。彼らが若々しく見えるのは肌がその理由である。色白(老人焼けがない)で艶があって血色がいい。皮膚が薄くて皮下の毛細血管が透けてみえる。シミやシワや色素沈着や皮膚の肥厚がほとんど目立たない。「皮膚は体の中の鏡」だと学生時代に皮膚科の講義で習ったことを思い出した。肌がいつまでも若々しいのは内臓も老化が進んでいないのだろう・・。アンチエイジングでは「ミトコンドリア」の老化防止や若返りが盛んに研究されている。加齢とともに細胞内の小器官であるミトコンドリアも老化して数が減り質の悪い(機能の低下した)ものが多くなる。質の悪いミトコンドリアは酸素からエネルギー(ATP)をつくるよりも過剰な活性酸素を産生して皮膚をはじめ内臓のタンパク質を障害(組織が劣化)する。ミトコンドリアの数が減るとエネルギー(ATP)産生量が減り、日常は「省エネ」暮らしを無意識のうちの行うようになり運動量が減り家の中での引き篭もり現象の主因となる。質の悪いミトコンドリアは活性酸素の産生で老化現象を確実に進める。いずれにしても「健康長寿」は望めない。ところで私たちの持っているミトコンドリアDNAはすべて母親から引き継がれたものである。父親由来のミトコンドリアは受精のときに壊されてしまう。長寿の母親から生まれた子は長寿、でも父親が長寿でもあまり子の寿命には関係しない。でも代々引き継いできた母親のミトコンドリア遺伝子は変異していく。その変異に直接関係するのは「運動量」と「食べる量」。運動ではミトコンドリアを活性化してATPを量産する。空腹(食べる量が減る)でエネルギー不足になると質の悪いミトコンドリアは死滅して、次に運動して食事をするとミトコンドリアが新生される(超高齢者でも)。「プチ断食」「週末断食」が推奨されているが、これまでの「腹八分」とは同じ効果であろう。動かないのに食い過ぎるのはミトコンドリアを怠けさせ退化させるだけである。ミトコンドリアを目覚めさせるためにも時々「一日2食」の食習慣にしてみようか・・。(写真;体は60兆個の細胞の塊であり、各細胞には数千個のミトコンドリアが存在し、ATP産生の発電所となっている、最下の写真は左が高齢者の骨格筋で右が若者、黒い点々がミトコンドリアであるが、高齢者その数がまばらで筋肉繊維も断裂している、でも運動で若者並みの筋肉組織に戻れることを研究した)   
Posted by hhirano20 at 20:12

2018年08月27日

長患いは病院や施設で、逝くのは家での「自然死」が理想的だと思うが・・・

P1000703P1040088P1040082P1040081祖母(父の母親)は家で長患いし在宅での「自然死」であった。終戦まもなくの幼い頃のことなので、記憶は朧気であるが床の間のある家で一番広い8畳間で何年も何年も闘病して布団の上で大往生した。母親は「看病のためにこの家に嫁いできたようなものだ・・」とつぶやくことがあった。確か胃がんの末期で近くの開業医がときどき往診に来て診てくれていた。寝たきりになってからは、母親はオシメ交換も清拭もシーツ交換も当然の仕事として女手一つで介護していた。点滴などすることはなく、口から栄養が取れなくなるとお粥(重湯)とかリンゴやナシをおろし器で擦ったものを最後まで「口から食べさせよう」と懸命に努力していた。明け方(自然死は潮の引く時間が多い・・)子供や孫、親戚や向こう三軒両隣の隣人、8畳の部屋に入りきらないほどの大勢に見守られて静かに息を引き取った(癌死ではなく老衰死である)。家人のだれ一人死体にしがみついて泣き崩れることはなかった(その当時、死とはいつかは誰にも来る生理現象だと思っていたからであろう)。母親は寝床や部屋を小綺麗にしてかかりつけ医に電話した。自転車を漕いでやってきた老医は往診カバンから聴診器を取り出してそれを胸に当て死亡時刻を告げた。医者が引き取ると顔に白い布をかぶせ枕を北に向けた。それから町内の隣人が大勢集まり、家でのお通夜とお葬式の準備が夜通し行われた。なぜか集まった男衆は酒を飲んで談笑し、子供たちは大騒ぎではしゃぎ回っていた。死は決して悲しい出来事だけではないのだと思った。『最期は家で?病院で?施設で?』。今どきの高齢者はどうだろう・・。長患いは病院や施設で、逝くのは家での「自然死」が理想的だと思うが・・現実は極めて厳しい。そのためには妻が夫を看取るか嫁が義父母を看取るか・・だけ?。いくら医師の訪問診療や訪問看護婦が頑張っても看取ってくれる家族の存在が必須だからである。(写真;家の近くの河川敷での花火大会、打ち上げ花火を眺めるのは何年かぶり、夏ならば花火の音だけを聞きながら家の布団の中で静かに逝きたいものである)   
Posted by hhirano20 at 20:58

2018年08月25日

「最期は家で・・」と望む高齢者も「甘え」からくる願望なのだろうか?

P1030041P1060465P1030013IMGP0134P1010923幼い孫たちは熱が出たりして具合が悪くなると、突然「ママ・・ママ・・」と言って母親にしがみついて泣きじゃくる。大人になってからも恐怖、困ったとき、苦しいとき、パニックになったとき…、思わず口に出てくる言葉で「お母さ〜ん」と叫ぶことがあるだろう。人間(とくに日本人)は自分の力でどうしようもできない極限状態に陥ると、精神が子どものような状態に戻ってしまうのだろう。無意識のうちに母親は守ってくれるものと考えている(乳離れしていないのかもしれない)。戦場で兵隊が死ぬ時には「大日本帝国バンザイ」、「天皇陛下バンザイ」という人はいなかった・・と聞く。みんな『おっかさん』と叫んだそうだ。どこの国でも幼児は母親に甘えるものだ。だが、日本では幼児がいつまでも母親に甘え続けることができるのに対して、多くの国では子供たちは父親によって精神的な乳離れを強要される。戦前の日本の怖い父親。妻に対して威張っている亭主関白には父親の威厳があった? 確かに「メシ!」「フロ!」と妻に命令する亭主関白は一見すると偉そうである。しかし、妻から見れば自分一人では身の周りの世話が何もできない「大きな赤ちゃん」に過ぎないと思っていただろう。日本の子供は乳離れしていない父親の背中をみて育ったのだろう。土居健郎は『「甘え」の構造』の中で、日本文化の幼児性は「甘え」という言葉で指摘した。「家に帰りたい・・・」といつも同じ言葉を繰り返している施設入所者は多い。「最期は家で・・」と望む高齢者も「甘え」からくる願望なのだろうか? 病院や施設では他人には甘えられないからであろうか・・。(写真;沖縄よりも熱い「盛夏」がいつまでも続く、わが菜園での景色も亜熱帯の沖縄の様相を呈してきた)   
Posted by hhirano20 at 22:17