2018年09月21日

「不健康寿命」をいかに生きるかの議論は聞いたことがない

CIMG3380CIMG3382CIMG3385CIMG3389CIMG3387CIMG3386日常生活に制限が生じる(不健康寿命)期間は男9.13年、女12.68年(平成28年)。疾病予防と健康増進や介護予防などによって「健康寿命」を延ばして、生活の質の低下を防ぐとともに社会保障費軽減を期待する。老人の『施設入らずウオ―キング』こそ「健康寿命」を延ばそうとする願望であろう。でも「不健康寿命」の期間も10年ほどある。そしてこの人生の最期は誰も避けては通れない。それなのに「不健康寿命」をいかに生きるかの議論は巷ではほとんどされない。「健康寿命」を延すことで「不健康寿命」をただ先送りしているようにも思える。病院のベッドで寝たきりになり、老人施設で過ごす車椅子での日常生活、多くのこのような「不健康寿命」の人達はどんなことを思い、何を楽しみに生きているのだろうか。老人車を押して最後の最後まで自宅で死まで迎えられる人はまれである。日本では病室という社会から隔離された空間では、「死」が現代医療の敗北の姿として扱われている。一般人には見えなくなった「死」が自分とは無関係であると錯覚し、やがて「人が死ぬとはどういうことなのか」を考えなくなった。いきなり「自宅で死ぬ」という選択肢を目の前に突きつけられれば戸惑ってしまう。しかし現在の日本における在宅医療や在宅死を推進する急速な流れは、それらが社会的に認知されシステムが成熟するのを待ってはくれない。「死」に対する考え方や心構えを、私たち一人ひとりがしっかりともたなくてはならなくなった。自宅には、風や光、生命の存在、癒しや愛情が感じられて、過去とのつながりや自分の存在が確認できる空間と時間がある。何者にも邪魔されない自分だけの世界で人生を振り返り、この世で大切な人に出会えたこと、さまざまな経験、人生における苦しみや悲しみさえ、旅立つときにはすべてが感謝となり、心から「ありがとう」と言えるのだろう。「死」はゴールではなく命のバトンタッチである。自分の命が自分だけのものではないという気づきこそが、心豊かに生き抜き、愛とエネルギーを次の命に注ぎ込む。自宅で死ぬことの本当の意味はそこにあると思う。(写真;秋雨が降りしきる蒜山高原ウォーキング、この自転車道を傘をさして歩くのも又楽しい、山の風景よりも足元の景色も秋を感じさせられた)   

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2018年09月16日

発酵食品に含まれるカビについての話

CIMG3377CIMG3370CIMG3368そば発酵食品が注目されているがそれに含まれるカビについての話。代表的な発酵食品は次のものがある。日本酒(米を麹カビと酵母で発酵)、納豆(大豆を枯草菌で発酵)、味噌(大豆を麹カビ、乳酸菌、酵母で発酵)、醤油(大豆と小麦を麹カビ、乳酸菌、酵母で発酵)。これらの発酵食品は体に良いとされている。それは、これらの発酵食品に含まれる微生物自身が善玉菌であったり体にとって有益な栄養素が含まれていたりするから。麹カビは酵素の宝庫とも呼ばれデンプン、タンパク質、脂質など、さまざまなものを分解してくれる。そして、その過程で、糖、アミノ酸、クエン酸、ビタミンB類、GABA(神経伝達物質として抗ストレス作用をもつアミノ酸)などが作られる。また、乳酸菌は善玉菌の一種であり生体内で乳酸、酢酸など人に有益な物質を作る。さらに、酵母はさまざまなビタミンやアミノ酸だけでなく、鉄分やマグネシウムなどのミネラルも含んでいる。 人間の腸の中には有益な物質を作る善玉菌と有害な物質を作る悪玉菌が存在し発酵と腐敗は腸の中でも起きている。善玉菌は人間にとって有益な物質を作ってくれるが、悪玉菌はアンモニアや硫化水素を出して腸内環境を悪化させている。つまり、善玉菌は人間にとって有益な物質を出すので善玉菌の活動は発酵で、悪玉菌は人間にとって有害な物質を出すのでので悪玉菌の活動は腐敗である。腸の中は36℃で常に人間が食べた栄養たっぷりの食べ物が供給されるので発酵にも腐敗にも絶好の環境。腐っている食べ物には敏感に反応するが自分の腸の中で食べ物が腐ることには無頓着である。腸内で悪さをする悪玉菌は体内の消化できなかった食べ物をエサにして増殖する。こうなると便秘や下痢といった腸内のトラブルだけでなく、肌荒れやアレルギー、風邪をひきやすくなるといった体の症状が出てくる。しかし、発酵食品を食べると、カビが産生する酵素によって腸内の活動がアップし悪玉菌のエサになることを防止する。悪玉菌のエサになってしまった宿便(長く腸に滞在しているお通じ)も排泄しやすくなるので便秘解消にも繋がる。そして発酵食品には善玉菌が多く含まれ、酵食品に含まれるカビは腸内環境を整え免役力のアップにも寄与する。(写真;蒜山高原のソバ畑は花盛り、種子を製粉して蕎麦粉にする、日最低気温の平均値が17.5℃を越えると実に栄養が行かず結実率は顕著に低下するため山間地や冷涼な気候の地域で栽培される事が多い、7-8月に播種し9-11月に収穫する秋ソバである)   
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2018年09月13日

理想の最期は『ピンピン➡ネンネン➡コロリ』

P1030049IMGP2704IMGP2035IMGP1925健康寿命は延びたのに平均寿命が増えたことによって「不健康寿命」は男性9.1年、女性12.7年と要介護期間がさらに伸びた。『ピンピンコロリ(ピンコロ)』の意味は「病気に苦しむことなく、元気に長生きし(ピンピン)、最後は寝つかずにコロリと死ぬこと」であり、健康寿命の長さを言い表した標語であった。「ピンコロ」を望む理由としては「家族に迷惑をかけたくないから」「苦しみたくないから」「寝たきりなら生きていても仕方ないから」である。これは核家族化やライフスタイルの変化で、家族のきずなや地域社会とのつながりが薄れている社会状況が根底にあるのだろう。最期の「コロリ」は心筋梗塞や事故などの「突然死」のことでありそれは無理な願いである。最期を迎える現実のパターンを図式で考えてみたい。「ピンピン➡ネンネン又はネ〜ンネ〜ン➡コロリ又はダ〜ラリ」と「ダラダラ➡ネンネン又はネ〜∼ンネ〜ン➡コロリ又はダーラリ」の二つのコースを考えてみたい。「ピンピン➡ネンネン又はネ〜ンネ〜ン➡コロリ又はダ〜ラリ」の場合。ピンピンは元気に生きて健康寿命を少しでも長く伸ばすこと。ネンネンは不健康寿命を少しで短縮し死に際も短くする。ネ〜ンネ〜ンは寝たきりが長くて最期もダーラリといつまでも死にきれないでいる。「ダラダラ➡ネンネン又はネ〜ンネ〜ン➡コロリ又はダ〜ラリ」の場合。健康寿命をダラダラ暮らすとネンネンがネ〜ンネ〜ンと長引いてダ〜ラリとした往生際となる。『ピンピン➡ネンネン➡コロリ』が理想であり、多少(一週間くらい)寝込んでもいいから少しずつ死に向かっていき(死ぬ心積もりをしたい)たいものである。「最期は家で?病院で?施設で?」。この答えは75歳になるまでの努力で決まりそうである。(写真;「空はもう秋・・」、秋雨前線の通過する空は不安定、さまざま雲が観察される頃でもある)  
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2018年09月10日

死を支える医療は苦しむ時間をできるだけ短くして、「神の手」で上手に逝かせてやらなければならない

特養(特別養護老人ホーム、家に代わる「終の棲家」である)に12年間入所暮らしをしてきた寝たきりお婆ちゃんは91歳。体が弱って食べ物を口に入れようとしなくなった。週1回、病院外来に施設の車で連れてきてもらい点滴を1本して命を繋いできた。とうとう脱水症になり入院した。介助して食べさせようとしても口の中に貯めて飲み込もうとしない。家族は胃ろうや経鼻チューブによる栄養、さらに中心静脈からの栄養補給も望まない。「人間食べなくなったら死である」。入院では末梢静脈からの点滴と少量の酸素吸入、さらに胃内レビンチューブが入っていた。これらの医療のために患者さんは両手を抑制されている。尿量が減ってきて、点滴は全身のむくみ(浮腫)を増すばかりであつた。患者さんの体は確実に死に向かっているのに・・。これらの医療行為はそれを妨げているだけで患者さんの苦痛を増やしている・・。主治医として遅ればせながらの苦渋の決断をして再び家族と相談した。すべての医療行為を中止して「看取る(自然死)」ことを承諾された。病院でこのまま最期を迎えるのか、住み慣れた特養に戻って看取るかの選択を家族にしてもらった(在宅看取りは出来ないと言われた)。金曜日午後から退院して主治医が付き添って施設に無事帰った。すべての束縛が外され、病院という雰囲気から解放されたのか久しぶりに笑顔が見られた。翌土曜日は畑から施設のスタッフと電話で連絡し合って経過観察した。施設では話もするし酸素吸入なくても呼吸苦はない。翌々日曜日の明け方3時に寝床に置いた携帯電話がなった。心肺停止状態になったと看護師から報告が入った。早速飛び起きて、暗くて大雨の降る高速道路を走って施設に到着。家族親族は皆さんベットの周りに揃って主治医の到着を待っていてくれた。4時47分死亡を確認した。死亡診断書には「老衰」と書き、「エンジェルケア(死後の処置)」をして葬儀屋の車で帰宅した。車を見送りながら「入院なんかさせないで最初から施設で看取りにすればよかったのに・・・」と悔やんでみた。やはり食べなくなったら無理して食べさせない、そして気休め自己満足の点滴や酸素吸入はしない。「病院死」と「自然死」の違いを思い知らされたようだった。「ピンピン・コロリ」のコロリは「早く!うまく!安い!」、この牛丼屋の宣伝文句を病院死でも実践したいものである。死を支える医療は苦しむ時間をできるだけ短くして、「神の手」で上手に逝かせてやらなければならない・・。これからはこんな医者を目指そうと考えた。 シルバー川柳入選作品 • 紙おむつ地位も名誉も吸いとられ(厚木のかずちゃん) • 字を忘れ考えてるうち文忘れ(鳥海一郎) • いつ死ぬか分かれば貯金使うのに(遙) • 生きがいは何かと聞かれ「生きること」(山田和一郎) • 手をつなぎ互いの杖となるあした(荒木惠子) • 物忘れ知識を少し捨てただけ(加藤義秋)   
Posted by hhirano20 at 21:32

2018年09月07日

老後は一日一日を楽しく過ごす(have a good time)ことでいい

P1110114P1110115P1110176寝床に入り眠りにつくまでのしばしの間は「楽しい」ことを考えることにしている。現役時代は「ワーカホリック(仕事中毒)」の仕事人間であった。明日の過密なスケジュールを朝から順番に頭の中でイメージしていくうちに寝床の中で憂鬱になり悪夢を見ることがしばしばあった。それで床の中では「楽しい」ことを考えることにしていた。でも、その当時「楽しい」ことは「食べること」と「歩くこと」しかなかった。「食べること」の楽しみが高じて「食べたい時に食べたいものを食べる」ことが習慣になった。閉店間際のスーパーで食材を選びそれから家で夜間自炊して食べた。周りの医師達は「晩酌」を楽しみにしていた。帰宅すると冷蔵庫に直行して冷えた缶ビールを一気に飲み干すことを「楽しみ」にする看護師も多かった。リタイアした人達の「楽しみ」方に注目してきた。川や池でのブラックバス釣り、ゴルフの打ちっ放し、パチンコや競艇などの賭け事、散歩や山歩き、大型ショッピングモーレ詣で、図書館暮らし、などなど。でも、家での晩酌を唯一の「楽しい」こととする男性高齢者は圧倒的に多い。菜園の周りで田圃や畑をもつ住民の「楽しい」ことは野菜づくりである。どんなにちっぽけな畑にも毎日通って野菜を見て回るのが一番「楽しい」ことである。どんなに順風満帆そうな人に見えても、その本人にしか分からない「悩み」や「不安」って必ず持っていると思う。「楽しい」ことを考えることこそが、これらの嫌な気分を忘れさせてくれる。楽しく生きる(enjoy life)ことでも、楽しく暮らす(live a happy life)ことでもない。老後は一日一日を楽しく過ごす(have a good time)ことでいい。朝の散歩で立ち寄る藤戸寺のお大師さんの前では「本日も元気で楽しく過ごせますように」と合掌するのを欠かさない。(写真;県北の勝山では彼岸花が咲きはじめた、「時告げ花」の別名があるがごとく彼岸の日に咲くものと思っていたが・・、これも地球温暖化のせいか?、この花の特異なことは、花のあとで葉が伸びてくるが、冬と春を越して夏近くなると葉は全く消えてしまい地下の球根だけが残る、そしてこの時期になると突然人の踏み入れないあぜ道の端から芽が伸びてくる、人嫌いの花でもある)     
Posted by hhirano20 at 18:00

2018年09月05日

この夏、太平洋側の異常高温は「空気の脱水症」である

いお477355245333799360673233CIMG0351この夏は猛暑が続き干ばつが国土の64%に広がったと報道された。余りメディアは報じていないがわが国の野菜畑でも干ばつの被害は大きい(水田は別であるが・・)。梅雨明け後猛暑と共にほとんど雨が降らなかった(風も吹かなかった)。熱帯の東南アジア諸国の乾季では一日一回はスコールにて雨に恵まれる。この数年わが国には夏定番の夕立がない。夕立をひき起こす入道雲ははるか彼方に見られるだけだ。梅雨が明けて強い日照を浴びた途端どこの畑の夏野菜も干からびて枯れてしまった。わが菜園ではこの2カ月間大量の水遣りを朝晩欠かさずに行ってきた(菜園の8月の水道料金が数万円也)。菜園で昼寝をして畑の干ばつ状況を観察し様々対処した。水をホースで散布してもほんの瞬間だけ表面の土の白色を土色に変えるだけ。真夏の海水浴場の砂浜の如くで地温が熱くて火傷しそうだ。さて、その干ばつと猛暑の関係を考えてみた。これまで猛暑が干ばつを引き起こすものだと思っていた。気温が上がるから水分が蒸発して干ばつを引き起こす・・と。実はその逆で「干ばつが猛暑を引き起こす要因になっている」。乾ききった畑の中のハンモッグに揺られ汗をかきながら寝ていてこのような考えが閃いた。干ばつというのは地面が乾燥した状態なのでそこから蒸発する水分が限りなく少なくなる。地面が水分を含んでいると太陽エネルギーは空気中の水蒸気に吸収されるけど、水分がなく乾燥した状態だと太陽エネルギーが空気に直接影響を与えてしまうため気温が上昇しやすくなる。この夏の天気予報によると亜熱帯の沖縄の最高気温が最も低い。沖縄で32℃超える日はまれであった。それなのに「南の熱風が吹きこんで今日も猛暑になる」と天気予報士は連日煽り立てる。液体の水が蒸発して気体になるとき一グラムにつき約600カロリのー熱を周囲から奪い、それを体内(水蒸気の)に隠し持って大気中に浮かぶ。そして水蒸気が上空で液体の水に戻るときに隠し持った熱を周囲に吐き出す。この時水蒸気は「燃える」のである。山越えの気流は風上側の斜面を上昇するときに水に戻り燃え、「燃えかす」の雲や雨を風上に残し熱だけを持って風下に吹き下りて風炎になる。これが「フェーン現象」である。日本海側で35℃を超えるのは「フェーン現象」で太平洋側の異常高温は「空気の脱水症」である。(写真;瀬戸大橋のはる彼方に入道雲が見られる、大気の脱水のため夕立や雷を起こすこの雲も発達が悪く局所的であった)   
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2018年09月03日

「サンゼミOB会」の宿泊農業研修。宴の話題は「ピンピン・コロリ」であった

CIMG3331CIMG3338CIMG3342CIMG3347CIMG3349週末は3か月に一回の「サンゼミOB会」の宿泊農業研修に参加した。社会人就農研修を受けた仲間の集いで17年ほど続けて開催されている。吉備中央町にある「体験農園」で共同農作業を行ったのちに、広い農園の敷地内に移築された茅葺の古民家で一宿一飯の「老人の集い」が繰り広げられる。男だけの自炊で畳に布団を並べて敷いてザッコ寝をする。70歳から75歳の元気な「野菜バカ」を自称する孫を持つ爺さん達である。今回の宴の話題は「ピンピン・コロリ」であった。斃れる(倒れる)までは「老人元気で外がいい」を実践し、畑や田んぼで趣味や道楽としてアクティブにそしてクリエイティブに一年でも長く生き延びたいと望む。そして悔いのない人生を終わらせたい。自然相手の農業はこのような願いを叶えられる最適な生き方であろう・・と確信している(これこそが野菜バカの所以である)。そして「コロリ」。これは「ピンピン」とうまく接続しないものである。もしその時が来たらコンビニのごとく「早く、安く、上手い」逝き方をすることである。それは「安楽死」ではなく「自然死」である。「動物は食べられなくなったら死、動けなくなっても死である」。人間も同じで、食べられなく(食べなく)なったら「食べない、食べさせない」ことが「コロリ」の必須条件である。飛行機は目的地に向かって高度をどんどん上げて飛行するが、その後は徐々に高度を下げていく。飛行場(死)が近くなってくるとシートベト着用(体の臓器は死の準備に入りました)のサインがアナウンスされる。「食欲が減退して食べる量が減ってきた」「お酒を飲む量が減ってきた」「体重が減り皮膚がシワシワになり顔などが腫れぼったくなってきた」「暑くて(寒くて)外に出れなくなり、家の中でボーとして引き篭もることが多くなった」「すぐ横になりたくなり、眠りが浅く嫌な夢を見ることが多くなった」・・・。飛行機は飛行場に向けてさらに高度を下げ「最終着陸態勢」に入ったことをアナウンスする。人の死もここが正念場である。シートベルトの装着を再度確認すると同じように、もうここからは「食べない、食べさせない」「点滴もやめる」など一切の医療行為は終わりにする。そしたら「せん妄状態」になり意識は低下し、脳内麻薬である「エンドルフィン」が分泌され一切の苦痛が取り除かれ潮の引き時に息をそっと引き取る。これが看取りによる「自然死」であり「老衰」である。「コロリ」とはこのような逝き方をさすのであろうか。(写真;OB会の宿泊研修は老齢男子の自立支援学級、調理とご飯炊き、洗い物、お茶つくり、寝床つくり、部屋掃除、ごみの片づけ、断水のため大型タンクや簡易便所の設営・・・皆さん農業だけでなく家事力も主婦並みである)  
Posted by hhirano20 at 21:18

2018年08月31日

健康という節約

IMGP2726IMGP2717IMGP2718JA(農協)で近くの農家の人を対象にした秋冬野菜つくりの講習会があった。参加者はJAの直売所に出荷されているベテランの菜園家である。彼等の話を聞いていて今どきの農家の本心を知らされた思いがした。秋の葉野菜は虫との戦いであり、農薬なしでは葉っぱに穴があき、葉の中から蝶の幼虫が出てきたりしかねない。だから種を撒く時から農薬をふんだんに使用するそうだ。でも彼等の家で食べる野菜には決して農薬は使用しない。手で丁寧に虫を駆除するそうだ。消費者の「速く、やすく、たくさん」の感覚が食品にかかわる産業に手っ取り早くつくることを強いてきた。多くの人が安い食品に慣れてしまい少しでも値段が上がることに敏感に反応する。毎日の食材が安いのは家計から考えれば歓迎すべきであろう。けれども食品を安くするために沢山のものを失った。これ以上値段を下げたらもう利益は出ないという限界の価格がある。多くの農畜産物や加工食品の値段はこの価格を下回っていると聞く。この安さの追求は安全を保証する範囲を大きく超えてしまっている。賞味期限や原材料、産地などを偽装する食品偽装事件が余りにも多すぎる。コスト削減のために食品業界がモラルを失っていると言われる。でも、そうしなければやっていけない切迫した状況が業界にはある。限界を超えた価格破壊は食品の安全とともにつくり手のプライドも打ち砕いた。プライドを保った多くの食品業者や農家は経済的に破綻して廃業していった。その責任の一端は消費者にもあると思う。安いということはほとんど例外なく安全性との引き換えだ・・と、消費者自身が認識すべきである。良質であっても高い食品は家計には負担である。そこで安さを求めて節約することは間違いなくあとで何倍にもの医療費となって返ってくる。健康こそが一番の節約である。安全は目に見えない。その野菜が良いのか悪いのか、その食品が安全かどうかを、もっと自分の感覚で判断したいものだ。遠い外国から何日もかけて船で運んでもまだ日本の野菜よりも安い。この価格破壊が日本の農業を壊してしまった。(写真、コスモスは秋桜で秋の花? 畑の周りではもう咲きはじめている、猛暑の影響か?、でもコスモスは日が短くなってくると開花する花である)  
Posted by hhirano20 at 18:02

2018年08月29日

「皮膚は体の中の鏡」。高齢者の肌を見ると体の老化具合が推測可能である

図1図2図3図4老人施設では超高齢者の診察でいつも思うことがある。90歳を超えてもなお体も脳も元気で若々しい人が少数ながらいる。それらには女性も男性も共通した所見がある。彼らが若々しく見えるのは肌がその理由である。色白(老人焼けがない)で艶があって血色がいい。皮膚が薄くて皮下の毛細血管が透けてみえる。シミやシワや色素沈着や皮膚の肥厚がほとんど目立たない。「皮膚は体の中の鏡」だと学生時代に皮膚科の講義で習ったことを思い出した。肌がいつまでも若々しいのは内臓も老化が進んでいないのだろう・・。アンチエイジングでは「ミトコンドリア」の老化防止や若返りが盛んに研究されている。加齢とともに細胞内の小器官であるミトコンドリアも老化して数が減り質の悪い(機能の低下した)ものが多くなる。質の悪いミトコンドリアは酸素からエネルギー(ATP)をつくるよりも過剰な活性酸素を産生して皮膚をはじめ内臓のタンパク質を障害(組織が劣化)する。ミトコンドリアの数が減るとエネルギー(ATP)産生量が減り、日常は「省エネ」暮らしを無意識のうちの行うようになり運動量が減り家の中での引き篭もり現象の主因となる。質の悪いミトコンドリアは活性酸素の産生で老化現象を確実に進める。いずれにしても「健康長寿」は望めない。ところで私たちの持っているミトコンドリアDNAはすべて母親から引き継がれたものである。父親由来のミトコンドリアは受精のときに壊されてしまう。長寿の母親から生まれた子は長寿、でも父親が長寿でもあまり子の寿命には関係しない。でも代々引き継いできた母親のミトコンドリア遺伝子は変異していく。その変異に直接関係するのは「運動量」と「食べる量」。運動ではミトコンドリアを活性化してATPを量産する。空腹(食べる量が減る)でエネルギー不足になると質の悪いミトコンドリアは死滅して、次に運動して食事をするとミトコンドリアが新生される(超高齢者でも)。「プチ断食」「週末断食」が推奨されているが、これまでの「腹八分」とは同じ効果であろう。動かないのに食い過ぎるのはミトコンドリアを怠けさせ退化させるだけである。ミトコンドリアを目覚めさせるためにも時々「一日2食」の食習慣にしてみようか・・。(写真;体は60兆個の細胞の塊であり、各細胞には数千個のミトコンドリアが存在し、ATP産生の発電所となっている、最下の写真は左が高齢者の骨格筋で右が若者、黒い点々がミトコンドリアであるが、高齢者その数がまばらで筋肉繊維も断裂している、でも運動で若者並みの筋肉組織に戻れることを研究した)   
Posted by hhirano20 at 20:12

2018年08月27日

長患いは病院や施設で、逝くのは家での「自然死」が理想的だと思うが・・・

P1000703P1040088P1040082P1040081祖母(父の母親)は家で長患いし在宅での「自然死」であった。終戦まもなくの幼い頃のことなので、記憶は朧気であるが床の間のある家で一番広い8畳間で何年も何年も闘病して布団の上で大往生した。母親は「看病のためにこの家に嫁いできたようなものだ・・」とつぶやくことがあった。確か胃がんの末期で近くの開業医がときどき往診に来て診てくれていた。寝たきりになってからは、母親はオシメ交換も清拭もシーツ交換も当然の仕事として女手一つで介護していた。点滴などすることはなく、口から栄養が取れなくなるとお粥(重湯)とかリンゴやナシをおろし器で擦ったものを最後まで「口から食べさせよう」と懸命に努力していた。明け方(自然死は潮の引く時間が多い・・)子供や孫、親戚や向こう三軒両隣の隣人、8畳の部屋に入りきらないほどの大勢に見守られて静かに息を引き取った(癌死ではなく老衰死である)。家人のだれ一人死体にしがみついて泣き崩れることはなかった(その当時、死とはいつかは誰にも来る生理現象だと思っていたからであろう)。母親は寝床や部屋を小綺麗にしてかかりつけ医に電話した。自転車を漕いでやってきた老医は往診カバンから聴診器を取り出してそれを胸に当て死亡時刻を告げた。医者が引き取ると顔に白い布をかぶせ枕を北に向けた。それから町内の隣人が大勢集まり、家でのお通夜とお葬式の準備が夜通し行われた。なぜか集まった男衆は酒を飲んで談笑し、子供たちは大騒ぎではしゃぎ回っていた。死は決して悲しい出来事だけではないのだと思った。『最期は家で?病院で?施設で?』。今どきの高齢者はどうだろう・・。長患いは病院や施設で、逝くのは家での「自然死」が理想的だと思うが・・現実は極めて厳しい。そのためには妻が夫を看取るか嫁が義父母を看取るか・・だけ?。いくら医師の訪問診療や訪問看護婦が頑張っても看取ってくれる家族の存在が必須だからである。(写真;家の近くの河川敷での花火大会、打ち上げ花火を眺めるのは何年かぶり、夏ならば花火の音だけを聞きながら家の布団の中で静かに逝きたいものである)   
Posted by hhirano20 at 20:58

2018年08月25日

「最期は家で・・」と望む高齢者も「甘え」からくる願望なのだろうか?

P1030041P1060465P1030013IMGP0134P1010923幼い孫たちは熱が出たりして具合が悪くなると、突然「ママ・・ママ・・」と言って母親にしがみついて泣きじゃくる。大人になってからも恐怖、困ったとき、苦しいとき、パニックになったとき…、思わず口に出てくる言葉で「お母さ〜ん」と叫ぶことがあるだろう。人間(とくに日本人)は自分の力でどうしようもできない極限状態に陥ると、精神が子どものような状態に戻ってしまうのだろう。無意識のうちに母親は守ってくれるものと考えている(乳離れしていないのかもしれない)。戦場で兵隊が死ぬ時には「大日本帝国バンザイ」、「天皇陛下バンザイ」という人はいなかった・・と聞く。みんな『おっかさん』と叫んだそうだ。どこの国でも幼児は母親に甘えるものだ。だが、日本では幼児がいつまでも母親に甘え続けることができるのに対して、多くの国では子供たちは父親によって精神的な乳離れを強要される。戦前の日本の怖い父親。妻に対して威張っている亭主関白には父親の威厳があった? 確かに「メシ!」「フロ!」と妻に命令する亭主関白は一見すると偉そうである。しかし、妻から見れば自分一人では身の周りの世話が何もできない「大きな赤ちゃん」に過ぎないと思っていただろう。日本の子供は乳離れしていない父親の背中をみて育ったのだろう。土居健郎は『「甘え」の構造』の中で、日本文化の幼児性は「甘え」という言葉で指摘した。「家に帰りたい・・・」といつも同じ言葉を繰り返している施設入所者は多い。「最期は家で・・」と望む高齢者も「甘え」からくる願望なのだろうか? 病院や施設では他人には甘えられないからであろうか・・。(写真;沖縄よりも熱い「盛夏」がいつまでも続く、わが菜園での景色も亜熱帯の沖縄の様相を呈してきた)   
Posted by hhirano20 at 22:17

2018年08月22日

わが菜園は「クリエイティブ」な面白くてワクワクさせてくれる遊び場である

CIMG3312CIMG3317CIMG3321CIMG3323CIMG3322CIMG3318CIMG3325「わが菜園(たんなる野菜畑ではない)」は野菜生産所とか自分の居場所だけでなく、「クリエイティブ」を満足させてくれる面白くてワクワクさせてくれる遊び場である。「クリエイティブ(creative)」とは「創造性」であり、創造性豊かな老後の生き方を満たしてくれている。創造性は同じ物を造るにしても製造性とは違う。まず好奇心にもとづいてあれこれ想像し工夫する。そして何か面白いアイディアを思い浮かべるのである。そして間髪入れずに実行に移る。やりながらも、その都度工夫を加え当初の想定とは異なる結果を生み出す。他人とは違った「面白い」結果が出てはじめて「クリエイティブ」の成果を満足することになる。「クリエイティブ」を決定づける要因は2つあると考えられる。それは「質の良いアイデア」を出せるか「大量のアイデア」を出せるかでる。それに「クリエイティブ」なアイデアというのは社会、つまり他人に認めてもらうものではなければ意味がないということである。質というのは「社会的意義がある」「共感できる」「影響力がある」「感情を動かす」などが当てはまる。独りよがりのアイディアでは「クリエイティブ」にはならない。これまでの10年間で、何十回もこの菜園でノーベル賞を貰ったような喜びを感じてきた。これこそが「クリエイティブ」な生き方と言えるのだろうか・・「たかが野菜つくり、されど野菜つくり」なのである。(写真;わが菜園では野菜を主役にして土と天候と害虫との戦いを演出している、不器用さが故に子供の頃に育まれた「一休さんのとんち」が今になって役立っている)  
Posted by hhirano20 at 21:00

2018年08月19日

『最期は家で?病院で?施設で?』

CIMG3305CIMG3304CIMG3306CIMG3308『最期は家で?病院で?施設で?―老医が高齢者の医療・介護現場で働いて思うことー』。これは勝山で9月に講演をするタイトルである。リタイアしてから再び現役復帰して約3年6カ月、この間おもに後期高齢者の医療と介護に携わってきた。地域包括病院、障害者病棟、医療型療養病棟(老人病院)、特別養護老人ホーム、老人介護保健施設、グループホーム、小規模多機能施設、在宅訪問診療・・などで、腎臓病専門医や透析専門医から老人医療に鞍替えした。「明日は我が身」の思いで人生の大先輩の最期の生き方を学んでいる。90歳以上生きられる人はよほどの覚悟が必要だといつも思う。これといった病気もなく、家で自立して暮らせる老人はごくごく選ばれた人であるからだ(だから80歳代後半で逝くのが「ピンコロ」だと確信した)。介護度が上がるほど医療必要度も比例して高まる。たとえ介護施設に入所中でも誤嚥性肺炎、発熱、転倒、脱水など高齢者の特有な病気を併発して、その都度病院で入院加療を受けて施設に帰るが介護度がますます悪化する。高齢者は急性期の病気で入院した場合が悲惨である。急性期、リハビリ期の病院では症状回復とともに退院させられる。地域包括病院がその引き受け施設となるが、ここも60日超えると他の施設や医療療養病棟(老人病院)に移らされる。老人病院でも社会的入院は許されず一定以上の医療が必要な病人だけが入院を許可される。でもどこも満室でまず入れない(いずれ政府は廃止する予定)。老人介護施設は病院と家庭の中間施設でありここもどんどん(最長3カ月)家に帰される。特養は介護度3以上(実際には4以上)が必要であるが、どこも数か月待ちで最近は胃瘻や吸痰患者さんは入れてもらえない施設が多い。それに医療度も高いのでしょっちゅう病院での入退院のくりかえしになる。残されたのは有料老人ホームだが他の老人施設に比べたら費用が高くなる(最低でひと月16万円ほど)。こう考えると政府が指導している在宅療養が欠かせなくなる。でもこれこそ現在の家庭環境からすると最も難しいが、我が家が超高齢者にとって一番の安住の場所であることには間違いない。子供たちは別居だし、老老介護、家での死に慣れていない・・。老人施設で入居者を見ていて何が一番辛くなるかと言うと、外と隔離された狭い空間で毎日毎日何を楽しみに暮らすのだろうか・・と自分のことに置き換えると涙が出てしまう。それも何年も何年もそれこそ「無期懲役」である。それに病院や施設を転々とすることも気の毒だし、家族の「気配」のない異世界で暮らすことの寂しさ・・。先日嘱託医をしている施設の訪問診療の際に、ある入居者が突然話しかけてきた。「先生、注射してください!」。「腰でも痛いのなら筋肉注射しようか?」。そして耳元で囁いた「コロッといく注射を打ってください・・」。「エー・・」。彼女の気持ちが分るばっかりに・・。「辛いのだろうな・・」、これが他人ごとではない本音の話なのである。(写真;季節の変わり目は上空の雲を観察してもわかる、夏の綿菓子のような真っ白なフカフカ雲の上空にはウロコ雲、上空には寒気が入ってきた証拠、日中は真夏であるが朝方はすがすがしい秋である)   
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2018年08月16日

そこそこのトンカツ屋で食べる「ロースカツ」が一番の好物である

CIMG3272CIMG3277CIMG3279CIMG3289そこそこのトンカツ屋で食べる「ロースカツ」が一番の好物である。若いころから、上京し新幹線で帰るときに東京駅地下名店街でロースカツ定食(ランチ、御膳)を食べるのが習慣になっていた。沖縄住まいの頃には「アグー」の豚肉の「ロースカツ」は絶品でますますトンカツに嵌った。その旨さは豚脂に含まれる成分であろう。だから脂身の少ないヒレカツは食べたことがない。「ロース」の肉色はやや淡く霧降りを帯びていることもあり独特のコクがある。「ヒレ」は全体にわたって肉色は赤めで肉質がきめ細かく、 脂肪が少なくあっさりした味であるため独特のコクに欠ける。どこのお店も脂身の部分が上で盤が広いほうが左である。それにロースカツは6等分に包丁を入れてある。いつも左3番目から食べはじめる。脂身と赤身の割合がいい感じで肉本来の旨さを感じる最高な部位だと思う。「鹿児島産もち豚ロース」をタレでなく「塩」で食べるのが豚肉そのものの美味しさが味わえる(中国産豚肉では濃い目のタレにどっぷり漬けて食べるのが良い)。揚げ油は綿実油、こめ油、なたね油をブレンドした「植物油100%」の油(酸化防止剤等を含まない)が豚脂の旨味を損なわないしサクサクに仕上がり胃もたれしない。生パン粉の揚がり具合はサクサクした感じになる。でもトンカツの旨さの秘訣は「蒸らし時間」であろう。175度前後の油で4分位揚げてじっくり油を切りながら3分間蒸らす。ジューシーで噛んだときにとろ〜り肉汁が出てくる美味しいトンカツに仕上がる。行きつけのトンカツ屋の定食はキャベツの千切りを大盛り2杯、味噌汁と漬物、それに麦とろ飯(小)が出される(トンカツ以外はお代わり自由)。主食:主菜:野菜=1:1:3のバランスにも気に入った。(写真;立秋が過ぎ盆も終われば猛暑が続いていても秋だろう・・と、作物は収穫の秋の準備を進めていた)  
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2018年08月14日

猛暑日と熱帯夜が延々と続く、異常気象を恨んでばかりでは能がない

CIMG3292CIMG3296CIMG3298CIMG3301猛暑日と熱帯夜が延々と続く。「もういい加減にしてよ」と今日もギラギラと輝く太陽に向かって叫びたくなる。気象予報士は「何十年に一度の異常気象」だと命に危険な高温情報を出す。要するに雨が全然降らないのと風が全く吹かないために熱気が一日中地上近くでとどまっている・・だけである。わずかな風と少しの雨が欲しい(畑の野菜のためにも)。この熱帯夜で夜の熟睡ができていない。睡眠中のクーラーは嫌いである(日中や車の中ではそうでもないのだが)。音が気になることもあるが、機械的に冷やされるのが嫌いというよりも怖いのである。冷やされ過ぎて冷凍人間になってしまう・・そんな不吉な予感がするのである。その理由は簡単である。成人になるまでクーラーなどの人工冷却器はなく、最初の器械が出始めた頃には冷えすぎて体調を壊す人が多かった。沖縄暮らしの熟夏では日中の最高気温が33℃、夜間は30℃の連日の熱帯夜であった。でも家ではクーラーを一度も使用せずに暮らせた。海洋式気候で一日中四方から海風が大型扇風機のように涼ませてくれたからである。さらに4年も暮らすと体は高温に順応して約5℃体感温度は低下した(逆に冬は5℃くらい上昇した)。これからは異常気象を恨んでばかりでは能がない。本日は日の出から日暮れまで太陽と行動を共にして暑さ訓練をはじめた。わが菜園には樹木が多く日陰場所も多いが、ハンモックでの3時間の昼寝は汗が吹き出して焦げつきそうな暑さに耐えた。来年以降に予想される想定外の夏の猛暑に備えて・・である。(写真;昨日は蒜山に歩きに出かけた、標高500mの高原といえども35℃の猛暑は平地と同じ、30kmの自転車道を一周歩く予定であったが10Kmほどで逃げ帰った)  
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2018年08月12日

「オハツ3日盆3日]、お盆休みになり散髪した

P1040067CIMG0351P1000870CIMG0317PC300107病院もお盆休みで4連休、さっそくひと月半ぶりに散髪をした。子どもの頃「オハツ3日盆3日」といって、散髪したての子供の頭を三回軽くたたく習わしがあった。散髪後3日分をまとめてたたくのであろう。この歳になっても床屋さんに行った翌日には、職場で「散髪されたのですね・・」と声をかけられ新たな日常の始まりのような気分になる。オハツは「オハツにお目にかかります」のお初だが散髪はなぜ3日なのだろう。散髪顔にも3日もすれば他人が見慣れるからだろう。沖縄のお盆は旧暦の七月十三日から十五日までの三日間。初日はご先祖様を迎える「ウンケー」、二日目は三日間の真ん中として「ナカビ(中日)」、最終日はご先祖様をお見送りする「ウークイ」と言う。「ウークイ」では三日間家(の仏壇)に遊び(?)に来たご先祖様(何百年もさかのぼって)が帰られる日で、家族親族の皆さんがお見送りする日である。旧歴のお盆満月である。夕方には皆が集まりご馳走が作られ送別パーティーが行われる。夜が更けて適当な頃合いを見計らって、家長(長男)が厳かに粛々と最後のお別れの挨拶を述べてセレモニーが行われる。なるべく夜遅くお別れするのが良いとされている。夕方早々に行うのは追い払うようだということか。最後のセレモニーまで酒はほどほどにして酔っぱらってしまってはいけない。だから家長は先祖様と存命者に気を使いながら判断する。やおら家長が仏壇の前に座って切り出す。「ご先祖様にはいつまでもお元気で、また来年お会いでききますことを楽しみにしています」。その後玄関を出て門まで行き、そこで仏壇のお供え物をお土産として渡し、小遣いまで渡す(にせ札)。家や玄関の電灯はつけたままで満月の月明かり中をお見送りするのである。その後、夜通し盆踊り(エイサー)が始まりお見送りに花を添える。このように沖縄のお盆は一つの文化である。(写真;沖縄のエイサー、その迫力とスマートさに興奮する、大太鼓をもって三線と沖縄民謡に合わせて全身を使って軽快に踊る、三線と太鼓の絶妙な音のハーモニーがたまらない、女性は手踊りで子供も一人前に踊れる、職場の忘年会では毎年踊った)   
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2018年08月10日

沖縄流ゴーヤーチャンプルの調理法

P1010474P103001401murubusi03e5a0be5ba65ae163ef691d6edabc5ad2沖縄ではゴーヤ−は昔から薬用野菜として知られている。中国では高血圧や糖尿病の治療としての効能が知られていることや、ビタミンCが抜群に多く加熱による損失が少ない。果肉や種子から多くの生理活性物質(サポニン、チャランチン、モモデシン、アデニン、シトルリンなど)が確認されている。これらの物質は血糖降下作用、抗酸化作用、抗ガン作用など多様な薬理作用が解明されている。中国語では苦瓜をクーグヮと発音する。中国から伝来したゴーヤーの語源はここからきている。ゴーヤーは沖縄独自のものではないが沖縄独特のブランドとして大事に育てられてきた。沖縄では、かってウリミバエという害虫がウリ科にとりつき出荷ができなくなったことがある。ウリミバエは南の島々から沖縄本島へと上陸し、次第に北上していった。沖縄復帰後にウリミバエが奄美諸島、九州、本州と侵していけば日本の野菜は全滅する恐れもあった。そこで害虫駆除のプロジェクトが組まれた(NHK「プロジェクトX」にも取り上げられた)。不妊処置を施した雄を放し交尾しても次世代が生まれないようにしたのである。この一大プロジェクトには総費約170億円、放された不妊虫は約530億匹、関わった人は延べ32万人で21年を要した。そこで地元産のゴーヤを研究し新種の「群星(むるぶし)」が作り出された(1992年)。「むるぶし」の原種は沖縄県農業試験場で管理し種は外部に出さない。この1992年が沖縄ゴーヤーの元年でこれまで完全にブランドの流失を防いでいる。沖縄ブランドのゴーヤーのオリジナルのゴーヤーチャンプルの調理法を紹介する。木綿豆腐は布巾で包み水切り。縦半分に切り種を取り除いたゴーヤーは2−4ミリ程度の輪切りに。水にさらすか塩もみして苦みを取り除く。フライパンにごま油を熱して適当にちぎった豆腐を強火で炒める。キツネ色に焼き色がついたら豆腐を取り出す。適当の大きさに切った豚肉(ゆでた三枚肉)を炒めて、火が通ってきたら水けをきったゴーヤーと他の野菜類を加えてさらに炒める。野菜に火が通ったら炒めた豆腐を戻す。溶き卵を加え、塩、しょうゆで」味を調え、仕上げに削り節を加えて全体を軽く和える。(写真;わが畑では「アバシゴーヤー(沖縄ゴーヤーとして売られているが・・)」を栽培しているが、沖縄ブランド産「むるぶし」と似ているようで似ていない、味も旨味も違う)  
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2018年08月07日

ヤマト式と沖縄式の「もてなし」の違いは何だろうか

CIMG3263CIMG3264CIMG3266CIMG3268CIMG3271沖縄の病院でも訪問診療をしていた。どこの訪問先の家でも「まんま食ってけ・・」と、家人が昼食の支度をしてもてなしてくれたものである。「イチャリバチョウデー(逢えば兄弟)」はウチナンチューの満ちあふれたもてなしの心をあらわしたものである。しかし手紙やメールの礼状の返事は返ってこないし年賀状もなしのつぶてである。ヤマト式と沖縄式のもてなしの違いは何だろうか。「島にいらっしゃっていろいろご案内するでしょう。帰ってすぐお礼状が来ると、いやーな気がしますね。礼状をすぐ出すなど水臭いことをしてくれるな・・、あなたがまた沖縄に楽しんくれれば私はそれでよいの」とよく言われた。たぶんウチナンチューのもてなしはこんな感情なのだろう。「島で受けた親切が変な借りにならないようにすぐ返そうという気分ではないか」。「私との末永く続くべき関係を断ち切ろうとしているのではないか」とも言われた。ウチナンチューの「その場限り」の歓待は簡単にいえば「触らぬ神に祟りなし」の心境なのであろう。アメリカー(アメリカ人)だろうがヤマトンチュー(日本人)だろうが、この島に実りだけもたらして早く出て行ってほしいという心情も垣間見られた。「お客さまは帰ることが前提なのだから」、せめて「その場限り」は盛り上げようという精神が沖縄人にはある。台風はお客様。暴れて風ばかり吹く台風は嫌われ、たっぷりと雨を降らせる台風は好まれるのである。実はウチナンチューは異国の人たちの高いハードル(垣根)を抱いているのである。(写真;暦ではもう立秋、猛暑の炎天下ウォーキングを開始した、道端の植物からはお盆の雰囲気が感じられた)  
Posted by hhirano20 at 20:52

2018年08月05日

老眼は視覚中枢の脳神経細胞の機能低下(老化)と連動している

CIMG3076CIMG3124CIMG3182CIMG3145外来診療の患者さんから興味ある話を聞きだした。近視で若いころか眼鏡やコンタクトレンズを使用していたが大阪の病院で「レーシック(レーザーを使用した外科的近視矯正手術)」を受けた(健康保険が適応されず30万円ほどの自己負担あり)と言う。手術はうまくいって、当然視力は回復してそれまで眼鏡を掛けなければ見えなかった遠方の景色もくっきりと見えるようになった。でも・・・。よく見え過ぎて物を見ると頭が痛くなるそうだ。周りの物体が一個一個浮き出されように見えるので車の運転では道路の前方だけに注意が集中しづらくなった。それに光線が強すぎ眩しくてサングラスをかけて運転したり日常を暮らしている。手術からもう5年余りも経ていても慣れてはこないと嘆く。その患者さんに執刀医に代わって今の状態を推測してみて話した。近視や遠視、老眼もそうであろうが、眼球だけ直してもその中枢の脳神経細胞は改善していなのではないだろうか。網膜には数億個の神経細胞がありここで光学的な映像が電気信号に変換される。この電気信号が100万本の視神経繊維によって大脳の視覚中枢(大脳皮質の左右後頭葉にある)に送られる。1本1本の視神経はいわばテレビの画像の画素にあたりその反応の強さは画素の明るさを表す。眼球の調節機能障害は網膜からの刺激を受ける脳細胞もそのように伝わり慣らされていく。目や耳などの感覚器の老化とともに脳細胞も同等に進む(1日に10万個の脳細胞が死滅している)。だから成長期すぎた人間の視覚中枢の細胞は新たな刺激に対する切り替えができないのであろう。老人性難聴の補聴器がうまく順応しないのも同じ理由か? 京都大はヒトのiPS細胞からつくった神経細胞をパーキンソン病の患者の脳に移植する臨床試験(治験)を始めると発表した。脳神経細胞のドーパミンは増えるだろうがはたしてそれに反応する受容体である筋肉細胞(振戦、固縮、姿勢反射異常、無動など)がうまく反応してくれるだろうか? 老眼は動体視力の低下など視覚中枢の脳神経細胞の機能低下と連動して発生する老化現象なのだと思った。(写真;猛暑が続くと沖縄の食事が再び思い出される、イカ墨は夏バテ防止に効果がありソーキそばの汁も真っ黒け、塩分補給にはキュウリの一夜漬けが半端でない量が出される、カキ氷はトロピカルフルーツが盛りだくさん)   
Posted by hhirano20 at 17:47

2018年08月01日

猛暑日、「内にいるのも地獄」「外にいるのも地獄」の日暮しである

CIMG3257CIMG3246CIMG3258猛暑日と熱帯夜は続く。日中の「外暮らし」には「しんどさ」を覚えるようになった。暑さを感じないのは早朝散歩中の6時まで。お日様が昇りはじめると気温は30℃を越え、強い陽射しが肌を焼き熱風を吸うのが息苦しく感じる。でも室内でクーラーに当たるのは苦手である。あの不自然な機械的な冷たさには身体はどうしても耐えられない。だから夏の時期は「内にいる」のも地獄「外にいる」のも地獄の日暮しである。日中はとても畑仕事にはならない。熱風では日陰に吊るしたハンモッグの昼寝も寝つけないし、美味しい水分摂取で腹はふくれてしまい、昼の弁当ではパクついて食べる食欲は減退した。昼間に体を動かしていないと熱帯夜の寝床では寝つきが悪い。朝夕の畑の水やりは野菜にとつては命綱。夕方まで畑でじっとしているよりも歩きまわっていたほうが凌ぎやすい。歩くことで風を呼び込み、皮膚の発汗機能を活発にして生体クーラーの強さを「最強」にする。「困った時にこそいいアイディアが浮かぶ」で、菜園近くの山林に3本の農道を見つけ木陰の中を歩くことにした。山林を絶やさず歩ける夏の散歩コースは約20Kmにもなる。木陰の中を歩くと春や秋に山道を歩くのと気分は変わらない。こんな真夏の日常の暮らしでは「生きること」は大変なのだとつくづく思わされる。沖縄で聞いた「命同宝(ヌチドゥタカラ)」を思い出した。一番大事なのは「命」、それは「生きること」なんだと。人は経済的に恵まれてくると「生きること」、「命」ってものが台無しになっていく。資本主義の理論では「銭同宝(ゼニドゥタカラ)」で、結局は金と命は同等になる。これから今の価値観のままで行ったらわが国のお先はいったいどうなるのだろうか。目の前の金のことよりも人間がいかに生きていくかを優先して考えていかなければならない。たいていの人は金があれば生きられると思いこんでいる。でも昨今の自然災害のごとく、自然が破壊されたり猛威を震いだしたたちまち人間は生きられないのに。自然は豊かさと命を育くむ。自然の力に較べたら人間の力は卑小である。日本人は昔から自然を畏れ、敬い、共生を図ってきた。人間が何でもできると思うのは間違いで自然にも頭を下げる謙虚さが大事であろう。(写真;東京に住む孫も加わり久しぶりに家庭も賑わう、でもこう暑くては外に遊びに出れない、女房は料理を作る気力も失せ連日の外食となっている)   
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2018年07月29日

「豊かさ」の基準があるとすれば、それは表情のあり方かもしれない

カンボcbe4484f49df2048県北では人口減少のため病院でも企業でも人手不足は深刻な問題である。勝山でも東南アジアの若者が「技能訓練」の名目で、介護施設では介護士として生産工場では技術者として働いている。嘱託医として訪問診療に通う「老健」ではインドネシアの若い女性と一緒に働き生産工場で働くベトナム人を企業健診で診ている。東南アジアの若者は爽やかで、きれいな素顔にはいつも魅了される。わが日本人の若者もかってはそうだったのに・・。「文明人」と呼ばれる人類はもはや野生の動物ではなく、いわば「家畜」と同じ存在になっている。人類学ではそれを「自己家畜化現象」というそうだ。自然淘汰から大幅に解放され、科学技術の発達によって寿命が延びた今日のわれわれを象徴している。自ら作った社会制度や文化的環境によって飼い慣らされ、それに適応して自らを変えてきた人類は「家畜」の一種と見なされるのである。快適な生活を求めて作り上げた文明社会によって、人類は生物としての耐性を衰弱させられていく。ひとたび「家畜」となった動物は、自然に戻しても生きていけないことが多い。人類の基本的な生命機能は「恒常性の維持」である。皮膚から内側の生体環境(内部環境)は、その外側の環境(外部環境)変化に敏感に反応し、内部環境を常に同じ状態に維持している。老化とは「環境変化に適応する能力の低下」と定義される。つまり、これら生体の恒常性を維持している神経系、内分泌系、免疫系の機能が低下することである。便利さを求め、自然との調和・共存 をないがしろにしてきた「家畜」人類も同様であろう。実は、恒常性を維持するための神経系、内分泌系、免疫系の働きが身体の「生きる」反応であり、証でもある。この反応が肉体的にも精神的にも、いきいきした状態を作り出すのである。だから、この反応こそが人の感じる「豊かさ」の身体機能だと思う。「貧しい」とか「汚い」などと思われている東南アジアの子供たちの「豊かさ」と、恵まれた日本の子供たちと対比して(かってのバックパッカを旅して)みてそう思った。東南アジアではどの子も実に明るく陽気である。きりりと締まった表情には、日本の子供たちにはみられない「生きている証拠」が見られた。「豊かさ」の基準があるとすれば、それは一人ひとりの表情のあり方かもしれない。その表情は、恒常性を維持する神経・内分泌・免疫機能を表現しているとも考えた。(写真;かって旅したカンボジアで遊ぶ子供たち、田んぼの小川で水遊びをするカンボジア子供たち、汚れた水の中での遊びでは「恒常性の維持」が最大限に機能している、「生きている証拠」がいきいきした表情になるのだろうか)   
Posted by hhirano20 at 21:37

2018年07月26日

「熱中症」対策、この暑さに慣れ鍛えなければならないはずである

CIMG3219CIMG3226CIMG3236CIMG3228岡山では大雨洪水警報に引きつづき生命の危険がある「高温警報」が連日出されている。勝山の病院でも多くの「熱中症」の患者さんを連日診察している。増え続ける熱中症患者の報道の際にアナウンサーや気象予報士は口癖のように訴えている。「こまめな水分補給をしてください」、「適切に冷房を利用してください」「不急不要な外出はしないでください」など・・。これでは年々夏の暑さに弱くなり熱中症患者が増え続けていくのだろう。とくに家に閉じこもりがちな高齢者は真夏には家に根が生えてしまいそう。真夏のこの時期にこそ来年以降の「熱中症」の防止対策をしなければならない・・と思うのだが。ヒトの体温は正常時には摂氏37℃前後の比較的狭い範囲内で調節維持されている。体温が一定の範囲から逸脱すると体温調節機構は正常に機能しなくなり、極度になると生命に危険が及ぶこともある(体温が42℃以上にまで上昇すると死亡率は80%以上となり25〜27℃にまで下降すると心室細動を起こして死に至る)。外気温の変化には体内温度の恒常性機能が機敏に作動する・・はずなのに。外気温が上昇するとまず作動するのは「皮膚温を下げる」ことである。実は皮膚の表面温度は通常は35℃以下である(深部体温が37℃前後)。発汗の前に「不感蒸泄(発汗以外の皮膚および呼気からの水分喪失、常温安静時には1日に約900ml、発熱時には2000mlにまで及ぶ)」を増やすために皮下の水分量が増える(むくみ)。気化熱を皮膚から奪い皮膚温を下げ外気温よりも温度を下げて高温が体内に移行するのを防ぐ。だから35℃の外気温では恒温は維持できる。35℃以上になると温熱発汗がはじまり効率よく気化熱の作用で皮膚温を上げないようにする。この際にふだんの汗腺の機能が影響してくる。37℃以上(深部体温より高くなる)と最後の手段として熱くなった体液を皮膚からくみ出す。熱い汗が流れるように出てくると大量の水分が短期間に失われるので脱水(血管内脱水)症状が出現する。血圧低下に伴う全身の症状で、体や頭がふらふらする、吐き気がする、足がつる、頭が痛い。さらに脱水の程度が強まると尿量が減り急性腎不全と状態になる。とくに動脈硬化や降圧剤を服用している老人はより血圧が下がりすぎて心臓や脳の致命的な状態になる危険性が高い。このような高温に対する恒常性を阻害するのは冷房に慣らされた温度恒常性機能なのである。暑さに慣れ鍛えなければならないはずである。(写真;娘のところの孫は早々に盆帰省してきたが、熱中症対策でクーラーが効いた室内遊びばかりでつまらなそうである、家の中で皆さんはどのように過ごしているのだろうか・・)  
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2018年07月22日

沖縄で一緒に過ごした人々との再会でウチナンチュウの豊かさの理由を知った

CIMG3100CIMG3095CIMG3091CIMG3094CIMG3089CIMG3080CIMG3112沖縄の人のイチャリバチョーデー(一度出会えば皆兄弟)の気持ちには、これまで忘れていた他人への親しさや思いやりの心を発見した。ナンクルナイサー(なんとかなるさ)の精神には、困ったときに救われる思いがする。このような沖縄の人々の人懐こくゆるやかな心に触れると、ピリピリとガチガチに固まっていた心と体がゆるゆると和らいでいく。自分一人で肩に力を入れずに、自然の流れにまかせようではないか。これが沖縄流の生き方なのだろう。沖縄の人々の魂には、情に厚く互いを信頼し助けあうユイマールの精神が根づいている。ユイは結い、結がることを意味する。家族の結びつき、一族の結びつき、地域社会との結びつき・・・。沖縄ではこうした何かの縁で結ばれた関係をとても大切にする。一方で、「沖縄時間」に代表されるように、沖縄の人々にはいい加減さという欠点もある。これと並んでよく使われる言葉にテーゲー主義がある。テーゲーとはおおまかとい意味で、完璧でなくてもいいじゃないかという精神である。沖縄の人々がスローテンポなのは、時間という概念に縛られずに自然と共に生きてきたからであろう。太陽の昇り沈みが沖縄の人々の一日の時間を決めるのだろう。沖縄で一緒に過ごした人々との再会で改めてウチナンチュウの豊かさの理由を知った。(写真;やんばるにある大好きな海洋博公園にはまず最初に足を運ぶ、美ら海水族館のイルカショーはレベルが高い、東洋一の亜熱帯植物園では各種のランが咲き誇り、エメラルドビーチの海水浴場は天国で入浴しているようだ、入場者の三分の二は中国・台湾人で日本人の居場所が狭くなってしまっていた)  
Posted by hhirano20 at 21:25

2018年07月20日

沖縄居酒屋(沖縄民謡酒場)で食事をするのが楽しみの一つである

CIMG3125CIMG3127CIMG3129CIMG3131CIMG3185沖縄の旅では安宿に素泊まりし、夜は宿の近くの沖縄居酒屋(沖縄民謡酒場)で食事(酒は飲まないの)をするのが楽しみの一つである。本土流のレストランとか食堂には足が向かない。沖縄居酒屋ではお酒は泡盛でビールはオリオン、そして出される料理はマニアックなものが多い。沖縄料理の基本は食材はまるごと使うことである。例えば豚。まともな肉だけでなく豚足(テビチ)、耳(ミミンガー)、内臓(ナカミ)、顔(チラガー)、血液(チ−イリチ)、軟骨(軟骨ソーキ)、骨」(本ソーキ)・・、鳴き声以外は全て調理して食べるのである。イカの真っ黒な墨も色んな料理に使われる。イカ墨沖縄そばが美味しかった。でもしばらくはビックリするほどの黒色便を覚悟しなければない。沖縄の魚は種類が豊富。マグロやカツオも近海で水揚げされものを冷凍前に刺身にして食べると一層美味である。沖縄の魚屋は「サシミ屋」と呼ばれる。ショウウインドーには何種類もの魚がさばかれパックにされて陳列されている。ワサビ醤油だけでなく酢味噌などの味噌でも和えて食べることが多い。一匹物の色とりどりの魚も沢山並べられている。煮たり揚げたり焼いたりするよりも、魚汁(塩)、カニ汁、味噌汁などにして食べることが多い。チャンプルー(混ぜこじゃの意味)も沖縄料理の特徴である。ゴーヤチャンプルーだけでなく素麺チャンプルー、麩チャンプルー、豆腐チャンプルー・・麺類も肉も野菜も様々な食材が炒められる。タコライスも名物。皿に盛られたライスの上に刻みキャベツガが載り、さらにその上に炒めたミンチ肉が被いタコスで調味される。ヨモギもヘチマも食用として畑で栽培され、島ラッキョウもモズクも天ぷらが美味しい。沖縄家庭での晴れの日の一番のご馳走は昔から「ポーク卵」である。沖縄で「ポーク」とは「ポークランチョンミート」の缶詰のこと。フライパンで焼いたポークランチョンミートに卵焼きのごくシンプルなおふくろ料理である。(写真;沖縄居酒屋で食べたマニアック料理、美味しい料理は食材ではなく腕で決まる、いや腕よりも頭が必要であるといつも居酒屋で思うのである)   
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2018年07月18日

盛夏での沖縄の風物詩の一つ「舞香花(もーかばな)」に会えた

CIMG3202CIMG3203CIMG3206CIMG3200P1000708盛夏での沖縄の風物詩の一つに「舞香花(もーかばな)、別名サガリバナ、サワフジ」の鑑賞がある。日本では奄美大島以南の南西諸島の汽水域にだけ見られ、沖縄では名護市眞喜屋の集落内を流れる水路のふちに生育する。市指定天然記念物で樹木の高さはわが国最大級のものだと言われている。葉の間から長さ50〜70僂諒羮の花序をたらし、たくさんの薄いピンクや濃いピンクの花をつける。花序は長いもので1mを超え夏の開花時期には独特の香り(ジャスミンとかバラとか線香の香りとか・・)をかもしだし、夕方より咲き始める花は幽玄で見るものを圧倒させる。夕暮れ時から開花し朝には散ってしまう一夜限りの花で、「なご真喜屋舞香花会」が毎年この時期にライトアップし真喜屋の「舞香花」を一目見ようと訪れる人々を楽しませている。舞香花は芳香を漂よわせて舞うように花を落とし散った姿もまた艶やか…という美しい花である。この夏にも夜の濃厚な香りに誘われて再会できた。(写真:名護市眞喜屋の集落内を流れる水路のふちに生育する「舞香花」、亜熱帯の夜を彩る花には蜜の好きな蛾やコウモリが受粉を手伝ってくれる)  
Posted by hhirano20 at 18:52

2018年07月16日

亜熱帯にある沖縄は夏真っ盛り(盛夏という)で海は輝いていた

CIMG3151CIMG3187CIMG3173CIMG3190CIMG3192亜熱帯にある沖縄は夏真っ盛り(盛夏という)、こちらもアブラゼミがけたたましく鳴いている。真夏の太陽は頭のすぐてっぺんで光り輝き直射日光は熱いよりも痛い。その強い光に照らされたエメラルドグリーンやコバルトブルーの海や真っ青な空や綿のごとく白い雲や森の濃い緑、それに赤や白の家屋が総天然色で輝いている。輝いていないのは日光を極端に防御している人間だけである。信じてもらえないだろうが日中の気温は33度以上には上がらない(那覇のホテルでは34度以上の気温の日は宿泊代がタダになると聞いた)。その理由は簡単である。海に浮かぶこの小さな島は東シナ海からも太平洋からも一日中やや強めの海風が吹いているからである。言うなれば大型扇風機に囲まれているのである。だから日陰に入ると真夏日でも快適に過ごせる。「沖縄病」に罹ったのはこの沖縄の夏に嵌ったからである。沖縄には四季がなく夏(若夏、盛夏、熟夏)と冬だけである。自動販売機の清涼飲料水は「さんぴん茶(ジャスミン茶)」がのど越しよく沖縄の自動販売機で一番に飲まれている。マンゴー、ドラゴンフルーツ、パッションフルーツ、島パイン、島バナナ、などのトロピカルな果物が実に美味しい。倉敷の夏ではこのようなフルーツやジャスミン茶をさほどほしいとも思わないのに・・。どうやらわが身体はトロピカルフルーツのごとく強い太陽の光と明るさを欲しているようだ。(写真;海の日の沖縄の「美ら海」、海の色が輝くためには、海の底の砂地が白く、水が透明で、それに強い太陽光の反射が必要である)  
Posted by hhirano20 at 21:36

2018年07月15日

4年間移住していた沖縄は単なる観光旅行ではない

CIMG3068CIMG3071CIMG3069CIMG3066CIMG3064CIMG3058今朝早く、岡山空港から沖縄に旅立った。本土では見ることのできない美しく澄んだ海、サンゴ、真っ青な空、白い砂浜、強い日差し、のんびりと流れる時間。すべてが非現実的だという沖縄の観光。でも4年間移住した沖縄は単なる観光旅行ではない。現役最後に医師としてやり残した仕事をやり遂げ、二番煎じの仕事はしないと決心して沖縄を去り医師も引退した。沖縄の美しい自然とウチナンチュウ(沖縄人)の豊かさに接して第二の人(セカンドライフ)の生き方を学んだ。それは「たのしく生きる」という当たりの前の暮らし方であった。そのためには「自分らしく生きる」ことと「楽しくないことはしない」の二つであった。沖縄の病院で「良いこと」も「貢献」も沢山してきた。一方で迷惑をかけたり困らせたりしてスタッフの人々には多大の被害も与えただろう。医療の失敗も無かったとはいえない。でも一生懸命やった実績は認められたのだろう・・本土の人に対しての垣根の高いウチナンチュウーとは良い友達(仲間)ができた。そんな思いで暮らした沖縄の「やんばる(沖縄北部地方)」、どこの海も空も山も道もお店(金秀、サンA、メイクマン、さくもとなどのローカルなスーパーやホームセンター)も、そこには4年間のわが「生き様」が色濃く刻まれている。沖縄は人生で一番輝いていた自分探しの旅なのである。残された最後の人生の生き方のリセットの旅でもある。(写真:沖縄が近づくといても立ってもおられず、機上から窓ガラスに顔を擦りつけて「第二の故郷」を眺めていた、やんばる、那覇などの中部、南部、伊江島、水納島・・、どこも10年ひと昔が今のごとく思い出された)  
Posted by hhirano20 at 22:45

2018年07月13日

日曜日から『沖縄やんばる』に「山籠もり」に出かける

P1030058P1010923P1000171P1000708パソコンの世界では「リセット」は初期化、「リフレッシュ」は不要ファイルの削除を言うらしい。人の世界でもときどき行方をくらませたいと思うことがあるだろう。何の意味もなく「山籠もり」したくなる。仕事や畑に忙殺されている自分を見つめ直し、「リセット」するために忙しい中敢えて「山籠もり」を行っている。仕事から離れ自分の原点(コア)を見つめるため自宅や職場を離れ「個人合宿」を行っていた。日常の中では自分自身を「内観」することはなかなか難しい。人間は、常に様々な人との関係の中で役割を演じながら生きている。例えば、父親としての自分。旦那としての自分。医師としての自分。友人としての自分。息子としての自分・・・・・・。そうして生きていると、ふと一個人として一人間としての自分を見失う時がある。その時は自分自身を取り戻すためにしっかりと自分と向き合うことが必要である。そうやって人間はバランスを取りながら前に進んでいくものなのだろう。前置きが長くなったが、日曜日からわが人生の後半の故郷『沖縄やんばる』に「山籠もり」に出かける。(写真;代表的な沖縄の花、月桃、ハイビスカス、デイゴ、サガリバナ・・・、これらの花にリフレッシュされながら新たな老後の生き方をリセットしたい)  
Posted by hhirano20 at 22:10

2018年07月11日

老人の笑顔が失われ「心の死」があることに気がついた

CIMG3054CIMG3053CIMG3051CIMG3048CIMG3047♪今はこんなに悲しくて涙も涸れ果てて もう二度と笑顔にはなれそうもないけれど そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ あんな時代もあったねと きっと笑ってはなせるわ・・・♪中島みゆきの「時代」の歌詞の一節である。若いうちはどんなつらいことがあっても、それは時間が風化してくれる。免疫力をもった人の復元力のお陰であろうか。一方、朝の散歩道で出会う老人も電車で同乗する老人も菜園で出会う老人も、年を重ねるとともに笑顔が消えていく。老人はいつか再び笑顔にはなれないのだろうか。老人でも若者のように「切れる」時期があり、スーパーでも銀行でも病院でもホームセンターでも、困った「モンスター」で嫌がられる。そのあとはつまらなよそうな顔つきが普段顔になる。会話をしていても口元を緩めて、目がたるむことも少ない。これは決して怒っていたり、悩んでいて仏頂つらをしているのではない。そして顔の筋肉が硬縮したためでもない。そう、心の感性の低下が原因であろう。昔の還暦では赤いチャンチャコを着て赤ちゃんに戻る習慣があった。老齢者は子供の感性に戻るのである。現役時代の生々しい感動や感激をいつまでも望んでも仕方がない。子供時代の天真爛漫な喜びこそが老人の楽しみでもある。我がままに、誰にも気がねすることなく楽しんだらいい。その喜びこそが老人の感性に響くのである。子供の気持ちに戻って、あの時代にやりたくても出来なかったことを思い出してやったらいい。そしたらきっと笑って話せるようになれるだろう。子供時代と違って親がそれを与えてくれない。自分の感性で楽しい事を見つけ出さなければならない。人の死は脳死だとか心臓死だとか論争されるが、その前に「心の死」があることに気がついた。(写真;倉敷のわが家の団地は高台にあるので水害はなかった、でも団地の下には倉敷川、六軒川、吉岡川の小河川があふれどぶ川も道も田んぼも冠水した、わが畑も冠水することなくむしろ大雨のお蔭でショウガの芽がようやく出始めた)  
Posted by hhirano20 at 19:48

2018年07月08日

『地震雷火事おやじ』のおやじは親父ではなくて大雨であろう

CIMG3044CIMG3041CIMG3039CIMG3043CIMG3036「数十年に1度」の記録的な大雨に見舞われた西日本、各地で住宅を巻き込む土砂崩れ、多くの河川が氾濫しあふれた出た濁流で犠牲者が多く出た。災害の少ない岡山県でも「大雨特別警報」が発令され、中でも真庭市は3日にわたって大雨が降り止まなかった。幸い倉敷市の家も勝山の病院も被害は皆無であった。病院やワンルームマンションのすぐ脇には旭川の上流が流れている。川の水は流量が増え速度も増し、水の色は土色に濁り、いわゆる濁流となって音を立てて流れている。けたたましくサイレンが鳴り上流ダムから放水がはじまったことを知らせる。新幹線も在来線も止まり、高速道路は交通止めで一般道も山のがけ崩れや冠水で交通止めの箇所があちこち。停電や断水はなかったが、牛丼屋の牛肉が入荷せずスーパーではパンや鮮魚の棚が空っぽ。水木金曜日の勝山暮らし。晴れ男の朝散歩の合間は傘を差さなくても歩けた。でも金曜日は高速道路には入れず下道も冠水のため怖くて走れず、途中で引き返してもう一晩マンション泊まり。家に帰れなくなると無性に家路につきたい(畑が気になる)気持ちになる。土曜日は地道を「阿弥陀くじ」のごとく冠水道路を避けて6時間も運転してようやく家にたどり着けた。それに運悪く、日曜日朝散の途中で携帯電話がなり病院に直行。高速道路は閉鎖し一般道を再び「阿弥陀くじ」の逆をたどって勝山に3時間かけてたどり着き早速診療。午後から再び逆道を戻った。月曜日の朝こそは高速道路が走れないと午前の外来診療に差し支える。『地震雷火事おやじ』のおやじは親父ではなくて大雨であろうと思える週末の豪雨であった。(写真;大雨による川の濁流、ダム放流後の旭川上流、これまで見てきた下流の濁流とは水の恐ろしさが違っていた、水は高いところから低いところへ一直線に流れ水路といわず道といわず田んぼといわず流れ去っていく)  
Posted by hhirano20 at 21:10