2019年04月21日

沖縄通勤で心配していたことが起こっている

DSCN1052DSCN1061DSCN1053DSCN1046DSCN1042DSCN1086DSCN1047DSCN1081週末3日間は多忙であった。今、日曜夕方は沖縄のいつものホテルの部屋にいる。沖縄通勤で心配していたことが起こっているのである。先週に続き、今週も岡山空港からの沖縄便が満席で乗れない。おそらく高校生の修学旅行シーズンのためであろう。福岡空港発の月曜日朝便も空席は1席だけ。これも危ない綱渡りになるので日曜日に新幹線で博多まで行って、福岡空港12時40分発の飛行機に乗り14時30分に那覇空港に無事着いた。いつものホテルにチェックインして観光に出かけた。これまでは完全にビジネスの沖縄旅であったがはじめて観光客になれたのである。山原(やんばる)に行ける時間がないのでホテルから首里城までウォーキングした。でも相当に疲れている。自慢の健脚が思うように歩いてくれない。金・土曜日は一日畑仕事が忙しかった。完熟大玉トマト(桃太郎)の苗を60本植え、来週金曜日に植える予定の大玉スイカ60本の広い畑の畝つくり。ナス、トマト、ズッキーニー、金ウリ、パブリカ・・・、連休までにすべての夏野菜の苗植えの準備が忙しい。それに土曜日夕方からは団地の町内会総会が開催された。4丁目の町内会長として初デビューであった。老化現象が著しい町内会をどのように変革するかいろいろ提案したが…どうも独り相撲のような感じがした。どうやら建設的な意見を物申す住民はこれまで誰一人もいなかったようである。日曜日は沖縄に発つ前に、朝早く起きて畑の水やりを2時間かけて入念に行った。大分日照りが強くなってきたので留守中の水やりをどうするか思案中である。もっと心配なことがある。水曜日の岡山便が満席なのである。木曜日は倉敷の病院の外来勤務が朝から始まるのに・・・・。(写真;世界遺産の首里城、琉球王朝のお城は14世紀に創建されたが沖縄戦ですべて焼失した、新品の建物ではあるがよく復元されていた、観光客の大多数は外国人と修学旅行の学生であった)  

Posted by hhirano20 at 22:31

2019年04月18日

沖縄暮らしでは、目覚めると眼瞼が腫れぼったくスッキリした朝起きではない

P1030087P1030097P1020803P1010923P1000190P1020383P1000333沖縄では半袖シャツに薄い袖なしジャケットを羽織っている。日中の気温は28℃で蒸暑いし、そのまま気温が下がらず熱帯夜になる。太陽の直射日光は倉敷に比べると1.5倍ほどでまぶしい。空の青も、海の蒼も、雲の白も、木々の緑も、家屋の屋根の赤も・・、どの原色もキラキラ輝いている。ホテルのベッドで目覚めると眼瞼が腫れぼったく重く、スッキリした朝起きではない。鏡をみても顔が腫れぼったい。水分を多く飲むかただろうか? それともれ沖縄料理の塩分のせいだろうか? それに訪問診療中の歩行もいつもの脚力が発揮できない。何となく体調が変である。水曜夜に倉敷に戻る。気温10℃、湿度も低そうである。機内を出て夜風に当たる瞬間に体がシャキッといつもの体調に戻る。どうやら身体はいまだに倉敷の気候に恒常性が維持されたままである。翌朝、わが家の布団では目覚めがよく目元もすっきり。沖縄の看護師が言った。「先生の皮膚は柔らか型ですね」と。確かに沖縄では普段の小じわがなく柔らかく水々しい肌になっている。そこで考察してみた。倉敷の気候に慣れた身体が沖縄気候に順応する一つの手段として皮下の水分が増やしている。毛細血管から漏れ出した水を皮下に貯めて汗や不感蒸泄量(汗とは別に皮膚から水分を蒸発して体温を下げる)を増やして体温を調節しているのだろう。亜熱帯と温帯の気候の下で週の半分ずつを暮らしている。身体は相当混乱しているのだろう・・。それは身体だけではない。見るもの聞くもの、人の心も両者でまるで違う。頭も心も相当に混乱しているはずである。10年前の沖縄移住の場合では約1か月で沖縄に順応できたのだが、半々の暮らしでは今後どうなるのだろうか? 心身と脳にとってこの掛け持ち生活が吉と出るか凶と出るか・・、人体実験で結果がでるであろう。(写真;沖縄は「若夏」の時候、この「うりずん」が過ぎると梅雨入りになる、亜熱帯植物が花を咲かせてきた、島中「美ら花」に包まれてくる)  
Posted by hhirano20 at 21:34

2019年04月16日

10年前の「現役」に復帰したような沖縄での1日であった

DSCN1019DSCN1022DSCN1021DSCN1020DSCN1025DSCN1027沖縄通勤にもだいぶ慣れてきた。週末3日の畑仕事を終えると明日からの沖縄行の準備をはじめる。まず手掛かりに、パソコンで月曜日の岡山空港発の沖縄便(8時25分発10時30分着、この一便しかない)の空席状況を確認する。シルバー割引きは予約できず当日空席があった場合にだけ乗れる。通常は岡山発の月曜便は空席だらけである(空港の利用者はほとんどが観光目的なので、月曜日に沖縄に向けて出発する人は限られている)。それなのにこの月曜日は満席のパソコン表示で慌てた。月曜日は空港についてから糸満にある病院院長にあいさつし、与那原の嘱託医をしている「特養」入所者の回診。それに夕方からは「訪問診療クリニック」のオンコール業務と歓迎会の予定になっている。どうにかして少しでも早く沖縄空港に着きたい。便数の多い福岡空港でも12時30分の沖縄行きしか空席がない。その旨を沖縄に連絡し、翌朝始発の博多駅行新幹線に飛び乗った。福岡空港に9時30分に到着、さっそく搭乗券購入ロビーに行き運よく10時発便に1席空きがあった。岡山発便から30分遅れで沖縄空港にたどり着くことができた。空港まで車で迎えに来てもらいその日の「生業」は何事もなかったように終えた。翌朝、クリニック近くのコンビニ「町カフェ」での朝食中に偶然に10年ぶりに沖縄の友人に出会った。年賀状だけは交し合っていたが顔を合わせるのはあれから初めて。彼が今沖縄の何処に住んでいるかも、この度こちらが沖縄に勤務していることも、お互い知らないはずである。でも一度会いたいとずっと念じていた。10年前にタイムスリップしたようで、もう完全に「現役」復帰したような1日であった。(写真;超忙しい沖縄の日で出会った風景の数々、クリニック近くにあるガジュマルの大木、近くにも進学予備校が多く立ち並ぶ、偶然の出会いの場所の「町カフェ」・・・)  
Posted by hhirano20 at 21:47

2019年04月13日

この4月から団地4丁目の町内会長になった

DSCN0992DSCN1002DSCN1005DSCN1004DSCN1007DSCN1008DSCN1011この4月から団地4丁目(7組ある)の町内会長になった。7組の組長は順番性であるが、他の組長からたっての願いで断り切れずに受け入れた。これまで35年余りも住んでいる団地であるが、現役時代は仕事が多忙で町内の集会にも清掃活動にも参加したことがなったのに・・(代わりに家内は何回も町内会長を引き受けてきた)。週の半分は沖縄暮らしなので家内の手伝いなしには大役を務められるはずもない。さっそく引き継ぎ、銀行や郵便局に通帳の名義を変更したり、新年度の総会の準備やら町内一斉清掃の段取りなど・・・。沖縄から帰宅すると、留守中はすべて家内が用事をすませてくれていた。事務的な仕事とか各家々に回ったり・・、苦手というよりもこれまでやったことがない。明日は町内清掃の日、市役所に提出する書類作成や写真の撮影がある。「生業」や畑仕事の他に、家の事や町内の仕事も老後を生きていくためには欠かせないことだろう。家内はなぜか積極的に会長の用事をサーポートしている。将来の老夫婦だけの暮らしを考えて、頼りにならない夫にこれまでの経験をいろいろ伝授してくれている。明日の清掃にも一緒に付き添って指導するそうだ。「認知症」の発症防止には「生業」「畑仕事」に加えて、「生活力」も磨かなければならない・・ということである。(写真;わが菜園は「認知症予防」のトレーニング場のようなものである、ここは最も「自分らしく」過ごせる場所で、他人を気にせず「自我」を思いっきり発揮している、「認知症」とは「自我」をなくした後遺症だと考えるからだ)   
Posted by hhirano20 at 20:53

2019年04月11日

大好きな沖縄で、楽しい「在宅訪問診療」を、この歳になって・・有難い

CIMG3067DSCN0972DSCN0967DSCN0969DSCN0964DSCN0981大好きな沖縄で、楽しい「在宅訪問診療」を、この歳になって、飛行機で毎週海を渡る。こんな有難くて、幸せな生き方はこれまで想定もしていなかった。月曜日、朝8時25分発沖縄行の機内はさほどの混雑はない。約2時間、手ごろな読書時間には慣れた(東京に新幹線で通勤することを考えれば楽なものだ)。那覇空港からはモノレール(ゆいレール)に乗る。東京の地下鉄のごとく約5分ごとに発着する。15駅目の終点駅「首里」で下車、与那原から「特養」施設の運転手さんが迎えにきている。12時前に施設に到着し、そこで昼食をいただいて午後から入所者の診療を行う。看護師さんとはいつでも病状報告を受けられるように携帯電話で常につながれている。夕方からは那覇市にある「訪問診療クリニック」のオンコール(待機)に入る。「首里」駅手前の「儀保」駅前にホテルを借りてもらっている。その晩はクリニックの看護師からの電話連絡を待つ。駅近くには学習塾や診療所は多く立ち並ぶが飲食店やコンビニがない。モノレールで「牧志」まで行き、「国際通り」の繁華街に鼻を利かせて美味しい食べ物屋を探す。コンビニで夜食を買ってホテルに戻る。沖縄はもう真夏、気温が上がり(28℃)蒸し暑く(湿度85%)、夜中も25℃以上の熱帯夜。下着だけで(こちらのホテルは寝間着は用意されていない)何も上に覆わずに寝られる。火曜日、朝7時に「儀保」駅から「牧志」駅に降り、5分くらい歩いてクリニックに到着。看護師4人、事務員4人、医師2人の家族的な職場である。電子カルテで本日訪問する患者さんの情報を見聞きして9時から出発。看護師2人と医師1人がペアー。午前、午後それぞれ6軒ほどを訪問する。看護師さんが車の運転をするが、よくぞあの入り込んだ細い道を走れるものだと感心する。夕方5時、クリニックに帰ってから、国際通りに寄って夕食をすませてホテルへ。今夜もオンコール。沖縄ではモーニングサービスの店が見当たらないのでコンビニの「町カフェ」で朝食をすます。院長家族は何年ぶりかで故郷広島に帰省した。これまで年中無休だったが院長は、これから火曜日は休日にするそうだ、午後からの往診が終わって沖縄空港までスタッフに見送ってもらった。沖縄では「老健」でも「クリニック」でもスタッフからは暖かく迎えられた・・・、来週は歓迎会をやっていただく。(写真;那覇空港は国際空港である、格安航空機も東南アジアに向けて飛び立っている、台湾もバンコックも香港も目の先、落ち着いたら沖縄から東南アジアのバックパッカーの旅を計画したい)  
Posted by hhirano20 at 21:53

2019年04月08日

沖縄で「坂本竜馬」を知った

DSCN0927DSCN0930DSCN0934DSCN0940DSCN0936沖縄で「坂本竜馬」を知った。先日家族で旅した高知の街では竜馬一色であった。これまでも漠然と魅力を感じていた竜馬ではあったが、彼の33年間の短い人生の詳細は知らなかった。沖縄行の往復4時間、機内読書をすることとした。じっとして文字を目で追うのは苦手である。それに、高齢になってからは長い時間の根気が失せてきた。沖縄に行ける楽しみの前の試練だと思って、さっそく前日に市立図書館に行って読めそうな本を物色した。一冊目は石ノ森章太郎の「日本の歴史」第1巻と2巻。縄文時代から近代まで全部で40冊余りの長編マンガである。全巻を読み通して日本人の生き方の進化を学んでいきたい。二冊目は川北義則著「竜馬のように生きてみないか」。これは読み始めから面白くて、沖縄空港に着くまでに最後まで読み終えた。眼下に広がるエメラルドグリーンの美ら海を眺めているよりも感激した。読み終わって、彼の魅力は「清濁あわせ呑む」器の大きさだと思った。あの「行動力」は最近の若者にはないであろう。その臨機応変さにも驚く、変り身が早いのである。それに人間観察にも長けており、小さい人間、大きい人間、狭い人間、広い人間、世の中の様々な人と好き嫌いなく接して人間の幅を広げてきた。優れたアイデアマンでもあり、独創的な思考で大きな目標を達成したのである。でも竜馬は土佐の海岸から太平洋を渡っていない。この老人は海を渡って次の目標に向かって沖縄にやって来た。竜馬同様に「変人」ではなく、考え方が異質でその行動がユ二―クだけなのである。(写真;週末はナイチャーを楽しむ、本土ではどこも桜満開、桜見物は種松山の「一目千本桜」に毎年決めている、ソメイヨシノをウチナンチュウにも見せてあげたい)  
Posted by hhirano20 at 22:04

2019年04月06日

家族にとって今の「気配」が生きていくのに絶対欠かせないのだろう

DSCN0884DSCN0893DSCN0897DSCN0858勝山の病院での勤務最終日。3月28日、29日、病院近くのいつものワンルームマンションに宿泊した。二晩とも寝つかれず、朝までウトウトもせずに夜を明かした。熟睡上手なのに何事が起ったのだろう・・・。1年5カ月の病院での出来事を回顧して、嬉しかったこと腹の立ったこと、自己評価と病院スタッフの評価など・・頭の中で総括した。徹夜して記憶中枢のなかで取捨選択して、その要旨だけが記憶に残って後の「思い出」になる(大概、いい思い出だけが残る)。他人との関係は整理された「思い出」が将来につながる。家族の場合はどうであろうか? 沖縄の「在宅訪問診療」で年老いた息子と暮らす94歳のオバアが話してくれた。『家族は「気配(けはい)」でつながっている。二階で息子が咳をする音だけでいい、台所で料理する匂いだけでいい、顔を合わせなくても言葉を交わさなくても・・、家の中に家族がいる「気配」だけで安心するのです・・』と。家族にとって過去の「思い出」よりも、今の「気配」が生きていくのに絶対欠かせないのだろう。高齢者が家族と同居しない病院入院や施設入所した場合に、スタッフはこのこと(家族の「気配」をつくってやること)を意識しなければなるまい。沖縄での仕事はじめの日に、「在宅医療」の本来の意義を改めて知らされた思いがした。(写真;娘家族と高知に旅した、親と子供と孫の「気配」を改めて自覚できた家族の旅であった)  
Posted by hhirano20 at 22:46

2019年04月04日

沖縄で勤務する「在宅療法支援診療所」で訪問診療を開始した

DSCN0913DSCN0919DSCN0918DSCN0917DSCN0922高齢者や終末期(癌や神経疾患)の患者さんの『在宅医療』の本質を垣間見て、自称「訪問診療の名医」は衝撃を受けた。沖縄で勤務する「在宅療法支援診療所」、院長と看護師二人に同行して訪問診療を開始した。診療所は那覇市の中心部「安里」にあり、あの繁華街「国際通り」の入り口に付近にある。だから往診宅の医療範囲は沖縄中心街を網羅する。在宅療法では診察室は患者宅である。白衣はぬぎ捨てて普段着で患者や家族と対等に接する。広島出身の院長も「沖縄口(弁)」でオジイやオバアと悠長に冗談交じりで会話を楽しむ。診療が終われば出された茶菓子を遠慮なくいただき家族との団らんが続く。驚くことに、すべての医療行為はその在宅診察室で行うのである。気管切開のカニューラ交換、胃瘻ろう膀胱瘻のチューブ交換、関節液や腹水の穿刺、本土ではその都度病院に通い行う医療行為も在宅で・・。そのためエコー装置や心電図、内視鏡装置まで持参する。電子カルテに入力も車の運転も看護師。栄養障害と脱水、臀部の褥瘡が悪化した患者さんには栄養点滴と抗生剤の点滴を在宅で一週間行うことを指示。看護師は細い血管に手早く針を刺して、訪問看護婦に連絡して後の処置を依頼する。医者をしてから半世紀、こんな上等な医師や看護師に一度も出会ったことがなかった。野戦病院での他人に頼らない医療者がいなくなったのである。内地の訪問診療は基本的には病院医療の出前のように思えた。これまで名医を演じてきたこの俳優も衝撃を受けた。いままでの演技は何なんだったのだ? 彼女ら優秀な看護師さんに頼られる医者になれるような名医の演技を磨きたい。もう10年は必要だろう・・・。(写真;那覇市街は東京並みの都会、土地バブルで1坪200万余り、那覇空港と首里を結ぶモノレールを利用している、その中央が「牧志駅」で東京の新宿駅並みに混雑する、早く都会生活にも慣れたい)  
Posted by hhirano20 at 22:10

2019年04月02日

4月1日は「生業(なりわい)」の新年度、沖縄での仕事はじめとなった

DSCN0852DSCN0904DSCN0910DSCN09114月1日は「生業(なりわい)」の新年度。沖縄での仕事はじめとなった。いつものように5時に起床、朝食やあれこれと旅支度をして6時に家を出た。岡山空港まで車で約30分(一部高速道路)。7時半に空港に到着してから航空券を購入した。65歳以上のシルバー割引は空席があった場合にだけ当日購入でき、シーズンによって多少異なるが本日は片道15000円(正規の半額以下の値段)。毎週のお客さんだと知って、切符売り場の窓口だけでなく添乗スタッフまで愛想よく迎えてくれた。飛行時間は約2時間、東京に新幹線で通勤することを思えば安上がりである。那覇空港からモノレールに乗り終点の首里駅で下車。本日勤務する与那原の「特養」のスタッフが駅まで迎えに来てくれた。スタッフがお手製の昼食を準備してくれて歓待された。入所者70人を診て回り新しい外来カルテを作成した。夕方5時からは那覇の中心街にある往診専門クリニックの夜間オンコールの勤務がはじまる。「特養」の運転者が与那原から那覇市街まで送ってくれた。そこの院長や看護師のオリエンテーションを受け、今晩だけは呼び出されないこと祈って宿に向かった。クリニックが用意してくれたホテルはモノレール儀保駅近くあり、夜間同行する看護師の家の近くである。那覇市街は東京並みの車と人の雑踏である。鉄筋の大きなビルディングが立ち並んで道路は車で渋滞。モノレールは地上の東京の地下鉄を思い出す。とにかく沖縄のスタックから暖かく迎えられた「生業」の初日であった。(写真;前日は勝山の病院のスタッフから多くのお別れの花束を頂戴した、沖縄行の飛行機の中ではこれからの沖縄暮らしのことよりも、勝山の人々との別れを偲んでいた)  
Posted by hhirano20 at 00:09

2019年03月30日

3月29日をもって勝山での映画撮影の「ロケ」が終了した

CIMG2470CIMG1873CIMG3507DSCN0421DSCN0554DSCN0024CIMG30393月29日をもって勝山での映画撮影の「ロケ」が終了した。1年5カ月の比較的短か目の映画が完成した。生業(なりわい)での医者は演技であり、自分で演出(監督)と俳優を兼ねるのである。これまで「理想の医者」を主演してきた。患者さんやその家族にとっての理想の医者だけを演じてきたのである。しかし病院には他に医師もいるし、看護師、薬剤師、事務職員、リハビリ、栄養士など多種の専門職が働いておりチーム医療を行っている。すなわち多くの俳優が演じている。どうも、これまでは他の俳優の存在を無視した演出だったようだ。いい医者を演じることは他の俳優にとっては悪い医者になることもある。どちらかというと、これまでは他の医療スタスタッフにとっては悪役医者だったかもしれない。他の悪役から患者さんや家族を守る役が主役だと考え演じていた。昔からあだ名は「台風の目」である。周囲の人を吹きまわして、自分の頭の上だけは青空がのぞいている。でも私利私欲で吹かせる風邪ではなく、あくまでも患者さんや家族のための神風である・・・と勝手に思い込んできた。4月1日からこんどは沖縄を舞台に医者を演出し演技する。大好きな沖縄で長く演じられるように、今度は主役の下で脇役に徹して名医者を演じてみたいものである。(写真;勝山では病院外でも演じてきたが、これらは自然や風景や他人が主役であった、懐かしい思い出がたくさん、ありがとうございました)  
Posted by hhirano20 at 18:22

2019年03月27日

「いくら稼いで何ぼの人生」なんだなと思った

DSCN0828DSCN0849DSCN0851DSCN0841DSCN0846菜園の周りには「半農半生業(なりわい)」のおじさん達が多い。生業を引退してからは「全農」となり田んぼで稲つくりに専念する。田植え稲刈りには器械が欠かせず、新たに購入してその借金分を懸命に働く。その余暇に野菜つくりもするがそれは趣味程度のものである。70歳を過ぎると次第に体力が落ち、30Kg(一俵は60Kg)の米袋が持てなくなると多くの人は稲つくりから身を引いていく。跡継ぎのいる場合はいいが、そうでない場合は代々引き継いだ田んぼは荒れ果てていく。荒廃していくのは人も同様である。おじさんの顔つきから表情が乏しくなり、背をまるめ元気がなくなり家に引きこもりがちになる。そのようになる農家のおじさんの原因は「欲が無くなる」からだと、仲間の農家の主は言う。米が収穫できなくなるとたちまち現金収入がなくなり完全に年金生活になる。「いくら稼いで何ぼの人生」なんだなと思った。老人も金を稼げるうちは花である。72歳になっても海を渡って沖縄に出稼ぎに行く自分自身の生き方に納得した。(写真;娘の孫たちが実家に遊びに来ている、5歳になる男の子はこの爺さんに似て元気で好奇心が強い、将来は探検家になるのだそうだ、ジャングルごっこをして遊んだが彼の元気さにはついていけなかった、果たして沖縄に通えるだろうか? そんなに無理して稼がなくても・・・)  
Posted by hhirano20 at 20:13

2019年03月25日

透析を希望するかどうかは本人や家族の自由選択である

gettyimages-1036337584-1024x1024gettyimages-151050319-1024x1024gettyimages-86161013-1024x1024慢性腎不全の末期の状態を「尿毒症」と言って、腎臓から排せつできなくなった毒素が全身にまわりやがて死亡する。ひと昔前、透析療法がなかった時代では「尿毒症」は死の病であった。わが国で最初に透析療法をはじめたのは新潟大学病院で、医学生の頃に病室の片隅で行われていた透析を見学していた。その当時は全国の透析患者数は数千人ほど。当初は自費治療で、ひと月何十万円の費用を田畑売って命を維持し「金の切れ目が命の切れ目」とも言われていた。実際に金が続かず尿毒症に逆戻りして命を絶った患者も多く経験した。その後、透析患者は身体障碍者1級になり、医療費(月に約50万円)は国の負担になった。そして透析患者はどんどん増え続け最近では33万人を超え(国民380人の一人が透析患者)、国の透析医療費は2兆円となった。さらに透析患者さんの平均年齢は約70歳で高齢者医療の一つとなった。先日、尿毒症になった94歳の高齢者が入院した。家族は透析を希望されず病院で自然に看取ることを希望された。高カリウム血症で徐脈となり、尿毒症性脳症で意識も無くなり3日目に息を引き取った。今どきは「尿毒症」の安らかな看取り方を知らない透析医は多い。透析を希望するかどうかは本人や家族の自由選択である。先日「透析中止問題」でメディアを騒がせた。つらい透析に耐えられなくなる時期もいずれ来る。透析するもしないも本人しだい。承諾書にサインなどしなくても、勝手に透析病院に行かなければいいだけだ・・・。透析を中止したら名医に診てもらえば3日くらいで安らかに死んで行く。承諾書を必要とするのは医者が訴訟やメディアから身を守るためである。承諾書を書いてもらって「はいさようなら」では本当の透析医ではない。(写真;血液透析は週三回、毎回4〜5時間ベッドに拘束される、一日半に溜まった毒素と水を数時間で取り除くので透析中は血圧低下などで苦痛を伴う、高齢者が多い透析室では認知症患者も多い、透析以外に介護も同時に必要な状況になっている)  
Posted by hhirano20 at 20:24

2019年03月23日

沖縄が「在宅医療」のモデルになる理由

P1080885P1080597P1080900P1040246P1010525a6aa763a沖縄ではお年寄りが病院に入院すると、長男だけでなく子供たちは総勢で見舞いや看病に集まってくる。そこで感心させられることは、必ず夫婦で伴ってくることである。例えば、女房の父親の見舞いの場合では、亭主が留守番役で外食をして家で心配して待っているようなことはない。夫婦それぞれの親族の出来事は夫婦2人の問題としてペアーとなって執り行われるのである。沖縄には親族が集まる祭りごとが多い。春のシーミ祭(お彼岸)では大きなお墓の周りに親族一同が集まる。お盆のウークイでは仏壇のある長男の家に親族一同が集まる。そして、こちらではモアイもある。家族や親しい仲間が月に1回集まってユンタク(懇親会)するのである。その他にも、2週間に一回は子供達が親の元に集まってユンタクするという。その場合でも夫婦で両方の両親の家に集まり、男同士は父親と女同士は母親と部屋を分かれてユンタクする。老父母は子供や孫らに昔の苦労話や生き様を語るのだそうだ。そして楽しそうに話している親の姿に、子供たちが自分の喜びとして感ずるのだそうだ。この様にして沖縄の歴史や沖縄口(沖縄の方言)、親族の歴史を自然と頭の中に刻み込まれていくのである。沖縄では仏様崇拝ではなく祖先崇拝であることがよく理解でき羨ましくも思う。内地の子供は親の子以上に社会の子であるが、沖縄の子は親の子であり親族の子供だといえよう。(写真;沖縄の暮らし、豚の丸焼きとシャコ貝のお刺身は絶品、冠鷲にも出くわす、もうほとんど「沖縄病」である)  
Posted by hhirano20 at 15:53

2019年03月21日

沖縄では、訪問診療専門クリニックに勤務することになった

DSCN0819CIMG3074DSCN0812DSCN0813これまで「生業」の職場をいくつか変えてきた。とくにリタイア後は、病院/診療所3カ所、特養が二つ、老健や有料老人ホームが4カ所、それに在宅診療。職場や仕事の内容を選択する際に必要な条件がある。一つは「キャリアアップができるか」、二つ目は「給料の額」、そして「職場で人間成長ができるか」である。総合的に言えば「楽しく仕事ができるか」であろう。沖縄では当初予定していた大病院の外来診療を辞退して、その後誘いのあった往診専門クリニックに勤務することになった。先日、そこの打ち合わせのために日帰りで沖縄に行ってきた。国が推し進めている高齢者の在宅医療。沖縄ではそのモデルケースになっている。「祖先/親族崇拝」の沖縄では、家族がお年寄りを介護するのが当たり前になっている。一軒家に家族大勢で住んでいる。沖縄では企業が少なく国民年金の家族がほとんどである。金銭的にも施設に入れる余裕がない。だから病院を退院したら後は死ぬまで家族の下で介護や訪問医療を受ける。訪問診療や訪問看護、それに訪問ヘルパーの力が欠かせない。しかし沖縄のでは訪問診療医が少ない。お世話になるクリニックの院長も広島出身で、これまで一人で200人近くを訪問診療してきた。開業してから一日も休まず広島にも帰郷せずに頑張っている。少しでもお手伝いができればと、月曜日夕方からのオンコ−ルからはじまり、火曜日に日勤の訪問診療、夜のオンコール、そして水曜日の昼の訪問診療を終えて夕方の飛行機に乗って岡山に帰る。夜間は一緒に同行する看護師の自宅近くのホテルを借りてもらって宿泊。大好きな沖縄に少しでも貢献したいし、期待してくれているスタッフにも喜ばれたい。このような本格的な訪問診療はこれまでに経験がない。スキルアップして訪問診療医のプロを目指したい。これだけ働けば給料もそれに相当するものになるであろう。(写真;岡山空港8:25発/那覇空港10:30着、毎週月曜日から水曜日まで沖縄、飛行運賃に負けない良い仕事をしなければなるまい・・)  
Posted by hhirano20 at 20:49

2019年03月18日

米国の「自由」と日本の「自分勝手(自由モドキ)」の区別を考えてみた

P1000696P1000665IMGP1454IMGP1451IMGP1435IMGP1423入院患者のお見舞いにお孫さんが部屋を訪れていた。二十歳過ぎの若い金髪女性で、お父さんは米国人、お母さんは患者さんの娘さんで日本人である。挨拶がてら「日本で一番暮らしにくいことは何か」を問うてみた。彼女曰く「日本は何かと制限が多く自由に暮らせないこと」だと即座に答えた。「どうして電車の中では携帯電話で楽しくお話をしてはいけないのですか?」「デパートでも駅でも、街を歩けば小さな子供に言い聞かせるように○○に注意してくださいなど、大人を信じていない騒音が多すぎる!」。そう言われれば「ああせい、こうせい」類の注意や制限が暮らしの中で蔓延している。米国では「自由」こそが生きる最低の条件であると言う。子供の教育のほとんどはいかに「自由」に生きることが主テ―マになっている。彼女は米国で生まれ4歳から日本に住み着いた。自由のない日本の義務教育嫌って中学校まで母親が自宅で教えた。高校からはインターナショナル学校で学び、今は米国大学の通信教育学生である。改めて米国の「自由」、日本の「自分勝手(自由モドキ)」の区別を考えてみた。そもそも「自由」という日本語はとても曖昧な言葉でありすごく広い意味である。そして、自由ということばよりも先に制限という言葉があって、制限は嫌だから自由という意味で自由という意味ができたのだろう。つまり制限がない状態では自由という言葉はありえない。つまり日本では制限されている状態の人だけが使う言葉である。これに対して自分勝手は制限をするほうだと考える。自分勝手とは相手を制限することなのです。相手を制限しないならば人間はなにをしても迷惑をかけない。相手を制限するからはじめて、自分勝手という言葉がうまれるのだと思う。本当の自由な生き方というのは人に迷惑をかけずに、自分が良いと思う道で生きていくこと。出来る限り周りに迷惑をかけないようにして、他の人の感情にも常に心配りしながら自分の好きな道を生きていくのが本当の自由な生き方なのだろう・・・彼女から教わった。(写真;シンガポール国立動物園、動物園内でどの動物も制限が少なく動物らしく自由に生きている、日本の動物園の動物と顔つきが自然である、日本人の顔つきも本来の自然さが失われている?)   
Posted by hhirano20 at 20:41

2019年03月16日

沖縄での「生業(なりわい)」と「仕事」の違いを考えている

P1080971P1080881P1090014P1060903「生業(なりわい)」と「仕事」の違いを考えている。例えば農家の人の場合は、「生業」とは今日、明日を生きるための収穫作業。すぐにお金を稼ぐことである。「仕事」とは荒れ地を耕したりして、すぐにはお金にはならないこと。未来の為にする作業である。当然「生業」は必要で、これがないと食べていけない。しかし、気づいたら「生業」ばっかりで「仕事」をしなくなったと思うことが多々ある。4月からはじまる沖縄での「生業」と「仕事」のことで、未だ決めかねて悩んでいる(毎週、月・火・水曜日は沖縄暮らしをする)。月曜日は知り合いが経営する社会福祉法人の「特養」で嘱託医として働く。火曜日と水曜日の勤務先を決めかねている。那覇市にある中規模病院の外来診療(午前9時〜18時)に決めていたが、同じ那覇市内の往診専門のクリニックの院長から誘いがかかった。200人ほどの往診・訪問診療の患者さんを24時間体制で院長一人が担当している。それを分担するのである。月曜日の夜間のオンコールからはじまって、火曜日は午前午後の定期訪問診療と夜間のオンコール、水曜日は昼間の訪問診療を終えてから夕方那覇空港から岡山空港に向かう。さらに木曜日は倉敷市内の病院の外来診療(午前午後)。なお、金・土・日曜日は3連休である。沖縄では在宅での医療や看取りをする患者さんが多い。家族構成や家族の在り方が本土とは違う。それに「国保」の人が大部分で金銭的な理由もあるだろう。一方で沖縄には在宅医のなり手が少なく、このクリニックの院長も広島県出身である。外来医は仕事としては楽であり勤務時間も決まっている。でもやりたいのは在宅医である。「生業」として考えると「在宅医」は「外来医」に比べると給料は多い。給料の多い少ないは手に入るお金の量だけの問題ではない。給料が多いほうが「仕事」そのものに価値があるのである。患者さんや家族、それに沖縄にとっての貢献度が高いのである。大好きな沖縄にとって少しでも役立つ「仕事」がしたいのだが・・・・、でも長く続くだろうか?(写真;沖縄の美ら海、この海の色彩は魔物である、そんな悩みはさて置いて心はもう沖縄で一杯である)   
Posted by hhirano20 at 21:53

2019年03月14日

「命の恩人」だと患者さんから感謝されることはまれである

無題DSCN0809患者さんによって「九死に一生を得る」とは、殆ど死ぬかと思われたような危険な状態を脱して辛うじて命が助かることであろう。その命を助けた医者は命の恩人になる。医療の救命ではせいぜい「四死に六生」が限度で、「五死に五生(フィフティーヒフティー)」以上の救命になると医療も「神頼み」となる。これまで半世紀もの長い間臨床に携わってきた内科医でも、「命の恩人」だと患者さんから手を合わせて感謝されたことは数少ない。その二つがこの勝山の病院で体験できたのである。その一つが「ツツガ虫病」患者さんの救命である。昨年の5月、近医から紹介された男性である。躯幹の麻疹様の赤い発疹と発熱で外科病棟に入院した(だから主治医ではない)。高熱が続き、尿量が減り浮腫以外に胸水も溜まり酸素吸入が必要状態になった。発病からすでに7日が経過していた。当直医として病室に訪れると、病室にはご臨終のために家族親族が大勢集まっていた。胸や腹部の皮疹を視て直感的に「ツツガ虫病」だと診断した。さっそく血液を保健所に送り、折り返し「ツツガ虫病」の原因であるリケッチャーの陽性が出た。もうすでにこの病原体は血中に入り、血小板数は減り急性の腎不全を併発していた。特効抗生薬であるテトラサイクリンの点滴注射をはじめ、急性腎不全の治療をはじめた。半日ほど死線期が続いたが、その後劇的に回復し二日目には意識は回復し浮腫も取れ酸素吸入も外れた。そして1週間後にはすっかり元気になり退院した。命の恩人になったが、これには二つの偶然が重なったのである。「ツツガムシ病」はわが故郷新潟地方の風土病で、新潟の病院では多くの症例を経験していた。加えて腎臓内科専門医であったことがこの重症の急性腎不全患者を透析することなく救命できたのだ。真庭郡美甘村の山林で山菜取りに出かけた際にダニに血を吸われたのである。そのような関係で、先日美甘村の愛育員の集いに講演を頼まれた。(写真;「ツツガムシ病」の講演会は美甘村振興局の会場で行われた、♪いかに居ます父母 ツツガなしや友がき 雨に風に揺れても 思い出ずるふるさと(故郷)♪、ツツガとは「病気」の意味である)  
Posted by hhirano20 at 20:36

2019年03月11日

人間の生き様に興味があり「人間観察」が大好きである

sato真理3真理4この人生は「事実は小説より奇なり」であった。小説を読まない代わりに、社会で生きている人間の生き様に興味があり「人間観察」が大好きである。あの人がなぜそのような行動をとるのか、自分の頭の中であれやこれやと勝手に洞察するのが面白いからである。医者の診察の一つに「問診」がある。生来の話し上手、半世紀も患者さんやその家族さんとの対話力は人並み外れたものがあると自負している。警察官の尋問よりも人間心理に深く入り込み、患者さんの深層心理まで引き出すのである。いま関心を抱いたテーマは「虐める人は実は苛めを受けているのである」の仮説に立った考察つくりである。「出来る人から職場をやめていく」「自立していない人間はアルコールやたばこ、それにスマホの依存度が大きい」「アメ車に乗るか彼女と結婚するか・・・これこそが若い男性が結婚しない理由」「大学入試時偏差値と社会人になってからの偏差値は大差がある」「・・・・」。この四月から取材を終えた勝山を離れて、沖縄の那覇市や浦添市、それに倉敷市玉島で「人間観察」の幅をさらに広める。そして小説よりも奇なりの事実がブログネタになるのである。(写真;ここしばらく孫たちに会っていない、幼い彼らの暮らしぶりを想像するほうが楽しい、ときどき送られてくる写メールを眺めながら・・・)  
Posted by hhirano20 at 20:50

2019年03月08日

『サルコペニア』とは高齢者の骨格筋量が減る病態、高齢者と蛋白質(その2)

CIMG2013CIMG2017CIMG2070CIMG2075『サルコペニア』とは骨格筋の量と筋力が減少する病態であり「老人性低栄養」ともいえる。筋肉は30歳代頃から年に1%ずつ減っていき、70歳になると若い頃の半分くらいになってしまう。老人でこの加齢による生理的レベルを超えて筋肉が衰えるのが『サルコペニア』で、運動機能だけでなく内臓の機能、とくに心臓に負担がかかることが知られている。「65歳以上で、歩く速さが1秒間に1m以下(横断歩道を青信号のうちに渡り切れない速さ)もしくは握力が男性25kg以下、女性なら20kg以下、さらにBMI(体重÷(身長x身長(m)))が18.5以下の瘦せ体型か、もしくはふくらはぎが極端に細い(周囲径<30cm)」が『サルコペニア』を疑う基準である。筋肉のたんぱく質は合成と分解のバランスで増減している。高齢者の筋肉が異常に衰えるメカニズムは次のようである。まず栄養不足。筋肉の材料であるたんぱく質やそれを合成するために必要なビタミンやミネラルなどが不足すると筋肉が形成されなくなる。栄養不足は代謝、免疫力や自律神経のはたらきを弱め、さらに体力を低下させる。低活動・不活動の人の体は、使っていない部分は「不要なもの」と判断しエネルギーや栄養の配を他に振り分けるようになる。筋肉は退縮し『サルコペニア』化が進行する。口腔機能の低下も『サルコペニア』を助長する。口腔機能には「かみ砕く(咀嚼)・飲み込む(嚥下)」「唾液を分泌する」「言葉を発する(発音)」「表情をあらわす」など様々な役割がある。不安、抑うつストレスや不安、抑うつ状態は、食欲や活動性を低下させ筋肉の成長を妨げ、自律神経のはたらきを乱し、代謝や内分泌機能、免疫機能を低下させる。(写真;勝山「町並み保存地区」のお雛祭り、近頃はこの種のイベントは各地で行われているが勝山はこのはしり、ここも人口減少で出店数が減ってきて観光客もまばらであった)  
Posted by hhirano20 at 12:52

2019年03月05日

『肉を食べる人は長生きする?』、高齢者と蛋白質(その1)

DSCN0804DSCN0800DSCN0802DSCN0796DSCN0798DSCN0797『長生きしたけりゃ肉は食べるな』(若杉友子/幻冬舎)、『肉を食べる人は長生きする』(柴田 博/PHP研究所)。どっちなんだろう? 自分で考えてみることにした。喜怒哀楽、思考、カラダを動かすなどなど、生活する中での何気ない動作はすべて「たんぱく質」が関与している。人に限らず生物は細胞の集合体で、生命活動に必要不可欠な3つの能力を備えている。それは栄養分を取り入れエネルギーを生み出す能力と同じ細胞をつくる能力と気候や気温の変化に合わせるための内部環境を調節(ホメオスターシス)する能力である。細胞を構成する成分中、水分に次いで多い成分は「たんぱく質」で、カラダを構成する主要成分である。筋肉、内臓、皮膚、髪、骨、歯、腱、髄、血液、リンパ液、カラダの機能を調節するホルモン、食べた物の消化・吸収などに不可欠な酵素や光、味、匂いなどを受け取るレセプターなど、全ての成分と生命現象には「たんぱく質」が関与している。そのため私たちの祖先は原始時代(狩猟民族)からカラダに必要な成分である「たんぱく質」が多く含まれる動物の肉や内臓を食べてきた。思考や感情などの生命現象も体内にある物質同士の相互作用も「たんぱく質」が中心である。「たんぱく質」は英語でprotein、「第一人者」を意味するギリシャ語に由来している。トップアスリートと同じほどに、高齢者にとって「たんぱく質」は健康寿命と密接に関連する。(写真;倉敷市の福田公園、ここも池の周りの河津桜が満開、運動公園も備え1周2.5kmのマラソンコースを5周歩いた)  
Posted by hhirano20 at 21:07

2019年03月02日

70歳になるとガタっときて、80歳になるとガタガタとくる

DSCN0786DSCN0790DSCN0791DSCN0793「70歳になるとガタっときて、80歳になるとガタガタとくる」。これは80歳を超える人生の大先輩たちが話す老化の実感である。ガタガタといい老化現象の中で日常の暮らしで気になることが3つある。一つは屋外などで作業をしているとすぐ疲れて腰を下ろすことが頻繁になる。二つ目は食事摂取量が次第に減り、好きなお酒の飲み量もめっきり減ってくる。三つ目が夕食をすませるとすぐ床につきたくなるがいつまでも熟睡できず(寝つけず)、いつまでもウトウトしている(これが結構気持ち良いらしい)。この老化現象で思い出したことがある。「運動と栄養と睡眠、この3つのバランスが人の活動力(アクティビティー)を決める」。現役時代に臨床栄養士に講義していたことである。3つはこの連動するもので、その総合点が60兆個の細胞内のミトコンドリアのエネルギー(ATP)産生量とも関連して活動力を決める。そしてこのアンバランスがメタボなどの成人病の原因となるのである。老人では加齢とともにこのバランスの平均値が下がってくる。これが老人の元気さと関連する。さらにアンバランスになると老化という「未病」が老人病の発症につながる。 ガタがくる70歳以前の「運動と栄養と睡眠」のバランスの平均値をいつまでも維持したいものである。そのためには老化防止のリハビリ以上の訓練や鍛錬が必要になる。(写真;近くの倉敷川土手の河津桜が咲き始めた、1月下旬から2月にかけて開花する早咲き桜、花は桃色ないし淡紅色でソメイヨシノよりも桃色が濃い、オオシマザクラと沖縄のカンヒザクラの自然交雑種であると推定されている)   
Posted by hhirano20 at 19:37

2019年02月28日

沖縄が大好きである。「沖縄病」が再発したのである

CIMG3057CIMG3059CIMG3068CIMG3069CIMG3070CIMG3072『いい顔したおじいさんってのは多いけど、いい顔をしたおばあさんってのが少ないんですね。そこが、やっぱり、女の許容量の狭さなんだろうと思うんですね。女が徳のある、いいシワのある顔相になるためには、本当にとことん自分のエネルギーを使い果たさないと。そこまで行きつかないとアカが取れないという、女の体質なんじゃないかと思うんです』。これは「一切なりゆき〜樹木希林のことば〜(文藝春秋)」の一節である。「とことんエネルギーを使い果たす」のかどうかはその人の体質なのだと同感した。いいシワのある顔相をもたない老人であるが、この歳になってもエネルギー(ATP)を小分けして燃やすよりも一つのことに集中して全力を発揮する体質はこれまでと変わりない。「集中力」があるのか、血液B型ゆえの周りを見ない了見の狭さなのか・・、この4月からの生き方に集中力を注いでいる。この3月で72歳の老医は職場で「フリ―エイジェント」制度を行使できる。プロ野球選手流に言えば、「残留」か「国内球団」および「海外」移籍である。メジャー球団ではないが海を渡って再度沖縄での「生業」に挑戦しようと全エネルギーを発散している。3日間(月、火、水曜日)、毎週沖縄に飛行機で通勤するのである。この火曜日に日帰りで沖縄に出かけいつかの球団(職場)と交渉(面接)してきた。タイトのスケジュールで忙しくて沖縄ソバすら食べて帰る時間がなかった。女房からは3日間だけの沖縄行を許可された。木曜日は倉敷の病院で1日勤務し週末(金、土、日曜日)は野良仕事とウォーキングで老体のリハビリに時間を充てる。沖縄が大好きである。亜熱帯の太陽の輝きは自然を天然色に引き立てる。森の木々の緑、美ら海のエメラルドグリーン、空の蒼さ、ぽっかり浮かぶ真綿色した雲、生暖かい空気と爽やかに吹き付ける海風、自然や気象だけでなく人間(ウチナンチュー)の心も優しい。彼らは「楽しくないことはしない」からいつも心豊かで楽しく暮らしている。このように「沖縄病」が再発したのである。(写真;飛行機の窓から覗き込むようにわが人生の故郷沖縄の全景を懐かしんだ、しかしこの歳になって沖縄でうまく仕事ができるだろうか? 不安が心にうごめいた)  
Posted by hhirano20 at 20:30

2019年02月24日

週末は三カ月ごとに開催される「サンゼミOB会」の宿泊農業研修に出かけた

DSCN0750DSCN0756DSCN0760DSCN0753DSCN0761DSCN0762DSCN0771カキDSCN0763週末は三カ月ごとに開催される「サンゼミOB会」の宿泊農業研修に出かけた。いつもの吉備中央町「体験学習農園」にある古民家での一宿一飯の老人の「男子会」が楽しかった。このOB会は14年前に発足して一回も欠かさず継続してきた。岡山県の施設であるが利用者が減り(現在はこのOB会だけが使用)、施設も老朽化が進み放棄農園はイノシシやタヌキの住処にもなってきた。さらに悪いことに、地下水道管が破裂し水道水が使えなくなって久しい。それでもタンクに水を運び、簡易トイレを設置して寝泊まりしている(電気は通っている)。家中の雨戸や木戸を開けて風を通し、お天気が良かったのでまずは布団干し(シーツはランドリーに出している)してから共同農作業を開始した。これまではシイタケ栽培、ハウス野菜、トマト、玉ねぎ、ジャガイモなどの野菜を大量に栽培して近くの野菜直売所の店頭に出していた。田植えもして鶏も飼っていた。広大な野山には梅やカキ、ブルーベリーや栗の木が沢山の実をつけ、タケノコ堀も楽しかった。今回の夕食は「牡蠣焼き」。寄島漁港まで行って買い付けた新鮮な殻付きカキ。倒木を燃やして炭をおこし、土間に焼き網を準備する。ほかの人は焼き野菜を切り、茶葉を摘んで炒って自家製のお茶を沸かす。干した布団を床の間に敷いて寝床を整え、コンロに灯油をつぎ足して部屋の暖を取る。夜が更けるのも忘れて「男子会」は盛り上がる。昨夜0時頃に全員布団に収まり就寝した。高原の冬の夜、雨戸だけの古民家の部屋は冷える。毛布2枚に包まり小さな電気アンカを抱いて体を温めた。早朝6時には早番が起床し朝食の準備をする。ご飯を炊いて夕飯の残り野菜をふんだんに入れたカキ味噌汁。朝の味付け海苔と卵ご飯でどんぶり一杯のご飯がいつも美味しい。朝食でもひとしきり団らんして次回6月の再会を約束してめいめいの家路についた。こんな楽しい会は他に聞いたことがない。・・・・・・でも県はこの農園をいつ閉鎖するのだろうか? 参加者も全員70歳余り・・・、どちらの寿命が早いのだろうか。(写真;農林業を志す青少年等を対象に農林業を実践的に学習させ、その体験を通じてたくましい担い手の育成を図るとともに、小・中・高校生や都市在住者等の農作業や農村生活体験の場としても活用し、昭和57年から緑豊かな自然の中に開設されている)  
Posted by hhirano20 at 20:13

2019年02月22日

朝、光を浴びる(目覚める)時刻がその日の眠りの時刻を決める

DSCN0748DSCN0746DSCN0743DSCN0740DSCN074110%の人しか今の睡眠時間に満足していない。ほとんどの人は睡眠時間が少ないことに危機感を感じている。3割強の人がもっと深く眠りたいと思っている。3割弱の人はスムーズに寝つけていない。4割の人は朝気持ち良く目覚められていない。人の睡眠は大別すると2つのメカニズムで形成されており、相互に関連しながら睡眠の「質(深さ)」と「量(時間)」およびタイミング(入眠時刻)を制御している。その一つは、時刻とは無関係な「ホメオスタシス機構」による調節。先行する断眠時間(眠らずにいる時間)の長さによって睡眠の質と量とが決定される。つまり、疲れたから眠る、活動中に酷使された脳を積極的に休ませるのである。二つめは時刻による「概日リズム機構」による調節。睡眠は1日を単位とするリズム現象であって、脳内に存在する生物時計に管理されている。夜になると眠くなり、疲れていなくてもいつもの就寝時刻になると眠くなる。眼などから入った光の信号は、視神経→視交叉上核→上頸神経節→松果体に達する。松果体では睡眠を促すホルモン物質「メラトニン」が産出される。夕方〜夜になると「メラトニン」の分泌が始まり、やがて全身の臓器に行き渡って夜間休息体制(睡眠)をとる。「メラトニン」の分泌は起床時からおよそ14時間後に始まり、その2時間後に最大に達するとされている。例えば午前7時に起床した場合、「メラトニン」の分泌量は午後11時頃に最大に達する。この時に眠り始めるとスムーズに入眠できる。体内時計の働きにより、朝、光を浴びてから一定時間(14〜16時間)が経過すると、深部体温(体の内部の温度)が下降し始め「メラトニン」の分泌量が上昇し始めて眠くなる。すなわち、朝、光を浴びる(目覚める)時刻がその日の眠りの時刻を決める。(写真;日本三名園の一つ岡山後楽園、冬枯れした殺風景な公園も芝焼きで色彩が変わったが、それにしても見どころのない風景である)   
Posted by hhirano20 at 16:44

2019年02月20日

『老化』とは加齢による「未病」の蓄積の過程である(中国医学)

DSCN0634DSCN0600DSCN0623DSCN0631DSCN0610DSCN0652DSCN0617DSCN0613老人の健康状態を定義するのは難しい。ここまでが健康でここからは病気と明確に区分できるわけではない。健康と病気の間で連続的に変化しており、この状態を中国医学では「未病(みびょう)」という。日本未病システム学会の福生らは「老化は未病の複合体」としている。『老化』とは加齢による「未病」の蓄積の過程であり、『老人病』はそれが発現(発症)した状態といい改めることができるとしている。「老化に伴う臓器の機能の低下は加齢変化であり病的ではない」とし、「未病」とは「加齢による変動範囲から逸脱し、しかも自覚症状がない時期をいう」としている。つまり病的老化のみを「未病」と呼んでいると考えられる。たとえば大動脈脈波速度(血管年齢)は年齢とともに速くなるが、高脂血症や血圧の上昇、血糖値の悪化などの負荷が加わることで正常回帰曲線より逸脱した速度となる。しかし自覚症状はないので「未病」である。中国医学では、昔から老化とは「腎気」が衰えて全身の気血水の巡りや働きが悪くなり疾病が発症しやすくなった状態だと考えらえてきた。血液浄化の要の腎臓を頑張って働かせて「未病」を治療するのはアンチエージングで、食事などで毒素の産生を少なくする「医食同源」が「未病医学」の治療であろう。(写真;人口5000人の「アートの島」直島には年間25万人の外国人観光客が訪れる、そのほとんどが欧米豪人で、世界中で行ってみたい観光地の上位に名を連ねている、年3回開催される瀬戸内国際芸術祭中はエーゲ海に浮かぶマルタ島のような雰囲気になる)  
Posted by hhirano20 at 20:17

2019年02月18日

日曜日は「土佐の道」に歩き旅に出かけた

DSCN0664DSCN0706DSCN0671DSCN0674DSCN0690DSCN0694DSCN0700DSCN0712日曜日は「土佐の道」に歩き旅に出かけた。晴れの天気予報で、最高気温も14℃で春を探しながらのウォーキングであった。家の近くに高知行の高速バスの停留所があるから便利である。7時40分の始発バスに乗り約2時間で高知駅バスターミナルに到着。「土佐の道」での歩きの行程はいつも決まっている。小さめの駅舎の広場は広々して路面電車の発着場にもなっている。いきなり大きな土佐三志士像(土佐藩の幕末の英雄、坂本竜馬、中岡慎太郎、武市半平太)がたつ。ここで高知はいきなり土佐となり竜馬一色の町となる。駅前の大通りをしばらく歩くと日曜朝市が開かれている高知城通りに出会う。いろいろな郷土の品物が並ぶ。そこで高知弁で商売するおばちゃんらと岡山弁で会話するのが楽しい。お目当ては高知名物の「須崎のフルーツトマト」「文旦」「ネーブル」、東京と神戸の子供や孫たちに郵送してもらった。朝市を抜けると高知城に到達。国宝のお城はいつ見ても品があって地元の城とは格が違う。土佐の名士山内一豊や板垣退助の銅像も飾られている。高知は」「自由民権」の発祥地でもある。少し早いが日曜市の道路に面した「ひろめ市場」に入り昼食。屋内の新鮮物市場で多くの食堂が並び観光客のお腹を満たしてくれる。高知名物の「鰹のたたき」定食が旨かった。腹を満たしたら本格的な歩き。太平洋を眺めるために桂浜まで約20Kmを歩く。山越えのアップダウンの続く道。何故か本日は足取りが重い。歩き過ぎだろうか? ようやく太平洋沿に面した黒潮通りにたどり着いた。見慣れた瀬戸内海や日本海とは違った海の景色。地球の果てまで海が続く。この大海原を見つめると心がひろくなり「この野郎! 今に見ていろ!!」と心でつぶやくのである。太平洋から元気や勇気を貰うのではなく、何故か闘争心が湧き出てくるのである。竜馬は明るくて豪快な人物。彼の子供ぽっい勇ましさが人々に愛された理由だろう。南国土佐の空は青く、からっとしてい抜けるような色は坂本竜馬の生き方に似合っていた。(写真;土佐の代表的な風景の数々、写真にはないが大通りの広いアーケード商店街が明るくて南国らしく楽しく歩けた)   
Posted by hhirano20 at 21:04

2019年02月14日

自称「プロの歩き人」である

DSCN0558DSCN0576DSCN0570DSCN0578DSCN0580自称「プロの歩き人」である。「なぜそんなに歩くのか?」の答えは「歩くと気持ちいいからである」。歩くと楽しいから歩く、その結果として足腰が丈夫になり、病気になりにくくなると勝手に思い込めている。歩いているとそれに派生して次々に楽しいことが生まれてくる。花や木の香り、鳥のさえずり、人様の畑の出来具合、四季折々に変わる風景・・・。目に見えない「血管年齢」が若くなり「骨」が丈夫になると信じられるのは幸せである。楽しく歩くと脳の年輪を重ねていても若く見られる・・・などなど。長距離歩くと神経伝達物質の一つであるセロトニンが増え爽快感が増す。セロトニンは精神安定剤とよく似た分子構造をもっていて興奮や不快感をしずめる作用がある。 セロトニンと同じ脳内神経伝達物質であるドーパミンも増えてくる。子ども頃は何処の家も自家用車はなく、バスか自転車か歩くしかなかった。中学校も大学も一時間ほど歩いて通った。だから子供の頃から歩くことに苦痛を覚えることはなかった。40歳になり、老後の生き方を考えるために四国八十八カ所を3周(一周約1200Km)歩き遍路した。弘法大使は老後の生き方ではなく「歩くこと」を教えてくれた。長距離歩くためには身体だけでなく心の鍛錬も必要である。遍路道といってもそのほとんどは国道沿いのアスファールト道。人の目にさらされながら炎天下を黙々と歩ける「根性」が必要である(恥も外聞もなくすのである)。10Kmほど歩くと爽快な気分になれる。その後は歩き続けると次第に脳内麻薬であるエンドルフィンが分泌されるのだろう、快感と幸福感で心が満たされる。(写真;総社市吉備路の雪景色、備中国分寺を借景にする四季折々の写真撮影は常道である)   
Posted by hhirano20 at 19:41

2019年02月12日

真っ白な雪景色が雪国育ちの戌年生まれの童心を引き出した

DSCN0545DSCN0553DSCN0552DSCN0547DSCN0555DSCN0554月曜日(祭日)の早朝、いつもの「朝散」で裏口から外に出たらなんと雪ではないか。裏庭には3cmほど新雪が積もりまだパラパラと降り続いている。嬉しさ半分以上で、傘をさしていつもの夜が明ける前の暗い雪路を歩いた。歩いている途中で訪問看護師さんからの携帯電話が鳴った。6時を少し回っていた。有料老人ホーム入所の90歳のお婆ちゃんが嘔吐して脱水症が疑われる・・と。帰宅してからこわごわ高速道路に乗って大雪が予想される県北勝山に向かった。冬用タイアのお蔭で難なく施設にたどり着き、お婆ちゃんの容態も安定しており、休日で外来処置ができないため数日入院して点滴治療をすることにした。9時に仕事がおわると、早速心は100%雪歩きに移った。せっかく県北までやって来たので蒜山の雪道を歩こうと国道を走ったが、湯原温泉あたりで下道の雪が深くなってきた。その先を行くのを諦めて湯原温泉郷を歩いた。湯原ダムまで雪道を滑りながら、でも意気揚々と歩いた。そのあと高速道路の総社インターで降り、こんどは国分寺五重の塔の雪景色が見たくて吉備路を歩いた。「雪やこんこん・・・犬は喜び庭駆けまわり・・」で、辺り一面真っ白な雪景色が雪国育ちの戌年生まれの童心を引き出したのである。(写真;湯原温泉郷は大雪であった、雪の白さは百難隠して「西日本一の名温」らしい面影と風格が感じられた)  
Posted by hhirano20 at 19:13

2019年02月10日

「内臓脂肪」と「皮下脂肪」は高齢者の「生命力」の表示

DSCN0539DSCN0538DSCN0541DSCN0537高齢者の介護・医療の現場に立ち老人の「栄養状態」に興味をもった。介護老人保健施設(老健)や介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム、特養のこと)の入所者と、老人病院(療養病床のある病院や診療所)に入院中の患者さんの「栄養状態」を比較検討している。診察していて、とくに腹部(お腹)の触診でその違いが明白である。前者では、ほとんどの入所者(そのほとんどが女性であるが)の腹部の皮下脂肪は豊富である。胃瘻や経管チューブ(レビン)栄養の入所者でも同じで、どなたもお腹を見るかぎり「肥満」で健康そうである。一方、病院に入院中の患者さんは腹部だけでなく全身の皮下脂肪は乏しく、見るからに痩せて栄養失調である。そこではほとんどの人が胃瘻、レビン、それに静脈栄養である。この栄養状態の違いは他の身体所見と密接な関係を有する。「床ずれ(褥瘡)」と手足の「関節硬縮」の有無である。皮下脂肪のお陰で「床ずれ」の発症が防げるのはよく理解できるが、手足の皮下脂肪は「関節硬縮」をも防いでいる。何故だろうか? 今はわからない。中年までは「メタボ健診」であれほど目の敵にされていた「内臓脂肪」や「皮下脂肪」。高齢者ではこれら脂肪が身を守っているのである。「内臓脂肪」とは腹部臓器を保護している腹膜(腸間膜)と大網(同じ腹膜であるが前掛けエプロンのように内臓を保護している)に溜まる脂肪のことである。クッションとして腹部臓器を保護すると同時に、腸や肝臓での代謝に必要な脂肪を一時貯蔵している。台所にある冷蔵庫のようにその脂肪はしょっちゅう出し入れされている。「皮下脂肪」はしばらく使用しない脂肪をエネルギー源として蓄えている。貯蔵でなく貯蓄である。その他にも「皮下脂肪」の役割がある。筋肉をクッションとして守り、体型を整え、保温に努める。「内臓脂肪」と「皮下脂肪」こそが、高齢者の「生命力」の表示だと思った。「食欲の強さ」、「我の強さ」、それに加えてこれらの「豊富な脂肪」こそが、わが国の平均寿命をどんどん延している。高齢者で体重が増えることは内臓には何ら異常がないことを意味するであろう。‖里鯑阿さなくても食欲がある、体を動かすと食欲が出る、B里鯑阿さないし食欲もない、ぢ里鯑阿しても食欲が出ない。高齢者の「生命力」の強さはこの順番だと推測してみた。(写真;玉野市の深山公園内にある英国庭園、ピンクのウメ「楊貴妃」が満開、風に揺れる濃いピンクの八重の花びらと芳香が近づく春を感じさせた)   
Posted by hhirano20 at 18:18

2019年02月08日

「暇つぶしのために食べる」から脱出したい

CIMG1872CIMG1886CIMG1864CIMG1875家にいる日は満足した気分で一日が暮れる。日中は朝から畑仕事やウォーキングなどで自由気ままに思う存分に楽しむ。夕方帰宅してからは、軽めの夕食を済ませ風呂に入りテレビの前でウトウトしてリラックスして床に就いて熟睡する。勝山での2泊3日。ワンルームマンションで一人暮らしの晩を過ごす。部屋に帰っても食べること以外にやることがない。酒は飲まない。唯一やることはテレビを見ることである。チャンネルを合わせるのはニュース番組だけであるが、どこの放送局も同じ内容でつまらない。唯一の楽しみはコンビニで買いあさった数種類のスナック菓子や果物などの間食を食べること。家ではスナック菓子などの間食などしたことがないのに・・。「堅あげポテトチップ」「お焦げ煎餅」「ソフト燻製イカ」「ミカン」「アンパン」。これらをテレビの前のテーブルにずらっと並べて、ビールの代わりにコーヒーを沸かして飲みながら楽しんでいる。そのために病院の職員食堂で頂く夕飯のお米は一口だけに減らしている。気持ちは満足になるが腹は一杯に膨れ胃の膨満感のため寝苦しい。いつも、その時には明日からはもうこんな悪癖はやめようと思うのだが、夕方仕事がおわりマンションに向かう車は通り道のコンビニとスーパマーケットに駐車してしまう。この行為はどのようなものだろうか。ストレス解消や欲求不満なのか、その日の区切りつくりなのか、それとも自由時間の楽しみつくりなのか。「暇つぶしのために食べる」から脱出したい。幼子の指しゃぶりや爪かみ等の癖も手持無沙汰な時に現れると聞くが・・・。(写真;神庭の滝の猿軍団、山中に離散していった猿たち、山に雪が積もると餌を求めて平地に降りて雪下の餌を探す、この神庭の滝の冬の風物を目当てに老人たちは集う)  
Posted by hhirano20 at 08:55