2018年01月15日

【NHKスペシャル 人体】腸は健康の源!免疫細胞と腸内細菌で体を守る!

CIMG1601CIMG1588CIMG1592CIMG1595昨夜【NHKスペシャル 人体】腸は健康の源!免疫細胞と腸内細菌で体を守る! を興味深く視聴した。昨年の肺炎入院以来、高齢者の免疫力アップに並々ならない日常生活の努力をしている。その一つが食事(いや腸内細菌の餌かも)内容である。「高齢者の体細胞(約60兆個)で唯一若くて元気なのは腸内細菌(100兆個)である」とずっと考えてきた。だから残りの人生は「腸内細菌頼み」なのである。それに、美味しい野菜つくりに必須である土壌細菌からも教わったことがある。腸内細菌も土壌細菌も腸と畑違いで人や野菜の生き方を左右している。土壌細菌を育てるには土質を何年もかけて改良しなければならない。土が「団粒(小さな丸い粒)」状にならないと野菜の根に水分や空気や肥料が届かない。化学物質である人工の化学肥料(チッソ、リン酸、カリ)では土は育たず良質な土壌細菌も住みずらい。このような土で野菜を育てたら寸足らずの痩せこけた作物になり、そして連作障害を起こしてしまう(病原性の土壌細菌が原因と考えられている)。ゲストの田中将大投手(マー君)は現役メジャーリーガー選手として大活躍を果たしており(怪我せず風邪ひとつ引かない!)、これも奥様のつくる野菜豊富な(肉も多かったが・・)料理が成せる業であろう。現役スポーツ選手の体をしっかり防御して鉄壁の免疫力を作り上げている食材が「食物繊維」である。修行僧たちが毎日食べているのは野菜や穀類で作られた精進料理で豊富な食物繊維が含まれている。この「食物繊維」こそが腸内細菌の餌であり 腸内細菌が住みやすく働きやすいような“団粒糞”を作り上げる。食物繊維が豊富に含まれる食材といえば、穀物、いも、豆、野菜、果物、きのこ、海藻など。山のように盛り上げた生野菜サラダ、カットフルーツヨーグルト和え、野菜鍋、おでん、野菜炒め、具たくさん味噌汁・・・。外食では野菜豊富な中華丼、野菜ラーメンにこだわる。でも「食物繊維」はそうとう胃に負担をかけるので胃腸のトレーニングも欠かせない。腸内細菌と免疫機能関係については次回に続く。(写真;勝山の病院から10Kmほど車を走らせると湯原温泉郷がある、岡山を代表する“かけ流し温泉”であるがどこのホテルや旅館も閑散としていた、のんびり湯につかる気分になれず温泉街を歩いただけ)   

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2018年01月13日

生きる意味

CIMG1557CIMG1558CIMG1555CIMG1552CIMG1517生まれつきの身体不自由児が綴った詩集を読む機会があった。本のタイトルは「生きる意味」で、毎日を無意識で生きていた自分自身にとって『生』の意味を考えさせられる内容であった。その中でもとくに心打たれた文章がある。”なぜ僕は生きているの、なんのために生きているの、だれのために生きているの、寝ているだけ?、ごはんを食べるだけ?。神様は僕に何を求めているの”。さらに、”生きているってことは、今生きているっていうこと、楽しむこと、悲しむこと、うれしいこと、苦しいこと、そして人を愛せること、愛すこと”。この言葉に同感した。生物は動物と植物に分けられる。動物の進化の系統樹をみると哺乳類そしてヒトは進化の頂点に記載されている。でも植物は自由に動ける動物を羨ましくは思わない。海の魚が森の中を散歩しようとは思わない。カラスが時々生ゴミではないヒトの食物を食べてみようとは思わない。人間だけは違う。鳥の様に空を飛びたい、魚の様に海の中に潜りたい、森の中で自然の風に吹かれたい。そしてそれらを通して楽しんだり、悲しんだり、驚いたり、感動したりする。これこそが神が与えた人間だけの特権だ。自由に動ければそれだけ心が感動する機会は多くなる。でも動ける人は自由に行動できることをありがたいとは思わない。歩けなくなって初めて脚の存在を知りその有りがた味がわかるのである。”もし僕が歩けたら、野球がしたい、友達とケンカをしたい、車を運転して仕事がしたい、世界旅行をしたい、早く歩きたい、きっと歩けるよになる。そして全部の夢を叶えたい”。歩ける人に対する応援歌を聴いた思いだった。(写真;寒くて冷たくて、そして色あせた冬景色、総社市の吉備路を何の目的もなく何処とはなしに足は自由に動いていた、これが生きていることなのか・・)   
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2018年01月11日

「頑張らない、しかし怠けない」、体はこの状態を好む

CIMG1538CIMG1541CIMG1536CIMG1537人体の生存を可能にするには「恒常性の維持」「エネルギーの節約」「排他」の三つの基本的機能が必要である。「エネルギー節約」はエネルギー(ミトコンドリアの産生するATP)の無駄遣いをしない、と言うよりもATPは必要量分しか産生しないのである。「排他」とは体は自分本来の成分以外は受けつけず侵入したものを追い出すことである。いわゆる免疫機能のことであるが、きわめて利己的な体だからこそ外界の無数の敵と共生できるのである。さて「恒常性維持」であるが、体は“今の状態”の維持を可能な限り継続しようと“全身全霊”で働く。“今の状態”こそが“いい加減( 丁度いいと言う意味)”である。「頑張らない、しかし怠けない」、体はこの状態を好んで維持しようとする。これが「恒常性維持」の本質である。それでは“いい加減”とはどのような状態だろうか。例えば体を動かす(動物)人間で体はどの程度の運動の強さを望むのか。通常、「楽である」と「きつい」の間の、「すこし(やや)きつい」が理想的な運動強度であり“いい加減”である。“楽”に歩いても散歩は運動にはならない。気分転換にはなろうがどちらかといえば体は怠けている。“きつい”歩きは長続きせず結局は三日坊主の怠け者になってしまう。高齢者は加齢とともに“いい加減”の程度が低下しそして自力で歩けなくなる。自立した老後をいつまでも続けるためには、頑張らなくてもいいが怠けてはいけない。「成長期が過ぎたらリハビリか死である」。そう、毎日のリハビリを怠けないことである。散歩だけでなく、道掃除、生ごみ捨て、畑仕事、太極拳、旅行・・、“日常”での体の動きはすべて一日のリハビリ量に加算されていくのである。(写真;冬季は阿部山、遥照山、鴨方山の低山縦走が楽しい、阿部山山頂付近には「安倍清明」の屋敷跡があった、安倍晴明は平安中期の陰陽師、日本の陰陽学の大家で、陰陽博士、天文博士にまで進んだ人物、「大鏡」の花山天皇譲位の予言などは有名、社殿、安倍晴明屋敷跡、晴明大権現の祠などがあった)  
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2018年01月09日

「自由自在」でなくても「不自由自在」な生き方をしたい

CIMG1507CIMG1510CIMG1516CIMG1514CIMG1512この冬は寒気がしょっちゅう襲来して寒くて冷たい「猛寒日」が続く。♪犬は歓び庭駆け回り、猫はコタツで丸くなる♪。犬も寒いのを歓んでいるのではなく体を温めるために動き回っているのである。平均気温5℃以上が「植物温度」なので、この冬の寒さでは菜園の野菜の葉っぱは「縮こまり」凍死寸前である。草や木などの植物は「動けず」、寒いと「声も出せず」に自然現象をすべて受け容れている。虫や鳥は巣をつくり、葉・花・蜜・実・茎・樹皮・樹液・根などを食べる。折れた枝や落ち葉はバクテリアや細菌などの糧になる。倒木や落ち葉は同じ植物の肥料になる。人間は木を薪にし家や家具の素材として伐採する。草は薬として使われたり、人間や家畜の食料にされたり、肥料にされたり、雑草といわれて刈り取られたりする。台風や洪水や地震津波によって根こそぎ倒されてしまうこともある。乾季や渇水や害虫によって枯れてしまうこともある。植物はそういうもののすべてを受け容れる。100%自然に随う生き方をして、自然界のあらゆる生き物の「自在」な生き方を全部受け容れている・・。ところがドッコイ、植物もたくましく「自在」に生きている。バクテリアなどの微生物を含んだ有機体としての土壌に安住し、空気と水から元素を摂取している。植物はその土壌を利用し光合成によって太陽からエネルギーを取り込む。動物の排泄物や遺体はバクテリアが分解して無機化する。それを植物はこっそり利用している。植物は「不自由自在」な生き方をしている。自分の行動を妨げるものを「妨げ」だと感じなくなった時、本当の自分自身の生き方ができることを教えられた様な気がした。人生の前に何があってもかまわない。すべては「これでいいのだ」。「自由な生き方」というよりも、植物の様な「自在な生き方」がしたいものである。(写真;鬼ノ城山から岩屋に縦走した、山頂に「鬼の差し上げ岩」がある、ここが桃太郎伝説のはじまりだそうだ、温羅はその当時朝鮮半島からこの山に住み着いた“外国人”のはずであるが・・、岩屋も昔の山岳宗教の聖地であったのだろうに・・)  
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2018年01月07日

星野監督の訃報、哀しみよりも何故か「勇気」をもらった

CIMG1520CIMG1524CIMG1523CIMG1522元中日投手で、監督として中日、阪神、楽天で指揮を執った星野仙一氏が4日午前5時25分膵臓がんのため死去した。70歳だった。マウンドで雄たけびを上げながら打者をねじ伏せた「燃える男」。鉄拳制裁も辞さない強烈なリーダーシップで3つのチームを頂点に導いた「闘将」。一昨年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓がんであることが判明。病状を知らせず、球団副会長の仕事を続けながら闘病生活を送っていた。昨年11月28日に東京、12月1日に大阪で「野球殿堂入りを祝う会」が開かれた。周囲も開催を心配するほど弱っていたそうで、壇上でいすに座って話す姿もあった。容体は年末になって急激に悪化。例年知人たちに届く年賀状はこの正月は届かなかった。そして新しい年を迎えた直後の4日早朝、2人の娘や家族ら(奥さんは故人)にみとられ眠るように息を引き取った。星野監督の訃報を見聞し哀しみよりも何故か「元気」をもらったような気分になった。同年齢であれだけ元気な星野さんでも病気になるし死んでしまう・・。この当たり前のことを確認できたことに勇気をもらえた気がした。星野監督は倉敷市出身、彼が育った倉敷商業高校の野球部練習場はわが家の近くでいつもの散歩道にある。これまでに2回星野監督とその練習場でお会いして挨拶程度の口をきいたことがある。同じ年齢の他にずっと親近感をもっていた理由がある。彼の「負けん気」が強いところである。明治大学からドラフト直前に指名が有力と言われた巨人入団がかなわなかった。そこから「巨人を倒す」ことに全力を注ぎ、74年には中日のエースとして巨人の10連覇を阻んだ。巨人に憧れていた野球選手がその時から「打倒巨人」になった。小学生まで大の巨人ファンだった私も、自我の目覚めから「巨人・大鵬・卵焼き」からいずれもアンチに寝返ったのである。おそらく彼は相当に「負けん気」が強い・・はずである。オリンピックで金メダルを狙うトップアスリートの根っからの気の強い「負けず嫌い」ではない。私の体験からすると、その負けん気には「ハングリー精神」が大きく関与していたのだろう。星野監督の死にざまを見習いたいものである。(写真;倉敷商業高校の野球練習場、訃報を聞いて星野監督を偲ぶために出かけた、鬼監督はよく言っていた「怒ることを演技だよ」)  
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2018年01月05日

年賀状が取り持つ『縁』であるのか単なる『偶然』なのか

CIMG1470CIMG1473CIMG1475CIMG1476CIMG1477正月明けの4日から仕事始め。久しぶりに賑わいをみせた正月の我が家、その家族がいまだ目覚めぬ間にそっと家を出発した。勝山の仕事を終えて家に帰るときには、再び老夫婦だけの静かな空き巣になる。仕事始めの日にこんな出来事があった。午後から真庭市の久世に在宅訪問診療に出かけた。診察が終わり家から道路(一応国道)を渡って駐車場に向かう途中で反対車線を走る一台のカブが止まった。私の名前を呼ぶのである。こちらもすぐに誰かがわかった。25年ぶりの再会である。現役時代に倉敷の病院から久世まで何年も往診に来ていた。その患者さんの妹さんである。勝山の病院に通う道中にその家があることは最初から懐かしくて記憶していた。彼女にはあれからずっと年賀状を出してきた。「勝手知ったる他人の我が家」のようで家族のような付き合いであった。その彼女は年賀状の返事を出すために久世の郵便局に行っての帰りであった。勝山の病院で働いている年賀状の内容を知って、いつか会いに行こうと思っていた矢先であったと話す。これは年賀状が取り持つ『縁』であるのか単なる『偶然』なのか。『偶然』とは何の因果関係もなく予期しないことが起こること。『縁』とはそのようになるめぐり合わせ。さらに『運命』とは人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。『奇跡』とは常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。『偶然』が人間関係などに現れる場合を『縁』と言うのだろう。『偶然』がある結果を生じる場合は、結果から遡って『運命』のような気になう。滅多にない『偶然』が奇跡である。生きていれば誰かとどこかで出会いがあり、その時だけで終わる人やずっと長く付き合いが続く人など様々な形がある。離れている場所に暮らしていて出会うはずのなかった人に旅先で知り合う場合はきっと『偶然』ではなく『必然』的なものではないかと考えた。(写真;元日の風景、由加神社の初詣で、倉敷美観地区の夕暮れ、何か盛り上がらないお正月になってきた)  
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2018年01月03日

五木寛之の新書、「健康を過度に気遣うことは、深刻な病気である」

CIMG1433CIMG1435CIMG1437新年に作家五木寛之の新刊書が出た。『健康という病』というタイトルで「健康を過度に気遣うことは、深刻な病気である」という内容である。五木は85歳になるが元気で次から次と新書を書き続けている。高齢になってから書く彼の「老人の癒し本」をすべて買いあさって読破してきた。五木こそ日常の暮らしで「健康」に誰よりも気を付けている・・はずである。「氾濫する健康寿命にのまれない」「完全な健康などない」「健康寿命にとらわれすぎに」「健康が産業と結びつきすぎている」などの記述は「健康という病」を患っている張本人の本音であろう。高齢者を不幸にする病はこの「健康」だけでない。一見楽しそうで幸福そうに思える「家族」「お金」「仕事」なども高齢者にとっては「病」になりかねない。お正月の賑やかで楽しかった数日も終わり明日からは「仕事」が待っている。永井荷風は日記「断腸亭日乗」でこう記していた。「正月元旦。例によって為す事もなし」「正月三日。灯火に粥を煮、葡萄酒を二三杯傾け暖を取りて後机に対す」。すがすがしいほど永井の孤独な生き方である。ひとりの自己を立ち上げ、孤高を演じそれを楽しんでいるように思える。これこそが「老人キャラ」というものなのだろう。(写真;一年2度だけの「家族」、五木流に言えば「家族」とは『気配』だけのものがいいのだそうだ)  
Posted by hhirano20 at 14:39

2018年01月01日

新年明けましておめでとうございます

IMGP0054IMGP2928IMGP0492P1000019明けましておめでとうございます。皆様におかれまして、この年も健やかで爽やかに暮らせますようお祈りいたします。元日も昨年にひきつづき早朝に目覚め闇夜の散歩道を歩いた。少々寒いが、星空の下で気持ちのよい空気が心地よい歩きはじめであった。山登りで鍛えた足腰のおかげで力強く大地を踏みしめて歩かれる。背筋をまっすぐに歩けばどこまで歩いても疲れを感じない。散歩の途中で初陽が昇ってきたら思わず両手を合わせて頭を下げた。自然への感謝であろう。散歩の途中でいつも参っている藤戸寺、遍照院さらに広田神社に気分新たに詣でた。ここでも両手を合わせて神や先祖にこうべを差し出した。散歩道で出会ういつもの顔なじみには本日は「明けましておめでとうございます」で挨拶する。まさに元旦は朝から「健やか」で「爽やか」。「一年の計は元旦にあり」。10年前の沖縄暮らし(セカンドライフの生き方を探しに・・)で学んだ人の生き方を実践したい。沖縄の美しくて優しい自然と人々中での暮らすことによって、セカンドライフの生き方を考えるよりも今の生き方を学んだ。一日一日、地に足をつけて、周りを見渡して、寝る前には「今日は久しぶりに楽しい一日であった」と微笑みながら明日の楽しいことだけを考えながら床につく・・。こんな日を暮らしたい。(写真;元日の朝陽には「もうそんなに頑張らず「爽やか」に暮らしたら・・と言われた気がした」  
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2017年12月30日

『老衰』を“幸せ“と言わずして何が幸せか

CIMG1414CIMG1409CIMG1397CIMG1405CIMG1403CIMG1406高齢者は加齢によって種々な老化現象が進み、加えて複数の慢性疾患を抱えて病状も徐々に進行する。いったん進行した老化現象や一度喪失した日常生活の能は回復するのは困難である。さらに日常生活で直面するさまざまな経済問題、家族や友人との別れ、孤独、老病死の不安など、ストレスにより心身ともに虚弱化していくことになる。こうした慢性的なストレスに加え,急性疾患で入院加療すると一気に衰弱が進行する。環境の急激な変化で“せん妄“状態や認知機能の低下が起こり老衰現象も進む。長期臥床により廃用性筋萎縮などが加速し長期間の絶飲食による口腔嚥下機能の著明な低下も起こる。これらは「慢性的な死への過程としての『老衰』」である。若かりし医師の頃は、私の書いた死亡診断書には『老衰』という病名が半数以上あったように思う。年老いて寝たきりになって自宅で看取った方はみな『老衰』であった。その後、『老衰』という診断書は科学的でないと批判されるようになった。死亡診断書作成に当たっては傷病名等を正確に記載することが求められ、傷病名は医学界で通常用いられているものを記入し疾患の終末期の状態としての心不全、呼吸不全、『老衰』等は書かないように注意される。80や90歳を過ぎるまで癌や心筋梗塞や不慮の事故で死ぬことなく生きながらえ、その後も数多くの医療や介護の世話になり続けながら何年も生きてきた『老衰』を“幸せ“と言わずして何が幸せか。最近、介護保険関連施設や自宅での『老衰』死が増え超高齢者の死因の第四位に記載されるようになった。考えてみると人間が死ぬ原因は「人間として生まれたこと」ではないだろうか(これこそが『老衰』の原因)。そして病気などは死ぬことへ一つの条件ということかもしれない。(写真;県南にある遥照山・鴨方山、阿部山の縦走、低山ながら5時間ほどの山歩きが出来る、冬の足腰の鍛錬場所はここに決めた、冬山も老衰で何もない冬景色に見入る)   
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2017年12月27日

子どもの『好奇心』の強さや幅の広さには驚かされる

CIMG1395CIMG1389CIMG1372里帰りしている4歳になった孫は朝から晩まで「なぜ、なぜ」を連発している。NHKラジオの「子ども電話相談室」を聞いていたら、大人でも知らないような目から鱗の質問を専門家に聞いていた。「何故、飛び魚は海の外を飛ぶのですか?」「何故、クジラは背中から水を吹き出すのですか」「何故、マングローブは森ではなく川の中で育つのですか?」。子どもの『好奇心』の強さや幅の広さには改めて驚かされる。分からないものに対して、その理由や意味を知りたいと考えるのは人間の根源的欲求であると思われる。その意味ではワイドショーで芸能人の生活をほじくり回そうとすることと、素粒子の行動を解き明かそうとすることに差異はないと考える。目新しいものに出会ったとき生まれるもう一つの心情としては『恐怖』が挙げられる。ヒトが目新しいものにぶつかった場合には、まず驚愕が先に立ちそれから『好奇心』が生まれるか『恐怖』が生まれるかのどちらかである。本質的には『好奇心』とは未知の物事に対する行動や精神的な働きを示す言葉であり、自然環境や周囲の出来事の情報や関連するものを求めようとさせることにつながる。大人になると何故『好奇心』が薄れてくるのだろうか。子どもの「なぜ?」だったことに大人は多分蓋をしてしまっているだけではないかと思う。子どもたちの『好奇心』も人によって強さだけでなくその幅の広さが異なる。いわゆる“天才児”は『好奇心』の幅が狭く一つの事に深く心を寄せるのである。大器晩成タイプの“秀才児”の『好奇心』は一つ一つは深くはないがその幅が広く長持ちする。そして子供の成長の過程で教育ママなど他人によっていつまでも『好奇心』に蓋をしない。(写真;孫たちは朝から晩まで昼寝も惜しんで遊んでいる、子供たちの“遊び上手”はとてつもない『好奇心』の成せる業である、これには爺ちゃんはとてもついて行けない)   
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2017年12月25日

「人工栄養法、導入しない選択肢も」厚労省研究班が指針案を公表

CIMG1361CIMG1381動物はなぜ“動物”になったか。それは「えさ」を食べるからである。では「えさ」を食べなくなった動物はどうなったか? それはすべて死んでいった。それは人間にも当てはまる。戦前までは在宅で家人がお粥や重湯など工夫して、最後まで「口から食べさせよう」と懸命に努力した。その当時には点滴や経管栄養(鼻から管を通す栄養)など食べる以外の栄養補給法はなかった。戦後アメリカ医療の導入で、口から十分な栄養や水分をとるのが難しくなった患者に栄養を送る人工栄養法が急速に普及した。とくに「胃ろう」は代表的な人工栄養法で、おなかの表面に穴をあけて胃に管を入れて栄養を送る。現在推定60万人が導入している。これらの対象者のほとんどが高齢者で、栄養を口から全く摂ることなくして生きている。動物の自然の掟に反するので人工的な延命ではないかとの指摘が出てきた。口から十分な栄養や水分をとるのが難しくなった高齢者に栄養を送る人工栄養法について、厚生労働省研究班は導入までの手順や考え方を定めた指針案を公表した。生命維持の効果が少なく患者に苦痛があるだけの場合、導入せず”自然な死”を迎える選択肢もあることを患者本人や家族に示し、導入後に中止や減量ができることも盛り込んだ。これまで、「胃ろう」をすすめてきた医師には「延命治療だから本人の同意が必要」という意識は薄かった。そもそも医師が本人より家族に医療的な同意を求めることに疑問がある。「老衰」とは消えるように何の苦しみもなく死を迎えることである。枯れ木がある時点でポキリと折れ最後となるように・・。 高齢者が人工的な栄養や水分補給が絶たれればそのような自然の死が望める。老人医療では人工呼吸器、昇圧剤、心マッサージよりも栄養補給が一番の延命処置である。栄養補給という医療行為がなくなれば入院の必要はなくなるし、養護老人施設でも入所期間が短縮される。生存期間が短くなれば在宅で最後を看取られる高齢者も増えることになるであろう。いずれにしても増え続ける老人医療費を削減できる。それにこれまで「胃ろう」で人工的に延ばされていた日本の平均寿命は明らかに短縮するであろう。 (写真;娘が子ども連れて早々の里帰り、4歳と1歳の誕生日が過ぎて孫は可愛い盛り、いずれ息子たちも揃いお正月は爺も楽しい)   
Posted by hhirano20 at 18:40

2017年12月22日

本日12月22日は二十四節気の「冬至」、昼が最も短く夜が最も長い

CIMG1348CIMG1350CIMG1342CIMG1344本日12月22日は二十四節気の「冬至」、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日(北半球での話で、南半球では昼が最も長く夏至に相当する)である。と言うことは本日をピークにして明日から昼が長く夜が短くなっていくのである。古代中国では「冬至」を1年の始まりの“元旦”としていた。だから「冬至」は“迎春”でめでたい日なのである。日照時間がどんどん短くなり太陽のエネルギーが極限まで弱まってきたが、「冬至」を境に再び太陽のエネルギーが大きくなり昼の時間がどんどん長くなっていく。昇る太陽と満ちていく月のように気持ちを新たに進めるような節目の日になれるように願ったのだろう。「冬至・冬なか冬はじめ」という言葉があるように、昔から暦の上では立冬からが冬で「冬至」は冬の真ん中なのに本格的な寒さ(冬)は冬至からはじまる。冬至を過ぎると昼の長さが長くなってくるのに更に寒くなるのが不思議である。「冬至」では太陽が南回帰線の上空から地球を照らすので、日本など北半球で正午の太陽の高さが一年でもっとも低くなる。冬が寒いのは太陽との距離ではなく太陽と地面が成す角度が小さいからである。懐中電灯を真上から照らすよりも斜めから照らした方が照らされた面は暗くなる。これと同じ原理で太陽と地面が成す角度が小さいと、地面は太陽からのエネルギーを少ししか受け取れなくなり気温も上がらない。地球を覆う大気は水と同じように暖かさからゆっくりと冷えていくので「冬至」の時期より遅れて本格的な寒い冬を迎える。「冬至」が過ぎれば寒さ本番である。寒さの“免疫力”をつける(適応する)絶好の時期でもある。寒風摩擦、冷たい川に浴びたり滝の水に打たれたりするのはこの目的のためであろう。(写真;天神山登山帰りに吹屋ふるさと村に立ち寄った、この辺りには日本三大銅山があった、副産物のベンガラでも栄えた、かっての富豪「広兼邸」は横溝正史の作品のロケ地になった)  
Posted by hhirano20 at 22:01

2017年12月20日

この歳になって年賀状の意義を知るようになった

CIMG1329CIMG1318CIMG1317CIMG1322CIMG1325年賀状の締切りは25日。それまでに投函しないと元旦には届かない。おっくうなことや嫌なことは昔からぎりぎり間際まで先送りしてきた。だから毎年クリスマスの時期になってもケーキやチキンどころの気分ではなった。朝から晩まで聞かされるクリスマスソングには年賀状書きを急き立てられているようで嫌な気分にされる。でも齢をとると根気が続かなくなりなかなか先がすすまない。好きなことになると即行しないと気が済まない・・のに。この歳になって年賀状の意義を知るようになった。これまでは一枚の葉書がこれほど貴重な存在であることには気づかなかった。学友、恩師、職場の同僚、仕事関係の仲間、昔の患者さん、・・など。皆さんとは“その節”には今でも忘れられない濃い「縁」があった人たちである。でもあれから何十年間一度も会っていない。一年に一度だけれど年賀状は「縁」のあった人には唐突ではなく、自然に近況を伝えられる有意義なツールだと思う。年賀状を送って近況を伝える。頂いた年賀状を眺めながらその人を思い出す。何十年もタイムスリップして、その人のことだけでなく50分の生きざまをも思い起こす。年賀状は「縁」結びである。年に一度だけの繋がりではあるがそれは決して細い糸ではない。あの当時の「縁」を脈々と繋げてくれているのである。一人ひとりにそれぞれのお礼を言い感謝する。そのような気持ちになってきた。半世紀近く年賀状を交換し続けている人たちもいる。医者になって最初の受け持ち患者さんがその一人である。退院以来遠方に転居され、50年余り一度も再会していないが年に一度の年賀状のやりとりは欠かした年がない。彼女の昨年の年賀状には「自然の恵みをたっぷり味わい、生活改善に意欲を注いでいらっしゃる、大いに応援しています・・・」とわが生き方を励まされた。24歳の新米医師が71歳の老人になったが、毎年の年賀状でどのように私の生きざまを想像しているのだろうか。「一度お会いしたいですね」という文面を年賀状ではよく見る。年賀状には「縁」を繋ぐだけでなく新たに「縁」を深める意義もあるのだろうか。(写真;県南部の山登りはハイキング気分、岡山市の瀬戸内海沿岸にある低山二つを縦走、怒塚山からは児島人工淡水㗅が金甲山からは瀬戸内の他島美が眺められた)  
Posted by hhirano20 at 19:55

2017年12月18日

昨日も本日も山登り。頻回に山に登るようになったのはこの春からである

CIMG1332CIMG1337CIMG1338CIMG1335昨日も本日も山登りに出かけてきた。このように頻回に山に登るようになったのはこの春からである。大山、蒜山、毛無山、比婆山、氷ノ山などなどの県境にある1500m以上の山に挑戦し、三平山、金ケ谷山、星山、那岐山などの1000m級の山々も登り切ってしまった。積雪のため県北の冬山登山は諦め、県中部の天神山と県南部の金甲山・怒塚山に登ってきた。サンデーウォークも平地の歩きから近くの低山の山歩きに切り替えている。山登りをはじめてから日常生活での動きが身軽になり、疲れというものを感じることがなくなった。それまでは年齢と共に「猫背」姿勢になってきて、女房からは“ジジくさい”とたしなめられていた。最近は同じ口から「顔つきも姿も若返っている・・まあ10歳ほどかな・・」。嬉しいことを言うではないか。この言葉で山登りに病みつきになったのである。・・でもそれは嘘である。この春頃から「歩くだけでは能がない」と思うようになったからである。高齢者が「貯筋」といって前傾姿勢の悪い姿勢でいくら歩いても疲れが出るだけで歩きの効果は半減以下だろう。加齢と共に骨盤筋群(お尻の筋肉)が痩せ劣ってくると骨盤が前に傾いてくる(骨盤前傾)。本来、骨盤は水平に位置して頭から上半身(体重60Kgの成人で約50Kgの重さ)の体重を垂直に(軽々と)受けて立っている。両脚で椅子の脚の如く微動だにせず楽々と支えている。骨盤が前傾になると上半身の体重の多くは骨盤で支えず、体重を支えるのは上半身の背部の筋肉群で前かがみにならないようにいつも力がかかっている。だから立っているだけで疲れるのである。1歳頃の子どもがハイハイからつかまり立ち、しばらくして前に歩き出すがすぐに転んでしまう。骨盤に繋がれた大腿部の筋肉は前面に大腿四頭筋が後面に大腿二頭筋(ハムストリングという)が足腰を支えている。大腿二頭筋が骨盤を真っ直ぐに受ける役割を担っており、子供は歩き出す前に何カ月もかけてこの筋肉を鍛え成長させる。立てたらあとは大腿四頭筋が両脚を交互に前に出して歩くだけ。山道(坂道)の昇降には全体重を片足のハムストリングが支える。とくに下るときには落下速度も加わりその数倍もの力で支える。ウォーキングは主に大腿四頭筋に「貯金」するだけ。ふらふら与太つきながら一所懸命「惰性」を使って歩いているのである。山登りの翌日のウォーキングでは若者のように跳ねるようにスピードを上げて歩けるのである。(写真;県中部にある天神山は標高777mと縁起がいい、でも山頂付近は雪道となった、休日は頭が畑仕事に行こうと考える前に体が先にかってに山道に向かう)  
Posted by hhirano20 at 21:34

2017年12月16日

高齢を元気で生き残ることが出来るのは『変化できる者』である

CIMG1312CIMG1314「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは『変化できる者』である」。チャールズ・ダーウイ ンの有名な進化論に基づいた格言である。これは健康寿命までの“余命”を何年と宣告された高齢者にも言い当てられる。ますます家に閉じこもってしまい、社会や自然の中での“適応”範囲を狭めていかないようにしたい。そのためには、自分で何かを変える努力をしないと世の中や自然現象は変わってくれない。齢のせいとか世の中のせいにしていると健康寿命の後が辛くなる。融通の利かず頑固ですぐキレてしまう老人、気温の適応範囲を狭めて熱中症で病院に通う老人、車スピードの速さに適応できなく交通事故に遭遇する老人、・・・加齢と共に体も心も世の中の便利さや人とのつながりに適応できなくなる。ダーウインの「進化の先は行き止まり」をもじって、「便利さや贅沢の先は行き止まり」なる格言を提案したい。“適応の幅”を広くもつ必要性のことである。暑さと寒さ、晴れの日と雨の日、粗食と美食、自動車と自転車と歩行、新幹線と鈍行列車、テレビとラジオ、デパートと百均店・・。“上を向いたらきりがない、下を向いたらあとがない”生き方“では、そのうち“上を向いたら行き止まり、下を向いても行き止まり”の生き方が待っていることであろう。男性の健康寿命は71.11歳(女性が75.56歳)なのでそろそろこの老人にも満期がくるのだろうか。先月から職場を変更して単身赴任、二泊三日の勝山暮らしをはじめた。父親のこの暴挙(?)を心配して、ブログを毎回読んでくれている神戸に住む娘からメールが届いた。『忙しそうですが、勝山暮らしを満喫しているようですね。タイヤは安心しましたが(冬用に変えたこと)一車線になっても自分のペースで安全運転をしてください』。一泊は病院借り上げのマンションにのんびり眠り、もう一泊は当直ルーム室で寝た気のしないまま夜が明ける。食事は3食とも職員食堂で健康食を食べさせてもらっている。3日間のお勤めがすんだら、自宅や畑に帰り聴診器を鍬に持ち替えて肉体労働に精を出す。このような生き方が出来るのは「変化出来る者」だからなのだろうか?(写真;先日からワンルームマンションから少し広めの新しいマンションに移動した、近くに大型スーパーがありもうすっかり勝山の地に適応したようだ・・)   
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2017年12月14日

人の名前がすぐに思い出せないのはどのような原因なのだろう・・?

CIMG1304CIMG1303CIMG1307CIMG13102カ月前まで勤務していた職場の職員の名前を思い出そうとするが、即座に口から出てくる人の数は半数以下である。日頃親しく接していた人の名前すらも思い出せないし、逆にほとんど会話もしたことのない人の名前はすぐに口に出てきたりする。人の名前がすぐに思い出せないのはどのような原因なのだろう・・?と考えてみた。『記憶』では情報の『貯蔵』と『検索』という作業を繰り返している。知ったこと経験したことを情報として符号化して脳内に貯蔵する作業と、それを検索して読み込む作業である。そして脳内に貯蔵されている記憶は短期記憶と長期記憶のふたつに分けることができる。短期記憶は聞いたことをすぐに繰り返す限り約7項目の容量があるが15〜30秒の制限時間を持っている。だからこの時間内に情報を言葉にして繰り返さなければ、その情報は記憶されずに失われてしまう(例えば白菜、キャベツ、玉ねぎ、ジャガイモ、トマトなど7つの野菜の名前、30秒以内に言葉にして覚えた数の野菜だけが記憶される)。そのうち記憶された何個かの野菜の名前は短期記憶の貯蔵庫に送られそれも数分〜数十分間だけ記憶される。これら短期記憶は脳の海馬という部分に貯蔵されていく。海馬に長い間とどまった記憶のみがそのあと長期記憶として貯蔵されることになる。長期記憶はその後大脳新皮質の側頭葉に移されるがその容量は数千項目で、半永久的に貯蔵できると考えられている。理論的にも長期記憶に限界はないそうである。それならば何故私たちは思い出すことができなくなるのだろうか。この問題は記憶が脳内にあるかないかよりもどうやって覚えたのか、またどうすれば呼び出せるのかということになる。海馬は記憶の司令塔と呼ばれるように記憶の取捨選択を行い、必要な記憶のみを長期記憶として移動させる。だから覚える時点で、この情報が必要だと海馬に言い聞かせなければならない。パデュー大学のジェフリー・カーピック博士は『出力を繰り返した情報はより脳に記憶として定着する』という旨の論文を発表した。情報を使えば使うほど海馬はそれが必要だと認識してくれるのである。たとえばテキストを読み続けるのではなく問題集をたくさん解くほうが記憶は定着するし、また声に出したり身体を動かして人に説明するのも効果的。一方、記憶を呼び出せない理由は、新たな情報の符号化が以前からの記憶と干渉して古い記憶の想起を妨害する逆向抑制、逆に古い記憶に妨害されて新たな情報が符号化できなくなる順向抑制が考えられている。記憶を形づくるときは情報を覚えた環境や状況も実は一緒に記憶している。いわば記憶にタグ付けをしている。そのタグを手がかりに記憶を検索しようとする。だから何かを思い出したいときの状況と、その情報を覚えたときの状況に差があればあるほど『思い出せない』という事態はより深刻になる(今の職場で前の職場の職員の名前は思い出せなくても前の職場に戻ったらたちまちどなたの名前も口にすることができる・・という理屈である)。(写真;今朝の勝山は雪国であった、雪国育ちの遺伝子は子供のようにはしゃいで、新雪を踏みしめながらいつもの山道の「朝散」に出かけた)  
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2017年12月12日

「健忘」をボケてしまったとクヨクヨ思い悩んだり不安にならないこと

CIMG1257CIMG1262CIMG1264CIMG1267CIMG1271「ものごとを忘れる」というのは脳の大事な生理現象の一つである。高齢者だけでなく若者だって普通にものごとを忘れる。むしろすべてのことを覚えていて、忘れることができなければ脳や精神が一杯いっぱいになって変になってしまう。辛いことだけでなく楽しかったこともいつの間にか遠い記憶になっていく(とくに「熱しやすく冷めやすい」日本人は・・)。しかし高齢者にとっては、この物忘れに対してある時ふと「ボケたのではないか?」と疑う時がしばしばある。そしてそれが重なると自分が「認知症」になったのではないかと不安になってもくる。よく起こる現象として「人の名前が出てこない(顔とか仕草とかははっきりとイメージできるのに)」「2階に上がってきたのに上がってきた理由が突然思い出せなくなった」「いつくかのことをやろうとすると必ず一つはし忘れる」など。これらは良性健忘とよばれるもので「認知症」ではない。ものを思い出すメカニズムは大まかに3段階がある。まずは記銘、つまり情報や知識の取込み。次にそれを貯蔵。そしてそれを検索してヒットさせる、「あっ、思い出した!」といったプロセスである。ものや人の名前が思い出せそうで出てこない場合でも、後で思い出したり人から言われて「ああ、そうだった」と合点す場合は最後の検索機能が『疲れている』のである。加齢によりある程度、検索の機能が落ちるのが普通だし(そうでない人は元々“頭がいい”)、疲れなどその時の体調にもよるのでこの機能は回復できる。また後で思い出せるということは記憶そのものがダメになっていない証拠である。いけないのは単なる健忘をボケてしまったとクヨクヨ思い悩むことであろう。それに「ストーブのガス栓を止めただろうか?」「家の戸締りをしただろうか?」と、いろいろな健忘の過去がトラウマとなって「不安神経症」に陥ることである。夕方菜園から帰る時には二つある水道蛇口を締める。何度もそれを確認したはずなのに・・。帰路に締めたかどうか不安になり引き返して、もう一度蛇口の栓を確認しさらにキツク締めて安心する。(写真;吉備の国には394mの山に「鬼ノ城」がある、千何百年前に朝鮮半島から「温羅」という鬼たちがここに住みついた、人を生贄にした大釜もあった、温羅の鬼神を退治に桃太郎はキジなどの動物を従えて鬼退治に出かけた・・、この辺りで伝わる「桃太郎伝説」である)  
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2017年12月10日

日曜日直、医局で一人のんびりと高齢者の死について考えてみた

CIMG1253CIMG1242CIMG1248CIMG1250CIMG1251一昨日は3人の超高齢者を看取った。日曜日直、医局で一人のんびりと高齢者の死について考えてみた。ピンピンコロリ(PKK)とはピンピンと元気に老いて寝つかずにコロリと死ぬという、理想の老人のラストライフを目指すことである。長野県伊賀郡のある町が高齢者の健康づくりのキャッチフレーズとして使用したのがはじまり。長野県民は平均寿命が長いわりに老人の医療費が全国で一番低い。つまり、元気に長生きして病院にかからずに死ぬ人が多いということである。ピンピン長生きすることに関しては誰もがすごく熱心なのに、コロリと死ぬことには余り目を向けようとしない。ピンピンと生きさえすれば自然にコロリと死ねるとでもいうような甘い(?)見通しである。ピンピン長生きを望む人は健康に気をつけ、身体を大事にすることである。そんな人は身体が丈夫な分だけ最後はだらだらと時間をかけて死に向かう。心肺が丈夫なために急性発作を起こしても死に損ねたり(九死に一生を得ること)、身体は元気でも脳はそれについて行けず完全な認知症ということになりかねない。ピンピンばかり目指す人は長生きの恐ろしさに対する想像力が足りないと思う。末期医療でもさまざまな治療法が開発されている。その結果、死にもしなしいし助かりもしないとう状況が出てから病院での安楽死が議論されはじめた。近代医療が発達する前はたいていの人が自分の家であまり苦しまずに死んでいた。自然に任せておけば人間はそれほどに苦しまずに死ぬ(自然死)。それは動物の死を見ても明らかだろう。死が苦しくなるのは病院であれこれ最後まで手を加えられるからである。放っておけばそんなに苦しむ前に力尽きてしまう・・のに。高齢者は“乾いて死ぬ”のが楽そうである。食欲がなくなり水分も摂らなくなってそのまま死に至るのがもっとも穏やかな死に方である。生きる力があれば放っておいても飯を食うし水も飲む。飢えも渇きも感じなくなるのは身体が死ぬ準備をはじめている証拠。それなのに点滴を、経管栄養を、胃瘻を、などと病院ではこれらがルーチンで施行される。周りの人達の安心のためにはなるが、ただいたずらに死ぬに死ねない状況をつくっている。これからは病院でも苦しまない死をサポートする医療が望まれる。「早い!うまい!安い!」。この牛丼屋の宣伝文句を病院死にも実践してもらいたいものである。早くて、うまくて、安い死を。死を支える医療は苦しむ時間をできるだけ短くし“神の手”で上手に逝かせてやらなければならない。国民ひとりが一生に使う医療費の約半分が死の直前二カ月に使われている。病院の経営は困ろうが患者の自己負担が減り国民の医療費が削減される。(写真;柿は秋を代表する果物、寿命が長く人が摘果しなければそのうち熟して渋が抜け、鳥に突かれながらも樹木の枝にしがみつき、とうとう力尽きて落果する、柿に「ピンピンコロリ」を見る思いがした)  
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2017年12月07日

世の中には「頑張り屋さん」と言われる人がいる

IMGP0273IMGP0285IMGP0294P1100906-1世の中には「頑張り屋さん」と言われる人がいる。グチグチ言わずに真面目にコツコツ積み重ねる人、嫌な顔ひとつせず人のやらない事を率先してやっている人、 いつも精一杯生きている姿をみると頑張っているなぁと思う。そのような頑張る人はなんでもスマートにこなす人、勉強をしなくても成績の良い人が羨ましく思える。学生時代から「頑張り屋さん」と自負していた努力家の私は、ずっと器用で準備や段取りをキッチリできている人を「天才」だと憧れていた。この一週間は入院患者重症のため勤務地勝山に詰めて仕事三昧の忙しい日々であった。今月からは木曜日の当直業務が加わり、さらにこの日曜日は臨時の日直に手を挙げた。「頑張り屋さん」は決して仕事だけでは一日を終わらせない。早朝の山道を2時間余り歩き、昨日は雪がちらつく神庭の滝までのウォーキング。さらに病院付属デイサービス施設の敷地にある畑を耕して、わが菜園で育てたエンドウ豆の苗を50本ほど植えつけた。それにワンルームマンションの調理台を使って「揚げない大学ポテト」のスウィートを夜なべして多量に作った。明日そのデイサービスの利用者に食べてもらうためである。一日中、分刻みに体を動かしているがちっとも疲れを感じない。他人は齢を感じさせないパワーを褒めたり呆れたりする。確かに何をするにもパワフルで全力投球である。このようなエネルギーは「頑張り屋さん」だからこそ出せる。おそらくスマートで器用な「天才」だったらどんな高齢者になっていただろう。(写真;山の上にある神庭の滝は紅葉が終わり落葉、ここには京大の人類科学研究所がありサルも自然に飼われている)   
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2017年12月06日

「自然死」と「病院死」の違いは何なのだろう?

CIMG1228CIMG1230CIMG1233CIMG1237CIMG1238先週末は受け持ち入院患者の容態が悪くなり、土/日曜日のサンゼミOB会に参加できず月/火曜日も勝山暮らしとなった。94歳の高齢者は脳梗塞を頻回に繰り返す。その原因は不整脈の心房細動で、その頻脈発作で心臓内に出来た血栓が飛んで脳の血管に詰まる(心源性血栓症)。無呼吸と大呼吸を繰り返す呼吸となり血圧は低下し脈拍数も減じて心不全状態。いわゆる心肺停止状態に近づいていたが、家族の意向もあり酸素吸入と点滴だけは続けてそれ以外の延命治療は行わない「看取り」とする判断をした。病院での「看取り」は経験が少ない。久しぶり病室のベッドサイドでモニターと見比べながら何時間も患者の容態を観察した。「自然死」と「病院死」の違いは何なのだろう? 医者ならだれでもが知っているようで実は誰もわかっていない・・、と確信している。本来の「自然死」では点滴も酸素吸入もしない。何一つ医療行為を行わないで迎える死のことである。人体はいよいよ死の準備段階に入ったら、安らかに苦しまないようにする「死ぬ力」も備えている。例えば意識が亡くなるとか、エンドルフィンなど脳内麻薬も放出され周りで見ているほど苦しみを感じていないはずである。人体の60兆個の細胞は次第に機能を低下させエネルギー(ATP)産生の火を消していく。「自然死」は細胞死(アポトーシス)である。それなのに病院では「看取り」と言いながらも点滴したり酸素吸入を続ける。死の段階に入ったにもかかわらず、注入された水や電解質や栄養の処理を担当する細胞はけな気にも店じまい仕掛けたにもかかわらず働き続ける。だからいつまでも店じまいは出来ず死にきれない。安らかな死を妨害するだけである。(写真; 勝山の一番の名所は神庭の滝、長さ100m余り幅20mの大滝は中国一の規模、マイナスイオンを浴びながら恐怖を感じるほどの流水の勢いに見惚れた)  
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2017年12月03日

好き勝手に暮しているが、なかなか「のんびり」「ゆっくり」した気分になれない

P1000600P1000595P1100221リタイアしたら「のんびり」「ゆっくり」と暮らしたいものである。日々好き勝手に暮しているが、なかなか「のんびり」「ゆっくり」した気分にはなれない。7年前に旅した台湾の街路で暮らす犬のことを思い出した。台湾の街の日常の風景にはノラ犬は欠かせなかった。ノラ犬を殺生する条例がないので、くさりにつながれることなく自由気ままに一生を送ることができる。ノラ犬にとっては地上の楽園だと思った。陽の高い間はいつもゴロゴロ、ひたすら眠っているから昼間には人間が危険な目に遭うことはない。その姿は危険物というよりも障害物に近い。しかしやがて陽が沈むとどこからともなくゆらゆらと、一匹また一匹と出没しはじめる。群れとなって暗闇の街や路地裏を徘徊する。犬は食べ物屋台やレストランをふらつき、店員や観光客のオコボレにあやかったり、そこから出る残飯を食べて生活している。わが家の飼い犬のように「早くよこせー」とキャンキャン吠えるのではなく、少し遠慮がちに「それ、ちょっとでいいからもらえませんかね・・」といった感じでエサが投げられるのをジーと待つ。一方の台湾人は「ああ今日も来たの」とポイッとエサを投げる。だからといって可愛がるわけでなく邪魔になればケリを入れて追い出す。ノラ犬も「ハイハイ、いま出ますよ・・」と慣れた風に立ち去る。互いを認め合いながらいい距離を保って暮らす。まさに理想的なご近所付き合いである。台湾人のペット犬への感情もドライで、主従関係とうよりは所有物のように扱う人が多い。大きくなって手がかかるようになったらポイッと次の日から外に放って我関せず・・なんてこともある。情もなにもあったものではない。が、犬も元々過剰な期待をかけているわけでもないのだろう・・。一見身勝手な人間に振り回されているようだが首輪をはずされればそれなりに自由を横臥するから、犬の方でもそれほど悲劇的に考えているようには見受けられなかった。人間との距離をつつましく守って生活している台湾のノラ犬はどことなく愛嬌があって、のほほ〜んとしているからまったく憎めない存在であった。台湾のノラ犬を見習って「のんびり」「ゆっくり」と暮らしたいものだが・・。(写真;台湾のノラ犬とわが家の飼い犬二匹、犬にとってどちらが「犬らしく」生きているのだろうか?)  
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2017年12月01日

水/木/金の勤務日は真庭市勝山で自由気ままな一人暮らしを楽しんでいる

CIMG1162CIMG1165CIMG1166CIMG1175水/木/金の勤務日は真庭市勝山で自由気ままな一人暮らしを楽しんでいる。その最終日の金曜日は仕事にとくに力が入る。ワンルームマンション住まいにも慣れ、今朝は4時すぎに部屋を出ていつもの散歩道を歩きはじめた。真っ暗闇夜の山道である。県北の冬の朝は冷え込みが強く防寒具や手袋が欠かせない。灯りのない山の中、見上げれば冬の星座がプラネタリュームで見るが如く満天の星が輝いていた。宇宙にはこんなに多くの星が存在することを実感するのは子供の頃以来である。上を向きながら一等星〜三等星まで無数の星を一つずつ数えると首が痛くなる。わが地球は宇宙の単なる一員だと自覚して謙虚な気持ちになれた。山の中腹にある運動公園を越えて、山の頂にあるゴルフ場まで登り引き返してきた。部屋に戻る頃には日の出を迎え、星空はいつの間には消えていた。7時過ぎに病院に出勤し楽しみにしているのは職員食堂での朝食。猛烈に腹が減っているので、犬食いのように食べ物をのどに通す。生卵に味付け海苔、味噌汁に小鉢の煮野菜、果物に牛乳。近頃は口にしない昔風のおふくろの味がして何とも幸せ気持ちになれた。それから病棟、外来、在宅往診に施設訪問診療。明日からの4連休の楽しみがあるから年甲斐もなく張り切って朝から一生懸命働いた。ところが特別養護老人ホームの診察で入院を必要とする二人の患者を診察した。夕方6時頃から病院に運び外来で諸検査を済ませて病棟に・・。家族に病状説明をすませ一息をつくと8時が廻った。もう今日は家に帰れないので、今晩もワンルームマンションに泊まることとした。土曜日は“サンゼミOB会”の宿泊研修が吉備中央町である。それにもはたして参加できるであろうか? それは入院した患者さんの病状如何である。この病院に赴任してからひと月で10人ほどの入院患者を増やして病棟は満床状態が続く。看護師さんらスタッフには負担も増やし心苦しい非常勤医たが、職員の冬のボーナスは大幅(?)アップだと聞いてホットしている。(写真;吉備路の国分寺五重の塔、四季折々の景観が美しい、何もない初冬では殺風景の趣がある)  
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2017年11月29日

生きているということを実感して暮らした日数がその人の賞味期限だと思う

CIMG1204CIMG1205CIMG1206CIMG1208CIMG1209格差社会になり人を「勝ち組」と「負け組」に分けようとする。でもこの地球上では人は皆弱いものである。「数年後には死ぬかもしれない」。でも「百歳まで生きるかもしれない」。残りの人生がどれくらいかなどは、誰にもわからない。誰にでも訪れる死というものを曖昧なものにして時を過ごしているのである。生まれると同時に、人もスーパーに陳列されている品物と同じように賞味期限のレッテルが貼られているはずである。それにいつ気がつくか、そのきっかけと時期が人によって違う。私の場合は、四十歳の時に背中に貼られている賞味期限をみてしまった。そのような気持ちになったのは知り合いの葬儀に参列した時だった。お棺の中の死人を眺めて、人は誰でも死んでしまうものだと当たり前の事を初めて実感するとともに同時になぜか安心もした。小学校の夏休みでも、終業式の頃には長い夏休みが永遠に続くものと考え無為でダラダラした毎日を過ごした。夏休み最後の一週間ほどが、休みの喜びを本当に実感して過ごした日々であった。学校のはじまる前日に、明日から夏休みの始まりだったら休みを有意義に過ごすのに。そのように毎年思ったものだったが・・。人生は寿命の長短ではない、それは健康寿命でもない。生きているということを実感して暮らした日数がその人の賞味期限だと思う。だから死が訪れる日まではつらつと生きたい。そうしたら人生の賞味期限は書き換えられないのだろか?(写真;冬場の日曜登山は県南の低山に切り替えた、県南西部にある阿部山、竹林寺山、遥照山を縦走した、竹林寺山には国立天文台があり、はるかな宇宙の光と声が届くようなうな標高400m程度の連峰歩きは楽しかった)  
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2017年11月27日

人生には数多くの「転機」があり、それらの結果が現在であり未来につながる

CIMG1215CIMG1219CIMG1221CIMG1223人生には数多くの「転機」があり、それらの結果が現在であり未来につながって死んでいく。71歳までの主な分岐点をあげる。医学部の選択、新設医大設立にあたって新潟市から倉敷市に移住、内科教授選挙に敗北、沖縄の病院に単身赴任、定年を待たずに63歳で医師を辞めた、そして帰郷して菜園で野菜つくりをはじめた。現役をきっぱり辞めるとき、次は医業から農業をやろう(やりたいではない)と“なぜか”決断した。病院退職日の翌日には石垣島に飛び、その日から聴診器を鍬に持ち替え野菜つくりを学んだ。「その日」のことは今でもはっきりと思い出せる。石垣島で体験農業を希望した花谷農園に挨拶に出かけた。石垣島のほぼ中央、於茂登岳(525.8m)の麓にある農園まで4時間余り歩いて行った。途中バナン岳にある広大な森林公園のウォークを楽しんだが目的地がなかなか見つからず、田んぼで水稲の一期作の準備をしていた老人に場所を尋ねた。ついでに畔に座り込んで農業について質問した。年齢は70余りだと聞くが一人で四反の水田を全身泥んこになり耕している。農業は金にならないがやらなければ食べていけない。昨年の台風では二期作目の米はすべて等外で換金できず、野菜も虫が食って農協に出せなかったそうだ。手足も尻も泥だらけになり話に聞き入った。道が逆方向だということを聞いて引き返した。それでも周りは農地ばかりで民家がない。今度は畑で農作業している人に場所を尋ねた。野菜畑の手入れをしている最中であったが農業のいろいろの事を教えてもらった。車で花谷農園まで送って下さり農園の息子さんに引き合わせてくれた。そして自分の畑でわざわざ引き抜いてくれた大根、ネギ、二ンニクまで頂戴し宿(マンスリーマンション)まで車で送ってくれた。昔は石垣島の農作物はサトウキビとパインと米の三作物であったが、東京農大出身の花谷氏ら仲間が石垣島に渡りカボチャなどの野菜類の作り方の指導をしたのだそうだ。農業指導士もされており、日本の農業政策の問題点、とにかく食料自給率を50%以上に上げないといつまでも諸外国から日本の農業は甘く見られること、農業については台湾の技術が日本より上であること、農薬まみれの農地の修正法など今後の研究課題を沢山与えられた気がして実り多い一日であった。元気でパワフルに、71歳を楽しんで生きていられるのは石垣島ではじめた野菜つくりのおかげである。(写真;63歳から7年かけて開墾してつくり上げたわが菜園、あのときの若さであったから出来たものである、300坪ほどある広い畑は「石垣メモリアル農園」と名付けたものである)   
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2017年11月25日

「仕事半分遊び半分」、いや「仕事と遊びの両立」の非番の日であった

CIMG1192CIMG1193CIMG1196CIMG1197CIMG1198CIMG1199フリーランス医師は非番の日でも、病院や嘱託医をしている特養(特別養護老人ホーム)からの携帯電話が鳴れば直ちに出動する。今朝も菜園に出かけようと家を出た途端に、特養の看護師から急変患者の報告を受けた。ドクターカー(わが軽自動車であるが)で高速道路を走った。1時間余りで施設に到着し早速診察、94歳の女性は熱を出して誤嚥性肺炎の再発が疑われた。さっそく勤務する病院に送ってレントゲンやCT、血液検査、心電図等の検査を行い、心房細動、脳梗塞、誤嚥性肺炎に尿路感染、これら多くの持病の増悪であった。入院にて膀胱カテーテル留置、脳梗塞治療の点滴、抗生剤の点滴を早速開始した。胃瘻からの栄養剤を固形に変更したが酸素吸入は必要なかった。家族に病状説明したがこれ以上の積極的な延命を希望しないという・・、94歳なら自然死の選択でも正解かもしれないと思いつつも手際よくせっせせっせと看護師に医療指示をだしていた。特養での嘱託医の立場と病院医師との立場を使え分けするのが難しい。特養は「終の棲家」なので「看取り」で自然死を見届ける・・はずであるが。病院はあくまでも医療を施して病気と闘い、それに負ければ病院死であり医者の敗北でもある。94歳の超高齢者は病院の主治医として急性症状を直し、後は特養に戻して嘱託医として経過観察し自然死に向かわせる。でも最後まで医療を選択するかどうかは家族の希望を聞いて決める場合が多く、最後の土壇場で自然死が病院死に変更されることが多い。高齢者医療を専門にして3年になる。最近は高齢者の顔つきで「生きたい」と思う気持ちが察せる様になった。本人が「生きたい」のか「もう生きたくない」か、それが鑑別できれば医者として病院死か自然死かの選択ができるはずである。(写真;午後からわがドクターカーで県北の山登りに出かけた、金カ谷山(1164m)の雪道を滑りながら転びながら悪戦苦闘して山頂にたどり着けた、雪道は下りがさらに滑って大変、ようやく日没時に登山口にたどり着けた、「仕事半分遊び半分」いや「仕事と遊びの両立」の非番の日であった)   
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2017年11月23日

菜園の「月桃」がスズランのような白い可愛らしい花を咲かせた

CIMG1182CIMG1184CIMG1186CIMG1185P13008735年前、菜園の片隅に「月桃(げっとう)」の種を植えた。「月桃」は沖縄に普通に見られ、屋久島、種子島 台湾、南アジアに分布するショウガ科の多年草芳香植物である。種は沖縄に旅した時に知り合いから頂いたが、本土の冬の寒さでは育たないはずである。冬の霜対策としてビ二―ルハウス内に定着させた。でも地下は外の土壌とつながっているので土を盛り上げて高床で植えつけた。冬の寒さで葉っぱは枯れてしまうが根は生きていて、春になると新葉が出てきて夏には株がどんどん増えてきた。もう草木の外見は沖縄に植えられている「月桃」にはひけを取らないほどに成長した。でも肝心の花が毎年咲かない。沖縄では夏の梅雨の時期に可愛い花をたくさん咲かせるのに・・・。4年目の昨年の今ごろ一輪だけ小ぶりながら可愛い花を咲かせた。本土の他所で「月桃」の花が咲くのをこれまで見たことがない。4年の沖縄移住の執念が実ったようで感激した。今年も昨日、やはり一輪だけスズランのような白い可愛らしい花が咲いているのに気がついた。大好きな花なので早速デジタルカメラに撮り収めた。ご覧の様に桃と月の光を表現しているのがお分りでしょうか。沖縄ではどこの庭先でも道端でも植えられている。最初に出会ったのは沖縄海洋博公園内で、多数咲いており草木の案内板をみたらゲットウ(月桃)と書かれていた。海洋博内のみやげ物店では、月桃染めの小物入れや敷物、しおりなどが売られていた。滲み出した黄色っぽい樹液で染めたもので、沖縄風の色合いだけでなく虫がつかないそうだ。ショウガ科の多年草で独特の薫がある月桃の葉は、古くからムーチ(鬼餅、沖縄の伝統的な餅)を包んで蒸していた。その他に古くから葉っぱには抗菌・防虫効果があることに気づいており、手洗いや洗顔に使われ、香りもあるので化粧水としても使い、お肌の手入れに適していたという。そういえば沖縄の若い人にはニキビが少ないような気がしていた。お掃除の仕上げにこれで畳を拭くとカビ予防、虫除けになる。そしスプレーして空気洗浄にも古くから使われていた。沖縄ではスーパーで月桃の搾り汁100%原液がスーパーで売られていた。薄めて使用するのだ。草木と共生している沖縄人の生き方には人が生きることの意味を考えさせられたものであった・・・「月桃」には懐かしい思いで出がたくさんある。(写真;花弁の外側は桃で内側は黄の月の色、沖縄では夏の暑さに枯れる、こちらでは冬の寒さで枯れる、いずれも可愛い花は枯れる前に咲き誇るのである)  
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2017年11月21日

「最期は家で?病院で?施設で?」。この答えは75歳までの努力によって決まる

CIMG1152CIMG1157CIMG1156CIMG1158CIMG1161「高齢者」の定義を拡大し、65歳から10歳も引き上げて75歳にするという意見が出ている。20年前に比べて65歳の高齢者は心身とも10歳ほど若がえっているというのがその理由である(年金年齢をそこまで引き延ばすという意味もあるのだろうが・・)。たしかにウォーキングしていても、山登りをしていても、還暦過ぎた60歳代はちっとも年寄りとは思えない元気さである。老人施設には80歳半ばから90歳代の入所者がほとんどを占める。」「シルバーベストミックス」を改めて考え直す必要がある。これからセカンドライフの生き方は何を目標にしていくのか。これまでの明治や大正生まれの高齢者の生き様は必ずしも参考にならないと考える。おそらく平均寿命はもうこれ以上は伸びないだろうから、健康寿命が延びて不健康寿命が短縮されるのではないだろうか・・・と期待する。嘱託医をしている特別養護老ホーム(特養)には107歳、104歳、100歳のお元気な超高齢者も入所しているが在宅の暮らしは出来ない。まあ・・90歳が自力で家での暮しが出来る「健康寿命」の限界であろう。これからは10歳ほど「健康寿命」が伸ばせる(逆に不健康寿命を10歳短縮できる)計算になる。75歳までは高齢者ではないので若者のように暮らしたらいい。そのためには若者以上に心身の鍛えが必要(老体に鞭うつ)。例えば60歳の体力を維持したいなら60歳の人がする体の動きをして、食事も同様の食欲で肉も野菜も食べられなければならない。「運動と栄養と休養(睡眠)」のレベルがその人のエネルギ(バイタリティー)に相当するからである。「最期は家で?病院で?施設で?」。この答えは75歳になるまでの努力で決まりそうである。でも「逝く場所」は残念ながら病院になるだろう・・。家で看取るためには妻が夫を看取るか嫁が義父母を看取か・・。いくら医者の問診療や訪問看護婦が頑張っても看取ってくれる家族の存在が必須だからである。(写真;寒波到来で県北の山は雪景色、冬は南部の低山の山歩きになる、本日は標高約300mの由加山に登った、山頂には由加神社本宮御本殿と大権現本社〈真言宗の蓮台寺〉が入り混じっている、寺に手を合わせてお詣りしたのか神社に柏手を打ったのか・・訳がわからなくなった、その昔金毘羅さんにお詣りするのが人々の夢であった、諸国から多くの旅人が四国に渡る前にこの備前第一の霊地ゆがさんに旅の安全を参詣した)  
Posted by hhirano20 at 20:29

2017年11月19日

高齢者は「無理をしない」「齢を考えて行動せよ」ということだろう

CIMG1127CIMG1115CIMG1131CIMG1136CIMG1140勝山では3日間の単身赴任。だいぶ仕事にも職場の雰囲気にも慣れ、3日間の凝縮された仕事は相当ハードではあるが充実感が感じられる。金曜日、夕方仕事を終えると明日から4日間の「遊び」がはじまる。ルンルン気分で夜道も苦にせずいつもの高速道路で家路に向かう。やっぱり家がいい・・としみじみ思う。土曜日、早朝からしばらく留守にしていた菜園に出かける。勝山に行く前に植えつけた玉ネギ、エンドウ豆各種、空豆の苗は霜にも負けずにちゃんと根ついていた。この寒さで冬野菜どんどん成長している。白菜、キャベツ、大根、ブロッコリー、カリフラワー、ほうれん草、春菊など冬野菜も今が食べ頃を迎えている。わが菜園はもっと居心地の良い居場所だから日が暮れるまで野良仕事に従事した。翌日の日曜日はウォーキング、歩く道路も生きる喜びを与えてくれる居場所である。始発電車に飛び乗って山陽本線吉永駅で下車、そこから閑谷学校まで歩き今年最後の紅葉を見物した。そこから山道を下って備前市を抜けて日生町まで歩いた。日生町に行く目的は今が旬のミカンと「五味の市」に並べられている魚介類で、本日から殻つきカキが出回り昼食は“焼きガキ”を初物した。このようによく遊んだが、まだ2日も休日が残っている。夕方遊び終えて帰宅すると女房が言った。「彼方みたいに元気な老人は何が原因で死ぬんだろうね? まあ心筋梗塞でポックリ逝くのでしょうね」。すかさずわが口からでた言葉が「おそらく事故死かもな〜」。交通事故(ブレーキとアクセルの踏み違い、逆走など)、火災(火の不始末)、転落転倒(山での転落やどぶ川への転倒)など、高齢者の“物忘れ”や“感覚器の機能低下”や“足腰の筋が力低下”などがその原因になろう。職場環境が変わったせいか近頃“物忘れ”が目立つようになった。“単なる年相応の健忘症”のはじまりであって認知症の始まりとは思わない。でも健忘症がはじまったら、それに合わせた老人暮らしが事故防止の一番の決め手なのに・・。高齢者は「無理をしない」「齢を考えて行動せよ」ということになるのだろうが・・。(写真;閑谷学校の紅葉は見納め時期であった、江戸時代前期に岡山藩によって開かれた日本最古の庶民学校、「旧閑谷学校」として特別史跡に講堂は国宝に指定されている)   
Posted by hhirano20 at 20:48

2017年11月17日

通勤では45分ほどの高速運転中ハンドルにしがみついて考えている

CIMG1110CIMG1108CIMG1113CIMG1114通勤では高速道路を運転する。山陽自動車から乗り岡山ジャンクションで岡山自動道に乗り継ぎ、北房ジャンクションで中国自動車道に移り、落合インターで高速道から国道に下りる。全長52Km、軽自動車の高速運転である。高速道路での運転はほとんど10年ぶりで慣れていない。最初は時速80Kmのスピードに苦痛を感じたが、いまではそれが90Kmまでスピード感覚が戻ってきた。でも岡山自動車道の賀陽インターから北房ジャンクションまで、約20Kmの片道一車線の対面交通が苦手である。追い越し車線のない箇所では後ろに連なる普通車を過剰に意識する。ついつい100Km超までペダルを踏むが感覚器も神経の機能はついて行けない状態で、追いかけられているようで心はかなりのストレスを感じる。束縛や群れを嫌う自由人は必要以上に追いかけてくる後継車が気になってしょうがない。最初の頃は速度制限内(時速80Km)で走る優良運転者(荷物運搬者や高齢者が運転する軽自動車)の後ろについてノロノロと運転していた。これはストレスを他の優良運転さんらと分かち合う効果がある。でも今度は前車の遅いスピードにイライラしてくる。自分のペースでないとこれもまたストレスを貯めることになる。人間には学習効果があるものである。少しスピード感覚が身についてきたら、一車線の対面交通になる直前にこれまで伴走してきた前の車を抜いてその前を走る。そうしたら抜き去った車が後続の猛スピード車の防波堤になってくれて、わが車はのびのび自分の思い通りのスピードで楽な運転で走れる。速い車に追われるのは苦痛、逆にノロノロ運転車の後ろに追従するのも苦痛。こんなことを考えながら・・45分ほどの高速運転中ハンドルにしがみついている。(写真;勤務地勝山の朝散の街の景色、水木金の単身赴任、かっての沖縄単身赴任のように一人を楽しんでいる)  
Posted by hhirano20 at 06:29

2017年11月14日

フリーランスの医師は「仕事半分遊び半分」の生き方にトコトンこだわる

CIMG1083CIMG1077CIMG1096CIMG1075火曜日は四日休み(遊び)の最終日。病院は非常勤医なので出勤日ではないが、特別養護老人ホーム(特養)の嘱託医としての勤務は年中休みなし。日曜日は病院の日直で山登には行けなかった。それを本日に予定をずらしていたが、朝から雨ふりでどのように休日を過ごすか思案していた。タイミングよく(?)特養から携帯に連絡が入った。入所者の一人が調子を悪くしたとのこと・・。明日の診察でもよさそうな病状であったが、気になるので高速道に車を走らせた。病院の看護師と一緒に施設へ訪問診療に出かけ、採血検査等の結果明日外来受診で精査をすることした。タイミングよく昼前から雨が上がり雲の間から陽がさしはじめた。病院の近くには登山する山は数多くある。さっそく白衣から登山着に着替えて蒜山高原の近くにある三平山(1010m)に向った。道中で蒜山の道の駅(風の家)に立ち寄り他人のつくる野菜を見物して、干し柿、切り干し大根、天然ナメコを土産にしてカツ丼で腹ごしらいをした。この山は明治時代に軍馬の訓練場として使用されていたので、階段は無く頂上までずっと緩やかなよく整備された坂道であった。約40分で頂上にたどり着けたが、山頂からは大山も蒜山三座も手に届くような位置に眺められ気分爽快になった。このフリーランス(非常勤)の医師は「仕事半分遊び半分」の生き方にトコトンこだわっている。遊びがあるから仕事に集中でき、そこですべてのエネルギーをついやすことが出来る。仕事に集中しエネルギーをすべて放出するから遊びでエネルギーを満タンに補充できる。でもこれが出来るのは「元気(パワー)」があるからであろう。ふつう71歳の老人はこんなに元気な遊びはしない…いや出来ないかも。ではなぜ元気な老人かといえば、それは「仕事半遊び半分」の生き方をしているからである。(写真;三平山は岡山県と鳥取県の境を屏風のように突っ立っている、8合目からは県境の尾根歩き、明治31年に築かれた全長50Kmにも及ぶ土塁上を登る、蒜山平原は軍馬の訓練場であったが山の向こうに逃げないように築かれた・・まるで万里の長城のごとくであった)  
Posted by hhirano20 at 22:31