2017年05月27日

人間は、その誕生の瞬間から格差を背負って生まれてくる

IMGP2012IMGP1996IMGP2035IMGP2710経済格差はますます広がり、わが国でも少数の勝ち組と大多数の負け組に色分けされてきたと報道されている。でも格差社会は今にはじまったことではない。そもそも人間というものは、その誕生の瞬間から格差を背負って生まれてくる。金持ちの家に生まれる子もいる。貧しい家に生まれる子もいる。兄弟姉妹にかこまれて育つ子がいる。さびしい家庭で孤独に育つ子もいる。日本人として生まれてくる子がいる。北朝鮮やアフガニスタンやアメリカ人として生まれてくる子もいる。小学生になる頃には、背の高さや、体力や、容貌などに大きな違いがあることを感じはじめる。学級にはとびっきり足の速い子もいたし、さほど努力しなくても勉強のできる子も数人はいた。努力することが好きな子もいるが、どうしても努力が苦手で意志の弱い子に生まれついた者もいる。このような子に無理なトレーニングをつんでも効果がない。ハードトレーニングに耐えられる子は最初から意志の強い子である。そんな中で人間はいじらしい努力をして生き続けていく。わが少年時代は野球が好きで唯一の特技でもあった。野球部の選手の中でもそれに打ち込み、運よく甲子園の土を踏むことができる高校生は選ばれた成功者である。さらにその中からほんの一握りのエリートがプロとなって一軍に入り、スター選手として日の目を見るのは数えるほどしかいない。草野球並みの技術しかなかったが、それでも少年時代から好きな野球ができただけでも幸運であり、いい人生を過ごせたと思っている。不合理なこの世の中では格差はいつまでも続く。生きていくことは苦しいが、それでも生きるしかない。途中で人生を投げだすことなく生きている、ということは実は途方もなく大変なことなのだ。人は生きているだけで価値がある。ぐうたらに暮らそうが、甲斐のない日々を送ろうと、身体の中では60兆個の細胞が必死で命を支えてくれている。とりあえず今日まで生きてきた、そして今を生き、なんとか明日も生きようとしている。もうすぐ71歳、肺炎で入院して以来、一生懸命生きている自分自身に感謝するようになった。(写真;5月なのに日中は真夏空、でも日が陰るとたちまち気温は急降下。菜園の野菜の生育に異常をきたしている、地温が低いので根が張らず苗の丈が伸びない、でも日中の高温で葉は茂り花芽は開いて花盛り、ナス・キュウリ・ピーマンの実が大きくならないので野菜業者は困っている)

  

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2017年05月25日

人の「性質」と「性格」の違いを考えてみた

DSC_2617image1数年前に菜園の近くの川で採取したメダカを飼い続けている。現在ハウス内のテーブルの上のいくつかの洗面器に四代目2匹と五代目3匹が生存している。餌を与える時に注意深く観察しているが、面白いことに気がついた。入れる容器の大きさに応じて生存するメダカの数が決まるのである。直径20cm余りの容器では5匹以上は自然淘汰される。五代目も卵から孵化した状態では12匹確認できた。そのうち次第に数が減り、明らかに確認できる大きさになる時期には3匹に減っていた。親が処分するのであろうか。自然から採取してきたメダカは当初餌付けができなかった。もっぱら水草や底に敷かれた小石に沈澱した分解物を餌としていた。二代目はかなり成長してから蒔いた餌を食べるようになり、三代目からは稚魚の頃から餌付けが容易にできるようになった。五代目では餌を与える気配が分かるのか、公園の池に飼われている鯉のように小口を開けて餌を求めるようになった。このようにメダカは一代ごとに環境に適応するために(突然)変異している。生物は生まれたときから遺伝子に従って行動する。その後受け継いだ遺伝子では生活できなくなると、環境に合わせて遺伝子が変異していく。生まれた時から人の能力や行動は決まっている。「三つ子の魂百まで」というが、これは遺伝的な「性質」をさすのであろう。人の「性質」と「性格」の違いを考えてみた。「性質」は英語ではnature(自然、天然)であり、生まれつきの資質や気質でいわば本性である。一方「性格」はcharacter(特性、特徴)であり、感性や経験にもとづいた物の感じ方、考え方、行動の特徴をさす。これは環境因子により生後に身についていくものである。小学生の頃の通知表を思いだした。そこには学習成績とともに生活態度の評価が記載されていた。”引っ込み思案”、”内弁慶”、”計算がのろい”、”体育の態度が悪い”・・・。その後の人生では社会人の一人として「性格」形成に努力をしたものである。これがメダカの(突然)変異に相当するものだろうか。でもこの齢になると、「性格」のメッキも剥がれてきて小学生の頃の「性質」に戻っていくようだ。老人は「性格」が悪くても生来の「性質」で生きられると考えると、何かホットしたような気持ちになれる。(写真;孫たちの近影、他に載せる写真が無くなったので失礼)




  
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2017年05月23日

子供の頃は可笑しくて腹の底から腹筋が痛くなるほど笑った記憶がある

CIMG0034CIMG0035CIMG0039CIMG0049CIMG0048子供の頃は、可笑しくて腹の底から腹筋が痛くなるほど笑った記憶がある。そんな「箸がころんでも可笑しい」という年頃があった。理由が分からないけど笑いこけてしまうこと・・・。それを思い出して再び笑い出す(思い出し笑い)こともしばしばあった。家でも学校でも一人が笑いだすと、それが周りにも伝染する。誰も何も可笑しいこと一つもしていないのに、笑いが周り全体で大うけする。何とも言えない、あの説明のつかない可笑しい空気というのが「箸がころんでも可笑しい」ことだったのだろうか。笑いが連鎖して、人の笑い声を聞いただけで腹筋が痛くなるまで笑い続けたものだ。先日デーサービスに通っている82歳のオバァが話してくれた。この施設ではいつも皆で腹の底から笑えるのだそうだ。その理由はたわいのないことである。ゲームで順番を間違たり、同側の手足を同時に出して歩いただけでも皆で大笑いする。でも家ではそのように笑えることはないという。年を取ると再び「箸が転んでも可笑しくなる」のだろうか。可笑しい時に素直に笑える雰囲気と、連鎖して笑え合う人達が周りにいること、現代社会ではこのような集団生活をすることが少なくなったのだろう。そもそも、どうして私たちは、大人になるとあまり笑わなくなったのだろうか?「人生の中でさまざまな経験を重ねるため、年齢が上がるほど“新鮮な刺激”を受けなくなる。感受性が衰えてしまい、笑ったり泣いたりといった感動に鈍くなってしまう」。また「年齢を追うごとに社会的な責任や負担が増えていき、悩み事や不安、ストレスが多くなってしまう」。つまり気楽に大声で笑えるような気持ちの余裕が無くなってしまった。人の周辺は完全に気を許せる状況にないからである。(写真;水木しげるロードの妖怪ブロンズ像の続き)
  
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2017年05月21日

久しぶりの菜園復帰で「農ある生活」の楽しさを実感できた

CIMG0100CIMG0103CIMG0106CIMG0024CIMG0019この5月から週休3日(土、日、月曜日)、4日勤務にして仕事量を減らした。この時期から菜園は猫の手も借りたいほど忙しい。一反ほどある畑の管理は3日でも足りないし、水やりは毎晩欠かせない。でも久しぶりの菜園復帰で「農ある生活」の楽しさを実感できた。食事前の感謝の言葉に、日本人は”いただきまーす”と言ったものだ。何をいただくのか? ご飯も野菜も肉も全て、その命をいただいているのである。昔の人はそのことに敬虔な感謝の言葉を、たったひと言で表現していた。コンビニで買った食品からは命を食べる実感は湧かない。ご飯茶碗一杯の米は稲三株から得られる。その米の値段は30円余りで、一日の米代は約100円で缶コーヒー120円よりも安価である。日本の主要農作物の米がこの値段であるから、他の野菜などの農作物は押して知るべしである。米(メシ)が日本の農業をだめにし、米(アメリカ)が日本の農業を駆逐している。終戦後日本を占領したとき、水田を潰して畑地に変え麦とトウモロコシを生産させず、その後に工業製品と引き換えに米輸入の自由化を強行した。それなのに日本がなぜ米国ではないのだろうか。このままでいくと日本の農家は、補助金の対象である少数の大規模農家と、家庭菜園の延長みたいな年金生活農家と、特定の消費者をターゲットにしたこだわり農産物生産農家の3つに収斂され、中途半端な専業農家はなくなってしまうだろう。このような日本の農業政策の問題点を農園実習(わが“農”の原点である石垣島の花谷農園)で実感した。でも、自然を相手にした”農”の営みの素晴らしさも実感した。人工物に囲まれた便利で快適な都市で生活をしていると、”ああすればこうなる(ならないのはおかしい)”と考える。この思考の歪みが、科学、医療、教育などの社会のいたるところで蔓延し多くの問題を起こしている。しかし、実際は”ああしてもこうならない”ことのほうが多い。都市化が過度に進んでくると、”ああしてもこうならない”自然を排除しようとする。しかし、自然の一部である人間(“自分”は自然の一部)に自然を無視したり、超えることはできない。できることは自然をコントロールしようとすることではなく、謙虚に自然の声に耳を傾け、それに則して自然を”手入れ”をして生きること。菜園ではこのような「農ある生活」を楽しんでいる。(写真;野菜は「耕作植物」であり、野菜つくりは野菜の自然な生育を“手入れ”することである、わが菜園の自慢作物は「大玉スイカ(夏武輝という品種で真夏に水がわりに食べられる)」、「完熟大型トマト」、「ズッキニー」、「カボチャ」、「冬瓜」、「ゴーヤ」、いずれも石垣島流の耕作である)
  
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2017年05月19日

主治医には『誠実』さを感じた。『誠実』とは「丁寧に思いやること」だ

CIMG0036CIMG0038CIMG0043CIMG0062入院の主治医は“いい先生”であった。病棟の看護師に聞いても、誰もが“いい先生なんですよ”と異口同音に言う。毎朝回診のときに笑顔で「どうですか?」と声掛けし、検査データや胸部写真のコピーを手渡し丁寧に説明してくれる。こちらもそれに答えて「元気で〜す!」と両手でガッツポーズをして応じる。そしたら主治医も同じ格好でポーズする。処方された抗生剤の点滴はピンポイントで著効を示し、日ごとに回復し一週間で退院可能となった。でも主治医が行った医療行為は点滴の指示と検査の指示。たしか胸に聴診器を当ててもらったのは入院時だけだった(その後退院までは診察はなかった)。ところで“いい医者”とは(とくに内科系で)・・? もちろん適切な治療指示をする医者のことであろうが、それ以前に主治医への「信頼」が欠かせないはずである。この若い主治医には『誠実』さを感じた。そして『誠実』とは「丁寧に思いやること」だと、その時に思った。私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。『誠実』な人は嘘をつかない。少なくとも他人に不利益がある様な嘘をつかない。『誠実』な人は公平である。ひいきをせず、誰に対しても平等に接する。『誠実』な人は仕事に対して真面目に取り組む。『誠実』な人は他人の心情を察した行動が出来る。自分ばかりの事(自己防御)を考えるのではなく、他人の気持ちも考えて行動する事が出来る。『誠実』な人は日々の規則的な生活を大事にする。とくに時間のことに関しては自分にとても厳しい。自分に対しても「丁寧に思いやる」ことができる人である。自分という人を「丁寧に思いやり」、今の自分に最善なことをしようとすることが『誠実』の基礎ではないかと考えた。(写真;「水木しげる」ロードの妖怪ブロンズ像の続き)

  
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2017年05月17日

病室で体調不良の身でも『楽しい』ことを模索して一日を暮らした

CIMG0042CIMG0056CIMG0061CIMG0085CIMG0091『最も長生きした人間とは、最も年を経た人間のことではない。最も人生を楽しんだ人間のことである』。『楽しまなけりゃ馬鹿らしい。しかし、楽しむというのもなかなか大変だよ』。『楽しまずして何の人生ぞや』。沖縄暮らしでは、このように『楽しん』で暮らすことを学んだ。そして入院生活では朝起きたら夜寝るまで、病院で病室でベッド上で、体調不良の身でも『楽しい』ことを模索して一日を暮らした。“The most important thing is to enjoy your life−to be happy−it's all that matters.”オードリー・ヘプバーン(『ローマの休日』『ティファニーで朝食を』『マイ・フェア・レディ』などのイギリスの女優)の名言である。「最も大切なことは、あなたの人生を『楽しむ』ことである。幸せになるために・・。それだけが重要である」。そう、幸せであるためには人生を『楽しむ』こと、それがすべてなのかも知れない。さて、『楽しむ』のはいつ? それは、「今」だろう! 時は「今」しかないからである。「今」という時間が続々と未来からやってくるというのが時間の実体だからである。「今」何を考え「今」何をするのかが人生だと思う。「今」楽しみ「今」幸せになることである。「今」いる場所で自分自身が・・。『楽しく』暮らすには『楽しい』ことをすることだけでなく、『楽しくない』ことはしないことでもいいのである。これもウチナンチュー(沖縄県民)の暮らしぶりから学んだ。(写真;境港駅から水木しげる記念館までの約800mは、通称「水木しげるロード」と呼ばれ、沿道には139体もの妖怪ブロンズ像が鎮座している、水木の「なまけものになりなさい」の名言が気に入った)

  
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2017年05月15日

「歩行速度」はその人の「体力」を表わす指標になる

CIMG0066CIMG0093CIMG0077CIMG0088日曜日は“ウォーキングリハビリ”、倉敷駅から特急「やくも」に乗って米子駅に下車した。駅前の県道を一直線に歩きはじめた。道路標識には境港市まで25Kmと書いてあった。無理をしないで、境港まで歩いて帰りは境港駅から電車で米子駅まで戻ろう。歩きはじめは今一つ本調子でなかったが、10Kmほど歩いていると次第に以前の歩行速度でもしんどくなくなってきた。弓ヶ浜を眺めながらの国道を勘違いして中海沿いの県道歩きとなった。米子空港行の自動車道の側道を自動車と競争して歩いた。「歩く」ということは全身の運動である。足腰の筋力だけではない。心肺機能、酸素を運搬する赤血球、疲労物質(乳酸)を処理する肝機能、体温調節をする発汗機能、過酸化物質に対抗する抗酸化物質、つまずいても転倒しない神経機能、自動車にはねられないような視覚や聴覚の機能・・・・・などなど。「歩行速度」はこれらすべての機能の総和によって決まり、「歩行速度」は、すなわちその人の「体力」を表わす指標になる。肺炎で入院するまでは時速5.5Kmで長距離を歩けていたが、今回は25Kmを時速5Kmほどで完全復帰は果たせなかった。体内の60兆個の細胞は“省エネ”で無理を嫌う(途中でガス欠を起こして死なないように生きている)。だから筋力、心肺機能、温度調節機能・・、「歩く」ときの全身機能の一番低い機能に合わせて「歩行速度」を設定する(それ以上速度をアップすると“しんどい”という気分を発生させる。脚力、心肺機能、温度調節・・、やはり脚の筋力の衰えが「歩行速度」の設定に“足を引っ張った”のだろう。(写真;境港市中心街のシャッター通りは生まれ変わっていた、駅前の「水木しげるロード」は観光客で一杯であった、道路は漫画に出てくる100個余りの妖怪像が出迎えてくれた、漁港の街なので「海鮮丼」の店が連なっていた)  
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2017年05月13日

病気や入院でガタ落ちした『体力』はまだ完全に回復していない

P1290641P1290643P1290644肺炎球菌肺炎」を発病してから23日目、入院から19日、退院してから11日目になる。退院時、胸部レントゲン写真も血液検査(CRP)も肺炎は完治していた。元気になったな・・としみじみ感じる時がある。それは睡眠中である。5日間高熱にうなされまさに“悪夢”であった。病室の狭いベットでの睡眠は眠れたような気分になれなかった(夜中にも点滴の交換があった)。今は家の畳の上で手足を十分に伸ばして、天井を眺めながら仰向けに寝られる。熟睡するのだろう、寝入ったら5時間ほど目が覚めない。目を覚ました時の気分が爽快で気持ちがいい。生きていることの喜びを心に噛みしめる瞬間である。朝の散歩を再開した。いつもの路の1時間半ほどのウォーキング。でも歩き具合は病気の前に比べて明らかに落ちている。いつもの速歩ができない。病気や入院でガタ落ちした『体力』はまだ完全に回復していない。退院の日から菜園に行き、野菜の水遣りなどの農作業をはじめた。この連休には大玉スイカ50本、完熟大玉トマト60本を植えた。草取りも大変な労力がいった。本日は朝から夕方まで菜園での野良仕事をしてみた。まず根気が低下していて、早く作業を終わらせたいとばかり考えていた。それに筋力が落ちている。いつもの鍬やスコップが重く感じられる。『体力』が回復していないことを実感した。筋トレジムには行ってみようという気分になれない。入院の翌日から、このことを予想して院内ウォーキングをはじめたのに・・・。もとに戻るのだろうか? でも相当な時間を要するだろう。「人は成長期が終わったら“死”か“リハビリ”である」。このまま『体力』を下げたままでは“死”に近づく・・。過激で免疫力を落とす筋トレジム通いは“ほどほど”にして、本格的なウォーキングでリハビリを開始する。明日は米子〜境港〜大根島〜松江までのリハビリウォーキングに挑戦する予定である。(写真;久しぶりの“朝散”で日の出ショーを観察できた、日の出の東の空からは“気(エネルギー)”がいつも貰える)  
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2017年05月10日

『過ぎたるは及ばざるが如し』が今回の「肺炎球菌」肺炎の原因だと確信した

P1290862P1290863P1290865あんなに元気であったのに・・・何故「肺炎球菌」の肺炎にかかったのだろうか。「肺炎球菌」は口腔内や鼻粘膜に常在する“弱毒菌”である。喉や鼻の粘膜には何ら危害を与えないが、肺の中(肺胞)に入り込むと肺炎を引き起こし、粘膜から血中に入ると敗血症(菌血症)に至る。発症前はとくべつ体調が良く、3日間続けて仕事帰りに筋トレジムに通っていた。過度な運動が高齢者の免疫力を極端に低下させた。どうやら筋トレが老体に鞭を打ったように思える。フルマラソンを走れるだけの体力があっても、長距離マラソンによって風邪を引きやすくなってしまうと言われている。フルマラソンをすると、競技終了から2週間以内に選手の5〜7割にカゼの症状が出るという報告もある。他にも運動選手がヘルペスなどの感染症にかかりやすいといった報告もある。過剰な運動は免疫力を下げてしまうことが研究結果により明らかになっている。これは過剰な運動によって、免疫グロブリンA(IgA)という物質が減少してしまうためである。とくに血中ではなく唾液中の分泌型IgAを低下させる。唾液中にあるIgAはウイルスや細菌などが口の中に入ってきたときに、それらをくっつけて粘膜に付着させないように働く。外気との第一関門になり、免疫の“初期消火”の役割をはたす。ヒトは約60兆個の細胞からできている。1つ1つの細胞が生きている身体内部の環境は、温度やpHなどが一定の状態に保たれている(ホメオスタシスと言う)。運動すると、エネルギーの消費、疲労物質の産生、体温上昇などがおこり、身体内部の環境が大きく変化する。身体内部の環境の変化を「ストレス」と言う。「ストレス」は心理的な「ストレス」だけではなく、様々な「ストレス」があり運動も「ストレス」の一つ。過剰な運動では交感神経が優位に働いて、副交感神経はその働きが抑えられる。唾液の分泌は副交感神経が促進して交感神経が抑制する。唾液の分泌量減少に伴い分泌型IgAの含有量も減る。「肺炎球菌」が肺炎を引き起こす潜伏期は1〜2日なので、3日連続の筋トレジム通いで肺胞に落ち込んだ「肺炎球菌」が異常に増殖したのだろう。『過ぎたるは及ばざるが如し』が今回の「肺炎球菌」肺炎の原因だと確信した。(写真;もう「麦秋」の季節か、「麦と姑は踏むがよい」という諺がある、いい麦を育てるには麦踏みを行う、姑に対しても下手にばかり出ずに強く当たったほうがよい、いや「麦と嫁は踏むがよい」だったか?)  
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2017年05月08日

「臨死体験」で、70年も暮らしてきた「日常」が『リセット』された

1491091896397image1 (2)-3DSC_2497 (1)この「臨死体験」で、70年も暮らしてきたわが「日常」が『リセット』されたように思える。それに、人の「日常」での“思い”は、人を構成している60兆個の細胞群の“思い”とはかけ離れていることを認識させられたのである。細胞群の“思い”はただ一つ「死なない」ことである。わがままも贅沢も何も望まない、ただ生き続けるための「本能」と言うものであろう。それなのに人の「日常」は贅沢や“わがまま”を「学習」しながらどんどん身につけていく。簡単に言えば、「臨死体験」のときからそれまで「学習」で得た習慣とか“慣れ”などが一旦消失し、細胞群の「本能」による「日常」にとって代わった。ウォーキング、野良仕事、筋トレジム通い、食事(生野菜、カットフルーツのヨーグルト和え)、それに“生業”。それまでは、それなりの意義を感じてひたすら継続してきたことなのに、「本能」的に考えるとはたしてそんなに一生懸命に“ハマる”ことでもないように思えてきた。人以外の動物も、もちろん植物も「本能」で死なないように生きている。野菜の種植えでこの「本能」を発見した。種は土に深植えすると芽が出てこない。種には地上まで芽が出るように栄養(糖質)を蓄えている。でも地上までの距離が長すぎると、蓄えた栄養では不足する(地上に出たら陽日で光合成はじまる)。その場合には、最初から発芽せずひたすら地下で冬眠してその時を待つのである。高齢者の生き方。そろそろ「本能」に基づいた「日常」をするようにと、「三途の河原」で押し帰されたような気持ちになった。(写真;孫たちも幼稚園通いがはじまった、そして「本能」の生き方から「学習」の「日常」を身につけていく、♪孫が可愛いなどと歌っていた爺さんは逆に「本能」に戻って行く)  
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2017年05月07日

この重症肺炎、まあ「臨終体験」をしたようなものであった

P1310712P1310713P1310714P131071039℃以上の高熱が5日間も持続した。体はだるく、食欲はなく、寝入りたいけど眠れない、高熱にうなされ意識もモウロウとしていた、それでも勤務を休まず診療を続けた。とうとう敗血症を併発した“重症肺炎で”緊急入院となった。自分で病院に電話をして紹介状を書き、自家用車を運転して救急外来を受診した。救急外来の受付で1時間余り待たされたが、その時の身体の苦しみ方はこれまでには経験がない。ようやく外来処置ベッドに寝かされ抗生物質の点滴注射が開始された。それから13階の病室に移動したがこの間の記憶は明らかではない。5日間苦しんだ末に、入院ベッド上で意識朦朧として苦痛からすべて解放された。このまま抗生剤の点滴注射という医療が加わらなかったら“楽”に死んでいったのだろう・・。これこそが自然治癒力が力尽きた「自然死」であり、憧れていた“ピンピンコロリ”なのだろう。西洋医学は「自然死」を生き返らせる。点滴注射が開始されてから、奇跡的?にピタッとあの高熱がどこかに消えてしまった。途端に生き返り、その日の食事は完食し看護師は驚き女房は安心して早々に家路についた。入院中に受けた西洋医学の治療はただ一つ。ビクシリン(250mg)という、半世紀ほど前からある古典的な抗生剤ペニシリンの点滴注射(1日4回)だけである。生き返った翌日から院内ウォーキングを開始したのは前回に記載した如くである。まあ「臨終体験」をしたようなものであろう。「もうバリバリの高齢者なのだな・・」「高齢者の免疫低下は回復させることは無理である!」「それは老眼と同じで老眼鏡が欠かせない(ワクチン予防接種も同じ)」「でも高齢者でも体力は維持できるし、老人の「生病老死」は体力如何であると確信した」・・、いろいろこれまで生きてきた老人生活をふり返り反省している。それに「臨終体験」をすると、身体機能はすべて「リセット」されることに気がついた。次回につづく。(写真;吉備路、備中国分寺周辺の「レンゲ畑」はゴールデンウィークの風物詩である)


  
Posted by hhirano20 at 08:06

2017年05月05日

入院生活では相当な「体力」が必要であることを実感した

1489363660028image2 (1)病院の入院生活では相当な「体力」が必要であることを実感した。推測するに、病気回復のためにその力の多くを費やそうとやりくりする。だから病気の自然治癒に配分される以外の「体力」は“省エネ”となる。一日4回の抗生剤点滴と3度の食事、これ以外はただひたすら病室で暮らす。ベットで横になっていても、もう寝飽きてウトウトもしない。眠れないのにベットで臥床するのも体力が必要である。時間つぶしにテレビを見るが、見たくもないものを見て時間つぶしをするのも体力がいるものである。趣味でもない読書(小説)をしてみた。病院の売店で購入した「コンビニ人間(村田沙耶香著)」「君の膵臓をたべたい(住野よる著)」を入院中の宿題として読みはじめた。ベッドで寝ながら読むのも、椅子に座って読むのも長続きがしない。本を保持する手や腕の筋肉が“もたない”のである。シャワーを浴びようにも相当量のエネルギーを費やす思いがした。よほど筋トレジムでもストレッチ体操のほうが「体力」を必要としない。食欲もないし(病院の飯が不味いだけではない・・)、一日中部屋に閉じこもっていると急速に「体力」が衰えていくことを自覚した。このまま「体力」の衰退に目を瞑っていたら、退院しても“寝たきり老人”にどんどん近づいていくのだろう。『病気を治すだけでなく、もともとの「元気」をとり戻すまでが医者の仕事』。これはわが医師としての“座右の銘”である。入院2日目から「院内ウォーキング」はじめた。広い外来棟は早朝と夜間に、昼間は2か所ある屋上庭園をただ黙々とひたすら歩き続けた。看護師さんが訪室してもいつも留守。叱られるだろうから体温測定と血圧測定(病院のあちこちにある自動血圧計)は自己測定にしてもらった。(写真;一週間ぶりに帰宅、連休に孫たちが遊びに来るはずだったが・・、東京からも神戸からもだれも来ない、それに女房は神戸の娘の家に出かけていった、孫たちはこの春から幼稚園児、爺婆を相手にする暇がない・・?、でも“娑婆”では一人ではない、菜園に行けば懐かしい仲間が出迎えてくれた)  
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2017年05月04日

入院して命をかけて闘った相手は『肺炎球菌』である

P1310703P1310699P1310701P1310706入院して命をかけて闘った相手は『肺炎球菌』である。病院外でかかる肺炎で最もポピュラーな原因菌である。免疫力が未熟な5歳以下の小児と免疫力が低下してくる65歳以上の高齢者に多いが、若者でもこの菌による肺炎の発症はまれではない。困ったことに平時でも、誰でもこの菌は喉はや鼻に巣くっている「常在菌」である。喉や鼻には悪さをしないのに、気管支を経て肺(肺胞)に到達すると突然増殖しはじめ肺炎を引き起こす。肺に入る頻度は確率の問題であろうが、免疫力の強い人は肺胞にたとえ侵入しても“初期消火”され殺されてしまう。少なくても免疫の初動機能が低下している、「もう若くない」と入院ベッドに寝かされていて「悟った」のである。『肺炎球菌』は元来「弱毒菌」で肺炎所見そのものは軽いことが多く、入院なしで抗生剤の内服(ペニシリンが有効)で通院治療することも多い。ところでこの菌は肺からあちこちに侵入する“癖”がある。小児ではしばしば髄液に侵入して「髄膜炎」をひきおこす。だから5歳未満児は予防接種が義務づけられている。それに高齢者では血中に侵入して菌血症(敗血症)もひきおこすことが多いそうだ。この場合、手遅れになるとショック状態となり体力の低下した高齢者では致命的になる。日本人の三大死因は「がん」、「心疾患」についで「肺炎」である。このように落ち着きのない菌であるが、もともとは弱毒菌で古典的な抗生剤であるペニシリンがピンポインに効果を示す。高齢者のワクチンは65歳から5年毎に注射するように国から補助金がもらえる。でも『肺炎球菌』には93種類のタイプ(莢膜血清型)がある。だから予防ワクチンもすべての種類の型に対応できず、ワクチンで予防できない型の菌によって肺炎にかかることもある。65歳も70歳もワクチン注射はパスしてきた。その「罰」があたったのだろう・・・。でもわが『肺炎球菌』の菌の型は近頃発見された「新型(ニュータイプ)」であった(既存のワクチンは無効)。さっそく「成人侵襲性肺炎球菌感染患者における肺炎球菌株の莢膜血清型分類および薬剤感受性に関する多施設共同観察研究」の同意文書に印鑑を押した。今後の「ワクチンの開発」と「薬剤感受性」の研究のために闘った敵の「菌株」を提供したのである。(写真;種松山の山頂公園にある見事な藤棚、これも退院のまでその美しさを保ってくれていた、感謝感謝である)  
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2017年05月02日

自らが下した『大誤診』のせいで、大病院に緊急入院となった

P1310698P1310697P1310693P1310692自らが下した『大誤診』のせいで、大病院(倉敷中央病院)に緊急入院(4月25日〜5月3日)となった。4月21日(金)午前外来診察の途中から寒気がしはじめた。同時に全身の節々が痛く(筋肉痛)、でも我慢して診療を終え昼休みは暖房を効かせた部屋で昼寝した。少し症状が落ちついたので、午後からは病院の外回りの往診に出かけた。帰宅後体温は39℃まで上昇。常識的にはだれもが「インフルエンザ」と診断するであろう。22日(土)家の近くのクリニックに受診し、インフルエンザの検査を施行したが陰性であった。この院長もまず「インルエンザ」でしょうと、「タミフル」と解熱剤を5日間処方してくれた。節々の痛みは取れたが39℃以上の高熱が持続し、解熱剤でようやく体調を整えて「タミフル」の遅い効果を待った。4月24日(月)は解熱剤で発熱を散らして職場に出かけた。体は怠く、食欲はなく体調は良くなかったが、我慢して診療を行った。まだ「インフルエンザ」だと信じていた。4月25日(火)。一度ダウンしたボクサーがようやく立ち上がってファイテイングポーズをレフリーに示す・・・。このようなダウン寸前のような体調で午前外来をはじめた。次から次に積まれていく受診患者のカルテの山、これを眺めていると気が遠くなるようでとうとうダウン。早速、血液検査と胸のレントゲンの検査を受けた。レントゲン技師がびっくりして飛んで来て言った。「先生!左胸が真っ白です」。CTでも同様の所見で「左肺急性肺炎」、血液検査のCRP(炎症の程度を推測する値)が40で重症な肺炎と診断した(ちなみに肺炎特有の咳や痰は一度も出ていない)。早速、倉敷中央病院に紹介状を書いて、自家用車で救急救命センターに受診しそのまま入院となった。痰がでないので原因菌の確定が遅れたが、尿中から「肺炎球菌」の抗原が検出され、さらに血中からも同じ菌が陽性となった。この時点で「肺炎球菌による肺炎」と「肺炎球菌による菌血症(敗血症)と診断された。一応“重症肺炎”とトリアージされ、呼吸器内科医に感染症科の先生も加わって治療がはじまった。救急外来で抗生剤の点滴が開始されてから急速に解熱し、その後は入院中一度も発熱なし。酸素吸入の必要もなく、抗生剤の点滴以外は内服薬を含め他の治療はいっさいなかった。入院後は、持ち前の体力と免疫力で日ごとにめきめき回復していき、入院3日後に肺炎の陰影はほぼ消失し7日目には完全に消失した。さらにCRPも陰性化したので、入院8日目に早々の退院となった。医者が入院するとさまざまな未体験をするものである。次回につづく・・・。(写真;種松山の山頂公園に咲くサツキとフジの花は今が満開、早速退院日に病院から直行して花見に出かけた、“待ってたよ”と声をかけてくれているようで毎年逢っている花たちから元気をもらった  
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2017年04月22日

老人は貧乏でも健康な体があれば幸せな生活を送る工夫が出来る

P1310607P1310612P1310613P1310608お金に困らない老後の生活が理想であるが、でも健康という大前提がないとお金が生きない。貧乏でも健康な体があれば幸せな生活を送る工夫が出来る。健康はお金で買えない。とくに老人は一度健康を害すると元の生活に戻れない可能性が強い。大金叩いても体を元の状態に戻すことが難しい。誰もがそう考えるのではないか。お金が沢山ない高齢者、お金を沢山貯蓄していない老人は、お金を稼いだり貯めるよりも自分の健康寿命を延ばす生活に重点を置いて自分の時間とお金を投資すべきだと思う(通っている筋トレジムの老人仲間はみんなそのように考えて一晩も欠かさず鍛えている)。成長ホルモンを意図的に分泌させる方法として筋トレがある。筋肉を負荷の高い運動で傷つけて回復させる過程で成長ホルモンが分泌される。成長ホルモンには体の免疫力を強め、代謝促進を促す。筋肉は年齢に関係なく成長するので80歳の高齢者でも体が動く限りやれる。成長ホルモンは、バランスの取れた栄養(特にタンパク質を多めに取る)、適度な筋トレ運動、そして、睡眠で促進される。筋トレ後の夜は、爆睡するはずだ。体が睡眠を要求する。傷んだ筋肉細胞を修復するためにメラトニンが分泌されて爆睡になる。成長ホルモンは寝始めた時に多く分泌されると言う。80歳になっても運動をやり続けていると体はその生活環境に合わせてくれる。漁師をやっている老人の体が力強いのは、体が力を必要としている漁業の環境に適応しているからだ。経済的に裕福になることが難しい高齢者は、健康寿命を伸ばすことに自分の時間を使うことである。私のオススメは筋トレだ! 健康寿命を伸ばすための投資になる。安全な筋肉トレーニングを自分の習慣にしてしまうことだ。二本の足で立って、しっかり歩くことができるという機能を維持するためにいちばん重要となる筋肉は『大腰筋』。この筋肉こそが健康のあらゆるカギを握っている。(写真;沖縄の人は山羊を食べる、棟上げ式などの祝い事には山羊を一匹つぶす、山羊汁と刺し身が定番料理、食用にする山羊は“シージャー”と呼ぶ、色のついた山羊は“島シージャーでとくに美味しい)  
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2017年04月19日

人生とは与えられた舞台で主役を演じているようなものかな?

P1310646P1310651P1310650人生とは与えられた舞台の上で、与えられた役を演じているようなものかな?と、これまでの生き方をふり返ってみて感じることがある。舞台は生きている場所(居場所)である。役は演じている自分自身の生き様。一人一人がそれぞれに場所と役の名前を頂いて演じている。初めに生まれ来る場所と役は定められている。でもそれをどのように生かしていくかによって、いか様にも演じていくことができる。与えられた舞台や役は、自分次第で素敵な人生にもつまらない人生にも出来る。どの様な人生にするかは自分自身の心の使い方にかかっている。人は心の在り方によって、善人の役、悪人の役、高貴な役、平凡な役、どんな役でも演じることが出来る。それを自分で選べるし選んでいる。人生の台本の脚本を書き演出するのは自分自身である。自分がどういう人生を歩みたいのか?どういう心で生きてゆきたいのか?どういう生き方をしたいのか?目的意識をはっきり持つことが、人生を演じていくのにとても大切な事だと思う。『日曜日の早朝に一度やってみたいことがあった。早朝五時前に目覚めた。早速二階のベランダの籐椅子に寝床を移した。まだ月も星も輝く闇夜であった。椅子を東向きにしてから寝直した。空が白けるよりもズーッと前に、何か東の暗闇の空にエネルギーが発散されるのに気がついた。物凄いパワーを東の方角に感じた。そのうち東の空が白みかけ、空はうすいブルーに変わり、思ったよりもチッポケで色白の太陽が昇ってきた。眠気が再び襲ってきて、少し冷たくも感じる風を四方から吹かれながら目を閉じた。あの闇夜のエネルギーに刺激されたのは鶏である。鶏は日の出前から鳴きはじめる。空が白けはじめると、小鳥がさえずりながらテラスにも近寄ってきた。陽が昇りはじめると途端に蝉の合唱が始まる。飼い犬が鳴きはじめるは最後であり、人間は犬の鳴き声に起こされて目覚めるである』。これは沖縄暮らしで自作自演した、楽しかった日曜日の思い出の一シーンである。(写真;沖縄“やんばる”にある借家のベランダが舞台である、東に東シナ海を望み西に乙羽岳と八重岳を仰ぎ、周囲は琉球松の見事な松林に囲まれている)




  
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2017年04月17日

『死生観』とは「死を通して生き方や生き様(よう)を決めること」である

P1310572P1310568P1310547P1310539P1310573『死生観』とは「死を通して生き方や生き様(よう)を決める、判断する考えのこと」である。死を前提に生き方を考えることで、死を意味づけることにもなる。また死や死後に自分の納得できる意味を持たせることで、自分の中で死を受け入れ、死への恐怖・畏れを払拭したり軽減したりすることである。「よく生きながらえる人は十人に三人、ただ死んでいく人が十人に三人、命を守ろうとして動き回り、かえって死を早めてしまう人が十人に三人・・」。死が怖い、死が不安だ・・・、そんな気持ちのまま死ぬのは誰だって嫌だし怖い。死に直面してからでも、直面する前にでも、死を自分の中で受け入れる体勢を作っておくだけで不安感は軽くなるはずである。するとどのように生きたらいいのか、周りとどのように過ごしていくべきなのか、自分はどう在りたいのかが少しずつ見えてくる。日本人は「死」はどのように考えているのだろうか。昔と比べて「現代の日本人は死を日常から遠ざけてきた」ということに尽きる。その最たる例に「火葬」が挙げられる。今でこそ火葬が主流であるが、高度成長期以前までは土葬も珍しくなかった。この習慣があっという間に死体を日常生活から遠ざける方向へと向かわせた。他にはホテルや病院の部屋に「死」を連想させるため「4」号室がないことや、「アンチエイジング」という言葉から、人々が死と同じ自然の摂理である「老い」というものにもネガティブなイメージを持って見ていることからも覗える。つまり日本人は生と不可分のマイナスの部分をできるだけ視界から追いやり見ないようにしてきた。また本来自然の一部であるはずの死に「実感」が持てなくなってきている。「昨日の交通事故死者1名」と、人の”死”を単なる”数字”に置き換えている派出所の看板にみられる死は、リアルな死を思い浮かべる機会を消し去ってしまっている。「死ぬだの死体だのは見たくもないし、考えたくもないという姿勢は、当たり前のことから目を背けようとしている」と言えるだろう。死に直面したときほど生きる実感が湧いたり、死に感心を持ってこそ生と死が背中合わせであることに気ずき、自らの生き方を深く考えたりできる。(写真;沖縄を代表する植物、デイゴ、ハイビスカス、ブーゲンビリア、島バナナ、パパイア)  
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2017年04月15日

老化は細胞が干からびて行く「細胞内液」低下現象とも言える

P1310484P1310486P1310487P1310491成人は体重の約60%(40%が約60兆個の細胞に含まれる細胞内液、20%が組織や血管の中の細胞外液)が水(体液)で、人体で水を蓄えている部分が「細胞内液」である。高齢者は体液が年齢と共に減り、とくに「細胞内液」が減っていく(細胞外液はほとんど減らない)。「細胞内液」が少ないと言うことは、水分の予備能力が少ないということであり“かくれ脱水”の状態に常にあることになる。通常、脱水症では体液は細胞外液から失われる。失われた水は「細胞内液」から随時補充される。その「細胞内液」が不足している状態が高齢者の体液である。そのため高齢者は脱水に弱く、血液がドロドロになりやすく脳や心筋梗塞の危険も高い。生まれたての赤ちゃんは水みずしくて、しっとりもちもちしている。水分は体重の80%もある。20代で60%を切り、高齢者になると50%を切ってしまう。「細胞内液」が減ると脱水状態になりやすくなるばかりでなく、各臓器にも悪影響を及ぼす。物忘れは水分量55%から始まるそうである。年をとるほど人体という水の惑星が砂漠化してくるので、老化の原因の大部分は実は「細胞内液」不足によるものである。張りのない皮膚やシワの原因は「細胞内液」不足による細胞の新陳代謝の低下であり、老人性のシミの原因は水分不足による腸内の汚れ(便秘・宿便)が皮膚に現れたもの。健康な脳の「細胞内液」約90%なのに、痴呆症の人の脳はその水分が減って縮んでいる。高齢者の身長が縮むのは骨や椎体の「細胞内液」が減るためであろう。老化は細胞が干からびて行く「細胞内液」低下現象とも言える。(写真;沖縄行飛行機の車窓、雨雲の上は雲一つない快晴、着陸で雨雲の中に突入、雨雲を抜けると曇り空、そこで不思議な現象を観察した、機体は全く雨に濡れていないのである、雨雲の中には雨粒ではなく雲粒、雲粒の大きさは雨粒の100分も一だそうである)

  
Posted by hhirano20 at 21:27

2017年04月12日

老いに“身をまかせて”立派に老いていくことが人間らしい

P1310673P1310675P1310677私たちは老いていく。老いていくことは運命の一つの事実である。だから老いというものを受け入れなければならない。「老いと闘う」ということになると、老いた人というのは悪であり、敗北したということになる。老いという一つの自然の働きというものを受け入れて、その老いに“身をまかせて”立派に老いていくことのほうがむしろ人間らしい。病気というものは人間が背負ったものである。生活習慣病の原因は、人間が長く生きすぎたからだという考え方もできる。医療の進歩や衣食住などの生活の改善、その他さまざまな改良で平均寿命をどんどん引き上げてきた。これは人間の勝利と考えてもいいが、本当は自然なことではないとも考えられる。人間というものはさまざまな生き方がある。老いていくのも病を得るのも、これは人間というものが否応なしに背負った一つの運命である。病気と闘い、病気をやっつける、このように“戦争”の中で「生病老死」を生きているという考え方もある。そうでなくて病んでいる細胞をなんとか応援して立ち直らせる、こういう考え方の方がむしろ医学の本筋ではないかと考えるようになった。いまの西洋医学の背景にあるものは、悪を許さない、悪を制圧するのが人間の善のもっとも大きな仕事である。物事を黒と白、善と悪に分けて、その善と悪の闘いが人間の体のなかでミクロの世界でも繰り広げられている。医学はその善に味方し、悪を滅ぼすための軍隊である。がん細胞は元々自分の細胞の一部が異常に増殖して、その増殖が止まらなくなった状態。一生懸命頑張りすぎた結果、ものすごい勢いで疾走し、ブレーキが壊れて暴走が止らない。こう考えると悲鳴をあげながら暴走しているがん細胞をなんとか助けて、異常な増殖を止めてあげたいと考えることもできる。このような考え方こそが治療というものの根本だと思うのだが・・。(写真;吉備路五重塔近辺の桜木も満開、お寺や校庭の桜見もノスタルジアを感じて楽しい)  
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2017年04月10日

図書館通いの魅力

P1310685P1310682P1310680P1310688時間があり小遣いも少しある時、あなたはどんなことをしていますか? お友達とランチですか?お茶ですか?打ちっぱなしですか?スポーツジムですか?誰かと一緒に何かをするのもたまにはいい、ストレス発散や気分転換にもなるから・・。でも誰かと一緒にいると、これがストレスになることもある。話を合わせなければならないし自分の意見が言いにくく、相手に合わせて話す会話ほど楽しくないものはない。でも少々ストレスを抱えたとしても、誰かと一緒に過ごすことが安心につながるのも事実である。人が人とかかわっていないと不安になるのは自分に自信がないから。こんな気分の時には市立図書館に立ち寄ることが多い。図書館に来ている人は本を探しに来ているので、あまり他人は見ていない。だから人目が気になる人にとっては自由な空間であり、図書館は人に興味を持っていない状態で人が集まっている場所だとも言えよう。人目が気になるけど、さみしがり屋という人にとっては最適な場所である。館内の流れるゆったりした空気がいい。本を選んで読み漁っている(乱読であるが)と閉館時間がくるのはあっという間だが、なんだか有意義な時間の使い方をしたなとしみじみ思う。図書館はとにかく本がたくさんある。読書好きでもない私でも、本がたくさんあるところに行くとワクワクする。おもしろそうな本の表題を見つけるのが好きである。広く浅く目を通すだけれども、各ジャンルの書棚を本の背の書名につられて拾い読みする。日本や世界を旅した気分になれる、様々な宗教徒になったり、偉人の努力に勇気づけられ、北朝鮮や政治の裏話に興味をもったり。随筆ではさまざまな作者の生き方や考え方がうかがい知れ癒される。まるで以前通った公民館講座の如く、公民館でも興味あることに好奇心だけを満たしてもくれるのである。(写真;種松山山頂の桜が満開、全山が雪山のように桜色に被われる、吉野山の千本桜を思い出す)  
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2017年04月09日

「生理的な物忘れ」も「認知症の物忘れ」も“生活習慣病”なのかもしれない

P1310595P1310616P1310592P1310602P1310615「冷蔵庫の扉を開けてから“何を出すつもりだったっけ!?”」、「この部屋何をしに来たのだっけ!?」「最近物忘れがひどくなって人の名前が出てこない、手紙を書いていて漢字が思い出せない」。これは認知症の症状ではなく脳の老化のサインで、誰にでも起こり得る「生理的な物忘れ(健忘症)」である。「認知症の物忘れ」は逢った人の名前を忘れるのでなく、逢ったこと自体を忘れる。それにたった今起こった出来事も忘れる。たとえば朝食のおかずに何を食べたかを思い出せないのは「健忘症」で、「認知症の物忘れ」では食べたこと自体を忘れ「御飯をくれ」と言う。この他に足し算や引き算などの簡単な計算もできなくなり、お金の勘定ができなくなる。また、日常生活の中の簡単な動作、たとえば着物をきたり脱いだりトイレに行ったりなどのやり方を間違える。毎日住んでいる家の中の部屋を間違えたり、外出したら自宅に帰れなくなってしまう。ひどくなると家族の人も認識できなくなってしまい「あなたはどなた様で・・・・」と・・。人格的な変化も表れます。意欲も無くし何もしない、関心ももたない、身の回りのことも構わないので、今までは考えられないような不潔な行為を行う。感情的に不安定になったりして怒ったり泣いたり大声をあげたり。最近、ジョセフ・アルトマンは「成人した後でも、学ぶことで脳の神経細胞は新たに生成される」ということを証明した。興味のあることを一生懸命に学んだり楽しく遊んだりして脳を使っていれば、年を重ねながらも脳細胞を育てていけるという、画期的な発見である。そのほか自分の生き方を自分で選択して生きている人、他者を思いやって生きている人、豊かな感性を持っている人は、脳を健康に保っていることが多いそうである。このような人たちの脳は簡単にへこたれない「いきいき脳」なのだろう。人は高齢になればなるほど体も脳も個人差が大きくなり個性が強くなる。前向きに学び続け、気配りや思いやりを増していく人もいれば、過去にこだわり不満や不安ばかりで孤立したり依存する人もいる。大切なことはいかに年齢を重ねるかなのです。喜怒哀楽のある生活や感性や感情が豊かな人は、日常的に脳に刺激を与えていると思う。毎日判で押したような習慣的な活動しかしない人は脳が慣れきって刺激が少ない。高齢者の“今の生き方”は重要であり、「生理的な物忘れ(健忘症)」も「認知症の物忘れ」も“生活習慣病”なのかもしれない。(写真;八重岳山麓の「伊豆味」に自生する“根茎ベゴニア”の花が満開であった、沖縄暮らしでこの花に魅了されわが菜園でも様々なベゴニアを通年育てている)

  
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2017年04月06日

「曲がること、しなうこと、屈すること」がポッキリ折れずに長く生きつづける秘訣

P1310637P1310624P1310640P1310628今帰仁村の山道を少し入ると、青空の下で輝く山原(やんばる)の森の緑色が目にまぶしい。すべて天然林であり、本土の山林の杉や檜とは趣を異にしている(因みに沖縄では花粉症はない)。木々はブロッコリーのように柔らかくて円やかで、森の中にとび込んで行きたくなる。椎(シイ)の木が多く、本幹はさほど太くなく多数枝分かれしている。木々の幹も枝も、それぞれ自然な形で曲がっている。葉の形は細長く小さめで、木のてっぺんに密集している。これらは台風などの強風に対する適応現象で、幹や枝はじんわりと曲がることで折れないで耐えているのであろう。「曲がること、しなうこと、屈すること」が、人でもポッキリ折れずに長く生きつづけられる秘訣であることを学んだ。体がアンバランスになっている時には、よく風邪をひいたり下痢をして体調をこわす。これらはバランスを戻すために大事なことである。風邪をひけば早く寝るし、下痢をすれば食事を制限する。頭痛がひどい時はじっと静かにしている。それは体の大きな危機を回避するためである。さらに精神的な不安も人間が持っている同じような防衛能力である。不安になると心(気持ち)が萎える。野菜や植物や物がぐったりとなっている状態を萎えるという。不安な時には心が“しなっている”状態のことだから、“しなうこと”によって、曲がることによって、屈することによって、重い荷物をするっと滑り落してまたもとの状態に戻れる訳である。“しなう”は古くは「しなえる」といったらしい。心が屈している状態で、“良くしなう”ということは、簡単に折れないということである。降りつもる湿った雪の重さを、じんわりと曲がることで耐える。やがて雪をするりと滑り落としてゆっくりともとへもどる。屈しない心は折れる。よく萎える心は折れない。あーあ、とため息をつきたくなる瞬間、私たちの心は“しなっている”のである。(写真;イタジイは山原(やんばる)の森を構成している主要な樹種、15〜20m位になる高木で、秋にはドングリがなりイタジイを中心に構成された森がやんばるの動植物の生息場所、3月ごろは新芽を出し山全体が黄緑色となり、ブロッコリ畑のように森がもっとも美しく輝く)

  
Posted by hhirano20 at 22:05

2017年04月04日

>「「沖縄の歩き旅」の最終日。沖縄暮らしの本拠地をくまなく歩いた

P1310646P1310648P1310638P1310603P1310655P1310660P1310668P1310610-1「沖縄の歩き旅」の最終日。沖縄暮らしの本拠地をくまなく歩いた。細長い沖縄本島の真ん中に丸く飛び出した半島が本部半島で、その根元には名護市がある。半島の真ん中に450mほどの八重岳(沖縄本島では最高峰)があり、その西側が本部町で東側がわが借家のあった今帰仁村である(その借家は無人となり1000坪もある広大な敷地は荒廃していた)。沖縄では唯一米軍基地や演習所のない、貧しいながら古の琉球の雰囲気をいまでも感じられる美しい村である。わが家から世界遺産の今帰仁城址まで約六キロ。石畳の残る急坂の古道を登った。道すがらいにしえの古琉球の風を感じた。コバルトブルーの海を望む高台では、緑の木々の間に縫う石灰岩の石垣に世界遺産の風格を館感じた。海洋博公園内ではゆったりした気分になれる。熱帯植物園のカトレアには心ときめき、美ら海水族館の大水槽に優雅に泳ぐ三匹のジンベイ鮫や四匹のマンタには圧倒された。備瀬のフク木並木を歩いた。フク木(フィリピン原産)は防風、防砂、防潮のために数百年前から植えられている。この並木の木陰の中には快適に生活している民家があり、南国の乾いた夏の暑さをしのぐ生活の知恵には関心させられた。わが家の住所の字(あざ)名(町名)は越地。村内にある乙羽岳(275m)から眺めると実に美しい字である。大井川河口はサンゴ礁の海岸に連なり、河口近くの川にはマングローブ林が見られる。山と海に囲まれた町内には、スイカのビニールハウスと電照菊など豊かな田園風景が広がる。村内にはウッパマビーチがある。青と緑色のサンゴ礁の海、白い砂浜、緑の木々に青い空、やさしいの“若夏”の太陽、今帰仁村の一住民に戻った気分になれた。八重岳麓の伊豆味にはみかん畑などの果樹園が広がり、広い庭園をもつ趣のある喫茶店が点在する。山間の県道添いには、近くの果樹園でとれた南国フルーツの露天が軒を並んでいる。自生しているベゴニアが美しく咲き乱れ、やんばる(山原)の家では山羊(沖縄ではヒージャといって、おめでたい時にこの肉も血もすべてを食する)が飼われている。古宇利島大橋からは海底が丸見えで、岩礁には天然モズクが海流に波打っていた。(写真;歩いて見た第二の故郷である今帰仁村の風景、10年前と何にも変わっていなかった)  
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2017年04月02日

「沖縄の歩き旅」の二日目

P1310536P1310550P1310561P1310563P1310579P1310580P1310582P1310585「沖縄の歩き旅」の二日目。海開きの日に合わせたかのような暖かい。気温21℃、南国らしい碧空と強い陽射しが照りつけた。本日は今回のウォーキングのメーンイベントで、恩納村道の駅から残波岬、半島を折り返して読谷村にある座喜味城(世界遺産)を巡って道の駅に引き返した。約30Kmの歩道は全てオーシャンビューで、南国の強い陽射しはコバルトブルーの美ら海と青い空と白い家屋とやんばる(山原)の樹木(イタジイの木が多い)の緑を総天然色に輝かせてくれる。南シナ海のミライカナイ(海の彼方)から吹きつける涼風は、どことなく中国大陸や東南アジアの香りがする。ここは日本本土から1000Km以上も離れた外国にいるような錯覚を感じる。喉を乾かせ、お腹を減らして恩納村道の駅に立ち並ぶ屋台風の食堂で、美味しいものを思いっきり飲んだり食べたりする。58歳からはじめた沖縄暮らしでは毎日曜日に、沖縄から帰った後も毎年1回は同じ道を歩いてきた。「楽しい」のである。心から「幸せ」を感じる時である。沖縄暮らしでの楽しい思い出や一日一日をしっかり生きてきた実感などが、琉球の緩やかに流れる時と相まって「幸せ」ってこの事なのだといつも思う。10年前と体も心も変わっていない。80歳まで同じように「幸せ」感を維持してこの道を歩きたい。90歳でも・・どうであろうか。「幸せ」とは何であろうか? それはお金では決して買えないものである。お金があると、人はさらに稼ごうとか目減りしないようにと思うもので、その気持ちが人を「不幸」にしてしまう。80歳まで病気や介護に患わされないように元気で生きたい。でもこれだけでは「幸せ」な気持ちは生まれこない。80歳までも、沖縄のこの道で今と同じように「幸せ」を感じて歩きたい。そのために筋肉だけでなく心肺も胃腸も、それに脳も好奇心も現状維持するように、この目標をもち続けて日常をしっかり暮らす。このように目標に向かって生きることが「幸せ」を感じることなのだろう。(写真;恩納村道の駅〜残波岬〜読谷村〜恩納村道の駅はわが「幸せ」街道、強い日射を反射して白はもっと白くなり、海の青と樹木の緑は日射を吸収して色濃さを増し、風景はメリハリが効いて活き活きしている、総天然色の活動映画を見ているようである、70歳の老人の爆食いは周囲の人を驚かす)  
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2017年04月01日

「沖縄歩き旅」の初日は那覇市内の街歩き

P1310527P1310504P1310533P1310522-1P1310502P1310499「沖縄歩き旅」の初日。久しぶりの里帰りの場所は第二の故郷である沖縄である。沖縄で暮らした4年間、70年の人生でもっとも活き活きとして暮らすことができた。この沖縄暮らしなくしては・・、わが人生を胸張っては語れないだろう。沖縄では「人は楽しく生きていくものである!」、という当たり前の日々の暮らし方を学んだのである。楽しいことをすることよりも、楽しくないことはやらない・・ことである。8時30分岡山空港発の飛行機。昨夜は興奮してなかなか寝付かれず3時に目が覚めて起床した。忘れ物がないように入念に荷支度をしても時計の針はなかなか先に進まない。居ても立ってもおられず4時過ぎに家を出て空港に向かったが、5時では空港ロビーのカギはかかったままで暗かった。飛行機に乗ってもからも、沖縄本島の姿を早く見つけようと窓に顔をつけて眼下を見下ろしていた。あいにくの曇り空で、亜熱帯の強い陽射しはなく気温も18度。飛行機から降りて少しがっかりしたが、地上の景色や人のいつもと変わらない緩やかな空気に触れると途端に沖縄人に戻れた。本日は那覇市内のウォーキング。やんばる(山原)に住んでいたので、那覇や浦添の都会の町並みは歩いてみたことはなかった。飛行場から那覇国際通りまで歩き、そこから石畳の坂道を歩いて首里城(世界遺産)に向った。さらに世界遺産の識名園(琉球王家の別邸)とつないで飛行場に戻った(そこでレンターカーを借りて今晩はやんばるに宿泊)。沖縄王国は貿易中継地(中国、日本、東南アジアなどと)としてかつては栄華を極めた。ところが江戸時代に突如薩摩藩に侵入され重税に悩まされ、明治になり王家は追い払われ沖縄県となり日本に併合された。そして第二次世界大戦後は米国にも占領された。そんな琉球王国の古の風景をわが5感で感じ取って歩いた。ところで沖縄もどこに行っても中国人観光客でごった返していた。レストランでは爆食いする中国人観光客で満席。店の定員も中国人が雇われていて日本語がよく通じなかった。今度は中国に占領されたのか・・?と錯覚した。(写真;国際通りの公設市場、首里城正殿、識名園、琉球舞踊)  
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2017年03月30日

頭がいい成人は「抽象化思考」に優れている

P1310479P1310480大学受験生だけではなく「頭のいい人」は社会人になってからも存在する。記憶力がいいだけの「頭のいい学生」と違って、社会での「頭がいい人」の特徴は「一を聞いて十を知る」、「要領よく行動できる」、「無駄がなくシンプルな考え方をする」などなど・・である。それに「頭がいい人」の共通した思考能力がある。それは「抽象化思考」のことである。思考には他に「具象化思考」があるのはご存じであろう。この「具象化思考」とは「一を聞いて一を知る」ことであり、非常にわかりやすいしイメージしやすい。でも応用が利かないし部分的な思考である。『群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)』は、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合うというインド発祥の寓話である・・。そもそも抽象化とは色々な物事の中からパターンや特徴を抽出することである。そうすることによって色々な物事の中から、いくつかの法則を見出すことができる。いったん法則がわかってしまえばあとはその法則に当てはめて考えればいいので、いちいち全部見たり聞いたりする必要がなくなる。無駄がなくシンプルな思考ができ、一貫したコンセプトを持つことになる。コンセプトとはつまり「どうしたいのか?」ということである。これが決まっていることで全ての行動に一貫した芯が通る。個々の事象で判断がぶれることなく、目的に向かって一直線に進むことができる。コンセプトというのがそもそも抽象的なものである。人生はどう生きるべきか?人間の幸福とは何か?社会はどうあるべきか? これらのコンセプトはすべて抽象的である。たとえば人間はどう生きるかというのは、個々の人間が具体的にどう生きるべきかを論じているのではない。個々の人間の望ましい生き方の特徴やパターンを抽出したものである。コンセプトを打ち立てるためには「抽象化思考」が必須である。「抽象化思考」ができれば「頭がいい人」のように、無駄がなくシンプルに物事を考え行動できる成人になれる。(写真;吉備路のレンゲ畑は5月の大型連休の頃に紫色一色に被われる、今年は早咲きのレンゲがもう咲き出していた、桜の蕾は未だ開かないのに・・)  
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2017年03月28日

『沖縄病』が再発した。第二の故郷である沖縄に歩きに行きたい

P1010076-1P1280745P1280731P1300376P1300420『沖縄病』とは沖縄の魅力に取りつかれ、高い飛行機代をものともせず頻繁に通う人や移住してしまう人を指す。「自然がいい」。澄んだ青い海が珊瑚礁の海岸に静かな波を立てている。その珊瑚礁の中には色鮮やかな魚が群れている。ガジュマルだのアダンだの・・。本土とはまるきり違う植物が生え、年中何か花が咲いている。「年中温暖な気候がいい」。冬だというのに昼の外出はTシャツですむ。「食がいい」。ミミガー(豚の耳)やテビチ(豚足)。ゴーヤーチャンプルー。魚もまるで違う。イラブチャーの刺身には青い皮がついている。「泡盛がいい」それも古酒(クースー)が最高。食との取り合わせはからっとしたオリオンビ―ルが一番である。赤瓦を漆喰でしっかり固めた屋根を持ち低く構えた「沖縄の家がいい」。「城(グスク)がいい」。復元された首里城は華麗だが、規模の大きな城壁を持つ各地のグスク(世界遺産)は荒涼とした美をもって魅力的である。城壁は緩やかな曲線を描き、角も円みを帯びている。しかし何より自然にとけ込んで住んでいる「人々がいい」。彼らの奏でる「音楽と踊りがいい」。日本と違った歴史と文化を持ち、それを脈々と伝承しているところがいい。「琉球語(ウチナーグチ)の語感がいい」。日本語をしゃべっても、独特の言い回しになるところがいい。「市場がいい」。そこで働いているしっかり者の女性たちがいい。特にオバァがいい。本土から沖縄へ移り住んだ人のことを、沖縄の人(ウチナンチュウ)はシマナイチャーと呼ぶ。演出家宮本亜門もそうだ。ウチナンチュウはシマナイチャーを歓迎しながらも、ちょっと特別の目で見ている。ヤマトンチュウ(本土の人)はどんなに頑張ってもウチナンチュにはなりきれない。彼らに血を通して伝わるものをとうてい共有できないからであった。『沖縄病』が再発した。第二の故郷である沖縄に歩きに行きたい。(写真;沖縄の自然も、食がいい、城がいい、人々がいい・・、沖縄暮らしでは「楽しく生きる」ことを学んだ)  
Posted by hhirano20 at 22:32TrackBack(0)

2017年03月26日

近頃は、寝ても覚めても菜園の野菜のことなど脳に浮かばない

P1310472P1310474P1310482現役を引退して「サンデー毎日」の頃はわが菜園が居場所であり、そこで弁当を食べハンモックで昼寝をして、野良仕事に飽きたらそこから歩きに出かけていた。ズブの素人でも、7年間も野菜つくりに専念したら玄人を超えて「野菜バカ」になる。寝ても覚めても、脳の中は畑に植えた60種類ほどの野菜の成長のことで一杯だ。歩きながらでも、道端の他人の野菜畑が気になる。この時期になると、例年ホームーセンターや苗屋さんに並び始めた夏野菜の苗の品定めをする。市内の10ほどの店舗を見て廻り健常な苗を品定めする。良い苗を見る目と、その植え時期は「野菜バカ」の能力がもっとも問われる。近頃は、寝ても覚めても菜園の野菜のことなど脳に浮かばない。休日の朝目覚めても、菜園に勇んで行こうという気持ちが失せてきた。童謡「かなりあ」の歌詞を思い出した。♪歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか いえいえ それはかわいそう 歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか いえいえ それはなりませぬ 歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか いえいえ それはかわいそう 歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい 月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す♪。「野菜バカ」の居場所はわが菜園である。この土曜日も日曜日も、朝から日が暮れるまで菜園の中で過した。心地よい陽射しと吹きつける風が鍬を耕すエネルギーになる。雑草が1本もなくなった“自慢の野菜畑”に、何人もの畑仲間が遊びに来てくれ久しぶりの再会を喜び合った。4月になったらタケノコ掘りに連れて行ってくれる約束をしてくれた。(写真;吉備路国分寺五重の塔、白梅、紅梅、菜の花、この時期ではの三景である、野良仕事の合間に吉備路を歩いた)    
Posted by hhirano20 at 21:19

2017年03月23日

「阿弥陀クジだよ人生は」、もうこのままゴ‐ルに到達なのだろうか?

P1300030P1300034P1300035P1300038「阿弥陀クジだよ人生は」と言って、ずっと他人がその横線を引いてくれるのを心密に待ちわびている。でも「待つ身は辛い」ものである。もうこのままゴ‐ルに到達なのだろうか? 今のこの心境を文章にまとめてみた。『変わらない日々を繰り返すだけ。家と職場を往復するだけの毎日。家事をこなすだけの退屈な日常。何のために生きているのか、人はしばしばわからなくなる。「人生なんてつまらない」、そんな風に考えてしまうことも時々ある。「このままでいいのだろうか?」。本当は何がしたいのだろう。周りに取り残されているように感じる。同じところをウロウロしているように考えてしまう。こんなはずじゃなかったのに、どこかで道を間違えたのか。今の自分を認めることができないでいる。ありのままを受け入れることができないから、苦しい思いをすることになる。淡々とした過ぎていく毎日だからこそ、何かいいことはないかなぁ…どこかに楽しいことはないかなぁ…と考えてばかりいる。だからいつも満たされない、常にもの足りない。ここから抜け出せれば何かが変わると考えて、ここではない「どこか」に刺激を求めようとする。今あるものよりも、まだ見ぬ「何か」に幸せを探す。人は慣れる生き物だからすぐに新たな刺激を求めはじめる。それに近くにあるものほどないがしろにしてしまう。「当たり前」だと思っている退屈な日常。その当たり前なことこそが、どれほど有難いことなのかに気がつきにくい。だから感謝の心を忘れがちになり、それを失ってから後悔する。淡々とした過ぎていく毎日だからこそ、後悔しないように「今」を精一杯生きていくことであろう。人生をつまらなくしているのは自分自身である。同じようでいても、同じ日は1日だってないはずなのに。「今」という時間は二度とは戻らない。つまらない人生はなく、人生をつまらなくしているのは自分自身である。どうせ変わらない、またいつもと同じだと決めつけている・・と考えるからである。誰かが変えてくれるのではない。「きっかけ」になる何かを、ただ待っているだけではやってこない。自ら動かなければ変わらない。自分の人生を決められるのは自分だけである。つまらないと決めつけてしまえば、つまらなくなる。幸せは与えられるものではなく、自ら見出すもの。人生をどう生きるのか、そこにある「意味」も「価値」も自分自身で選び取ることができるのに』(写真;四国の歩き遍路の道標の数々)



  
Posted by hhirano20 at 22:57

2017年03月21日

「思い込み(セルフイメージ)」こそが自分の居場所を決めるのである

P1310466-3P1310464-4P1310463自分の居場所、すなわち「自分の身をどこに置くか?」を考えるときには2つの視点があると思う。一つは「自分の人間性にどんな影響があるか?」であり、二つ目は「自分が輝ける場所か?」ということであろう。二つ目の「自分が輝ける場所か?」は、とくに「働く場所」を選ぶときに重要な視点である。輝けない場所では「セルフイメージ」を下げることにつながる。「セルフイメージ」は自分自身に対して持っているイメージのことで、自己評価(“思い込み”と言うものかもかもしれない)ということもできる。「セルフイメージ」は基本的な思考の枠組みとなり、何かを決めたり行動したりするときこの範囲内でしか動くことができない。俗に言われる「プライド」なのである。一つ目の「自分の人間性にどんな影響があるか?」は、所属する「コミュニティ(共同体)」を考える際に重要な視点である。属する「コミュニティ」からの影響力はどんな仕事をする場合でも、身体に染み込んで「日常」の暮らしにも必ず活きてくる(良し悪しにかかわらず)。「類は友を呼ぶ」であり、良い「コミュニティ」には成長意欲の高い人が多く、悪い場所には“同病相哀れむ”ごときの人の集まりとなる。属しているだけでも直接影響される。「自分は成長意欲の高い人が集まるコミュニティに属している」と、この感覚を持つだけで「セルフイメージ」が高まるので、属しているだけでも意味があるのである。「自信」とは自分の価値や能力の高さ、または考えや行動の正しさを信じている心。「自尊心」は自分に対して好意的な評価を行うことで、自信を積み重ねていくことで形成される心の状態。「自信」でも「自尊心」でもなく、自分の「思い込み(セルフイメージ)」こそが自分の居場所を決めるのである。(写真;善通寺市は弘法大師の生誕地、85番善通寺は弘法大師の豪族の父から土地の寄進を受け、807年に建立し始め813年に落成したという)


  
Posted by hhirano20 at 21:07