2017年07月21日

「ストレス」は心の体力づくりに欠かせない

CIMG0320CIMG0322CIMG0323CIMG0324CIMG0325「人生って、楽しいことよりも辛いことの方が圧倒的に多い」。誰もがこのように感じていると思う。嫌なこと、心配なこと、不安なこと、辛いこと等は、楽しいこと、嬉しいこと等に比べて数多く心を襲ってくる。朝起きてから寝るまで、一日中心が平穏である日は一年を通しても何日も無いような気がする。楽しいことはすぐに消え去っていき、嫌なことは何時までも心に残るようにも思われる。何故だろうか? 辛い気持ちの時には「生体防御機構」が働くからだ。様々な精神的ストレスに対して体内ホルモンが作用して心身の恒常性(平穏)を維持しようとする。その関連細胞群の消費エネルギーも莫大なものである。ストレスで食欲が増すのはこのためである。その様にして心と身体の平静が得られる。脳も心も鍛えられ、ストレスに対する免疫が出来ていく。これこそが精神的に大人になることであり、人間が成長することである。ストレス防御は体力の一つで、身体を動かす力、細菌やウイルス感染に対する免疫の力、暑さ寒さに対する忍耐力と同じで、生きていくに欠かせない生命力の一つである。一方、嬉しいことや楽しいことでは「生体防御機構」は反応しない。エネルギーも使わない。免疫も出来ないのですぐに忘れてしまう。慣れっこにもなる。幸せボケや平和ボケになるだけだ。人に襲いかかる辛いことは、種類は異なってもそれらの総数は生涯で各人が同じだと聞く・・。インフルエンザに罹る人とそうでない人がいる。感染免疫という体力の差の違いだろう。精神的ストレスに打ち勝つ心の体力も同じである。精神的に強い人とは、数多く受けたストレスのお陰で心の体力がついている人なのである。(写真;倉吉は「彫刻」の街、道路や公園や広場にさまざまな芸術作品が展示されていた、山陰地方で最初の鉄道は境港線 、その次が倉吉線でこのSLが走っていた)   

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2017年07月19日

生きる意味とは『死を恐れ、生きていることに感謝する』ことだと思った

CIMG0341CIMG0342CIMG0346CIMG0333CIMG0332未だ気象台は梅雨明けを宣言していないが、今朝はセミの合唱がいつもよりも早くから始まった。日の出前の散歩は気持ちがいい。乾いた少し強めの風は少し冷たく秋風かと勘違いする。夏至が過ぎてから幾分日の出時刻が遅くなってきた。いつもの散歩コースを90分ほど歩いたが、これまで見かけないお年寄りが元気に歩かれていた。いつもわが家の愛犬を可愛がってくれる近所の奥さんに出会った。なんと散歩ではなくジョギングをしていたのである。道端で犬達を愛撫しながらお話をした。来週は新潟県の妙高山と火打山に登山に出かけ、旦那さんは別の仲間と山形県の月山と鳥海山に登山に出かけているそうだ。早朝なのにジョギングの前にお化粧を綺麗にされていた。早朝の山登りに合わせ予行練習と鍛練を行っていると直感した。”山頂にあるお花畑に会えるのが楽しみなんです”。そのように話す笑顔は輝いていた。ご夫婦とも70歳を超えている。「60歳代と70歳代の老いは違う」という持論は撤回しなければならない気持になった。上には上がある。高齢者こそが上を目指して暮らすことが出来るのである。同じ団地には、他にもヒマラヤ山脈やアアラスカに旅をした70歳代の高齢者がおられる。彼らは大病を患いそれを克服してからの行動である。生きる意味を改めて考えさせられた。ビートルズのジョンレノンが残した言葉を思い出す。「欲しいだけの金を儲け、好きなだけの名誉を得て、はじめて自分には何もないことを知った」。Aコーン(競争の心理学者)も述べている。「多くのスポーツ選手は大きな目標を達成すると何も得られず幻滅の深い傷だけが残る」と。印象派画家のルノワールは「手足が効かなくなった今になってから大作を描きたいと思うようになった」と嘆いた。失って、何も無くなって、そして死を意識して、はじめて生きる意味を知るのだろうか。生まれたものはいつかは死ぬ。作られたものは塵に戻り存在がなくなる。だから人は『生きている』間を大切に思い、死ぬことを恐れる。だから、生きる意味とは『死を恐れ、生きていることに感謝する』ことだと思った。それを実感するから老後の毎日を生きることを大切にするのだろう。(写真;倉吉市の街並み風景、昭和レトロの面影がどこにも見られた)   
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2017年07月17日

わが一人旅は車とウォーキングの「ハイブリット」移動で行動範囲が広い

CIMG0344CIMG0331CIMG0357CIMG0366CIMG0374「海の日」にはどこに出かけようか? 山登りのリベンジで蒜山三座の縦走にしようか、それとも日本海で海水浴をしようか・・。早朝出かけるまで決められない。本当は登山がしたいが自信がないのである。登山靴と海水パンツ、その時の体の調子とお天気をみて決めよう・・。7時に高速道路の蒜山パーキングで朝食をするのが楽しみの一つだ。モーニングサービスの厚切り食パンを食べながら蒜山を眺める。小雨がぱらついているのは車のフロントガラスを見て知った。三座とも山頂はガスで顔を見せていない。「よし、峠を越えて倉吉へ歩きに行こう。それから白兎海岸で海水浴だ・・」。このように、山登りに自信のない心は即決した。倉吉盆地は室町時代からの城下町、その後陣屋町や宿場町として栄え蔵屋敷がその面影を残している。倉敷美観地区に似ている。でも街全体が昭和のレトロな物や趣が残っているので、広い盆地全体を歩き回った。久しぶりに日本海を眺めた。太平洋の大らかさがなく、瀬戸内海の穏やかさもない・・。いつも何かブツブツ小言で訴えている・・波打ち際の引き潮から感じ取れる。これは冬の荒海と重ねて眺めるからであろうか。白兎海岸もさびれてしまっている(海水浴そのものも・・海の日でも)。海に浸かってみたが本気で泳ぐ気分にはならなかった。せっかくだから鳥取砂丘まで足をのばした。子どもの頃遊んだ新潟海岸の砂丘を思い出した。防砂林の松やグミの木々、アサガオのような花を咲かすハマナス・・・。子どもの頃は“ジョリン”でアサリが沢山とれたものであった。わが一人旅は車とウォーキングの「ハイブリット」移動なので行動範囲が広い。これでも飽き足らず菜園に立ち寄って西瓜の収穫と水遣りをしてようやく「海の日」の祭日は終わった。(写真;倉吉の街並み、白兎海岸の海水浴、鳥取砂丘、肢で稼いだ日帰りの旅であった)  
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2017年07月15日

『老人元気で外がいい』、これを現役引退後一日も欠かさず実行している

CIMG0268CIMG0278CIMG0297CIMG0298CIMG0299『老人元気で外がいい』。これを現役引退後一日も欠かさず実行している。現役時代は『亭主元気で留守がいい』を40年ほど続けてきた。“仕事人間(ワーカホリック)で、家族も顧みる余裕もなく早朝から晩遅くまで働き続けた。もちろん日曜日も祭日もサービス残業で家を留守してきた。だから家で居場所がないというよりも、家での過ごし方が身についていなかった。子どもたちが巣立っていった「空き巣」では夫婦二人で暮らしている。そんな亭主と連れ添った女房は”自立“し、「一人上手」にもなった。”生業“のない3日間は菜園での野良仕事か歩き旅。家の外といっても、屋内ではなく日中はずっと屋外(野外)での暮らしである。今朝も7時前から日が暮れるまで菜園暮らし。梅雨明け(・・たと思うが)の菜園は34℃の猛暑である。でも、やぶ蚊対策で長袖シャツ長ズボンは欠かせない。周囲の何処を見渡しても日中は畑や田圃に他人はいない。畑で熱中症にならないの? と心配してくれる人は多い。菜園には畑の他にあっちこっちには樹木が茂っている(果樹や花木)ので日陰になる場所がある。それにビニールハウスの半分は、その屋根に野葡萄やモッコウバラの枝葉が茂り雨除けや日よけになる。そこで昼食をしたり昼寝をしたりして休息をする。水道の蛇口も二か所あり、日中もふんだんに水撒きをして菜園を冷やす。籐椅子に寝そべって真っ昼間はそこで昼寝をする。30℃以上になると、日陰といってもクーラがないと寝ていても大汗が吹き出してくる。自然の中では「風」が唯一の涼の手段である。周囲は建物のない田畑なので、近くの山並みから吹きつけてくる風が恵みである。「風」が大汗でおおわれた皮膚を吹き抜けて行くと、何とも言えない心地いい涼しさを感じる。水分補給も半端でない量になる。近くに飲料水の自動販売機はあるが飲むのはいつも水道水である。蛇口に両手で水をすくってゴクゴクと飲む。美味しい。何も味がしないのがいい。ペットボトルの口でなく口の中に手で掬って飲むのがいい。山登りで山の湧水を両手で掬って飲むように・・。(写真;大山頂上付近で咲いていた山野草、ヤマアジサイ、ヤマオダマキ、ニガナ、ユキノシタなど・・)   
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2017年07月13日

大山登山の疲れがまだ消えていない

CIMG0283CIMG0284CIMG0288CIMG0293大山登山の疲れがまだ消えていない。70歳を境に疲れやすくなって、それに疲れがいつまでも残るようになった(これがこの齢になってガタッとくることなのだろうか?)。登山の最中は筋肉も心肺機能もさほど無理はしていないのに、体はもう「一杯いっぱい」の状態になった。おそらく蓄積した「疲労物質」がいつまでも体から抜けていっていないように思える。激しい運動中には吐く息が甘酸っぱくなる。これは「アセトン」という物質のせいで、ミトコンドリアでエネルギー(ATP)産生時に不足する糖質の代わりに脂肪が燃焼するのでこの物質が産生される。この「アセトン」臭は登山中自覚しなかった。これまでは「乳酸」が疲労物質であり、もうこれ以上の運動をしないようにと警告をだす物質と考えられていた。スポ―ツジムでの筋トレ中にも甘酸っぱい息遣いになっていた。それでも運動を中断するほどの苦しさではなく、決して「一杯いっぱい」の状態ではなかった。最近「乳酸」は決して疲労物質ではなく、むしろブドウ糖やグリコーゲンの代わりに燃えてATPを産生する物質だと考えられるようになった。「乳酸」以外の疲労物質(Fatigue Recover Factor 、FF)が発生して疲労を引き起こすと同時に、その疲労から回復するために人体が生成する物質、つまり疲労回復物質が「Fatigue Recover Factor、FRF」が分泌されることも知られてきた。激しい運動をすると体内で大量の酸素を消費し、同時に大量の活性酸素が生まれる。通常、活性酸素は病気への免疫や毒物の解毒作用などに利用されているが、激しい運動などにより活性酸素が過剰に発生すると細胞を酸化(錆びる)させてしまう。また、活性酸素は細胞核内のDNAを傷つけ、ガン細胞を作りだしたり動脈硬化の原因にもなることが分かっている。そして活性酸素が細胞を酸化させる時、FFが発生して脳へ疲労の信号を送ると共に、筋肉や細胞の働きも低下して疲労感が生ずる。つまり疲労の直接の原因になっているのは活性酸素であり、活性酸素が発生した結果、疲労を感じる物質FFが発生し脳が疲労を感じるのである。 FRはFFが発生すると作られる性質があり、FFの発生によって傷ついた細胞を修復し、身体が疲労から回復する働きを促す作用があります。 つまり、疲労の回復に効果があるFRが発生しやすい体質なら疲れにくくなるし、逆にFRが不足していると疲労が回復しにくい。歳を取って老化するにつれて、人の体はFRを作り出す力が弱くなる(つまり疲れが溜まりやすくなる)ため過度な運動はご法度である。 (写真;ダイセンキャラボク「大山伽羅木」、高山種で鳥取県大山の山頂部に分布する固有種、高貴な香りで名高い伽羅のように木に香があることから付いた名前、イチイ や カヤの仲間である)   
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2017年07月11日

大山登山で老体の体力を確認したかった

CIMG0138CIMG0301CIMG0266CIMG0291CIMG0272登山で老体の体力を確認したかった。少なくとも10年前までは、登山は趣味の一つで年に何回かはそれなりの山に登っていた。でも加齢と共に高山から低山、さらにハイキングとそのランクを下げてきた。再度山登りに挑戦したい気持ちは今でもあるが自信がない。女房からも山登りは危険だからと反対され、長年履きなれていた登山靴も処分されてしまった。安物の登山靴を靴の流通センターで購入し、その日が訪れるのを心待ちにしていた。この日曜日は梅雨明けの登山日和になった。早朝に伯耆大山めざして高速道路を急いで走った。慌てていた。途中で登山靴を持ち忘れていることに気がついた。仕方ないので車に積んであるウォーキングシューズで代用した。夏山登山口がある大山寺までの山岳道路は前日までの大雨で交通止め。迂回路を探してようやく目的地に到着した。余分にガソリンを消費したので帰りの燃料が足りなくなる。この近辺にはガソリンスタンドは一軒もない。ガソリンスタンド探しのことを心配しながら登り始めた。大山の夏山登山道は一辺倒の登り。アップダウンがなく約30度の急斜面をひたすら頂上を目指して登るだけ。五合目まではブナ林の中を登るので周囲や眼下の景色は望めない。道自体は整備されているが不揃いの階段に悩まされる。ブナ林がなくなる六合目から七合目までは足元がゴロゴロ石で登りづらい。八合目からは突然勾配が緩くなる。「ダイセンキャラボク」を守るために木の桟道になり、ようやく山登りの醍醐味が感じられるようになった。登り始めて三合目で少し気分が悪くなった。大汗をかいて血圧が少し低下したのだろう。でも引き返さずにひたすら頂上を仰ぎ見て登り続けた。四合目から次第に快適な気分になれて、途中の休息もとらずに山頂に一気にたどり着けた。標準は3時間(各駅停車、各号目で小休止を取る場合)だそうであるが、こちらは快速電車並みの2時間10分で山頂を極めた。頂上からの360度パノラマ景色と大山キャラボク群落の眺めは格別である。「行きはよいよい帰りは怖い」。下りはあの岩道を重力とともに老体が落ちて行く感じで、登りと同じくらいの時間をかけて麓の登山口に無事戻れた。体はもう「一杯いっぱい」で、一歩も動けない位にへとへとになった。でもどこの関節も痛まず筋肉痛も感じない。「歩くだけでは能がない。野良仕事だけでは運動にならない」。さあ、近くの低山で足腰の筋力のリベンジをはじめよう。(写真;高山は昼過ぎからガスがかかってくる、風も強く気温16度、「大山キャラボク」は国指定の天然記念物、避難小屋の売店で購入したコーラは1本600円だったが格別美味しかった)  
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2017年07月09日

昨夜は倉敷の和風レストランで職場の恒例の夏の宴会があり参加した

CIMG025820110521-beachIMG_9559_1昨夜は倉敷の和風レストランで職場の恒例の夏の宴会があり参加した。100名余りが参加した盛大な会で、料理も美味しくそれなりに楽しめた。職場の宴会の意義とは何だろう? いつもご馳走を食しながら考えることである。そして、その時にはいつも沖縄では恒例の「ビーチパーティー」と比較してしまう。沖縄に住む地元の人にとって海は泳ぐ場所ではない? エメラルドグリンーに輝くビーチでのんびり過ごしたり、ただボーッとしてみたり、木陰で本を読んでみたり・・・。そしてビーチの大きな役割は「ビーチパーティー」の場である。「ビーチパーティー」にはバーベキューが必須アイテムで、少人数はもちろん忘年会レベルで大人数が集まることもしょっちゅうであった。朝から晩まで、ビーチでひたすら語らいながらわいわいとバーベキューを楽しみながら、お酒を飲む・・・(そう、ウチナンチューの宴会はいわゆる“飲み会”で、泡盛とオリオンビールが欠かせない)。沖縄の人にとっては、仲間や家族との絆を深める大切な時間でもある。沖縄のビーチではバーベキューセットや機材の貸し出しを行っているところが多く、食材もまとめてビーチまで配達してくれる肉屋さんもある。手ぶらで行ったりお酒だけ持っていく・・・など、気軽に「ビーチパーティー」を行うことができるようになっている。だから「家族で」「模合仲間と」「同窓会を兼ねて」「職場のメンバー」と、一年の間に何度もビーチパーティーに参加する機会がある。「ビーチパーティー」を盛りあげるアイテムの一つとして音楽(沖縄民謡など)があり、ラジカセなどのオーディオを持っていく方も多い。夕暮れ時に好きな音楽をかけながらグループごとにゆったり語らう・・・なんてこともしていた。朝から日が暮れる頃まで行われることが多いので、一休みできる簡易ベッドを持参する人もいた。ウチナンチューの“心の豊かさ”は毎日楽しく暮らすことにある。職場の宴会でも上司も同僚も単なる仲間の一人。上役の挨拶も乾杯の音頭もなし。時間にもルーズで開始時間も終了時間もあってないようなもの・・(制約という楽しくないものは無視する)。沖縄の宴会では、参加者がめいめいに自分流で時間を楽しむのである・・泡盛を片手に。(写真;「職場の宴会」と「ビーチパーティー」の雰囲気の違い)  
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2017年07月07日

人と共生している「雑草」と「野菜」、実は兄弟なのである

P1010439-1-1P1280261山の樹木の下草が「山草」であり「山菜」である。麓の人里で生えているのが、「雑草」と呼ばれる「野草」である。人里には、これに加えて“耕作植物”の「野菜」が植えられている。人と共生している「雑草」と「野菜」は、実は兄弟なのである。人が樹木を切り倒し植生を変え、生活ごみは肥料となり、人に踏れたり刈られたりして多様な「野草」の生息を可能にした。「野草」も人に栽培されているのである。植物の生育には「競り合い」が不可欠である。例えば野菜の場合。野菜の種は畝の一つの穴に2−3粒撒くのが普通である。1粒ではよい苗ができない。種が発芽すると地中の根が急速に発育する。根には2種類あることをご存じだろうか。地下の水を求めて深く下に伸びて水を吸収する根。それに表面近くに幅広く張る根で、これが肥料を吸収するのである。発芽したての苗にとっては、栄養よりも水の方が重要。複数の種の根は、競って地下深く根を張るのである。ニンジンやホウレンソウなどの種は筋蒔きと言って一筋に密集して撒く。これも同じ原理である。トマトは雨除けシートの中で育てる。苗を畑に定植してから最低1週間は水を与えない。この間で、貪欲に水を求め地下深くまで根が伸びる。実は「野菜」と「雑草」も地中の水を求めて「競り合う」のである。水だけではない。太陽の光もそうだ。両者は光を求めて競い合って背丈が伸びる。日当たりの良くない畑では通常の「野菜」は生育が遅れる。しかし苗を密植すると、少ない光を競い合って背丈が伸びる。日当たりの良い畑ではこのような現象は起こらない。「野菜」の根が張って背丈が伸びるまでは、兄弟である「雑草」の力を借りる。そのあと「野菜」が「雑草」に負けないように、人が少し野菜の手助けをする必要がある。それを怠ると、雑草に呑まれて野菜が消えることがある。しかし「競り合い」していない若菜はいくら手助けしても育たなくて、畑の畝の上で成長を止めた「野菜」が出てくる。雑草を刈って光が当たるようにしても、うんともすんとも動かない。成長を止めた「野菜」はやがて枯れて消えていく。畑では「野菜」と「野草」の兄弟げんかを上手くナダメテいる。(写真;完熟トマトはわが菜園の名物の一つ、ハウスでの乾燥土壌で育った、今年はアブラムシから伝染したウイルス病で出来が悪かった、遅れて路地でも20本ほど追加して生育している)  
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2017年07月05日

日の出時刻前、いつもの散歩路はちょっとした人のラッシュである

020IMGP2003P1100406早朝5時、日の出時刻前のことである。いつもの散歩路はちょっとした人のラッシュで、朝っぱらからウォーキングの愛好家(?)たちで賑わう。勿論、高齢者だけで若者など見かけない。ここ数年でその光景は変わった。明らかに散歩を楽しむのではなく、ウォーキングで体を鍛えているのである。大きく歩幅を広げ、スピードをあげ、腕を直角に曲げて前後に大きく振る。この有酸素歩行スタイルは女性に多い。ゆっくり歩いて、歩きながら視線は上下左右あらゆる景色に向けられ、時に立ち止まったりもする。このように歩くことを楽しむ人など、近頃はとんと見かけなくなった。景色どころか道で出会う人にも目に入らない様子である。「元気だから歩くのか? 歩くから元気なのか?」。これは間違いなく元気だから散歩ではなくウォーキングするのである。いま元気で調子がいいから、この状態を維持して健康寿命を伸ばそうと意識しての日課である。岡山県の井原市に「嫁入らず観音」がある。昔のお年寄りは嫁の世話にならないように、日参して祈ったものである。それは“今は昔”のことで、高齢者は嫁に見放され老人施設に居場所を移される。いつまでも老人施設に入らないように、景色や天気にそれほど気にせずに、風や雨が強くないかぎりは毎日一生懸命祈る。いや歩くので、毎朝の「施設入らずウォーキング」である。野菜つくり仲間の長老がいつも言う。「一昔前は60歳と言えばヨボヨボで、隣近所を“井戸端会議”しながらプラプラしていたものだ」。今の歩き人は「競歩」の選手並と感心していた。日本の平均寿命どんどん延びていく。ただ最後が延びるだけではなく、各年齢でその分だけ若返っていくのである。女性は男性に比べて5歳ほど平均寿命が長いのは、男性よりも常に5歳若いということになる。だから71歳の私は76歳のご婦人と同じ年齢だと考えればいい。(写真;ヒマワリは向日葵、日輪草、日車、日車草、日回り草、向日葵、サンフラワー、ソレイユと呼ばれる、梅雨明けを待ちきれずに大輪を開きはじめた、若いヒマワリの茎の上部の葉は太陽に正対になるように動き、朝には東を向いていたのが夕方には西を向く、日没後はまもなく起きあがり、夜明け前にはふたたび東に向く。この運動はつぼみを付ける頃まで続くが、つぼみが大きくなり花が開く頃には生長が止まるため東に向いたまま動かなくなる)   
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2017年07月03日

米国の幼児教育事情について興味ある話を聞くことができた

098101107米国ノースカロライナー州で、ベビーシッターの手伝いをしていた18歳の日本女性が菜園に遊びに来た。彼女から米国の幼児教育事情について興味ある話を聞くことができた。仕事を持つ女性は日本と異なり、0歳から保育園に預ける代わりに保育師の資格をもつベビーシッターを家に招き入れる。そして親の教育方針で子供の教育を依頼する。3歳までの“しつけ”は厳しく、怪我をさせない程度の体罰は許されるそうだ。3歳まで「蝶よ花よ」と過剰に可愛がるだけの日本の育てかたではない。ベビーシッターの給料は1日2〜3万円で、乳幼児の“しつけ”の重要性が理解できる(日本では「公文」などの教育/勉強第一、“しつけ”は適当に・・)。親子が川の字になって寝ることなどなく、生まれた時から赤ちゃんは子供部屋で一人寝かされる。だから子供部屋には、子供を相手してくれるような縫ぐるみや絵本や玩具で一杯である。幼少時から人格を持つ「一個人」として親と接し、他人に迷惑をかけることがないよう社会的マナーや公共道徳などの“しつけ”を厳しく指導する。親の子供に対する“しつけ”は存在しても、親の価値観や願望を子供に投影させた“教育”はない。子供の自由な個性や能力や才能を尊重し、それが何であるかを自由な生活環境の中から見つけだし、それを最も伸ばすことのできる環境を作り出して上げる。これが親の子供に対する“教育”である。親の価値観で子供に特定の教育や習い事を強要する親はほとんどいない。子供への教育のために親が子供の犠牲になるということもない。子供は勉強をすることだけを期待されているのではなく、子供も家庭を構成する一員として、あらゆる作業や家事を分担する。家庭には勉強机もないところも多く、勉強をするところは学校であり家庭は勉強するところではないという考えが一般的である。わが国にも「三つ子の魂百まで」の諺がある。「荒れた学校」や「いじめ問題」、学校教育法の検討よりも幼児期の親の“しつけ”を先に問題にしなければならないと思った。“しつけ”のなされていない子供たちを、いきなり学校に預けられても教師は有難迷惑であろうに・・。(写真;水島地区の連島蓮根は全国的に有名品、レンコン畑には真っ白な花が地平線まで咲き誇る、一度わが菜園の小さな池に植えたことがある、蓮根が発育しすぎて池が壊れてしまった、今は花蓮根の花がピンクの色を咲かせている)   
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2017年07月01日

「思い出」は思い出すたびに、心にグっと来るものがある記憶の事だと思う

P1300203P1300204P1300205P1300208P130020930年余り前になるが、ニューヨークのブロードウェ―でミュージカル『キャッツCATS』を鑑賞した。本場のミュージカルは初経験で、英語でしゃべる猫たちの会話の意味は十分に聞き取れなかった。でも感動した。溢れ出る涙のタイミングは周囲の米国人と一緒であった。終演したのは午前1時、同行した女房と共に余りの感動のため呆然とし、そのまま12月の寒い夜空をホテルまで歩いて帰った。翌日気がついたが、センチラルーパーク内の“危険地帯”を何も知らずに横切っていた。公演のラストに年老いた猫(グリザベラ)が、美しくも哀愁こめて劇中歌“メモリMemory”を歌う。♪思い出 ただ一人 月の光を浴びながら 過ぎ去った日々を思い出し 私は微笑む 思い出はいつでも美しいものだから 幸せの意味を知っていた あの頃に戻りたい…♪。かっては魅力的な猫だったグリザベラ。しかし今や老いて美貌を失い、唯一残ったのは美しい思い出(メモリー)だけ。歌詞の哀しい心情が切々と歌い込まれていた。現役時代には、亡くなるときに受け持ち患者の顔をじっと眺めていた。ご臨終のまえに一瞬“穏やかな顔つき”になり、さらによく観察していると“微笑を浮かべている”のである。それも1回といわず2回も3回も・・。でも中には一度も微笑まない超高齢者もいた。人はおそらく息を引きとる直前に、生まれてから一生涯を「思い出」しているのであろうと思った。「思い出」と「記憶」とは違う。簡単に言えば、客観的なものが「記憶」で感情的なものが「思い出」。「記憶」には感情が入っていなく、「思い出」には“心”というかそのときの“気持ち”というか“感情”も一緒に残っている。「記憶」は単なる過去の出来事を覚えている事。「思い出」はその過去の出来事を思い出すたびに、心にグっと来るものがある記憶の事だと思う。このように考えると、臨終の時にあえて微笑むほどの「思い出」って果たしてあるのだろうか。このままでは1回も微笑まないで息を引きとるような気がしてきた。(写真;わが菜園の夏野菜は花盛り、どこの家庭菜園の野菜苗よりも生育が早い、夏野菜は梅雨が明けたら干からびてしまう、だから早春の時期に種を発芽させ苗を早植えする、これは家庭菜園10年の経験による)  
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2017年06月29日

「老人は満腹が体に悪い、腹八分にせよ」と人生の先輩に教えられた

P1010392P1060631P1010414P1280257「最近どうも疲れやすい」し「よく寝ているのに朝から眠い」。朝5時からの早朝散歩の疲れをそのまま午前中の診療(外来や往診)中に自覚する。これまでは感じなかった自覚症状である。疲れるといってもウィークデーは“生業”での軽作業だけで、農作業も日中のウォーキングもないのに・・。これこそが「70歳でガタッとくる」ということなのだろうか。先日「老人は満腹が体に悪い、腹八分にせよ」と人生の先輩に教えられた。たしかに食欲旺盛で食事が終わればお腹がいっぱいに膨れている。さほどの“メタボ”ではないのは週末の農作業とウォーキングのお蔭なのか・・。満腹になるまで食べると体へのストレスも大きくなることに気がついた。食べたものを消化するのに、胃や小腸、大腸などをはじめとする消化器官に大きな負担をかけてしまう。それに食べものが体内に入ってきたら胃腸はもちろんのこと、肝臓、腎臓、血液、心臓など、体中のすべての器官が活動する。その間体内は運動会のように慌しく活動しているが、それが意識的ではないがために知らないうちに内臓を疲れさせてしまっている。ちなみに食事での摂取カロリー量の約20〜25%が胃腸の消化吸収の働きに消費される。だからエネルギー産生量が減っている「エコ老人」では、食べることでエネルーを使い果たして体はエネルギー不足状態となり疲れを感じてしまう。「もう動けない〜」と苦しくなるまで食べて、「食べてすぐに寝ると牛になっちゃうよー」と言われつつも、そのまま横になって寝てしまう。一方、少なく食べるということは食べることにゆっくりと向き合うことになる。ごはんの代わりにカップ1杯弱のジュースが出てくると、言葉にしなくても「あぁ」って思う。これだけしかないのだと思うと、もったいなくてグイッと飲むなんことはできない。スプーンでひとさじずつ噛み締めるようにいただく。食事に対して真摯に向き合うと自分のいつもの食生活がすごく見えてきて、いかに食べすぎていたかということを思い知る。「そうか、これで足りるのだ本当は・・」って体で知る。そして1週間も続けると、少しの量でも十分な充足感があることを体が覚えるし、自分の体ってこんなに軽いんだと実感する。体重が減っていく軽さとは質が違って、体の内側がクリアで軽いという感覚である。週末の3食だけ、食事代わりに薄いお味噌汁や野菜ジュースだけにしてみている。(写真;梅雨時の風景)  
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2017年06月27日

「病老」の陰に隠されないで、これまで生きてきたように生きたい・・

IMGP2059IMGP2064乳がんとの闘病を続けてきたフリーアナウンサーの小林麻央さんが34歳の若さで亡くなった。夫の歌舞伎俳優市川海老蔵さん(39)と結婚後、2人の子宝に恵まれながらも病魔に襲われた。昨年9月に「なりたい自分になる」とブログ「KOKORO.」を開設し、病に対する率直な思いや家族との交流の様子などを発信し続け、多くの人の心を動かしてきた。「がんの陰に隠れないで」という主治医の言葉に心を動かされ、「ブログという手段で陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」と綴っていた。ブログの最後の更新は亡くなる3日前。母が毎朝搾ってくれるオレンジジュースについて触れ、「朝から笑顔になれます。皆様にも、今日笑顔になれることがありますように」と結んだ。ブログの中で後悔や不安を率直に語り、病と向き合うその姿が多くの共感を呼んだ。登録読者数は258万人を超え、英BBC(電子版)は昨年11月多くの人々を勇気づけたことを評価し、人の心を動かし社会に影響を与えた「100人の女性」に選んだ。『人の死は病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。例えば私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。「まだ34歳の若さで、可哀そうに」「小さな子供を残して、可哀そうに」でしょうか? 私はそのように思われたくありません。なぜなら病気になったことが私の人生を代表することではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出合い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した色とりどりの人生だったからです。だから時間を病気だけの色の時間に支配されることをやました』。この文章は「生病老死」、いずれ病に倒れ老いて死んでいく我われ老人にも勇気を与えてくれる。老人が死んでもちっとも可哀そうではない。子どもたちはそれぞれ家族を築き、空き巣住まいの老夫婦が死んでも可哀そうなことはないだろう。それに病気や老いと闘っても無駄なこと・・。でも「病老」の陰に隠されないで生き抜きたい、これまで生きてきたように・・。それは菜園での野菜つくりや歩き旅を続けることではない。いずれ野良仕事が出来なくなり歩けなくなるはずである。それでも「自分らしく」生きることとは何だろう? それは、いかに「自分らしく」死ぬことであることを小林麻央さんのブログから教わった。(写真;わが菜園の「蓮の花」が開いた、手作りの小さな池に植えた花蓮は3年目、2本が8本に増えていた)  
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2017年06月25日

ミトコンドリアの量と質をよくするにはどうしたらよいのだろうか?

CIMG0242CIMG0246CIMG0252ミトコンドリアとは細胞の中にある小器官の一つで、細胞全体の10〜20%を占めている(細胞によっては、一つの細胞に100〜3000個のミトコンドリアが含まれている)。ミトコンドリアの役割はエネルギーを作り出すことである。食事から摂取した「栄養」と呼吸で得られた「酸素」を使って、ATP(アデノシン三リン酸)というエネルギーを作り(エネルギーの産生は自転車操業で貯蓄ができない。エネルギー使う時に必要な分量だけを産生する)。ジョギングを始めると最初のうちはとてもきつかったのに走るのに慣れてくると、それほどきつく感じなくなる(山登りでも同じことである)。これは運動をすることによってミトコンドリアが機能し始め、呼吸で取り込む酸素量はいっしょでも効率的に酸素を使えるようになるからである。最初はエネルギーを生み出すのに必要な酸素を無駄にするため、ハアハアと息を切らす。しかし走ることで体内のミトコンドリアの機能が向上してくると、エネルギー代謝がよくなり酸素を有効に使えるようになるので息を切らさずに走れるようになる。ミトコンドリアは老化の問題と非常に深い関連があることがわかってきた。年を重ねるについてミトコンドリアの量は次第に減っていく。またミトコンドリアには「質の良い」ミトコンドリアと「質の悪い(効率の悪い)」ミトコンドリアがある。年をとったり悪い生活習慣などが続いたりすると「質の悪い」ミトコンドリアの割合が増えていく。それが老化のスピードにも大きな影響を及ぼす。ミトコンドリアの量が不足したり質が低下したりすると作られるエネルギーが不足する。少ないエネルギーは、まず第一に呼吸や体温調節など生きるためにどうしても必要な部分に優先的に使われる。だから若さを保つために働いている老化防止機能や遺伝子の修復作業などを行う長寿のためのシステムにエネルギーが十分に回されず、それらのシステムがちゃんと機能できなくなっていく。それが老いやガンなどの病気につながっていく。最新の研究によればミトコンドリアの生み出すエネルギーの低下が認知症の原因の一つとなっていることも報告されている。ミトコンドリアの量と質をよくするにはどうしたらよいのだろうか? 話は簡単である。寒いところで運動すること(寒中稽古など)はミトコンドリアをふやす効果がある。寒さを感じると、体は「エネルギーが必要だ」と判断しミトコンドリアをふやそうとするからである。次に週に1〜2度のプチ「断食」であろう。ミトコンドリアをふやすためには空腹感が最も大切であるからである。エネルギーの材料は酸素と栄養(糖質)だからである。(写真;「サンゼミOB」会、土日の宿泊農業研修が3月に1回開催される、同じ農業学校で学んだ“野菜バカ”仲間である、65歳から77歳の男子会が楽しい、仲間に入れてもらって6年になるが年々エネルギー不足を自覚するようになってきた、体は“ガス欠”にならないように自然と「省エネ」の動きになるものである)  
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2017年06月22日

心の「自我」と体の「自我」

002-1img_5-151X-lV3Y62L__SX560_-1CIMG0233CIMG0234人の心の成長は「自我」の形成であると言える。赤ん坊の頃にはすでに「自我」が出始め自己を主張し始める。これが”癇の虫”で、”思い通りにならない時のキ〜”が始まり母親を悩ませる。さらに成長すると反抗期が両親を悩ますが、実はこれも自己確立のためで大人への発育過程には欠かせない。このようにして個人の心の自己決定がなされ、これを死ぬまで持ち合わせる。病気になった時の治療決定、いわゆるインフォームドコンセントでもこの自己決定が欠かせない。死ぬ時の尊厳死や安楽死にも自己決定が決め手になる。実は体自体の「自我」は心よりも早く、生まれ時から確立される。自分以外のものを排除するために自己を確立するのである。これが「免疫システム」である。体は自分以外を全く受けつけず心の「自我」よりも極めて冷たい存在である。脳は人の感情から行動まですべてを支配する。思考から喜びや悲しみなどの感情など、いわゆる心のほとんどが脳の支配下にある。しかし脳は「免疫システム」に指示はできない。逆に脳が強制できない「免疫システム」は脳を否定できる。「免疫システム」が生きているかぎり体は生きていると言えよう。脳よりも上位の指示機能が「免疫システム」の中にあるとすれば、脳死の後でも「免疫システム」はしばらく働いている。心肺が止って脳が動かなくなった時に、人間の「我」を決めるのは「免疫システム」だということになる。死んでも体の「自我」、すなわち「魂」が残るのはこのことを指すのであろうか。脳死で植物人間になっても「免疫システム」の働きがある以上、その人間は生きていると考えても不思議ではない。免疫学者の多田富雄さんの名著「免疫の意味論」で話題になった実験を紹介する。鶏の卵の将来脳に発達する場所にうずらの卵核細胞の遺伝子を移植した。誕生してくるひよこはうずらの形をもち鳴き声もピツピピーとうずら鳴きであった。しかし成長してうずらの「免疫システム」が発達してくると、それが脳に対してこれは自分の脳ではないという命令や指示を出して脳を壊してしまいひよ子は死んだ。脳死ははたして人の死なのだろうか・・・。(写真;直島の「地中美術館」は安藤忠雄が制作した、そこには「クロード・モネ室」の“睡蓮”画が数点掲げられている、光を上手に取り入れた素晴らしい空間で自然光の下で絵が鑑賞できる、でも美術館に行く道中の池に広がる自然の睡蓮もそれ以上に美しい)


  
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2017年06月20日

仏教の教えの基本は「足るを知る」ことと「諦める」ことだと・・教えられた

CIMG0226CIMG0227P1290560P1290583P1290587仏教の教えの基本をいつか教えられたことがある。一つは「足るを知る」ことであり、もう一つは「諦める」ことだと・・。よく生きるためには「足るを知る」心を持ち、よく死ぬためには「諦め」の境地になって死を受容することだというのである。欲は限りがないものである。でもよくしたもので、金銭欲、名誉欲、色欲、食欲などの欲望は身体的にも社会的にも必ずセーブ(自制)がかかるようになっている。これらは程々にしないと、無一文になったり、地位を汚したり、色沙汰になったり、メタボや糖尿病になる。これを戒めるのが仏教の「足るを知る」の教えである。このことはリタイアー(退職者)のセカンドライフをより良い暮らしをするための必須条件であり、リタイアーでなくてもアラカンになったら心がけなければならない。蔭では、”老害”とか”年甲斐もなく”とか”もう辞めたら”などと囁かれているはずである・・。一方「諦め」は、人生の賞味期限を意識しだすリタイアーにとっては切実な課題になる。年と共に衰え、いつ病に倒れるかもしれない。このような心配をしながら生きていくようになる。「どうせいつかは誰もが死ぬものだから」と言いつつも、自分だけはひょっとしたらなどと考えたりもする。それはそれで健全な思考だと思う。それでもその時になったら、じたばたしないで死を迎えたいものだ。それは死を受容することであろうが、その時には人生に対する未練を「諦める」ことであろう。現役時代には多くの不治の病の患者さんを診てきた。病を得た時には誰でも失望する。とことんどん底まで落ちてしまった人の方が、その後はその人らしい生き方が出来るように思えた。すべてを失ってしまうと逆に開き直って生きていける。朝目覚めて今日も生きていてよかった。そうだ、今日一日生きることが生きることだと悟ったのであろう。病気をしなくてもどうせあと10年か20年の命なのだから、少しずつ「諦める」心の訓練が必要だと思った。神社仏閣に参って欲張りな願い事をするのは止めた。「今日も元気で無事過ごせたこと」を感謝して、両手を合わせたり柏手を打つことから始めよう。(写真;直島の続き、島全体に「アート」の雰囲気を感じる、人口4千人弱の島に大勢の人を乗せて大型フェリーが1時間おきに港に出入りする、高松港、岡山港、宇野港から芸術を求めてやって来る)

  
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2017年06月18日

「淡々と生きる」ことのよさがわからないと人生の味わいはわからない

CIMG0223CIMG0221P1290558P1290573P1290580P1290582台湾に旅した(バックパッカー)時に「中国茶」の飲み方を教わった。緑茶の茶葉を急須に入れ、色がつかなくなるまで5回ほど熱湯を注いでお猪口のような小さな茶器で順番に飲む。それぞれ味や風味が変化してきて、楽しいお茶の飲み方だと感心した。菜園での昼弁当のあと、携帯ガスコンロでお湯を沸かしてドリップパックのコーヒを飲んでいる。お湯を入れ替えて一杯分を5回ほど楽しむ。茶道において一杯目のお茶は甘味を楽しむ。二杯目のお茶は渋味を楽しむ。三杯目のお茶は苦味を楽しむ。四杯目以降となると甘味も渋味も苦味も消え、ただわずかに色がついているだけの“出がらし”になる。千利休はこの四杯目以降のお茶の味を“淡味”と言った。“淡”とは、「静かに安定している」という意味。そして「淡味の良さがわからなければお茶は永久に理解できない」とも言った。禅から発している茶道。淡味とは感謝の心を持ってして初めて喜べる、味わえる味なのだろう。人生もお茶と同じだと思うようになった。何をしたから楽しかった、どこそこへ行ったから面白かった、と言っているうちは本物ではない。同じように繰り返される「日常」の中で、面白味、幸せ、贅沢感が感じられるようになりたいものである。小林正観さんの著書『淡々と生きる』のなかに「人生の質は淡味にあり」、「淡々と生きることは”何が起きてもただ受け入れるだけ、戦わないから無敵”である」といった表現をしている。正岡子規の言葉に「悟りとは、平気で死ぬことではなく、平気で生きることである」がある。つべこべ言わないで平然と生きること。淡々と生きること。それが悟りである。命ある限りたとえ何事が起こっても、淡々とご飯を食べ、淡々と野菜を作って、淡々と歩く。「淡々と生きる」ことのよさがわからないと人生の味わいはわからない。(写真;直島に歩きに行った、歩き場所に迷うといつもこの島に足が向く、北の三菱マテリアルの精錬所、真ん中に住宅街や学校、南に美しい自然と芸術がある、いつ行っても観光客で一杯、とくに外国人が多い、ベネッコーポレーションと安藤忠雄がつくり上げた世界的な美術館と芸術がある)  
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2017年06月16日

男女とも長寿日本一の長野県。なぜ長野県?

CIMG0215CIMG0213CIMG0214CIMG0196-1男女とも長寿日本一の長野県。なぜ長野県?、この地域の「地理的条件」で考えてみた。日本アルプスや八ヶ岳など日本を代表する高山に囲まれており、長野にある農地はほとんどが標高300m以上に位置する。必然的に平地よりも気圧は低くなるが、これは細胞内にあるミトコンドリアの活性に関係する。ミトコンドリアは細胞内にある小器官。酸素をつかって炭水化物などを分解し、エネルギー(ATP)を生み出す重要な役割を担っている。 気圧の低いところでは肺の中の酸素分圧が低くなり、血液中の酸素濃度が下がる。すると全身の細胞への酸素供給量も低下する。そうなるとミトコンドリアは少ない酸素で効率的にエネルギーを生成しようと活性を上げる。これは陸上選手が行う高地トレーニングと同じ理論である。通常、歳を取るほどミトコンドリアの活性は下がるが、高地にいる長野の人は日常生活を送りながらトレーニングをしているのと同じ環境にあるといえる。 一見、厳しいように思える長野の自然環境は人体だけでなく、そこで育つ植物にも良い影響を及ぼす。高山村や茅野市、佐久市など多くの市町村では、冬の冷え込みが厳しいだけでなく昼夜の温度差がかなりある。これが野菜などの植物を強くする。過酷な環境で栽培された植物ほど抗酸化作用や免疫力を高める栄養素・フィトケミカル(ポリフェノールやカロテン)などをより多く含んでいる。つまり厳しい環境で育った野菜のほうが栄養価は高い( 野菜を選ぶときには長野など寒暖差の大きい地域で育ったものを選ぶとより良い)。長野では野菜摂取量が日に379gと全国でもっとも多く、りんごやぶどうなどの果物摂取量も多い。 環境的な要因でいえば長野県には「海がない」。これまでは海に囲まれた地域こそが健康長寿であると考えられてきた。魚の消費量が多いからだ。魚には血液サラサラ効果で心臓病などの予防に良いオメガ3脂肪酸(EPA、DHAなど)が豊富に含まれており健康長寿によいとされている。長野には海がなく魚の消費量も低いが心臓病の死亡率が低い(長寿に海は必要ないということになる・・)。 長野の人の血液を調べると血中のオメガ3濃度は高い。これは魚だけでなくエゴマ油(しそ油)などにもオメガ3は含まれているので、長野の人はそうした野菜から摂取していると考えられる。 もうひとつの推測(であるが)。海の汚染が昨今深刻になっているが、これが海に囲まれた地域の人の寿命を縮めているということはないだろうか。汚染魚を食べる人間に悪影響が及んでいる可能性もあります。長野はそのような魚を食べないからその影響が小さい。(写真;朝散で立ち寄る藤戸寺、沙羅双樹の花がひらいた、夏ツバキで芳香を放って一晩で散る、「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必滅の 理をあらはす」という平家物語の一節を思い出す)  
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2017年06月14日

自己中心と利己的(ジコチュー)は意味が違う

CIMG0197CIMG0198CIMG0201CIMG0202CIMG0203CIMG0204CIMG0205「老後こそは自分らしく生きたい・・ものである」。これこそが残された人生を有意義に暮らすことだと思う。そのためには自分を大切に”自己中心(セルフィシュ)”で生きていきたい。元来”自己中心”とは幼児期の心理的特性である。自分を基準にして世界を解釈することである。幼児は自分を客観視することや自分とは異なる価値観があることを理解することは困難である。これは人の成長過程において自我の形成には欠かせない特性である。この“自己中心”と“利己的(エゴ)”は本来の意味からすると異なると考えられる。“利己的”とは周囲の人を無視あるいは軽視するなど我儘(わがまま)の意味であり、“自己中”と省略し「ジコチュー」とカタカナ表記され”自己中心”とは区別されるものである。一方“我儘は”我あるがまま”という自然の状態の一つであり、自分の気持に素直で自分を一番大事に考えてのことである。だから本来の意味は悪いことを示すものではない。我儘でなかったら本当に他人のことを考えて尊重できるのであろうか。我儘でない人はとかく自分を抑えがちで自分を押し殺している。この状態が続くと「こんなに自分は我慢しているのに、あの人は・・・」という気持ちになり、他人を尊重できなくなることが多い。自分だけでなく他人も尊重していないのである。でもお互い我儘であるだけでは人間関係はうまくいかない。そこで他人への「思いやり」が併せて大切である。この「思いやり」の気持ちも、自分の我儘を抑えていたのでは自然に生まれてこない。我儘な自分だから相手にも我儘があることがわかり、相手の我儘を尊重しなければならないことを理解できる。自分のためだけではなく他人のためにも我儘に生きるのである。昔はどこの家も貧しく、物もなかったので我儘はかなわなかった。家族みんなが幸せに暮らすには、譲り合いが不可欠で我儘は敵であった。自分の気持をできるだけ抑えて我慢することが大事なことであった。それが豊かな時代になって我慢しなくていいようになったことは喜ばしいことなのだが・・・。我儘にも我慢が必要な世の中になった。(写真;種松山の山頂公園の紫陽花、梅雨入りしてさまざまな花びらが開きはじめた、でもさまざまな色形の花びらは花のガクである)

  
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2017年06月12日

農業とか畑仕事をやっていると健康で長生きというイメージがある

CIMG0179CIMG0184CIMG0185CIMG0193CIMG0194何となく農業とか畑仕事をやっていると健康で長生きというイメージがある。菜園の回りでは80歳過ぎの高齢者も多いが、野菜を作ったり耕運機で田植えをしている姿を眺めるとそのイメージがますます固まってきた。この菜園で野菜つくりをはじめて10年ほどになるが、近隣の人で入院や施設入所それに訃報は聞かない。田舎で農作業をするのが、健康な80代の秘訣なんじゃないだろうか。それで職業別の平均寿命と健康寿命の統計を調べてみた。それによると農業従事者の平均寿命は第4位であったが、健康寿命はダントツの1位で介護施設の入所率も低い。菜園の周囲の田圃は田植えがはじまった。いまどきは子供達や女房は田植えの手伝いはしない。高齢の爺さんが耕運機を乗り回して一人で田植えをしている。いずれも75歳以上、中には86歳の現役爺さんもいる。農家の爺さんにとって畑や田圃は別荘的な居場所である。いつも田畑の作物が気になり、散歩がてらに一日に何回も田畑に足を運ぶ。行けばいろいろな作業がある。だから百姓と言われたのだろう。誰に束縛されることなく、自分の思いで自分のペースで体を動かせる。自然やお天気まかせで無理はしない。体力が落ちても少しぐらい体調不良でも出かけられる。病院に通うよりも元気になれる。女性の家事仕事のようでもある。「老人元気で外がいい」。お日様(紫外線)を浴びるのがいい、そよ風に吹かれるのがいい、植物に手で触れるのがいい、大地を耕し手や足で土と戯れるのがいい、隣近所の爺さん婆さんたちと立ち話(けっこう長話になる)をするのがいい、・・・。週休3日は菜園に入りびたりで生きる力が湧いてくるのである。(写真;野良仕事の合間に近くのお寺に散歩、住職は境内で花菖蒲を丹精込めて作っている、テレビで紹介されてから遠方からも見物客が集まっている)  
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2017年06月10日

「老いの顔」は「心の老い」を表す

CIMG0164CIMG0167CIMG0170CIMG0172お年寄りの顔つきを眺めていると、同じ年齢でも現役(生業)を続けている人達はリタイア者に比べて異なることに気がついている。顔の表情が豊かであり、血色がよく、瞳が輝いている。私自身も現役をリタイアしてからは、明らかに顔つきが変わってきたのを自覚していた。人を相手にした現役時代と野菜相手のセカンドライフでは、自然とふだんの表情が異なるからであろう。顔面には30種類以上の筋肉があり、相互に作用して人間の複雑な表情をつくりだす。目や口のまわり、鼻や頬、ひたいやあごなどを動かす「表情筋」である。身体の筋肉は骨と骨をつないでいるが、表情筋は骨と皮膚につながっているため細かな表情をつくりだすことができる。でも日本人の場合、若者でもこの表情筋は全体の30%しか使っていないそうだ。無表情でこの筋肉を使わなかったり、加齢による表情筋の衰えは顔のハリをなくし、顔の皮膚のシワやたるみの原因になる。またたるみが毛穴を目立たせ、どんどん老け顔を招く結果になる。「目は口ほどにものを言う」。目には、見る、眺める、観察する、の他に「見つめる」機能がある。瞳孔を開き、上眼瞼をあげて目を見開く動作で、顔面の動眼神経がつかさどる。これこそが「目や瞳が輝いている」ということであろう。老いの顔つきの原因ははたして表情筋の老化委縮のためであろうか? 火水木金曜日の生業(なりわい)の日は、目覚めた時から週休三日の菜園に通う日の顔つが昔の現役時代の顔つきに近づく。映画やテレビで見る男優や女優さんの顔つきは、かなりの年齢まで老けないことを不思議に思っていた。表情筋のトレーニングでも特別に行っているのかとも考えていた。俳優さんは仕事柄、現役の間はふだんから表情筋や動眼神経は緊張状態でストレッチされているのである。このように考えると、老い顔の原因は表情筋の緊張が足らないからであろう。それは顔の筋肉の衰えではなく、むしろ心の老いからくるものだと思った。老い顔は心の老いを表しているのである。鏡に向かって表情筋のマッサージ運動をするよりも、心の若さを保つことのほうが先であろう。(写真;「梅雨入り」の日の朝散の風景、立葵の天辺の花が散るまで大嫌いな雨がつづく、田植えの時期でもあり散歩道の風景が一変する)

  
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2017年06月08日

あの世にまでは「お金」を持っていくことはできないのである

CIMG0119CIMG0118CIMG0122CIMG0163「生業(なりわい)」とは「報酬」すなわち「お金」を得ることである。「お金」は生きていくため、楽しみを得るために、他人から「もの」や「サービス」を提供してもらう“約束状”のようなものであろう。それ自体は単なる紙切れで価値はないが、生活していくために必要な食料を買ったり、水道・光熱費や税金などを払うために「お金」は必要である。“貧困老人”が問題になっているが、その最低限のお金にさえ困っているという高齢者は限られると思う。むしろ多くの高齢者は、老後を快適に生きるために使う「お金」の方が多いのではないだろうか。さらに言えば「老人の孤独死」などの社会問題を見ると、たとえ「お金」があったとしても解決できないものも多い。それでは「老後を快適に生きる」ためには「お金」の他に何が必要なのか? それはそれぞれの人にとっての「生きがい」、言い換えれば「価値」を見出せる生き方ができるかどうか・・、にかかっているのではないかと思う。つまり「価値」を得られればたとえ「報酬」が少なくても「生きがい」を見出せるだろう。「価値」とは語源をチェックすると人偏(にんべん)がついているように、人がモノ、サービス、思考などに付ける「あたい」「ねうち」であって、人によって異なる相対的なものである(身近な例でいえば「猫に小判」「豚に真珠」「新自由主義者に道徳」などである)。「生業」で得られる「お金」は老後を生きる「価値」のために消費されるのが理想である。老後の不安のために貯める・・、そのために老体に鞭を打って「生業」で「お金」を稼ぐのは決して快適な老後を生きているとはいえない。財産を残すお金があるなら生きているうちに自分のために使おう。旅行でも、習い事でも、道楽でもいい。このように親が楽しむ姿を子が見ることで子供は親から生き方を学ぶ。お金の正しい使い方は「生きているうちに使い切ってしまう」ことが理想である。あの世にまではお金を持っていくことはできないのである。(写真;大山寺での山開き祭り、蒜山三座)  
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2017年06月06日

人生の「日常」もバットの「素振り」のようなものであると思う

CIMG0136CIMG0141CIMG0151CIMG0152CIMG0154CIMG0147「素振り(すぶり)」。バット・ゴルフのクラブ・竹刀などを、準備運動や練習のために空中で振ることである。学生時代は野球部に席をおいていた。「素振り」でバッティング能力が決まると言われ、フォームを固定する事とともに正しいスイングの基本を身につけるための必須の基礎練習であった。試合前の練習はキャッチボールと共に「素振り」からはじまる。試合がはじまれば、ベンチ前で「素振り」をして、ネクストバッターサークルでも「素振り」をして打席に入る。打席でも「素振り」をして投球を待つ。空振り三振した後には、照れ隠しの「素振り」をする。一試合で本振りするのは10回ほどなのに、「素振り」は数えきれない。それにレギュラー選手でなければ、「素振り」だけでゲームセットになる選手も多い。だから「素振り」は学生生活の「日常」であった。そして人生の「日常」も「素振り」のようなものであると思う。人の評価も、見返り求めず、自分の成長のためにするのが「素振り」。「素振り」なのだから何かが返ってくるわけでない。でも可能性を信じてやり続ける。やったらどうなるか、ではなく、自分がやりたいからやるのだ。「素振り」して生長するのは自分自身だけである。このブログを書く事も「素振り」の一つである。判りやすい話の進め方、すきのない論理展開、簡潔な表現、面白い文章など書けるわけない。素人でもいろいろと試行錯誤しながら書き続けている。いつかまぐれ当たりでホームランは飛ばせるのではないか。「素振り」はそのような夢や生きる希望を抱かせてくれる。(写真;「とっとり花回廊」にも立ち寄った、鳥取県西伯郡南部町にある西日本最大のフラワーパーク、天候や季節に左右されずに花や植物を楽しめる大温室や展示館があり、雨の日でも花回廊の周囲1kmの屋根付き展望回廊があるため傘を差さずに園内を歩きながら花をたのしめる)

  
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2017年06月04日

こんなに歩けるのに何故山登りの自信がないのだろうか?

CIMG0112CIMG0117CIMG0121CIMG0125CIMG0133CIMG0138CIMG01586月第一日曜日は「大山(鳥取県の百名山)」の夏山登山の山開きである。数年前までは、この日に大山の頂上を目指して登っていた。前日の土曜日は隣にある蒜山三座を縦走して宿泊、翌日早朝から大山頂上からの初日を拝むのが習わしであった。蒜山の縦走登山の方が大山登山よりも何倍か難易度が高い。登って下って、登って下って、登って下って、縦走ではなくほとんど3つの山の登山である。それに沢づたいの山道で足元が悪く、途中何カ所かはクサリのロープが張られている。蒜山を制覇した翌日の大山の登りは単調だけが難で、小さな子供でも親と一緒に登っている。それが数年前から山に登る勇気がでない。怖いのである。途中で動けなくなったら、転んで骨折でもしたら、後ろから登ってくる人の邪魔になったら・・・、このような心配事がまず先に頭に浮かんできて登ってみようかという意欲を抑えてしまう。日曜日は早朝に車で出かけ、7時前から升水原から大山寺(夏山登山口がある)まで、山の麓の樹海の中をウォーキングした。けっこうアップダウンがあり山登りの気分は十分に味わえた。登山口には登山客で大賑わいであった。元気な高齢者も中に混じり、一緒に後ろについて行きたい衝動にかられたがウォーキングシューズでは無謀である。幾度も山頂を仰ぎ見て、必ず大山で山登りを復活しようと心に決めた。大山には全国でも珍しいブナの原生林があり、山頂付近には特別天然記念物に指定される大山キャラボク純林が濃い緑の色彩を広げている。大山キャラボクがもう一度みたくなった・・。登山ができなければウォーキングだ・・。大山から「とっとり花回廊」の園内を歩いて、さらに蒜山に足を向けて三座の麓の自転車道を日が暮れるまでひたすらに歩いた。こんなに歩けるのに何故山登りの自信がないのだろうか?(写真;大山の七変化、大山の山の姿が美しいので「伯耆富士」と呼ばれる、でもそれは鳥取方面からみた表の姿で、裏は「奥大山」とよばれ山崩れの痛々しい山肌が露出している、冬の厳しい気(雪と季節風)に耐え忍んでいるように見える)  
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2017年06月02日

鴛鴦(おしどり)夫婦のこと

420078267090いつも一緒で仲むつまじい夫婦のことを”おしどり(鴛鴦)夫婦”という。鴛鴦がいつも寄り添っている様子から出来た言葉であろう。しかし現実はツガイが一緒にいるのは、交尾後メスが産卵しヒナが孵るまで温めている間の話である。オスは卵を他のおしどりや外敵から守るために傍にいる。巣のところでツガイが並んでいるように見えるだけである。ヒナが孵るとオスは旅立ち、他のオスたちと一緒に群れをなして生活し、毎年新たなメスを見つける。先日鴛鴦ではない理想的な団塊世代のおしどり夫婦と一緒に食事をする機会があった。朝起きる時間はそれぞれ違う。早起きの夫と朝寝坊大好きの妻。夫は早寝で妻は夜更けの静かな時間を楽しむ。むろん寝室は別々である。趣味も生甲斐も文化系と体育系で違う。生活リズムも、几帳面で計画的な夫とのんびりゆったりの妻。でも妻は夫を立て甲斐甲斐しく仕える。夫は満足し幸せそうで、夫の立場から見て羨ましかった。そしてその妻の一言が印象的であった。”夫は私よりも先立ってくれて、その後で残された人生を自分だけで自由に楽しく暮らしたい”。何か熟年夫婦の本心を聞いたようで、私自身大いに納得した。さだまさし作詞作曲の関白宣言の終章の詩が思い出される。♪子供が育って年をとったら、俺よりも先に死んではいけない、例えはわずか一日でもいい、俺よりも早く逝ってはいけない、何もいらない、俺の手を握り、涙のしずく、ふたつ以上こぼせ、お前のお陰で、いい人生だったと、俺が言うから、必ず言うから・・・♪。一昔前の関白亭主は妻の本心は知らなかったのだろうか。このように考えると、五木寛之氏の著書”林住期”は人生最後の最も充実した時期で、自分自身のこれまで歩んできた人生を最も輝かせるのだ。この林住期には夫婦がそれぞれの生甲斐を尊重して、そして双方がお互いのお陰でいい人生だったと言い合う。これこそが団塊世代の夫婦の理想像であろう。(写真;タイは仏教国、バックパッカーの旅での仏教の風景、男の子は誰もが一度は仏門に入りお寺で修行する、「 徳積み 」の心はそこで育まれるのだろう)

  
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2017年05月31日

「悪いことをすると仏の罰があたり地獄に堕ちる」と教えられてきた

781782783780子どもの頃から「悪いことをすると仏の罰があたり地獄に堕ちる」と教えられてきた。タイの僧侶(バックパッカーの旅で出会った)にそのことの真偽を問うた。「気に入らないといって罰を与えるような仏なら、人間と大して変わりないのじゃないですか。仏が自分の意志に沿わない人間を憎んで罰するということはありえません」と明言した。罰が当たるというのは、自分で自分を律する為に遣う言葉だと考えた。誰一人自分を見ていなくても、お天道様だけは自分の行いの全てを見ているという考え方で、お天道様に顔向けできないようなことをしてはいけない。このお天道様は仏さまではなく自身の心であろう。一方お寺にお参りした結果、何かいいことがあったときに「ご利益があった」などと言う。仏教でいう「ご利益」とは、本来は善行の積み重ねを通して得られるもの。仏さまの教えに従って正しい行ないを心がけた結果、仏さまが私たちに下さるものだ。困った時の仏頼みでは途中の「善行」の部分が抜けている。お賽銭をあげて手を合わせるだけ、といった虫のいい願かけも多い。ご利益と似た言葉に「功徳」がある。こちらは善行を積み重ねることによって自らが徳を得るものである。タイでは貧しい人と裕福な人が同居していた。ベンツが走っているかと思うと、その横で路上生活をしている人もいる。道端では、全盲で半裸の男性や乳飲み子を抱えた母親が物乞いをしていた。往来の人たちはいつもお金や食べ物をあげお接待している(どこかの国民のように“見て見ぬふりをする”ことはしない)。タイの人たちの心には「相互扶助」の精神があって、裕福な人は貧しい人に「タンブン(タイ語で“得積み”のこと)」といって分かちあうことで徳を積むと。仏教でいう「喜捨」する習慣がある。貧しい人たちは、お金のある人からお金を「もらってあげる」といった感覚である。お金持ちが徳を積む手伝いをしてあげるという考えだ。タイに滞在した時にはブッダに目覚めた。一日一善は「徳」のはじまり、帰国後から散歩道での空き缶集めとゴミ拾いをはじめたものであった・・・(それも三日坊主で終わった)。(写真;倉敷美観地区、倉敷川沿いのレトロな街並み、見慣れた風景であるがいつ見ても見飽きない)  
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2017年05月29日

この5月から週休3日の勤務。三日間は菜園で「沈没」している

P1280863P1280866P1000240リタイア後は毎年東南アジア諸国をバックパッカーで旅していた。バックパッカーの聖地といえば東南アジアではタイ。バンコクの“カオサン通り”には世界中から多くバックパッカーが集まる。安宿(一泊7〜800円)には長居している日本人を見かけた。あまりにも居心地が良すぎて、ずっとそこに長居してしまう状態を「沈没」というが、何人もの日本人バックパッカーがカオサン通りで何カ月も「沈没」していた。自由に生きている彼らが羨ましかった。観光や文化交流などの本来の旅の目的を忘れ、安宿で本を読んだりインターネットしたりと、たいしたことをせずに何日も過ごしている。「みんなで怠け者になれば怖くない」で、速くて清潔で明るいファーストライフを強いられる日本では肩身の狭い生き方になるからであろう。この5月から週休3日の勤務医となった。この三日間は菜園で「沈没」している。日の出前から日が沈むまで
ずっと土との戯れにはまっている。♪カラスと一緒に帰りましょう・・昔の子どもたちと一緒で、薄暗くなっても菜園でいつまでも遊びたい。50本の大玉スイカと60本の完熟大玉トマトの発育は順調である。きゅうりやナス、ピーンの初収穫、晩生のタマネギ200本ほど収穫して茎根切り。ようやくベッド(?)が空いたので里芋、サツマイモ、生姜を植え付けた。菜園には梅の木が5本もあるので、この時期“アブラムシ”の害が多い。ズッキニーはウイルス病で大半が枯れてしまった。特効薬は無いので抜き去って新しい苗を植えるだけ。雑草抜きやごみの焼却など菜園の美化も大仕事。体だけでなく脳もよく動かすが、何故か何時間やっても疲れないし飽きもこない。30℃以上でも果樹の木陰があり、周囲に広がる田園から心地より風が吹き抜けるので真昼間でも作業は続く。まさにわが菜園は“カオサン通り”である。夕方遅く帰るので「菜園にプレハブの家でも建ててそこで寝たら・・」と女房には叱られる。(写真;種松山頂公園のバラ園、春バラが満開で美しい、でもこれからの夏バラは花が小さく色も褪せてみすぼらしい、菜園のバラも夏季剪定して秋の花盛りを期待する)
  
Posted by hhirano20 at 22:13

2017年05月27日

人間は、その誕生の瞬間から格差を背負って生まれてくる

IMGP2012IMGP1996IMGP2035IMGP2710経済格差はますます広がり、わが国でも少数の勝ち組と大多数の負け組に色分けされてきたと報道されている。でも格差社会は今にはじまったことではない。そもそも人間というものは、その誕生の瞬間から格差を背負って生まれてくる。金持ちの家に生まれる子もいる。貧しい家に生まれる子もいる。兄弟姉妹にかこまれて育つ子がいる。さびしい家庭で孤独に育つ子もいる。日本人として生まれてくる子がいる。北朝鮮やアフガニスタンやアメリカ人として生まれてくる子もいる。小学生になる頃には、背の高さや、体力や、容貌などに大きな違いがあることを感じはじめる。学級にはとびっきり足の速い子もいたし、さほど努力しなくても勉強のできる子も数人はいた。努力することが好きな子もいるが、どうしても努力が苦手で意志の弱い子に生まれついた者もいる。このような子に無理なトレーニングをつんでも効果がない。ハードトレーニングに耐えられる子は最初から意志の強い子である。そんな中で人間はいじらしい努力をして生き続けていく。わが少年時代は野球が好きで唯一の特技でもあった。野球部の選手の中でもそれに打ち込み、運よく甲子園の土を踏むことができる高校生は選ばれた成功者である。さらにその中からほんの一握りのエリートがプロとなって一軍に入り、スター選手として日の目を見るのは数えるほどしかいない。草野球並みの技術しかなかったが、それでも少年時代から好きな野球ができただけでも幸運であり、いい人生を過ごせたと思っている。不合理なこの世の中では格差はいつまでも続く。生きていくことは苦しいが、それでも生きるしかない。途中で人生を投げだすことなく生きている、ということは実は途方もなく大変なことなのだ。人は生きているだけで価値がある。ぐうたらに暮らそうが、甲斐のない日々を送ろうと、身体の中では60兆個の細胞が必死で命を支えてくれている。とりあえず今日まで生きてきた、そして今を生き、なんとか明日も生きようとしている。もうすぐ71歳、肺炎で入院して以来、一生懸命生きている自分自身に感謝するようになった。(写真;5月なのに日中は真夏空、でも日が陰るとたちまち気温は急降下。菜園の野菜の生育に異常をきたしている、地温が低いので根が張らず苗の丈が伸びない、でも日中の高温で葉は茂り花芽は開いて花盛り、ナス・キュウリ・ピーマンの実が大きくならないので野菜業者は困っている)

  
Posted by hhirano20 at 21:06

2017年05月25日

人の「性質」と「性格」の違いを考えてみた

DSC_2617image1数年前に菜園の近くの川で採取したメダカを飼い続けている。現在ハウス内のテーブルの上のいくつかの洗面器に四代目2匹と五代目3匹が生存している。餌を与える時に注意深く観察しているが、面白いことに気がついた。入れる容器の大きさに応じて生存するメダカの数が決まるのである。直径20cm余りの容器では5匹以上は自然淘汰される。五代目も卵から孵化した状態では12匹確認できた。そのうち次第に数が減り、明らかに確認できる大きさになる時期には3匹に減っていた。親が処分するのであろうか。自然から採取してきたメダカは当初餌付けができなかった。もっぱら水草や底に敷かれた小石に沈澱した分解物を餌としていた。二代目はかなり成長してから蒔いた餌を食べるようになり、三代目からは稚魚の頃から餌付けが容易にできるようになった。五代目では餌を与える気配が分かるのか、公園の池に飼われている鯉のように小口を開けて餌を求めるようになった。このようにメダカは一代ごとに環境に適応するために(突然)変異している。生物は生まれたときから遺伝子に従って行動する。その後受け継いだ遺伝子では生活できなくなると、環境に合わせて遺伝子が変異していく。生まれた時から人の能力や行動は決まっている。「三つ子の魂百まで」というが、これは遺伝的な「性質」をさすのであろう。人の「性質」と「性格」の違いを考えてみた。「性質」は英語ではnature(自然、天然)であり、生まれつきの資質や気質でいわば本性である。一方「性格」はcharacter(特性、特徴)であり、感性や経験にもとづいた物の感じ方、考え方、行動の特徴をさす。これは環境因子により生後に身についていくものである。小学生の頃の通知表を思いだした。そこには学習成績とともに生活態度の評価が記載されていた。”引っ込み思案”、”内弁慶”、”計算がのろい”、”体育の態度が悪い”・・・。その後の人生では社会人の一人として「性格」形成に努力をしたものである。これがメダカの(突然)変異に相当するものだろうか。でもこの齢になると、「性格」のメッキも剥がれてきて小学生の頃の「性質」に戻っていくようだ。老人は「性格」が悪くても生来の「性質」で生きられると考えると、何かホットしたような気持ちになれる。(写真;孫たちの近影、他に載せる写真が無くなったので失礼)




  
Posted by hhirano20 at 21:40

2017年05月23日

子供の頃は可笑しくて腹の底から腹筋が痛くなるほど笑った記憶がある

CIMG0034CIMG0035CIMG0039CIMG0049CIMG0048子供の頃は、可笑しくて腹の底から腹筋が痛くなるほど笑った記憶がある。そんな「箸がころんでも可笑しい」という年頃があった。理由が分からないけど笑いこけてしまうこと・・・。それを思い出して再び笑い出す(思い出し笑い)こともしばしばあった。家でも学校でも一人が笑いだすと、それが周りにも伝染する。誰も何も可笑しいこと一つもしていないのに、笑いが周り全体で大うけする。何とも言えない、あの説明のつかない可笑しい空気というのが「箸がころんでも可笑しい」ことだったのだろうか。笑いが連鎖して、人の笑い声を聞いただけで腹筋が痛くなるまで笑い続けたものだ。先日デーサービスに通っている82歳のオバァが話してくれた。この施設ではいつも皆で腹の底から笑えるのだそうだ。その理由はたわいのないことである。ゲームで順番を間違たり、同側の手足を同時に出して歩いただけでも皆で大笑いする。でも家ではそのように笑えることはないという。年を取ると再び「箸が転んでも可笑しくなる」のだろうか。可笑しい時に素直に笑える雰囲気と、連鎖して笑え合う人達が周りにいること、現代社会ではこのような集団生活をすることが少なくなったのだろう。そもそも、どうして私たちは、大人になるとあまり笑わなくなったのだろうか?「人生の中でさまざまな経験を重ねるため、年齢が上がるほど“新鮮な刺激”を受けなくなる。感受性が衰えてしまい、笑ったり泣いたりといった感動に鈍くなってしまう」。また「年齢を追うごとに社会的な責任や負担が増えていき、悩み事や不安、ストレスが多くなってしまう」。つまり気楽に大声で笑えるような気持ちの余裕が無くなってしまった。人の周辺は完全に気を許せる状況にないからである。(写真;水木しげるロードの妖怪ブロンズ像の続き)
  
Posted by hhirano20 at 21:20