2011年06月19日

『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』2(被害者が加害者に)


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』↓
 

生きる意味のある人と、生きる意味のない人がいるのだろうか。

いや、誰でも生きる意味があるはずだ

だけど、アウシュビッツで生きている私たちには、生きる意味が見つけられなかった。

苦しみがあった。

苦しみは、何かを成し遂げるためにあるのではないだろうか?


私は、アウシュビッツで自殺願望のある2人の男を救った。

苦しみを乗り越えて、生きてアウシュビッツから出られたら、家族と会える楽しみを思い出させた。

苦しみを乗り越えた後のかけがえのないことに気づいたら、もう生きることから降りられない


アウシュビッツのある仲間は、自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願った

苦しみを、自己犠牲というものに高めることで、意味もなく苦しむことを拒否し、

ほこりを持って苦しむことができるようになった。



強制収容所の監督は、たいてい冷酷で残忍だったが、例外もいた。

ある監督は、自分の分の食事のパンを食べ残して、わざわざ私に持ってきてくれた。

あのとき、私に涙をボロボロこぼさせたのは、パンのせいではない。

監督が人間らしさを示してくれたからだった。


また、私が最後に送られた強制収容所の所長は、私たちに親切にしてくれて、

自分の財布から、私たち被収容者の病気を治す薬を買ってきてくれたりした。

ドイツが敗戦し、解放された後、私たちは、この元収容所所長に害が及ばないように、アメリカ軍から守った

所長の髪の毛一本にさえ手を触れないことを条件のもとでしか引き渡さない、と申し入れたのだ。

アメリカ軍指揮官は公式に宣誓し、その元所長は、何も罰せられずに済んだ。



終戦が訪れ、待ちに待った自由が得られたとき、どのような気持ちかわからないだろう。

あまりにひどい環境に長くいたせいで、ちっともうれしくないのだ。

アウシュビッツを経験した者は、そこで経験した苦しみを埋めるほどの幸福はどこにもないことを知っている。

それで失望してしまう。

あらゆる権利を奪われ、踏みにじられた者が、自由を得ると

とくに精神が未熟な者は、今度は自分があらゆる権利・暴力・不正を乱用していいと勘違いしてしまう。

被害者が、加害者になってしまう
のだ。


例えば、ある仲間と私が田舎道を歩いていた。

私たちの前に、芽を出したばかりの麦畑が広がった。

私は思わず畑をよけた。

ところが、仲間は私の腕をつかむと、一緒に畑を突っ切って行ったのだ。

私が注意すると、仲間はかっとなった。その目には怒りが燃えていた。

俺の妻と子どもは、ガス室で殺されたんだぞ

それに比べたら、麦を踏んだって問題にならない」

不正を働く権利のある者などいない、たとえ不正を働かれた者であっても例外ではないのに。


また、ある仲間は、むき出しの右腕を私の顔に突きつけて、こうどなりつけたのだ。

うちに帰った日にこの手が血で染まらなかったら、切り落とされたっていい!

強調しておきたいのは、こんな暴言を吐いた男は決して立ちの悪い人間ではなく、強制収容所でも、一番いい仲間だったということだ。


(解説)
ついにアメリカ軍と赤十字がやってきて強制収容所を管理下においたとき、

とても親切にしてくれた強制収容所所長を、ユダヤ人グループがみんなでかばって、

収容所所長の処遇をめぐってアメリカ軍司令官と交渉したという話は、新版に追加された部分だ。


なぜ、この話を作者は追加したかったかは、おそらく、ユダヤ人の国イスラエルが、戦争をいつまでも続けていることと関係があるだろう。

作者は、立場を異にする他者同士が許しあい、尊厳を認め合うことの重要性を訴えたかったのだ。


受難の民が、度を越して攻撃的になることがあるという。

それを地でいくのが、21世紀初頭のイスラエルであるような気がしてならない。

悪の連鎖に終わりをもたらす英知が、今、私たちに求められている。



『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』より

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「あらゆる権利を奪われ、踏みにじられた者が、自由を得ると、とくに精神が未熟な者は、今度は自分があらゆる権利・暴力・不正を乱用していいと勘違いしてしまう。被害者が、加害者になってしまうのだ」


ユダヤ人は、アインシュタインや、ファインマンなど、

(僕は物理で遊ぶことにした。それが物理学の発展のために重要であろうがなかろうが、そんなことは知ったことではなかった。ただ僕がおもしろく遊べるかどうかが決め手だった。こうなると努力なんぞというものは全然いらなかった。後でノーベル賞をもらうもとになった事も何もかも、僕が遊び半分にやり始めたことがそもそもの発端だったのである・・・・・『ご冗談でしょう、ファインマンさん』参照)


ノーベル賞受賞者の輩出率は、他の民族と比べて驚くほど高いので、尊敬していた。

だけど、ユダヤ人の国イスラエルが、いつまでも戦争を続けているので、

「頭がよくても、モラルが低いのね」と、しらけてきた。

(知識と能力だけでは、人間を品位ある幸福な生活へと導くことはできないことを忘れてはなりません。人類がブッダやモーゼ、イエスといった高い道徳的な規範の宣言者を、客観的な真理の発見者よりも高く評価していることには、十分な理由があるのです。・・・・・アインシュタインの言葉4参照)


知性と思いやりの両方を兼ね備えなければ、最高の人間とは認められない。

(知性だけがあって情操が皆無というのは、これは大悪人の特徴であり、知性と情操とが完全な均衡をえたとき、はじめて最高の俳優が生まれるのだ。・・・・・チャップリンの言葉4参照)


ノーベル賞を受賞するほどのものを発見できる頭があるなら、平和を保てる方法も発見してくれ、と思っていた。


そうしたら、戦争好きになってしまったのは、ナチスのユダヤ人大虐殺で、傷つけられたため、今度は傷つけたくなってしまったことが原因かもしれないのね。

(怒りや憎しみや拒絶を感じる人が、そういう人なのは―――そういうことをしたのは―――「その人も苦しんでいるのだ」と考えて、思いやりの気持ちを持とうと意識します。本人は気づいていなくても、人は自分が傷ついているとき、他人を傷つけようとするものです。・・・・・「脳にいいこと」だけをやりなさい3参照)


だけど、傷つけられたことの怒りを向ける先は、傷つけた人本人に返さなくちゃ。

他に怒りを向けていたら、ただの八つ当たり。

(離婚の原因となった腹を立てやすい性格の根源は、長い間心の奥にひそんでいた父への “怒り” だった。しかし彼は、父親がたたいたのは息子のためを思ってのことだったのだと主張し、父親に対するいきどころのない怒りをずっと押さえ込んできたため、 「怒り」 のようにネガティブな感情を、本来向けなければならない対象からそらせ、より容易なターゲットに向けてしまっていた。今回、奥さんに向けたため、離婚となった。「怒り」は向けるべき相手に向けなくては、自分を解放することはできない。・・・・・『毒になる親』1参照)


そういっても、ヒットラーは死んでしまったから、ドイツに損害賠償を求めるしかないか。





(『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』の別の記事をもっと読みたい方は、『夜と霧』1へどうぞ)









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