2011年04月
災害復興!!みんなで力強く進めて行こう!!
3月11日に起きた東日本大震災。
心から亡くなられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。
小生は12時45分に茨城の工場を出て14時40分に首都高速のに西神田ランプを降り、飯田橋駅前で車の中で遭遇しましたが、たまたまラジオで岩手県、宮城県に地震発生内容の警戒警報がラジオから流れたため車を止めました。
揺れが長く続き、道端をあるいている人々も尋常じゃない揺れに立ち止まり周りからは「ガシャ、ガシャ、ガシャという反響が続き、飯田橋の駅も揺れているのがわかりました」年老いた方々も今までで遭遇した地震の中では一番大きかったと話しているのがあちこちから聞こえてきた。
駐車してから情報を得ようと道端の居酒屋でテレビをかけていてくれましたので情報を確認、津波で尋常ではない状況を確認。東京事務所の社員は、JRは復旧無理と判断し直ぐに帰宅させました。本社との連絡もつかない状況になり平時は便利なコンビニと携帯の生活がいかにもろいものかつくづく思い知らされました。以外にも都内ではその日はJRが動くだろうと予想した人たちは喫茶店などで談話している人も少なくなかった。ビルが大きく揺れるのをまじかで視ていたのですが耐震構造の建築はすごい技術だとつくづく思いました。
次の日は早急に茨城に戻ったのですが、高速道路は通行止めのため9時間かかり信号は停電のためつかない中を日立、東海村まで戻りました。
弊社は本柱をつなぐブレースが旧棟においては切れ落下していました。
社員にけががなく幸いでした。ブレースの復旧を依頼し、翌週20日に石島建設様に依頼し復旧して頂き、22日より本稼働に移行できた次第です。ガソリンの確保が難しく、工場設備にて使用する重油、社員の足(車)、工場内車両(ガソリン)ずいぶんガソリンに依存しているのだなとつくづく思い知らされました。
熱源としては工業用プロパンを使用していましたので、乾燥設備においては電気の復旧前に確認はできた状況。
写真はガソリンの確保の一例です。