2007年12月

2007年12月31日

飾画 32

 では、どうとらえられるのか。
 いくつかスエーデンボルグの日記から引用しておこう。
〈時おり私は世俗的なことがらについて思い煩い、これに結びついた心配ごとに悩んだことがあるが、そのたびに霊たちとの交わりから遠ざけられた。この原因は、いっそう内的な対応物がそのときに分離し、どんな対応(コレスポンダンス)も欠く外なるものにのみ心が固着してしまったためであることを、私は認めた。〉(1747年8月28日)
〈かれこれ三年、つまり三三カ月、私は以下のような状態の中にいる。私の心は形体的なものからまったく離脱し、霊的な存在者や天的な存在者の社会にいることができ、しかもそれでもほかの人の場合と何ら異なることなく、人々とつきあっているのだ。この事実に霊たちも驚いている。にもかかわらず、私が世俗的なことに深く心を奪われたときは―たとえば、必要な費用について煩ったり、今日、手紙を書いたりしたときは―、私のアニムスがしばしばそうしたことに集中した結果、私はいわば形体的な状態に落ち込んでしまい、霊たちは私と話すことができなかった。彼らは、「以前にもほぼ同じようなことがありましたが、私たちはあなたのところにいないような気がしました」と言った。なぜなら、形体的な心配ごとは心の中にある観念をいわば引きおろして、それを形体的なものの中に浸してしまうからだ。〉 (1748年3月4日)
〈・・・・・・今日、早朝から、精神的な静穏の状態の性質を経験から学ぶことが私に許された。それは実に、自分の内部へ向かっての、またこの静穏な状態の中にいた霊たちへ向かっての一種の吸収ないし牽引のようなものによって経験された。この状態は一晩中続いて朝にまで及び、朝になっても一時間以上も続いた。このようにして、その状態がどれほど甘美なものであるか、また天界の歓喜が状態がどれほど無限なものであるかを知ることが許された。またその状態の中で、形体的で世俗的なことがらを心配したり取り越し苦労したりして生きようとする人びとについて省察し、彼らは、自分たちが自身が最高に満ち足りた喜びを味わっていると想像したとしても、どれほどみじめであるかを知ることが私に許された。

また私には、この状態が、澄みきった空を覆う雲のような、取り越し苦労の状態にどのように変えられてしまうかも省察することが許された。しかしこの種の状態は、天的なものに特有なほかの多くの状態とともに、〔地上の誰によっても〕認められることはできない。というのは、この状態は味わったことのない者たちには知られなし、また信じられるような言葉で表現することもできないからである。ある程度これを知れば、いくらかでも信じられもしようが、私はこう断言することができる。すなわち、歓喜の状態は諸天界の楽しくて喜ばしいあらゆるものに及んで無限であり、たんなる人間としては誰によっても把握することはできないものの、それでもその状態は、最小のものでも感じるなら、もはや肉体の中に、つまり形体的で世俗的なものへ関わりの中にいたいとは決して思わなくなるほどのものである、と。〉(1748年5月9日)


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2007年12月30日

食画 31

 ここで『視霊者の夢』と書かれているのはカントの初期作品『形而上学の夢によって解明されたる視霊者の夢』(1776年)のことであるが、柄谷行人はこの作品に注目しておよそ次のように説明している。視霊者とは、この作品が書かれる前年に起こったリスボンの大地震を予言したスエーデンボルグのことだが、カントは第一級の知識人でもあったスエーデンボルグの「知」を認めざるを得なかった。とともに否定せざるを得なかった。その視霊を精神錯乱として扱わざるを得ないと同時に、スエーデンボルグの記すところを真面目に受け取らざるを得なかったのだ。そしてこのように態度を決定できない自らを自嘲せざるをえなかった。ところで、特別な宗教的祝日に発生したリスボンの大地震については、経験論的な立場に立つ者さえ、なんらかの「意味」を見出したのに対して、カントは一切の宗教的な意味はないこと、それが全く自然的原因によることを強調し、さらに地震発生についての仮説と耐震対策を論文で述べた。徹底した経験論的立場を貫いたのだが、同時に極端な合理論、すなわち視霊者スエーデンボルグの「予知」を信じざるをえなかった。ひるがえって、形而上学に固執する自分も同じではないか、なんら経験に負わない思念をあたかも実在するように扱っているのだから。ひとが形而上学の夢に固執することは、視霊者の夢に固執することと大差はない。形而上学的問題に固執するとすれば、そのこと自体が狂気の沙汰であること、しかしなお、それを求めざるを得ないことを、この書でカントは認めた。

 くどくどと書いてきてしまったが、このスエーデンボルグが気になって、角川文庫にある『霊界日記』を一読、岡先生の遺稿『春雨の曲』に記述されている異様な見神体験を想起したことを書いておこうとして、いまさらながら、簡単にはいかないと思い悩んでいるのだ。岡先生の文章も、スエーデンボルグの記述も実に異様なのだが、不自然なところは全く無い。見たものを見たと率直に書いているだけなのだ。カントが『純粋理性批判』によって明らかにしたのは、時間、空間は、それによって経験が可能になる純粋直感であって、この時間と空間において経験の統一の諸法則に従って連結され規定されうる限りにおいて、感性を触発する諸原因は対象となる、ということであった。しかしながら、岡先生やスエーデンボルグが記した天人や霊は、時間、空間において連結され規定されているようではない。従って、感性でとらえられる対象とはいえないのだ。


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2007年12月29日

飾画 30

 さて、いよいよ有名な二律背反について詳説し始める第二部第二編の第二章に突入した。柄谷行人が『トランスクリティーク』の序文において次のように語ったのは、この二律背反の記述を読んで悟るところがあったためだろう。
〈私は、形而上学の批判などというよりも、人間的理性の限界を容赦なく照明することによって、実践的な可能性を示唆しようとしたもう一人の思想家を意識するようになった。『資本論』はヘーゲルとの関係で読まれるのが常であるが、私は、『資本論』に比べられる書物は、一つしかない、それはカントの『純粋理性批判』だ、と考えるようになった。〉柄谷は『資本論』に関してはこう記していた。
〈私は政治的にむしろアナーキストであり、マルクス主義的な政党や国家に共感をもったことは一度もなかった。にもかかわらず、私はマルクスに深い敬意を抱いていた。私が若いときに読んだ、「国民経済学批判」というサブタイトルのついた『資本論』という書物に抱いた驚嘆は、年を経て少しも消えないどころか、ますます深まっている。経済学部の学生として『資本論』を精密に読んだため、私は、ルカーチからアルチュセールに至るマルクス主義哲学者が、事実上それを読んでおらず、ただそれを彼らの哲学的関心に還元しているだけだということに不満であった。と同時に、経済学者が『資本論』をたんに経済学の書としてしか見なしていないことにも不満であった。私は、この「批判」が、資本主義や古典経済学の批判などというよりも、資本の欲動と限界を明らかにするものであり、さらに、その根底に、人間の交換(=コミュニケーション)という行為に不可避的につきまとう困難を見いだすものだということを、徐々に認識しはじめた。『資本論』は安直に資本主義からの出口を示さない。むしろ、安直な出口がなぜありえないかを示すことによってのみ、それに対する実践的介入の可能性を示している。〉
 さらにまたイントロダクションにあっては次のように特筆された。
〈哲学は内省=鏡によって始まりそこにとどまる。いかに「他人の視点」をいれてもそれは同じである。そもそも哲学はソクラテスの対話にはじまっている。対話そのものが鏡の中にあるのだ。人々は、カントが主観的な自己吟味にとどまったことを批判し、またそこから出る可能性を、多数主観を導入した『判断力批判』に求めようとする。しかし、哲学史における決定的な事件は、内省にとどまりながら、同時に内省のもつ共犯性を破砕しようとしたカントの『純粋理性批判』にある。われわれは、そこに旧来の内省=鏡とは違った、或る客観性=他者の導入を見いだすことができる。カントの方法は主観的であり、独我論的であると非難される。しかし、それはつねに「他者の視点」につきまとわれているのだ。『純粋理性批判』は『視霊者の夢』のように自己批評的に書かれていない。しかし、「強い視差」は消えてはいない。それはアンチノミー(二律背反)というかたちであらわれたのである。それは、テーゼとアンチテーゼのいずれもが「光学的欺瞞」にすぎないことを露出するものだ。〉



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2007年12月24日

飾画 29

 カントは『純粋理性批判』においてプラトンのようにイデアを提示することはなかった。どこまでも理性の吟味を貫徹することによって理性の越権という弊害を取り除こうとしている。プラトンのように描くことは、あくまでも超越論的仮象に過ぎないものを実体化する誤りに途をひらくことになると懸念したのだ。
〈プラトンが十分承知していたのは、私たちの認識力が、たんに諸現象を綜合的統一にしたがって文字に綴り、かくしてそれらの諸現象を経験として読み取りうるようになるよりも、はるかに高次の欲求を感じているということ、また私たちの理性が、おのずから、経験が与えうるなんらかの対象がいつかはそれらと合致しうるよりも、はるかに遠方へ達する諸認識へと飛翔するが、それにもかかわらずそれらの諸認識はその実在性をもっており、断じてたんなる妄想ではないということである。〉
〈――言うまでもなくプラトンは、イデアという彼の概念を、思弁的認識が純粋で完全にアプリオリに与えられていさえすれば、そうした思弁的認識へも拡大したし、それどころか、数学はその対象を可能的経験以外のどこにももっていないにもかかわらず、そうした数学のうえにすら拡大した。この点において私は彼に追随することはできず、また彼がこれらの諸イデアを神秘的に演繹した点、あるいは彼がこれらの諸イデアをいわば実体化するにいたった行き過ぎの点においても同様である。それにもかかわらず、彼がこの分野において使用した高調子の言葉を、もっと温和に、諸物の本性にかなったように解釈することは、十分にできることである。〉

 だが、イデアは、実践の領域においては、まさしくプラトンが示したように追い求められるべきなのだ。そうしてそのためにこそ徹底した理性の吟味が欠かせない、そういうふうにカントは考えている。
〈しかし、人間的理性が真実の原因性として示されるもの、だから諸理念がそこでは作用因(行為とその対象の)となるものにおいて、つまり人倫的なものにおいてのみならず、自然自身に関しても、プラトンは自然の起源がイデアにあることを見てとっている。(中略)表現の誇大を別とすれば、世界秩序の自然的なものの模写的な考察から、目的にしたがう、言いかえれば、イデアにしたがうこの世界秩序の建築術的連結へと上昇するこの哲学者の精神の高揚は尊敬と追随に値する努力である。だが、人倫性、立法、宗教の諸原理においては、イデアは、たとえ経験においては決して完全には表現されえないにせよ、経験自身をはじめて可能ならしめるのであるが、そうした諸原理にかかわるものに関しては、この哲学者のあの精神の高揚は一つのまったく特有の功績をもつのであって、この功績が認められないのは、この功績がまさに経験的な諸規則によって判定されるという理由にのみもとづいているが、原理としてのそれらの経験的な諸規則の妥当性こそイデアによって無効にされてしまうべきはずのものであった。なぜなら、自然に関しては経験が私たちに規則を与え、真理の源泉であるが、人倫的な諸法則に関しては経験は(残念ながら!)仮象の母であり、だから、私が為すべきことに関する諸法則を、為されることから取ってきたり、あるいはそのことによって制限したりしようとすることは、この上なく非難すべきことであるからである。
 すべてこうした諸考察を適切に詳論することは、事実、哲学の特有の尊厳をなすものであるが、こうした諸考察の代わりに、私たちはいまや、それほど輝かしくはないが、それでも寄与するところのなくはない仕事にたずさわる。つまり、それは人倫というあの荘厳な建築物のために土地を平坦に強固にする仕事であって、この土地のうちには、無益ではあっても、確信しきって、宝を掘りあてようとする理性のありとあらゆるモグラの道が通じており、だからこのモグラの道があの建築物を危うくするのである。それゆえ、純粋理性の超越論的使用、純粋理性の諸原理と諸理念こそ、純粋理性の影響と純粋理性の価値とを適切に規定し評価しうるために、私たちがいまや精確に知らなければならないものである。〉




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2007年12月20日

飾画 28

 『純粋理性批判』の第二部門 超越論的論理学の第二部は超越論的弁証論で、第一部で行われた悟性の徹底的な吟味に続いて、いよいよ純粋理性の吟味が開始される。若い頃、理性という言葉がなかなか腑に落ちなかった。大学で、カントを非常に重んじたT・H・グリーンの著書を原文で読み始めて、この能力は理想に対応する、すなわち理想を感受する能力だと知って悟るところがあった。リーズンは必ずイデーと対になって使われていたのだ。またイデーのなんたるかを感受したのは、カントもまず言及しているが、プラトンの諸著作によってであった。特に『パイドロス』は愛読した。理想とは何をおいても実在感そのもの、惹きつけてやまない存在感なのだ。この国でそのことを、いやそのことのみを説き続けたのは岡先生であった。
 高瀬先生の、毎日のように岡先生の数学研究について語るブログが緊張感を増してきた。事前の立場において、すなわち前人未到の研究領域に踏み出さんとする岡先生の立ち位置に可能な限り身を寄せて、ともにその困難を辿ってみようとする姿勢が鮮明になってきたのだ。具体的には、ここ数回に及び、33歳の岡先生が、其の後30年以上にわたって持続する事になった独創的な研究を開始するに当たって残した1枚のメモを、上に述べたように、事前の立場において共有しようと試みているのだ。高瀬先生はこのメモを15000枚に及ぶ岡先生の遺稿のコピーを作成する過程で発見したのだった。
〈岡先生は多変数関数論のハルトークスの逆問題の解決を生涯の課題と決めましたが、ここにいたるまでには非常に長い期間にわたって曲折があり、いよいよこの方向で研究を始めたのは昭和10年の年初ですから、すでに35歳になっていました。近代数学史を顧みても類例をみいだしがたい稀有の事例です。迷いもあり、ためらいもあり、試行錯誤もあり、特異な体験もあったことと想像されますが、すべては研究テーマの確立のための長い助走ですし、それまでの岡先生の思索の中核を占めていたのは「数学は何を研究する学問なのか」という、素朴で、しかも学問の本質をつく問いであり、岡先生は何かしら納得のいく解答を手にしたのではないかとぼくは思います。〉
 こう記した後、高瀬先生はこの膨大な遺稿のコピーを渉猟して、可能な限りメモが記された当時の岡先生の研究状況を再現してみせた後このように語り始めた。
〈 岡先生が「一枚のメモ」を書いたころ、岡先生の前に広がっていた多変数関数論の光景はこのようなもので、「レビの問題」も「ハルトークスの逆問題」もなく、そもそも「擬凸状の領域」も存在していませんでした。〉
〈ハルトークスの集合の研究に打ち込んでいたころの岡先生は、レビの問題やジュリアの問題の存在を承知していたことはまちがいありませんが、それらに関心を寄せていた様子は見られません。ですが、その岡先生は同時に、「ハルトークスの集合なるものを抽象的に(すなわち、母体とは独立に)定義して之を以て研究の対象」にするという立場を堅持して、ハルトークスの集合の例が増えていくほどに、「益々以て抽象的に定義しなければいけないと考へさせられる」という心的状況に置かれていたのでした。この基本方針はまさしく的中しました。ハルトークスの集合を抽象的に定義して、そのうえでそのままその外部に移行すれば、自然に一般的な擬凸状領域の概念に到達します。そこでハルトークスの逆問題を解けば、レビやブルメンタールが直面した問題もジュリアの問題もみな同時に解決してしまいます。正鵠を射たという言葉がぴったりの数学的情景です。〉
〈 ハルトークスの集合そのものの研究を進めてハルトークスの定理やスティルチェスの定理の一般化をめざしても、将来の展望はなかなか開かれません。ですが、擬凸状領域に移行して逆問題を考察すれば無限の収穫が期待され、多変数の代数関数論への道もおのずと視圏にとらえられてきます。ハルトークスの逆問題は構想自体がすでに未踏の山脈であり、解決の可能性はあるやなきやというほどの形勢です。逆問題への移行はやはり大きな決断を要する一大事であり、あえて踏み込んでいくまでには、さまざまな葛藤もあったことと容易に推定されます。150頁の論文も試みられなければなりませんでしたし、しかも未完結に終わらなければなりませんでした。あれこれの出来事はすべてみな潜勢力として蓄積されて、偉大な研究が成就するために不可欠の役割を果たしたのでした。 〉





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2007年12月16日

飾画 27

 萱野氏の国家概念、すなわち暴力を蓄積しながら富を徴収する運動という概念は確かに国家の本質を突いていると感じられる。だが、何故このような国家が安定的に存続しうるのか、国民に許容されているのかという大きな疑問が残る。また、その実質を形成する膨大な官僚群の存在に関しても、この概念は何の説明も与え得ない。もっとも『国家とはなにか』の第三章においてなされた、ホッブスとスピノザによって提示された国家概念である〈獲得されたコモンウェルス〉という概念の参照は自分には参考になった。人は巨大な暴力には服従せざるをえないのである。ホッブスの『リバイアサン』からの引用を転記しておく。
〈この主権者権力の獲得は、二つの道によって行われる。ひとつは、自然的な力によるものであって、子供たちが服従を拒否すればかれらを破滅さえうることにより、人が、自分の子供たちとさらにその子供たちとを、かれの統治に服従させる、というばあいがそれであり、また戦争によって、かれの敵を、かれの意志への服従を条件として生命をたすけることによって、そうさせるばあいがそれである。もうひとつは、人びとがかれら自身のあいだで協定して、ある人または人びとの合議体に、すべての他人に対して保護してくれることを信頼して、意志的に服従するばあいである。この後者は、政治的コモン-ウェルスまたは「設立」によるコモン-ウェルスと呼ばれうるものであり、そして前者は「獲得」によるコモン-ウェルスと呼ばれうる〉
 ところで、季刊「at」8号に載った柄谷行人の連載論文の第4回目は「国家の起源」と題されているが、この〈獲得されたコモンウェルス〉に注目しつつ、さらに次のように論じている。
〈だが、「獲得されたコモンウェルス」であろうと、たんに武力によって諸共同体を強制するだけでは長続きしない。それが国家として存立するためには、あたかもそれが一つの共同体=国家であるかのように組織されなければならない。すなわち、国家が確立されるのは、外から到来した支配者が諸共同体を支配するだけでなく、そのような支配者があたかも諸共同体の首長であるかのように見えるときである。このことは、特に、宗教的な側面から見るべきであろう。〉 
 そして「at」9号の論文「専制国家」においてこう展開している。〈広域国家は征服なしにはありえないが、たんに武力によってできるものでもない。そこには、恐怖による服従だけではなく、積極的・自発的な服従がなければならない。それゆえに、専制国家は、征服にもとづくにもかかわらず、まさにそれが征服によるということを打ち消すことによってのみ成立するのである。そのことを可能にするのは、王が司祭として存在することである。それによって、王は諸共同体の外的な支配者(征服者)でなく、内在=超越的な支配者としてみなされるようになる。事実、メソポタミアでもエジプトでも、専制国家の王は同時に神官(祭司)であった。だが、プリミティヴな段階だからそうなのではない。逆に、高度に政治的支配を拡大し深化させるために、王権は宗教的な根拠を必要とするのである。〉
 〈たとえば、つぎのような過程を想定してよい。共同体あるいは都市国家はそれぞれの神(神々)を奉じている。他の共同体との戦争に負ければ、神も敗れたことになるから、神は放棄されるか、勝利した神の下位に属するようになる。共同体の神は、共同体の同一性を意味している。ゆえに、古い神にかわって新たな神を奉じることは、上位の国家に従属しつつ新たな共同体を構成することを意味する。〉
 そうして、宗教的な側面のみならず、さらに次のような考察もくわっている。
〈専制的な王権が、自らが外的な征服者であるという事実を消す、もう一つの方法は、支配者が、公共事業や福祉によって、臣民をケアすること、である。専制国家の君主は、たんに、貢納国家として下位共同体を支配するのではなく、共同体のすべての成員を気にかける者である。彼はたんに賦役貢納・課税を行うだけでなく、それを被支配者に再配分する。その場合、王権は、それまで共同体や都市国家のレベルでなされていた再配分を、巨大な規模で実現するのだと考えられる。その結果、専制王権は、外部から来た征服者でなく、共同体に内在する祭司・首長が超越化されたものであるかのようにみえる。〉 


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2007年12月15日

飾画 26

 萱野氏は『国家とは何か』(2005年以文社)において、国家の概念を暴力に基づく収奪運動と規定してみせた政治理論家だが、対談は仲俣氏が何かと質問して萱野氏の知見を引き出すというスタイルで進行した。現在下北沢駅では示威的に手荷物検査が行われたりしているそうだが、話がかみ合った感じがあって2時間はあっというまに過ぎた。下北沢再開発の問題は典型的な利権がらみの事例だが、利権の実現を最終的に保障するのは国家暴力なのだという理論を、事態を見守っている人達に現在進行形で納得させているわけだ。また、萱野氏が主張するように、今、国家が変貌しつつある点を説明するのにも好適であった。というのは、地方分権の名のもとに国家のカネが地方へ向かう回路は狭められ、地方切捨てという事態が進行中だが、公共事業はあまり地方にはまわされず、もっぱら都市型の大型再開発ばかりにさしむけられるようになっているが、この下北沢の事例はその典型でもあるからだ。何故このように「国土の均衡ある発展」というスローガンが過去のものとなりつつあるのかというと、国家の活動にとって領土的な枠組みがそれほど重要な要素ではなくなってきているからだと萱野氏は語る。1996年の「住専問題」の時に政府は初めて巨額の公的資金を不良債権処理のために投入したが、国家のカネ、すなわち税金がどのように使われるかという点に関して、このとき一大転換がなされた。つまり、それまではおもに国家のカネは、全国に道路や港湾、空港、ダムなどのインフラを整備するための公共事業に使われてきた、すなわち国土をあまねく開発・整備することで国力を増大させ、国民を統合するという領土的枠組みに国家の政策がもとづいていたのである。ところがこれに対し、不良債権処理のための公的資金の投入がめざしたのは、金融システムの防衛である。具体的な空間である領土を開発・整備することにではなく、抽象的で脱空間化したシステムを管理することのほうに、国家の関心が移ってきたのだ。郵政民営化にも同様の論理を萱野氏は読みとっているのみならず、この国家の変貌は世界同時的な現象であるとして、たとえば先のイラク戦争を次のように読み解く。現代国家は様々なシステムの管理者へと変貌した姿を見せ始めたのだ。
〈アメリカはなぜイラクに攻撃をしかけ、フセイン政権を倒そうとしたのか。「大量破壊兵器の保持」というのがでたらめな口実であったことは、いまでは広く知られている。イラクの豊富で良質な石油がほしかったからだ、というのが一般的に理解されている理由だろう。しかしこの理解はそれほど的を射ていない。
 実際、アメリカはイラク戦争をはじめる以前から、イラクの石油にたいしておおきな利権をもっていた。湾岸戦争以降、経済制裁をうけていたイラクは、国民のための食料や医療品の購入に石油の売上代金をあてるという条件のもとでのみ、石油を輸出できた。当然、その販売価格も相場より安くおさえられた。その石油の8割近くを買い占めていたのがアメリカの石油会社にほかならない。
アメリカがフセイン政権を倒そうとしたのは、フセインが石油の決済をドルではなくユーロでおこなおうとしたからだ。フランスやドイツなどのユーロ加盟国がイラク攻撃に反対したのはそのためである。
 現在、国際的な石油取引の決済はドルでしかおこなえない。つまりドルは、石油を購入することができる世界で唯一の通貨である。アメリカが莫大な赤字(財政赤字と貿易赤字)をかかえながらもドルの価値を維持することができ、また国家破綻からも免れているのは、ドルがこのように排他的に石油と結びついているからにほかならない。
 フセインの決定は、だから、アメリカのドル基軸通貨体制そのものの基盤を掘り崩すような射程をもっていた。当時すでにイラクの石油は世界需要の5%ほどを占めていたから、フセインは強固にみずからの決定を押し通すことができたし、またその決定は世界の石油取引に影響をあたえずにはおかないものだった。
 実際、OPECやユーロ加盟国をはじめとするおおくの国家や国際機関は、潜在的には、ドル一極体制からユーロ・ドル二極体制へ移行することを歓迎していた。ドルには将来的な不安がつきまとう。リスク分散という観点からも、ユーロ・ドル二極体制は世界的に支持される基盤があったのだ。
 だから間違えてはならない。アメリカのねらいはイラクの石油それじたいにあったのではない。ドルを機軸とする国際経済体制の護持にあった。
 もちろんイラクの石油は、アメリカによるイラク占領政策において莫大な利権をうんだ。かつてチェイニー副大統領がCEO(最高経営責任者)をしていたハリバートンなど、アメリカ政府とむすびついた企業が、復興ビジネスをつうじてその利権にありついている。しかしそうした利権とアメリカの軍事行動そのものの目的とは別のものだ。
 現代の国家のあり方をとらえるうえで重要な論点がここにある。
 現代の覇権国家は、かつての帝国主義とは異なり、みずからの経済的利益を増大させるために「周辺」地域の土地をみずからの主権のもとに併合するようなことはしない。そうではなく、各国家の領土主権をいったんは認め、そのうえでみずからに利益をもたらしてくれる経済システムやルールをそこに課そうとするのだ。帝国主義の時代においては、国家の軍事力は、「周辺」地域を植民地化し、領土を拡大するためにもちいられた。これにたいし現代は、自国の権益とむすびついたグローバルな経済システムの確立や維持のために国家の軍事力がもちいられるのである。
 このとき従属国家の主権は、形式的には認められるが、実質的にはその経済システムによって空洞化されるだろう。国家はいまやそうしたシステムの管理者として姿をあらわす。かつては主権の一体性や力能をあらわすものだった領土が、国家の活動において重要性を低下させてきている。領土を取得することはもはや「中心」国家の覇権にとって本質的なファクターではない。国家の存在がますます「脱領土化」(ドゥルーズ=ガタリ)してきているのである。〉


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2007年12月09日

飾画 25

 ところで、判断力についてここで何が述べられているかというと、それは〈一つの特殊な才能であって、この才能が欲するのは、教えられることでは全然なく、訓練されることだけである〉、〈いわゆる生来の才知の独特のものであって、その欠如をいかなる学校教育も補うことは出来ない〉のだが、〈批判として、私たちが持っているわずかの純粋悟性概念が使用される時の判断力の過失を防ぐために、哲学はその全明敏性と吟味の術をあげて総動員される〉。すなわち、〈超越論的哲学がもっている特有性は、この超越論哲学が、悟性の純粋概念において与えられる規則(あるいはむしろ規則のための普遍的条件)のほか、その規則が適用されるべき事例を、同時にア・プリオリに指示しうるということである。〉
 読み進むにつれて奇妙な感じに捕われることが多くなった。カントは大哲学者だという常識を片時も疑わないできたが、どうも批評の創始者であると思った方がしっくりするのだ。近代日本のすぐれた知性達はみな批評の達人であったが、彼らからこの30年にわたって学んできたことの総復習をやっている気がするのだ。カントの真髄は時を経てフランスや日本のモラリスト達の汲みつくせぬ源泉となった、そんな思いにとらわれる。
 三人灯で「ねもっちゃん」と会った時、店長から、吉祥寺の「百年」という書店で萱野稔人のトークイベントがあると教えられていた。「百年」の店長が時々来るのだという。「長池講義」のことをどうすればよいか考えあぐねていたことでもあり、ひょっとしたら参考になるかもしれないので覗いてみることにした。行ってみて驚いたのだが、小さな書店であるにもかかわらず、60人の定員のところが予約でいっぱいだという。どんな人たちが来るのか興味がわいたので、店員の女性と交渉して、立ち見でもよいからキャンセル待ちということで何とか入れてくれるよう頼んだ。
 対談相手の仲俣曉生という人が、現在かかわっている下北沢の再開発にともなう道路建設反対運動に関心を寄せる若い男女の参加者が多数いる様子だ。この間の事情をまとめた仲俣さんのレジュメから引用しておく。〈私がこの道路計画のことを知ったのは、二〇〇三年の春のことだ。下北沢の町が遠からず大きく変化することは、この道路の事業認可以前から決まっていた。長く続いた小田急電鉄の高架訴訟が結審し、下北沢周辺の線路が、高架ではなく地下化によって複々線化されることが決まったのがそのきっかけだ。悪名高い下北沢周辺の「開かずの踏み切り」が解消され、老朽化した駅舎も改築されると知り、私自身も、小田急地下化にともなう町の変化を基本的に歓迎していた。
だが、「補助五四号線」の建設は寝耳に水だった。なぜ、住宅地と商店街が密集している地域のど真ん中に、いまさら幹線道路を通さなければならないのか。昭和二十年に計画されたまま凍結されていた道路計画が、合理的な説明もなくこの時期に再始動することに、なによりも不信の念を抱いた。道路計画への反対を訴え、積極的に活動をしている「SAVE THE下北沢」という市民運動グループのおかげで、下北沢周辺地域の地区計画(再開発計画)において、高層階の建物が建設が可能となるよう、道路と線路が複数箇所で交差する「連続立体交差事業」が方便として用いられていることを知った。
 この事業として認められると、私企業による開発計画であっても、事業費の九割が国庫の補助金によってまかなわれる。「補助五四号線」は、下北沢の再開発計画が「連続立体交差事業」として認められるための要件として、遥かなる過去から召還された、まさに亡霊のような道路なのである。〉




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2007年12月05日

飾画 24

 カントの『純粋理性批判』の構成をここで記しておく。というのは、第二部門第一部の第二編「原則の分析論」の序論に至って〈超越論的判断力一般について〉記述が始められたので、自分は面食らってしまったのだ。よく知られているように、『純粋理性批判』の第二版の後出版されたのは『実践理性批判』であって、このフィールドでこそカントの真骨頂が展開すると予想されるのだが、いわゆる三批判書のアンカーは三番目に出された『判断力批判』であり、ここにいたって大団円を迎えるというのが自分ら素人の思い込みであった。しかるに、とばくちである『純粋理性批判』の半ばにして早くも〈超越論的判断力一般について〉語られ始めたのだ。
 
 『純粋理性批判』は二部よりなる。第一部は「超越論的原理論」で第二部が「超越論的方法論」だ。で、第一部の第一部門は無類に面白い「超越論的感性論」であり、その次の第二部門が手ごわい「超越論的論理学」です。老婆心から書いておくと、序文や序論は決して読み飛ばさない方がよいと思います。これ以上の手引きは無いように思われます。世の凡百の解説書を読み漁るよりはるかにカント自らの親切心から書かれたに違いないこれらの文章群の方が面白いのみならず、注意深い読者にはカントの肉声が聞こえてくると自分には思われました。ついでにもう一つ加えます。『純粋理性批判』の第二版の前に『啓蒙とは何か』が出版されていますが、これは重要な作品だと考えています。自分は柄谷行人の『トランスクリティーク』の原型である『群像』連載の「探求」においてこのことを知り飛躍的に理解が深まった覚えがあります。これまでも何度か書いてきましたが、この書において〈パブリック〉の概念が180度転回されているのです。


hida_2005 at 01:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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