ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業
著者:ヤンミ・ムン
販売元:ダイヤモンド社
(2010-08-27)
販売元:Amazon.co.jp
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内容紹介
>彼女の授業は なぜ、それほど熱く支持されるのか? 「競争戦略論」マイケル・ポーター、「イノベーションのジレンマ」クリステンセンと並び、ハーバード・ビジネススクールで絶大な人気を誇る、いま、最も注目される女性経営学者、初の著書!

ハーバード・ビジスススクールの人気講師が、非常に率直に自らのことを省みながら、マーケティングの考察をしていく本です。
既存知識を振り回すのではなく、世の中の現象を自分で区分けして、新しいカテゴリーを命名する。目を見開かれる思いがします。自分なりにいろいろ考えるときの新しいフレームワークをたくさん提供してくれています。
リバース、ブレークアウェー、ホスタイルの各ブランドパターン(下記に引用)は、MBAの取得者だったら即刻却下してしまいそうです。既存のフレームワークに納まらないし、ましてやベストプラクティスなんてあるわけないのだから。
(余談ですが、本書の類書であるティナ・シーリグさんの「20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義」の方は、まったく私の肌に合わず70頁くらいで投げ出してしまいました (^^;))



★ビジネス文法を覚えたら、もう学ばない★
ここ10年ほどハーバード・ビジネススクールでマーケティングを教えており、学生たちをフレームワークやベストプラクティスといったビジネス文法漬けにして特殊な言語をマスターさせようとしている。
しかし、教師としての実感からいえば、暗唱は能力を高める一方、ある種の惰性をもたらす。多くの教育者が批判するように、頭を使わなくなるのだ。一度覚え込むと、それ以上学ぼうとしなくなる。これが今、ビジネスの世界で起きている現象だ。(3頁)

私は学生たちに、マーケティングは企業の機能の中で唯一、ビジネスと人が出会う場として企図された機能だと教えている。生身の人間は、世界をビジネスパースンと同じようには見ていない。箇条書きで語りはしないし、世界をフローチャートでとらえることもない。世界をもっと有機的に見る。独特で予測不可能な存在であり、見事なまでに支離滅裂だ。(7頁)
新たに覚えたり、理解しようとするのは苦痛だけど、一度覚えたことを振り回すのは快感だったりします。ゼロベースで世界を理解しようとするのではなく、自分の知っている枠組みの中に押し込もうとする。日本人だけではないんですね。
私は何も知らないから大丈夫、かな・・・ (^^;)


★★
MidtermFeedback大学院で教えはじめたころ、ゼミの学生たちの意欲を高めようと、ある方法を思いついた(そのときはいいアイデアだと思っていた)。学期の中間地点で、一人ひとり詳細な評価を行うことに決めたのだ。・・・
数週間もしないうちに評価の影響が明らかになった。全員が評価の低かった項目の改善に専念していた。独創性を発揮していた学生たちは分析力を、優れた分析力を持つ学生たちは独創性を高めようと懸命だった。リポート作成であれなんであれ、強みをもっと伸ばそうとする学生は一人もいなかった。やがてゼミの議論は精彩を欠きはじめた。
・・・
企業も同じ罠に陥る。自動車のブランドマネージャーが認知度について市場調査を行い、上の図のような結果が出たとしよう。次にエネルギーを注ぐべきところはどこだろうか。
おそらく、一番弱い部分をてこ入れしようとするだろう。強みを伸ばすとか、競争相手を引き離すという方面には気が回らないはずだ。(32~34頁)
「全員が」というところが問題なんですね。短所を埋めようとする人もいれば、長所を伸ばそうとする人もいる、といった多様性があればいいんですよね。MBAを取ろうとする人たち特有なのか、もっと普遍的なのか?
日本だと、長所は褒めずに、短所をグサリと指摘する人が多いので、同様な気がします。


★成熟商品の改善努力は判断力の欠如★
ある段階まで来ると、(製品の改善に)私たちはそう簡単に心を動かされなくなる。もはや改善を加えても価値は高まらない。痩せぎすの人がダイエットを始めるとか、美人が整形手術を受けると聞いて賛成する人がいないのと同じだ。その努力はむしろ、判断力の欠如とみなされる。(57頁)

どの(商品)カテゴリーでも、勝者は本来、消費者であるはずだ。(機能)付加型によって製品はさらに改善され、(バリエーション)増殖型によって選択肢がますます増えているからだ。しかし、現実は複雑だ。これらのカテゴリーで、顧客満足度はここ何年も上がっていない。(57頁)

カテゴリー内の競争が同質化してくると、私たちは個々のブランドではなく、カテゴリー全体に対する消費行動を取り始める。ビールはフットボールファンの飲み物、スイス時計は面白みのない保守派のもの、おむつは赤ちゃんのものとなる。(110頁)

美容業界のブランドのほとんどは、自らを理想的な美の伝道者と位置づけている。ゴージャスな美女や花道を歩くスーパーモデルを見せつけ、この美を手に入れるためにはこの製品が必要だ、とささやく。もちろんナンセンスだが、説得するのではなく、巧妙に誘いかける物語を作り上げようとする。しかし、ほとんどのブランドが同じことをしているため、競い合っても抜きんでることはない。(147頁)
成熟商品ですね。「その努力はむしろ、判断力の欠如とみなされる」とは痛烈です。
パソコンで、数ヶ月単位でCPUのクロック数が上がり続けるのをワクワクしながら見ていた記憶があります。今はなんかもう、よく判らなくなってしまいました。


★顧客の期待に背いて、期待しないものを提供するリバースブランド★
先日、息子たちと古いアニメの『トムとジェリー』を観ていたとき、チーズが空飛ぶじゅうたんに、ダイヤモンドの指輪がフラフープに、そして空中ブランコに変わるのを見て、思わずうっとりしてしまった。アニメは期待を超えるのではなく、むしろ背くことで私たちを楽しませてくれる。(80頁)

グーグルのようなブランドを、リバース・ブランドと呼びたい。アイデア・ブランドの中でも非常に特殊で、顧客が期待している拡張への流れを意図的に断ち切る。他社が競争に欠かせないと見なしている便益の提供を控えようとする。他社がイエスと言うときにノーと言う。謝りもせずに、堂々と。(88頁)
yahoo
Google

例を挙げよう、10年前の航空業界は、機内食や座席のグレードアップ、多様な価格体系など、ありとあらゆる便益にあふれていた。しかし、2000年にジェットブルーが参入、無料の食事も座席クラスの変更も、往復割引のディスカウントもなくなる(ジェットブルーの運賃はすべて片道を基本としていた)。
同時にジェットブルーは、単に素朴にシンプルに、というだけでなく、乗客が格安航空会社に期待したことのない贅沢をつけ加えた。すべての座席がレザーシートで、衛星放送が見られる。揺れで乗客を飛び上がらせたりはしない。これがリバース・ブランドのやり方だ。期待するものを取り上げ、期待してもいないものを提供する。(89頁)
「みなさんが、本当に欲しかったものはこれでしょ」アプローチですね。ゼロベースで考える見本ですね。勉強になります。
Googleの本質は検索で、検索窓だけあればいいので、今ではブラウザが標準でGoogleの検索窓をつけてくれています。


★期待通りのものを別の文脈にして提供するブレークアウェー・ブランド★
ブレークアウェー・ブランドは、私たちが放っておけば、恣意的にその製品を特定のカテゴリーに関連づけてしまうことを知っている。だからこそ、そうした認知のデフォルトから切り離すために、意図的に自社製品を作り直す。ロボットを提供するが、ペットとしての役割を果たさせる(ソニーのAIBO)。おむつを提供するが、年長の子供の下着だと思わせる(キンバリークラークのプルアップス)。期待通りのものを提供しながら、まるで異なるものとして再定義し、私たちに概念的な枠組みを帰るよう迫るのだ。(107頁)
今までは何となく恥ずかしかったものを、実は恥ずかしくないと堂々と価値観の転換を宣言するもの。「鈍感力」とか「老人力」とか。


★消費者を挑発するホスタイル・ブランド★
2002年、自動車の新ブランドが登場した。もうおわかりだろう。ミニクーパーだ。きわめてずうずうしいキャンペーンとして、私たちの記憶に残っている。驚かされたのは「サイズ」の扱い方だった。クルマの小ささを、ここぞとばかり協調していた。・・・
メッセージは挑戦的だった。「このクルマが小さすぎないかって? ほら、あなたが考えているより、ずーっと小さいんですよ」。そう語りかけているようで、思わず目を疑った。(124頁)

これがホスタイル・ブランドの手法だ。説得という伝統的な手法を使わず、他のブランドが言いそうもないことや、顧客を追い払いかねないことを言う。・・・自社製品の長所も短所もさらけ出し、もし私たちが気に入らなければそれまでだと言ってのける。しかも、颯爽と。(125頁)

(エナジードリンクの)レッドブルがナイトクラブやバーで人気を得始めたとき、顧客は「液体コカイン」「缶入り覚醒財」「液体バイアグラ」などと呼び始めた。原料は牛の睾丸だなどという噂も飛び交う。健康への影響を懸念する消費者がボイコット運動を始めるが、同社は噂をもみ消そうとも不安を解消しようともせず、クチコミで興味を持たせる怪しげなアプローチを取り続けた。同社の態度は一貫していた。心配なら、飲むな。(127頁)



★ファッションのように取り替える腕時計★
(スウォッチの)発売前、同社はアメリカのデパートで何種類かを試しに売り出した。時計というジャンルを超えた商品に対する消費者の反応を見るためだ。結果は好ましいものではなかったが、ハイエックはひるまなかった。すでにスウォッチというアイデアをあざける声だらけで、今さら援軍が得られなくても気にはならなかった。・・・
スウォッチの製造ラインは、当時の時計業界のどの企業とも異なる方法で管理されていた。季節ごとに変えられ、1年に2つのコレクションが売り出された。どれも1シーズン前とは大きく違っていたし、同じ製品ラインが再び出ることもない。種類は非常に多く、常に最低70のデザインから選ぶことができた。その結果、洋服や気分によってうまく組み合わせられるアクセサリーと見なされるようになる。
くり返すが、このような戦略は当時の時計業界でこそ前代未聞だったが、消費者の気まぐれな好みを先取りせんと苦心しているファッション業界では常識だった。(184頁)
時計の買い換えサイクルを劇的に短くする戦略的取り組みだったんですね。私にとって腕時計は壊れるまで使うもので、今のも20年も前に買ったものです。でも、よく考えてみると時計なんて(ファッショナブルな服と比べれば)安価なもので、気分やTPOに合わせて何種類も使い分けたとしても、ちっともおかしくないですね。
他業界の常識を転用する、これもアイデア創出の有用な手法ですね。

(fin)