Faith 〜自分の中の真実を求めて〜

「世の中を変えよう」なんて大きなコトは言いません。でも、自分にもできるコトがあると信じています。そのチカラがあるコトを信じています。 「1人1人がハッピーになれば、世の中もハッピーになる」でしょう。 そのためにも、世のため人のためになる活動を続けていきます。 

ネット上で嫌がらせをする理由はナニ?ー3ー

この話しですが、完結させていなかったですね(苦笑)。
当初は1回で書き切るつもりでいたのですが、いろいろなコトを考えているウチに長くなってしまいました。

前回は「秋葉原通り魔事件」の容疑者が、どうしてネットの世界に依存していったかを推測しました。
人との関係が希薄だったのでそれを補うためにネット上での交流が活発になり、結果それに依存してしまったのではないかと思います。
掲示板での書き込みに対する返答が、人とのつながりだったのでしょう。
では、ネット上での反応が無くなった場合ですが、どんな行動をとるのでしょうか?今回も推測と個人的な意見を交えてお話しします。


Facebookやmixiで日記やつぶやき、コメントを記載してそれに対する反応があると嬉しいものです(僕もそう思っています)。
好意的なメッセージや意見などいろいろありますが、何もないとヤル気がなくなってきます。
前回ですが、「ストローク」の話しをしました。人は他人からのストローク存在や価値を認める様々な刺激)を得たいと思っていると説明しましたが、コメントはこの「ストローク」に当たると言えます。
何かしらの反応があることで「ストローク」を受け取っていると感じ、自分の価値を見出しているのでしょう。その結果「次も頑張るぞ」という気持ちが生まれると言えます。

この「ストローク」ですが、プラスのストロークとマイナスのストロークがあります。
プラスのストロークを与えられるとプラスのストロークを返すと言う法則があるのですが、コメントを受け取るとヤル気がでるのはこれに当たると思います。
同じことがマイナスのストロークにも言えます。例えば悪意のコメントや否定的なコメントをされると、反論して戦おうとするのがこれに当たるでしょう。
もう1つ法則があるのですが、「プラスのストロークが得られないと、人はマイナスのストロークを求める」という考えです。
子供が親に構ってもらえないと、気を引くためにわざと悪戯をしたりします。プラスのストロークが得られないなら、せめてマイナスのストロークでもいいので得たいと思います。
無いよりかマシという考えになるのです。


ネット上での嫌がらせもこれが1つの原因かと思います。
自分に対するコメントや反応がない(プラスのストローク)と、何かしらの刺激(マイナスのストローク)を求めて悪意に満ちたコメントをする可能性があります。
それに対する反応はモチロン良い内容ではないですが、それでも刺激があるので自分の存在を確認することができます。
またネットでは相手がどんな存在か分からず、自分の存在も晒すことがないので言いやすい環境にあると言えます。
同じことを面と向かってできなくても、ネットならそれができると言えます。

これ以外にも嫌がらせの理由はいろいろ考えられます。
理由は分かっても、これらに対する対処が一番気になるところではないでしょうか。
まずは相手にしないことだと思います。相手は刺激をもとめているので、反応を示すと刺激が得られると思い、ドンドン嫌がらせをしてきます。
エスカレートして脅迫じみたコメントも来るでしょうが、お互いの存在が分からないので、何かできるとは思えません。気持ち悪いですが、冷静に対処する必要があります。


こうして考えると、人とのコミュニケーションは大切だと感じます。
随分前から核家族化の話しなどがあります、コミュニケーションが図れないようになっているのは、これらの結果なのかもしれません。

自分のスタイル

2年前の4月ですが、勢い余って講師というかファシリテーターみたいなことを始めました。
元々は内勤の仕事が長く、人前で話すことなんてほとんど無かった自分がこんなことを始めるとは想像もしていなかったです。今更ながら、酒のチカラは偉大だと思います(笑)。

人前で話すことや司会進行の練習をしたこともなく、お手本となる人も指摘してくれる人もいなかったので、全てが手さぐり状態でした。まさに「やりながら学んだ」と言ってもいいでしょう。
少し慣れてくると、テレビの司会者の進行や政治家やタレントの話し方を見て真似るようになりました。とは言っても、そんなに上手にはできていなかったと思います。


あれから2年と7ケ月が経ちますが、自分のスタイルというか講座のスタイルができてきたと思います。
以前から言っているのが「真剣に遊ぶ」ということです。
矛盾している言葉のように思えますが、子供の頃の鬼ごっこなどを思い出してみて下さい。
やっていることは「遊び」ですが、子供たちはまさに「真剣」そのものです。
僕の講座は、「真剣に学ぶ」というスタイルでもなければ、「一生懸命学んでもらう」という場所でもありません。
遊び」ながら学んだ方が楽しいですし、その方が憶えますし継続もします。その結果、自分のモノになって役立つことになります。
但しふざけてもらっては困るので、「真剣」にやってもらいたいと思います。

もう一つは「お互いが学ぶ関係」です。
参加者から見ると僕は「先生」になるようですが、この呼ばれ方は好きになれません。
偏見と思われますが、「先生」と呼ばれる職業にロクな人はいないと思っています(モチロン立派な人は少数ですがいます)。
それに何か人の上に立っているようで、あまり良い気持ちにはなれません。
同じく講座で同じ内容を教えていても、相手が違えば受け取り方も異なります。
そうなると、新たな気づきを得られます。別の考えや捉え方を知ることもできます。これらを知ることで、自分自身スキルアップし講座の内容もレベルアップします。
そうなると、お互いからいろいろなコトを学んでいると言えます。


あとは性格もあるでしょう(笑)。
元々、体育会系的な上下関係が嫌いで、年齢や性別、キャリアや社歴などに関係なくフラットな人間関係を望んでいますので。
何よりも「みんなで楽しく」がモットーなので、そういう場所にしていきたいと思っています。

こんな感じの講座を開催していますので、みなさんお気軽に参加して下さい!

鬼ごっこ

ネット上で嫌がらせをする理由はナニ?ー2ー

この記事を書こうと思った時に、思い出したある事件がありました。
それは2008年6月8日に発生した「秋葉原通り魔事件」です。日曜日の秋葉原でトラックで通行人をはね、ナイフで無差別に襲った事件です。結果的に7人が死亡し10人が負傷を負いました。
白昼の秋葉原での事件ということと、容疑者の動機が「たくさん人を殺せば死刑になる」という ことが衝撃を与えました。

容疑者は事件を起こす前に、ネットの掲示板に犯行予告を出していました。
これ以外にも、掲示板に1000回以上書き込みを行っていたようです。容疑者にとっては、ネットの掲示板が拠り所になっていたのかなと推測できます。
当初は書き込みに対して反応(レス)があったようですが、次第にそれもなくなり孤独感を深めていったようです。
犯行予告の書き込みに関しては、特に反応が無かったようです(正確な情報ではありません)。

ナゼここまでネットが拠り所になっていたのか?ここからは、「推測」と「個人的な意見」になります。正確性を欠いている個所もあると思いますので、これが「真実ではない」ということを十分理解して下さい。


このような事件を起こしたか明確な理由は分かりませんが、容疑者の生い立や周囲の環境が影響していたと思います(一部では母親との関係を指摘しています)。
容疑者は学校を卒業後、正社員や派遣社員として各地を転々としながら仕事をしていました。
不景気で仕事がないと言っても、宮城県や青森県、静岡県や茨城県など東北や関東地方など多くの場所にわたっています。
確かに転勤で全国を転々とするケースもありますが、あくまでも同じ会社でのこと。
また、結婚や仕事を機に他府県に移住することはありますが、以降はその場所で生活することが多いと思います。
容疑者は派遣社員ですので仕事が無いと言う理由もあるでしょうが、自分で望んだとも言えます。
住み慣れた場所を離れるのは大変なことなので、僕の場合は地元、最悪でも首都圏に留まりたいと思っています。

容疑者は恐らく、特定の地域に居続ける理由がなかったのでしょう。
ネットの掲示板が拠り所になったのは、これが関係していると思います。
容疑者にも家族や親類、友達や知り合いという人達はいるでしょう。しかし、本当の意味で容疑者のことを想ったり、信頼関係を築いた人達がいなかったのではないでしょうか。
その結果、ネットの掲示板が拠り所になっていったと思います。

人が自分の存在意義、自分は何者(アイデンティティー)かが確認できるのは、「他の人の自分への反応」です(自分の考えもあります)。
また、人は他人からのストローク存在や価値を認める様々な刺激)を得たいと思っています。
これらは人が生きていくうえで、非常に重要になってきます。
では、もし他の人からのこうした刺激がなかったとしたら、人はどういう行動を取るのでしょうか?
人には必ず「防衛反応」があるので、危機的な状況に陥るとそれを回避しようとします。
上記の刺激は、必ず他の人から与えられるモノです。他の人がいない場合、もしくはいても刺激を与えてくれない場合は、「他の何かに対象を求める」と思います。

容疑者にとっては、それがネットの掲示板だったのでしょう。
自分の書き込みに対するコメントで「人とつながっている」と思い、存在意義を感じストロークを受けていたのだと思います。
こうした考えは誰にでもありえるかな?と思います。特に子供の頃から携帯電話やインターネットがあるのが当たり前の環境で育つと、これらがないと生活できなくなるかもしれません。
とは言ってもネット上で嫌がらせをしたり、殺傷事件を起こしていいわけがありません。理由を理解しても、納得することは絶対にできません。

では、ネットの掲示板などでの反応がなくなった場合、今度はどんなことが起こるのでしょうか?
長くなってきたので、次回にお話ししたいと思います。

インターネット

ネット上で嫌がらせをする理由はナニ?ー1ー

インターネットが身近な存在になってから、どれ位経つのでしょうか?
いつどこにいてもいろいろな情報を取ることができ、リアルな友達やネット上の友達を交流を図ることができるようになりました。
今の世の中では、欠かすことができないのではないでしょうか?

僕は現在、ブログを2つとmixiやFacebook、Twitterを運営(?)しています。
自分からの情報発信のために使用していることもありますが、他には情報の取得や人付き合いの幅を広げるキッカケにも使っています。
ネット上にはいろいろな人がいるので、そんな人達の発言や体験を見聞きするだけでも、自分にとって有益になることがあります。
実際にお会いして交流を始めることもありますが、良い方に巡り合えたなと実感する時もあります。

しかし、残念ながらそんな良いことばかりではありません。
ネット上では相手を特定することが難しいので、悪徳商法や嫌がらせ誹謗中傷などを行う人もいます。
僕のブログにも、勝手に営業広告や卑猥なサイトの案内を載せようとする人がいます。ブログの場合は、コメントやトラックパックを承認制にしているのですぐに掲載されませんが、内容を見るとイヤな気分になります。
mixiでも震災時に個人的な意見を掲載したところ、マイミクから人間性を否定されるようなコメントを書かれました。
傷ついたので反論したら、喜んで絡んできました。相手にするとエスカレートするので、適当にあしらって頃合いを見てマイミクを辞めました。

最近の活動はFacebookがメインになりつつあります。Facebookは、実名公開と写真掲載が必須のように思われていますが、これはあくまでもモラルの話しです。中にはハンドルネームや芸名など、本名以外で掲載している人もいます。写真も風景や車などの場合もあります。
そもそもアカウント作成する時に、本人かどうかをチェックしている訳ではありません。事務局にチェックする昨日もありません。何せ世界中に4億人(でしたか?)のユーザーがいるわけですから。
ビジネスに使用する方が多いので信頼性が高いようなことを言われていますが、やはり悪いことをする奴らはいます。

先日は営業目的にメッセージがきましたし、お友達になった方が実は架空人物だったこともありました。仲良くなって個別にメッセージを送ったりしていたので、これはショックでした。
タマタマ他の方が「この人に嫌がらせをされています」と掲載してくれたのでその事実が発覚しました。
掲載していた写真も売り出し中のタレントさんのモノで、Youtubuの動画もモチロン他人様のものを使用していました。自分でもいろいろ調べましたが、いろいろ捏造していたことが分かったので、逆に関心してしましました(苦笑)。
僕は直接被害がなかったですが、信じて仲良くしていた方はショックが大きいようです。
何せ信じていたのに、嫌がらせや脅しまでされていたのですから。


こういう連中が後を絶たないの悲しいことであります。
その反面、こうしたことが無くならない理由やナゼこんなことをするのかが疑問です。
恐喝や詐欺なら金銭などの利益目的だと理解できますが、他人になりすましたり架空人物を装ってネット上で交流を図る目的は何でしょうか?しかも中には性別を装う人もいます。

自分なりに考えた結果を今度まとめてお伝えしようと思います。

疑問

なぜコミュニケーションは必要なのか?

いつの頃からか、企業が求める人材の能力で「コミュニケーション」が上位となっています。
コミュニケーション」という言葉は非常に広い意味で使われています。企業がイメージする「コミュニケーション」というのは、概ね以下のようなことだと思います。

 ・部署やチームの長として、メンバー適切に指示を出すことや意見を聞いて統率がとれる
 ・上司や同僚に自分の意見をキチンと伝えることができる
 ・顧客や他社の担当者との間に、人間関係を構築できるチカラがある

これらはあくまでも個人的な考えなの、一般的とは言えないでしょう。いろいろな意見があると思いますが、それは個々で考えて頂ければと思います。


個人的な話しになりますが、今の雇用形態は派遣なので契約が取れれば、いろいろな企業で仕事をさせて頂いております。
契約期間はマチマチですが、半年から1年以上の長期もあれば、1ケ月位の短期の場合もありました。
僕はどちらかと言うと、時間をかけて周囲とコミュニケーションを図る方です。なので場合によっては、短期の仕事の場合コミュニケーションが図れる前に仕事が終了してしまいます。
こうなると仕事にも影響してしまうので、できる限り早くコミュニケーションを図る必要があります。

コミュニケーション」はビジネスだけに必要なことではありません。モチロン日常生活にも必要になります。
もっと根本的なことを考えた場合、「コミュニケーションが必要な理由」は何でしょうか?


一つは「他人との距離を縮めたい」という願いがあるからでしょう。
ここでいう距離とは物理的なものいではなく、心理的な距離のことを言います。
人は「社会」という集団を作って、他の人達との関わり合いの中で生活しています。もし社会の中で他人との関わりがないと、疎外感や孤独感を感じます。そうなると、人は不安を感じたり自分の存在意義を感じることができなくなってしまいます。
こうなってしまうと、人は社会の中で適切な生活ができなくなってしまいます。
そうならないためにも、コミュニケーションが必要といえるでしょう。
ビジネスや地域、コミュニティで活動するためにコミュニケーションが必要になると聞きますが、つきつめていけば、みんな「他人との距離を縮めたい」という願いからだと言えます。

他人との距離が縮まれば、「信頼関係」が構築されます。信頼関係が構築できると、相手のことをより知ることができます。その結果お互いをさらに知り、信頼関係が増していきます。
そうなることで、自分自身の存在意義を確認することができると言えます。
また、多くの人達と信頼関係を構築し、多くの人を知ることで自分自身が人間的な成長を遂げるといえるでしょう。

人は1人では生きていくことはできません。
コミュニケーションのスキルが向上することは、より良い人生をおくることだとも言えます。


コミュニケーション

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