2009年10月13日

私の見ている差別の図式

おおよそ、一年ぶりのご無沙汰でございます。
ちゃんとでもありませんが、生きています。管理画面は変わってるし、文字の打ち方も忘れそうですが、何とか書いてみたいと思います。

コメントもしなくなって、すっかり大人しくなってしまいましたが、ずっとブログは見て回っていますし、色々と話題になるテーマについても、考えたりしてみてはいました。

ここは言いたい!と思うこともあったのですが、そう言うことって、しばらく見てると誰かがもっとうまく表現してくれたりして、あ、じゃあいいか、みたいなこともたくさんありました。
手が遅い上に、口も頭の回転も遅い。というのは、ずっと変わりません。

じゃあ、ずっと黙ってればいいじゃないかと言うところですが、そうは行かない性格なのでこんなブログが削除もされることもなく残っているわけです。
そして、また、いつ休止するかもわからないわけですが(笑)


復活のきっかけは、例によって、gegengaさんのブログだったりします。

それでも、超えられないもの???『差別と日本人』(1)から始まった、議論から、現在はエントリーは3つ目まで進んでいる。
かめ?:いまどき、「自作自演」しなきゃ、差別の手段がない。と、おっしゃる×第二迷信さんにお聞きしたいこと - livedoor Blog(ブログ)

gegengaさんの仰ることは、非常に納得というか当たり前のことで、(1)のエントリー内で注意すべきは「事実関係」だけだと思っていた。
ただ、言った言わないの事実関係くらい立証しづらいものはないと思うので、gegengaさんもそのあたりについては慎重に書いているし、コメント欄でも追加情報があったりして、それぞれが判断すると言うところまで入っていると思う。

差別を巡る一つのケースとして、それが、また政治の頂点で行われていた可能性があることについて、鋭く問題定義されていると思う。
私はそう言う「事実」が取りざたされたことすら知らなかったので、あらためて、差別について考えるいい機会になった。

しかし、×第二迷信さんのコメントから、なんだか風向きが変わってしまった。
それについての反論がgegengaさんから為され、エントリーは3つ目まで進んでいるのだけれど……


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hide_kakurega at 00:33コメント(2)トラックバック(1)日々之精進 

2008年10月29日

対立構図に引きずられ続ける人々

前回のエントリーで取りあげたakiraさんのブログのコメント欄がメチャクチャなことになっている。

akiraさんのお仕事が被害者の方々と接する仕事であり、また、ネットでの活動も同様で、当然、セクシャルハラスメントやDVなどの被害に遭われた方が注目しているブログであろう。

私ごときがそう言う方々に何かを言えるということもないのだけれど、コメント欄に訪れる被害者の方の自身の体験を通じてのコメントには本当に痛みを感じる。
そう言った方々が大っぴらに自らの被害を語りにくい風潮というのは依然としてあるようだ。それをこのコメント欄で実感した。

何しろ、akira's roomのコメント欄が、いきなりエキサイトしはじめたのは、たんぽぽさんに対するセクシャルハラスメントを取りあげてからで、当のたんぽぽさんの2次被害を指摘されても、いっこうに反論にならない反論は止まない。

この有様を被害者の方たちが見ていたら、情報の共有というネットで一番便利で有効な部分を活かすために集まったとしても、コメントするのに尻込みしてしまうであろう。
その中ですら、勇気を持ってコメントなさる方には本当に敬意をもって、ありがとうと言いたいと思う。そう言う方がいるからこそ、少しずつでも周囲の理解が深まっていくのだろう。

たまたま、たんぽぽさんが「引かない人」だったから、ここまでの2次加害が続いている訳だが、確かに、コメント欄でLight氏が言っているように「ネットから離れなさい」と言うのは「有効な対策」かも知れない。と、Light氏の粘着的な分からず屋コメントを読んでそう思った。
私でも被害者でもないのに、離れようかなと思うくらいだ。端から見ていればLight氏の言動はそう映るのだと言うことで、Light氏には猛省を促したい。
引かないたんぽぽさんだからこそ、ここまでの周囲の無理解が浮き彫りになった訳だが、逆に言えば、被害者であるたんぽぽさんに対して、「引け」と言い続ける人が後を絶たない訳で、この事実にはリアルもネットもあるまい。

まずはじめにLight氏のことを取りあげたが、このコメント欄に登場したのは、彼女だけではない。
taka氏、愚樵氏、MEDAMA氏、alice氏、akiko氏、それぞれにakiraさんに対して反論を残していった人たちだ。
一部を除いて、たんぽぽさんの「対戦相手」であった方たちだというのが印象深い。

MEDAMA氏については、コメント欄ではなくて自身のエントリーとしてだったので別だと言われれば別だが、その趣旨はakiraさんへの疑義を呈しているという事で、ここでは失礼ながら一緒くたにさせていただくことにする。

taka氏については、反論と言うよりも「セクシャルハラスメント」の問題をそれ以前の水伝騒動の対立構図の中で取りあげることは、より強い反感を生むだけなのでやめようと言った趣旨だったと理解している。
愚樵氏も対立構図については、同じように指摘していたと思う。
その「対立構図の中で取りあげない」と言う意見については賛成だが、いずれも持って行きどころが違うのではないかと思う。

こと今回の「死ぬのはやつらだ氏によるセクハラ」に関しては、たんぽぽ氏は一方的な被害者であり、議論の中でのイーブンな対立などではなかった。その内容も見るに堪えないようなひどいもので、セクハラの定義を当てはめるかどうかなどと言うレベルのものではなかった。

それに対してたんぽぽさんは毅然とした姿勢を貫いてきた訳だが、それに対して、それ以前の議論での対立構図を引きずったままに加害者である死ぬのはやつらだ氏を擁護してきたのは誰だったのか?
同様に、たんぽぽさんのブログでは同時期にgon氏によるコメント連投などの嫌がらせもあったわけだが、この常軌を逸した行動に対しても、擁護のコメントを残した人たちもやはり、議論での対立構図を引きずった人たちではなかったか?

そう言う引きずられた人たちを相手にしているからこそ、水伝騒動の構図がそのまま浮かび上がるのではないのだろうか?

この両者には、たんぽぽさんは、プロバイダ並びにブログ運営会社に対しての規約違反での通報と言う形で対処された訳で、実際にそれが認められたと言うことは「社会的に認められない」行動だったわけだ。
(もちろん、認められなくても私は彼らの行動は反社会的だと思うが、公的にと言う意味ではそれが実際に認められてよかったと思う)

確かに、水伝騒動は多くの論点を生んできたし、様々に広がり、あちこちで対立的な構図というのは生まれてきた。そして、その一方にはたんぽぽさんがいたのも事実だが、それらはあくまでも議論という範疇での対立だと思っている。
もちろん、感情的な対立を含むことはあったが、それでも、言葉を尽くすという双方のやり方についてはかわることはなかった。

しかし、反社会的な行為で、たんぽぽさんの口をつぐもうという行動に出たものが現れたら、本来であればその対立構図の両者から、彼らに対しての反発が生まれて当然なはずだ。
議論の対立軸とは全く違う別の問題だと感じられないだろうか?

実際には悲しいかなたんぽぽさんの被害を矮小化しようとしたり、恣意的な切り取りで責任を転嫁したりと、全くたんぽぽさんの被害に対して向き合おうという姿勢もなく、akiraさんに対して、反論ともいないような反論を投げかけている人々が現れる。
当然、これはそのまま、セクハラ擁護の発言とも取られかねない。

今、この問題でたんぽぽさんを擁護している人たちは、たんぽぽさんだから擁護している訳ではない。セクシャルハラスメントを含む、反社会的な行為が許せず、また、それで「誰か」の口をつぐもうと言うことが許せないからこそ、発言をしている訳だ。(もちろん、それ以前の関わりがあって、私は余計に怒りを覚えている訳だけれども)

ことは、議論の対立構図とは別の所にある。その対立構図に引きずられて大切なことを見落としてはならない。

たんぽぽさんを批判したければ、「明確に」批判なさればよろしい。
たんぽぽさんが嫌いならば、それもまた、それでよろしい。
しかし、その被害に対して、他人が安易に軽重を量るべきではないし、その選択肢に余人が容易に口を挟むべきでもない。



hide_kakurega at 20:39コメント(22)トラックバック(0)覚え書き 

2008年10月07日

騒動の周辺で痛むと言うことを考えてみる

順番に考えるとして、取りあげてきた「水伝騒動」だが、現在は問題の出発点とは遠く離れたところでひどい惨状が広がっている。
問題を一つ一つ丁寧に考えることで見えてくるものがあると思ったからこそ、始めてみたものの、その情報量はもはや私の処理能力を大きく超えてしまって、頭の中で色々な考えが渦巻くばかりだ。
と、ここまでがほったらかしにしていた言い訳。

人と人との関わり合いなど写し鏡のようなもので、対立の構図の中では「言葉のブーメラン」はお互いに飛び交っていると自らを反省しながらも、引っかかることは数多いし「確かに言えること」というのも見えてきたと思う。
また、様々なテーマが語られる中で、自分にとって勉強になること、考えさせられることなどが増えていって、そういった意味ではありがたいのだけれど、騒動の渦中にいる人にとっては、そんな呑気な問題ではない。


たんぽぽさんへのセクシャル・ハラスメントの問題が取りあげられているブログがある。
akiraさんの「akira's room」にて、水葉さんへの問いかけのエントリーが発端となり、現在も様々な広がりを見せている。

akiraさんの筋の通ったブレのない論理構成だけでなく、誠実な人柄をエントリーを読むだけで感じられて尊敬している。覚悟をしてはいたようだが、騒動の渦中に飛び込むこととなり、対応に追われ、時に心ない中傷を受けているようで非常に残念だ。

たんぽぽさんへのセクシャル・ハラスメントがどのようなものであったか、また、その後の展開を通じて二次被害というべきものがどのように起きたかについても、akiraさんのブログにリンク先として紹介してあるので、もし問題そのものをご存じでない方はぜひ、目を通していただきたい。


akiraさんの水葉さんへの問いかけそのものは、「セクハラ」被害は第三者によって軽重を量るべきではないのではないか、というある意味では初歩的な問題からはじまっている。そこから、水葉さんに「たんぽぽさん批判」というバイアスがかかった発言ではないのか?という疑問を呈している。
akiraさんご自身が水葉さんと同じくカウンセラーであり、いわば同業者からの視点での問いかけであるのだが、その返答は今もってないようだ。


「第三者によって、その軽重を量るべきではない」というのが、全うで至極当然であると感じたのは、奇しくも最近の自分自身の体験を通してである。

八月の末だが、通勤途中に追突事故にあった。
事故の詳細は省くが、信号停車中に突然後ろから追突された。運良く大ケガなどはせずに済んだが、いわゆる「ムチうち」というのになった。現在も通院してのリハビリ中だが、車の修理を依頼した工場の人には「車の壊れ具合を見ると入院していないのが不思議」だと言われた。もし小さい車だったら、もし前に大型トラックが停車していたら、いくつかのもしを乗り越えて何とか無事に生きている。(だから、死ねばいいのになんて気楽に言う人に対して、私にとっては洒落にならない怒りを覚えると余計な一言を挟んでおく)

しかし、ギプスをはめるでもなく、翌日には痛む首をこらえて仕事に出ていると、周囲からは無傷での生還だと見えるらしい。もちろん、事故のことは知っているので配慮はしてくれるのだが、どうにもその実感に乏しいようだ。もともと、そう言うのが伝わりにくい損な風貌なので、半ばあきらめてもいるのだが、とはいえ、つらいときはつらい。

通院するにも職場には迷惑がかかるし、通える限りという感じで通っているのだが、これが何となく自分自身でも申し訳ない気になってくる。話には「事故成金」とでもいうような話も聞かないではないので、そうなると自分がそう見えないかと余計なことまで気を遣う。

しかし、通っている医院の先生が、たまたま自身が事故によるムチうちの経験者であったことが、私にとってはそういった意味でかなり気を楽にしてくれた。
「平気そうに見えるでしょうけど、つらいんです」と言った私の言葉に「わかるわかる」と同意した上で、診断を下してくれた。この先、こういう感じの痛みが来るよ。とか、丁寧に解説してくれた。自分の体のことでありながら、なかなかどう痛いのか、どこが痛いのかを具体的に伝えるのは難しかった。おそらく、外見上は何も問題はなく、レントゲンを見ても骨に異常はない。医師にしかわからないポイントがあるのかも知れないが、その痛みが本当にあるかどうかを判断するのは容易ではないだろうと思う。だからこそ、「事故成金」みたいな話も生まれてくるのだろうと推測する。

だからこそ「痛むことをわかってくれる」先生に出会えたことをありがたいと思っているのだ。
もし「大した痛みではない」とか「そこまでは痛まないはずだ」と言う先入観をもたれて診断されたのではたまったものではない。現実に、平気そうに見えるけれどつらいのだ。

おそらくは、日本全国の先生が「痛むことをわかってくれる」と思うのだけれど、自身の体験を通して、痛みの軽重は第三者には量りがたいと、やはり思う。ましてや「心の問題」であれば、なおさらであると思う。たんぽぽさんも私と同じで、「痛みが周囲に伝わりにくい人」かも知れないけれど、その心の痛みはあるのだ。

自身の体験といういわば無敵の逃げ場所での話になってしまったが、私の痛みがわからない人はひどい人などと言うつもりはない。ないが、わかって欲しいとは思う。イタイものはイタイのだ。

hide_kakurega at 23:16コメント(3)トラックバック(0)日々之精進 

2008年07月28日

恥の記憶

「上から目線」とか「あんた何様!」みたいなことを言われないように身の丈で物を考えてから書くようにしている。なるべく大風呂敷になることを避けて、自分がわかる範囲で書こうと思っている。
じゃばさんには「ネット人格がいい」と言われたこともあるけれど、もちろん、私は立派な人間とは言い難いので、現実にはいろいろなところでぶつかったりする、その場合でもぶつかり方だけは考えたいと思っている。

ここのところ、差別に関する言及について読むことが多い。そういうところを回っているからというのもあるけれど、意見の対立するところで出ることが多いというのはどうしてだろう?
元々、ネットでの衝突には差別というのは付きものだと思う。
ネトウヨという人たちの中には、中国や朝鮮半島の人たちに対する差別感情を隠さない人も多いし、特定のグループ分けを出来ない人の中にも様々な差別感情というのを目にすることがある。
私自身も様々な差別意識について克服しているとは言い難い人間なので、人様のことを偉そうにいうことは出来ないが普段立派なことを言ってる人にそういう差別感情を見つけると悲しい気持ちになる。

差別意識というのは本当は持っている人ほど自分では意識できないからこそ、問題としての根が深くて罪深い物なのだろう。
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hide_kakurega at 22:19コメント(10)トラックバック(0)日々之精進 

2008年07月16日

順番に考える 4 寛容

前回は「スルー」という言葉をキーワードに振り返ってみた。
そして、今回は「寛容」というキーワードについて考えてみたい。

この言葉もらんきーブログ内コメント欄で、よく見られた言葉であり、キーワードの一つといえると思う。ぶいっちゃん氏の「寛容な対応」を称えるコメントなどが目について、やはり違和感を持った。
「スルー」と「寛容」をセットにして、大人の対応だという話もあった(と思う)

前回エントリーのコメント欄にも書いたが、大人の対応というのであれば「たんぽぽちゃん」の言い分をしっかり聞いてあげればよかったのに、と思う。それが出来た人は残念ながら一人もいなかった。
井の中のMEDAMA 大きな問題と小さな問題:水伝問題の全体像についての一考察におけるちょちょんまげさんのコメントを引用しよう。

「寛容」という言葉は、おもに「立場の強い者」から、「立場の弱い物」に対する「許し」の意味で使われるのではないか。
あるいは、「論敵どうし」とか、「立場が同等」の場合とか。
ぶいっちゃん氏に求められたものは、「寛容」ではなく、指摘に対する「謝意」であったり、「素直さ」であったのではないか。よって、「らんきー」側全般が本件につき「寛容」を言い合うのは、「寛容」の誤用ではないか。使用可能だとしたら、「とんちんかんな批判に対する寛容」と「無法な批判方法に対する寛容」の2つしかないのではないか。(実際、毒キノコを肯定的に紹介しちゃってるわけだから)
「寛容」はむしろ「たんぽぽさん」側に使われるべき言葉で、その求められ方は「ご指摘ありがとうございました、失礼の段に関してはご寛容を」であったのではないか。
いかがでしょうか。


コメントの必要箇所を丸のままコピーしてあるので、意味が通じていないところもあるけれど、気になる方は実際のエントリーに当たって欲しい。
寛容の使われ方に対する私の違和感についてはこのコメントで完全に言い尽くされている。
そして、この当時、私はこれを何とか言葉にして、エントリーにあげようと思っていた事を思い出した。しかし、ちょちょんまげさんはコメント欄でサラッと言ってしまったのだ。非常に悔しかった(笑)

それはともかく、この時に「ぶいっちゃん氏が水伝に対して肯定的な記事をあげていた」ことに対する批判も「ぶいっちゃん氏のたんぽぽさんに対する対応」に関する批判も全く受け入れられな人たちがコメント欄にはたくさんいた。
そういう人々が、口々に「スルー」と「寛容」をたたえ合う姿は、正直、一種異様な雰囲気だった。

「スルー」というのが、アラシ対策で使われるのが一般的な用語であり、「寛容」というのが、上から鷹揚に許す様だとすれば、たんぽぽさんは一体どんな人なのだろう?
なんだか訳のわからないいちゃもんを2年前のエントリーにつけてきた「イタイ人」という事だろうか?

正当な批判かどうかを斟酌せずに、ただ、反発する。そういう姿勢に終始した。
もちろん受け入れられない批判であれば、当然、反論をすればいいのであるけれどもそれはしない。(感情的な反発をエントリーにした人はいたようだが)
そして、その人たちは政治ブログにコメントする政治を考える人たち(そして、一部にはご自身も政治ブログを持って、発信を続けている人たち)だったのだ。

この人たち、大丈夫か?と思ってはいけないだろうか?

hide_kakurega at 19:57コメント(2)トラックバック(0) 
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