2017はどういう年

H28補正で農水省からの委託事業で台湾とよく関わりました。
食のインフラ輸出という企画で、日本の米作り産業を台湾に移殖して外貨を稼ごう、具体的には籾流通を玄米流通に換えて台湾の米業界を牛耳ってしまおう、という考えであれこれ2017前半は動いていました。このコンセプトが意外と経済界にうけまして日本農業新聞や日経ビジネスオンラインに取り上げられたのでまだまだこの波は来るのではないかと思っています。

5月で農協青年部の役がおわりました。
3年ほど愛知県の責任者、最後の一年は全国理事までやっており、今まで経済ベースでうごいていた私が日本のさまざまな農村や農業(あと農協)を見ることができたのは良い経験でした。
全国に仲間ができたことは財産です。

中国とのかかわりが再び始まりました。
青年部が忙しいときは中国に行けてなかったのですが、夏以降時間がとれるようになりましたので、ジュースメーカーの大きなイチゴの農場のコンサルや中国農業部の高級官僚たちの日本アテンド、上海や北京での講演会や、近々では上海の苗会社向けにプラント輸出の話をはじめています。

地元あいちの農場の方はというと、
水稲作ではじめて営業というか売り先をみつけてからの作付から東京までの納品までこぎつけました。今まで10年間適当にお米を作って売っていましたが、なぜかはじめてまともにやってみようと思ったので、あいちのかおり特別栽培基準で作って、手で雑草とって、検査も受けて、物流仕立てて、東京まで納品して現金化することができました。今年は相場が高く収量もなかったため、地場からは面倒なことしてそんな遠くまで売るより、地場で売れば良いとさんざんやいやいと言われましたが、なんとかやりきることができました。相場が下がれば彼らもきっとわかると思います。

イチゴは安定した収穫ができた年でした。その後夏にタンソ病を出してしまいその後は苦しんでいます。

まとめると、全然変わることなく、今までのラインを踏襲しているというか、、、
半年間は地元あいちで農業しながら、半年は世界で戦っているといういつもの感じでした。



2018は

西アフリカのブルキナファソまでイチゴの案件で行きます。

上海と香港は今まで通り、北京にも台湾にも行きましょう。

あと地元あいちの農場をもう少し大きくしようと思って農地を集めていますので、
2年くらいかけて農場を大きくします。金と人材の思案です。

イチゴが病気でこけるとつらいので、少しでも利益率をカイゼンできるよう
単価を上げて収量もあげたいと思います

今までとあまり変わらない年になりそうですね、
一歩一歩「イチゴで世界を豊かにします」コンセプトを進めていきたいと思います。