3 古代アメリカからの日本の先住民 3/4

       DNA Molecule
 
  翡翠文化
 
 翡翠の産地としては、日本の新潟県糸魚川、ミャンマー北部カチン高原、アメリカ・カリフォルニア州・ニューイドリア、グアテマラ・モタグア、ロシア・西サヤンなどですが、すべての地域が、固有の翡翠文化圏を形成するレベルにはたっしていません。
 翡翠産地の中でも古代に翡翠文化が生まれた場所はさらにかぎられ、日本を中心とした縄文翡翠文化圏と、マヤアステカ文化における2大翡翠文化圏が知られています。

       557588690

 日本で翡翠が採れるのは新潟県と富山県の間を流れる糸魚川だけです。
 縄文人や弥生人のアクセサリーには主に翡翠の「たれかざり(ペンダント)」「櫛」「腕輪」「耳飾り」などがあります。
 たれかざりは大小あって形も「円形」「楕円形」「曲玉型」などさまざまです。

 耳飾りは「耳栓(じせん)」とよばれる、耳たぶに穴を開けてはめる円い物と、同じく耳たぶに穴を開けて差し込む石製のけつ状耳飾りがあります。
 けつ状耳飾りの「けつ」とは、中国のガラス製の玉器「けつ」のことで、この耳飾りの形が似ていることから命名されました。
 けつ状耳飾りの材料には、飴色や緑色系の比較的軟らかい滑石蛇紋岩が選ばれています。
 石材は薄いドーナツ形に削り出され、一方に切れ目を入れて完成します。
 
 北米大陸の西海岸の狩猟採集民は、縄紋人とよく似た暮らしをして、身分の高い女性の成人式に耳に孔を開ける儀式を行い、そののちに盛大な宴会を催しています。

       00014181
 
 土製栓状耳飾は、多くは関東・中部高地から出土し、東北や北海道南部からもわずかに出土します。
 
 グアテマラの低地にあったマヤの大都市であるティカル遺跡からは、日本の土製耳の滑車形耳飾によく似た翡翠製耳飾りや、耳の部分が翡翠製の仮面(墳墓から出土)も発見されています。
 グアテマラで青翡翠が発見されたことにより、オルメカ文明の時代からグアテマラが翡翠の供給地であったことが証明されました。

       bc288031_orig

      bn346lh

        o0610055011709019281

 メキシコにあるマヤ文明のパレンケ遺跡『碑文の神殿』から発掘されたパカル王の『翡翠の仮面』

 縄文の遺跡からは、ピアスのイヤリングをした土偶や、大きな耳飾りが見つかっています。
 縄文人は、大きな耳飾りをしていました。

             mimizuku
                関東地方のミミズク土偶

 関東地方を中心に作られた「ミミズク土偶」は、耳には大きな耳飾りをつけ顔と髪が赤く塗られています。
 大きなピアスを入れられるということは、縄文人は耳たぶが大きかったということです。
 このいわゆる福耳も南方アジア人、イースター島、インカによく似ている点です。
 
            cf3cd5bc

 さらに西のほうでは、タイのカヨー族は、耳たぶに穴を開けて耳栓をつけています。
 
 けつ状耳飾りは、アメリカ、日本、中国、台湾や東南アジアにあります。

 日本の土器と同じ文様の土器が、エクアドルの太平洋側にあるバルディビアで発掘されています。

           ceramvaldivia2
                 バルディビア土器

       b985a65e

 バルディビアの土器の文様のうち、一部の物が九州の曽畑式土器などと似ています。

          clip_image
           上 バルディビア土器   下 宮崎県跡江貝塚のの土器

 バルディビアの民は、北はメキシコ、南はペルー・チリ、そして東はアンデスを越えてアマゾン地域との交易を行っていました。 

          678544k

          tryewe77


             komagino002_01 

          4654ds

 コロンビア、ボリーバル県の都市サンハシントから、火炎式装飾の土器が出土しています。

 1901年9月1日、日本の地を伝道するにあたり、ヒーバー・J・グラント長老の奉献の模様を述べた、アルマ・O・テーラー長老の記録にはこうあります。
 「グラント長老は、罪悪のゆえにニーファイ人から絶ち切られ分離した元ニーファイ人について口にしました。……
 教えに背き反逆したニーファイ人はのちにレーマン人に加わったわけですが、彼らの血筋こそが日本人であり、日本人はリーハイ、ニーファイの子孫であると感じました。
 日本人の多くはアメリカ・インディアンの容貌と風習をもっているわけです。
 〔そしてグラント長老は〕このように感じたのが正しいならば、忠実な僕リーハイとニーファイのためにされた約束を忘れることなく、彼らの子孫が末日福音を受けるという約束を日本はこれを受けるにふさわしい国だと感じました。
 そして、この日本人において実証し確かめてくださるよう祈り求めました。」 (Reminiscences by Alma Taylor of Elder Heber J. Grant's 1901 prayer dedicating the land of Japan to receive the restored gospel, Palmer, Spencer J., and Roger R. Keller. Religions of the World: A Latter-day Saint View. Provo, Utah: Brigham Young University 1989 p.91)

           78954664n
 
 アメリカ大陸の先住民のインディオおよびインディアンと、アイヌクマソ琉球民族との間には身体的な特徴のみならず、遺伝子レベルでも共通項が多数あります。
 レーマン人のアイヌやニーファイ人の琉球民族やクマソは遺伝子で近縁という調査結果がでています。

 国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門(総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻教授兼任)の斎藤成也教授、東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東京大学大学院理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授を中心とする研究グループは、日本人類遺伝学会が編集する2012年11月1日付の英国学術誌『Journal of Human Genetics』オンライン版に発表しました。

 研究グループは、ヒトゲノム中の一塩基多型でゲノム全域に存在する遺伝的多型の1つSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本人のDNA分析を行いました。
 その結果、アイヌ人からみると琉球人が遺伝的に最も近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示されました。 (参照

 日本で狩猟採集生活をしていた縄文人の遺伝的特徴は、東アジアや東南アジアの人たちとは大きく離れていることがDNA解析で分かりました。
 総研大遺伝学専攻の大学院生、神澤秀明(現在:国立科学博物館 研究員)、斎藤成也教授らの研究グループによるもので、2016年9月1日付けの科学誌『Journal of Human Genetics』に掲載されました。
 
 同研究グループは、福島県北部の三貫地貝塚で出土した縄文人2人の歯の人骨の大臼歯からDNAを抽出しました。
 古代のDNAであるため、バクテリアなどの生物が侵食しており、大部分はヒト以外の配列でしたが、数%はヒト由来のものでした。
 抽出した細胞核のゲノム(全遺伝情報)解読を試み、約30億個ある塩基のうち約1億1500万個の解読に成功しました。
 
 世界各地の現代人のDNAと比較したところ、中国南部の先住民や中国・北京の中国人、ベトナム人などは互いに近い関係にあるのに対し、縄文人はこれらの集団から大きく離れていました。
 日本人では、遺伝的にはアイヌ人が最も縄文人と近い関係にあり、沖縄の琉球人、東京周辺の人と続きました。

     002l

 三貫地縄文人(赤点)とほかの人類集団ゲノムデータとの遺伝的近縁関係を主成分分析(PCA)で示したもの。



  ミトコンドリアDNA
 
 アメリカのミシガン大学人類学博物館が中心となり、世界中から集めた古代人の頭蓋骨約1万個の分析・比較研究結果が発表されました。
 研究の指揮を取ったC・ローリング・ブレース氏によると、コンピュータを使い骨の構造など詳細な分析を実施した結果、アメリカの先住民のレーマン人の末裔のインディアンのブラックフット族、スー族チェロキー族の骨の特徴が、アイヌの先祖である縄文人とそっくりでした。
 
 日本の原住民が古代アメリカから来たことは、近年急速に進歩を遂げている遺伝子(DNA)の研究によっても裏付けられました。 

      cbaer

        73c2feff5abd6da068aaada7109cea73

        mitochondria_img_1-2_zoom

 DNAは、アデニン・チミン・グアニン・シトシンという4つの塩基配列をもっていますが、この塩基配列は人種や部族などによって微妙に異なっています。
 塩基とは、化学において、酸と対になって働く物質のことです。
 塩基配列に違いが少ないほど近い関係にあり、違いが大きいほど遠い関係にあることが分かります。

 人の身体は約60兆個の細胞から成っています。
 その細胞一つ一つに核があり、その中にDNAという遺伝物質が入っています。
 これは核内DNAとよばれ、らせん状に毛糸をまるめた様な形状をしていて延長すると約2mの長さがあります。
 約30億個の塩基があり、この糸状の物を構成しています。
 その内約10万対の塩基が遺伝にかかわっています。

 これに対して細胞の中には、核の外にある細胞質にミトコンドリアという粒子があります。
 1つの細胞には、数百個のミトコンドリアが存在しています。
 1つのミトコンドリア内に5~6個のDNAが含まれています。
 つまり細胞一個に含まれるミトコンドリアDNAの数は、千個以上の多数になります。
 核内DNAが細胞1個あたりに1個しかないことと対照的です。
 このミトコンドリア粒子にもDNAが存在しています。 
 ミトコンドリアDNAとは、細胞小器官であるミトコンドリア内にあるDNAのことです。
 ミトコンドリアが細胞内共生由来であるとする立場から、ミトコンドリアゲノムとよぶ場合もあります。
 1つのmtDNA(ミトコンドリアDNA)は、約16500個の塩基からなります。

 mtDNAは、母親から子に受け継がれる特性を生かして、家系を追跡するための研究に利用されます。
 ただしmtDNA は母系をたどることしかできないため、人類の系統や移住の足跡をたどるためには学問的には不十分です。
 人種系統はmtDNAで分かりますが、特定に人間の人種をmtDNAから探ることはできないのです。
 そのため人類の足跡をたどるためには、父系の系統のみをたどることができるY染色体の分析とあわせ検証するか人類の核DNAそのものを分析する必要があります。
 
 現在では効率的なDNAの増幅方法が確立しているため、ほんの少量のサンプルさえあればDNAの配列が確定可能になっています。

      Haplogroup_X_(mtDNA)

 ハプログループX (mtDNA)は、ヨーロッパ人、中東人およびアメリカ先住民で観察され、とくにアルゴンキン語族話者に多く見られます。

 mtDNA研究の先駆者である宝来聰(総合研究大学院大教授、人類遺伝学)教授の研究では、レーマン人の子孫であるインカ人とアイヌが同じ民族と分かりました。
 チリの北カトリック大学に保管されている4000年以上前年前のミイラからmtDNAを抽出し、インカの都市だったクスコの町で、インカ人の末裔であるケチュア族、ラウル・アパル氏より抽出したDNAと比較してみました。
 過去58体のミイラからmtDNAの抽出に成功し、それら58体のミイラとラウル氏のmtDNAを比較した結果、12体のミイラのmtDNAの文字配列(564文字)がわずか2か所だけの違いで、あとはすべて一致したのです。
 すなわち、ラウル氏はレーマン人の子孫であることが科学的に証明されました。

 また宝来博士とともにNHKスペシャルの撮影を行っていた取材スタッフが、データベースで調べたところアイヌ人の一部の人たちと非常に近い配列であることも判明しました。
 1970年代に採血された純粋なアイヌ人の血液からのDNAとラウル氏のDNAの比較をしました。
 これまでに調べられた全世界の27000人すべての人の中で、ラウル氏に最も近いのがアイヌだったです。
 そして、その現代アイヌのmtDNAと埼玉県戸田市で発掘された縄文人のmtDNAが一致しました。
 また、同様の結果は北米インディアンのトリンギット族とアイヌの間でも出ています。
 
 縄文人のmtDNAとしては、ハプログループFM7aなどの型があったと判明しています。

 埼玉県浦和市で発掘された人骨(浦和1号)の頭蓋骨のmtDNAは、現在のインドネシア人とマレーシア人のmtDNAが一致しました。
 縄文人と今日のインドネシア人は、歯や骨の形もほぼ同じです。

 mtDNAの分布から、母方のルーツが縄文系の人と弥生系の人の構成比を求める計算式を、住斉(すみ・ひとし)筑波大名誉教授(生物物理学)が考案しました。
 7地域、約3000人を対象にしたデータによると、首都圏では弥生系が約7割と多数派で、東北や南九州など縄文社会が発達した地域では縄文系が7~6割と多く、首都圏の弥生人の比率(71%)で、別の調査の歯の形態から割り出された現代関東人での弥生系の比率(75%)とほぼ同じでした。
 縄文系の比率が高かったのが東北や南九州です。

 

  Y染色体 

 染色体(せんしょくたい)は遺伝情報を担う生体物質です。
 父親から染色体を23個、母親から染色体を23個もらって合計46個の染色体になります。
 その23個のうちの1個が性染色体とよばれ、この1個によって性別が決まります。
 卵子精子が合体して子供が生まれます。
 つまり、父親の1個と母親の1個の2個のみの組み合わせで性別が決まるのです。

 卵子はX遺伝子のみを有し精子はX染色体とY染色体の2タイプ精子があります。
 そして、性交によって卵子のX染色体と精子のX染色体が受精すれば、女になり(XX)、卵子のX染色体と精子のY染色体が受精すれば男になります(XY)。

         vbmtgs9

 Y染色体は、必ず男性の系統を受け継がれていくので日本人男性がどこから来たのかが分かるのです。
 Y染色体は男性のもつ性染色体の1つです。

 母系をたどるミトコンドリアDNAに対して、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展しました。
 男性のみがもつY染色体の突然変異を系統的に分類していくと、大きく分けてA系統、B系統、C系統、DE系統、FT系統という5つの生物がもっている単一の染色体上の遺伝的な構成であるハプロタイプの集団であるハプログループがあります。

 ブリガム・ヤング大学の微生物学の教授でありスコット・R・ウッドワード博士も、この分野の指導的研究者の1人でです。

   Y-DNA Migration Pattern

 上の図は、研究者がY染色体進化の研究から発見したものを要約したものです。
 
       20131123

        iy42692

 イスラエル共和国の調査機関アミシャーブの所長であったラビ・エリヤフ・アビハイルによれば、古代の羌(きょうぞく)族の末裔とされている「チャン族」は、行方の知れないイスラエル10部族の末裔であると科学的に判明していると述べています。
 
 日本人におけるD系統は、本土で約40%もあります。
 沖縄、クマソアイヌの人々になるとさらに高率となり、計算上は日本人のほぼ半数近くにD系統があります。
 アイヌやクマソ、琉球民族、さらにはアメリカ先住民にも多く見られるのはD系統で、これは共通祖型のDE系統から分岐したもので、中東のユダヤ人やアラブ人などに多く見られるE系統と共通祖形をもち、ともに世界中に離散した古代イスラエル人の末裔なのです。

 日本人はほかに、中国人や韓国人に多いO系統が50%程度で、C、N、Q系統も少数見られます。
 CやQ系統は中央アジアが起源です。
 つまり日本人は、おおまかにD系統と0系統が半分ずつということになります。
 中国人(漢族)や韓国人はほとんどD系統をもっていません。
 D系統はE系統の仲間で、分子生物学者の崎谷満博士(Institute for Cross-Cultural Communication、CCC研究所所長)は、次のように言います。
 「地中海世界の南ヨーロッパ、北アフリカ、中東にはE系統の高い集積が見られる。
 さらにこのE統と近縁のD系統が、世界的にもまれな例として、日本列島とチベットに今でも高い率でみられる。」 (『DNAでたどる日本人10万年の旅』)
 
 とりわけE系統とJ系統がユダヤ人に広く見られることが知られていますが、DNA検査を一般に提供しているアメリカの団体「ファミリー・ツリーDNA」によれば、中でもE系統に属する1つのタイプは、「世界中のあらゆるユダヤ人の間に見られ、アシュケナジムセファルディム、またクルド系イエメン系のユダヤ人サマリア、さらには北アフリカ・チュニジアジェルバ島のユダヤ人にさえ見られる」のだと言います。
 
 レビ族は厳格に男系を守り、レビ族のY染色体はE系統です。
 そのため彼らは、E系統が見いだされるか否かをユダヤ人であるかどうかを判断する目安の1つにしています。
 
 J系統はユダヤ人が混血していく過程で入ってきたもので、サマリア人はイスラエル王国の地に残ったイスラエル人と移民との間に生まれた人々です。
 混血していますが、そのほとんどがJ系統です。
 
 D系統はチベット系民族、羌族(チャン族)などにも高率で見られます。 (23%)
 彼らは、アミシャーブもいうように行方の知れないイスラエル10部族の末裔です。
 なお、インド北東部の「シンルン族(ブネイ・メナシェ)」やミャンマーに住む「カレン族」も、チベット系といわれる人々です。
 ここからアミシャーブは、彼らはもともとは同じイスラエル10部族だったのではないかと見ています。
 しかも、彼らはみな同じ伝承、同じ風習をもっているのです。

 世界でY染色体のYAP(ヤップ)をもっているのは、日本人、チベット人、中近東の人で、そのほかではほとんど存在しません。
 中堀豊徳島大医学部教授らの研究グループによれば、東アジアでは日本人だけです。
 
 日本人のもつY染色体D系統の遺伝子は、世界でも日本人とチベット人にしか高い頻度で見られない珍しいものですが、この遺伝子は古代ユダヤ人ときわめて近縁な関係にあります。
 これは同じ祖先からきたことを示しています。

 この「D系統」とは、ユダヤ人(セム系)に多く見られる「E系統」と、同一系統です。
 DとEの系統はともに、「YAP(ヤップ)型」という特殊な塩基配列を保持しています。

 ヒトのY染色体は、クビレをもった棒状に図示されます。
 Y染色体DNAの中に約300塩基の特徴的なAlu(アル)配列が存在している人と、存在しない人の2種類あることを発見しYAPと名づけられました。
 Alu 配列は、約300塩基対の長さがあり、制限酵素Alu(アル Alu sequence)で認識されます。
 制限酵素は、酵素の一種2本鎖のDNAを切断します。
 Alu配列の機能は不明です。
 YAP型遺伝子には、YAPの一部分(つなぐ部分)が4基だけ欠落している特殊なYAP型遺伝子があるといいます。

 チベット民族、レーマン人とアイヌ、琉球民族がともにYAPの遺伝子をもっています。
 アリゾナ大学の宝来聡教授の研究では、アイヌの88%に、YAPが見られました。
 そして、日本の男性の遺伝子にある特殊なYAPは、現在、釈迦族、イスラエル人(ヘブル人)で発見されています。
 これらの民族は共通にもつ遠い先祖が同じイスラエル人ですが、途中で枝分かれしたことを示します。
 遺伝子距離が少し遠いのです。
 これは太平洋ルートとユーラシア大陸ルートの違いを示しています。


      914vn35
 
 東日本に住んでいた縄文人のアイヌは、アメリカから太平洋を循環して東日本側に移住してきたことが判明しています。
 そして、アイヌと琉球民族は、同じYAP型遺伝子でも違っていることが分かっています。
 遺伝子距離から、琉球民族はアイヌとは別の時期に西日本側に渡来した古代アメリカ人の末裔と判明します。
 クマソを含む弥生人が西日本側に住んでいたからです。
 そして、クマソはやがてヤマト民族に追い詰められて沖縄へと向かうことになりました。

 アフリカでも同じ特殊なYAPが出てきました。
 紀元前10世紀ごろ、栄華を誇ったソロモン王にアフリカからシバのシバの女王が訪れたと旧約聖書に記されています。
 シバの女王はソロモン王の知恵と知識に感銘し多くの貢物を差し出して帰国しました。

 シバの女王が治めていた場所は不明ですが、紅海の南端に近いアラビアのサベアという所から来た女王です。
 現在のアラビア半島、イエメン共和国エチオピアとされています。
 当時周辺諸国に行き渡っていたソロモンの名声を聞いて、エルサレムに上ってきました
 これが、YAPと関係があります。
 エチオピアでは、ソロモン王と女王の間に男子が生まれ、その子がエチオピア帝国の始祖メネリク1世になったと伝えているからです。
 それが事実なら、父親から男子にしか継承されないYAPが、アフリカの男性から発見されてもおかしくありません。


 ソロモン王はその豊かなのにしたがってシバの女王に贈り物をしたほかに、彼女の望みにまかせて、すべてその求める物を贈った。
 そして彼女はその家来たちと共に自分の国へ帰っていった。 (列王上 10:13
 
 シバの女王がソロモン王に子宝を与えて欲しいと願った場合、何でも与えると約束したソロモン王に拒否はできなかったでしょう。
 まして、シバの女王はイスラエルの神を信じたと記されているため神の前で結婚したとも推測できます。


 あなたの神、主はほむべきかな。
 主はあなたを喜び、あなたをイスラエルの位にのぼらせられました。
 主は永久にイスラエルを愛せられるゆえ、あなたを王として公道と正義とを行わせられるのです」。 (列王上 10:9
 
 つまり、シバの女王は改宗しソロモン王の妻の1人になった可能性が出てきます。
 古代においてモーセも多くの政略結婚をしていたと記されています。

 そして、エチオピア人のお辞儀は日本人のお辞儀にそっくりで、エチオピアの音楽も日本の歌謡曲に似ていて演歌と同じでこぶしがあるのです。
 つまり、エチオピアはイスラエル人の文化の影響があるのです。 
 
 中央アジアで特殊なYAPの持ち主が、多数発見される可能性もあります。
 とくに「~スタン」とよばれる国のアジア系民族は、昔からヘブル人の末裔とされてきたからです。

 
      YAP+

 このグラフは、アメリカの自然人類学誌(American Journal of Physical Anthropology)に、1977年に掲載された「Y染色体の印をもつ者とベーリング海峡からの分散(Y Chromosome Markers and Trans-Bering Strait Dispersals)」という論文にある図。
 半円の黒の部分がY染色体のDNA塩基配列で、YAPをもっている人の割合を示しています。



  ATLウイルス
 
 ウイルスの言葉は、ラテン語の「毒」という言葉が語源となっています。
 ウイルスは、タンパク質からできた殻に核酸(DNA、RNA)が詰め込まれただけの、非常に簡単な構造をしています。
 ウイルスの大きさは、20~970nm(ナノメートル:1mmの100万分の1)であり、細菌の大きさの1~5μm(マイクロメートル:mmの1000分の1)より小さいことが分かります。
 ほとんどのウイルスは300nm以下と非常に小さく、電子顕微鏡でないと見ることはできません。 

 「HTLV-Ⅰ」という血液中のウイルスを保有しているかどうかによって、日本人の起源を探る研究もあります。
 HTLウイルスには、HTLV-Ⅰ型とHTLV-Ⅱ型がありますが、日本にはHTLV-Ⅰがあります。

 成人T細胞白血病患者の出身地は、約7割が九州で、約1割が北海道・東北、約1割が中国・四国地方に集中していました。
 キャリアも同様で、アイヌや琉球民族、クマソには2から3割もいることが明らかになったのです。

 中国や朝鮮では、東アジアの周辺諸国ではほとんどキャリアはいなく、アフリカ、パプアニューギニアの先住民、ミクロネシアメラネシア、アメリカの先住民に、多くのHTLV-Ⅰのキャリアがいます。
 
 ATLウイルスキャリアは、先住民であり、古代アメリカから太平洋をへて渡来したニーファイ人、レーマン人です。
 ATLウイルス・ノンキャリアは、のちにユーラシア大陸から渡来した人々です。

 新たな渡来者によって先住民は北と南へ追いやられ、その結果としてアイヌと沖縄にATLウイルスのキャリアが高頻度に残ることになったのです。

 ATLウイルスは、南アメリカのインディオにもあります。
 愛知県癌センターの田島和雄博士によるHTLVの感染者の分布を調べた研究があります。
 田島博士による調査の結果、南アメリカ、アンデスの高地民族の人々HTLV-Ⅰウイルスに高率で感染していることが分かりました。
 HTLV-Ⅱウイルスは、ラテンアメリカの多くの地域で発見されていますが、HTLV-Ⅰウイルスに感染しているのは、アンデスの人々だけでした。
 田島博士は、日本列島の太平洋岸(沖縄・鹿児島・高知県足摺岬・和歌山・北海道)の現在の住民に分布するHTLV-Ⅰウイルスと同一のウイルスが、南アメリカ北・ 中部山地のインディオの中にも濃密に発見されたので、南アメリカのインディオたちと縄文人は民族的に兄弟ではないかと述べています。
 
 田島博士によるとHTLV-ⅠウイルスはDNA配列の違いによって5種類に分類されますが、アンデスで発見されたウイルスは日本と同じ太平洋型に分類されます。
 この点についても、田島博士の研究グループは1999年に約1500年前のミイラの骨髄からHTLV-Ⅰウイルスを発見したことにより、感染がコロンブスのアメリカ大陸発見以前の古代の出来事だったことを明らかにしています。

 また、北里研究所の西岡久寿弥博士による「B型肝炎ウイルスキャリア(HBs型)」の医学的調査で、HBs型のウイルス・キャリアが、アイヌとクマソと北米アメリカ大陸のインディアンがほとんどそっくりで、段違いに多く存在していることが判明しています。



  JCウイルス
 
 東大の研究グループが、JCウイルスというウイルスについて調査した結果があります。
 JCウイルスは多くの人が保有していて、ある重大な病気を起こすこともありますが、通常の免疫をもっている人の場合は発病しないことが多く、また人種によってもっているJCV型が異なります。
 JCウイルスは、他人に感染することはありませんが、出生時の膣内感染などにより母親から子にだけ感染して受け継がれます。
 この特徴を利用して世界中から多くの検体を集め日本人の系統を分析します。
 JCウイルスはグループの定義のし具合にもよるでしょうが17の群に分類されます。

 西南日本には中国北部で高頻度のCYタイプが、東北日本には国外では朝鮮とアメリカ先住民にあるMYタイプが、それぞれ高頻度です。

 アイヌの一部が東北シベリア先住民やエスキモーから検出されるJCV型を有しています。
 これは、アイヌとエスキモーが混血しているということです。

 東京大学の余郷嘉明医科学研究所助教授、北村唯一医科学部助教授らの研究グループの調査では、人間の腎臓に存在する「JCV(ヒトポリオーマウイルス)」で、秋田市には日本国内にほとんどない白人特有の「EU亜型(Eu-a2(JK))」が17%もありました。

         5577880132

 秋田県には、瞳の色がブラウンやブルーの人がいます。
 白人のコーカソイドとの混血もあったと思われます。
 また、秋田市は血液型も白人に多いB型の割合が日本一です。
 ウラジオストクナホトカ辺りから冬の季節風で日本海から秋田に漂着します。
 江戸時代の文献にも、ロシア人が秋田県に漂着しそのまま移住したという記述があります。
 そして、昔は日本海沿岸からシベリア沿岸から朝鮮半島の渡航ルートがあり、ロシア人やヨーロッパ人が秋田に住み着いたという説もあります。

 そして、秋田犬北海道犬の血液型は、ヨーロッパ系の犬と同じくすべてA型であり、東洋の犬のようにG型の犬は存在しません。
 ヨーロッパ犬は船で白人とともに移住したのでしょう。

 秋田県は奥羽山脈や白神山地、出羽山地など山に囲まれた土地で、冬は豪雪地帯で、江戸などの主要拠点からも離れていたので、秋田は新たに日本のはかの地域の人が流入してきて住み着く土地ではありませんでした。
 そのため、白人の遺伝子が受け継がれてきたのでしょう。



  Gm遺伝子
 
 「Gm遺伝子」はヒトの血液細胞に含まれる抗体遺伝子で、民族によってその種類分布に特徴があります。
 
      fig_2

 大阪医科大学の松本秀雄教授は、世界中の人々のGm遺伝子を調査し、分析結果を円グラフにして、地図上に配置してまとめました。
 これを見るとモンゴロイドの広がりが一目瞭然で、松本教授によれば、渡来系の形質をもつ日本人の大部分は大陸から来た民族で、その故郷はバイカル湖周辺にあるという結論を出しました。
 
 抗体を形成する免疫グロブリンのアミノ酸を決定する遺伝子(Gm遺伝子)をマーカーとし、その頻度は民族ごとに固有の値となるという仮定に基づき、調べた結果、日本人の1つの起源はバイカル湖の東岸でした。

 また、反対に北海道や沖縄の人々、縄文系の遺伝子を色濃くもつ人々のGm遺伝子と似ているのが、実はアメリカ大陸のインディアンやインディオなのです。
 アイヌや琉球民族は、Gm遺伝子からも中国人や朝鮮人よりも、はるかにインディアン、インディオたちと近い民族です。

 そして、黒耀石(こくようせき)の矢じりに対する屈折率の検査により、津軽海峡圏に最も分布する黒耀石の矢じり(北海道赤井川産、札幌と函館との間)が、ハンカ湖(黒流江の支流の淵源)やウラジオストク周辺の遺跡から、多数出土していることが判明しました。
 そして、篠田謙一の研究によると縄文文化の茨城県や千葉県出土の縄文人の化石人骨から採取されたmtDNAは、ブリヤートの人々と共通の因子があるとされます。
 つまり、縄文文化圏にもいたエスキモーは、バイカル湖周辺のエスキモーと同様なのです。

 また、遺伝子的な問題で注目したいのが肥満遺伝子です。
 その名のとおり肥満になりやすい遺伝子で、栄養を体内に脂肪として蓄える能力に優れた機能をもつための遺伝子で、40以上の種類が確認されていて、その内の、β2アドレナリン受容体脱共役タンパク質(UCP)1の3種類を日本人は所持しています。

 モンゴロイドは他人種より肥満になりやすく、内臓脂肪をため込む遺伝子を他人種より2~4倍と高頻度にもつからです。
 内臓脂肪からは身体の代謝機能に影響するさまざまなホルモンが分泌されるため、糖尿病動脈硬化症の進行が加速します。

 1995年、インディアンのピマ族に、遺伝子が突然変異したβ3アドレナリン受容体が見つかり、この遺伝子変異をもつ人は肥満や糖尿病になりやすいことが発表されました。

         lipose_cell

 β-3アドレナリン受容体は、肥満体質に関係する主要な遺伝子で、日本人の3人に1人(34%)が太りやすいタイプの遺伝子をもっています。
 食事でとったエネルギーは、身体の維持のための「基礎代謝」、家事や歩行や運動などの「生活活動代謝」、食事をしているときの「食事誘発性体熱産生」で消費されます。
 食事でとったエネルギーが消費するエネルギーより多い場合、余ったエネルギーは白色脂肪細胞(単胞性脂肪細胞)に脂肪として蓄えられます。
 脂肪の貯蔵は体温の維持や運動などのために必要な物ですが、必要以上に脂肪がたまった状態を肥満というわけです。
 一方、脂肪を燃焼する場合は白色脂肪細胞に蓄えた脂肪が遊離脂肪酸となって取り出され、褐色脂肪細胞(多胞性脂肪細胞)で熱産生に使われます。
 つまり、脂肪細胞には2種類があり、「白色脂肪細胞」は脂肪の貯蔵や取り出しを行い、「褐色脂肪細胞」は脂肪の燃焼を行っているというわけです。
 脂肪の貯蔵や燃焼を行う白色脂肪細胞や褐色脂肪細胞ですが、その働きはそれぞれの細胞の表面にあるβ-3アドレナリン受容体で調節されています。
 β-3アドレナリン受容体にノルアドレナリンというホルモンが結合することで白色脂肪細胞から遊離脂肪酸が取り出され、褐色脂肪細胞で脂肪燃焼が行われるのです。
 つまり、「β-3アドレナリン受容体」は脂肪の取り出しや燃焼を行うように働きかけるので、肥満を防ぐ方向に働くのです。

 肥満遺伝子を多くもっているのが、エスキモーとメキシコなどに住んでいるインディアンのピマ族と日本人なのです。
 インディアンは北アメリカ大陸でエスキモーと生活領域を接していたことから交流があったと想像できます。
 同様のことが日本でもあった可能性が高いです。
 遮光器土偶が東日本に広く分布するということは、北方から来たエスキモーと南方系のアイヌが合流し互いに縄文文化をはぐくんでいったことを示しています。


 実際、現在の東北地方出身者の顔を見ると、彫りの深いアイヌ系の顔立ちの人とは別に、一重まぶたで丸顔の新モンゴロイド系の顔立ちの人を見かけます。
 彼らは、きっとイヌイットの遺伝子を受け継いでいる人たちなのです。

 欠失(けっしつ)とは、染色体またはDNAの塩基配列の一部が失われることで多くの遺伝病の原因の1つです。
 欠失をもつ人の多い地域ほど濃い青色です。

           14807308 
 
 ポリネシアとニュージーランドでは100%近くの人々がこの欠失をもち、ラピタ文化の範囲と重なってきます。
 日本、中国、東南アジアの人々の場合は約30%がこの特徴をもち、オーストラリアとニューギニア高地にはこの欠失がありません。



  入れ墨
 
 入れ墨は、皮膚に刺し穴をあけ刺し穴に消えない墨を入れることによって作るしるしや図柄です。
 この行為は神聖な人間の体を汚すことであり、目立たない所に血液型や認識番号を.書き込むことを除いて、容認されるべきではありません。


 死人のために身を傷つけてはならない。
 また身に入墨をしてはならない。
 わたしは主である。 (レビ 19:28

 入れ墨をした人は、神殿の儀式や祝福を否定されることはありません。
 
 中国やモンゴルに入れ墨文化はありませんが、太平洋の台湾や南のボルネオニューギニア付近一帯には、現在も入れ墨文化が残されています。
 その海域の島々だけでなく、バリ島インドネシアマレーシアにかけた一帯にも昔から入れ墨文化がありました。
 さらに、アイヌや沖縄でも最近まで行われていた風習です。
 南太平洋にあるマルケキーズ諸島の入れ墨をした戦士ですが、ここでは顔、胸、背、腹、手、脚、のほか、唇、瞼、歯茎までも入れ墨をするので有名でした。

 南洋文化圏に属する国や島には、入れ墨の風習があったのです。
 ニュージーランド(マオリ語で翡翠の水の意)には先住民のマオリの入れ墨の複雑さは飛び抜けており、とくに特徴的なのは渦巻き模様で酋長の入れ墨は手が込んでいました。
 
    maorik
 
              manmoko
 
       maxresdefault

 マオリの女性は、口の周りに入れ墨をしていました。
 マオリにとっての入れ墨は神話に基づく彼らの過去とのつながりや、彼らの祖先の特徴を物語るものといわれています。
 そのデザインは各地域の神の像に施されたカービング(渦巻き)のパターンを模倣しているといわれ、入れ墨が自分の家族の起源、強いては地域上、歴史上の一族の情報を記録しているとされます。
 入れ墨のパターンは渦巻きが主流で、男性は顔や臀部からももにかけて、女性は顎、唇、鼻孔と限られた体の部分に施されるのが普通でした。

 『魏志倭人伝』には邪馬台国の民も入れ墨をしていたと記されていて、アイヌも入れ墨をしておりアイヌの女性も最近まで口もとに入れ墨をしていました。

              irezumi
 
          201312081
               東日本の縄文人
 
 アイヌの入れ墨は、カリフォルニアのインディアン独特のパターンと同じで、とくに北部ユキ族の入れ墨のパターンと一緒です。
 ユキ族の入れ墨は、頬部を中心に文様を描き、そのほかの地域のインディアンは口許から顎にかけての部分だけに入れ墨がされています。
 そのユキ族の入れ墨の仕方が、縄文文化の土偶の入れ墨と共通点が多数認められます。

       Ainu Tattoos
            アイヌの女性

          440801649 
 画像は、左上 アイヌ  右上 台湾  左下 アメリカ・インディオ  右下 インカ
 
 
 アイヌや琉球民族、クマソは、当時は海洋民族でした。

 大きな文化集団を単純に「海の民」「山の民」と分けることはできませんが、これまで「山の民」としての縄文人の側面のみが強調されてきました。
 しかし、実際の縄文人は海の民で海洋とのかかわり合いが深い文化を備えていました。
 
 『魏志倭人伝』に倭人に関する記述から見てみましょう。
 
 ・ 好んで魚やアワビを捕え、水は深くても浅くても皆潜って採る。
 ・ 倭の水人は、好んで潜って魚やハマグリを捕え、体に入れ墨して大魚や水鳥の危害を払う。
 
 ここで倭の水人(倭水人)と書かれていて、当時の中国では明らかに倭人のことを海洋民族としてとらえています。
 そして、倭人の男性は、顔や体に入れ墨をしていて最初は大魚や水鳥よけでしたが、のちに飾りになり所属や身分により違いがある入れ墨になったとあります。

      5685697u
 
 1.香川県善通寺市の仙遊遺跡出土 2.愛知県安城市の亀塚遺跡出土 3.茨城県下館市の女方遺跡出土
 
 マヤ人やクマソ、琉球諸島の人々、アイヌたち、台湾の高砂族、東南アジアの少数民族の女性たちは、どの民族も結婚の前に入れ墨をする習慣があり、その場所も指先から手の甲にかけて同じ箇所に彫られ文様もよく似ています。

        149819818

 アイヌの女性は、手の甲だけでなく口の周りにもかなり派手な入れ墨をしていました。
 アイヌでは結婚する前12から16歳くらいに入れ墨をするのが習わしとなっており、入れ墨をしないと周囲から一人前の女性とみなされず結婚することも儀式へ参加することも許されなかったようです。

 沖縄や琉球諸島でも「針突き」とよぶ同じ習わしがありました。
 呼び方は島によって異なり、奄美大島ではハズキ、沖縄本島ではハジチなどとよんでいました。

 1719年に沖縄を訪れた徐葆光(じょほこう)の『中山伝信録(ちゅうざんでんしんろく)』には、この地の女性は15歳で針突き模様を完成すると記されているので入れ墨をする年齢もアイヌとよく似ていたことが分かります。
 また入れ墨をする理由については 、琉球諸島では入れ墨をもたない女性は次の世に行けないという信仰があったようですが、アイヌも同様な来世観をもっていてほとんどすべての女性が入れ墨をしていたようです。
 なお琉球諸島の針突きは1899年(明治32年)に「入れ墨禁止令」が出されたのち、風俗改良運動が進展する中で次第にその習性が消えていきました。
 
       China_2b2-zh-classical

 では銅の生成技術に優れており、『荘子』逍遥遊篇によると、当時の越の人々は頭は断髪、上半身は裸で入れ墨を施していたといいます。
 『墨子』公孟篇や『史記』越王勾践世家などにも同様の記事が見られます。

              Yue_statue3

 越族または百越は、主に江南とよばれる長江以南から現在のベトナムにいたる広大な地域に住んでいた、越諸族の総称です。
 越族は、ハプログループO1b系統に属していたとされます。
 O1b1a1とO1b2は長江文明の担い手であったが、長江文明の衰退にともない、O1b1a1および一部のO1b2は南下し百越とよばれ、残りのO1b2は西方および北方へと渡り、山東省、朝鮮半島、日本へ渡ったとされます。
 O1b1a1aオーストロアジア語族と関連しています。
 O1b1a1系統と姉妹関係のO1b2系統(倭人)が日本に多く見られることは、日本語とオーストロアジア系クメール語の語彙類似性が高いとするデータとも符合します。 (安本美典 1991 『日本人と日本語の起源』)

 と越は、ともに中国の南西部にあった国で、漁民は文身断髪をしていたことが中国、(みん、紀元1368年‐1644年)の参考図書『事物起源』に記されています。
 呉と越の漁民は皆南方系の人々で倭人と非常に近かったと考えられ、とくに越は倭と同じく「ヲ」と発音します。
 小倉貞男は著書『物語 ベトナムの歴史』(中公新書 1997年)で、「ベトナム人はどこから来たか」という問題に関して、中国の史書によると、ベトナム人は中国南部から移住した民族との説を紹介しています。
 「ベトナム人は紀元前6世紀に、現在の中国浙江省の北部を占めていた越から出た。
 この国の住民は、原始ベトナム人と同じように身体に刺青を施し、頭髪を刈る習慣があった。」
  
  4 沖縄の線刻石板と海底遺跡 2/2

 
  ナン・マタール遺跡

 パラオ諸島の最大の島のバベルダオブ島には、ケズとよばれている巨大石造テラス状の人工の丘が多数存在します。

           reP1010785
      
 南太平洋にあるポンペイ島には、無数の人工島と縦横に走る運河があり、玄武岩質の石柱を組み合わせた石造都市のナン・マタール遺跡があります。

 1本の柱が5t~60tもある石柱で、近年になって珊瑚におおわれた街路や石門が海底から発見されています。
 この付近、半径2400km以内の島々には、人口が5万人足らずしかなく彼らがこれを集まって作ったと考えるのは不可能です。
 ここももっと昔に海面がより低い位置にあり、陸地がもっと広くて組織的に動員できる文明があったと考えられます。
 発掘調査の成果によるとナン・マタール遺跡の中で最も古い「石組みの年代」を示すのは、紀元600年ごろです。
 重い物で10~12tにもなる天然の玄武岩を削ることなく巧みに積み重ねていきました。

 伝説では、空より降りてきた2人の使いが杖を使い石を浮かして移動させ製造したという伝承があります。
 プラズマが使用されたのかもしれません。
  
 バヌアツとポンペイ語が言語学上非常に似ていることから、メラネシアの中でもバヌアツ周辺からナン・マタールの祖先である人々が来たと推測されています。



  沖縄に伝わる縄文字

 沖縄には大昔から「縄文字」という不思議な文字の習慣がありますが、これは「結縄(けつじょう)」ともいわれ、現在でも石垣島の一部で縄文字が残されています。
 垂れ下がる本数の違う細縄、折り曲げが違う細縄、さらに結び目の数が違う細縄、それが琉球民族がもつ縄文字です。
 この縄文字は、沖縄の質屋などで1945年ごろまで使われていた数や名前の記録法で「ワラ算」があります。
 ワラ算は、文字を知らない民衆の日常取引での数量の記録や計算に用いられましたが、とくに納税事務には不可欠の手段でした。
 「ワラ算」は「キープ」が起源です。
 「キープ」とは、インカ人が納税などの際に細紐を使ってその計算や記録を行った紐状の記録メディアです。
 とくに文字をもたなかったインカ人は、トウモロコシの実を用いて計算を行い、その結果を長い細縄に吊るした羊毛の紐に結び目を作り、結び目の数で税金、支出、人口などの数字を記録したのです。
 インカ文明には、結び目を計る「偉大なる会計官」という役職があったほど縄文化が発達していました。
 さらに、縄文人も「縄文化」をもっていたことが分かっています。
 縄文土器は縄を斜めに転がしてつける縄目模様で知られますが、縄に結び目を付けて転がして付ける縄目模様があります。
 これは、インカのロープ記号や沖縄の縄文字と共通する物で結び目を数個並べることもあり、それを転がして独特の縄目模様に仕上げるのです。
 これはある意味では、縄文字(あるいは縄記号)を土器に転写していたことになります。
 つまり縄文土器の中には、記号や数字の意味を表す「表意土器」があった可能性を示唆し縄文人は縄記号をもっていたことになるのです。
 
 そして、縄文化の1つに、紐を自由に扱いある形にする「あやとり」があります。
 主に子供の遊びですが、このあやとりが太平洋の全域に存在しているのです。
 イースター島でも例外ではなく、日本の子供のように1本の紐を上手に扱って遊んでいます。
 つまり縄や紐で情報を伝え合う風習の中に子供のあやとりが誕生した可能性があります。
 あやとりの原型が、一種の文字(記号)伝達のための手段だったことは、漢字で「綾取り」と書き「綾」の漢字は「文」の意味をもつことからも判明し、「綾取り」は「文を取る」つまり「文章を受け取る」意味となるのです。
 ヤマト民族は、あやとりに「綾取り」の字を充てた段階から、その意味を十分に知っていたて、アイヌやクマソが縄文字を使い数字や文章を伝え合いヤマト民族を手こずらせていたのです。

 世界中に二十進法を使う言語があり、マヤの言語が有名でそのほかにもアイヌ語などがあります。

 メキシコのチアパス州の奥深いジャングルに、今もなお昔ながらの習慣を守って生活するマヤ人の末裔のラカンドン族が暮らして、邪馬台国の人々が着ていた貫頭衣を今でも身に着けています。

               31544

 京都八幡市の内里八丁遺跡は、水田に棒で地に穴を開け種をまく穴あけ農法です。
 ラカンドンの人々のトウモロコシ農耕も棒で地に穴を開け種を撒きます。

        245374

          ainu

 狗奴国(くなこく)のアイヌの人々は、インカ文明からの太平洋の民族の特徴である渦巻き模様の着衣を身につけ、東北日本側を中心とした縄文文化圏を築いていました。

      3434kk

      ainuN6J4

 また、カリフォルニアのインディアンのドングリの食べ方は、縄文人と同じです。

 アイヌの風俗や風習ととても似ているのが、カナダにいるインディアンのトリンギット族です。
 トリンギット族の民族衣装はアイヌと似ています。

           139913
                トンギット族の衣服

       amip11
                  アイヌの衣装
 
      jomon     13558b51
          縄文人の服装            上 アイヌ 下 シベリアの先住民

 縄文土器の文様には、アイヌの衣装に描かれる模様(アイヌ文様)との類似性があり、シベリアの先住民とアイヌに共通するデザインをもっています。
 また、環太平洋のマオリなどの入れ墨の柄にも影響されています。

 文化人類学者・考古学者の小山修三は、カナダ・インディアンの民俗を研究し、そこから得た学説を縄文の研究に応用したことで高い評価を得ましたが、まさに的を射ていました。
 縄文文化の主体がアイヌだったとすれば、そのルーツであるインディアンの文化と共通性があって当然なのです。
 
 縄文文化の人々は、なめし皮や手編みの着物も身に着けていました。
 髪型も伸び放題のボサボサ髪ではなく、さまざまなデザインのマゲや結髪をしていたことは、土偶からも分かります。
 装飾品の工芸技術もレベルが高く、イヤリング、ネックレス、櫛など、さまざまな飾り物を作っていました。


      0360598380
         青森県の亀ヶ岡遺跡の土偶からの髪型
          
        0222535944
         青森県八戸市の南東部の是川中居遺跡 縄文の赤漆塗りの櫛
 
         47354hj
         鹿角製櫛 青森県東部の二ツ森貝塚出土

        457666dsa

           koyama-38
 
 そして、今も北海道の海岸線にアイヌ語の地名が残っています。
 アイヌやクマソは沖縄の人々と同じ漁業民族です。
 神武天皇の時代から、ヤマト王権に従わない人々は今の北海道と沖縄に追いやられました。
 そして、明治政府が漁業権を得るために、アイヌを山奥へ移したのです。
 アイヌの風俗はマオリ的です。
 

          269921

 アイヌのイクスパイ(酒ベラ)神儀の道具は、マオリの細工物の模様と同様です。

 アイヌは、額にかけた紐で背中の荷物を吊るタラという背負い紐があり、ニエシケという背負子も額にかけた紐のみで支えます。

         hakobikata
         A 北米インデアンの例   B アイヌの例 下は運搬用編み紐

              955371030
                ラカンドンの荷物の運び方

 インディアンのナバホ族の言葉では遠くを「アッチ」、近くを「コッチ」といいます。

 東日本には古代アメリカからのレーマン人が移住し、西日本にはニーファイ人が移住し敵対していました。

  モルモン書とDNAの研究