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 天照大神イエス・キリストです。

  男神天照大神

 記紀を注意深く読めば、天照大神には女神に似つかわしくない表現があります。
 たとえば、天照大神が誕生する場面です。
 イザナギをしたとき、天照大神は月読命スサノオとともに生まれます。
 この3人の神を指して、イザナギ命は「三の貴の子」「三貴子」とよんでいます。

 「貴子」とは、古代において、男性に使う言葉です。
 女神である天照大神を指す言葉としては適当ではなく、女性なら「子」ではなく「女」で「一貴子」ではなく、「一貴女、二貴子」と表現すべきなのです。

 天照大御神は、イザナギから生まれた男神です。
 イザナギはアダムですので、その子孫であり、つまり人であり男神であるのはイエス・キリストしかいません。 (参照 イザナギ・イザナミ

 
 本来は天照大神は男神でしたが、どこかで改竄されたのです。

 記紀が編纂される紀元8世紀以前に成立した神社では、日本書紀にある天照大神の別名である大日靈貴神 (オオヒルメノムチノカミ)、大日孁尊(オオヒルメノミコト)をまつった所は1つもありません。
 今でこそ大日孁貴神を祭神として掲げる神社はありますが、古代においては皆無なのです。
 女神・天照大神の痕跡は、まったく見当たらないのです。
 しかし、その一方で、「天照」の名前を冠した神社は多くあります。
 大三輸(おおみわ)氏の流れをくむ井保家に伝えられた『ホツマツタヱ』は、漢字伝来以前の「神代文字」の1つであるヨシテ文字で書かれていて、全体が五七調の叙事詩で構成されています。
 そして、記紀では女神とされている天照を「アマテル」と称して男神だとしているのです。
 また、アマテルには12人の妃がいるとされていています。
 これは、十二使徒を暗示しているとも考えられます。
 

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 『先代旧事本紀大成経』でも、「天照(アマテル)」と読んでいます。

 秦氏の長、聖徳太子(別名は秦河勝)が製作した『先代旧事本紀』は、記紀に続く第3の国史として、物部氏の歴史が記されている一書とされています。
 偽書説が通っていますが、今は序文以外は偽作ではないとされます。
 『先代旧事本紀大成経』は偽書とされていますが、『先代旧事本紀』と共通する内容で、さらに多くの真理を含んでいて正しい内容も多いです。 (参照

 江戸初期の伊勢外宮の神官の度会延経(1657年‐1714年)は、平安後期の漢学者、歌人であった大江匡房(1041年‐1111年)の書いた『江家次第』という書物は朝廷の公事(くじ)や儀式などを詳しく書いた中に、「匡房の仕えた73代堀河天皇の寛治4年(1087年)11月4日、伊勢に奉幣使(ほうへいし)が立ち、天皇陛下の近侍である蔵人(くろうど)が伊勢大神宮へ臨時に神宝をたてまつるにあたって、天照大神の御装束の内容が男帝の御装束である」と書いてあります。

 また、円空(1628年‐1695年)が彫刻した天照大神像は、男神として彫られていました。
 そして、記紀の「天の岩戸」の神話にちなんだ京都の岩戸山にはそのご神像か飾られているのですが、天照大神は鏡と芍(しゃく)をたずさえた男神の姿なのです。

 天照大神は男神です。

 伊勢神宮について書かれた鎌倉時代の『通海参詣記(つうかいさんけいき)』には、巫女が后(きさき)で、天照大神が夫と記されています。

 男神の天照大神を記紀では「女性」にしました。

 なぜなら、女性の天照大神が作られた時代の天皇家最初の女帝第33代推古天皇、古事記と日本書紀が奏上された第43代元明天皇と第44代元正天皇、さらに記紀編纂にかかわった第40代天武天皇の皇后でもある持統天皇は、すべて女性だからです。

 持統天皇の軟弱な政権基盤を強固にするため、女神の下で統合される日本の形を作ることにしました。
 最高権力者である天皇陛下が女性であることがふさわしいとするため、日本神話の頂点に「女神・天照大神」を仕立て上げたのです。


 記紀が編纂されたのは、紀元6世紀末~7世紀にかけてで、第40代天武天皇の命令によるものです。
 天皇陛下が編纂するのですから、天皇陛下にとって都合の良いものばかりになります。
 天武天皇にとって、自らの王権を正当化するのが目的でした。
 しかし、天武天皇の存命中に、記紀は成立しません。
 代わって、編纂を引き継いだのは天武天皇の皇后です。
 彼女は、第41代持統天皇として即位し積極的に記紀編纂に関与します。

 そして、紀元691年に大神神社と石上神宮の古文書を没収し、同時に16の豪族に系図をすべて提出させ、そのまま闇に葬りました。
 その理由は、持統天皇と天武天皇との間にできた子供の草壁皇子を天皇陛下として即位させることでした。
 本来なら天武天皇を継ぐのは、草壁皇子でしたが、天武天皇が崩御したときに草壁皇子は若すぎたので、天皇陛下として即位するには無理と判断したゆえ、中継ぎという意味で持統天皇が即位したのです。 
 ところが、事件が起きます。
 草壁皇子が即位する以前に死んでしまったのです。
 困った持統天皇は、やむなく草壁皇子の息子の軽皇子を指名し、第42代文武天皇として即位させることにしました。

 持統天皇からすれば文武天皇は孫です。 
 歴史的に、これは初めての祖母から孫への皇位継承です。
 天照大神には持統天皇が投影されていて、持統天皇から孫への皇位継承は天子降臨ではなく「天孫降臨として神話のの原型となったと考えられます。
 つまり、はるか神代の時代に祖母から孫への権威委譲があったなら前例となるので、持統天皇は「天孫降臨神話」を創作したのです。

 まず天照大神を女神としました。
 神々の頂点に立つ天照大神が女神ならば、そのまま女帝である持統天皇を投影できます。
 天照大神のオシホミミは、草壁皇子です。
 本来ならそのまま降臨して地上を治めるはずでしたが、子供に任務を譲ります。
 これは若くして死んだ草壁皇子と、その子供で代わって天皇に即位した軽皇子が投影されているというわけです。

 こうして、天照大神が男神から女神、「天子降臨」は「天孫降臨」へと改竄されました。

 紀元712年に『古事記』、紀元720年には『日本書紀』が編纂され日本神話が構築され、今日にいたっているのです。
 持統天皇の改竄を、多くの人は犯罪だと思うでしょう。
 しかし、それは表面的な判断です。
 持統天皇には強力の藤原不比等(ふじわらのふひと 紀元659年‐720年)がいました。
 藤原不比等は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけて、権力を持っていた政治家です。
 不比等の名前は「ほかに比べることができる者がいないほど優れている」というような意味です。
 天智天皇寵臣、聖徳太子である秦河勝の息子である藤原鎌足の次男です。

 藤原不比等こそは、記紀神話を最終的に完成させた黒幕です。

 紀元701年、不比等は刑部親王とともに律令制度を定める「大宝律令」を完成させ、708年に右大臣となってさらに権力が増しました。
 そののち、長女の宮子を、第42代文武天皇に嫁がせ、第45代聖武天皇を産ませたのち、次女の光明子を聖武天皇に嫁がせ、権力を増しました。
 こうして不比等は、第41代持統天皇、第43代元明天皇、第44代元正天皇と女帝のもと着実に実権を握り続け、717年には不比等大政権を確立しました。

 記紀神話は、政治的背景によって形成されました。
 この策は徹底していて、それまで伊勢神宮の祭祀全般にかかわり、神主職だった渡会氏を、外宮の豊受大神だけの禰宜に降格させ、代わって中臣氏系の荒木田氏を伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の禰宜に任命して、過去の知識を封印しました。
 藤原不比等の父の藤原鎌足は、原始キリスト教の真理を深く理解していてた数少ない人です。
 藤原不比等は、表向き主人公が男から女に子供が孫にと物語自体が大きく変わっても本質は変わらないようにしました。
 そして、相応しい人が見れば本質は理解できるようにしたのです。

 日本神話が後世にまで残るために仕組んだトリックはすべて解くために仕掛けたものです。
 隠した目的は、末日に日本人が改宗するきっかけになるためです。
 


  天岩戸神話
 
 記紀神話において、この天岩戸神話とは天照大神の弟スサノオが高天ヶ原にやって来ることから始まります。
 邪心がないことを誓ったスサノオでしたが、姉の天照大神が擁護してくれるのを良いことに次々と悪さをし、高天ヶ原で暴れ回ります。
 天斑馬(あめのふちこま)を機織りの小屋に投げ入れたことが原因で怪我をしたと天照大神は激怒し、天岩屋に籠もってしまいます。
 すると、地に暗闇がおおい、死人が現れて大混乱しました。
 困った神々は一計を案じ、お祭り騒ぎを起こすことにしました。
 天岩屋の前に大きな榊(さかき)を立て、そこに八咫鏡(やたのかがみ)を吊るしました。
 そして、常世の長鳴鶏(とこよながなきどり)が鳴きました。
 準備が整ったところで、天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が裸踊りをすると、これを見た神々が大笑いをして大変な騒ぎとなりました。
 騒動が気になった天照大神は、何事かと少し岩戸を開いて外を覗きました。
 天宇受賣命はすかさず駆け寄り、あなたよりも尊い神が現れたので皆で喜んでいますと告げ、天児屋命(アメノコヤネノミコト)布刀玉命(フトダマノミコト)が八咫鏡を差し出しました。
 天照大神は鏡に映った自分の姿を見ました。
 そして、天手力男神(あめのたちからおのかみ)が岩戸を開けると、中から天照大神が出てきて続いて天児屋命が入り口に注連縄(しめなわ)を張り再び入れないようにしました。
 かくして再び高天ヶ原に光が戻り平和が訪れたといいます。
 
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 神話として創作されていますが、分析するとイエスの死と復活の場面が浮かび上がってきます。

 
 
 
 


 天照大神は、天岩屋に隠れました。
 「隠れた」という表現は、天皇陛下が死んだときに使用する表現です。
 天照大神が天岩屋に「隠れた」とは、天照大神が「死んだ」ことを意味するのです。


 常世の長鳴鶏(とこよながなきどり)が鳴いたとは、以下のように解読できます。
 
 傑にされる前夜、イエスは十二使徒を集めて最後の晩餐をします。

 
 

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 伊勢神宮や熱田神宮に行くと、境内の片隅、多くは樹木の上に鶏がいます。
 
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 伊勢神宮は20年に1度、遷宮(せんぐう 移動)します。
 この「式年遷宮」の際、儀式の始めに宮司が鶏の鳴き声を3回します。 (遷宮 参照

 天照大神が天岩屋に籠もったとき、困った神々が集めた物の1つに鶏があります。
 正式には「常世の長鳴鶏」といい、思金神(オモイカネノカミ)が集めて天岩戸の前で鳴かせました。

 常世の長鳴鶏のルーツは、大管長(預言者)だったペトロに起こった出来事にあります。
 十字架刑に処せられる前夜に使徒ペテロはイエスを知らないとうそをつき、その際に前もって預言されていたとおり鶏が鳴きました。

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 弟子たちはイエスが命じられたとおりにして、過越の用意をした。
 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。
 そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
 弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。
 イエスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。
 たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
 イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。
 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
 あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。
 彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。
 そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。
 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。
 するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。
 イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。
 ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。 (マタイ 26:19-35

 人間とは弱く、イエスが軍隊に連行されていく様子を目の当たりにして、ペトロは、すっかりびびってしまい言葉遣いが同じだと詰問されるにおよんで、思わずこう答えました。


 ペテロは外で中庭にすわっていた。
 するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。
 するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。
 そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。
 しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。
 彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。
 ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。 (マタイ 26:74-75

 天照大神が死んだときに鳴いた鶏は、イエスが傑にされる朝に鳴いた鶏のことだからこそ、天照大神をまつる伊勢神宮には、鶏がいるのです。
 
 
 オモイカネは、『古事記』では思金神、常世思金神、『日本書紀』では思兼神、『先代旧事本紀』では思金神、常世思金神、思兼神、八意思兼神、八意思金神と表記します。
 高皇産霊尊(タカミムスビ)の子とされますが、常世の神とする記述もあります。

 神道の指導者組織の八咫鳥(やたがらす)の中心地だった京都の『山城国風土記』には、高御産巣日神のことを天照高彌牟須比命(アマテルタカミムスビノミコト)とあります。
 高皇産霊尊とは、イエス・キリストが地球に肉体を得て降誕する前の霊体だけだったころのヤハウェです。

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 キリストの子とは、イエス・キリストの福音を受け入れた人のことです。
 
 名前の「おもひ」は「思慮」、「かね」は「兼ね備える」の意味で、「数多の人々の持つ思慮を一柱で兼ね備える神」の意です。
 「八意(やごころ)」は、ヤハウェの意思の意味です。
 オモイカネは、イエス・キリストの意思を預言する大管長であったペテロを表しているのです。

 天児屋命(アメノコヤネノミコト)は、岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱えます。
 「コヤネ」はヘブル語で、コーヘン(祭司)のことで、天児屋命は、大祭司であり儀式を行ったと思われます。
 ヘブル文字で書くと「 כהן 」でカタカナと漢字の「八」の「コ八ノ」に似ていて、コヤノからコヤネに変化したのかもしれません。
 
 天照大神が天岩戸に隠れたときに唱えた祈祷文は、次の10の音からなります。
 
 「ひー・ふー・み・よ・いつ・む・なな・や・ここ・と」

 これは日本語ではまったく意味が分かりませんが、ヘブル語では次のように訳すこともできます。

 ヘブル語発音
 「ヒー ・ フー ・ ミンハー ・ ヨ ・ ヒイツィヴ ・ ムッ ・ ナ ・ ヤ ・ コル ・ツー」

 日本語で訳すとこういう意味に読み取れます。
 「彼女は(ヒー)、彼(フー)。
 ささげ物(ミンハー)のヤハウェ(ヨ)は、置かれて(ヒイツィヴ)死ぬ(ムッ)願います。(ナ)
 ヤハウェ(ヤ)の音(コル)は岩(ツー)なり。」
 
 これは、天岩戸神話の場面を表しています。
 「彼女とされている天照大神は、男性。
 贖いのためにささげ物になったヤハウェ=イエス・キリストは、十字架上に置かれて死にました。
 願います。
 ヤハウェ=イエス・キリストの福音は岩です。」

 「福音」は、イエス・キリストの贖罪によって可能になった神の救いの計画です。
 
 「救い」とは、肉体の死と神の御心では悪を選ぶことである罪(霊の死)から救われることです。
 すべての人は、イエス・キリストの死と復活を通して、神の恵みにより肉体の死から救われます。
 またイエス・キリストを信じる信仰を通して、神の恵みによりの死からも救われ、神のようになる「永遠の命」を得られます。
 
 「」は、堅固な土台であり支えであるイエス・キリストとその福音を象徴的に示します。
 
 
 わたしの福音であるわたしの岩の上に建てなさい。 (教義 11:24
 
 見よ、まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。
 これがわたしの福音である。
 そして、人々はわたしを信じる信仰を持たなければならず、そうしなければ決して救われない、ということを覚えておきなさい。
 この岩の上に、わたしは、わたしの教会を建てよう。
 まことに、この岩の上にあなたがたは建てられる。
 そして、あなたがたが続けるならば、地獄の門もあなたがたに打ち勝つことはない。 (教義 33:12-13
 
 神が人に福音を明らかにされる手段である啓示を示す言葉としても用いられます。

 
 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 (マタイ 16:15-18

 
 天岩屋は、単なる洞窟ではなく岩戸でしっかりと塞がれている密室状態の横穴です。

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 古代において、岩戸付きの横穴は墓のことです。
 天照大神が天岩屋に隠れたとは、天照大神が死んで、横穴式墳墓に埋葬されたことを意味しているのです。

 洞穴に石で蓋をした「天の岩戸」の形状は、イエスが葬られたイスラエルの墓と同じです。

 
 
 

 

 

 
 地に暗闇がおおったとは、実際に起こったことです。


 昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。 (マルコ 15:33

 『モルモン書』には、古代アメリカでは、イエスの死後3日間は実際に暗黒がおおって周りが見えなくなるほどであったと記録されています。


 そして、地の全面に深い暗闇があり、それまでに倒れなかった民がその暗黒の霧に触れると、それを感じることができるほどであった。
 また、暗闇のために光はまったく存在することができず、ろうそくも、たいまつもともすことができなかった。
 また、良質の十分に乾燥した木にも火をつけることができなかったので、光はまったくなかった。
 地の面にある暗黒の霧が非常に深かったので、どんな光も見えず、火も、かすかな光も、太陽も、月も、星も見えなかった。
 そして、光のまったく見えない状態が三日間続き、すべての民の中に大きな悲しみとわめき声と泣き声が絶えなかった。
 まことに、民に及んだ暗闇と大きな破壊のために、民のうめき声は大きかった。
 そして、ある所では民が、「おお、この大変な恐ろしい日が来る前に悔い改めておけばよかった。
 そうすれば、我々の同胞は命を助けられ、あの大きな町ゼラヘムラで焼かれることはなかっただろう」と叫ぶのが聞かれ、また別の所では、「おお、この大変な恐ろしい日が来る前に悔い改めておき、預言者たちを殺さず、石を投げつけず、追い出さなければよかった。
 そうすれば、我々の母も、麗しい娘たちも、子供たちも命を助けられ、あの大きな町モロナイハで埋められることはなかっただろう」と叫ぶのが聞かれた。
 このように、民は大いに、またひどくうめき苦しんだ。 (3ニフ 8:20-25

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 この暗黒の霧は、暗黒プラズマです。 (参照

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 天照大神の岩戸隠れの項を読むと、地から死人が出てきたと記紀神話に記されています。
 これはイエス・キリストの死と復活にともなう大勢の人間の復活を記しています。


 「葦原中国悉に暗し。これによりて常夜往きき。ここに万の神の声はさ蠅なす満ち、万の妖悉に発りき」 (『古事記』「天石屋戸」)
 
 妖(わざはひ)とは地面から出てきた汚れ(=死人たち)のことで、復活と取れば『聖書』と『古事記』は同じことを記しています。

 実際、『新約聖書』には、イエス・キリストの復活後、多くの死人(日の栄えの王国に復活する義人のみ)が復活したと記録しています。


 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
 また地震があり、岩が裂け、また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。
 そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。
 百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。 (マタイ 27:51-54

 天岩屋の前に大きな榊を立て、そこに八咫鏡を吊るしました。
 榊は「神の木」と書き、日本で作られた字で神道用語です。
 榊は「命の木」を意味します。


 神道では、榊を使ってお祓いをします。
 イスラエルでは、古代からヒソプという植物を左右上下に揺り動かして、お清めをしていました。
 ヒソプは、枝葉を横に広げる植物で、榊の枝にも似ています。

         ヒソプ

 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。
 わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。 (詩編 51:7

 古代イスラエル人は、「七週の祭り」のときに、収穫の束を左右上下に揺り動かしました。


 彼はあなたがたの受け入れられるように、その束を主の前に揺り動かすであろう。
 すなわち、祭司は安息日の翌日に、これを揺り動かすであろう。 (レビ 23:11

 さらに「仮庵の祭り」のときにも、そうしました。 

 これは今もユダヤ人が続けている風習です。
 仮庵の祭り(庵とは小屋のこと、仮小屋の祭り)は、幕屋の祭り、取り入れの祭りともよばれ、贖罪の日の5日後、ヘブル暦7月にあたるティシュリーの月の15日に行われています。
 現在の9月末から10月初めにあたり、仮庵の祭りは安息日に始まって安息日に終わり、8日間続くことになります。
 
 
  鏡像逆転

 榊を「さかき」と読むのは「逆木」の意味で、榊にかけられた八咫鏡に映ると逆になるので、天岩戸神話の神々の場面は逆さに考える必要があります。

 天宇受賣命が裸踊りをすると、これを見た神々が大笑いをして大変な騒ぎとなったというのは、次のように解釈できます。

 貞節を示していたイエスの妻(天宇受賣命)とその場にいた原始キリスト教徒たちは、泣いたのです。

 そして、女性とされている天照大神は、鏡に映り逆になり男性の姿になります。

 八咫鏡は、天孫降臨の際に天照大神が「これの鏡は、専ら我が御魂として、我が前を拝くが如く拝き奉れ」と言ったように、天照大神自身を象徴しています。

 八咫鏡が天照大神を表し、榊にかけられていたことは、男神・天照大神が木にかけられていたことを意味します。
 これはゴルゴタの丘で十字架に礫にされたイエス・キリストのことです。

 『先代旧事本紀』には、次のように記されています。

 「鏡作の祖の天糠戸神(アマノヌカドノカミ)に、天の香山の銅を採らせて日の形の鏡を作らせた。
 そうして、できあがった鏡の姿は美しかったが、岩戸に触れて小さな傷が付いた。
 その傷は今なおある。
 この鏡が伊勢におまつりする大神である。
 いわゆる八咫鏡、またの名を真経津鏡(まふつのかがみ)がこれである。」

 八咫鏡に付いた傷は、今もイエス・キリストの身体に残してある傷跡です。

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 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
 ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」というと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
 八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。
 戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。
 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
 イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。
 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。 (ヨハネ 20:24-31
 
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  地上に信仰が見られるであろうか ジョセフ・B・ワースリン 十二使徒定員会


 イエス・キリストの復活後、何百人もの忠実な弟子たちがイエス・キリストにお会いし、語り、手で触れました。

 これらの証人たちの話が聖典の中に見られます。
 『聖書』には、イエス・キリストが復活後に聖地の民に姿を現された話が記されています。
 古代アメリカの聖典『モルモン書』には、イエス・キリストが復活後にアメリカ大陸の民に姿を現された話が記されています。
 そのほかに、イエス・キリストは現代の証人たちにも姿を現されました。
 すべての人が同じ栄光の状態に復活するのではありません。
 自らの望みと行い、人格に応じた世界に暮らします。
 

 すべての肉が、同じ肉なのではない。
 人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。
 天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。
 天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。
 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。
 また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。
 死人の復活も、また同様である。…… (1コリ 15:39-42
 
 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
 御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
 神が御子をにつかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」 (ヨハネ 3:16-17
 
 
 
  マタイによる福音書 26章から27章

 十字架刑の前の野蛮な習慣は、着物をはぎ取ることと、受刑者を柱か木枠に縛りつけて、鉛や骨で重みを付けた皮の鞭で体を打つことから成っていました。
 これにより受刑者はひどい苦痛を受け、ときにはこれだけで死んでしまう者もいました。

 ピラトの裁きでは、イエスに罪があることは認められませんでしたが、ユダヤ人指導者は群衆を扇動して、イエスを殺すように仕向けました。
 ピラトは救い主を助けたいという望みを持っていましが、民衆の圧力に勇気を奮って反対しませんでした。
 ピラトがイエスを鞭で打ったのは、群衆の同情を買うことによりイエスを許すように持っていきたかったからです。
 ピラトの600人の兵士たちは、ピラトの前で神の御子を嘲弄し、赤い衣を着せ、いばらの冠をかぶせ、手には葦棒を持たせ、嘲弄して皮肉たっぷりに「王、ばんざい」と言いました。
 それは主に払われるはずの敬意が悪魔に翻弄された行為に取って代わったものであり、つばきが吐きかけられ、殴打が加えられました。
 ローマの兵士たちは、ユダヤの群衆に扇動されたのです。

 ユダヤ人は約束のメシヤの到来を待ち望んでいたにもかかわらず、イエスをメシヤと認めることができませんでした。
 ユダヤ人たちは切なる思いで大いなる王、偉大な力をもって彼らの政治上の敵を追い散らしてくれる御方をの出現を待ち望んでいました。
 ローマの圧迫が日増しに強くなるという状況の下で、彼らがイエスの中にそのような望みや夢の実現を見たと思い込んだのは当然のことでしょう。
 イエスが行われたような奇跡を行う力のある人なら、その力をローマに向けて、ユダヤ人を外国人による支配から救い出してくれるはずだと期待し熱狂したのです。
 人々は熱狂のあまり、イエスを王であると宣言しようと言い出して、イエスを無理やり彼らの指導者にしようとしました。
 そこで彼らは力ずくでイエスを王にしようとしますが、イエスはこれを拒まれました。
 イエスが来られたのは、民の物質的な欲求を満たすためではなく、もっと偉大な霊的なものを求めるという全人類にとって最も大切なことを人々に伝えるためでした。
 イエスが自分たちの望んでいたようなメシヤではないと分かったとき、民は失望して主に背を向け始めました。

 ヤハウェという名の意味は「独立的に存在する者」または「永遠」という意味です。
 古代ユダヤの慣習では、この「ヤハウェ」あるいは「私はある(独立的に存在する者)」という称号は、神の怒りを招くという恐れから容易に口にされませんでした。
 イエスはかつて、アブラハムの子孫であることが神の祝福を優先して受けられる保証であると思っていたあるユダヤ人から、質問や非難をあびせられたとき、次のような宣言をもって彼らの悪口に答えられました。
 「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前から私は、いるのである。」


 あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。
 彼も死に、預言者たちも死んだではないか。あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。
 イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。わたしに栄光を与えるかたは、わたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのは、そのかたのことである。
 あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。
 もしわたしが神を知らないというならば、あなたがたと同じような偽り者であろう。
 しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。
 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。
 
 そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。
 イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。
 
 そこで彼らは石をとって、イエスに投げつけようとした。
 しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。 (ヨハネ 8:53-59

 イエスは言われた。
 「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」 (新共同約 ヨハネ 8:58)
 
 この御言葉の真意は、次のように書けばもっと分かりやすくなるだろう。
 すなわち、『よくよくあなたがたに言っておく、アブラハムの生れる前から、「私はある」であるとなり「アブラハムの生れる前からわたしはエホバである」と言われたのと同じことです。

  わたしは有る ヤハウェ(英語 エホバ)

 イエスは、この神聖でむやみに使えない呼び名を自分の呼び名であったので、ユダヤ人たちの目の前で堂々と言い続けました。
 律法の厳守ゆえに発音さえ忘れ去られた神の名を、イエスは何度も自分がヤハウェであると証したのです。
 聖書を正しく理解していなかったユダヤ人にとって、その行為は神に対する冒涜と映ります。

 「イエスはかつて、アブラハムの子孫であることが神の祝福を優先して受けられる保証であると思っていたあるユダヤ人から、質問や非難をあびせられたとき、次のような宣言をもって彼らの悪口にこたえられた。
 『よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである。』
 この御言葉の真意は、次のように書けばもっと分かりやすくなるだろう。
 すなわち、『よくよくあなたがたに言っておく、アブラハムの生れる前から、「わたしは有る」である』となり、『アブラハムの生れる前からわたしはエホバである』と言われたのと同じことである。
 あらさがしを好んだユダヤ人たちは、古代の聖典を間違って解釈したために、1度口にしたら死刑に処すべきであると考えていた名前をイエスが用いるのを聞いて、非常に怒り、イエスを打ち殺すつもりですぐさま石を手に取り上げた。」 (ジェームズ・E・タルメージ 『キリスト・イエス』 p.36-37)
 
 当時のユダヤ人は、モーセの律法を誤解し勝手に教えを付け加え霊的に盲目になっていました。
 的外れに信仰していたのです。
 彼らの望みは、自分たちの国を強大にして裕福にしてくれる救い主だったのです。
 霊的な戒め悔い改めを説いたイエス・キリストは、彼らにとって望んでいない救い主だったのです。
 そして、イエスは、自らを「わたしは有るの神」アブラハム、モーセなどの預言者の神と宣言したのです。
 これは、誤解した者たちにとって神に対する大きなな冒涜でした。


 だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。
 『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」 (新共同訳 ヨハネ 8:24)

 そこで、イエスは言われた。
 「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。 (新共同訳 ヨハネ 8:28)

 事の起こる前に、今、言っておく。
 事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。 事の起こる前に、今、言っておく。 (新共同訳 ヨハネ 13:19)
 
 霊体のヤハウェがイエス・キリストです。
 「ヤハウェ」は、「私は、〇〇である」という意味なのでイエス・キリストが地上に生まれ御自分を旧約の時代からの神ヤハウェ(私は、〇〇である)あると証したとき、「私は、イエス・キリストである」と言ったのです。

 ユダヤ人たちは、1度口にしたら死刑に処すべきであると考えていた名前をイエスが用いるのを聞いて怒り、イエスを石で打ち殺そうとしました。
 石で打つのは、神を冒涜した者に対する刑で、自分は神であるとするイエスの主張が、冒涜の罪ありとされたのです。

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 十字架刑は、新約聖書の時代には一般的な刑罰で、ローマ人が死刑として使った最も残忍な刑の1つでした。

 イエスの左右で十字架にかけられていた2人の泥棒については死を早めるために脛を折ってしまいましたが、イエスの脛は折られませんでした。
 モーセころに与えられた律法では、小羊を生け贄にするにあたっては「その骨を折ってはならない」と命じています。


 イエスの脛が折られなかったのは「その骨はくだかれないであろう」との聖書の言葉が成就するためであるとヨハネは述べています。(ヨハネ 19:31-36

 イエスが礫になった十字架とは「T字型の十字架」です。
 十字架刑は、もともとユダヤ人の処刑方法ではなく、ユダヤ人が処刑するときは、主に石をぶつけて殺します。
 十字架刑は古代ローマ帝国の最も重い処刑方法です。
 多くの国や民族を支配する古代ローマ帝国は、権力を誇示するために犯罪人を処刑する際に衆人の見せしめとしました。

 すぐに死んでしまったのでは見せしめの意味がないので、十字架に礫とすることにより徐々に苦しみながら衰弱死させるという方法をあみ出したのです。
 この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなく、刑を受ける者は両手首と足首を釘で打ち付けられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死にいたったのです。
 そのため長引く場合は約48時間も苦しみ続けて死んだといいます。

 磔刑の際、十字架の縦木は処刑場所にあらかじめ立てておき、裁判所において容疑者が有罪となると、そこから用意しておいた45kg以上の横木を受刑者に担がせ処刑場まで運ばせます。
 イエスの場合も有罪の判決を受けると、イエスは鞭打ちにされたのち、ゴルゴタの丘まで横木を担がされました。

 そして、処刑場に来ると受刑者は担いできた横木に両手の手首と手のひらに釘で打ちつけられます。
 両手を打ちつけると、それを滑車によって吊るし上げ、あらかじめ立てていた縦木の上に乗せて固定します。
 縦木には受刑者を支えるために付けられてある台座に受刑者の両足を乗せ、釘1本で打ちつけます。
 そして、イエスの場合は、縦木の上に乗せられた横木の上に罪状板が打ちつけられました。
 
 罪状板が付いた「T字型の十字架」全体を遠くから見ると、文字どおり「十字」の形をしています。

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 磔刑に処せられた人間の直接の死因は窒息死です。
 十字架上では、全体重が腕にかかり腕が極限まで伸ばされるため、息を吐くことが困難になります。
 したがって、十字架上で呼吸をするためには懸垂しなければならず、それによりますます手首と足の傷口に体重がかかることになります。

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 呼吸のために足をふんばって体を上げ胸を前に出して呼吸を試みると、いっそう手足の痛みが激しくなりもとの状態に戻りカがつきれば窒息死するのです。

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 一般に中世から描かれた礫刑の絵は、イエス・キリストの掌にだけ釘が打たれて描かれています。
 これは画家たちが、実際の礫刑を見たことがなかったからです。

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 十字架刑の受刑者は、通常まず鞭打ちの刑が執行され、それから刑場まで自分の十字架を強制的に運ばされました。

 比喩的に『自分の十字架を取る、取り上げる、負う』ということは、十字架の刑場へ行く途中の罪人のように、『苦痛、苦悩もしくは恥を堪え忍ぶ』ということです。 (マタイ 10:38,16:24ルカ 14:27

 「自分の命を救おうと思う者はそれを失〔う〕」(マタイ 16:25)と言う寸前にイエスはこう言っておられます。
 「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(マタイ 16:24
 ルカは「日々」という言葉を付け加えています。
 「自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、……きなさい。」(ルカ 9:23
 私たちは「日々自分の十字架を負う」ことを求められていて、時々背負うのではありません。 

 ジョセフ・スミス訳マタイの福音書では、この言葉をさらに拡大し、自分の十字架を負うという言葉を主がどのように定義しておられるか明らかにしています。
 「そして、自分の十字架を負う者は、すべての不信心とあらゆる世の欲を捨て、わたしの戒めを守らなければならない。
 自分の命を救うためにわたしの戒めを破ってはならない。
 この世において自分の命を救おうと思う者は、来るべき世においてそれを失うからである。」(ジョセフ・スミス訳 マタイ 16:26-27)
 
 キリストの弟子は、世俗的なものを追求しないだけではなく、日々十字架を背負うという召しを受けます。
 十字架を背負うとは、主の戒めに従うことです。

 キリストの束縛と十字架刑は、そのほとんどの過程が違法でした。
 キリストは夜間逮捕され、裁判を執行したサンヒドリンは議員全員が揃っておらず、その場所も裁判を執行すべき適切な場所ではありませんでした。
 法廷は朝の犠牲の儀式の前、聖日に開かれましたが、この点も違法でした。
 群集の声がキリストを十字架刑に処すことを願った時点で、イエスはすでに打たれ、辱められ鞭打たれていました。 

 スペンサー・W・キンボール大管長は、このように述べています。
 「彼らがイエスのみ顔につばを吐きかけたとき、イエスは冷静に落ち着いて、神聖な威厳をもって立っておられた。
 彼は沈着な態度を保たれていた。
 怒りの言葉を一言としてこぼされることはなかった。
 彼らはイエスのみ顔を平手打ちにし、その体を連打した。
 しかし、毅然とおじけることさえなく立っておられた。」 (「ナザレのイエス」 『エンサイン』 1980年 p.6-8)
 
 それからイエスは十字架を刑場まで運ばされました。
 イエスは弱り果てておられ、それを担いで歩き続けることできなかったために、兵卒がそこで出会った人に十字架を運ばせました。
 
 キンボール大管長は、続けて次のように述べました。
 「釘がイエスの手と足のやわらかい震えている肉に打ち込まれた。
 イエスの苦悶はいっそう高まった。十字架が穴に落とされ、イエスの肉が引き裂けた。
 何という耐え難い痛みであることか!
 それからイエスの体が地に落ちてしまわないように、念押しの確かな釘が手首に打たれた。」

 「そして、『他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。』(マタイ 27:42)というあざけりの声が再び上がった。
 傷や打ち身の跡形もなく完全な体で十字架から降りてくることさえできた。
 そうすることに何と心が引かれたことだったことだろう!
 何というチャレンジだったことだろう。
 しかし、イエスは決意をもってその苦悶に臨まれ、血の汗を流して彼の使命に直面された。
 それはすべての甚だしい侮辱と最後に死と対峙しながらも前へ進み、もし人々がイエスの教えに耳を傾けるなら、これら目の前にいる民とその子孫に命をもたらすためだったからだ。」
 
 
 キリストは苦悶の最中でさえ、御自分を十字架にかけた兵士たちを愛し「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ 23:34)と言われました。
 
 ローマの兵士らは君主の命令を受けてそうしていたので、主の死に対して罪があるのはユダヤ人たちでした。

 キリストはその使命を完全に満たされ、息を引き取られました。
 キリストの十字架の苦しみは、その使命の必須の部分です。
 キリストは次のように言われました。

 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。
 それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。
 わたしは自分でそれを捨てる。
 わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。
 これは、わたしが父から受けた掟である。 (ヨハネ 10:17-18


 榊は、「天(あめ)の香山(かぐやま)のよく繁った榊を根ごと掘り出して、上の枝にはヤサカの勾玉(まがたま)の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の玉を取り付け、中の枝に八咫鏡を取り飾り、下の枝には白和幣(しらにきて)と青和幣(あをにきて)を取り垂らして」といろいろと飾られた榊からです。

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 上の枝の「ヤサカの勾玉の五百箇(いほつ)の御統(みすまる)の玉」は、イエスの頭にかぶされた「いばらの冠」です。 (マタイ 19:2

 天岩屋の前に大きな榊の下の枝の「白和幣(しらにきて)と青和幣(あをにきて)」は、イエスの死亡を確認するために兵士が槍で腹を突き刺したときに出てきた「血と水」です。 (マタイ 19:34参照)

 麻で作った布は青みがかっているので「青和幣」といい、現在の「青」でなくて「淡い緑」です。
 人間の血液は赤いですが、赤血球に含まれるヘモグロビン酸素と結合しているときに鮮やかな赤色をしている物で、体表近くを流れている静脈の中にある血液は二酸化炭素と結合した黒っぽい血液です。
 そして、血管の色は実はほとんど白色です。
 皮膚の色+血管の色+黒っぽい血液の色が緑色に近い色なのではないかと思います。


 イエス・キリストが復活したとき、天使が現れました。
 

 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。
 そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。 (ヨハネ 20:11-12
 
 イエスの墓の扉の岩戸を開いたのは、復活したイエス自身ではなく天使で、天照大神の「天岩戸神話」でも、同じで岩戸を開いたのは、天照大神ではなく天手力男神(アメノタヂカラオカミ)という神でした。
 ヘブル語で「手」を表す一般的な言葉の「ヤド(yad)」は、力、強さ、勢力などを表す言葉として比喩的に使われることもあります。
 
 さらに天照大神が天岩屋から出てきたのち、天岩屋の入口にしめ縄を張った神が布刀玉命(フトダマノミコト)で、2人です。
 イエス・キリストが復活したときに現れた天使も、2人です。


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 紀元前721年に、アッシリアは北イスラエル王国を滅ぼし、イスラエル10部族はアッシリアに捕囚として連れ去りました。
 イスラエル10部族が、アッシリアにどのくらいの期間とどまっていたかは知られていません。
 紀元前538年、ペルシャが新バビロニアを滅ぼし、解放された南ユダ王国の2部族はパレスチナに帰還しましたが、イスラエル10部族がアッシリアの滅亡とともに消えていたのです。
 すでにアッシリアも滅亡していたのに、捕囚された人々は、そのまま帰ってこなかったのです。
 これが世界史の謎「行方の知れない10部族」です。
 
 バビロン捕囚から帰ってきた2部族は、のちにユダヤ人とよばれるようになります。

 イスラエル10部族の本隊は、北の果て「アルザル」へ向かいましたが、「別働隊」は、ユーフラテス川の北や東に広がるユーラシアの大平原の遊牧騎馬民族と合流しました。
 西アジアから広大なユーラシア大陸にイスラエル10部族を連れ出したのが、騎馬民族のスキタイです。



  スキタイのギリシャ神話の影響
 
 日本神話には、このスキタイ族の神話が色濃く残っています。
 スキタイ族はアーリア系騎馬民族で、その神話はアーリア系神話で北欧神話にも似ていますが、最も近いのはギリシャ神話です。 
 現在では、イザナギとオルペウス、大国主命とアドーニス、ニニギ命とトリプトレモス、ヤマタノオロチとヒドラーなど、数多くの共通神話が発見されています。

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 「天岩戸神話」は、主に大地母神デーメーテールの物語として見いだせます。

 デーメーテールの一人娘ペルセポネーを冥界の神ハデスが連れ去り悲しみに沈んだデーメーテールは、他の神々と交際を絶ち無言と絶食の日々を送ります。
 これを見たエレウシスの領主は、何とかしようとデーメーテールをもてなしますがまったく効果がありません。
 そこへバウボという名の女性がデーメーテールの前で滑稽な仕種をし自らの性器まで露にして踊りました。
 さすがのデーメーテールも、ついに笑ってしまい、元のように振る舞うようになったのです。
 天照大神をデーメーテールとして、ギリシャ神話では一人娘ですが冥界の神ハデスは死と霊界に行ったことを表します。
 天宇受賣命をバウボと読み換えれば、明らかに天照大神の天岩屋こもりと天宇受賣命の裸踊りです。
 デーメーテールとポセイドンの物語は、「天岩戸神話」に取り入れられています。


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 デーメーテールの弟に、海神ポセイドーンがいました。
 あるとき、ポセイドーンは悪巧みをしデーメーテールを追いかけました。
 デーメーテールは馬に変身したが、これをポセイドーンは見抜いて自らも馬に変身します。
 そして、デーメーテールを犯し、怪我を負わせてしまいます。
 
 これに怒ったデーメーテールは山の中の洞窟へこもり地上から姿を消してしまうのです。
 すると、農作物はすべて枯れてしまい、大飢饒が発生。
 人間や神々も困って主神ゼウスが必死になって説得したところ、何とかデーメーテールは機嫌を直し洞窟から出てきました。
 こうして地上の作物は再び育ったのです。

 デーメーテールの弟が海神ポセイドーンで、天照大神の弟が海原の支配者スサノオ命で、天岩屋を山の洞窟、暗闇を地上の大混乱とすれば「天岩戸神話」です。

 そして、デーメーテールを怒らせた原因が、馬に変身したポセイドーンが行った悪行で天照大神が怒った原因は、スサノオ命の馬を使った悪行で天斑駒を使って田畑を荒らし皮を剥いだ馬を機屋に投げ入れたことにあります。
 しかも、このときに天照大神は機織りの道具で自分の体に怪我をしています。

 日本神話を作った原始キリスト教徒の秦氏は、「天岩戸神話」に騎馬民族が持ち込んだスキタイ系ギリシャ神話を取り入れて、日本神話を構築しました。
 原始キリスト教徒の秦氏が構築した「天岩戸神話」に込めたのは、秦氏の神イエス・キリストの記録を日本に残すことだったのです。

 
  9 東へ移動した10部族 1/3~3/3

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  イエスの妻たち

 天宇受賣命は、天岩屋に隠れてしまった天照大神を誘い、出てきたときに最初に会話をしていますので、イエスの復活を最初に目撃して会話をしたマグダラのマリヤのことです。

 当時ユダヤで使用されていたアラム語でイエス・キリストは「イシュ・メシャ」と発音します。
 ところが、アラム語はメソポタミアからオリエント一帯に広く使われていた言葉であるため、地方による訛りが強いです。 
 東へ行くと「イズ・マシ」、「イザ・マサ」などと発音されます。
 さらに東へ移動して、インド北部辺りまで来ると、「ユズ・マサ」などと発音されるようになります。
 原始キリスト教徒のエルサレム教団が東へと移動して行ったなら、その過程で言語が訛って行ったはずで、「イエス・キリスト」「イシュ・メシャ」も「ユズ・マサ」「ウズ・マサ」と転訛して行ったのです。

 「ウズ・マサ」=「イエス・キリスト」
 「ウズ=イエス」であり、「ウズメ=イエスの女」なのです。

 イエスの女とは、イエスの妻です。


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 キリストが復活したとき、最初に会ったのがマグダラのマリヤでした。 
 
 
 さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。
 そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。
 そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。
 ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。
 墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。
 するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。 今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。
 イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。
 女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。
 そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。
 〔週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。 (マルコ 16:1-9
 
 初代教会の伝説を記したエウセビオスの『教会史』は、マグダラのマリヤは「イエスの妻」だったという記録があります。
 
 マグダラのマリヤはで、イエス・キリストの献身的な弟子となった女性です。
 マグダラはマリヤの出身地であり、ガリラヤ湖西岸に位置していました。
 マグダラのマリヤは『、一般にいわれている貞操のない女性とは別人です。
 肉体の病気と悪霊からの精神的な病気を癒やされたことがあります。

 イエスは、マグダラのマリヤから、7つの悪霊を追い出しました。
 復活したイエスと最初にまみえたました。
 イエスが最愛の妻に真っ先に会ったのです。


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 さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。
 そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。
 そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。
 ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。
 シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。
 すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。
 しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。
 それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。
 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。
 そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。
 マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。
 しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。
 マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。
 マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。
 それは、先生という意味である。
 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。 (ヨハネ 20:1-17

 なぜイエスがマグダラのマリヤに「私にさわってはいけない」と言ったのでしょうか。
 マリヤの感情的な接近が、他の入々の表したような敬慶な崇拝の行動に比べると、むしろ一身上の清い愛情に促されていたと考えられます。

 グノーシス主義研究者で東大名誉教授の荒井献(あらいささぐ)は、こう述べています。
 
 「ヨハネ福音書の『イエス、マグダラのマリヤに現れる』という復活の場面では、通常イエスがマリヤに『私に触ってはいけない』と言ったと訳されていますが、実は『すがりつくのをやめなさい』というのが正確な訳です。
 要は抱きついていたのをふりほどいた。
 つまり、マグダラのマリヤとイエスの関係は親密なスキンシップ(タッチング)が許される関係にあったのです。」
 
 荒井は後世にイエスが神の子として信仰されるようになり、特定の女性と親密な関係にあったという人間的な伝承は削除せざる得なかったと推測します。
 ただ、正典から削除しきれなかった部分がどうしても残ってしまったというのです。
 古くからカトリック教会以外は、異端として迫害されたり証拠品を焼き払われたりしてきた歴史があります。
 迫害の対象となるような表現であれば、当然その手法を美術家たちは用いてきました。
 西洋美術には作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法があります。
 古代社会でも国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は何度も隠蔽と書き換え、そして迫害が行われてきました。
 このイエス・キリストの結婚という内容もその隠蔽の1つと思われます。


 エジプトのナグ・ハマディという都市で壺に入った沢山の文書「ナグ・ハマディ写本」が見つかりました。
 それは背教が起こることを察知したクリスチャンが奥義を純粋に保存するために残した物でした。
 純粋で完全なキリストの教えではありませんが、聖書にない真理もあります。
 ナグ・ハマディ写本の中の紀元2~3世紀ごろの著作と見られる『ピリポによる福音書』には、マグダラのマリヤと主の関係が使徒との関係以上に親密であったことが書かれています。

 主は、(マグダラの)マリアをすべての弟子たちよりも愛していた。
 そして、主は彼女の口にしばしば接吻した。
 他の弟子たちは、主がマリアを愛しているのを見た。
 彼らは主に言った。
 「あなたはなぜ、私たちすべてよりも彼女を愛されるのですか」
 救い主は答えた。
 「なぜ、私は君たちを彼女のように愛せないのだろうか」』


 また、マグダラのマリヤが2か所で触れられており、1か所では「イエスの伴侶」と紹介されています。


 三人の者がいつも主とともに歩んでいた。
 それは彼の母マリヤと彼女の姉妹と彼の伴侶とよばれていたでマグダラのマリヤあった。

 もう1か所では、弟子たちよりイエスが彼女を愛しているのを見て、弟子たちはその理由を求めます。


 主は、マグダラのマリヤをすべての弟子たちよりも愛していた。
 そして、主は彼女の口にしばしば接吻した。
 他の弟子たちは、主がマリヤを愛しているのを見た。
 彼らは主に言った。「あなたはなぜ、私たちすべてよりも彼女を愛されるのですか」
 救い主は答えた。「なぜ、私は君たちを彼女のように愛せないのだろうか」 (ピリポによる福音書)

 当時ユダヤの律法では、妻のみが、夫の足元に座ることが許される、また女性は髪を結って束ねるかベールで髪をおおっていなければならず、といた髪は夫しか見せてはなりませんでした。
 ほかの男性の前でそうすると離婚理由とみなされました。

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 あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
 するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、
 泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。
 イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。
 そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。
 イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。
 ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。
 シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。
 イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。
 それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
 あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。
 あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。
 それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。
 そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。
 すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。
 しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。 (ルカ 7:36-50

 過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。
 そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
 イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。
 イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
 その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。 (ヨハネ 12:1-3

 ヨハネ福音書にあるカナでの婚礼は、誰の婚礼とは聖書に書かれておらず、「実はイエス自身が新郎ではないか」とも考えられます。
 
 
 三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。
 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。
 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。
 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。
 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。
 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。
 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。
 そして弟子たちはイエスを信じた。
 そののち、イエスは、その母、兄弟たち、弟子たちと一緒に、カペナウムに下って、幾日かそこにとどまられた。 (ヨハネ 2:1-12

 イエスはこの婚礼の席で、母マリヤから足りなくなったぶどう酒を追加して用意するよう催促されていますが、これがイエスが招待客ではなく、祝宴を主催する側の新郎だった証拠だといいます。
 イエスはこのとき、水をぶどう酒に変えましたが、聖書によれば驚いた世話人たちは花婿に対して、「あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました」と言います。
 つまり、イエスと花婿は同一人物としか受け取れない、というわけです。

 ベタニアのマリヤは、新約聖書に登場する女性で、イスラエル、エルサレムの近郊、ベタニアに弟ラザロ、姉マルタとともに暮らし、イエス・キリストと親しかったです。
 ブリガム・ヤングの19番目の妻によれば、ブリガム・ヤングは、「ラザロの姉妹、マリヤとマルタは、イエス・キリストの多妻たちだった、マグダラのマリヤは、別のもう1人の妻だった」と話しました。

 1855年、十二使徒定員会会長のオーソン・ハイドは、このように述べています。
 「イエス・キリストはガリラヤのカナで結婚していた。
 マリヤ、マルタそのほかの妻がいて子供をもうけていた。」 (Journal of Discourses 2:210)

 末日聖徒イエス・キリスト教会の初期では、オーソン・ハイド、オーソン・プラット、ブリガム・ヤング、そしてのちにB・H・ロバーツ、ジェームズ・E・タルメージ、ブルース・R・マッコンキーが、ベタニアのマリヤとマグダラのマリヤは同一の人物ではないと述べています。
 ジョセフ・スミスは、マグダラのマリヤについて、とくに何も述べてはいないようです。
 
 1963年、宣教師のグループがソルトレーク神殿上階で、十二使徒定員会会長だったジョセフ・フィールディング・スミスの話を聞く機会がありました。
 J・リックス・スミス長老は、ジョセフ・フィールディング・スミスにこう質問しました。
 「神殿儀式においても私たちは神と救い主イエスに従っているのではないか。」
 つまり、イエスも結婚していたのではないかと質問をしました。

 ジョセフ・フィールディング・スミスは、次のように答えました。
 「はい、マグダラのマリヤと結婚していました。
 しかし、それを説教してはならない。
 主は私たちに『真珠を豚に与えるな』と勧告されているではないか。」

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 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。 
 恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
 世界に出て行き、『悔い改めなさい。天の王国が近づいたからである』と、すべての者に言いいなさい。
 王国の奥義はあなたがたの内にとどめておきなさい。 
 聖なるものを犬にやることや、真珠を豚に投げてやることは、ふさわしくない。 
 彼らはそれらを足で踏みつけるからである。
 世は、あなたがた自身が負うことのできないものを受けることはできない。 
 だから、彼らに真珠を与えてはならない。 
 そうでないと、彼らは向き直ってあなたがたにかみついてくるであろう。 (ジョセフ・スミス訳 マタイ 7:9-11

 ジョセフ・フィールディング・スミス長老は、神聖なものを人々に伝える場合の条件について次のように述べています。
 「教会員であるなしを問わず、ふさわしくない人に王国に属するものを与えてはならない。
 主が人の救いのために与えてくださった戒め、聖約、真理の原則のすべてを最も神聖なものとして尊ぶことは、教会員の義務である。
 教会員がへりくだって受けるなら、主は世に属さない聖約や恵みをすでに授けてくださっている。
 
 『正しくかつ真実』であろうとして聖約を交わして、『信仰によって勝利を』得た人々に明らかにされる最も神聖な事柄、すなわち昇栄をもたらす手段として与えられるものを軽々しく扱ったり、あざけったりしてはならない。
 また世の人々の前で話すことも同様である。
 『王国の子らに属するものを、ふさわしくない者や犬に与えることはよくないからである。
 すなわち、豚に真珠を投げ与えることはよくないからである。』
 しかし、私たちは、愚かな人や無知な人を多々目にする。
 神聖な原則や聖約の奥の深さを理解せず、それらを世の人々の前においてさえも軽々しく、不適切に扱っている人々の何と多いことか。」 (『教会歴史と近代の啓示』 1:179-180)

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  完全な模範

 イエス・キリストは、御自分の生活を通して、私たちにその生活の模範を示してくださいました。
 多妻結婚もしていました。
 預言者がいうように、日の栄えの王国では多妻結婚でもあるからです。

 現在は、教会は多妻結婚を禁じています。 
 
 イエスは複数の妻と結婚をしていました。

 教会のこの主題に関する公式な啓示の発表や公式声明はありません。

 イエス・キリストの結婚は、ブリガム・ヤング大管長、ジョージ・Q・キャノンのような指導者、ウィルフォード・ウッドラフ大管長、オーソン・プラット、ジョシュア・M・グラント、ジョセフ・F・スミス大管長、ヒーバー・C・キンボールにより教えられています。

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 1854年10月6日の総大会では、十二使徒定員会のオーソン・ハイド長老は、救い主の結婚式について、こう教えています。
 「……イエスはガリラヤのカナの結婚での花婿であり、彼は何をすべきか、それらを語りました。
 そこに実際に結婚した花婿がイエスでなかった場合、誰だったか教えてほしい。
 あらゆる人がこれを示し、それは世界の救い主ではなかったことを証明できる場合、私は考え違いであると認めます。
 われわれは、主が十字架につけられる前に主の子孫を見ることができる関係になるために結婚していたのがイエス・キリストだったと言います。」 (Journal of Discourses 2:82-83)

 ブリガム・ヤングは、こう述べています。
 「聖典は主が神殿の中を彼の同行者と歩いて行ったと述べている。
 私にはその同行者が彼の妻たちと子供たち以外の誰とも思えない。」 (Journal of Discourses 13:309) )
  
 
 この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。
 よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。 (マタイ 26:12-13

 これは「第二の油注ぎ」の記述と思われます。
   
  油注ぎ
    
  聖なる神殿に参入する備え


 第二の油注ぎの儀式は2つの部分から構成され、第1の部分は「洗い」と「油注ぎ」があり、執行者によって神殿内の聖なる場所で行われます。
 しばらくのちに夫婦だけで行う儀式の第2の部分は、夫の「足を洗う」行いで、妻は夫に象徴的に彼の死と復活の準備をさせました。
  
 第二の油注ぎは「最初の油注ぎ」(儀式の一部)とは異なり、最初の油注ぎは忠実ならば来世での昇栄祝福を約束するだけですが、第二の油注ぎは、忠実でふさわしい夫婦だけが受けることができ、実際に彼らの昇栄の祝福を結び固める儀式です。
     
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 十字架にかけられる少し前に、イエスは使徒たちの足を洗われました。
 こうすることによって、律法に基づいたユダヤ人の習慣を守り、それを儀式として確立されました。
 ペテロはイエスに言った。
 「わたしの足を洗っていただくには及びません。」
 イエスは彼に答えられた。 「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもなくなる。」
 シモン・ペテロはイエスに言った。
 「主よ、では、足だけでなく、どうぞ、手も頭も。」
 イエスは彼に言われた。
 「すでに手と頭を洗っている者は、足のほかは洗う必要がない。
 全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。
 しかし、みんながそうなのではない。」
 さて、これは彼らの律法の下でのユダヤ人の習わしであったので、イエスは律法を成就するためにこれを行われたのである。 (ジョセフ・スミス訳 ヨハネ13:10)

 聖徒たちがカートランド神殿を建築していたとき、ジョセフ・スミスは洗足の儀式神殿の中で行うべきものであると言いました。
 この儀式は、神殿の中で受ける大いなる儀式の内の一部となるものでした。
 初期の教会指導者たちをその働きに備えるために、この儀式は執行されました。
 同じように、私たちも神殿の儀式を受けることによって、この世で召される業を行うための力を授けられるのです。

 ブルース・R・マッコンキー長老は、次のように教えています。
 「不注意な読者には、この出来事の真の重大性は明白ではない。
 明白であるはずがない。
 なぜなら洗足の儀式は、聖なる場所において、自らをふさわしくする者だけのために取っておかれる聖なる儀式だからである。
 しかしながら、ユダヤ人も彼らの神殿で神聖な儀式を行っていたことは明らかである。
 しかし、その知識は現存するいかなる書物にも残されていない。
 それはありえないことである。」 (The Mortal Messiah 4:38-39)

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 十二使徒だったオーソン・プラットもはっきりと述べています。  
 「偉大なキリスト教の始祖である救い主は多妻結婚者であった。……
 救い主は彼自身の意思で多くの誉れ高い妻たちを持つことを選択したのである。……
 私たちには今、父なる神が多妻者であったことが示された。
 私たちは、また、父なる神と私たちの主イエス・キリストが妻たちを永遠に受け継ぐことを証するのである。
 多妻結婚の社会と多くの妻たちということによって、あなたが道徳的に堕落させたくはないと望ませ、耳に驚きを覚え、そして、あなたを赤面させるのであるなら、あなたは新しい世界に近づくことさえもできないのである。
 多妻結婚者は新しい世界では褒め称えられ、その王国では(多妻結婚は)最高の規則なのである。」 (The Seer Nov.1853  p.172)

 教会員の著名な研究者のジョン・J・スチュワートは、1961年にこう述べています。
 「多妻結婚とは、族長時代からの結婚の命令であり、神と永遠の王国を信じる者によって継続し続ける。」 (Brigham Young and His Wives And The True Story of Plural Marriage  p.41)
   
 また、1966年には同じく彼の著書『ジョセフ・スミス モルモンの預言者』では、多妻結婚は「神によって継続している」とも述べています。
    
 ブリガム・ヤング大管長時の大管長会第二顧問ジョシュア・M・グラントが七十人会長会時代に、こう述べています。
 「複数の妻を持つという信仰がイエスや彼に従う者への迫害の原因になった。
私たちは彼ら〔イエスや初期クリスチャン〕を『モルモン』とよんでもさしつかえないのである。」  (Journal of Discourses 1:346)

 ブリガム・ヤングはこの「多妻結婚は野蛮な思想の遺物」ではないかという指摘に答えて、こうを述べています。
 「〔遺物というなら〕そうだ。
 アダムエノクノアアブラハムイサクヤコブ、モーセ、ダビデソロモン、そのほかの預言者たち、イエスと彼の使徒たちの残した遺物の1つである。」 (Journal of Discourses 11:309)

  日の栄えの律法  多妻結婚

  天照大神の正体 2/2