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 使徒​のヨハネ​に​与えられた​啓示の「ヨハネの黙示録」で、ヨハネはこのように述べています。


 またわたしが見ていると、が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。
 それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、によってさばき、また、戦うかたである。
 その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。
 また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
 その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。
 彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
 その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。 (黙示19:11-16

 イエス・キリストが多くの名でよばれていることが「その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。」の記述で暗示されています。 
 
 イエス・キリストが地球にマリヤから産まれる前の霊体だったときは、ヤハウェ (英語エホバ)とよばれ、ヤハウェは古代エジプトの神ラーであり、イスラム教の神アッラーフであり、ヒンドゥー教の神ブラフマー、神道の豊受大神です。
 
 またイエス・キリストは、古代エジプトのホルス、バラモン教のミトラ、ヒンドゥー教のクリシュナ、仏教の観音菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩であり、神道の天照大神であり、アイヌのオキクルミ・カムイであり、古代アメリカのケツァルコアトル、ククルカンでもあります。
 そして、国が違えば同じイエス・キリストでも英語ではジーザス・クライストと発音します。

 このようにさまざまな国や民族の神が、イエス・キリストであり、多くの名でよばれているのです。
 
 
 人類学では、生物・無機物を問わないすべての物の中にが宿っているという考え方をアニミズムといいますが、一般に神道はその典型例とされています。

 古事記』や『日本書紀』でも神武天皇以前の歴史はフィクションがある神話化されて分からない点が多いです。

 中国では、約4000年前から膨大な量の年代記が作られ、古代からの歴史が書き残されてきましたが日本では、約1800年前の邪馬台国の時代の歴史も記録は日本にはありません。

 かつて、日本には多くの歴史書や大切な書物を集めた朝廷図書館がありましたが紀元645年、その朝廷図書館に仏教徒が火を放ち、すべて焼いてしまったのです。
 日本で現存する最古の歴史書といわれている『古事記』でさえ、その朝廷図書館の消失後から67年も経過した紀元712年にようやく書かれた物です。
 その『古事記』は、多くの神話で書かれており、一般には何が史実なのか分かりません。
 当時の支配者に都合の良いように、過去の歴史が書きかえられており改竄されている側面があります。

 40代天武天皇が稗田阿礼に命じて、口に出して繰り返し読む誦習(しょうしゅう)させました。
 稗田阿礼(ひえだの あれ、生没年不詳、紀元7世紀後半から8世紀初頭)は、古事記の編纂者として知られる人物ですが、稗田阿礼は藤原不比等の別名ではないかとの説もあります。

 江戸時代には「稗田阿礼は女性である」とする説が公に提起され、民俗学者の柳田國男、神話学者の西郷信綱らも同説を唱えています。
 「アレ」とは巫女(女性の預言者)の呼称です。
 
 太安万侶の子孫の多人長(おおの ひとなが)が書いた『日本書紀』の講書弘仁私記』序の注では、稗田阿礼を天宇受賣命(アメノウズメノミコト)(古事記表記)、天鈿女命(日本書紀表記)の子孫としています。
 
 昔は歴史などの重要なことは代々の首長の間で口伝で残され、誦習は覚えやすいように節をつけて歌のようになっていました。

 太安万呂(おおのやすまろ)が書いたとされる『古事記』の序文をには、こう書いています。
 「稗田阿礼が暗唱する伝承されていた伝説を細かく拾い集めて編集しましたが、昔の言葉は素朴で、それを文章にするのに苦労しました。
 そのまま書いても何のことか分からないでしょうし、そうかといって詳しく説明していては、長く読みづらいでしょう。
 だから便宜上、重箱読みも使うし「音」だけを万葉仮名で書くことにしたのです。

 太安万呂は稗田阿礼が暗記していた話を同時通訳して、それをもとに『古事記』を編集し、稗田阿礼の言葉が何を意味するか、分からないまま「音」に当て字したものもあったのです。
 『古事記』の方が古くからの言葉をそのまま残そうとしており、『古事記』は神の名前を当て字で記し、『日本書紀』は『古事記』からの神の名前をできるだけ意味が通じるように漢字を当てました。

 多くの人々は、古代史を研究しても神話を解明できずに本質を見いだせません。
 神代の物語は、当然史実のみの記録ではなく、象徴、誇張、置き換えがあるフィクションなのです。
 神々の名前や物語をあれこれ考察し、歴史を復元しようと多くの人が解説した結果、十人十色の説になりました。

 記紀を読み解くには、福音知識が必要なのです。

 神道の根幹は、『古事記』と『日本書紀』に記された日本神話です。
 これらのとくに神話の時代の部分が要で、神道の思想は神々の物語に反映されています。
 しかし、『古事記』と『日本書紀』では内容が食い違っていて、登場する神々の名前も違う場合があります。
 それは、神話は史実を反映してはいても基本的に史実ではなく、フィクションだからです。

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 記紀には、邪馬台国に関する記述もはありませんが、ヤマト王権を築いた「秦氏」がヤマト王権に反対し、神道を理解しないで改宗しない人々の反乱を予防するために、故意に邪馬台国の歴史を記さなかったのでしょう。
 記紀が国史として編纂されたということは、その基礎に当時の政治の正統性を強調し、都合の悪い事は隠したということです。

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 徐福たちの末裔の大祭司や祭司のレビ族たちが中心に存在するユダヤ教である原始神道があり、邪馬台国を首都とし中心とする西日本全域に点在する先住民であるニーファイ人の複数のクニを統治する邪馬台連合国家が建国されていました。
 
  3 古代アメリカからの日本の先住民 1/4~4/4
 
  4 沖縄の線刻石板と海底遺跡 1/2~2/2

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 ヤマト王権以前の権力者だったのは、徐福集団の末裔である海部氏と物部氏でした。
 のちの古事記編纂時にはヤマト王権の主勢力は、紀元3世紀末に渡来した原始キリスト教徒の秦氏になりました。

 そして、当然ユダヤ教からキリスト教に改宗した物部氏は多数いて、秦氏になった物部氏は多いです。
 しかし、従順なユダヤ教徒ばかりではありません。
 政治の世界は権力闘争があります。
 ユダヤ教を誤解してか理解していても不従順だったのか、いずれにしても秦氏の中にいた当時の預言者に従わず反抗し改宗しなかった物部氏がいました。
 この反抗した物部氏は、古代の物部氏の権力を根拠に物部氏がもっと権力(利権)を得るべきと考える反体制でした。
 このような反体制の物部氏を抑える目的で、日本の歴史から物部氏の邪馬台国を記述しなかったと思われます。

  5 秦朝のユダヤ人 1/2~2/2

  6 徐福渡来と神道解明 1/5~5/5

  7 邪馬台国と日本列島形成 1/7~7/7

  9 東へ移動した10部族 1/3~3/3

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 なぜ『古事記』と『日本書紀』が二書一対で国史となっているのでしょうか。
 両書の内容がまったく同じなら一書だけで良く、互いを補強・補佐するために、二書を国史とするなら理解できますが、記紀の場合はそうではありません。
 記紀は、互いに矛盾を際立たせる関係なのです。
 常識的に考えれば、二書で内容が異なる場合、どちらかに統一するなどの調整を図るはずですが、記紀はそうされていないのです。
 記紀は最初から二書一対で計画されており、綿密な計算のもと、故意に相矛盾する記述を紛れ込ませました。
 
 そして、こうした矛盾の中に日本建国の謎ともいえる古代史の重大な秘密が隠されたのです。
 つまり、編纂者である太安万侶か藤原不比等か、あるいはそれ以外の第三者かは分かりませんが何者かが記紀の中に秘密を隠し、その上に矛盾という仕掛けを置き、世界から契約の箱を隠すために神話を仕掛けたのです。 (参照
 
 永久に秘密を隠し続けるつもりなら、仕掛けは必要く秘密など最初から書かず証拠を隠滅してしまえば事足ります。
 わざわざそこに仕掛けを置くのは、のちに解明され世に公表されるためです。
 たとえば、地中に宝を隠す場合、まず宝を地中に置いたのち、土をかけて目立たなくし、その上に掘り出すための目印を置きます。
 目印を置かなければ、宝は永久に地中に眠り、逆に下手な隠し方をしたら、宝はすぐ誰かに掘り出されてしまいます。
 だから目印はあまり目立ちすぎても、目立たなくてもいけないのです。
 記紀の場合、その目印の1つとして矛盾という手段を用いたのです。
 そのために二書がどうしても必要だったのです。

 学者を含む多くの研究者たちは、記紀の矛盾する箇所を当時の記録の不完全さと解釈したり、有力豪族の顔を立てながら書かれた妥協の産物だから矛盾があっても当然とし、両書の一本化は不可能だったとしています。

 このように解釈されているのは、編纂者の思惑は現代においても効を奏していることになります。
 神話と史実を混ぜている状態では史実は分からないので、神話と史実を完全に分けて考えなければなりません。

 神道の神々を理解するためには、神は名前は違っても本質は同じ神であるケースが多々あり、別名を読み解くことによって本来の神道が浮き彫りになります。

 1人の神が兄弟になったり親になったり、いくつもの分身を作ります。
 原住民だったニーファイ人の琉球民族やクマソの人々の信仰をはぐくみ改宗を助ける目的で、原住民の言葉での神の呼び名を残したりもしました。
 また、死んだ預言者の先祖が「神」といわれることがあります。


 『旧約聖書』の詩篇では、人を神とよんでいます。
 
 
 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。
 「あなたがたはいつまで不正なさばきをなし、悪しき者に好意を示すのか。
 弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ。
 弱い者と貧しい者を救い、彼らを悪しき者の手から助け出せ」。
 彼らは知ることなく、悟ることもなくて、暗き中をさまよう。地のもろもろの基はゆり動いた。
 わたしは言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。
 しかし、あなたがたは人のように死に、もろもろの君のひとりのように倒れるであろう」。 (詩篇 82:1-7


 イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。
 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。
 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。
 わたしは、彼らに永遠の命を与える。
 だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。
 わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。
 そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。
 わたしと父とは一つである」。
 
 そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。
 するとイエスは彼らに答えられた、「わたしは、父による多くのよいわざを、あなたがたに示した。その中のどのわざのために、わたしを石で打ち殺そうとするのか」。
 ユダヤ人たちは答えた、「あなたを石で殺そうとするのは、よいわざをしたからではなく、神を汚したからである。また、あなたは人間であるのに、自分を神としているからである」。
 イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。
 神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)
 父が聖別して、世につかわされた者が、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『あなたは神を汚す者だ』と言うのか。
 もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。
 しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」。
 そこで、彼らはまたイエスを捕えようとしたが、イエスは彼らの手をのがれて、去って行かれた。 (ヨハネ 10:25-39


 神話上では、預言者や教会員である神とされた人物を、上記の意味で祖神としていましたが、実際はその人物の信仰する神のことです。

 物部氏の歴史が記されている一書の『先代旧事本紀大成経』は偽書とされていますが、多くの真理を含んでいて正しい内容も多いです。
 『先代旧事本紀大成経』の中で聖徳太子は、次のように述べています。

 「神代の昔でさえも、神と同じに人の魂をまつることはなかった。
 今の人の代もこれにしたがえ。……
 先人を崇めるときは神としてまつってはいけない。
 墓を造っても良いが、人を神としてまつってはいけない」 (第70巻 神職憲法 第14條)


 すなわち、人間を真の神と同様に扱ってはいけないと述べています。

 聖徳太子の当時においても、先祖を「神」と崇める風習が人々にありました。
 本来は神話で神とされる人物の信仰する神をまつっていたのですが、本来の方法ではなく人を神としてしまうのを禁じているのです。
 神話上で人物の名前に「命」を付けるのは、「永遠の命」をえらるであろう義人の名前に付けたと思われます。
 
 古代の豪族は、別名を知ったうえで氏神として神社にまつります。
 自分たちの祖先としてまつり、自らの出自を神話の中に結びつけますが、本来は多くの神が存在したのではありません。
 したがって、古代の神を復元する場合、こうした別名を一つ一つ統合していけば良いのです。


 徐福集団の末窩たちは、自らが奉じるユダヤ教をもとにして日本独自の神道という信仰を生み出しました。

  5 秦朝のユダヤ人 1/2~2/2

  6 徐福渡来と神道解明 1/5~5/5 

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 神道は、神会ヤハウェ(エホバ)を崇拝するユダヤ教でした。
 もともとヤハウェという名は「私はある」という意味で、呼称名ではないのです。

 ヤハウェには「私は、〇〇である」の〇〇の名前の部分がないのです。

 ヤハウェという名の意味は「独立的に存在する者」または「永遠」という意味です。
 古代ユダヤの慣習では、この「ヤハウェ」あるいは「私はある(独立的に存在する者)」という称号は、神の怒りを招くという恐れから容易に口にされませんでした。
 イエスはかつて、アブラハムの子孫であることが神の祝福を優先して受けられる保証であると思っていたあるユダヤ人から、質問や非難をあびせられたとき、次のような宣言をもって彼らの悪口に答えられました。


 あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。
 彼も死に、預言者たちも死んだではないか。あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。
 イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。わたしに栄光を与えるかたは、わたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのは、そのかたのことである。
 あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。
 もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような偽り者であろう。
 しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。
 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。
 そしてそれを見て喜んだ」。
 
 そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。
 イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。
 そこで彼らは石をとって、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。 (ヨハネ 8:53-59
 
 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」 (新共同約 ヨハネ 8:58)
 
 この御言葉の真意は、次のように書けばもっと分かりやすくなります。
 すなわち、『よくよくあなたがたに言っておく、アブラハムの生れる前から、「私はある」であるとなり「アブラハムの生れる前からわたしはヤハウェ(エホバ)である」と言われたのと同じことです。

  わたしは有る ヤハウェ(英語 エホバ)

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 イエスは、この神聖でむやみに使えない呼び名を自分の呼び名であったので、ユダヤ人たちの目の前で堂々と言い続けました。
 律法の厳守ゆえに発音さえ忘れ去られた神の名を、イエスはいくどとなく自分がヤハウェであると証したのです。
 聖書を正しく理解していなかったユダヤ人にとって、その行為は神に対する冒涜と映ります。

 母のマリヤから地球に降誕する前の霊体だけだったヤハウェが、地球に誕生しイエスと名づけられキリストとよばれました。
 ヤハウェがイエス・キリストなのです。
 「ヤハウェ」は、「私は、〇〇である」という意味なのでイエス・キリストが地上に生まれ御自分を旧約の時代からの神ヤハウェ(私は、〇〇である)あると証したとき、「私は、イエス・キリストである」と言ったのです。

 アブラハムやモーセの時代は、ヤハウェに名をつけることができないので、ヤハウェ(私はある)とし、神の名をみだりによんではいけないという「十戒」を頑なに守るために、ヤハウェを意味する神聖四文字「YHWH」をあえて「」を意味する「アドナイ」と発音を言い換えて、主(アドナイ)とよんでいました。

 このため、ヤハウェ=イエス・キリストは便宜上、さまざまな名でよばれることとなります。
 ヤハウェやヤハウェのときの出来事を表スサノオ、イエス・キリストとして天照大神、国を支配する神として大国主、食べ物をもたらす神としての豊受大神などの呼び名が生まれます。
 やがてそれらが独立した神々として信仰されるようになると、いくつもの神話が生み出されていき、ついにはその真意が理解されないで多神教的な神道へと変貌していくのです。

 

  八百万の神の誤解と正体

 一般には、八百万の神とは自然の物には神が宿っている考え方であり、自然に存在する物を崇拝する気持ちが神が宿っていると考えることから八百万の神といわれるようになったと考えられています。
 「神が八百万いる」と思っているなら思い違いです。 

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 ヤオヨロズは、ヘブル語で、ヤオ・ヨロズと分解され、「ヤオ」は「ヤハウェ」(英語エホバ)の短縮形で、「ヨラド」は「産む」です。
 

 主がこれらの言葉をわたしに告げられたのは、夜であった。
 「わたしはこれらのように、あなたとあなたの後の子孫を増やそう。もしあなたが砂の数を数えることができるとすれば、あなたの子孫の数もそのようであろう。」 (アブラハム 3:14

 「八百万(ヤオヨロズ)」とは、ヤハウェが多く子孫を産み増やすという意味なのです。

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 神道は、神の道です。


 イエスは彼に言われた、「わたしはであり、真理であり、である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。
 しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。 (ヨハネ 14:6-7

  永遠の命

 真の神道の教義では、人は神の道を従順に歩むなら、復活しイエス・キリストの贖いの効力で、来世では神になります。 (参照
 
 「八百万(ヤオヨロズ)の神」とは、ヤハウェが多く子孫を産み増やし、人は神の道を歩み神になることなのです。

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 紀元前3世紀に中国大陸から渡来した徐福集団は、のちに海部氏(あまべし)、物部氏とよばれます。

 そののちの紀元3世紀末に、初代天皇をリーダーとする原始キリスト教徒の秦氏が、旧約の民のイスラエルに伝道すべく、シルクロードをへて朝鮮で国を形成したのちに日本に渡来しました。

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 ほとんどの旧約の民の物部氏は新約の教えに改宗しましたが、理解をせずに反抗し改宗しない物部氏もいました。
 原始キリスト教徒の秦氏が建てたヤマト王権に反抗し改宗しない物部氏は、ヤマト王権から弾圧され旧約の儀式などは封印されました。

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 『古事記』と『日本書紀』(記紀)が成立する紀元8世紀の奈良時代には統制があったようで、籠神社の主祭神もまたかつては「火火出見尊(ホホデミノミコト)」でしたが、紀元717年からは「天火明命(アメノホアカリノミコト)」に変えられています。

 現在の籠神社の海部光彦宮司は、籠神社だけの極秘伝をこう伝えています。
 
 「籠神社の主祭神は火明命(ホアカリノミコト)です。
 火明命には、いくつかの別名があります。
 ニギハヤヒ命もその1つですが、籠神社にとってもっと重要な別名があります。
 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)です。
 記紀を見ても、これは記載されていはいません。
 わが籠神社も、養老元年(紀元717年)までは、主祭神として彦火火出見尊をまつっていましたが、そののちはわけあって『海部氏系図』の始祖の火明命としてまつっております。」
 
 

  多次元同時存在の法則
 
 1984年、第81代海部穀定(あまべよしさだ)宮司は『元初の最高神と大和朝廷の元始』を発表し、日本古代史や神道史学界を驚かせました。
 海部光彦宮司は、日本神話を読み解くための籠神社の極秘伝の1つを「多次元同時存在の法則」と名付けました。

 「多次元同時存在の法則」は次の5つの法則です。

 ・神に適用され原則として実在の人間には適用できない。(現人神の天皇陛下の場合は適用できる)
 ・神の世界ゆえ時間と空間を超越する。
 ・神は分身を作ることがある。
 ・神の分身は別名となって表現される。 
 ・同じ名前の神は同一神。
 
 この考えにより日本神話が史実だけではなく、神も多くの別名があるということが分かります。
 
 この考えを取り入れて日本神話を解明すると、多くの神の名前が真の神を表す名前であり、また日本神話の神たちが聖典の人物やその物語であったり、徐福たちや秦氏たちの預言者などを神としてまつる祖先である祖神とした物語だと分かるのです。


 神話と歴史は根本的に違います。
 神話は、伝えたい教えや過去の歴史をフィクションとしているのです。
 多次元同時存在の法則を簡単に説明すれば、神話において神々は分身を多く作り、同じ神が違う名前で違う場所と時間で活躍するのです。
 男神から女神になりときには親子や兄弟となり、一人二役から一人三役、四役……と、多くの役割を演じるのです。
 
 日本神話の多くの神々は、神道の最高神、天照大神=イエス・キリスト(ヤハウェ)を表した名前の別名か、イエス・キリスト(ヤハウェ)を信仰する人物が神とされているかにすぎないのです。

 天照大神から初代神武天皇にいたる天照大神の直系の神々の系図はこうなります。

 天照大神 ―― 天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト) ―― 天火明 ―― 火遠理命(ホオリノミコト) ―― 鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト) ―― 神武天皇
 
 天火明は『先代旧事本紀』には、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊天火明(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシミカタマニギヤハヒ)」とされています。

 「火遠理命」は別名「山幸彦」、また別名に「火火出見尊(ホホデミノミコト)」があります。
 正式には「天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコ〔タカ〕ヒコホホデミノミコト)」といいます。

 神武天皇は天皇陛下として即位する前は『日本書紀』では「神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト)」『古事記』では「神倭伊波礼比古命(カムヤマトイワレビコノミコト)」とよばれていました。

 ヘブル語で「カム(KUM)」は、群れを大量に集める意味を持っています。

 「ヤ」はヘブル語の「ヤハウェ」の短縮形で、「マト(מטה)」は「分家、枝」の意味があります。
 旧約の時代『モルモン書』の預言者ゼノスは、ヤハウェであるイエス・キリストがぶどう園の主人で、オリーブの木の枝をイスラエルの民や異邦人の人々にたとえ、イスラエルの民の背教と集合のたとえ話をしました。 (オリーブの木のたとえ話
 したがって「ヤマト」とは「ヤハウェの民(分家)」です。

 したがって、カム・ヤマトは「ヤハウェの民(分家)を大勢集める」という意味になります。
 
 そして、イスラエル人のことをヘブル語方言のアラム語では「イワラ(IWARAA)」とよび、ヘブル語では「イフディ、イワデ(YEHUDI)」とよぶため、類似した発音を持つ「イワレ」の語源も同様にヘブル語です。
 ヘブル語で「ビコ(VQWR)」は「渡来した」の意味です。
 
 この2つの言葉を組み合わせると「イワレ・ビコ」は「渡来したイスラエル人」という意味になります。
 
 「ミコト」は尊い人の意味で使われ、神話でも「ミコト」の表記に「命」や「尊」が当てられています。
 「永遠の命」を得る方々に「命」を名前につけたのかもしれません。
 「ミコト」は、以前より「ミカド、ミガド」と読まれていました。
 ヘブル語の「ミガット」は「永遠の命」という意味です。

 リーハイは「アダム堕落したのは人が存在するためであり、人が存在するのは喜びを得るためである」と宣言しました。(2ニフ 2:25
 最も偉大な喜びは、永遠の命です。
 主は「人の不死不滅永遠の命をもたらすこと、これがわたしの業であり、わたしの栄光である(モーセ 1:39)」と宣言されました。

 これらすべての文字を組み合わせると、神武天皇の別名の「カムヤマトイワレビコノミコト」は、「ヤハウェの民(分家)を大勢集める渡来したイスラエル人、神に忠実な聖徒」となります。

 原始キリスト教徒の秦氏の長であった神武天皇は、ヤハウェの民(分家)、つまりキリストを心から信じる者を指す「イスラエル」を集める目的があったのです。
 
 イスラエルにいたイエス・キリストは、使徒たちに言いました。
 

 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。
 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
 わたしは門である。
 わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。
 わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
 
 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。
 そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。
 そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。
  
 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。
 彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。
 そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。
 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。
 命を捨てるのは、それを再び得るためである。
 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。
 わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。
 これはわたしの父から授かった定めである」。 (ヨハネ 10:7-18


 

  良い羊飼い
 
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 『日本書紀』には、神武天皇の死後に与える名前である諡号(しごう)は「日本磐余彦火火出見尊(ヤマトイワレビコホホデミノミコト)」と記します。
 
 籠神社の海の社殿(神社の建造物)といわれる冠島(かんむりじま)は、天火明命の降臨地といわれ徐福が渡来した島です。

 天火明命は、徐福のことです。
 
 籠神社の極秘伝によれば、天火明命(徐福)と本来の主祭神であった「火火出見尊」は同一神です。
 「火火出見尊」とは、神武天皇の別名です。
 
 天火明命 (徐福) = 火火出見尊 (神武天皇)
 
 神武天皇の業績は、徐福と同様です。
 徐福は日本に旧約の神社を築き国を築きました。
 神武も日本に新約の神社を築き国を築きました。

 祖神としてまつる徐福は、徐福の神、ヤハウェをまつっていることになります。
 祖神としてまつる神武天皇は、神武の神、イエス・キリストをまつっていることになります。
 
 ヤハウェはイエス・キリストであり、肉体を受けられる前のキリストである霊体がヤハウェです。 
 したがって、天火明命(徐福)の神ヤハウェと、火火出見尊 (神武天皇)の神イエス・キリストは同じ神なのです。


 徐福集団の末裔の物部氏や海部氏などは、原始キリスト教に改宗したので、イエス・キリストを信仰する神武天皇=火火出見尊を祖神としてまつりました。
 
 天照大神はイエス・キリストです。

 『旧約聖書』には、イサクの子でありアブラハムの孫であるヤコブに、主がイスラエルという名を与えられたことが記されています。(創世 32:28
 
 このイスラエルという名は、ヤコブやその子孫に対して、またその子孫がかつて旧約の時代に築いた王国に対して用いられます。
 別の意味で、イスラエルはキリストを心から信じる者を指します。 (参照
 
 イスラエルの血統に属さない人は、イエス・キリストを信じ悔い改め水に沈めるバプテスマを受け、聖霊を受けることによって、アブラハムの家族となりイスラエルの家の一員となります。 (参照

 福音の救いの儀式を受けた人は、引き続き主の戒めに従うことによって、イエス・キリストの息子、娘となります。


 

  救いの計画
 
  神の戒め

       resurrected-christ2

 日本の神話の神の名前を解明する具体例を物部氏の祖神、天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシミカタマニギヤハヒ)を使って説明しまょう。

 若狭湾に上陸した徐福集団は海部氏となりました。
 次いで九州に上陸した徐福の童男童女と技術者たちは、高度な文化を基に筑紫平野全域に広がり、のちに物部氏とよばれました。
 
 物部氏の祖神は「ニギハヤヒ命」であり、「ニギハヤヒ命」を代々氏族長の称号のように用いています。
 『古事記』には天火明命(徐福)、『日本書紀』には火明命(徐福)、天照国照彦火明命(徐福)で、先代旧事本紀』には天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシミカタマニギヤハヒ)と記されています。

 「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」の長いい名前の中にいくつかの意味が読み取れます。
 「天照・国照彦・天火明・櫛甕玉・饒速日命」

 名前の頭に「天照(アマテル)」とあり、天照大神=イエス・キリストを意味しています。

 「天照」は、天=イエス・キリスト、照=日の栄えの召された火=霊体であるヤハウェを表します。
 
 「国照彦(クニテルヒコ)」とは国照大神のことで、これは藤原不比等が漢訳したものとされ、一般に偽書とされる『九鬼文書(くかみもんじょ)』に記された「国照スサノオ命」の別名です。
 『古事記』では建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)、須佐乃袁尊、『日本書紀』における表記は素盞嗚尊、素戔嗚尊とあります。
 『出雲国風土記』では神須佐能袁命(カムスサノオノミコト)、須佐能乎命などと表記します。
 ヤマト王権が成立する以前に、出雲地域を成立させていた、日本建国の始祖であり、諡号(しごう)を神祖熊野大神奇御食野尊(カムロギクマノオオカミクシミケヌノミコト)といいます。

 スサノオの別名を、布都斯御魂大神(フツシミタマのオオカミ)といいます。
 「フツ」は、ジョフツ(徐芾=徐福)に通じます。
 一般に徐福とされていますが、『史記』の秦始皇本紀には、徐芾(じょふつ)という名前で登場します。
 これは中国語で「福」と「市」がともに同じ音「フー」であるため、借字(漢字の意義にかかわらず、その音や訓を借用して書き表す方法)したのだと思われます。
 のちの記録がすべて徐福となっています。

 スサノオ命は「素菱鳴尊」と表現されるように荒ぶる神です。
 一方、『旧約聖書』におけるヤハウェも荒ぶる神です。
 天変地異を引き起こし、レビアタン(リヴァイアサン)を退治するエピソードも、スサノオ命のヤマタノオロチ退治に反映されています。

 また、スサノオ命は出雲神の代表格で、出雲とは雲を出すとも読め、スサノオ命が詠んだ日本最古の和歌「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」に端的に示されるように、八雲や出雲など、雲がスサノオ命の代名詞ともなっています。

 ヤハウェはイスラエル人の前に姿を現すときは、雲を伴いました。
 モーセたちイスラエル人を導くときは雲の柱となり、契約の箱を収めた幕屋でも現れるときは雲が部屋をおおい尽くしました。 
 
 
 主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。
 昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。 (出エジ 13:21-22

 ヤハウェは雲を出す出雲神と表現できるのです。
 ユダヤ人ユダヤ教徒であった徐福たちは、ヤハウェを『旧約聖書』に記された故事にならって出雲神、荒ぶる神として表現されたスサノオ命とよびました。



 国照とは、国を日の栄えの召された火の力で照らすということで「国照=ヤハウェ」です。

 「ビコ(VQWR)」はヘブル語で「渡来した」の意味です。
 また、日本では「彦」は男性に使われます。

 天照は、イエス・キリストを表し、国照は、ヤハウェを表します。
 つまり、旧約時代からヤハウェを信仰していて、新約時代にはイエス・キリストを信仰するにいたったのです。


 「天火明」は「徐福」のことです。

 『上記(ウエツフミ)』では、ニギハヤヒは別名・火明(ホアケ)の命であり、天孫であり神に仕える者として、九州に降臨したとあります。
 

 物部氏の祖神(神としてまつる祖先)は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊です。

 天火明命の名を掲げたのは、海部氏と同族であるレビ族の尾張氏(おわりし)です。 
 三種の神器の1つ草薙剣を御神体としてまつる熱田神宮に仕えるのが、尾張氏です。

 『先代旧事本紀』のニギハヤヒ命と『但馬故事記』のホアカリとは異名同体とされますが、尾張氏はニギハヤヒ命を天神(イエス・キリスト)として、天火明命を天孫(イスラエル=キリストの子)としています。
 日本史学者の太田亮の著作『姓氏家系大辞典』「尾張」の項では、「饒速日命は天神にして、火明命は天孫なり。断然別人とすべし」と記しています。

 天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊は、秦朝からの技術集団や東ユダヤ人・レビ人の含む物部氏、海部氏の始祖「徐福」です。
 物部氏や海部氏の祖先の徐福をと祖神してまつり、その名前に信仰する神を表しました。
 徐福の信仰する神は、ヤハウェ=イエス・キリストです。
 イスラエルでは、先祖の神と表して、ヤハウェ=イエス・キリストを言い表していたのです。

 
 わたしが一心に志すのは、人々がアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神のもとに来て救われるように、説き勧めることである。 (1ニフ 6:4

 また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。
 モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。 (出エジ 3:6

 「櫛甕玉(クシミカタマ)」は大物主です。
 
 物部氏の祖神である大物主は、『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』では大物主櫛甕玉といいます。

 大物主は、『日本書紀』の一書では、大きな国を築いた神、大国主の別名としており、籠神社と並び日本最古の神社の三輪山の麓の大神(おおみわ)神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神としてまつったとあります。
 大神神社の主祭神は、「倭大物主櫛甕玉命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)」です。

 「倭(ヤマト)」の「ヤ」はヘブル語の「ヤハウェ」の短縮形で、「マト(מטה)」は「分家、枝」の意味があります。
 したがって「ヤマト」とは「ヤハウェの民(分家)」です。
 
 「大物主」は物部氏の神という意味です。

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 三輪山は、形の整った円錐形の山です。
 ヤマトであるヤハウェの民(分家)の古代アメリカら渡来した人々はマヤ文明などの神殿様式を基本とし、日本では自然のピラミッド状の山があるので山を加工して神殿を建設したのです。

  3 古代アメリカからの日本の先住民 1/4~4/4
 
  4 沖縄の線刻石板と海底遺跡 1/2~2/2


 大物主とは、記紀では三輪山に鎮座する大神で正体は蛇神とされ、旧約時代の蛇神はヤハウェのことです。 (参照