jacobsplates

 当然のことですが、ここは教会の公式ページではなく、教会員の分かち合いサイトです。

 とくに日本で「宗教」をばかにする人々の多くは、宗教とは弱者の気休め、現実逃避、非科学的であり、うそでだましたり、空想を信じ込ませるものと思っている傾向があります。
 わけも分からず信じる盲信、深い考えもなくみだりに信じる妄信、科学的に正しい根拠もなく信じる迷信は、ばかげていてくだならいです。
 そのような宗教や信者は多いです。
 さらに非道徳的で、詐欺など犯罪じみた宗教組織、狂った信者も存在します。

 「聖典研究サイト」は、末日聖徒イエス・キリスト教会イエス・キリストが頭であり、預言者がいて、神権によって支えられ、聖霊によって導かれるイエス・キリストの救いを得られる、この地上で唯一のイエス・キリストの教会であることを証し学び合うために作られました。
 イエス・キリストの福音は、単なる自己改善や良い生活をするための教えではなく、自分がどのような人物か証明するための試しの現世従順に神の歩み幸福を得て、来世で神のようになれる唯一の教えです。

 すべての聖文の第一の目的は、父なる神御子イエス・キリストを信じる信仰をはぐくむためです。
 すなわち、御二方が生きておられるという信仰、不死不滅永遠の命をもたらす御父の計画を信じる信仰、救いの計画を可能にするイエス・キリストの贖罪復活を信じる信仰、イエス・キリストの福音を私たちの生き方とする信仰で私たちの心を満たすことです。
 
 無知や誤解や盲信ではなく、聖霊からの答えと科学的な証拠から、まだ見ていない真実のことを待ち望み、信仰をはぐくみ従順に歩むことが大切だと考えています。
 
 私たちは、聖文や預言者の啓示と教えや最先端科学から、ハイレベルな聖典研究を分かち合っています。
 聖典の歴史的な記述をフィクションや寓話と考えません。
 預言者の教えと科学的な証拠から『聖書』や『モルモン書』などの聖典の内容が真実であると証明しています。

 忠実な教会員の聖徒とは、主に従おうと努力を続ける罪人です。
 「聖典研究サイト」製作者は、当然ながら弱さももありますが、主の教えや模範、預言者の教えを大切に思っています。
 また教会員の皆さんの模範と助けを尊敬し感謝しています。

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 ジョセフ・F・スミス大管長は、このように述べています。
 「私たちは、どんな事柄に関するものでも、すべての真理を信じる。
 世のすべての教派宗派は、私たちが受け入れている真理の原則を1つはもっている。
 私たちは、出所がどこであろうと、すべての真理を喜んで受け入れるものである。
 なぜなら真理はいつまでも存続するからである。」 (大会報告 1909年4月 p.7)
 
 「聖典研究サイト」の製作者は弱いので神に頼り、10年間1万時間以上、末日聖徒イエス・キリスト教会の聖典、預言者たちの教えを研究しています。
 また、預言者にならうべくユダヤ密教、キリスト教、ユダヤ教、神道、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教などにある真理を研究しています。
 とくにユダヤ密教、神道、仏教の本当の教えを預言者からと秘密のルートから学んでいます。
 したがって真理ではない一般常識と異なる点があります。
 
 主に基本的な福音の教義信仰箇条を広く深く研究して、真理を探究する方々と分かち合っています。
 
 研究はBYUの教授以上、部分的には世界で唯一のハイレベルな内容になっています。
 神の奥義とは、啓示によってのみ知ることのできる霊的な真理てす。
 
 ジョセフ・スミスは、忠実な教会員のことである聖徒に、こう述べています。
 「私はすべての聖徒に、神の奥義の謎をより深く探索することを勧めました。」 (『教会歴史』 6:363)

 神は福音従順な人に奥義を明かされます。
 神の奥義の中には、まだ明らかにされていない真理もあります。
 
 私たちは、神の奥義だけを興味本位で求めてはいませんし、浅はかに奥義を知った気になって自分勝手な決めつけで誤解はしません。

 教会の教義以外の内容は、当然ながら個人的な解釈や仮説も含んでいて、細かい点の誤解や仮説の基となる資料に誤りがある場合もあるでしょう。
 解釈や仮説は、聖文や預言者の教え、証明されている科学に反さないように、聖文や預言者の教え、科学を熟知している読者のある程度の査読によって改善され続けるように努めます。
 
 私たちは、真理に推論など真理ではないかもしれないことを混ぜて、新しい真理として主張はしていません。
 インスティテュートの生徒用資料にも研究者の推論が記述されています。

 教義と推論の区別ができない方々は、混乱と誤解の危険があるので聖文と預言者の啓示や教えと詳細に照らし合わせて記事を熟読するか、記述をいっさい読まないことをお勧めします。
 加害者も被害者も出したくありません。
 「聖典研究サイト」の製作者は、教義のみを教える教会の教師ではありませんし、教えているのではなく話し合い分かち合えっているので、偽教師のようだと考えるのは的外れです。

 
 ブリガム・ヤングは「私の宗教は、自然科学です」と述べています。 (1857年2月1日 Journal of Discourses 『説教集』 4:202)
 
 ラッセル・M・ネルソン長老は、次のように述べました。
 「代々引き続いて、神はさらなるを与えました。
 真理が科学の研究所から、または直接明らかにされた事実によって来るかどうかにかかわらず、真理は福音によって包含されます。」 (Russell M. Nelson Perfection Pending and Other Favorite Discourses Salt Lake City Deseret Book 1998 p.231)

 ジョセフ・F・スミスは、真理を学ぶときの注意点をこう述べています。
 「教会は標準とすべき神の啓示という明確な権威を固守しています。
 そして、いわゆる『科学』が時の経過とともに推論を変化させるのに対して、神の啓示は真理であり、永遠に存続します。
 また、科学は神の啓示が明らかにしている真理に従わなければなりません。
 神学を教えるために教会が設立した機関やそのほかの教育施設においては、教師は教会の原則や教義と一致していなければなりません。……
 末日聖徒の宗教はいかなる真理に対しても、また真理を探究するいかなる科学的手法に対しても敵対するものではありません。
 
 大管長会は、聖徒に向けたクリスマスメッセージの中でこのように述べています。
 『実証されている事柄について私たちは喜んで受け入れています。
 けれども、空虚な哲学や人の理論、単なる憶測については、受け入れていません。
 また、神の啓示と良識に反するものを受け入れていません。
 正しい行動に向かわせるもの、道徳的に健全であるもの、神を信じる信仰を深めるものについては、それがどこで見いだされたものであっても、私たちは受け入れています。』(“Words in Season from the First Presidency” Deseret Evening News 17 DeC.1910.3)
 
 哲学的理論の研究をしようと心に決めている若人がモットーとすべきことは、すべてのことを研究しても良いのですが、真実な事柄のみを固守するよう注意することです。
 真理は変わることなく存続しますが、哲学者の理論は変化し、覆されます。
 科学的な目的で、真理を求めて未知の世界に入っていくために、今日一時的な足場として支持する理論も、その目的が果たされたら明日には放棄されるかもしれません。
 しかし、信仰は謙遜な信者が永遠の慰めを手に入れることのできる永遠の原則です。
 神を見いだす方法はほかにありません。」 (“Gospel Doctrine” p.38-39) 

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 ビッグバン仮説や進化論斉一説などを混ぜて聖文解釈はしません。
 疑似科学や福音に反する哲学、デタラメで低俗なオカルト、空想のスピリチュアル、妄言が混じっている陰謀論は排除しています。
 また科学の定説や仮説、社会の常識であっても、聖文や預言者の啓示に反する点は排除しています。
 つまり学校で教えていることやTVでいわれている常識とは違う記述もありますが、聖文や預言者の啓示と教えには合っています。
 
 非公開記事ではない一般公開記事は、聖文や預言者の啓示や教え、多くのさまざまな物証や科学情報を記述した詳細で膨大な文章の非公開記事の一部抜粋です。
 一般公開記事だけではよく分からないので、先入観から常識で否定したくなるかもしれません。
 非公開記事では、多くの疑問や否定意見を解決してあります。
 教義的な疑問は聖文と預言者の教えなどから、ほぼすべて正しい答えが得られます。

 ハロルド・B・リーは、次のように述べています。
 「真の宗教と真の科学は、調和しています。
 科学の真理の基本的な教えと真の宗教の教えとの間に衝突や争いがあったという危険な仮定があると、私は常に考えています。
 意見の相違があるならば、それはどちらか一方が真理にたっしなかったからです。」 (“I Dare You to Believe” USAC Baccalaureate Address May 31 1953 Church News, June 6 1953 p.4-5,19)

 おそらく多くの教会員は、何が正しいのか考えてても分からないし、学校で教えていることが正しいと決めていると思います。
 誤解していることも自分たちでは気づいていないでしょう。
 学校で教える常識と一見矛盾する聖文や預言者の教えを積極的に解決しようとするのでなく、いずれ解決されるまで待つ姿勢をとっていると思います。

 ブリガム・ヤングは、次のように雄弁に語りました。
 「〔私たちの〕宗教は……熱心に知識を求めるように〔私たちを〕促すものです。
 末日聖徒以上に、真理を見、聞き、学び、理解したいと強く願っている人々はほかにいません。」 (Discourses of Brigham Young 『ブリガム・ヤング説教集』 p.247)

 ダリン・H・オークス長老は、こう述べています。
 「教会の知識の追究は特別な方法で行われます。
 それは、知識には世俗的知識と霊的な知識という、次元の異なる2種類の知識が存在すると信じるからです。
 私たちは、世俗的次元の知識は科学研究によって、そして霊的次元の知識は啓示によって追究します。
 啓示とは神から人への交信であり、預言者のみならず、求める人は誰でも受けることができます。」 (「わたしたちの教会の基本的教義」 『リアホナ』 2011年1月 p.31)

 「私は知識を得るための方法が2つあることを知り感謝しています。
 その2つとは、科学的な方法と霊的な方法であり、後者は神を信じる信仰に始まり、聖文、霊感による教え、そして個人の啓示に頼るという方法です。
 この2つの異なる方法によって得る知識の間に最終的な矛盾はありません。
 それは、全能の永遠の御父である神は、すべての真理を御存じで、2つの方法によって学ぶよう勧めておられるからです。
」 (「神の 証人になる」 『リアホナ』 2015年3月 p.18)

 私たちは、聖文や預言者たちと霊感をくださる神に感謝しています。
 偉ぶるつもりも、ひけらかすつもりもありません。
 私たちは「聖典読書」をして読書感想を分かち合っているのでありません。
 熱心に真理を探究し研究している方は、聖文や預言者の啓示や教えを基に、信仰と証を強めるために、賢明な思考と聖霊の影響力から、理知的に霊的に分かち合いましょう。
 聖文や預言者の教えの無知や誤解から、教会員がつまづくのは悲しいので、聖典研究を分かち合える方々と分かち合い助け合っています。

 以下のスタンスの方とは話にならないので、議論も交流もしません。

 ● わけも分からず信じたり、よく読まないでデタラメと決めつける。
 ● 聖文と預言者の啓示、真理に疑問をもったとき、解決するのではなく反論し論争する。

 そして、「知識層」「知的モルモン」を自称する「リベラル(自由主義)の教会員」たち、彼らのグループに参加している人々を相手にせずに遠ざかっています。
 高慢な彼らは無知と誤解から、戒めを認めずに従わず、創造主をばかにして進化論を信じ、『モルモン書』をフィクション、預言者と偽預言者と主張しています。

 教会の誹謗中傷、教会員たちへの悪口、啓示をばかにして自説のほうが正しいと主張しています。
 証がなく正しい信仰も乏しい彼らは、教会員の証を嘲笑します。

 「高等批評」を行っている「知的モルモン」「リベラル(自由主義)」を自称している教会員の主張は、前世でのルシフェルの論説と同様です。
 彼らは神や預言者よりも自分が正しいと思っているので、自分の思いや主張の妨げになるなら、教会の公式の教えであっても「教会の公式資料ではない」「過去のものであり間違い」と間違ったことを正しいように述べ、律法を無視して自分好みに教会の教えを変えようと主張しています。 
 結果的に利己心を動機として悪魔の道具として、働いているのです。 
 
 大管長会第一副管長・十二使徒評議員会会長のハロルド・B・リーは、こう述べています。
 「教会には、自らをリベラル(自由主義者)と主張し、かつての〔ジョセフ・F・スミス〕大管長が述べたように『自分のうぬぼれた考えに照らして読む』者たちがいる。(『福音の教義』 2:116)
 私はかつて教会の教育関係の指導者にリベラル(自由主義者)をどのように定義するかを尋ねたことがある。
 彼は一言でこう答えた。
 『教会内の自由主義者とは、をもっていない人、これだけです。』

 十二使徒評議員であり著名な教育家でもあった故ジョン・A・ウィッツォー博士は、教会内のリベラル(自由主義者)について次のように述べている。
 『(教会内で)自らをリベラルと称する者は、通常自らの属している組織の基本原則または指導原理すなわち信条を破っている者であり、組織の一員であると主張しながらその基本原則を信じておらず、基礎を揺るがして組織を改革しようとしている者である。
 不変の真理の上に建てられていると主張しながら、リベラル(自由主義)を信奉する宗教などというものはありえない。」

 そして、ウィッツォー博士はこのように結んでいる。
 『自分たちがまたは自分たちの教会はリベラル(自由主義)に基づいていると公言する人々に十分注意すべきである。
 彼らの信仰の家は砂の上に建てられていて、真理の嵐に耐えられないからである。』(「証拠と一致」 Improvement Era 第44巻 1941年 p.609)……
 私は教会のある有名な科学者が、このように語るのを聞いたことがある。
 『多くの大学教授がアダムの堕落と救い主の贖いを哲学的に解明しようとしたり、論理付けようとして、その結果教会を去っている。』
 これは、主の預言者を通して、また聖なる場所においてさらに完全に『神の奥義』を理解できるよう主が私たちに明らかにされたことよりも、人の哲学を受け入れたためである。……
 主は人々の信仰を破壊しようとする者、神のみ言葉から遠ざけようとする者、『鉄の棒参照〕』から手を離させようとする者に対し、警告を発しておられる。
 鉄の棒は、贖い主を信じ、この地球と人類に関する主の目的を信じている者を守るものである。

 主は警告しておられる。
 『しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。』(マタイ 18:6
 真に信じている者を破滅に追いやるようなことをするよりも、またそのことにより自らの永遠の行く末に罰を招くよりも、この世で死んでしまう方がよいと言われたのである。
 使徒パウロも悪い模範によって偽りの教えを伝えることの危険について述べている。
 『しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。……
 するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。
 このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。』(1コリ 8:9,11-12
 預言者ヤコブは当時の学識ある人人について述べているが、これは今日においても繰り返し述べる必要のあることである。
 『おお、悪しき者のあの狡猾な策謀よ。
 おお、人の虚栄と意志の弱さと愚かしさよ。
 人は学識があると自分は賢いと思い、神の勧告に聞き従わない。
 そして自分独りで分かると思って神の勧告を無視するので、彼らの知恵は愚かであって役に立たない。
 そして彼らは滅びるのである。
 しかし、神の勧告に聞き従うならば、学識のあるのはよいことである。』(2ニフ 9:28-29)」 (「鉄の棒」 総大会 1971年4月) 
 
 ジェームズ・E・ファウスト長老は、こう述べています。
 「教会に対して忠誠と忠義を唱えていながら、預言者ジョセフ・スミスや歴代の大管長によって受け継がれた伝統的な教義をけなしたり、多少とも反抗的な態度をとったり、そのような教えとは関係がないような素振りを見せることが、賢く世慣れた現代的な反応だと考えている人々が多少いるようです。
 そのような態度は、霊的な知識を欠いていることから生じるといえるでしょう。」 (「豊かな命を求める」 総大会 1985年10月)

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 エズラ・タフト・ベンソン長老は、こう述べています。
 「……教会員であるにもかかわらず教会と同調しない者がいる……。
 こうした人々は今は会員権をもち、教会に対して影響をおよぼしているが、悔い改めなければ最後の会員記録からはその名が削除されてしまうであろう。
 私たちの民がこの原則を理解するのは良いことである。
 悔い改めず、しかもまだ断ち切られずに教会にとどまっている背教者から間違った方向に導かれることがないようにするためである。
 しかし、やがて清めのときが訪れるであろう。
 主はこう言われた。
 
 
 見よ、報復が地に住む者のうえに速やかに及ぶ。
 これは激しい怒りの日、焼き払いの日、荒廃の日、泣き、嘆き、悲しむ日である。
 それは旋風のように地の全面に及ぶであろう、と主は言う。
 わたしの家にそれは始まり、わたしの家からそれは出て行く、と主は言う。
 最初はあなたがたの中の、わたしの名を知っていると公言しながらわたしを知らず、わたしの家の中でわたしを冒涜した者の中に始まる、と主は言う。 (教義 112:24-26
 
 私はこの清めの日を待ち望んでいる。
 教会内でその必要性がますます明らかになってきているからである。……

 J・ルーベン・クラーク・ジュニア副管長は述べた。
 『私たちの会員の中に飢えた狼がいる。
 そして、ほかの人と同じように羊の衣を着ている。
 神権という衣を身にまとっているからである……
 私たちはそういう人に対して警戒しなければならない……』(Improvement Era 1949年5月 p.268)

 私たちの羊の群れの中にいる狼は、クラーク副管長が語ったときよりも、その数がおびただしく増え、狡滑になってきている。

 マッケイ大管長は、次のように語った。
 『教会は無知で誤解に満ちた、また悪意のある敵からの迫害や中傷によって傷つくことはけっしてない。
 発展のうえでより大きな妨げとなるのは、教会組織および定員会グループないのあら探しをする者や怠惰な者、戒めを破る者、背教する者である。』(Improvement Era 1967年12月 p.35)」 (エズラ・タフト・ベンソン 大会報告 1969年4月 p.10-11)

 ハロルド・B・リー大管長は、教会の内部から起こる偽りの教えについて、次のような警告を発しています。
 「私たちの中にも、狼のような者がいる。
 つまり、当教会の会員であると言っておきながら、群れを荒らしている者がいる、ということである。
 また会員の中にはさまざまな曲がったことを言っている者もいる。
 ここで言う『曲がったこと』とは、教会のまだ信仰の浅い会員を、自分のほうに引っ張り込むために、故意に正しい原則から目をそらし、悪に固執することである。

 また使徒パウロが言ったように、当時と同様、今日の私たちにとっても不思議でならないことがある。
 それは会員の中に、非常に早く、福音を教えてくれた人々から離れ、またキリストの福音の真実の教えから離れて堕落し、悪意悪計に満ちた慣習と儀式を行うような背教の道を歩み出す人々がいるということである。

 こうした背教者グループの中には考えもしなかった出来事をその身に招いているものもあるが、彼らは預言者の警告どおり、呪いを受けているのである。
 こうした人々は、明らかにときの初め以来、サタンのろうするあらゆる詭弁を駆使して弱い人々を陥れようとするあの悪魔の一味なのである。」 (大会報告 1972年10月 p.125) 

 ニール・A・マックスウェル長老は、こう述べています。
 「教会員は、福千年までこの麦と毒麦の状態の中で生活する。
 本物の毒麦の中には、麦のふりをしている者さえある。
 そのようなふりをしている者の中には、自分では信じてもいない教義を、ほかの教会員に熱心に説教する者がいる。
 彼らは、自分たちではもはや貢献していない教会の資財の使用に関して批判する。
 彼らは、自分たち以外の誰に対しても対決しようとし、教会から離れているにもかかわらず、自分たちだけで教会を離れることもできずにいる。」 (「子供のようになる」 エンサイン 1996年5月 p.68)

  麦と毒麦のたとえ

 
 ニール・A・マックスウェル長老は、こう述べています。
 「サタンはすべての人をカインユダのようにする必要はありません。
 サタンが必要としているのはただ、有能な人々に自分は教養のある中立派だと思わせれば良いのです。」 (Deposition of a Disciple 1976年 p.88)

 七十人会長会のリン・G・ロビンズ長老は、こう述べています。
 「あざけり笑う人々は、預言者のことを、今が21世紀であることを忘れているとか、偏屈だと言って責めます。
 教会を説得し、さらには圧力をかけ、神の標準を自分たちの不適切な行いのレベルにまで下げようとします。
 ニール・A・マックスウェル長老の言葉を借りれば、そのような人々は『自分の改善や悔い改めを求めず、自己満足を増長させるのです。』(「悔い改め」 『聖徒の道』 1992年1月参照)
 主の標準を社会での不適切な行いのレベルにまで下げること、それは背教です。」 (「どちらを向いていますか」 総大会 2014年10月)

 1875年にジョージ・Q・キャノン副管長が次のように述べているように、私たちはふるいにかけられています。
 「神が戒めに従わない人々を離反していくままにしておられることに感謝している。
 それによって神の教会が清められるからである。
 当教会はこの点において、世のいかなる教会とも異なっている……。
 人をふるい、悪を取り除く働きは、この教会の設立以来、今日にいたるまで続いている。」 (『説教集』 18:84)

 ジョセフ・F・スミスは、こう述べています。
 「兄弟たちの皆さん、私たちの敵であり、自ら破滅への道を歩み、悔い改めない人々、それと知ったうえで罪を犯している人々、神の律法背き、また主の僕に対して中傷と偽りの言葉を吐く人々に、手を下すことのないようにしてください。
 彼らを憐れんでください。
 彼らに手をかけてはなりません。
 彼らはそうしたいと思っているからです。
 そのままにして、望む所へ行かせてください。」 (Gospel Doctrine p.339)

  無知とうぬぼれの背教者 1/3~3/3


 聖典研究は、次のように行います。 

  聖典研究 1/2
  聖典研究 2/2
 
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