7 UFOの正体と2つのイエス・キリスト教会

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  ナチス・ドイツとアルザル 

 ドイツのオカルト結社であるヴリル協会を設立したのが、カール・ハウスホーファーです。
 彼は地底世界シャンバラへの入り口を見つけるためチベット探査を行わせました。

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 1874年、ロシアのペテルスプルグで生まれたニコライ・リョーリフ(ニコライ・レーリッヒ)は、本業の画家のほかに舞台美術家、作家、教育家として活躍する一方で、東洋思想に傾倒します。
 ロシア革命以後、インドのマハートマーモリヤに師事しながち、移住先のアメリカでさまざまな精神的・文化的運動を推進しました。

 1925年から5年半にわたり、シャンバラを捜し求めて、中央アジア一帯を探索します。
 1925年にリョーリフは師モリヤの足跡をたどり、巨大なキャラバンを率いてチベットに入りました。
 そして1926年、 ニコライ・リョーリフ(52歳時)はシャンバラからの手紙を旧ソ連の独裁政治家のスターリンに届け、スターリンはその手紙を読んで激怒したといわれています。
 手紙は現在行方不明で、ロシアの公文書館に眠っているともいわれています。
 
 1928年5月、リョーリフはチベット奥地の砂漠地帯を進んでいたとき、現地のポーター(運搬人)が歩みを止め、そこから先は禁足地なので入ることはできないと語りました。
 リョーリフは深夜に1人で禁足地に入り姿を消し、翌日リョーリフは帰ってきましたが、その表情はただならぬものであったといいます。
 リョーリフはシャンバラ・ゲートを発見しシャンバラ人に選ばれシャンバラへと移動しましたが、シャンバラで見たことは生涯語りませんでした。

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 1928年5月、チベットを訪れたリョーリフは禁足地に行きシャンバラへ行ったという噂に対して、 リョーリフは否定も肯定もしなくただシャンバラを題材とする絵を多く描き続けました。
 
 リョーリフの行程はまず北西インドのスリナガルからカラコルム山脈を越えて中央アジアに入り、ロシア領のバイカル湖にいたって南下、チベット高原を通って北東インドのシッキムにいたる行程でした。
 その踏破した距離は1万kmにもおよびました。
 その探索行においてリョーリフはさまざまな不思議体験をするのですが、彼自身はシャンバラに到達したとは語っていません。
 ただしその記述からは、リョーリフがただならぬ世界にかかわったことが読みとれます。

 たとえば次のようなエピソ-ドがあります。
 1928年5月、チベットを訪れたリョーリフ一行は、ある「谷」(秘密の谷)まで、ラサからの命令によりそれ以上進むことができなくなりました。
 一行は、真冬の5か月間をそこで過ごすことを強いられ、大部分の隊員5名が飢えと寒さで悲惨な死を遂げました。
 リョーリフ一行は、ヒマラヤ山中の狭い道をシッキムからさらに奥地を目指して車で走っていました。
 いくつものカーブを曲がり車はゆっくりと進んでいきます。
 ふと見ると前方から不思議な一団がやってきます。
 灰色の服を着た4人の男が駕籠(かご)を担いでいるのです。
 リョーリフは彼らをやり過ごすため車を止め、すれ違うときに何気なく駕籠の中を見ると、そこには王冠をかぶり赤と黄の法衣を着た気高い僧侶が乗っていました。
 僧侶を見ただけで、この世のものとは思えない高貴さが伝わってきて、僧侶の全身はオーラに包まれているかのようだったのです。
 リョーリフはさぞかし名のある高僧に違いないと思い、再びシッキムの町に帰ると、さっそくその出来事を土地のチベット仏教の僧侶たちに話し、出会った僧侶を知っているかと尋ねましたが、チベット仏教の僧侶たちは信じてくれませんでした。

 その理由を彼らはこう説明しました。
 「あなたの説明するような服装は、ダライ・ラマパンチェン・ラマのような最高位の僧にしか許されていないものなのです。
 それに駕籠は最高位の僧の死体を運ぶときに使われるものです。
 そして王冠は寺院の中でしかかぶらないものなのです。」

 そうするとリョーリフが出会った高貴な僧は何者だったのでしょうか。
 
 また、次のようなこともありました。
 ちょうど砂漠地帯を進んでたとき、ポーターたちが異様な気配を感じ先に進もうとしません。
 聞けばそこから先は禁足地なのだと言い、彼らが畏怖に震えているのがリョーリフには分かりました。

 リョーリフはシャンバラへの入り口があると分かりました。
 その夜、仕方なくそこで野営することになったのですが、夜中に彼は1人姿を消してしまいます。
 ポーターたちは心配しましたが、翌日何食わぬ顔をして彼は現れました。
 状況から彼が禁足地に入ったことは確かでしたが、彼はそこで何を見たのか何も話しません。

 リョーリフは何を見たのか詳細は不明ですが、その内容は1947年12月に西チベットのナガルで他界するまで明かしませんでした。
 多くの人々はきっとリョーリフはシャンバラの入り口に辿り着き、一瞬ではあったかもしれませんが、シャンバラに入ったに違いないと噂になりました。

 研究家によれば、一行が野営したのは現地の言葉で清めを意味するチベットのヒマラヤ山脈東端にある世界最長のツァンポ峡谷「サンポ渓谷(ツァンポ峡谷)」だった可能性があるといいます。
 サンポ渓谷(ツァンポ峡谷)周囲は、高い山々に囲まれていて、現詳細な調査がされたことがほとんどない秘境地帯です。

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 サンポ渓谷については1627年にステファノ・キャセラとヨハネス・カブラルのイエズス会士が、ブータンから中国に抜けるルートを探索していたときに地元の人々から聞いた話として、こう記録に残しています。
 「チェンベラとよばれる国が実在するという。
 そこはソグポとよぶ渓谷と接する場所から入るという。」
 チェンベラとはシャンバラのことで、ソグポともよばれるサンポ渓谷にはその入り口が存在するというのです。
 状況から見てリョーリフがシャンバラの入り口に到達したのです。

 彼は日記に記しています。
 「目の前には幅10mの縦穴を中央にして、外界との境を示す『白い巨石の板』が3本建っていた。
 外界との境とは、まさに地底王国シャンバラの入り口を指すと見て間違いない。
 その入り口には、巨大な目印の白く巨大な石板の柱が建っている」

 同じ物を別の箇所で、リョーリフはこうも記しています。
 「われわれもシャンバラの3個の白い標識の1個を見つけた」

 どうやらチベット奥地のソグポ渓谷には、明らかな人工物として3つの巨大な板状の石柱が建っているらしいのです。
 これこそ伝説の地底王国シャンバラの入り口を示す門のような印です。
 しかし、現在ソグポ渓谷一帯への立ち入りは中国当局によって厳しく禁じられています。
 インドと国境を接する紛争地帯であるのが表向きの理由ですが、実際は中国共産党の幹部および軍の上層部はシンバラの入り口を知っているのです。

 中国当局がシャンバラの三本石柱を最終的に確認したのは1993年で、シャンバラが実在することを確信した中国政府は軍事的な最重要地帯であるとして、辺り一帯を完全封鎖してしまったのです。



  ペンタゴン・ピラミツド

 ソグポ渓谷で謎の白い三本石柱を目にしたリョーリフは、以後、神秘的な絵画を描き始めます。
 多くは現在、ニューヨークリョーリフ博物館に収蔵されていますが、その中の一枚にヒマラヤ山中の小さな湖を描いた作品があります。
 湖の中央には島があり、そこにはとぐろを巻いた蛇が鎮座し蛇は島全体を取り巻いています。

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 山を蛇が巻いている図像は実は古今東西存在し、その意味は共通していて蛇が巻き付きながら昇ることは命の木を三回転半で昇り昇栄することを表しています。 
 山は神殿なのです。
 日本ではニーファイ人の神殿だった奈良県の三輪山が有名です。 (参照

 同じことはリョーリフが描いた湖の島にもいえます。
 この絵のモデルとなった島が実在し人工的なピラミッドが存在します。
 すでにアメリカ軍は人工衛星によってその島の場所を特定しており、合成開ロレーダー(SAR)によって撮影された映像を見ると中央部に白いピラミッドがあります。
 この白いピラミッドは一般に見慣れた四角錐ではなく、五角錐をしているゆえ「ペンタゴン・ピラミッド」とよばれています。

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 アメリカは、合成開口レーダー(SAR)で、内部構造を調べています。
 ペンタゴン・ピラミッドの存在は地元の遊牧民には知られていましたが、それがいつの文明のいかなる遺跡なのかについては分かっていませんでした。
 このペンタゴン・ピラミッドはシャンバラへと移動できる特別なゲートといわれています。

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 チベットを自国領土と主張する中国もいまだに学術調査を行ったことはなく、学者もほとんど知らないのが現状です。
 場所がヒマラヤの奥地でありチベット仏教の文化圏で、かつてはボン教やバラモン教、ヒンドゥー教の影響があったので、古代インドのヒンドゥー教の経典『ヴィシュヌ・プラーナ』に記された理想郷の島こそペンタゴン・ピラミッドがある島ではないかと考えられています。 (参照

 湖の中にある理想郷の島は「シャンバラ島」という名称で、ペンタゴン・ピラミッドの島がシャンバラ島だとすればシャンバラと関係があります。
 衛星写真には白い三本石柱らしき物は確認できませんが、ペンタゴン・ピラミッドは地底王国シャンバラに通じる入り口の可能性が高いです。

 アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツもペンタゴン・ピラミッドの存在を知り、第二次世界大戦中に密かに調査隊を送り込んでいました。
 最終的にペンタゴン・ピラミッドにまで到達しませんでしたが、極秘任務を背負って現地へと向かった探検隊の1人の当時調査の指揮を執っていた親衛隊の男の荷物から発見したセピア色の古い写真には、湖の島にある異様な形のピラミッドが写っています。

 一方、リョーリフの噂はついに当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの耳にまでたっし、ヒトラーを魅了したアガルタ伝説を知っていた ルーズベルト大統領は理想郷シャンバラ伝説に興味を抱きました。
 そこでリョーリフの身辺調査を徹底的に行ったのち、1935年に農務省長官ヘンリー・A・ウォレスに命じて、国家政策として極秘でシャンバラ調査隊を組織し中央アジア全体に派遣しています。
 この命令書(公文書)は大統領直筆のサイン入りでリョーリフ博物館に所蔵されています。

 ところがしばらくして表向きの植物調査探検隊の本来の目的がシャンバラ探査にあることを議会で暴露され農務省長官は窮地に陥ります。
 しかも農務省長官はリョーリフをグル(尊師)とよんでいたことから、カルト教団信者の疑いをかけられ辞任にまで追い込まれてしまうのです。
 アメリカ政府、とくに軍の情報部はシャンバラ伝説を徹底的に追究しリョーリフの研究を高く評価していました。
 リョーリフはその経験から生涯を通じてシャンバラを世界の霊的中枢であると信じていました。

 シャンバラを探究したリョーリフは、ヒマラヤの奥地でUFOを目撃しています。
 1926年、リョーリフが探検隊を率いてカラコルム山脈を移動中、目の前に円盤状の光る物体が突如現れました。
 見慣れぬ物体に隊員たちは高倍率の双眼鏡を取り出し、その姿を確かめると人工物で未知の飛行機でした。
 奇妙な飛行物体は南に飛行したのち、しばらくして南西に進路を変えて一瞬で姿を消してしまいました。
 隊員の道案内の僧らは不思議な飛行物体を指差して「これはシャンバラのしるしだ」と叫んだといいます。

 シャンバラ研究家のアンドルー・トマスは著書『シャンバラ』でリョーリフが見た飛行物体はシャンバラから飛んできた宇宙船ではないかと述べています。
 リョーリフはシャンバラ(アルザル)人に招待され、宇宙船に搭乗してシャンバラ・ゲートへと移動したのです。



  クンゴ・ジグメとシャンバラの遺跡

 中国と同じく社会主義国家を目指すソ連もまた、シャンバラ伝説を調査しました。
 ロシアの領土をそっくり引き継いだソ連もまたスターリンの指導のもとシャンバラ伝説の探究を行っていたのです。
 直接的なきっかけはチベットから送られてきた密使である高僧クンゴ・ジグメの出現でした。
 彼はダライ・ラマ13世の死後、遺言に従いソ連へ接近しました。
地政学的に中国やイギリスを牽制することで、チベット独立に協力してくれるよう願い出たのです。

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 毛沢東と同様に宗教は有毒と考えるスターリンでしたが、シャンバラ伝説には深い関心を寄せていました。

 スターリンは以前にロシア人だったニコライ・リョーリフと会っており、このときシャンバラからの手紙を受け取っているのです。
 手紙の具体的な内容は不明です、それはスターリンを苦しめるものだったらしいです。
 この一件以来、スターリンのシャンバラに対する憎悪は高まる一方でした。
 そこへチベットからの密使が中国共産党に気づかれずやって来たのです。

 ダライ・ラマ13世の側近でありシャンバラの情報を知っているクンゴ・ジグメは、シャンバラの情報を知りたかったスターリンには重要人物でした。
 スターリンはクンゴ・ジグメを丁重に扱いながらも軟禁しほとんど幽閉同然にして、クンゴ・ジグメからシャンバラの秘密を聞き出そうとしました。

 クンゴ・ジグメの世話役のプーシキンはシャンバラに関する情報を聞き出し、シャンバラへの入り口を見つけるためプーシキンはクンゴ・ジグメを連れ出しシベリアの奥地へと向かいました。
 彼らは北上を続け北極海にまで来て、シャンバラにかかわる重大な「クンゴ・ジグメの遺物」とよばれる岩場の遺跡を発見しました。
 発見したときクンゴ・ジグメとプーシキンは子供のようにはしゃぎ抱き合って喜んだと伝えられています。
 クンゴ・ジグメによれば、これこそシャンバラの住民が残した聖なる遺跡で道標のような物で、この先にシャンバラの入り口があるといいます。

 遺跡の存在を確かめたプーシキンはスターリンへ報告しましたが、スターリンは激怒しクンゴ・ジグメをシベリアに幽閉しました。
 なぜならクンゴ・ジグメの遺物の先にあるのは氷に閉ざされた北極海だけなので、スターリンはクンゴ・ジグメにだまされたと思ったのです。
 神の助けもなく高度科学知識もないスターリンはここにシャンバラがあるとは思えなかったのです。
 しかし実際はシャンバラは確かに「クンゴ・ジグメの遺物」の先に存在するのです。

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        クンゴ・ジグメの遺物

 リョーリフを有名にしたのは、汎米連合(Pan American Union)(現・米州機構)に加盟するアメリカ合州国と20か国の加盟国を文化財保全を目的とした初期の国際条約である「リョーリフ条約(国際文化財保護条約)」です。
 リョーリフ条約の目的は戦時下の文化財保護で、戦争状態にあっても互いに敵国の文化財を攻撃対象としない約束です。
 リョーリフの提唱がアメリカで認められたのは1933年で1935年に調印されました。
 リョーリフは条約のシンボルは白地に赤い円を描き、その中に3つの赤い丸点を三角形に配置した物で「文化赤十字」とよばれます。

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 これがリョーリフのシャンバラを題材にした描く絵画にもしばしば登場します。

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 この絵画にはイエス・キリストの象徴としてキリスト教美術に頻繁に見られた「キリスト」のギリシャ語Χριστοςの最初の2文字 Χ (キー)・ Ρ (ロー)を同じ形のラテン文字に置き換えたものであるモノグラム ☧ (キーロー)が描かれていて、この人物はクリスチャンであることを示しています。

 文化赤十字の印は、チベットで「シャンバラの聖印」として伝わっています。
 クンゴ・ジグメが奥シベリアで発見した岩場を、シャンバラの遺跡であると断定したのは、そこに「シャンバラの聖印」が描かれていたからなのです。
 3つの円は、天父御子聖霊神会を表し、3つの円を囲んでいる環は天と永遠を表しています。



  シャンバラからの手紙

 リョーリフは1926年、スターリンにシャンバラからの手紙を届けています。
 手紙はリョーリフから人民委員を通じて、スターリンへわたりました。
 リョーリフが読んだ手紙をどうしたかについては不明ですが、スターリンに大きな影響を与えクンゴ・ジグメの一件が起こりました。

 シャンバラに住む人々は歴史の節目にこうした手紙を国家元首に向けてたびたび送っています。
 紀元1165年、ローマ教皇やローマ帝国皇帝、ヨーロッパの主だった宮廷に向けて不思議な手紙が届いたことがあります。
 差出人の名前はプレスター・ジョンで、そのうちの1通は今も大英博物館に保管されているといわれます。
 
 中世のヨーロッパには「プレスター・ジョン伝説」なるものがあり、プレスター・ジョンという王がヨーロッパから見て東の遠くアジアに存在し強大なキリスト教国を打ち立てているという伝説が信じられていました。
 プレスターとは祭司の意味でジョンはヨハネのことです。

 日本の天皇陛下は神道の長で、東にあるプレスター・ジョン=祭司ヨハネの国は、イエス・キリスト教会があった日本です。 (参照

  福音の回復


 1829年5月15日、金版の翻訳に取り組んでいたときに、赦しのためのバプテスマについて読んだジョセフ・スミスとその筆記者のオリバー・カウドリは、人里離れた場所に入っていき、この件について主に尋ねました。
 ペンシルベニア州ハーモニー近くを流れるサスケハナ河畔で、2人は祈りの答えを受けました。
 バプテスマのヨハネ復活体を身にまとい「光の雲の中を降って来」た「天からの使者」として彼らの前に現れたのです。

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 バプテスマのヨハネは彼らにアロン神権を授けました。
 そののち、ジョセフとオリバーはバプテスマのヨハネの指示に従い、互いにバプテスマを施し、アロン神権に聖任し合いました。(ジョセフ・スミス―歴史 1:68-72教義 13章

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 1829年5月、古代の使徒であるペテロヤコブヨハネがジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにメルキゼデク神権を授けました。(教義 128:20

 アルザルのイエス・キリスト教会の大管長であるヨハネがプレスター・ジョンの正体です。
 使徒ヨハネは、月の栄の身体に身を変えられ、アルザルのイエス・キリスト教会の大管長としてアルザルを管理しています。


 ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た。
 この弟子は、あの夕食のときイエスの胸近くに寄りかかって、「主よ、あなたを裏切る者は、だれなのですか」と尋ねた人である。
 ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、「主よ、この人はどうなのですか」。
 イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」。
 こういうわけで、この弟子は死ぬことがないといううわさが、兄弟たちの間にひろまった。
 しかし、イエスは彼が死ぬことはないと言われたのではなく、ただ「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか」と言われただけである。
 これらの事についてあかしをし、またこれらの事を書いたのは、この弟子である。
 そして彼のあかしが真実であることを、わたしたちは知っている。 (ヨハネ 21:20-24

 するとイエスは、彼らに言われた。
 「見よ、わたしはあなたがたの思いを知っている。あなたがたは、愛するヨハネがわたしに願ったことを願っている。ヨハネとは、わたしがユダヤ人によって上げられる前に、わたしとともに務めに携わっていた者である。
 したがって、あなたがたはさらに幸いである。あなたがたは決して死を味わうことがない。
 わたしが天の力をもってわたしの栄光のうちに来るときまで、すなわち父の御心のとおりにすべてのことが成就するそのときまで、あなたがたは生き長らえて、父が人の子らのために行われるすべてのことを見るであろう。 (3ニフ ​28:6-7

 パトモス島に流されたころ、ヨハネは月の栄えの体に身を変えられていて、老いることはありませんでしたが70歳をすぎていました。 
 

 主はわたしに言われた。
 「わたしの愛するヨハネよ、あなたは何を望むか。あなたの欲することを求めれば、授けられるであろう。」
 そこで、わたしは主に申し上げた。
 「主よ、わたしが生き長らえて、人々をあなたのみもとに導くことができるように、死を制する力をお与えください。」
 すると、主はわたしに言われた。
 「まことに、まことに、あなたに言う。あなたがこれを望んでいるので、わたしが栄光のうちに来るときまであなたはこの世にとどまり、もろもろの国民、部族、国語の民、民族の前で預言するであろう。」
 そしてこのために、主はペテロに言われた。
 「わたしが来るときまで彼がこの世にとどまっていることを、わたしが望んだとしても、それがあなたに何の関係があろうか。彼は人々をわたしのもとに連れて来ることを望んだが、あなたはわたしの王国においてわたしのもとに速やかに来ることを望んでいるからである。 
 わたしはあなたに言う。
 ペテロよ、これは善い望みであった。
 しかし、わたしの愛する者はそれ以上のこと、すなわち、彼がこれまで行ってきたことよりもさらに大いなる業を人々の中で行うことを望んだ。
 まことに、彼はさらに大いなる業を引き受けた。
 それゆえ、わたしは彼を燃える火のようにし、また仕える天使とする。
 地上に住んでいる救いを受け継ぐ者のために、彼は仕えるであろう。
 また、わたしはあなたを、彼とあなたの兄弟ヤコブのために仕えさせよう。
 そして、わたしはあなたがた三人に、わたしが来るときまでこの力とこの務めの鍵とを授けよう。
 まことに、わたしはあなたがたに言う。
 あなたがたは二人とも、望みどおりに与えられるであろう。
 あなたがたは二人とも、望んだことを喜びとしているからである。」 (教義 7:1-8
 
 そして、ヨハネのもう1つの使命は行方の知れない10部族たちがいるアルザルで預言者として、イスラエルの部族の集合を助けるという使命です。

 1831年に、預言者ジョセフ・スミスは、ヨハネが行方の知れない10部族を教え導いていると説明しています。 (『教会歴史』 1:176)

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 リョーリフはシャンバラをモチーフにして多くの絵を残し、アメリカ、ニューヨークのリョーリフ美術館に展示されています。
 シャンバラの使者を出迎えた使者は大事そうに箱を抱えています。
 箱の中身はシャンバラからの手紙なのかもしれません。

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 1961年、公表上ではボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行をしたユーリイ・ガガーリンはソ連の新聞『プラウダ』に連載した「ダローガ・フ・コスモス(宇宙への道)」の中で、地球の夜の面から昼の面へ飛行するときに地平線上に現われる色彩の美しさに感嘆し、ニコライ・リョーリフの絵のようだと語りました。
 おそらく当時ソ連にもアルザルの情報が知られていたのでしょう。

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 1957年からアメリカの1ドル札の裏に印刷されているフリーメイソンリーのシンボルの採用はリョーリフが当時の農務長官ヘンリー・A・ウォレスに勧めたものです。

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 神はモーセ契約の箱の蓋の部分の贖罪所の上の2つのケルビムの間でモーセと会いモーセと語ると言われました。
 一対のケルビムの翼が三角形を描いています。
 そこからヤハウェが臨みます。
 それは「すべてを見通す神の目」です。
 「すべてを見通す神の目」は、ユダヤ密教(カバラ)の命の木の象徴図形の最上部である日の栄えの王国から臨むヤハウェ=イエス・キリストを意味しているのです。

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 「すべてを見通す神の目」は、フリーメイソンリーの象徴となりました。

 
 おお、わたしの愛する同胞よ、わたしの言葉を覚えておきなさい。
 見よ、わたしは自分の衣を脱いで、これをあなたがたの前で振り、わたしの救いの神に、そのすべてを見通す目でわたしを見てくださるように祈る。
 それであなたがたは、すべての人が各自の行いに応じて裁かれる終わりの日に、わたしがこうしてあなたがたの罪悪をわたしの身から振り払ったのを、イスラエルの神が御覧になったことと、わたしが神の御前に輝いて立っており、あなたがたの血から免れていることを知るであろう。 (2ニフ 9:44

 イエス・キリストの再臨のときについての記述です。
 
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 人の子栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
 羊を右に、やぎを左におくであろう。
 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。 
 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。

 それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、
 旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。
 そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。
 そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
 そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。 (マタイ 25:31-46

 ヒンドゥー教でも、食事は右手に限って、左手は不浄としています。

 「すべてを見通す神の目」が、聖なる右ではなく、なぜ左かという答えは日本だけに存在します。
 天岩戸神話では、天岩屋の前に大きな榊(さかき)を立て、そこに「八咫鏡(やたのかがみ)」を吊るすとともに、周りで「常世の長鳴鶏(とこよながなきどり)」を鳴かせます。
 準備が整い、天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が裸踊りをすると、これを見た神々が大笑いをして大変な騒ぎとなりました。
 騒動が気になった天照大神は、少し岩戸を開いて外を覗きました。
 榊にかけられた鏡に映った神の右目は「鏡像反転」で左目になります。
 榊にかけられた目=天照大神は、木で作られた十字架にかけられるイエス・キリストを意味し、イエス・キリストが男神で天照大神が女神なのも鏡像反転で左右を逆に見よとの示唆です。 (参照

 ムハンマドの言行録ハディースには、予言された偽キリストの姿が、こう記されています。

 「ある夜、私はカーバの近くにいた。
 そのとき、私はかつてあなたが見たこともないほど、白く美しい顔立ちの男を見かけた。
 彼は巻毛で、それもあなたがかつて見たこともないほどに美しい巻毛であった。
 彼がそれをくしですいたため水がしたたり落ちていた。
 あとは2人の男(もしくは、2人の男の肩)に寄りかかりながら、カーバ神殿の周りを巡回していた。
 『彼はどなたですか』と私がたずねると、『マリヤの子イエスです』と告げられた。
 この折、私はまた別の人物を見た。
 その人は頑丈な体格をし、ちぢれ毛であったが
 右目がつぶれ、ふくれたぶどうのようになっていた。
 『彼は誰ですか』と私がたずねると『彼は偽キリスト(マスィーフ・ダッジャール)です』と告げられた。」 (ハディース 1巻 『信仰の書』 p.134-137)

  ぶどう 参照

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 ピラミッドにウリムとトンミム(六芒星)を描くと浮かんでくる文字は「M・A・S・O・N(メイソン)」です。
 
 ピラミッドの下には「MDCCLXXVI」のローマ数字が刻まれています。
 ローマ数字では、I=1、V=5、X=10、L=50、 C=100、D=500、M=1000です。

 MDCCLXXVIをアラビア数字にします。
 1000+500+100+100+50 +10+10+5+1=1776となります。

 この1776はアメリカが独立宣言を出した1776年を意味するといわれています。 
 しかし1776年7月4日に独立宣言はしましたが、イギリス軍との戦局は不利で独立できるかどうかもおぼつかない状態でした。
 アメリカが正式に独立したのは1783年のパリ講和会議後だったので、本来なら1783年が適当と思われます。

 実は1776年とは、イルミナティが設立された年なのです。

 しかも、「MDCCLXXVI」の最後のローマ数字はVとI、5と1で、これは5月1日を表します。
 「MDCCLXXVI」は、1776年5月1日のイルミナティの創立記念日なのです。

 上部に記されている「ANNUIT CCEPTIS」は「企てに賛成した」で、下部に記されている「NUVOS ORID SECLORUM」は「時代の新秩序」です。
 つまり、キリスト教を破壊したのちに「世界政府を企てる」という宣言です。

 1776年5月1日、マイヤー・アムシェル・ローシルト(ローシルトは、英語読みでロスチャイルド)の財政支援のもと、インゴルシュタット大学法学部長のアダム・ヴァイ スハオプト教授がイルミナティという結社を創設しました。
 イルミナティという言葉は、「光を掲げる者」という意味です。
 イルミナティの目的は、知的能力を実証された人々 が世界を治める「世界政府」を生み出すこととされ、文学・教育・美術・科学・財政・産業の分野で最も聡明な人々を含む2000人もの結社員を集めたといわれます。
 結社結成の日、ヴァイスハウプトは著書『Novus Ordo Seclorum(新世界秩序)』を出版しています。
 ヴァイスハウプトの掲げたイルミナティの行動は、次のものだとされています。
 
 すべての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立。
 私有財産と遺産相続の撤廃。
 愛国心と民族意識の根絶。
 家族制度と結婚制度の撤廃と子供の共同体での教育の実現。
 すべての宗教の撤廃。
 これらは、のちの共産主義の原型となりました。 

 イルミナティは過激な啓蒙思想が体制側から危険視され、徹底的に弾圧されました。
 歴史的に1785年には活動が停止したものの実際は地下に潜り、メンバーが重複していたことからイルミナティの中枢はフリーメイソンリーを隠れみのとして活動し、ついには上部組織として君臨するようになったといいます。
 しかし、アダム・ヴァイスハウプトのイルミナティは現在は存在しません。
 フリーメイソンリーの上部組織でもなければ黒幕でもありません。
 イルミナティが革命の黒幕であるとしたのはカトリック教会のイエズス会の神父オーギュスタン・バリュエルなどの旧体制派であり、イルミナティへの悪い噂は多分に政治的な意味合いが強かったのです。

 悪魔を礼拝する組織は存在します。

 1785年、アダム・ヴァイスハウプトが創設したイルミナティは消滅しますが、アダム・ヴァイスハオプトは「闇のイルミナティに気をつけろ」と言い残しています。
 闇のイルミナティとは同時期を生きていたマイヤー・アムシェル・ローシルトのことです。
 ロスチャイルドの宗教はユダヤ教とされていますが、幼児を生け贄にする悪魔宗教を信じているともいわれています。

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 古代イスラエルもカナン人の影響でサタンに従ういくつかの偶像礼拝によって、幼児を生け贄にしている邪悪な社会であったため戦争などで滅びました。 (参照

 カナン人とは、カナンが最初に住んだ地にいた人、およびハムの息子であったカナンカナンの子孫を指しています。
 パレスチナの地中海沿岸の低地に住んでいた民もカナン人とよばれており、ギリシャ人がフェニキア人とよんでいた、ヨルダン川の西方の地域に住むイスラエル以外のすべての民を指して用いられたこともあります。
 イスラエルが約束の地(パレスチナ)に近づくころには、これらのカナン人たちは極端に邪悪で不義な民になっており、婚姻によってそれがイスラエルに流入し始めたために、彼らとの結婚が禁止されました。

  14 シークレット・ガバメントとサタンに従う秘密結社


 もともと農務省長官のウォレスはフリーメイソンであり、リョーリフを「グル(教師)」とよんでいました。

  ジョセフ・スミスとフリーメイソンリーの真相



  イリオンと邪悪なアルザル人

             テオドール・イリオン

 チベット領内に外国人が入ることを許されていなかった時代、同じ場所のサンポ峡谷にドイツの探検家、テオドール・イリオンが訪れました。
 1934年、イリオンは変装して白人であることを隠してチベットへ潜入し、降霊術などの驚くべき光景を目にします。
 あるとき、宗教儀礼を題材とする演劇を鑑賞していたイリオンは、ドルマという名の少女と出会います。
 彼女はほかのチベット人とは異なり、身なりは小奇麗でかなりの教養を身につけていました。
 宗教や神秘思想について語らううちに、ドルマは自分の師匠について話しました。
 師匠の名はナブルといい、チベットでは位の高い貴族でした。

 そして、イリオンはドルマが書いた招待状を手にナブルに会い秘密結社の存在を知ります。
 特殊な神秘思想をもつ秘密結社に興味を抱いたイリオンはナブルの導きで秘伝者の都に行くことになります。
 秘密結社の本部は、サンポ峡谷の支流「神秘の谷」にあります。
 サンポ峡谷の支流「神秘の谷」について語ることは禁止されていて、そこへ行った人間は必ず廃人同様になるといわれています。
 彼はけげんに思いながらも目指す峡谷へたどり着きます。
 乾いた峡谷の川底には3枚の石板が並んでおり、境界という意味の言葉が記されていました。
 それはリョーリフが目にした白い3枚の石板であり、イリオンは秘密結社の都の門だと分かりました。

 イリオンが中へ400m進むとそこには直径が10mの巨大な縦穴が1つあり、周囲には木製の高い壁に囲まれた1辺が40mのガラスパネルが7つ、半径100mの円を描きながら等間隔で並んでいました。
 ガラス・パネルの近くには階段があり、それを下ると扉がありました。
 イリオンは扉をノックしたが返事がないので仕方なく周囲を散策していると、1人の男が階段を昇ってきました。
 その男は、安物ですが洗濯された着物を着ていました。
 イリオンは、彼にナブルの招待で来たことを告げると、しばし待つようにいいました。
 ここでは午前中いっぱいは寝ており、午後から活動を開始するのだというのです。
 続いて、木綿の服を着た男が現れましたが、この男には、生気とが感じられず無表情でうつろな目をしていて、ほとんど死人のようでした。
 イリオンは待つ間に辺りを観察すると、中心に竪穴ありました。
 どれほど深い穴なのか、試しに縦穴に石を投げ入れると、いつまでたっても底に激突した音がしないのです。
 もっと大きな石を投げ込もうとしたとき、地下から別のチベット人が現れて冷ややかな目で制止しました。
 そして、午後になりになり地下の住人が活動を開始しました。
 住民は木綿の服を着た下層民と絹の衣を着た支配層の2つに分かれていて、支配層の人間は美男美女でしたが感情がないようで操り人形のようでした。

 聖なる都といわれている場所では、約100の人間が暮らしているといいます。
 ラモチュンという名の世話役によると、聖なる都を訪れた白人はイリオンで2人目で最初の1人はここで一生を終えたらしく、遺体は荘厳な寺院に埋葬されていました。
 建物はすべて地下にあり、住民は棟で寝泊まりしていました。
 ただ都の中を清潔に保つため、洗面所は遠く離れた場所に1か所だけありました。

 やがて食事の時間がきました。
 ここでは1日2回、皆食堂に集まるのです。
 イリオンは食堂に案内され食事をしますが、出された食事は肉が入ったシチューのような料理でした。
 食事するごとにイリオンの精神に異変が起こり、冷静な判断力が低下するが透視や予知能力のようなものが芽生えてきたといいます。
 イリオンは夜、無表情で冷酷な悪霊と個性的な表情を見せる子供の天使たちが戦い悪霊が優勢で天使たちが襲われていく悪夢を見ました。
 彼は、眠る度に同じ夢を繰り返し見ました。
 悪霊と天使が戦いを続けると天から1人の輝く男が降臨し、子供たちに手を出してはならないと叫び、これに驚いた悪霊たちがネズミやカエルに姿を変えて消えました。
 このときイリオンはここの住民たちの正体が分かりました。
 イリオンは出される食事をすることをやめると、思考力がよみがえってきました。

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 やがてイリオンは聖なる都を支配する光の王子「マニ・リンポチュ」への謁見を許されます。
 秘密結社のメンバーであっても光の王子に接見できるのは数分間であるのに対し、イリオンは30分間の破格の待遇でした。
 メンバーの人間は光の王子を神のごとく崇めて世界を救う者であると信じていましたが、イリオンは疑念を抱き始めていました。
 聖なる都の社会を見るたびに、利己的傲慢さをを感じていたのです。

 謁見に際してメンバーは黒い儀式用の衣に着替える必要がありましたが、イリオンは否定しました。
 周囲の者は驚き混乱ましたが、光の王子は受け入れました。
 イリオンは宮殿の聖所へと通されると、そこには7人の幹部が並んでいてさらに9人の祭司長に連れられてイリオンは光の王子の前に立ちました。

 光の王子は長身で、白く長い髭を垂らしていました。
 柔和に威厳のある皇帝のように振る舞いイリオンに対して使命を果たすべきだと説き、聖なる都で3日間過ごせば大切な意義を悟るだろうと語りました。
 会談は予定よりも長くなりましたが、イリオンは光の王子の言葉を信じず不信感が募るまま謁見の時間はすぎました。
 周囲の人間たちはイリオンに秘密の教えについて語りました。

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 イリオンは秘密の儀式を通じて聖なる都とは何か考えました。
 しばらくして宮殿の扉が開き光の王子が出てきてイリオンの前に立ち、決意は固まったかと尋ねました。
 イリオンが固まったと答えると、光の王子は深く息を吹きかけてきました。
 その瞬間イリオンが「創造主の名において命ずる!下がれ!」と叫んだのです。

 秘密結社の本拠地において、リーダーの意向に逆らい、あからさまに侮辱したのです。
 身の危険を感じたイリオンは、逃走し一目散に聖なる都をあとにしたのです。
 秘密結社の者たちは、裏切り者のイリオンに対して呪いをかけてきました。
 イリオンは棺桶の中に入っている感覚に終始、襲われましたが、何とか生きて帰ってくることができました。

 イリオンはサンポ峡谷から逃げる途中、聖なる都へと向かう一団に出会います。
 彼らは各地で死んだ人間の遺体を多数、担架に乗せて運んでいました。
 一団は聖なる都の高官であり、下層民が運んできた遺体を並べると黒魔術を始めました。
 すると、死体の内3体が蘇生し自力で起き上がり歩いていきます。
 その姿は操り人形のようで目には生気がありませんでした。
 聖なる都の下層民は一度死んだ人間の肉体だけを蘇生させ、奴隷として使っていたのである。
 
 残る遺体は、聖なる都の食糧にされていて、聖なる都の住民は下層民も支配層も光の王子も人肉を食らっていたのです。
 イリオンは自分も気かず死体を食べていたかと思うと、戦慄を覚えたといいます。

 イリオンは彼らのことを堕天使だと思いましたが、正体はアルザル人です。 
 アルザルの罪人が地上へ流刑されてきており、彼らは1つのコロニーを形成していたのです。

 裏切り者の八咫烏はヴリル協会を通じてイリオンから詳細な情報を聞くと、ペンタゴン・ピラミッドの近くのサンポ峡谷の住民はアルザル人であることを見抜きました。
 そして、ヴリル協会はアルザル人たちからの科学情報を聞き出し、それを基に軍事兵器を開発するのです。


 魔術は信じ受け入れるときに、悪と交わる力をもちます。

  イリオンの著書 In Secret TibetDARKNESS OVER TIBET



  ムー大陸伝説と日本軍
 
 ナチス・ドイツは日本人を有色人種とは考えていなく、日本人をアーリア人と同族であると考えていました。
 この奇妙な考えを植えつけたのは、カール・ハウスホーファーであり緑龍会です。
 『失われたムー大陸』を書いたのは、イギリス軍人・ジェームズ・チャーチワードです。
 『失われたムー大陸』によると、白人であるムーの王家は日本列島へやって来てヤマト王権を開いたゆえ、大和民族はモンゴル系のアジア人と異なり白人の要素をもっているとしています。

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 チャーチワードの正体はイギリス軍人ではなく、旧日本軍のエージェントです。
 旧日本軍の意向を受けて、彼はムー大陸説を発表しました。
 旧日本軍の背後にいたのも緑龍会でした。
 自称イギリス軍大佐であるジェームス・チャーチワード著『失われたムー大陸』によると、チャーチワードがイギリス軍大佐だったころに駐在したインドで知り合った古いヒンドゥー教寺院の僧侶からその寺院に伝わる粘土板「ナーカル(聖なる兄弟)碑文」を見せられました。
 その中には地球上最初に現れた人類で太平洋に浮かぶムーとよばれる大陸に住んでいましたが、ある日突然にムー大陸は海へと沈没したと書かれていたらしいとのことです。

 チャーチワードによるとムー大陸が滅んだ物理的理由を大陸下部にあるとするガスチェンバー(ガスが溜まった多くの空間)が崩壊した陸地沈降説です。
 チャーチワードは、南太平洋周辺の島々からラテンアメリカまで調査した結果、各地に大陸沈没及び大洪水伝説が存在していると分かりました。

 ポリネシア諸島には大洪水で沈んだ「ホソポーオーカネ大陸」の伝説があり、ハワイ諸島には大洪水を巨大なカヌーで生き延びた「ヌーウ伝説」があり、オーストラリアには巨大な蛙が引き起こした未曾有の大洪水伝説があり、そのほかオセアニア諸島にも形を変えた多くの大洪水伝説が残されているのです。
 同種の伝説は東南アジア全域にも多数存在し、北アメリカとラテンアメリカに住むインディアンやインディオにも大陸の山頂を越える規模の大洪水伝説が存在します。
 そこで共通しているのがかつて高度な文明をもつ大陸が存在したが、やがて人々は神の教えに背教し高慢になり極悪な罪からの改善できないほどの不幸な社会になったために神の働きよって大陸とともに大洪水で滅んだという伝承です。

 さらに滅んだ人類の中でも神に従順だった家族だけが舟によって生き延びたといいます。
 これはノアの時代の洪水に酷似しておりノアの時代の洪水がルーツの同じ話なのです。
 チャーチワードは、環太平洋の巨大津波による古代文明の崩壊、もしくは大洪水による天変地異伝説を海底に沈んだムー大陸実在の検証に使いました。
 すでにあった「海面上昇説」を、自己流の「陸地沈降説」に取って代わらせようとしたのです。
 しかし、現実的に太平洋の底をいくら調査しても大陸があった跡は見つかっていません。
 チャーチワードの説は誤りなのです。

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 「ナーカル碑文」は実在し「ナーカル碑文」には失われた巨大大陸のことが記されています。
 つまり、ムー大陸文明とはノアの時代の洪水以前に栄えた超古代文明のことです。
 

 実は当事のイギリス軍にはジェームス・チャーチワードなる人物は存在しなかったことが明らかになりました。
 チャーチワードはインド駐留イギリス軍の兵士で最後は大佐にまで上りつめたことになっていますが、軍人であれば必ず記載されている名簿にその名前がないのです。
 イギリス公文書館やイギリス陸軍記録センター、それに退役軍人年鑑にもジエームズ・チャーチワードなる人物が記載されていません。
 それゆえチャーチワードなる名前も実はペンネームだったのではないかと指摘もありますが、疑惑はまだあります。

 アメリ力人作家ライアン・スプレイグ・ディ・キャンプが調査したところ、著書ではインドにいたとなっている年にチャーチワードはアメリカで『メイン州北東部への大物釣りガイド』という本を出版していたと判明したのです。
 太平洋に古代大陸があったという説は、すでにジョン・B・ニューブラフが著書『オアースペ』で発表しており、そのことをチャーチワードは知っていて自著の中で言及しています。
 同様にジョン・マクミラン・ブラウンは太平洋全域の陸橋説に基づく島々が大きな文明だと主張しており、これがムー文明論に影響を与えたと状況から考えて間違いありません。
 こうしたことからムー大陸伝説は先行して知られていた文明論を基にして、チャーチワードが創作した物語であると指摘がなされることがしばしばあります。

 なぜ略歴を詐称してまで学者でもないチャーチワードはムー大陸伝説を発表したのでしょうか。
 実はムー大陸伝説を組織的に仕掛けたのは旧日本軍でした。
 欧米諸国に圧倒的な力の差を見せつけられ、それまでの鎖国状態から明治維新をへて一気に欧米化を目指した日本人は、いち早くヨーロッパ人の深層意識の底にアトランティス大陸伝説があると分かりました。

 のちにヨーロッパの国々と戦争するにあたって、旧日本軍は民族の根底を成す文明論をアジアにおいても構築しようと画策したのです。
 日本国内においては万世一系(永久に1つの系統が続くこと)の天皇陛下を頂く国家神道を前面に出す一方で、アジア諸国に対しては五族協和(五族は日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)や欧米諸国(とくにイギリス・アメリカ合衆国)の植民地支配から東アジア・東南アジアを解放し、東アジア・東南アジアに日本を盟主とする共存共栄の新たな国際秩序を建設しようという、第二次世界大戦における日本の構想です。

 大東亜共栄圏など、大アジア主義のスローガン(団体の理念や運動の目的を、簡潔に言い表した言葉)を掲げ、アジア人のルーツとなる超古代文明を模索した。
 アトランティス大陸が大西洋ならば、アジアは太平洋に沈没大陸を想定したのです。
 これに関しては、大政翼賛会や大陸浪人ともよばれるフィクサーと深いつながりがあった大本(おおもと)の出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)もかかわっていました。
 彼はチャーチワードよりも早い段階で太平洋の沈没大陸に言及しており、謎のナン・マタール遺跡で知られるポンペイ島の調査を行っていました。

 大政翼賛会(たいせいよくさんかい)は1940年(昭和15年)10月12日から1945年(昭和20年)6月13日まで存在していた公事結社です。
 公事結社とは大日本帝国憲法下で政治集会、結社デモ活動などを取り締まった法律(1900年)の治安警察法において、政治にかかわりのない公共の利益を目的とする結社です。
 経済的および社会的な目標達成のための国家権力を支持する国家主義・国家権威に傾倒する主義・思想の国粋主義的勢力から社会主義的勢力までをも取り込んだ左右合同の組織です。
 大日本帝国憲法は1889年(明治22年)2月11日に発布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、近代立憲主義に基づく日本の憲法です。

 当事同盟関係であったイギリスがイギリス人であるチャーチワードが、これらをもとにムー大陸伝説を作り上げたのが真相です。
 世界へ植民地を広げようとしていた当時の日本軍は、超古代文明の正統な後継者は日本人という口実と妄想を抱き、戦争を正当化しようとしたのです。
 チャーチワードは旧日本軍のスパイとして、フィクションの太平洋に沈んだ巨大大陸ムーを世に知らしめる役割を担っていたのです。

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  アトランティス大陸とナチス・ドイツ

 紀元前1250年ごろのモーセたちのエジプト脱出時に、地球に金星が接近しました。 (参照 金星誕生と滅んだ文明
 この激変期の紀元前13世紀ごろ、インドにアーリア人が侵入して来ました。
 そして、地中海のサントリーニ島における大噴火によるクレタ島ミノア文明は被害を受けました。 
 サントリーニ島における大噴火でサントリーニ島はバラバラになり、その影響で起こった大津波はクレタ島をも襲いました。
 さらに軽石や火山灰の雨が降り、二酸化硫黄が大量に大気中へ流れ出たことにより気候が大きく変化し、植物の成長は止まり、作物は実らなくなりました。
 この影響は、クレタ島や地球全体におよびました。
 このサントリーニ島の火山大爆発に続く一連の自然災害により、ミノア文明は大きな打撃を受けました。
 そして、ミノア文明はギリシャ軍に侵略され完全に崩壊するまでは、そののちさらに数十年を要することとなります。

 ミノア文明の滅亡は、のちにアトランティス伝説になりました。
 ギリシャ神話では、アルテミスには7人の侍女がいます。
 7人の侍女は7つの星であり、プレアデスです。
 父親は大地を支える神アトラースであり、彼女たちは皆、海の大神ポセイドーンの愛人でもあります。

 ギリシャの哲学者プラトンが従兄弟のクリティアスから聞き、そのクリティアスが曾祖父から、そして曾祖父は賢人ソロン、ソロンは古代エジプトの神官から聞いた話として語り継がれる古代文明のアトランティス語源はせばアトラースです。
 アトランティス文明の王は歴代アトラースと名乗り、しかも首都はポセイドンにちなんでポセイドニアと名づけられたといいます。
 さらに、プラトンが書き残した『対話篇』によると、首都ポセイドニアは幾重にも運河に囲まれ、同心円状の構造をしていたといいます。 

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 アトランティスは、プラトンが著書『ティマイオス』と『クリティアス』の中で記述した、大きな島とそこに繁栄した王国のことです。
 強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたのですが、ギリシャ神話の主神たるゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされています。   

 一般にいわれているアトランティス大陸が沈んだのが、紀元前9590年ごろというのは誤訳です。
 エジプトの年代の数え方に、年ではなく月を中心とする方法があり、この方法で計算するとアトランティス大陸が沈んだのは紀元前1340年となり、地中海のサントリーニ島における大噴火からミノア文明の滅亡時期なのです。

 
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 アトランティス大陸はサントリー二島のことで、ミノア文明の滅亡は、のちにアトランティス伝説アトランティス伝説になりました。
 プラトンが言及したことから分かるように、アトランティス大陸伝説はギリシャ哲学として西洋に伝わり、これが今日まで多くの伝説を生み出してきました。
 1882年、アメリカの政治家イグネイシャス・L・ドネリーが著書『アトランティス―大洪水前の世界』(Atlantis, the Antediluvian World)を発表したことにより「謎の大陸伝説」として一大ブームとなり、さらに神秘主義と結びつくことで多くの派生の仮説を生みました。

 そして、近年ムー大陸の存在は海底を調査した結果、大陸の痕跡が見当たらないことが判明し、ムー大陸の存在は否定されました。 ムー大陸の伝説はノアの時代にあった文明が巨大洪水で滅びたということを伝えているのです。

 ヨーロッパ人にとって、アトランティス文明は民族の原郷であり、西洋文明の根源であるのです。
 これを最大限に政治的に利用したのがナチス・ドイツであり、オカルティストであったアドルフ・ヒトラーです。
 彼らはアーリア人こそ、世界で最も優秀な民族であるとし、自分たちは高度な文明を築いた古代アトランティス人の末裔だと信じていたのです。
 これはナチス・ドイツに限らず、欧米人の深層意識として存在している場合があります。
 現代社会の根底を成す科学技術はもちろん、古代ローマ帝国に始まる政治学や神の教会ではないキリスト教、ギリシャ哲学もまたヨーロッパ人が築き上げてきたものという自負があり、その象徴ともいうべき存在が高度文明アトランティス大陸なのです。

 アジア諸国に進出していく日本軍にとってムー大陸説は都合が良く、太平洋諸国のルーツは超古代ムー文明にさかのぼり、その王家の末裔が大和民族であるという思想は日本の侵略の正当性を裏付ける要素になりました。
 日本が太平洋に沈んだムー大陸、ナチス・ドイツは大西洋に沈んだアトランティス大陸の伝説を利用したのです。

 ナチス・ドイツはアーリア人はアトランティス人の末裔であると主張します。
 そもそも、アトランティス文明は偉大なるアーリア人が築いた文明であるとしています。
 プラトンの著作によれば、アトランティス大陸はヘラクレスの柱の向こうにあるとされ、ヘラクレスの柱はジブラルタル海峡の比喩であることから地中海から見て大西洋側にあったと解釈されています。
 
 ナチス・ドイツが注目したのは大西洋の北にあるとされる伝説の島で、紀元前330年ごろギリシャの探検家ピュテアスが発見したとされている「トゥーレ」です。
 トゥーレはスコットランドの北方に位置し、そこは夏至の太陽が低くほとんど北極圏に近いとされ大地と海の空気の区別がない神秘的な島であるとされます。
 実在がはっきりしないため、幻の島ともよばれるトゥーレが、アトランティス大陸と結びつくことによって現代に甦ってきます。

 歴史的にアーリア人は北欧から地中海沿岸、中東からコーカサス山脈を越えて、インド亜大陸へと侵入したとされています。

 しかし北極圏にはアーリア人のいた形跡がないので、消えたアトランティス大陸であるととしたトゥーレこそアーリア人の原郷に違いないと考えたのです。
 トゥーレ=アトランティス説はハインリヒ・ヒムラーの知るところとなり、これがナチス・ドイツに受け入れられました。
 神秘主義秘密結社「トゥーレ協会」は1918年に設立された右翼思想団体です。

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 トゥーレ協会は神智学によるアーリア人至上主義を標榜し、反ユダヤのプロパガンダを広めることを目的としていてシンボルとしてハーケンクロイツと剣の紋章を掲げていました。
 プロパガンダとは、特定の世論へ誘導する宣伝行為であり民主主義では世論操作が全体主義における大衆に隠される強制的な大衆心理支配なのです。 

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 第一次世界大戦が終結しドイツの敗戦が決定的になった時期に民族主義的右翼団体が誕生し、それらの母体となったのがトゥーレ協会でした。
 アドルフ・ヒトラーもトゥーレ協会とたびたび接触をもっていました。
 トゥーレ協会はアーリア人の原郷を極北のアトランティスに求め、北極圏には原郷トゥーレから逃げ延びた人々が今も住んでいるとする思想は地底世界の伝説へとつながりました。
 そして、トゥーレ協会の影響を受けたナチス・ドイツは、地底王国の入り口を見つけるために世界中に探検家を派遣するのです。

 ヒトラーがランズベルク刑務所に収容されていたときに、早くからヒトラーの才能を見抜いていたハウスホーファーは刑務所を訪れ、ヒトラーに地政学の講義をしました。
 これが基になって、『我が闘争』が生まれます。 
 ヒトラーにとって『我が闘争』は、ドイツ国民を戦争に駆り立てるための宣伝物でした。

 このとき、ハウスホーファーは一冊の本『来るべき種族』をヒトラーに与えています。
 ヒトラーを虜にした『来るべき種族』は、1871年にイギリスのエドワード・ブルワー・リットン卿によって書かれたSF短編小説で、その内容は次のようなものです。

 1800年代初頭、アメリカに住む青年が奇妙な噂を耳にする。
 鉱山の坑道の下には秘密の通路があり、その先には地底世界が広がっているという。
 青年は地底世界に侵入することに成功し、そこで地底世界を治める指導者と出会う。
 青年は指導者とその娘の案内で地底世界のことを知る。
 地底人は「ヴリル・ヤ」と称している。
 ヴリルとはどんな物質でも透過するエネルギーで、地底世界においてはヴリルを手にした者同士での戦争はなくなった。
 また使い方によって身体を健康に保つこともできる。
 そのため地底人は健康で長寿である。肉体労働はロボットがしている。
 ヴリルには物体を浮揚させることができるのでき、ヴリル・ロッドを振るだけで、どんなに重いものでも宙に浮かすことができる。
 高度な科学技術を手にしたヴリル・ヤたちは地球上に住んでいたが、あるとき天変地異が襲って地上は大洪水に見舞われ住民は洞窟から非難し地底世界へと逃げ延びてきた。
 したがっていずれ彼らは地上に戻る。
 このときには、ヴリルという最強兵器を手にして地上へ姿を現す。
 ヴリル・ヤたちは、そのために準備をしている。
 主人公の青年はヴリル・ヤが人類にとって最強の破壊者になるに違いないとし、地上に現れる時期が少しでも遅れることを願って最後にこの小説を発表することで同胞の人類に警告する義務があると結んでいます。
 
 カール・ハウスホーファーとヒトラーは、フィクションとして描かれた小説をフィクションではなくノンフィクションであると感じていました。
 ハウスホーファーは地底人の正体はアーリア人であり、彼らはもともとアトランティス大陸に住んでいてアトランテイス人の高度な文明を支えていたのは地底人がいうヴリルにほかならないと考えました。
 地上のアーリア人はヴリルを失ったが地底のアーリア人(ヴリル・ヤ)は今も活用し、高度な科学技術文明を実現しているならば、ナチス・ドイツがヴリル・ヤと組めば世界支配を実現することができるのではないかと考えたのです。
 そうしてハウスホーファーは盗まれたヴリルを奪還すべく、アーリア人至上主義に基づくユダヤ人迫害をヒトラーに吹き込んだのです。



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 ナチス・ドイツの超戦闘機開発における軍事兵器開発は目を見張るものがあります。
 戦車や戦闘機、潜水艦、ロケット・ミサイルなどドイツ軍の兵器は他国を圧倒していました。


 


 第二次世界大戦当時、連合軍を震撼させたのが報復兵器(独:Vergeltungswaffe)のVシリーズです。
 これらのミサイル技術は今日、大陸間弾道ミサイル(ICBM)潜水艦発射弾道ミサイルなどのほか、宇宙探査で使用されるサターンロケットなどの応用されています。
 人工衛星を打ち上げるロケットは弾頭に核爆弾を搭載すれば、そのまま核ミサイルになります。

 核兵器に直結する巡行ミサイルを開発したのはナチス・ドイツでした。
 ナチス・ドイツが、報復兵器(独:Vergeltungswaffe)の名称を「Vシリーズ」としたのは、「報復」の意味とは別に「ヴリル」が込められていました。

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 ナチス・ドイツは全翼機を世界に先駆けて開発しています。
 翼が円形のプロペラ飛行機「ザック AS-6」で、型だけ円盤状でUFO的ですが、基本的には従来の航空機と変わりません。
 これまでの飛行機と異なる発想のもとに開発された空飛ぶ円盤型航空機が、複数のプロペラを内蔵した円盤飛行機「オメガ・ディスク」です。

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                オメガ・ディスク 

 開発者のナチスのヨーゼフ・アンドレアス・エップは、円形のボディの中にプロペラを複数内蔵することで上昇や水平移動を可能にする推進力を生み出そうと考えました。
 空軍相ヘルマン・ゲーリングの指揮のもと本格的に開発が進められ、最初に作られたプロトタイプは直径が2,2m、2,4馬力のレシプロエンジンで駆動するプロペラを8基搭載しました。
 本格的な実践機の開発へ動き出しましたが、かねてから戦争に反対だったエップがプロジェクトから外されてしまいました。
 しかし、基本的なメカニズムは分かっているので、ほどなくして軍とBMWの技術者たちが中心となって直径42mのオメガ・ディスクが作られました。

 エンジンにはジェット噴射方式が採用され、テストフライトでは時速2000kmも記録しました。
 オメガ・ディスクは、グリーンランドにまで飛行しましたが帰国する途中、エンジン・トラブルが発生し地上に墜落してしまいました。
 墜落した機体は戦後、アメリカ軍が回収したとされます。

 そののち継機として「シュリーバー型円盤」が製造されました。
 「シュリーバー型円盤」には、大きく3つのモデルがあります。
 開発の中心となったのはハイケル社の航空技術者ルドルフ・シュリーバーとハーバーモールで、少なくとも1941年の時点で設計内容が発表されています。 

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 「シュリーバー・ハーバー型円盤フライング・ホイール1・ブリューククライゼル」は、大きなホイール状の回転翼オートジャイロが特徴で、中心部に1人乗り用のコックピットがあり、その下にメインとなるジェットエンジンから噴射される燃焼ガスによって推進力を生み出します。

 垂直方向の揚力は回転翼オートジャイロが生み出しますが、この先端部には補助エンジンが備えつけられており、ここから燃焼ガスを噴射することで高速回転を実現します。
 それぞれの羽が上から下へと空気を送り込むことによって浮き上がる仕組みです。
 このモデルは試作機の意味合いもあってか、かなり飛行が不安定で墜落もしました。 

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 これを改善すべく新たに作られたのが「シュリーバー・ハーバー型円盤フライング・ホイール2」です。
 そこで全体的に大型になり2人乗り用ですが基本的なメカニズムは同じです。
 改良された点は機体を安定させるために付け加えられた垂直尾翼と方向舵を付け、エンジンをジェットからロケットに変えた点です。

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 そののちシュリーバーらの円盤型航空機の開発に、同じく航空技師リヒャルト・ミーテとジュゼッペ・ベルーゾが加わり「ベルーゾ・ミーテ型円盤」が開発されました。 
 ナチス・ドイツと同盟国であったイタリアにおいてムッソリー二政権の閣僚であり、蒸気タービンの専門家だったベルーゾが円盤型航空機開発の主任となることで、シュリーバー・ハーバー型円盤は大きく進化しました。
 これまでの回転翼オートジャイロ方式をやめて、大きなプロペラを2個機内に内蔵する方式を採用したのです。 

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               ベルーゾ・ミーテ型円盤

 羽根車を内蔵したヘリコプターで内蔵された羽根車が2個で、上部のプロペラは空気を吸い込み下部のプロペラは垂直上昇用に使用されます。
 さらに機体の周囲にはBMWの自動車結合型エンジンを12基搭載。
 進行後方のジェットノズルから空気を吸引し、その反対方向のジェットノズルは噴射を行います。
 1942年に行われたテストフライトでは、高度4000m、速度は最高時速3000kmを記録したといいます。 

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                ベルーゾ・ミーテ型円盤3

 日本では高級自動車メーカーとして知られるBMWですが、戦時中は積極的に航空機の製造を行っていました。
 そのBMWが独自に開発していた空飛ぶ円盤が「フリューゲラート型円盤」です。
 いくつかバージョンはあり、いずれも基本となるのは回転翼オートジャイロの応用で、構造としてはシュリーバー・ハーバー型円盤に近いです。
 中心部にコックピットがあり、その下部にメインのジェットエンジンが設置され発生した燃焼ガスを使って、回転翼をも駆動させます。
 ただし回転翼オートジャイロが生みだす揚力は離陸時のみに活躍するだけで、推進力は進行方向に使われたと思われます。
 BMWの空飛ぶ円盤は1943年8月から開発が開始され、最初に作られたのが直径6mのプロトタイプはテストフライトに成功しました。

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 「フリューゲラート型円盤1‐V1」は、機体下部に「BMW 003A-0 ジェット・エンジン」を搭載し円盤外縁部はファンの機能を果たし、ジェット・エンジンの排気を斜め上方へ噴射することによってファンを回転させ、揚力を得たといいます。

 続いて直径14,4mで2人乗り用の「フリューゲラート型円盤1‐V2」が製造されました。
 次に製造されてのは大きさは同じですがジェットエンジンを機体の下に2基搭載した3人乗り用の「ブリューゲラート型円盤2‐V1」で、後継機として「フリューゲラート型円盤2‐V2」と「フリューゲラート型円盤2‐V3」が設計されました。
 そして、一連のシリーズの最終モデルが「フリューゲラート型円盤3」で、直径は24mと大型化し中心部にあるコックピットの下には2部屋からなる機室があり定員は6名で爆撃機として使用する予定でした。

 これに対して科学者ビクトル・シャウベルガーが開発した「シャウベルガー型円盤フライングハット」は異なります。
 彼は流体力学のコアンダ効果を応用して、インプロージョン(爆縮)理論に基づく爆縮現象を利用した画期的な飛行装置にしたのです。

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 明らかになっているモデルは少なくとも2タイプあり「シャウベルガー型円盤フライングハット・リパルシンA」(画像上)と「シャウベルガー型円盤フライングハット・リパルシンB」(画像下)とよばれています。
 見た目の形状は違いますが、飛行メカニズムは基本的に同じです。



  フー・ファイター

 第二次大戦中、連合軍のパイロットの間で奇妙な噂が流れました。
 見たこともない飛行物体が現れて攻撃してくるというのです。

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 形はさまざまですが、いずれも飛行機の形態をしておらず、まるで幽霊のようだったことから「フー・ファイター」とよばれるようになります。


 

 


 フー・ファイターの最初の公式記録は1944年11月24日、アメリカ陸軍航空隊USAAFの第415野戦戦闘隊の報告にあります。
 それによると、爆撃機が編隊を組んでライン川を越えた辺りで、突然光る球体群が現れました。
 いずれも意志をもっているかのように光球は編隊を組みながら飛行し戦闘機につきまとい、そのうちの1つは1機のB‐17爆撃機の上部ハッチからコクピット内に部に侵入。
 驚くパイロットたちの目の前を乱舞したあげく、侵入したときと同じように出ていったといいます。
 当初、連合軍の幹部たちはストレスによる幻覚を見たのではないかと考えましたが、同様の報告が1か月も続き危険な飛行物体として警戒するよう指令を出しています。

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 フーファイターの正体は球電の一種ではないかと考えられています。
 球電とは大気が不安定な状態のときに発生する雷の一形態で物理的にはプラズマです。

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 光る霧の塊のような飛行物体、スペースクリッター。
 2007年、ハワイ諸島上空でアメリカ軍がアメーバのようにさまざまに形状を変えるその姿を撮影しています。
 
 フーファイターのすべてがプラズマ生命体ではありません。
 当時、ドイツの上空を飛行し連合軍の戦闘機に攻撃していて、典型的なのが「青い煙」事件です。
 1945年3月、アメリカ軍の爆撃機が12機、いずれもドイツの上空で得体の知れない小型の飛行物体が接近し青い色をした煙を吹きつけられました。
 その直後、エンジンから突如として炎が噴き出したといいます。
 謎の小型飛行物体は形状から「空飛ぶ亀」とよばれ、状況から考えてドイツが開発した小型無人機だったと推測されています。

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 空飛ぶ亀以外にもフーファイターの正体については、当初からドイツの秘密兵器ではないかという噂はありました。
 自然現象としての球電やプラズマ生命体は別として、フーファイターとよばれた飛行物体には、ナチスが開発した秘密兵器が含まれています。
 空飛ぶ亀のような無人機のほかに、空飛ぶ円盤というべき飛行機が実際に存在しました。

 ナチス・ドイツのUFO開発を狙っていたのはヴリル協会でした。
 ヴリル協会は、シューマンが開発した反重力推進エンジン、シューマン・レビテーターを搭載した新たな空飛ぶ円盤を7種類、全部で17機製造します。
 新たに与えられたコードネームは「ヴリル」でした。
 1942年に開発された「ヴリル1型円盤」は直径約11,5mで、1~3人乗りでテスト・フライトでは時速2900kmを記録したました。


 


  ヴリル1
       vril 6

         vr100

         vr101


  ヴリル2

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   ヴリル3

         ufotypes4
       

  ヴリル4
 
         ufotypes3


  不明

        br1

        pw5

 
  ヴリル7 (1944年)

       L_Vril17

        vril16

      vril11
        ルーン文字で表記した「親衛隊(SS)」のマークが見えます。
 
         ufotype7

         Vril34j

         hau97

         hau95

         Vril33

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  ヴリル8 オーディン

     vril12

       hau93

         538366

         vril27

          vril28


  ヴリル9
       vril5
 
         ufo
                ヴリル9 (戦後の写真)
 
 改良を重ねた「ヴリル8型円盤」からは、新たなコードネームとして「オーディン」と命名されます。
 ヴリル協会が開発したナチスUFOの最終形態ともいうべきモデルでした。
 ヴリル協会とは別にナチス親衛隊(SS)の内部に設置された組織「E4」もUFO開発を行っていました。
 SS-E4はヴリル協会が開発したRFZ-5型円盤のモデルを採用しています。

         rfz1
                RFZ-1 1934年

         rfz2
                RFZ-2 1934年

         rfz3
                RFZ-3 1939年

   rfz4
                RFZ-4 1935年

   rfz5
                RFZ-5 1939年

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                RFZ-6

 RFZ-5型円盤には「ハウニブ」というコードネームがあり、これをそのまま継承して「RFZ-5型円盤ハウニブ2」が開発されました。
 ハウニブ2は直径が約26,3mで、高さ約11mの26人乗りで、時速6000kmで連続55時間飛行が可能であったといわれています。
 フーファイターとよばれたナチスの空飛ぶ円盤のいくつかはハウニブ2でした。

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      HaunebuⅡ 2 

         HaunebuⅡ 3

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                 CG
        HaunebuⅡ4-3

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                   CG
          HaunebuⅡ
 ハウニブ2に搭載された60mmKSK砲とMK108(30mm)機関砲。
  
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                   CG

 ハウニブ3は、テスト・フライトでは時速7000km、連続8週間飛行可能とされていますが、実際は開発途中で爆撃を受けテスト・フライトは行えませんでした。
 機体が大きかったため、データを手にしたアメリカも製造はしなかったといいます。
 ハウニブ3の写真が存在しないのは製造しなかったからです。
 ハウニブ型円盤の最終モデル「ハウニヴー4」は、直径約120mでほとんど戦艦並みの大きさで詳細は不明です。
 設計の段階で終戦を迎えアメリカ軍も製造は見送ったとされています。 

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 ナチスが開発した巨大円盤の極めつけが「葉巻形母船アンドロメダ」です。
 葉巻形の母船で、各種武器を備え全長約139mで幅30mで、トゥーレ・タキヨネーター・エンジンを4基、シューマン・レビテーターを4基搭載し、その速度は時速3万kmにもなるといいます。

 開発が始まったのは1943年で、ツェッペリン飛行船製造所で造られ内部にハウニブ2機とヴリル型円盤2機を格納可能で搭乗員数は130人も収容できたといいます。
 そして、葉巻形母船アンドロメダ、ハウニブ1を除くハウニブ型円盤やヴリル型円盤は、すべて宇宙空間を飛行する能力があったといいます。

 しかし、ナチスUFOのデータはかなり誇張されていて大きさや飛行速度に関しては偽情報です。
 葉巻形母船アンドロメダはナチスは製造には成功していなく設計段階で終戦を迎えており、実際に製造したのはアメリカ軍です。
 しかも試作機は1機のみでテスト・フライトの際に不具合を起こしてモハーヴェ砂漠に墜落しました。
 以後、葉巻形母船アンドロメダの開発は凍結されたといいます。



  ペーパークリップ作戦

 ナチス・ドイツの科学技術を欲しかったアメリカはソ連と取引をします。
 第二次世界大戦後、ソ連にドイツの半分と東ヨーロッパ諸国の領土支配を認める代わりにナチス・ドイツにいた科学者たちをアメリカがもらうことにしました。

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 アインシュタインや原爆開発のオッペンハイマーなど、ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人科学者やハンス・カムラーなどの政治家たちをアメリカは積極的に受け入れ、ナチス・ドイツの科学者も亡命させていたのです。
 これがコードネーム「ペーパークリップ作戦」です。
 ハンス・カムラーはアメリカ人ロバート・スミスと名を変えて、1991年まで生きたとされています。

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 ヒトラーの死体とされる上の写真は、ヒトラーとは耳が違い顔も違いヒトラーではありません。


 
 
 
 
 


 ヒトラーは1945年4月30日に拳銃自殺したといわれていますが事実は違います。
 ヒトラーの生前の意向によりエヴァとともに遺体は140リットルのガソリンをかけて燃やされました。
 遺体はソ連軍が回収し、検死もソ連軍医師のみが行いました。
 ヒトラーの遺骨は戦後、そののち拳銃自殺によって穴が開いた部分の頭蓋骨だけを残して処分されましたがその頭蓋骨は女性の頭蓋骨でした。
 アメリカの考古学者、ニック・ベラントーニはヒトラーの頭蓋骨の厚みが非常に薄くまるで20~40歳の女性のようだと語っています。
 研究所でDNA鑑定を行った結果、その頭蓋骨はヒトラーのものではありませんでした。
 ヒトラー夫妻の遺体は、誰の遺体か分からなくするように燃やされたのです。
 ヒトラーは自殺していません。
 遺体は身長や耳の形で偽物と判明していて、ヒトラーの頭蓋骨もDNA鑑定で17歳ぐらいの女性と証明されています。

 エヴァ・ブラウンの遺体はありませんでした。

 ペーパー・クリップ作戦(Operation Paperclip)は隠語であり、ペーパーは、伝令書(ペーパー)運ぶ伝令兵のことで、伝令兵だったヒトラーのことです。
 つまりヒトラー捕獲作戦だったのです。
 ヒトラーとエヴァ・ブラウンがSSとともにベルリン・テンペルホーフ空港から極秘裏に飛び立ちました。
 彼らが向かった先はデンマークのトンダー空港であり、そののちノルウェークリスチャンサン空港へ向かいました。
 そして、アメリカへ行ったのです。

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 アメリカ国内のある建物の書斎で、ヒトラーとトルーマンは会談しています。

 UFO情報は、アメリカ軍やアメリカ政府直轄組織「アメリカ国家安全保障局(NSA)」にコントロールされていました。
 1978年、アメリカの民間UFO監視団体「GSW(グラウンド・ソーサー・ウォッチ)」の代表を務めていたピーター・ガースティンが、「情報自由法(FOIA)」を盾に裁判を起こしUFO情報を公開させました。
 その結果、当時は極秘だったNSAの存在を知る者は一般にはいなかったので中央情報局(CIA)に関してだけは、全397点の機密文書中340点、900ページが公開されました。
 しかし、ほとんどが黒く塗り潰されていて「UFO情報の公開は、国家の安全保障にかかわる重大な脅威となる」という最終判断が出たことで、逆にUFO問題の深刻さが暴露される結果となりました。
 UFO情報の公開が国家の防衛上の脅威となるため国家はUFO問題を隠蔽するし「情報操作」もするということです。
 そういう目的のために作られた用語が、未確認飛行物体の略称である「UFO」なのです。
 空飛ぶ未確認の物なら、鳥・虫の類から、凧、風船、気球、星、飛行機、人工衛星などいくつも加わるため、問題とすべきUFOは分からなくなるのです。
 UFOの多くは自然界の現象や人による誤認ですが、そうではない未知の飛行機があることも確かです。

  9 墜落したアルザル製UFO