8 ドイツ製UFOと邪悪なアルザル人

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  ベル型UFO
 
 科学者のフリートヘルム・メックリンガーは、ナチス・ドイツで極秘の兵器開発にたずさわっていました。
 かつてナチス占領下のチェコスロバキアプルゼニに作られた地下施設で「空飛ぶ円盤」を開発していました。
 ナチス・ドイツの敗戦後1945年5月、口封じのため分かっているだけでも64人科学者が銃殺され工場施設が破壊されました。

 メックリンガーにはヒトラーの側近に親戚がいたので、命が惜しければ急いでプルゼニを出てスイス経由でイギリスにわたれという助言に従い難を逃れました。
 メックリンガーは表向き消息不明とされイギリスに亡命し、自らもっていたナチスの極秘情報と引換えに身の安全を確保され、秘かにイギリス軍、さらに同盟国であるアメリカ軍でUFOの開発を続けました。

 ナチス・ドイツにおける空飛ぶ円盤開発の総責任者であったナチス親衛隊(SS)の大将ハンス・カムラーは身の保全のためにナチス・ドイツを裏切り、空飛ぶ円盤の機密情報をすべてたずさえアメリカに亡命しました。

 ここにはメックリンガーが開発に関与していた「ベル形円盤」のデータもありました。
 ナチス・ドイツの最高機密であったベル型円盤開発計画はアメリカ軍によって継承され、ついには実験機を飛行させられるようになりました。
 アメリカに亡命したハンス・カムラーは、アメリカ軍でベル型円盤の開発に従事します。

 ナチス・ドイツは、シャウベルガー理論を基にベル型の飛翔体の開発を行いました。
 「ベル型円盤」のボディは陶器でできており、内部に中心となる主軸が1本あり主軸の周りに2つのシリンダーがあって、これらを高圧電流で逆方向に回転させると一種の渦電流が発生します。
 電流が発する電磁場により周囲の空気が吸い込まれ、最終的には機体が浮上する仕組みです。
 ベル型円盤はナチス・ドイツの最高機密であり、その存在が知られるようになったのは最近のことです。

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 画像はナチスのベル形UFO、通称NAZI BELLで、ドイツでの開発名はDIE GLOCKE(ディグロッケ)です。

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          開発中のDIE GLOCKE(ディグロッケ)のスケッチとされる画像

 ベル形円盤の存在が明らかになったのは、2000年ポーランドのジャーナリスト、イゴール・ウィトコフスキーが著書『ドイツ驚異の超兵器の真実』で暴露し、これに触発されたイギリス人作家ニック・クックが『ゼロポイントの探求』で紹介して知られるようになりました。
 情報の発端となったウィトコフスキーによると、自分はワルシャワで生まれのポーランド人軍事ジヤーナリストで元ナチス・ドイツの親衛隊のヤコブ・シュプンベルグに対する尋問記録を見せられた際にベル形円盤の存在を知ったといいます。
 後日、匿名の人物から1997年の夏にそれを裏付ける情報を提供されましたが、コピーは許されず一部を書き写しただけとされます。 

 ベル形円盤を開発していた人物がフリートヘルム・メックリンガーです。
 メックリンガーによればベル形円盤の技術はナチス最高機密であり、ハンス・カムラーは把握してたといいます。

 

 

 

 

 

 

 
 UFO墜落事件の多くは秘密兵器として開発された航空機の事故です。
 ほとんどの金属製の正体不明な飛行機のUFOとは、実際は開発途中の実験機なのです。
 典型的なのは、1965年12月9日に起こった「ケックスバーグUFO墜落事件」です。

 この日の午後4時半ごろ、アメリカ、ペンシルベニア州ケックスバーグの上空に奇妙な物体が現れました。
 形はドングリのような先が尖った円筒形で、直径は約3m、長さも約3mでした。
 謎の飛行物体はふらふらと浮遊しながら町を横断し、ついには郊外の森の中へ墜落しました。
 UFOが森に墜落した町では大騒ぎとなりました。

 薄暗い中、人々は懐中電灯を片手に森の中に入っていきます。
 するとそこには地面に半分めり込んだオレンジ色をしたドングリ形の物体が横たわっており、破損箇所からは青白い炎が吹き出していました。
 目撃者の証言によると、物体の底部にはバンパーのような物があり、そこには四角や円などある種の文字のようなものが刻まれていたといいます。

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 しばらくすると現れたトレンチコートの男がたちが野次馬たちを威圧し現場を封鎖しました。
 彼らはアメリカ国家安全保障局(NSA)の工作員、通常は2人から3人で行動し、全身、黒ずくめの「メン・イン・ブラック(MIB)」とよばれています。


 


 UFO墜落情報を知り情報隠蔽のために行動するMIBが時間を稼いでいると軍が到着しました。
 午前1時ごろ、軍は封鎖された墜落現場から謎の飛行物体を回収しトラックに載せ運び去りました。
 人々は異星人のUFOを軍が回収したと噂しましたが、やがて時間の経過とともに事件は忘れ去られます。

 この事件が明るみになったのは1978年になってからで、当時施行された情報自由化法によって極秘文書が発見されたのがきっかけでした。
 しかし、墜落した飛行物体の正体は異星人の乗り物でもUFOでもありません。

 ブリートヘルム・メックリンガーによれば、これこそハンス・カムラーが開発していたベル形円盤です。
 カムラーがもたらしたデータをもとにアメリカ軍はベル形円盤に改良を重ねて実験飛行を行っていたのです。
 途中で故障が発生しコントロールが利かなくなったベル形円盤はケックスバーグの森の中に墜落してしまったのです。
 あわてたアメリカ軍はすぐ現場に急行し実験機を回収し、開発実験が行われていたライトパターソン空軍基地へと運びました。

 当時、ライトパターソン空軍基地に、約6500個ものレンガが大量に運び込まれていました。
 レンガは二重に上薬を塗った耐火性で、これらを搬入した業者が基地の内部でレンガに囲まれたベル形の物体を見たと証言しています。
 ベル形円盤は高電圧を発生するため、かなりの高温になります。
 ナチス・ドイツ時代、ハンス・カムラーはベル形円盤を開発するに当たって周囲を陶器でおおっていたことが分かっており、これをアメリカ軍は踏襲していたのです。

 底部に書かれていた謎の記号の正体はルーン文字です。

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 オカルトに傾倒していたナチス・ドイツはゲルマン人の古代文字でありルーン文字を研究し、さまざまな紋章やエンブレムなどに使用していました。
 左卍のハーケンクロイツが航空機の機体に描かれるように、ベル形円盤のボディにもルーン文字が刻まれていたのです。
 
 1980年12月25日午後10時30分ごろにイギリスのサフォーク州ウッドブリッジ空軍基地近くのレンデルシャムの森に正体不明の光体が降下していくのを基地の米軍警備兵が目撃した。
 2名のパトロール兵が森に向かうと、そこで光り輝く金属製で直径幅2,7m高さ2,4mの丸みをおびた三角形の飛行物体を発見しました。
 物体を撮影したのち、なめらかな機体にも触れました。
 兵士はカメラで写真を撮影しましたが、現像時にフィルムが感光してたと分かりました。
 
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 また手帳に物体の特徴や機体に描かれていたマークのような文字を記しましたが、物体に近づくほど手の自由がきかなくなり文字が乱れて書くことになりました。
 パトロール兵が近づくと飛行物体は姿を消しました。
 軍用無線は使えませんでしたが物体が、消え去ったあとは無線通信機が通じるようになりました。

 翌日の12月27日、副司令官チャールズ・L・ホルト中佐はUFOが再び戻ってきたと報告を受け、ホルト中佐と30名の兵士たちは森に入りました。
 放射能測定を行ったところ、最高0,1ミリレントゲンのベータ/ガンマ量が検出されました。

 森の彼方に光り輝くUFOが出現し、UFOはホルト中佐らに接近すると光線を照射し始めました。
 そののちUFOはウッドブリッジ空軍基地に移動し、光線を倉庫へ照射しました。
 兵士が光線の中に入リましたが何ともありませんでした。
 UFOの目撃は口止めされ、ホルト中佐は正式な報告書「ホルト文書」を作成し軍に提出します。

 そして、3年後にウッドブリッジ空軍基地に隣接するベントウォーターズ基地の元空軍警備員兵のラリー・ウォーレンが、「ホルト文書」をイギリスの新聞『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』に持ち込み世に知られました。
 ラリー・ウォーレンは、事件の夜に森の中で軍の司令官たちが3人のエイリアンと会見していたと証言しました。


 


 1980年当時、最新鋭の極秘兵器プラズマランチャーがイギリスのウッドブリッジ空軍基地に配備されていていました。 

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 しかし副司令官であったチャールズ・ホルト中佐や兵士たちは知らされていませんでした。
 演出されたUFO事件の目撃者に彼らは仕立てられたのです。

 レンデルシャム事件における2回目の事件、1980年12月27/28日の深夜早朝、レンデルシャムの森ではプラズマランチャーによるUFO事件の演出が大々的に行われていました。
 最初に出現したプラズマランチャーによって生み出された赤い火の玉は、UFOはホルト中佐の言葉を借りれば太陽のようでした。
 赤い火の玉はレンデルシャムの森の中を移動して、ついにはホルト中佐たちに接近し頭上で一段と激しく輝くと5つに分裂し消滅しました。
 続いてUFOは2機が出現しますが、色の違いは出力の違いでエネルギーが高くなればなるほど赤から青に変わります。

 ホルト中佐たちの無線が使えなくなったのもプラズマから生じる電磁波障害です。
 電磁波障害はレンデルシャムの森のみならず、周辺の民家が12月27日から数日間テレビや電灯がついたり消えたりする現象がありました。
 電磁波に敏感な動物たちは、当日、マイクロ波を察知して騒ぎました。

 レンデルシャムの森に現れた物体は、森の中を木々にぶつかりながら移動し三脚を伸ばして着陸していたUFOは三角形をしていました。
 兵士が描いたスケッチを見ると、三角形のボディの中央に大きな垂直尾翼のような部位があり、表面はなめらかで、文字のようなものが刻まれていたといいます。
 アメリカ軍がエリア51からイギリスにプラズマで移動させたナチス・ドイツが開発していた戦闘機「DM-1」です。

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 兵士が機体に見た文字は、ベル形円盤と同様、ナチス・ドイツが刻んだルーン文字でした。
 この「DM-1」はテストフライトをした実験機ではなく、外見は同じに作られたレアメタル製の風洞実験用の実験機でした。
 風洞実験の際、強い風を当てるため強固な三脚もありました。
 兵士が撮影したフィルムが感光していたのは、プラズマから発せられた放射線と電磁波が原因だったのです。 

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 アメリカ軍はレンデルシャムの森にハリボテのUFOを置き、河童であるグレイを3体連れてきて司令官と会談しているような光景をウォーレンに見せました。
 そして、ウォーレンの証言は軍がこの事件をエイリアンの仕業とするために、ウォーレンを使い新聞社に情報を流させたのです。
 このころのアメリカ製UFOの初期のモデルでは高速飛行はできず、さらには高熱の問題もクリアできていませんでした。
 プラズマ飛行も十分ではなく機体はジェットエンジンも搭載したハイブリッド型が主流で、プラズマが発する高温や電磁波をなかなか制御できなかったのです。

 アメリカ製UFOの開発は主にネバダ州のエリア51で行われましたが、実験的にどこまで飛翔が可能かというテストが計画されると地上に墜落して民間人に目撃されてしまったらどうするか、また民間人に被害が出た場合、どうアメリカ製UFOの存在を隠蔽するかが重要であると考えられていました。

 アメリカ空軍は身内の兵士たちをだましてまでもUFO事件を演出したのは、アメリカ製UFOを目撃されてもそれが異星人の乗り物でありアメリカ軍が回収していると思わせるためです。
 そして、異星人とアメリカ政府は密かに通じており密約を行っているという噂を流し、これをUFO研究家を使って増長させ、場合によっては怪しい機密文書を流したりアメリカ軍から逃亡した研究者を登場させ異星人の存在を語らせます。

 そして世間が注目したのち、証拠とされた文書が偽物であることを暴露し証言者の社会的信用を失墜させ一気に噂の信憑性を落とすのです。
 レンデルシャム事件は、その一環なのです。

 レンデルシャム事件からわずか数日後の1980年12月29日の夜、アメリカ、テキサス州ヒューストン郊外でテストフライト中のアメリカ製UFOが故障し地上に墜落しそうになり、一連の光景を民間人に目撃されてしまいます。
 「キャッシュ&ランドラム事件」です。
 その夜、車に乗って帰宅中のべティ・キャッシュ夫人(当時52歳)とビッキー・ランドラム夫人(当時57歳)、ビッキー夫人の孫のコルビー・ランドラム少年(当時7歳)が明るく輝く巨大飛行物体に遭遇しました。
 興味をもった彼らは車を停めて外に出ると、今にも道路に降下しようとする巨大UFOは金属音を響かせ下から炎を噴出していました。

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 ボディーの中央部には小さな丸い構造物が窓のように一列に並び、UFOの周辺には黒い軍のCH-47チヌークヘリコプターが飛んでいました。 彼女たちは車の中に戻りしばらく眺めていると、UFOは徐々に上昇し姿を消しました。
 そののち5kmほど離れた所で、再び彼女たちは同じUFOを目撃し周辺を護衛するかのように飛ぶヘリコプターの存在も23機まで確認できました。

 こののち彼女たちはUFOに接近した際に浴びた光と熱が原因で顔や腕などが日焼けした状態となり激しい嘔吐に見舞われました。
 日焼けは火傷のように水ぶくれができ全身が腫れました。
 年末だったので適切な治療を受けることができず、年明けには髪の毛がごっそり抜けはじめます。
 両目は白内障緑内障になり、脱水症状になりました。

 彼女たちは瀕死の状態で病院にたどりつき、そこで受けた診断は、放射線被曝でした。
 後日、彼女たちはアメリカ軍を相手取って軍の極秘実験によって健康被害を受けたと訴訟を起こしました。
 UFO事件は一気に全世界に知られますが、当局は全面的に否定しました。


 


 アメリカ軍はUFO問題の真相を隠すため、異性人のUFOとして広まることを期待していました。
 NSAは『MJ-12文書』を作り上げ、これを当局の手先にしたUFO研究家ビル・ムーアを使って世間に広めました。 
 「MJ-12(マジェスティック・トゥエルブ)」とは、アメリカ合衆国の政府高官や科学者など12人の専門家で構成されており、宇宙人に関する調査や宇宙人との接触や交渉を、過去60年にわたって秘密裏に行ってきたとされるアメリカ合衆国政府内の委員会の名称です。

 MJ-12事件の張本人であるUFO情報を混乱させるために働いた当局のエージェントになったビル・ムーアはCIAと密かにコンタクトし、わざと偽情報を流したことが明らかになっています。

 そして、最終的に『MJ-12文書』が偽物であることを暴露して、異星人と政府の密約はうそであるという印象を一般大衆に与えて「キャッシュ&ランドルム事件」もまた荒唐無稽なUFO事件として認識されるようになりました。

 ハイブリッド型の初期モデルの中でもキャッシュらが目撃したタイプは故障が多く、事件当日もヒューストンのランドルフ空軍基地へ向かう途中に致命的なトラブルが発生し、多数のヘリコプターに護衛されながら移送される事態となったのです。

 ハンス・カムラーが開発したベル形円盤は改良を重ねながら性能を上げていきますが、その過程でプラズマによる飛行原理が導入され大きな技術革新がありました。
 きっかけは1947年7月に起こった本物のエイリアン・クラフトのロズウェルUFO墜落事件です。
 3人のエイリアンの死体とともに、墜落したデルタUFOを回収したアメリカ軍はプラズマ動力に気づき、プラズマ兵器プラズナーを開発する過程でプラズマによる飛行原理をほぼ解明します。

 プラズマを発生させ、機体ごと包めば自由に空間を移動できます。
 当時は、プラズマが発する高温と放射線のため有人飛行は無理でした。
 最初からプラズマ飛行の円盤が作られたのでなく、当初は通常のロケットエンジンとプラズマ発生装置を搭載したハイブリッドタイプで、改良型を重ねたベル形円盤はスピンドル形へとモデルチェンジしハイブリッド機種へと進化しました。

 1980年、12月25日、27日に「レンデルシャム事件」があり、29日に「ビッキー・ランドラム事件」がありました。
 こららをカムフラージュするためにウォーレンに司令官と河童であるグレイを会談しているように演じている光景を見せたのです。
 ウォーレンが体験したUFO着陸事件の日付と日付を改ざんされた「ホルト文書」にある2回目のUFO飛来事件の日付が同じく1980年12月29/30日の深夜早朝であったことで信じ込んでしまいましたが、これは罠でした。
 ホルト中佐が事件の報告書として書いた元の「ホルト文書」は、まずNSAの手にわたり、ホルトが使ったタイプライターを使い彼のサインも偽造し日付だけを変えてコピーが作られました。
 目的は情報の混乱と信用失墜です。

 「ホルト文書」が公になった段階で、驚いたのはホルト中佐でした。
 サインも内容も間違いないのですが、日付がすべて2日間ずれていて、しかも最初のUFO着陸事件と2回目のUFO飛来事件には、ラリー・ウォーレンなる兵士はかかわっていないのです。
 当然ながらマスコミから裏付けの取材を受けたときには、ウォーレンの証言はうそであると主張しました。
 うそつきよばわりされるウォーレンもホルト中佐のほうこそ真実を話していないと主張しました。
 こうして当事者たちの証言が食い違うことによって、結局あれだけ騒がれたレンデルシャム事件もまた信用できないということになり、世間からは与太話呼ばわりされました。



  アダムスキー型UFOの正体

 RFZ-5型円盤はコードネーム「ハウニブ」とよばれ、ハウニブ・シリーズは以後、SS・E4に継承されRFZ-5型円盤ハウニブ2が開発され量産化にこぎつけます。
 アダムスキーが目撃した空飛ぶ円盤は「改良型RFZ-5型円盤ハウニブ2」でした。
 しかもアダムスキーはそのこと十分知っていたうえで、自分は金星人が乗ったUFOを目撃し写真に収めたと主張しました。

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 アダムスキーが語るUFO遭遇事件の内容はこうです。
 1952年11月20日、アダムスキーはカリフォルニア州アリゾナ州の間に位置するモハーヴェ砂漠に車で出かけました。
 上空に巨大な葉巻型UFOが現れ、しばらくすると小型偵察機が着陸しまし、UFOから出てきた男は非常に美しい顔立ちをしていました。
 長い金髪に灰緑色の瞳で身長は約165cm体重は約60kgで年齢は28歳ぐらいに見えました。
 服装はつなぎめのない上下一体となったスキーウェアのようで腰には幅20cmのベルトをしていました。

 コミュニケーションをしようと話をし始めると、言葉が通じませんでした。
 男の言葉は、抑揚や発音が古代言語と中国語の合成語のように感じ、意味を理解することはできませんでした。
 そこで身振り手振りのボディランゲージでコミュニケーションをしようとすると同時に、テレパシーによる交信を試みることにしました。
 太陽を指差しその周りに円を描き水星といい、もう1つ外側に円を描いて金星といい、もう1つ円を描いて地球といいながら地面を指差しました。
 こうして男が金星からやってきた異星人であることが分かったのです。

 なぜ地球にやってきたかという問いに対しては、地球人と友好的な関係を結ぼうとしており、現在行われている核兵器の実験が危険なものであることを警告するために来たらしいことが分かりました。
 さらに金星人によれば太陽系の惑星にはすべて異星人が住んでいて、異星人は地球人と変わらない姿をしていますが、多くの地球人の前に姿を現すのは危険であると考えてお、友好的な相手を選んでコンタクトするといいます。

 約1時間後、最後にアダムスキーは写真撮影を申し出ましたが金星人は拒否して、先に撮影した写真のフィルムを渡すよう要求しました。
 友好的な関係を壊したくないアダムスキーは、カメラからフィルムを取り出すと金星人に差し出すと金星人はUFOに乗り込み上空に消え去ったのです。

 この間、仲間の6人は遠くからアダムスキーと金星人の会見をずっと見守っていました。
 UFOが去ったことを確認した彼らは、アダムスキーのもとに来て今起こったことを質問しました。
 また現場に残された金星人の足跡を撮影やスケッチし石膏型にとりました。
 彼らは帰る途中に新聞社に報告することとなり、記者はアダムスキーらの体験を半信半疑でしたが証拠として撮影したフィルムのホルダーを2枚渡しました。
 こうして4日後の11月24日、金星人とのコンタクト事件はカリフォルニア州オーシャンサイドの新聞『フェニックス・ガゼット』に掲載され、全米に騒動を巻き起こすことになったのです。
 以後、アダムスキーと金星人のコンタクトは続き、ついには空飛ぶ円盤に乗ってほかの惑星を訪問します。

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 1952年12月13日、ジョージ・アダムスキーは再び金星人が乗った小型UFOと遭遇したといいます。
 その日の朝、アダムスキーは自宅近くでいつものように観測を続けていると上空で戦闘機が発する音が響きました。
 9時ごろ再び閃光が現れると金星人が乗った小型UFOが音もなく、こちらへと滑空してきてUFOは付近の谷間の上空90~150m辺りで滞空し、アダムスキーは望遠鏡に設置したカメラで写真を4枚撮影しました。

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      1952年12月13日朝、アメリカ カリフォルニア州パロマーガーデンズで撮影。(上下)

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 しばらくすると小型UFOは約30m上空にまで接近し機体の窓が開き、11月20日にわたしたアダムスキーのフィルム・ホルダーをを下に落とすと、かすかに手を振りました。
 UFOはアダムスキーの頭上をとおりすぎ、そのまま北の方角へと飛び去ったといいます。
 飛び去った先100mの地点には、UFOの飛来を待っていたジェロルド・べーカー空軍退役軍曹がUFOが来たら写真撮影するために待機していました。
 UFOはべーカー元軍曹の頭上を飛行し、写真撮影をすることに成功しました。

 アダムスキーは金星人が投下したフィルム・ホルダーを回収すると、先ほど撮影したフィルムと一緒に現像に出しました。
 この日に撮影したUFO写真は写っていましたが、金星人に預けた写真には11月20日に撮影したはずのUFOの映像の薬品が1度きれいに流され代わりに別の映像が写しこまれていました。

 その映像には見慣れない文字とも記号ともつかないものが多数ちりばめられており、その中心に紡錘形の図形が大きく描かれていました。
 紡錘形の中には卍のような図形や、解読不能の記号がいくつかありました。
 これと同じものがブラジルのペドラピンターダ遺跡から発見されています。
 フランスの考古学者マルセル・F・オムが著した『太陽の息子たち』には、先住民が描いた壁画写真が掲載されていて構図や文字がほとんど同一でした。

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       上、アダムスキーが金星人から預かった写真に写しこまれた、解読不能の文字。
       下、ブラジルのペドラピンターダ遺跡の文字。

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 ジョージ・アダムスキーが体験した1952年11月20日の金星人コンタクト事件と同年12月13日のUFO遭遇事件については、それ以前のUFO目撃体験と併せてイギリス首相ウィンストン・チャーチルの従兄弟、デスモンド・レスリーとの共著の『空飛ぶ円盤は着陸した』という本に収録されています。
 次の著作『宇宙船の内部』になると、アダムスキーのコンタクト・ストーリーはドラマティックに展開していきます。

 コンタクトの翌年1953年2月18日、アダムスキーはロサンゼルスの下町にあるクラークホテルに宿泊します。
 知り合いの女性と会ったのち、ホテルのロビーで停んでいると10時30分ごろにどこからともなく2人の男が現れアダムスキーに声をかけてきました。
 そして、差し伸べた手に触れた瞬間、昨年の金星人とのコンタクトがよみがえってきました。
 アダムスキーが金星人と握手をしようとしたとき、相手は手を握らずに軽く掌と掌を合わせてきたのでした。
 それど同じ感覚を得て、彼らは地球人ではなくほかの惑星から来たスペースピープルだとアダムスキーは理解しました。

 2人は、金星人とは違い英語を話しました。
 2人の男たちはアダムスキーと車でハイウェイを走りながら、自分たちは地球人とコンタクトするために選ばれた火星人と土星人と明かして、これまでに何人か地球人とコンタクトしてきたが成功していなく、中には死んだ者もいると話しました。
 今回アダムスキーが友好的でかつ異星人にも理解があるので、姿を現したのだといいます。

 車は砂漠地帯へ入り、やがて目の前に高さ4~6mで外見は金星人が乗っていた小型UFOとそっくりな1機のUFOが現れました。
 そのUFOのそばには最初にコンタクトした金星人がいて、英語を話すことができなかった金星人が普通に英語で会話できました。
 UFOが故障したので修理していたのだといいます。
 こうしてアダムスキーは3人の異星人とUFOに乗って、宇宙旅行へと出かけることになりました。 

 アダムスキーの話は科学的に間違っているな点が多く、最初の『空飛ぶ円盤実見記』と2冊目の『空飛ぶ円盤同乗記』の内容は互いに矛盾しており整合性が取れていません。
 3冊目以降の本にいたっては、異星人の存在よりも転生や生命科学、テレパシー、宇宙の創造神など宗教色が強くなり、しまいには金星人の前世はイエス・キリストであり、アダムスキーの前世は十二使徒の1人だといいはじめました。
 そしてイエスは十字架刑で死んだのではなく、仮死状態のままペースピープルに助けられて蘇生し、しばらく地上で復活した神の子として活動したのち、故郷である金星へと帰っていったのが真相なのだといいます。


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 アダムスキーが自らのコンタクト体験を記した著書は、当時は多くの人に影響を与え、今もその思想を支持する人は少ないですがいます。 
 
 フイルムホルダーを投下したときに撮影した3枚の有名な写真については、被写体であるUFOのピントが合っているところとぼけているところがありいます。
 証言によればカメラとの距離は90~150mあったといいますが、これだけ離れている物体を望遠レンズで撮影した場合、部分的にピントが合うはずはないのです。
 一部にピントが合っているということはカメラと物体の距離はきわめて近いことを意味し、アダムスキーはUFO」の大きさを10,5mだといっていますが、実際はもっと小さな物体であるとしか考えられません。

 横向きの写真に関しては、コンピューターの画像解析の結果、UFOの頂上から糸らしき物が写っているという指摘もあります。
 また葉巻形UFOから小型のUFOが光りながら出てくる写真に関しては、画像がきわめて平面的で紙のような物をガラスに張り付けて撮影したのではないかという指摘もあります。
 そして、べーカー元軍曹は向かってくるUFOを下から撮影したということになっていますが、これもアダムスキーが撮影しました。

 暴露したのはべーカー自身で、ベーカーは勝手に名前を使われただけでUFOは見ていないし撮影はしていないと証言しました。
 アダムスキーからあなたが撮影したことにすれば金儲けができると持ちかけられたと述べ、さらには1952年11月20日の事件以前、遭遇内容とそっくり同じ内容を語るアダムスキーの肉声テープを聞いたとも話しました。
 
 

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 左はアダムスキーが撮影した8mmフィルムで、右は模型を使って再現した写真です。
 撮影に使用した模型を透明のガラスに貼り付け撮影しと思われます。
 
 アダムスキーは何枚ものUFO写真を撮影したとして公開していますが、アダムスキーが語るコンタクト・ストーリーは基本的にフィクションです。
 アメリカ軍がUFO遭遇事件を演出し、アダムスキーをだましました。
 
 当時、アダムスキーは神秘思想をもつ売れない小説家でした。
 アダムスキーが自ら語るには、アダムスキーはポーランド王家の末喬であるといいます。
 ポーランド王国はロシアやプロシア、オーストリアによって何度か分割され1795年に崩壊します。
 このときポーランド王家は消滅しましたが末裔は残りました。
 アダムスキーの父親は、その王家の血統流といいます。
 統合失調症における誇大妄想に「血統妄想」の症状があります。

 第一次世界大戦中の1917年、ポーランドは念願の独立を果たしますが実際はドイツ帝国の属国でした。
 現在のような形で国家が再興したのは、第二次世界大戦後です。
 この間、ポーランド人はソ連やアメリカなどへ亡命する者も少なくありませんでした。

 アダムスキーも2歳までポーランドにいましたが、そののちに家族がアメリカへ移住します。
 長らく周辺の国々によって翻弄されたポーランド人は反骨精神に満ちており外国においても同族意識が強くアメリカにおいて彼らはポーランド人による独自のコミュニティ「ポーランドの家」を結成していました。
 ポーランド系移民であるアダムスキーは、このポーランドの家に所属しロサンゼルスの支部にしばしば出席していました。

 そこで、ポーランド系移民になりすましたカムラーがアダムスキーに接近し、カムラーはアダムスキーの思想や小説をほめ親しくなったところで、こう切り出しました。
 「アダムスキーさん、あなたの書いたSF小説『宇宙のパイオニア』はよく書けています。
 とてもフィクションとは思えない。
 実は私はアメリカ軍の秘密を知る立場にありまして、同じポーランド系移民であるアダムスキーさんだけにお話しますが、あの小説の内容は事実に近いです。
 異星人は実在します。
 アメリカ軍は、それを知っていながら、国民に知らせていないのです。」

 カムラーは巨大な葉巻形母船マザーシップや小型の観測機が空中に浮かんでいる写真を見せました。
 何度かUFOらしき物を見ていたアダムスキーは、空飛ぶ円盤が実在すると確信しました。
 しかも、自分は特別な存在であり、奇しくも小説の形で宇宙の真理を表現していたといわれたのです。

 これらの写真に写っている空飛ぶ円盤はエイリアン・クラフトではなく、カムラーが開発を続けるアメリカ製UFOです。
 大型の葉巻形母船は墜落する以前にテスト・フライトを行った葉巻型母船アンドロメダであり、小型の観測機は改良型のRFZ-5型円盤ハウニブ2でした。

 これらを金星人の空飛ぶ円盤だとアダムスキーに信じ込ませたカムラーは、金星人とコンタクトも可能であるとして、アダムスキーにUFOを見せ金星人になりすました軍人を会わせるのです。
 そして、アダムスキーは、カムラーを信じ大衆をだます情報操作の加害者側になってしまうのです。

 アダムスキーの著書『空飛ぶ円盤実見記』で、アダムスキーは上空に巨大な葉巻形母船が浮かんでおり仲間6人と目撃したと述べていますが、実際はこのときに葉巻形母船は現れてはいません。
 これはアダムスキーの虚言です。

 事実、6人の証言者の1人アル・べーリーは、誰も空を飛んでいる円盤は目撃していないと暴露しています。
 さらに著書では最初の葉巻形母船の出現後、その真下にアダムスキーが車で移動したことになっています。
 車を運転したルーシー・マクニギス夫人とアル・べーリーが同行したものの、コンタクトする直前で仲間の所に引き返すようアダムスキーに指示されています。
 実際に金星人と会見したのはアダムスキーだけであり、仲間6人は双眼鏡で遠くから見ていたにすぎないのです。
 1人になったアダムスキーは、金星人と遭遇します。
 その際、観測機が谷間に浮かんでいたといいます。
 しかし、アル・べーリーが証言しているように空に空飛ぶ円盤は浮かんではおらず誰も目撃していません。

 アダムスキーの証言に真実もあります。
 デザートセンターの峡谷には、確かに空飛ぶ円盤が着陸していたのです。
 仲間6人からは見えませんでしたが、アダムスキー型UFOが改良型ハウニブ2があったのです。
 ハウニブ2の写真を見せて、UFOが実在することを信じ込ませたのです。
 カムラーの罠にはまったアダムスキーがモハーヴェ砂漠での遭遇事件の真相は、改良型ハウニブ2とドイツ系アメリカ人の兵士です。
 アダムスキーは約束どおり金星人の空飛ぶ円盤を目にしたと思ったために、現れた人間を見て金星人だと思い込みました。
 金星人に扮していたのはアメリカ軍の兵士でしたが、当時SF映画に登場する異星人の姿そのままでした。 

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 画像は金星人とのコンタクトの1年前1951年に公開されたSF映画『地球の静止する日』の宇宙からの訪問者クラトゥです。


  


 金星人との会見は身振り手振りのほか、テレパシーで交信したことになっていますがアダムスキーの虚言です。
 金星人演じる美形の兵士は、ボディランゲージを交えながらアダムスキーが口にした言葉をあたかも幼児が学習するかのように真似たにすぎません。
 金星人を演じたアメリカ軍の兵士の姿は、アダムスキーのみならず遠くにいた仲間6人たちも見ていました。
 アリス・ウェルズは双眼鏡で金星人を観察し、その姿をスケッチに残しています。

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 以上が金星人との会見の真相です。
 実際に金星人とコンタクトしたと思い込んだアダムスキーは、自分の思想が正しく自分は異星人に選ばれたという自負がありました。
 これが彼の虚言や妄想に拍車をかけ、アダムスキーの空飛ぶ円盤幻想は増長し科学的に正しくない哲学になっていきました。

 金星人との会見によって、アダムスキーは全世界から注目を浴び、宇宙哲学の教団ロイヤル・オーダー・オブ・チベットには続々と信者が集まり組織は巨大化しました。
 それと同時に、異星人に関するアダムスキーの言動はどんどん派手になり、ついには小説『宇宙のパイオニア』を焼き直してノンフィクションとした『空飛ぶ円盤同乗記』を発表し、自分は異星人の空飛ぶ円盤で宇宙へ行ったとうそを公言するようになります。

 カムラーの狙いどおりUFO情報を混乱させるためにアダムスキーは働きました。 
 やがて真相を知ったアダムスキーでしたが名声と金儲けのためにカムラーの陰謀の片棒を担ぎ、UFOコンタクティーとして自らの神秘思想をもって広めることにしたのです。

 NSAはアダムスキーに協力して教団を大きくし政府関係者や要人たちと引き合わせ、マスコミへの露出をプロデュースしました。
 アダムスキーは、アメリカ政府の協力で、イギリス王室などの海外の要人と頻繁に会っているのです。
 そして、NSAはアダムスキーの証言が真実であるかのように、アメリカ以外の国でも改良型のハウニブ2を飛ばし多くの人に目撃させたのです。

 1954年2月15日、イギリスのランカシャー地方のコニストンで、当時13歳のスティーブン・ダービシャーと従弟で8歳のエイドリアン・マイヤーが近くのコニストン・オールドマン山に登って遊んでいると銀色の丸い形をしたUFOが現れました。

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 ダービシャーはバードウォッチング用に持ってきた蛇腹式の小型カメラを構えてシャッターを2回切りました。
 イギリス人のレオナード・G・クランプはアダムスキーが撮影したUFO写真と詳細に比較し正射影法によって対比させたところ両者はまったく同じ機体であることが判明し、著書『宇宙・重力・空飛ぶ円盤』で発表しました。

 ハウニブ2はやがてアダムスキー型UFOとよばれるようになり、全世界の人々に認識されるまでになりました。
 カムラーがアダムスキーに見せた最初のUFO写真に写っていた空飛ぶ円盤は、いずれも本物のの葉巻形母船アンドロメダと改良型のハウニブ2でしたが、これらの写真はアダムスキーの手には渡っていません。

 アダムスキー自身が撮影した空飛ぶ円盤の写真はすべてトリックです。
 そのための模型をカムラーはアダムスキーにわたし、アダムスキーは精巧に作られた模型をもっともらしく撮影したのです。
 コンタクティとして有名となったアダムスキーには数多くの信者が集まりましたが、彼の話す内容に矛盾が指摘され宇宙開発が進んでくくると徐々にアダムスキーから離れる人も出ました。
 古くからの仲間も距離を置くようになり、教団は徐々に勢いをなくしていき教団の後継者争いで分裂し世間からは忘れられた存在になっていきました。

 アダムスキーの信奉者であったレイ・スタンフォードが、アダムスキー自身の言葉としてこう述べています。
 「禁酒法時代、私には『ロイヤル・オーダー・オブ・チベット』があった。
 それは表向きの話。ワインが醸造できたんだ……南カリフォルニア住人の半数に十分行き渡るだけのワインを醸造していた。
 実際、私は辺りで一番の酒類密売人だった。
 それからあのルーズベルトが出てきて禁酒法を叩きつぶした。
 あのルーズベルトさえ出てこなければ、こんな円盤ごっこなどに巻き込まれないですんだだろう。」

 当時、飲酒は禁じられていましたが、宗教儀式は別でキリスト教の聖餐式に使うワインは例外とされていました。
 アダムスキーは宗教儀式に使うためと称して酒を密売していたのです。
 アダムスキーの宇宙哲学やロイヤル・オーダー・オブ・チベットも空飛ぶ円盤や異星人とのコンタクト・ストーリーも金儲けのためだったのです。
 アダムスキーの晩年は、かなりさびしい状況だったらしいです。
 アダムスキーは1965年4月23日、肺炎と心臓発作のために74歳で死亡しました。



  ケネス・アーノルド事件 

 UFOは円盤形を連想しがちで「空飛ぶ円盤」とよばれてきた経緯があります。
 この名称が生まれるきっかけとなったのは、1947年6月24日にアメリカで起こった「ケネス・アーノルド事件」です。

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 しかし、このときに現れたUFOは円形の形状、すなわち円盤形ではありません。

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 1947年6月24日午後2時すぎ、アメリカ、アイダホ州ボイスに住む消防機器会社社長のケネス・アーノルドは自家用機でワシントン州のチェハリス空港を飛び立ちました。 
 懸賞のかかった行方不明の航空機を探すため、途中レイニア山付近を飛行していたときに事件は起きました。
 午後3時、アーノルドの視界に閃光が見え、ほかの航空機が接近したとアーノルドは思いましたが辺りにそれらしき飛行機はありませんでした。
 しばらくしてまた閃光が見えると、レイニア山の北方に位置するベーカー山付近を飛行する物体が見えました。

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 9機の編隊は馬蹄形の2郡構成で、前に4機、後ろに5機がいました。
 高度は約2900m、推定速度はおよそ時速2700㎞というスピードでした。
 アーノルドは、物体の飛行を「コーヒーカップの受け皿(ソーサー)が水を切るように飛んでいった」と表現しています。
 物体の形状は、前方が半円形で、後方が三角形。
 全体として、切れ込みのないイチョウの葉を丸くした形をしています。

 横から見ると中央が少し膨らんだ凸レンズのようなフォルムとなっています。
 この形状とは別に、先頭の1機だけはブーメラン形をしていました。
 目測での大きさは、いずれも約15m程でした。
 9機の機体は南の方向へ飛び去り、やがて視界から消えました。
 発見から見失うまでの時間は約3分でした。

 アーノルドの体験は翌25日はオレゴン州で、26日には全国で新聞報道されます。
 マスコミはアーノルドが見た飛行物体を「フライング・ソーサー」とよび始めます。
 軍部の「フライング・ディスク」という表現の影響もあったのか、飛行物体の飛び方の形容であった「ソーサー」が形状の表現として使われるようになったのです。
 フライング・ソーサーを日本語に訳せば、「空飛ぶカップの下に置かれる受け皿」で、ここから「空飛ぶ円盤」という名称が生まれました。

 アーノルドが目撃した飛行物体は円盤ではありません。
 円盤の後半部分の両脇を斜めにカットした独特な形状をして、先頭を飛んでいた物体はブーメラン形をしていました。

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 彼の著書に描かれたイラストを見ると、ブーメラン方の物体も後ろの両脇がカットされて小さく尖った尾部が認められます。
 また上部中央部にはドーム状の構造物があり、底部の中央部には穴のような構造物を描く物もある。
 アーノルドの目測による飛行物体の高度と速度に関しては、矛盾点が指摘されています。
 山並みをジグザグに飛行していたというのに物体が移動していたとされる区間には、物体の飛行高度にたっするような標高の山が存在していないのです。
 また低空を音速の2倍近くのスピードで飛行していたことになるのに衝撃波が発生した様子がないことは、知られている航空機のような通常の動力ではなくプラズマによる飛行だからです。

 このときの物体の速度は、物体が移動した距離と時間に基づき計算されています。
 レーニア山とアダムス山の50マイル(約80㎞)間を1分42秒で移動したと証言しています。
 しかし、そもそも物体までの距離についての見積りが間違っていたなら速度は大きく変わってしまいます。
 物体までの距離見積りが正しかった場合、いくら晴天だったからといって40km程も離れた物体の形状まできちんと見えたということは考えにくいとの指摘もあります。
 このようにアーノルドの目測からの数値は性格ではない可能性がありますが、既知の飛行機ではありえない高速でジグザグ飛行をしていたのです。

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 当時NSAは存在しませんでしたが軍部によって事件の詳細が調査されていて、出現したUFOは先頭がブーメラン形で、そのほかは野球のホームベースのような形状をしていたといいます。
 アーノルドが目撃した2種類の飛行物体はデルタUFOでエイリアン・クラフトを目撃していたのです。

 先頭の1機は「ホルテン Ho229」だったのかもしれません。
 ホルテン Ho229は、第二次世界大戦後期、ナチス・ドイツにてホルテン兄弟が開発した全翼型戦闘爆撃機で、ジェットエンジンを装備しステルス性も備え、当時としては先進的な機体でした。

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 2009年、アメリカの軍需企業ノースロップ・グラマンの専門家が集まってプロジェクトチームを結成し、ナチス時代の本物の設計図と現存している唯一の機体を基に実物大の「ホルテン Ho229」を複製しました。
 モデルとなった機体は戦後50年以上にわたってアメリカ政府関連施設に保管されていた物です。
 主な構造材は鋼管ベニヤ板から成り、ジェットエンジンを動力として最高時速約970kmで飛行できるよう設計されていました。
 4基の30mm機関砲、および2発の500kg爆弾を搭載する仕様で、実戦時には相当な攻撃力をもつ機体になるはずでした。


 



  ロズウェル事件

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 1947年7月2日に起きた有名な「ロズウェル事件」があります。
 ロズウェルに墜落した空飛ぶ円盤を陸軍が回収したというニュースは、地元紙『ロズウェル・デイリーレコード』に報道されるとともにAP通信を通じて世界中に配信されたため大騒ぎとなりました。
 翌日には軍がUFOではないと否定しましたが情報操作の疑惑があると思われています。

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 ロズウェル事件に関しては、多くの情報操作が行われ多くのフェイク情報が流布しています。
 墜落した日付や墜落現場、回収された搭乗員の数、さらには当局が誤認の証拠として提示した気象観測用気球、のちに修正したモーガル気球にいたるまでロズウェル事件の真実は隠されました。
 ロズウェル事件を発掘して世に知らしめた当局のエージェントになったビル・ムーアも情報操作に加担しました。

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 墜落したUFOからグレイの死体、もしくは生きたままの生体が回収されたという情報は偽情報です。


 


 1995年にイギリスの映像実業家によってもたらされた宇宙人解剖フィルムの動画使用料は時間に関係なく30万円といわれていて最近はもっと安いそうですが、発表当時は数千万円で取引されていたといいます。
 2006年に製作者が偽物と告白し、自らも外科医の役まで演じたと述べています。 (参照

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 実際は破壊された部分から機体内部に入った兵士が目にしたのは、3体の人間で見た目が東洋人(モンゴロイド)でした。

 遺伝子の分析では、イスラエル人特有のYAP型遺伝子がありました。
 YAP型遺伝子には、YAPの一部分(つなぐ部分)が4基だけ欠落している特殊なYAP型遺伝子があるといいます。
 そして、この特殊なYAPは、現在、釈迦族、イスラエル人(ヘブル人)で発見されています。 (参照

 3人は死亡していて、目は一重まぶたで第一印象は日本人であったと記されています。
 アメリカ人より身長は低く一重まぶたのつり上がった目から、カッパが正体の小人型異星人グレイのイメージへと情報がミスリードされていくのです。
 グレイとよばれる生物は異星人ではなく、現存する地球産の数少ない両生類で日本では河童とよばれています。 (参照) 

 ロズウェル基地から見て北西の方向にあるフォスター牧場には、UFOの破片が落ちていました。
 7月7日、ウィリアム・W・マック・ブレイゼルなる民間人が、コロナの町にあるチャベス郡保安官事務局に現れ、彼は自分の牧場に見慣れない物体がたくさん散乱していたいくつかを届け出ました。
 対応に当たった保安官ジョージ・ウィルコックスは、事情を知らないままロズウェル基地に報告しました。

 軍はフォスター牧場一帯を封鎖し、現場を徹底的に調査し、落ちている破片はすべて回収しようとしました。
 すでに民間人がUFOの破片を見てしまった以上、これを無理に押さえ込むことはできないので軍が墜落UFOを回収したというニュースを騒動になる前に先手を打ってセンセーショナルな発表を行えば、世間の注目は一気に集まります。
 騒ぎが大きくなり広まらんとするときに、今度は逆のUFOを回収したというニュースは誤報であり、真相は観測用の気球を回収しただけであると実物の機材をもって説明すれば、一般大衆は納得し騒ぎが大きかった分、一気に沈静化するのです。

 情報元であるブレーゼルをほとんど拉致に近い状態で連行させ、ロズウェル基地内でしばらく軟禁状態にし、陸軍省から派遣されてきた複数の将校が国家機密という理由でブレーゼルに口封じをします。
 UFOの破片のことを口外すると、命の保障はないと脅迫したのです。

 記者会見が開かれたのはロズウエルの第509原爆航空団が属する第8空軍を率いていたロジャー・レイミー准将のオフィスで『フォートワース・スター・テレグラム』紙の記者J・ボンド・ジョンソンが取材に来ました。
 彼は来たときに入場許可書があらかじめ用意されていたことに驚いたといいます。

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 そしてレイミー准将のオフィスに連れて行かれると床の上には薄いアルミホイルのような破片が広げられていていました。
 レイミー准将と15~20分ほど話をしたのち、ジョンソンはUFOの破片を6枚カメラで撮影しました。
 最初の2枚にはデブリ・フィールドで回収された本物の破片を運んできたばかりの情報将校ジエシー・マーセル少佐(ロズウエル基地所属)が写されています。
 次の2枚にはレイミー准将と首席補佐官トーマス・J・デュボース大佐が写っていて、最後の2枚はレイミー准将とアーヴィング・ニュートンです。
 6枚の写真にある破片は墜落した円盤の物ではなく、気象観測用気球の破片と説明されました。

 のちにジョンソンのカメラがうつした、このときにレイミーが持っていたメモに真相がありました。

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 ジョンソンが撮影した写真は、やがてアーリントン図書館内のテキサス大学特別コレクションで保存されます。
 レイミー准将が手にしているメモの紙は、レイミー准将が国防総省の陸軍航空部隊参謀長ホイト・S・バンデンバーグ将軍に宛てて送った電信文です。
 判読可能な部分はロズウエルおよびフォートワースの状況を伝えるのを目的とした文章だと思われます。

 あらゆるコンピューター技術を駆使して画像の拡大と文字列の判読を試みられた中、近年ので画像処理専門ソフトの能力が上がった結果、画素を電子顕微鏡で拡大できる形式に変換したりコントラストと明度を調節したり画面の一部を球体化する技術によって、レイミーの手の中で折れている部分を平らな状態に修正できるようになりました。

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 最初の段落は、ロズウエル近郊の砂漠で見つかった物に関する説明文です。
 「“DISK” IS NEXT NEW FIND」=「円盤が次の新しい発見」の文字列が見えます。
 メモでは円盤の言葉が出てくるたびにクォーテーションマークで囲まれています。
 フライング・ソーサーの皿の形をしていない物の呼び名の意味合いで、あえてクォーテーションマークが付けられたと思われます。

 これと同じ段落の2行目には「POD」=「鞘あるいは繭」の単語があります。
 文字列は「THE VICTIMS OF THE WRECK」=「墜落機体の犠牲者」、「POD」=「鞘、繭」、「OPERATION AT THE RANCH」=「牧場の作業」と続きます。
 その段落は「YOU(デンバーグ将軍)」の命令によって、「VICTIMS」=「犠牲者と墜落機体」が、「FORTWORTH TEX」=「テキサス州フォートワース」に「FORWARDED」=「送られた」という流れの文字列で終わります。

 この段落にはカメラのフラッシュが均等に当たっているので、内容の正確性についてはほかの部分よりもはるかに高いです。
 軍部の慣習では亡くなった兵士や民間人を意味するときには「CASUALTIES」=「死傷者」の単語を使います。
 「VICTIMS」の単語で形容されるのは、砂漠で回収された機体と死体は軍の関係者でも民間人でもなかったのです。

 第2段落は、それまでの経緯についての説明です。
 「IN THE DISK」=「円盤の中の何か」、「FORWARDED」=「送られた」、「VICTIMS」=「犠牲者の死体」。
 「B-29 SPECIAL TRANSPORT OR Cー47 TO A1」 = 「A1へのB-29による特別輸送、あるいはC47によって空輸」される意味の文字列が並んでいるます。

 フォートワース基地の第8空軍では行き先が暗号で示されましたが、A1とは軍医が所属する部署です。
 死体が運ばれても納得できます。
 段落の残りの部分は、気球を使ってロズウエル事件を説明するよう促す文章です。

 7行目には「NEXT SENT OUT PR OF WEATHER BLOONS」=「次に気球を使ったPRを行う」との文字列があります。

 これに続き8行目には「LAND DEMO RAWIN CREWS」=「レーウィン班を着陸させる」の文字列がありますす。

 「次に気球を使ったPRを行う」の文字どおりに、レイミー准将の提案はそのまま事実とされました。
 実際に事件直後から、気象観測気球の打ち上げがアメリ力全土でさかんに行われるようになりました。
 ロズウエルの被害対策も、約1か月にわたって続けられたのです。
 これらは、ロズウェェル事件を気象観測気球の墜落と思われるためです。

 軍やレイミーは事件を隠し通せると思っていたはずですが、50年後に写真の解析技術が発明されメモが解読されてしまったのです。
 レイミー・メモが写った写真のネガは、マイクロソフト社会長のビル・ゲイツに売却されました。
 ビル・ゲイツは、レイミー・メモの解読の挑もうとしているのかもしれません。

 ナチス化したアメリカ軍は、UFOを巧みにカムフラージュしながら超高性能戦闘機であるアメリカ製UFOの開発を進めてきました。
 アメリカはロズウェル事件によってエイリアンの正体を知りました。
 そしてアメリカの秘密結社にとって、エイリアンの正体は絶対に人類に知られたくない存在であるため、UFO研究家やマスメディアを利用して偽情報や攪乱情報を流布し隠蔽工作を行っています。

 世間では真偽は別にして数多くのUFO墜落事件が報告されていますが、エイリアンのUFO墜落事件はロズウェル事件だけです。
 ロズウェル事件も当局の否定によって事件が揉み消されました。

 真実はこうです。
 最初にUFOが出現したのは、1947年7月2日午後8時15分すぎです。
 低気圧の接近で、空は荒れ模様で雨雲がおおっていました。
 全長1kmを超える巨大な葉巻型の影が、ロズウェル基地のレーダーに映りました。
 軍人や職員たちは何事が起こったのかと急いで外に出て上空を見上げ、パニック状態になったといいます。
 この葉巻型UFOの出現と同時に白い雪のような謎の物体が降ましたが、すぐに溶けて消えました。

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 「天使の髪」ともよばれ、しばしばプラズマの飛行が目撃されたのちに、このゼリー状や繊維状の物体が地面で発見され数時間後には蒸発してしまいます。 (参照

 これはプラズマの作用によって引き起こされるフラクタル物質です。

 葉巻型UFOは、しばらくすると底部からオレンジ色の光を放つ小さな飛行物体が2つ飛び出ました。
 そののち葉巻型UFOは想像を絶するスピードで飛行して、姿を消し残った2機の小型UFOは基地上空を旋回しすごい高速で南のほうに消えていきました。 
 この約10分間、強力な電磁波が発生していためか、UFOが出現している間は無線はいっさい不通で電話もノイズだらけで使用できませんでした。
 これは領空侵犯を超え米軍に対する威嚇行為であり、すぐに緊急有事体制が敷かれました。

 同日午後11時35分、レーダーに謎の光点が現れ、南東から北西に向かってマッハ4の速さで移動していました。
 やがてUFOは雷雲に突入し、そのときに何かにはじかれるように光点が2つに分裂し1つはそのまま飛行し続けましたが、もう1つは西に進路を変更し大きく弧を描くようにレーダーから消えました。
 レーダーから消えていく光跡から、西に向かった物体が地上に落下したことはほぼ間違いありません。
 原因は落雷かUFO同士の衝突ではないかと考えられています。

 ロズウェル事件で回収さたたUFOは、アーノルド事件で目撃された物と同じくホームベース形の五角形をしていました。
 エイリアン・クラフトの場合、底部にプラズマ発生装置が3か所あり正三角形を形作る位置関係にあります。
 ここから放射されたマイクロ波が三角形の中心にある炉心で交差し、プラズマを発生させているのです。 

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          ロズウェル事件で墜落していたエイリアン・クラフトの復元図

 表面は特殊なメタリック光沢を放ち、中心部に膨らみがあり、左右の後方部にはそれぞれ小さなドーム状の突起が存在します。
 上部中央部は膨らんだドーム状になっており、底部のライトは半球形になっています。 

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 底部は、ベルギーのUFOフラップ事件で出現したデルタUFOと同じく、3つの白いライトに囲まれて、中心には赤いライトがあり、ほかにも小さなライトがあります。
 側面は流線形の形状で、操縦席でもあるドーム部分には窓のような構造は存在しません。

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             エイリアン・クラフトの飛行原理(底部)

 3つのライトから照射した電磁波の交差ポイントで発生したプラズマは、重力を生み出します。 

 乗り物は加速や停止すると慣性の法則によって力がかかります。
 慣性とは、ほかからの力の作用を受けないかぎり現在の運動状態が変化しないという運動の性質です。
 ある物体が外力を受けないときの物体の運動状態は静止か速度が一定な運動をしている世界である慣性系に対して変わらないという性質のことです。
 静止した物体に力が働かないとき、その物体は慣性系に対し静止を続けます。 
 運動する物体に力が働かないとき、その物体は慣性系に対し運動状態を変えず、運動している物体は速度が等しい量で増えて(加速して)まっすぐ進む「等速直線運動」を続けます。

 これは物体には力が加わらないかぎり、そのままの状態を続ける性質の「慣性の法則(運動の第1法則)」として知られています。
 物体に力が作用すると、加速度が生じます。

 そもそも質量に加速度をかけたものが力の定義です。
 車が急発進、急停止したとき、中に乗っている人間は力を感じます。
 これが慣性力です。
 慣性力が大きくなると搭乗者は危険です。
 UFOのような急加速をした場合、かかる加速度によって肉体が破壊されてしまいます。
 しかし、プラズマによって包まれた領域では、慣性系が保たれ慣性力がないことが分かったのです。


 

 
 プラズマに包んで物体を移動させるとき、その内部で静止か速度が一定な運動をしている世界である慣性系が保たれます。
 プラズマに包んで物体を移動させるとき、その内部で慣性系が保たれ、重力質量と加速度質量は等価で加速しても重力は増えず、搭乗員や機体には影響はないのです。
 プラズマ内部は慣性系が保たれるということは、プラズマ内部にプラズマによって重力が発生しているからです。
 また、プラズマを生じさせる電磁波の周波数が特異点になると、プラズマ内部が灼熱状態にならずに人が生きられる温度で慣性系が保たれます。
 その特異点の周波数を「黄金率Φ(ファイ)」とよんでいます。
 UFOも、この特異点「黄金率Φ」によってプラズマを発生させて飛行しています。

          47938
             エイリアン・クラフトの飛行原理(側面図)

 底部の3つの白いライトがプラズマ発生装置で、ここから照射した電磁波が赤いライトの炉心で交差してプラズマを生みます。
 この状態で電磁波の交差ポイントをずらすと、そこに機体が引っ張られて移動します。 

 米軍製デルタUFOは性能面で、プロペラ飛行機とジェット飛行機くらいにアルザル製エイリアンクラフトに劣ります。
 大きな違いは、エイリアンクラフトの特殊なレーダーである「プラズマ・レーダー」と思われます。
 レーダーといっても電波を放射し反射波を計測する代物ではなくプラズマによるレーダースキャンです。

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 後方に光る箇所が「プラズマ・レーダー」と思われます。 
 電磁波ではなくプラズマそのものを大きく発生させることによって物体の内部を透過させ、装置の仕組みかを知ることができるシステムで、ターゲットを電子パネルにロックした途端、兵士が指をボタンにかけただけでも察知します。

 超高速で飛行する際、最も危険なのは障害物で宇宙空間ともなれば直系3cmの石は、時速180kmで飛んでくるボーリングのボールと同じ質量をもちます。
 エイリアンクラフトはこうした危険なゴミの位置と大きさをプラズマ・レーダーで正確に察知し、自動的に避けたりプラズマで除去したりしているのです。


 1989年、大衆が見守る中UFOが多数、世界各地に飛来しました。
 とくにベルギーでは、軍が戦闘機でスクランブルする騒ぎになりました。
 1989年11月~1990年5月にかけて、ベルギー上空にUFOが頻出し1万人以上の市民に目撃されるという事件が起こりました。
 1990年3月30日にスクランブルしたF‐16戦闘機のレーダーがキャッチしたUFOは、時速280kmから一瞬で時速1500kmまで急加速しました。
 その際に発生する重力は、推定で40Gであり、訓練したパイロットで限界は8Gといわれています。

  8236455 Petite Rechain UFO


 撮影された写真から、UFOは五角形のホームベース形をしていることから、アメリカ軍のUFOとは異なる機体であることが明らかになりました。
 
 


 デルタUFOに関する最も古い記録は、 1903年のライト兄弟による飛行機の初飛行より前の1890年代のオランダ領東インドにおけるもので、さらに1895年にスコットランドとイギリスでデルタUFOが報告されています。

         Plasma-Ball
 
 アメリカ軍が手に入れた兵器はナチス・ドイツの「ヴリル」でした。
 『来るべき種族』に登場する地底人の超エネルギー「ヴリル」の正体はプラズマだったのです。



  ワシントンUFO乱舞事件

 1952年にはアメリカの首都ワシントンに上空に大挙してエイリアン・クラフトが飛来し、その圧倒的な科学技術力の差が分かりました。
 1952年7月19日午後11時40分、国際空港の管制塔センターにあるレーダーに7つの光飛行物体が現れました。

 通常、飛行物体はレーダーの端から姿を現しますが、この飛行物体は突如として空間からわき出るようにレーダーの真ん中に姿を現したのです。
 しかも7機は既知の飛行機ではありえない高速で空港に接近してきました。
 管制官が呆然と見ていると、その内の2機が急停止しそのまま消滅してしまいました。
 レーダーには、超高速で飛行したかと思うと急旋回しジグザグ飛行、そして急停止や瞬間移動に思える飛行をするUFOが映し出されたのです。
 管制官は隣のワシントン空港の管制センターに連絡をすると、ワシントン空港でもこのUFOがレーダーに映っていました。
 同じころアンドリューズ空軍基地でもUFOによる騒ぎが起こっていました。

 7つの飛行物体はレーダーのみならず、肉眼でも存在を確認されていました。
 このUFOの計算された飛行速度は時速1万1700kmで、自在に空を滑るように飛行していました。
 一般の飛行ルートや飛行禁止区域に侵入し、ホワイトハウスや国会議事堂の上空にまで姿を現し、空港に来ていた旅客機の乗員乗客のほか、一般の市民もUFOの乱舞を目撃しました。
 しばらくしてUFOのいくつかは空港を飛び立ったばかりのキャピタル航空機を追跡し始めました。
 国際空港の管制官は機長に対してUFOの正体を確認するよう連絡を取り、機長はUFOの機体には数個の明るいライトが点いていたと報告しています。

 ワシントンUFO乱舞事件に出現したUFOは、底部に数個のライトをもっていました。
 キャピタル航空機に追跡されていたUFO群は急停止し、そのまま上空へと飛行し機長の視界と管制塔のレーダーから姿を消しました。

 深夜の12時をすぎ、ワシントンは静けさを取り戻した直後にキャピタル航空機が飛び去ったのを確認するかのように再びUFO群が出現しました。
 領空侵犯を行った物体を放っておけないので迎撃命令が下り、空軍が戦闘機のスクランブルをかけたのは午前3時をすぎていました。
 当時最新鋭の戦闘機F-94が2機、UFO目掛けて発進しましたが、その直後UFOは急加速してF-94戦闘機には追いつけない速度でF-94戦闘機から逃れレーダーから消え去りました。

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           下『ワシントンポスト』 1952年7月28日

 その日はワシントン中が大騒動となり、マスコミは「ワシントンUFO乱舞事件」を取り上げ、新聞の一面を飾りました。

 1952年7月25日『ワシントン・デイリー・ニューズ』紙は次のような大見出しを紙面に報じました。
 「アメリカ国防省関係者によれば、着陸命令にしたがわないUFOは撃墜するよう防空戦闘機に指令した」

 空軍には問い合わせが殺到しましたが、軍が発表した説明はレーダーに映った怪物体は気温の逆転層によって生じたゴースト現象だったという「うそ」でした。
 地上付近と上空の気温差が激しくなり電波の一部が屈折や反射をした結果、あたかも物体が存在するかのように幻影をレーダー上に作り出したのだと公表したのです。
 軍が領空侵犯した物体を取り逃がしたのが、よぼど問題とされたのかばかげている説明です。

 UFO目撃の際にレーダー管制室にいたデューイ・フォーネット少佐と海軍のレーダー専門家は、気温逆転説に賛成しなかったため、関係者ではあったが記者会見には招かれませんでした。
 また事件の最中に民間航空機のパイロットがUFOを目撃したことを空軍は認めましたが、その事実についての説明はありませんでした。

 そもそもキャピタル航空機や一般市民たちがUFOを目撃しているので、レーダー上のゴースト現象である訳がないのです。
 また蜃気楼であるとする説もどうように間違いです。

 UFOは再び姿を現しました。
 7月26日午後9時30分、UFO群が空軍基地の上空を悠々と隊列をなして飛行したのです。
 空軍や一般の空港の管制塔のレーダーにも姿が映っています。
 ホワイトハウスでは、ハリー・S・トルーマン大統領を中心に軍のトップが顔をそろえ前回のUFO乱舞事件について協議している最中でした。

 報告を受けたトルーマン大統領はUFO迎撃の是非を迫られて、物理学者アルベルト・アインシュタインに助言を求めました。
 アインシュタインは科学技術の差が歴然としている未知の生命体に対して攻撃をしかけるのは絶対に避けるべきであると述べました。

 この助言を受け大統領は先制攻撃を控える代わり攻撃されたら迎撃せよと命令し、2機の戦闘機F-94をスクランブルさせました。
 今回も状況は同じで、F-94が接近すると一瞬でUFOは姿を消しました。
 F-94はそのまま上空を捜索し再びUFOを発見したので、パイロットはレーダー射撃管制装置で1機のUFOのターゲットをロックオンに成功しましたが、UFOは数秒間で圏外に離脱しロックオンは破られました。

 3日後、軍は一連のUFO乱舞事件の記者会見を行いました。
 空軍情報部の説明は、またも気温の逆転層によるゴースト現象の一点張りで新聞もまた自然現象を見誤と記事を掲載しました。
 しかし、肉眼で目撃された以上、UFOが7月19日と26日ワシントン上空に存在したのです。
 気温の逆転層によるゴースト現象と言い張っても、当日の気象記録によると気温の逆転層は生じてはいないのです。

  ワシントンUFO乱舞事件

       ワシントンUFO乱舞事件

 上の画像は撮影状況の詳細は不明ですが、写真を撮影したのは匿名希望の政府職員だといいます。
 これはワシントン事件のUFO写真ではありません。
 写っている発光体はUFOではなく、強烈な光源にカメラを向けるとレンズの中で光線が屈折し、円形やサイクロイド状の形をした幻影を形作るレンズフレアとよばれる現象です。
 この場合の光源は国会議事堂の前に並ぶ街灯です。
 このバルコニー・ランプがレンズ内で反射した結果、暗い部分にゴーストが写りこんだのです。
 その証拠に光源と同じ形のUFOを線で結ぶと、必ず写真の中心すなわち対角線の交点を通過します。

 この写真は当初から疑惑の目で見られ、ワシントン事件の証拠写真ではないと否定されてきました。
 最初からフェイクであると分かっている写真をわざとワシントン事件の証拠であると持ち出してきたのでしょう。

 
 
 
 

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             ワシントン上空に飛来したエイリアンクラフト

 なぜ軍はうそを公表しなければならなかったのでしょうか。
 世界最強を自負するアメリカ軍が、手も足も出ず領空侵犯され最新鋭の戦闘機がまったく相手にならなかったのです。
 軍の威信にかけても絶対に認めてはならず、どんなうそであろうと軍事的な戦略の元では正当化されるのです。

 情報操作でUFOに関する情報を隠蔽すると同時にわざと偽の情報を流します。
 映画やマスメディアで大々的にUFOや異星人のイメージを煽り、大衆が注目したころにわざと流した偽情報とは別のより本当らしい偽情報を公表し、公表される情報以外の情報はばかげたものだと思わせるようにして実際に真相が漏れたときに対応もしているのです。
 これを繰り返すことで人々はUFO問題は子供じみたフィクションだと思うようになり真剣に考えなくなるのです。

 最初盛り上げて最後に落とす、信じた者がばかを見るということです。
 真実が含まれていても、最初の情報の信用が失墜するため一緒くたにされてしまい、これを繰り返すことによって、いくら真実を話しても背景が胡散臭いために誰も信用しなくなるのです。
 これがNSAの大衆心理操作の常套手段です。



  ツングースカのUFO母船墜落事故 

 1908年6月30日の午前7時14分ごろ、中央シベリア高原のツングースカ地方(ポドカーメンナヤ・ツングースカ川付近)で大事件が起きました。
 
  ツングースカ大爆発
 
 青空に赤く燃える物体が現れ、空中ですさまじい大爆発を起こしました。
 その爆発の規模は東京都の面積に匹敵する2000平方kmの森林をなぎ倒し、約1500頭のトナカイと無数の動物を一瞬にして焼き殺しました。

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 その衝撃波はドイツのポツダムで異常な空気震動として4時間41分後に観測され、8時間後にアメリカのワシントンでも衝撃波をとえられ、30時間28分後には爆発時の衝撃波が地球を回り再びポツダムで観測されました。
 このためパリロンドンなどの世界の各地で、しぼらく異様な色の夕焼けが見られたといいます。

 爆発地に過酷な環境のせいもあり、初の本格的調査が行われたのは事件から19年たった1927年に地球物理学者(鉱物学)レオニード・のクーリック博士を隊長とする「ソ連科学アカデミー」が調査しました。
 彼らはすさまじい爆風でなぎ倒された針葉樹林の中をさまよった末、円形の沼が散在する爆心地に到達しました。
 多くの木々が爆心地を中心に外側に倒れていたために、そこに物体が落下したとして大爆発の原因が隕石の衝突の結果とされました。

 ところが1958年から再度行われたツングースカ調査で隕石の破片が見当たらなかったことから、隕石説が疑問視されるようになります。
 高熱で溶けた物質やダイヤモンドが発見されたという情報も伝わっていますが、イーゴリ・ゾードキン博士らが雪だるま天体である彗星が秒速35~40kmの高速度で大気圏に突入したため、地上と衝突した瞬間に蒸発したという結論を提出しました。

 しかし、ツングースカの大爆発が彗星のせいだとすれぽ、衝突まで世界中の天文学者が誰も気づけなかったのはなぜかという謎が残ります。
 1908年、ツングースカに隕石が落ちたとすれば放射されるエネルギーの量からみて、巨大な物体は前から見えたはずで、伸びる尾なら誰かの目につきそうですが誰も発見していなかったのです。
 さらに爆発の規模が、広島の原爆の1500発分(30メガトン)というすさまじさだったことが、のちにアメリカとソ連の専門家によって調査結果のデータから試算されています。

 ツングースカで爆発した宇宙からの物体は、多くの目撃者の証言から「円筒形」だったことが判明しています。
 このことは、事件当時イルクーツクで発行された地方新聞にも記載されています。 

 1920~30年代のツングースカ大地調査資料から、次のことが分かりました。
 数千トン近い巨大な円筒形の人工物体が何らかの突発的な事故を起こした状態で、インド洋上空の大気圏に突入してきました。
 それは大きな円を描くようにしてユーラシア大陸を北に向かいヒマラヤ山脈をかすめてなだらかな起伏が続く広大な平原を飛び越え、そのまま一気に北極上空を目指します。
 その間に大気によるすさまじい摩擦熱のため船体は、摂氏3000℃にたっして白熱化しました。
 そのころ中国西部のゴビ砂漠にいたキャラバン隊の人々は、モンゴル平原へ消え去る巨大な火の玉を見ており中央ロシアの外れの小さな村に住む人たちもすさまじい大轟音に驚きあわてて大空を見上げています。

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 地上約3kmの高度でこの円筒形の飛行物体は大気圏内に突入後、ケシュマまでの南方コースをとったのちケシュマ上空で軌道を西方へ方向転換しそのままわずかな距離を飛んだのち、さらにプレオブラツェンカ上空で30度の鋭角ターンを行い、午前7時13分ごろ、泥炭地と針葉樹林しかないシベリアのツングースカ川の上空までたどり着きました。

 そのとき、ついに限界にたっした飛行物体は、ツングースカ川上空およそ3000mで大爆発を起こし、すさまじい閃光と超高熱を発して蒸発してしまったのです。
 そのときの火柱は地上50kmもの高さにまでたっし、天体の内部温度より高い超高熱、半径50km以上にもおよぶ火災を発生させました。
 直後にわき起こったキノコ状の黒い雲は、一気に高度2万mにたっしました。

 650km北にある村の農民たちが肉眼には眩しすぎる強烈な光を発見、そのチューブのような円筒形の飛行物体が10分ほどかかって水平に飛行してから、一気に地上に落下したとたん黒い巨大なキノコ雲がわき上がり、続いて起きたすさまじい轟音とともに地面と建物が激しく揺れ、雲の内部から赤い炎が空高く燃え上がっていったと証言しています。

 1959年、G・プレハーノフが率いるトムスク医学研究所のグループがツングースカで40日もの時間を費やし高感度の分光計を用いて放射能レベルの測定を行った結果、驚くべき事実が明らかになりました。
 爆発の中心の放射能レベルが、30~40km地域と比べて1,5~2倍も高く、とくに1908年当時の木からは正常値をはるかに超える核分裂により生じる放射性元素セシウム137が検出されたのです。

 トムスク医学研究所のグループの出した結論は、ツングースカの台地で起きた大爆発は核爆発にも酷似しているという調査結果でした。
 また宇宙学研究者のフェリックス・ジーゲルは、爆発温度を摂氏数千万℃と算出し、現地に残されている多くの証拠である木の燃え方が放射エネルギーによる瞬間発火であること、熱線による影の焼き付け現象などは核爆発のみに特有の現象で通常の爆発の可能性はないと断言しました。

 そして、G・プレハーノフは、A・V・ゾロドフとともに1950年代の後半から70年代までの数回の現地調査で細かな地形調査と被害調査を行い精密なミニチュアを作って研究し、爆発が針葉樹林帯上空3kmにおける空中爆発だったと結論しました。
 1959年、ドイツに保管されている自記気圧計の記録を調べた科学者たちは、すでにすさまじいエネルギーを放出した空中爆発という結論をし爆発高度を地上8kmと変更しました。

 一方、天文学者のアスターポビッチは1933年に独自で調査した研究結果を発表し、爆発が垂直の噴水状の物として多くの地点で目撃され、炎とキノコ雲の高度が2万mにまでたっしたと推定しました。

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 ツングースカの大爆発で崩壊した地域の形が蝶のようにになっているのも、その爆発が何かの非爆性容器でおおわれていたなら説明できます。
 そして、1950年代の末に爆心地の土壌サンプルの中から超高温で化学的にはガラス状態となるケイ酸塩化合物と磁鉄鋼(磁化した酸化鉄)の数mmの粒が発見されました。
 磁鉄鋼は本来は地球にはない小さな粒子で水滴か電球のような涙型をしており、1962年に行われた特別調査でも同様の涙型の粒を無数に発見しています。
 その粒子をさらに詳細に分析すると、微量のコバルトニッケルそしてゲルマニウムがありました。

 2013年、ウクライナ、ドイツ、アメリカの科学者のグループが当時の泥炭の地層より炭素の元素鉱物であるロンズデーライト、ダイヤモンド、石墨の混合物が発見されました。
 ロンズデーライトの結晶中にはトロイリ鉱とテーナイトも含有されて、ロンズデーライト、トロイリ鉱、テーナイトは地球上にはほとんど存在しない鉱物です。
 これらは隕石から出る同じ物質は世界中で発見されていて、1908年の爆発とは関係ないと考えられます。

 また1999年には、イタリアの科学者チームが爆発の爆心地と想定される地点から約8km北にあるチェコ湖の調査を行い、衝撃などの痕跡からその湖の成因がこの爆発によることを証明しました。

 2007年、アメリカのサンディア国立研究所の研究チームが、スーパーコンピューターを使った解析による検討を発表しました。
 解析によると隕石自体は従来考えられたサイズより小型であり、広範囲の被害は大気中でのエアバーストが原因とされました。
 シベリア生まれの技術者で戦時中は総合国防研究所の技術主任だったアレクサンダー・カザンチェフは、これこそが人工的な飛行物体の証拠と主張しました。
 
 そして、人工的な宇宙船説を補うものが空気力学と航空機設計の専門家A・Y・マノツコフによって示されました。
 隕石が地球の大気圏に突入した場合、そのスピードは時速5万~7万5000kmですが、マノツコフがツングースカ台地での大爆発を起こした物体の飛行したコースを地図に描き、そのスピードを算出したところ、時速248~3600km程度と隕石よりはるかに遅く、地表に近づくにつれてどんどん速度が低下していたことが判明したのです。

 ロケットの専門家ボリス・リャプーノフは、この算出結果から突入角度と速度が超音速機と同じということを見つけ、さらに物体の飛行コースも自然のものとしてはあまりにも異様であるとしました。
 ツングースカ事件における物体の飛行コースを割り出す方法は限られており、手がかりとなるのは目撃証言と衝撃波による推定だけです。
 各種の資料を検討した結果、宇宙学のフェリックス・ジーゲル博士は「謎の飛行物体は大気中でほぼ600kmの半円を描くように方向転換した」という結論しました。
 つまり核爆発を起こした円筒形の人工飛行物体は方向転換したのです。

 ツングース力のUFO母船墜落事故後20年間、この付近のトナカイにだけ奇形や奇妙な病気が流行ったといわれ、放射能汚染が原因です。

 そして、2004年の調査時に発見したとされるエイリアン・クラフトの残骸と思わしき、表面に三角形の不思議な幾何学模様が刻まれたクリスタル質の残骸を公開しました。
 調査団を組織したツングースカ宇宙現象基金のユーリ・ラブビン理事長によると、こうした物質は地球の技術力で作ることは難しくエイリアン・クラフトの残骸であると確信していると述べています。 

 

 アメリカ軍が封印したバード少将の記録には、彼が見知らぬ世界で巨大な葉巻形UFOに遭遇したことが書かれています。

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 バード少将は巨大な葉巻形UFOに遭遇していたのです。 (参照



  トライラテラル・インシグニア

 シークレット・ガバメントにとってUFOの情報を拡散する目的は、軍事兵器としてアメリカ製UFOの開発を秘密にし、エイリアンの存在を知られることです。
 1947年2月15日、アメリカ軍のリチャード・E・バード少将が地球内部に存在するプラズマ亜空間に侵入した事件がありました。 (参照

 1947年6月24日には、UFOが「空飛ぶ円盤」とよばれるきっかけとなったアメリカでの「ケネス・アーノルド事件」がありました。

 1947年7月2日、アメリカ、ニューメキシコ州ロズウェルのエイリアン・クラフト墜落事件によって、エイリアンの正体をアメリカ軍は知りました。 

 秘密結社は極秘にプラズマ兵器やプラズマ戦闘機を開発して、UFO問題の真相を隠蔽し続けています。

 1980年代後半、アメリカでは「MJ-12」に代表されるようなUFO騒動が巻き起こりました。
 アメリカ政府が秘密裏に異星人と取り引きをし、UFOの技術提供を受ける代わりに人間の誘拐したり人体実験を黙認しているというのです。
 元海軍軍曹のミルトン・ウィリアム・クーパー(通称ビル・クーパー)が暴露した「プロジェクト・グラッジ/ブルーブック・レポート13」は、UFO研究家のみならず、テレビなどで報じられ多くの人々の注目を集めました。

 それによると、1954年2月20日、カリフォルニア州のミューロック空軍基地(現エドワーズ空軍基地)にUFOが着陸。
 中から現れたグレイ型異星人「クリル」が全権大使として、アメリカ合衆国第34代大統領ドワイト・デビッド・アイゼンハワーと会見し秘密協定を結んだといいます。

 クリルが乗って来たUFOの機体には、3つの図形が描かれていたとクーパーは主張します。
 3つの図形は、それぞれ三角形が元になっており合わせて「トライラテラル・インシグニア」とよばれています。
 クーパー自身は異星人とアメリカ政府の陰謀論を拡大し、超国家権力機関として噂される「日米欧三極委員会(トライラテラル・コミッション)」と関係があると力説します。

 しかし、これら一連のUFO騒動はNSAが情報操作のために仕組んだものです。
 クーパーや軍の極秘情報をリークした人々はNSAの手先なので、リーク情報のほとんどが偽情報です。
 ただし全部が偽情報だと信憑性が弱くなるので、わずかな真実が含まれています。

 1954年にエドワード空軍基地に異星人のUFOは着陸していません。
 異星人クリルとアイゼンハワー大統領の会見も取引もうそです。
 しかし、UFOの機体に描かれていたとされる「トライラテラル・インシグニア」は本物です。
 これが描かれていたのは、ロズウェル事件で回収された墜落したエイリアン・クラフトの内部でした。
 象徴図形ゆえ、NSAも解読に苦労したらしいです。

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 左の三角図は3本線とも上に突き出ていますが、両側に2つの〇(円)があり、2つの円は左右の陰陽関係を表現しています。
 真ん中の三角図形は、上に伸びる3本の線が神会を表現しています。
 ただし、天父を表す真ん中の線は上部に突き出てなく、隠されていることを意味し、天父も通常は直接、人間に現れません。
 右の三角図形は上下に3本の横線が描かれ、三角形は3つに分けられていて、3つの栄えの世界を表しています。

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 そして、それぞれ3つの三角図形が合体して「命の木」を表しています。
 3つの三角図形を合わせると直線の交点は10個となり、「命の木」における10個のセフィロトを表しています。 (参照



  国防再編

 権力の頂点に立った者にとって最も恐ろしいことは、自らの地位が脅かされることです。
 自分よりも圧倒的に強い存在が現れたとき自負はそのまま恐怖となります。

 アルザル人が原爆を保管していたほど重要な拠点であるロズウェル基地の上空を飛行したことは、領空侵犯の域を超えアメリカ軍への威嚇行為です。
 世界最強を自負するアメリ力軍が反撃できずに圧倒的な軍事力の差を見せつけられたのです。
 アメリカ軍の危機感は並大抵のものではなく、ロズウェル事件をきっかけにアメリカ軍が大きく再編されることになりました。
 仮想敵国はソ連をはるかに超える科学力をもったアルザル人であり、アルザル人に対応できるだけの軍が必要となりました。
 トルーマン大統領は、国防再編を最優先課題に掲げ、ロズウェル事件からわずか24日後の7月26日、議会で「国家安全保障法」が法案可決され、陸軍と海軍とは別に空軍を設立することが決定します。

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 さらに陸海空三軍を統合して一括管理する機構として「国防総省」の設立が法案通過し、現在の「ペンタゴン」が誕生します。

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 1947年7月には、「中央情報局(CIA)」も設立します。
 現在のアメリカ国防組織は、ロズウェル事件によって構築されたのです。

 CIAは国外の諜報活動や破壊工作、国内の外国スパイの活動を阻止するための政府機関です。
 アメリカは連邦捜査局(FBI)と中央情報局(CIA)だけで、国内外の問題を対処できたはずで、ほとんどのアメリカ人は、それ以上の諜報機関が必要と考えていませんでした。
 アメリカ政府もCIAと重なるような諜報組織はないとしていました。
 しかし、UFOの乗員がアリザルのイエス・キリスト教会の聖徒たちであるUFO問題の真相が世間に知られると、人々が末日聖徒イエス・キリスト教会に導かれるきっかけになる一因なので、サタンに従う秘密結社の死活問題になりCIA以上の極秘組織が必要でした。

 そして、白人のユダヤ人がほとんどの秘密結社や多くの白人のユダヤ人がいるシークレット・ガバメントにしてみれば、自分たちをはるかに超える科学力をもってこの地上に現れ、アメリカ軍を倒すモンゴロイドのイスラエル人が存在することは、白人のユダヤ人らにとればプライドが許さないでしょう。

 トルーマン大統領は、1952年7月のワシントンD.C.上空のUFO乱舞事件を受け、「国家安全保障局(NSA)」を設置し、ペンタゴンは 軍保安局を強度の情報収集と統制力をもつ巨大組織へと変貌させました。

 1949年5月20日にNSAの前身となる「軍保安局(AFSA)」が発足し、さらにNSAとして本格始動するのは1952年11月4日からです。

 1952年7月19日に首都ワシントンの上空に現れた7機のUFOはシークレット・ガバメントに恐怖を与えました。
 まだ公式に承認されてはいませんでしたが、すでに軍産複合体の秘密組織として機能していたシークレット・ガバメントは緊急会議を開き対UFO戦略を協議しました。
 そして当時の大統領トルーマンを動かし、アメリカの諜報機関として有名なCIAやFBIなどよりも機密性が高い秘密機関「アメリカ国家安全保障局(NSA)」を設置しました。
 アメリカ国家安全保障局(NSA)は、シークレット・ガバメントの表の政府の窓口としての組織です。

 NSAは国防総省ペンタゴンにとってインテリジェンス・コミュニティー(情報機関共同体)の中核となります。 
 組織の存在は長年秘密にされ、実像の多くはいまだに秘密にされています。

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 中央情報局(CIA)を超える能力をもつNSAは、主に軍事的な利益のために活動します。
 NSAは性質上、活動内容が秘密の部分が多いので、一般には暗号解読や盗聴などを行う機関にすぎないともいわれます。
 CIAはアメリカ大統領直轄の組織とされ、表向きは大統領の命令によって動いていることになっています。
 同じアメリカ大統領直轄の機関でもNSAは軍部直轄の機関です。

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      2012年に公表されたNSA(国家安全保障局)のオペレーションセンター 

 アメリカを支配しているのは国民でも大統領でもなく軍産複合体であり、軍産複合体に君臨するでありシークレット・ガバメントであり、シークレット・ガバメントの上層部のサタンの秘密結社です。
 つまり表向きの軍の諜報機関としているNSAは、サタンの組織である秘密結社、シークレット・ガバメント直轄の機関なのです。
 アメリカ大統領は軍を通してNSA情報を得る権限があります。
 NSAを通した情報はシークレット・ガバメントの意思や命令に匹敵する内容も含みます。

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 MIBの正体はNSAのエージェントです。
 MIBはUFO事件をもみ消す際には計算しつくされた工作を行います。
 目撃者に圧力をかけるにしても、一般大衆が信じないようにするためにさまざまな小細工をします。
 MIBが人間離れしていると証言されるのも、その小細工のためです。
 奇妙な言動を発してみたり、ぎこちない動きをしたりして見せるのも目的がある演出です。
 
 東洋系のアジア人の風貌が多いのも、エイリアンがモンゴロイドであることを前提にしているからです。
 エイリアンの正体を知られたくないシークレット・ガバメントにしてみれば、MIBの正体が異星人やロボットだと思われたほうが都合が良いのです。
 MIBはばかげた話という印象を与える効果があります。

 NSAとは一般に高度の諜報活動を行う組織として認識されています。
 世界最高の能力であらゆる通信機器を傍受し情報を分析しているともいわれています。
 アメリカ軍の基地がある所にはNSAの関連施設があります。
 諜報システム「エシュロン」は軍事衛星と連動しており、オーストラリアや日本の三沢飛行場鹿児島県阿久根市に第二米秘密施設などに拠点が置かれ、世界中の通信を一手に傍受しているとされています。


 


 NSAの真の目的は対UFO戦略にあります。
 NSAには多くの民間人が働いていますが、彼らの多くも実態を知らされていません。
 しかし、NSAではUFOに関するあらゆる情報を収集し徹底的に分析し活動しているのです。
 NSAの工作によって最も踊らされたのはUFO研究家たちで、NSAは退役軍人やCIAを使って積極的に偽情報をリークし、怪しい機密文書を作ってはUFO研究家のへと送り続けました。
 今日UFO問題が混乱し多くの人がUFOの存在を眉唾物として認識している原因はNSAの謀略であり、UFOの存在を肯定するにせよ否定するにせよ世界中の人々はNSAの罠にはまっているのです。 



  甲府事件の真相

 1975年に山梨県甲府市で、小学生がUFOと宇宙人を目撃したと報道された「甲府事件」が発生しました。
 甲府事件は目撃者が複数おり、物的な証拠もそろっていることから、信憑性の高いケースとして、日本にみならず海外でも知られています。

 当時、小学校2年生だった2人の少年が突如、上空に飛来したUFOを目撃。
 恐怖を感じた2人は近くの墓場へと逃げ、しばらく様子を見ていましが何ごとも起こらなかったので、大丈夫だと判断し帰宅しました。
 しかし、近所のぶどう畑に差し掛かった際、畑の真ん中にオレンジ色に輝く巨大な物体があることに気づきます。
 2人は円盤状のアダムスキー型UFOに近づき観察しました。
 このアダムスキー型UFOは天辺の突起がなく窓は丸ではなく四角で、ボディにはルーン文字が描かれていたといいます。
 これは「ハウニブ3」です。

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 観察する2人はのちに「目の前にヤツが現れた」と述べています。
 異形の姿をした乗務員がUFOのそばに立っていたのです。
 チョコレート色の顔はしわくちゃで、耳が大きく、口には大きな牙が3本出ていて、背中にファスナーのついた服を着て大きなベルトを締めていたといいます。
 驚きのあまり身動きできない少年に、この乗務員は1人の少年の肩に手を置きました。
 パニック状態となった少年たちは、その場から走りだし自宅へと帰り家族らに見たことを話しました。
 疑っていた両親たちは、あまりにも真剣に子供が話すので、母親らは現場へ少年たちと一緒に現場へ行ってみることにしました。
 すると、まだUFOはぶどう畑に着陸したままで、オンレジ色に発光しやがて色が白くなったかと思うと徐々に小さくなり、ついには消滅してしまったといいます。

 後日、現場を小学校の教諭が調査したところ、微妙ながら放射能が検出されました。
 最近、日本宇宙現象研究会があらためて分析したところ、放射能の正体はリン30でした。
 おそらくUFOの動力源として原子炉があり、そこから漏れた放射線が関与している可能性が高いといいます。

 当時、山梨日日新聞の協力により、現地調査が行われ、現場のぶどう畑では、コンクリート柱の3本が折れたり倒れたりしていて、それらの柱をおおっていた金網は、重量のある物を乗せたかのように大きく広がっていて、地面には数か所の穴が開いていて、リヤカーがとおりすぎた車輪の跡ようなが痕跡が残っていました。

 目撃した児童と家族の具体的な証言に加え、甲府市環境センターの管理人がぶどう畑から飛行物体が飛び立つのを目撃した証言や、UFO着陸現場付近を車で走行中だった保険外交員の女性が、その搭乗者らしき人物と遭遇した証言など(7年後の1982年に証言)があり、当時甲府市に住んでいた作家の景山民夫も飛行物体を目撃したと証言しています。

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 乗務員は、当時日本でも放映されていたアメリカのSFドラマ『アウター・リミッツ』の宇宙人に似せていました。

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 1968年8月25日の『ウルトラセブン』に登場した「フック星人」に似ているので、少年たちの証言がフック星人に影響されたとも考えられます。

  10 世界最強兵器 プラズマ兵器