問題解決型不動産コンサルタント 伊藤英昭の事件簿|キャリア20年の独立系「問題解決型」不動産コンサルタントが仕事を通じて日々思うこと、感じた事を綴ります。

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2011年03月

いま私にできること

ACが震災後「いま私にできること」という公共広告を流しています。
確かにそれぞれがそれぞれの立場でできることがあるとおもいます。

昨日の「サッカー東日本大震災チャリティマッチ」まさに日本サッカー界が今できることを精一杯国民に示した試合だったと言えるでしょう。選手、フロント、ファン、関係者の全て、そして世界のサッカー界が一つになったイベントでした。感動しました。本来は勝ち負けを問うスポーツにこのような別の表現のしかたがあるんですね。私も一応、日本サッカー協会に選手登録している関係者の端くれとして感慨深い大イベントでした。

ハイライトは何と言ってもカズのゴール。このような試合で一発魅せる、やっぱりキングです。カズ世代の私としては背筋がゾクゾクしましたね。これまでのどのゴールにも優る最高のゴールでした。まさにカズはカズの今、できる最大限のことを昨日のピッチで見せてくれました。本当のプロはやらなければいけないところで最大限の力を発揮するんですよね。私は本当に元気付けられました。(あのカズの一発にはいろんな意味、意義を感じます。フランスW杯メンバーから外れ、それから14年経て、まさか日本代表にゴールを決めるとは・・・・奥が深い得点です。人間諦めてはいけない、常に上を見る、前を向く。当たり前のようでなかなか出来ないことをカズが示してくれました。んー奥が深い。)

試合後ザッケローニ監督は「自軍の失点をここまで喜んだ経験はない」と言ったそうです。


日本、世界のサッカー関係者、カズ、本当にありがとう。


そう、いま私にできること。


先日、「相談があるので意見を聞かせてくれ」と都心部でビルを経営している私のお客様から相談をうけました。「幸いビルは無事だったが、震災後の自粛ムードや、節電などにより、テナントの飲食店が大打撃を受けている、可愛そうだ。ついては全テナントについて当面賃料の一定額を減免して少しでも彼らを助けたいと思う」との相談でした。本当にすばらしい考えです。ビル経営において利害が相反する立場であり、ビル経営そのものも決して順調とはいえない中、まさにオーナーにとって「いま私ができること」でした。このような考えを持っているビルオーナーは必ず良いテナントに恵まれ、良い経営ができると思います。私もこのようなオーナーのお手伝いが出来て本当に嬉しく思います。

都心部の飲食店は相当な打撃だと思います。直接的な被災地支援ではなくとも間接的にこのような支援があるのだと思い知らされる感動的な出来事でした。


そう、いまわたしにできること。


とりあえず、節電のため今日は帰ります。

心よりお見舞い申し上げます

 東北関東大震災で被災された方のお見舞いと一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
 また、震災、津波によりお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 私の実家は青森県十和田市、家内の実家は青森県七戸町です。地震直後は連絡がとれず、その後も停電が続いていましたので、親兄弟の安否確認が取れたときには、ほっとしました。

また私の会社には妊娠8ヶ月の女性がいましたので、私の外出中に起きた地震の状況を考えると大変心配しましたが、なんとか大きいおなかを抱えて6階から階段を降り、公園に非難していたとメールで確認したときは安堵の気持ちで一杯でした。私は文京区にいましたので約2時間程度かけて徒歩で会社に戻ることが出来ました。社内は、幸いほとんどといっていいほど地震の影響がありませんでした。

家内も赤坂の会社から私の会社まで歩いて集合し、皆の無事が確認取れたところで、帰りの手段について検討しました。女性の一人は大田区の自宅に歩いて帰宅しました。私の自宅は会社の近くなので、一旦自宅に戻り、車で妊娠中のスタッフを江東区の彼女の知人の自宅に送りました。その後自宅に戻り、大田区に徒歩で帰った女性スタッフの帰途の報を聞き、それぞれの家族の安否確認がとれたと聞いたときは何とか最低限の責任を果たした感でぐったりしました。

安堵したのも束の間、テレビのスイッチを入れると凄まじいショッキングな光景が飛び込んできました。

これが3月11日当日の状況です。

しかし、被災地の方々の事を思うと、身内の無事を迂闊にも喜べませんね。


今回の被災地である大船渡の綾里地区(まさに海の目の前)には家内方の従兄弟が住んでおります。一昨年、泊りがけで遊びに行き、たくさんの海の幸のもてなしをいただきました。その年は車で東京の自宅から常磐道で福島県いわき市まで行き、そこから一般道を海岸に沿って北上し、大船渡に一泊、その後、国道45号線をリアス式海岸に沿って青森の実家まで帰りました。本当に美しい海でしたね。まさにそこでの大惨事、言葉がでませんね。思えば、海沿いの国道45号線に「津波発生時の避難先」や「津波発生時の想定水位」などの看板があちこちにあったのを覚えています。



今回は携帯など通信インフラがことごとく遮断されました。首都圏にいた私たちも相当不便しましたが、被災された方々の人と繋がれない、情報が取れない不安は計り知れないものがあったと思います。

マスコミも当初は客観的な事実報道だったものの2日目以降は繰り返し衝撃的な映像を流し、悲惨な状況をいかに伝えるか、ということにばかり注力していたように見えました。避難所に行きながら、いろんな人にインタビューしながらも、国民が一番欲しい、安否の情報、食料供給の状況などを体系的に伝えてくれません(伝える努力をしていない感じです)。学者や評論家の解説や分析、アナウンサー等の私見を交えた報道は求めていないんですよ。折角避難所に行ってるわけですから、どこか一つの局でも構わないので、避難所にいる方々の一人ひとりの映像と無事である、ということのメッセージを一日かけてでも流し続けるというような発想はないんでしょうか。皆見たいのは、悲惨な状態ではなく、どこの避難所に誰がいるか、何が必要かです。マスコミ各社は何が必要な情報かを常に考えて報道して欲しいものです。

そういう意味では、インターネットに掲載されている、避難所名簿の写真、やグーグルのファインダーなどは、一切の余計な情報、感情抜きで事実のみを掲載しているので、インターネットは必要不可欠なメディアであると改めて思いました。(でもインターネットを使えない人達もまだまだいるわけですから、やはりテレビに課せられる役割は大きいと思います)

ツイッターなんて何の興味もありませんでしたが、このような事を経験するとツイッターの有用性も評価しているところです。


私の事務所では常にFMラジオ(基本的にJ-WAVE)を流しています。先日、16:30から始まるピストン西沢のGROOVE LINE Z(グルーブラインゼット)に、被災し東京に戻ってきた生島ヒロシの電話インタビューがありました。彼は気仙沼出身であり、多くの親類、知人が被災し、安否確認がとれないことに気を揉んでいました。自分もマスコミでありながら、マスコミには避難所の安否情報、物資供給の状況を伝える役割を担って欲しい旨の話をしていました。まったく同感です。その翌日、彼の出身であるTBSが夜のニュースの一部で避難所にいる方々個人個人の安否メッセージを放映したのは、その影響でしょうか。このような企画は一日中でも放映して欲しいものです。

J-WAVE「ピストン西沢のGROOVE LINE Z」でピストン西沢は、特に震災後、非常に良いこと、いいメッセージを送っていますね。彼の話し口調は独特で、ふざけているようで、ウィットが飛んで面白く、仕事しながら思わず「ぷっ」とすることも多々あります。このような状況下ユーモア交えて皆を元気付けるとともに、「ガソリンを詰める必要の無い人は詰めないように」とか、「買占めしないように、食料は間に合ってるよ」とか、冷静なメッセージと、どんよりしている皆を元気付けるトークをしていると思います。(ま、私なんぞに褒められたくないでしょうけど)

いずれにせよ、しばらくは混沌な状況が続くでしょう。私は平静を保ち、自分で出来ることをするしかないと思っています。





第一線で救助、復旧にあたっている、自衛隊、警察、消防隊員、医師、病院、役所の職員、海外協力隊、ガス、水道、電話、電力会社の社員、原子力発電所の現場の第一線で必死に事態の解決に努めている多くの方々への感謝と被災地の皆様のお見舞いを申し上げます。

一人でも多くの人の命が助かりますように。



セミナー講師「UBI株式会社」主催

UBI株式会社主催「早朝勉強会」の講師を務めました
テーマ「底地、借地の権利調整および不動産物納実務の基礎と事例」

哀悼 「孤高の指揮者 宇宿允人先生」

 2011年3月5日(土)指揮者の宇宿允人先生が永眠されました。享年76、腎臓癌です。癌が発見され、手術してから約1年でしょうか。本当に残念です。ここに謹んで哀悼の意を表します。

5日の昼過ぎに、ご家族から訃報を受け、夜、ご自宅に伺いました。宇宿先生の細くて小さいからだが、さらに小さく小さく感じられました。亡骸を前に、私と先生が出会ってからこれまでのいろんな思いが走馬灯のように駆け巡り、哀しい寂しい残念な思いと、「生命の塊」のような先生も病魔には勝てないんだな、人間誰しも亡くなってしまうんだな、という冷静な思いとが交錯しました。

前回、昨年9月のコンサートの折、演奏が終わった後、聴衆の前で、「三途の川まで行きましたが、船賃が足りなくて戻ってきました」と自身の限りある命を悟った上でユーモア交えてお話されたのが印象的です。

私の中では「1つの時代が終わった」というのが実感です。

宇宿先生は、来る3月10日、満員御礼のサントリーホールでベートーヴェンの「運命」とショスタコーヴィッチの「革命」を指揮する予定でした。数日前に体調不良による公演中止のお知らせを聞き、心配していましたが、このようなことになり、残念でなりません。あの音楽に、芸術に命をかけている宇宿先生が公演中止の決断をしたときの心境は想像するだけで胸が詰まります。
本当にサントリーホールで先生の指揮する「運命」を聞きたかったですね。私が言うのも大変失礼ですが、最後になるならなおさらサントリーホールで先生にタクトを振らせたかった。「運命」とは本当に皮肉なものです。正に幻のコンサートになってしまいました。



かつて先生から「伊藤さんは何の曲が好きですか」と聞かれ、私は「ベートーヴェンの運命が一番好きです」と言ったことがあります。先生と出会って初めての演奏会が芸術劇場での「運命」でした。私はまったくのクラシック素人ですが、衝撃的でしたね。生の「運命」、ジャジャジャジャーン!このジャジャジャジャーンが始まるまでの間というか「ジャ」という最初の音が鳴るまでの張り詰めた空気というか、先生がタクトを振ってるのに、まだかまだか、という緊張感、ライブのすばらしさを体で感じられるのが宇宿先生の「運命」でした。何度聴いてもこの緊張感、ステージとの一体感はぞくぞくしましたね。
先生いわく「コップに水を注ぎ、いっぱいいっぱいになって表面張力によってパンパンに盛り上がった水が、耐え切れなくなって、思わず、タラっとこぼれる感じ」だそうです。(言い回しは先生のほうがもっと上手でしたが)まさにそんな感じ。ためてためてためてーーーーんーーーーっ、ジャジャジャジャーン!

これがもう聴けないんですね。


宇宿先生とはお仕事を通じて平成14年からお付き合いさせていただいております。本当に厳しくて、ものの表現は舌鋒鋭い、というか本質を見事につきながら、過激で、反面、繊細で優しくて、人間っぽくて、強烈な個性を持ったかたでした。私を含め、新聞配達の人や、内装工事の人、スーパーのレジの人など、どんな人に対しても真剣に全エネルギーを注いで接する人でした。音楽はもちろん何事も真剣勝負、全力投球の人でした。

表現が難しいですが、先生と会うときは、どんなときも、どんな雑談でも真剣勝負、油断したら、手を抜いたら、グサっと刺される。そう感じるほど真剣に真っ向から接してくれる人でした。

決して楽ではない運営の中、自ら楽譜に直筆で手を加え、コピーし、演奏用のひな壇を組み立て、機材の運搬の時は自ら車を運転し、その姿は本当に決して真似できるものではないと思いました。私生活においても自分でできることは全てやる方で、庭木の手入れはもちろん、部屋のクロスの張替えから水道管の配管の取り回し、床タイルの敷きこみまで、職人顔負けの仕上がりでした。まさに宇宿先生のような人を本当の意味で「職人」というのかもしれません。口調は厳しいことはあっても、人間のあるべき姿について多くの事を教わりました。

私はやっぱり個性の強い、物事をとことん追求する「職人」の生き様に憧れます。

先生とお話をすると、また、先生の音楽を聴くと、ふだん、どろどろした欲まみれの社会に揉まれて仕事をしている自分が、如何に寂しいか、心を亡くしているかという事を痛感しました。

思い出話ですが、

コンサートの翌日早朝6時ごろ「昨日のコンサートはどうでしたか」と素人の私に電話いただいたことも何度かありました。素人の私は「んーーーーーよかったですよ」としか言いようがなく、いつも答えに窮していました。(本人が満足されていないコンサートの翌日が多かったように思います。おそらく眠っていなかったのでしょう)

夏の暑い日に仕事で伺ったとき「暑い中ごくろうさま、シャワーを浴びて帰りなさい」といってシャワーを浴びさせてもらったこともありました。

仕事で私が曖昧な中途半端な対応をしてしまったときには「もう帰ってくれ」と、出入り禁止になるくらい、厳しく叱咤されたこともありました。

とある用事で一緒に霞ヶ関の官庁へ行った帰りに日比谷公園の松本楼でカレーを食べたこともありました。その帰り際、霞ヶ関の地下鉄入り口で、なぜか満面の笑みで握手をしてくれました。

数年前、仕事で宇宿先生の自宅に伺ったときNHKのドキュメント番組の収録をしており、たまたま居合わせた私がカメラの前で宇宿先生についてコメントしたこともありました。(私のコメントはオンエアされませんでしたが)

一度、滝野川区民センターで行われる本番直前の公開練習のお手伝いと見学に行ったことがありますが公開練習の最中にちょっと動いたら「動くな!」と怒られたこともありました。

私が前職を辞め、独立したときも「これまで大変お世話になった。これからもがんばりなさい、たまには遊びにきてください。応援してます」と多大な応援、支援をしていただきました。年に数回、ケーキを持って、わざわざ私の会社に遊びに来てくれたりもしました。ときどき私の事を思い出して「伊藤さんの会社は大丈夫かな」と心配してくれていたそうです。

たまに見せるあの無邪気な笑顔が忘れられません。

そんな強烈な方ですから携帯の着信で「宇宿まさと」と表示されたときは「ドキッ」とし、毎回毎回、本当に緊張しました。正直、心のどこかで逃げている自分があったのかもしれません。(允という字は携帯には登録されてないんですよね)

こんな私に沢山の思い出、多大な影響を与えてくれた宇宿允人先生、本当に強烈な個性で厳しく優しい人でした。ありがとうございました。この強烈な師の死を、このブログを書くことによって自身が受け入れようとしているのかもしれません。


最後の最後まで、現代の商業主義の音楽界を憂い、自らの命を削って、自らの信念に基づいて真の芸術普及に努めた方です。それゆえに音楽界では「孤高の指揮者」と呼ばれ評価も二分されていたようです。

「私のように音楽界で異端児と呼ばれるような人間は死んだ後に注目されるんだよ、死んだ後じゃ何の意味もないんだ」と目を細めてお話されていたのが印象的です。

「音は人なり」宇宿先生の言葉です。




幻となってしまったコンサート案内です。

運命20110310


んー。目を瞑るとアンコールで度々披露された「G線上のアリア」が静かに頭のなかをめぐるようです。

私も不動産問題解決職人として日々真剣勝負でがんばります。

では。



物納と利子税の実務取り扱い

 現在、貸宅地の物納のお手伝いをしております。

平成18年に大幅な改正がなされた物納制度ですが、改正後数年は不動産価格の上昇等により、圧倒的に不動産を売却しての納税が多く見くけられました。しかしリーマンショック以降、地価が下落して、相続税評価額以上で売却できる土地が圧倒的に少なくなり、時価と路線価の逆転現象が続いている昨今、改めて物納申請件数が増えると予想されます。

さて改正後の制度で大きな点は、相続税申告期限までに物納関係書類の提出を義務づけ、申告期限から、3ヶ月以内に物納の許可、または却下されることとなったことです。従来は書類の提出期限、または物納の許可期限が決められていなかったため、要求された書類の提出に長期間かかったとしても、最終的に問題がクリアされ、書類の提出がなされれば、たとえ何年かかろうと最終的に物納が許可されていました。(私が過去関与した案件では物納許可まで2〜3年はザラ、最長10年というのもありました)ある意味、親心のある制度でしたね。しかし改正後は期限が定められたため、物納を検討する場合、書類の整備を早期にすすめる必要が出てきました。

物納関係書類は隣接地や借地人など利害関係人の協力が必要不可欠なため、当然ながら場合によっては、書類が相続税申告期限までに提出できない可能性があります。

現行の制度(改正後)では、納期限までに書類の提出がなされない場合は、延長申請を提出し、その申請した期限内に書類を提出することとされています。しかも、その間は利子税が課されるのです。(改正前は物納許可まで何年かかろうと取り下げしない限りは利子税は課されませんでした)

先日、現行制度での物納物件の現地立会いを行いました。現場では、書類の一部提出漏れや現地確認後、追加の書類の指示がなされましたが、追加書類提出までの間、どこで区切って利子税を課すかは、柔軟(現場、担当者の裁量)のようで、制度の運用が決して明確ではないようです。(すみやかに提出すれば大目に見るという印象です)

特に不動産の場合、物件によって状況や求められる書類が個別に異なりますから、申請期限までに書類を完璧に揃えるというのは実務的には無理な話ですよね。

やはり、事件は現場で起きています。


でも常々感じますが、税を徴収する立場の税務署と物納財産を管理する立場の財務省とでは、どうしても温度差を感じますね。税務署は早く物納を許可したいので本当に細かい部分(大勢に影響しないもの)は大目にみてあげたい。財務省は管理する立場なので、問題が無さそうな細かいことまで指摘する。現場では如何に税務職員とラポールするかが物納をスムースに進めるための一つのポイントだと思います。

以上、たまには仕事の話をしてみました。忘れてましたがタイトルは「事件簿」ですからね。




では、らぶちゅうにゅう。


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