AppleStoreでのスマート出版にチャレンジしてわかったことは、2012年夏時点ではオリジナル電子出版事業で黒字化するのは困難だという現実でした。

原稿料と人件費をペイして黒字化するためには、毎月1万ダウンロード以上を記録して、常にAppleStoreブックランキング10位以内をキープし続ける必要がある。新作を毎週投入できれば、無理ではありませんが、売れるジャンルが限られるので競合タイトルが多いことを考えるとかなり高いハードルです。

他の電子書店でも売ればいいじゃないか。

当初はそう考えていましたが、国内の電子書店事情をリサーチしてみると、マンガやラノベ、BL、官能系タイトルではない一般書籍がそこそこ売れるストアはないに等しい。仮にAppleStoreで1万冊売れるタイトルでも、他の国内電子書店全てあわせて千冊売れるか売れないかといったところ。

AppleStoreの販売合計数☓110%前後が国内市場での実売見込み。販路拡大のためのフォーマット変換などの追加コストが回収できるかとても微妙なところです。

事実上、一般書籍がそれなりに売れる電子書店はAppleStoreだけ

出版社がオリジナル電子書籍はおろか、一般書籍の電子化タイトルをなかなか増やせない事情を痛感しました。

どこの出版社ももうひとつの巨大書店、KindleStore待ちの状況になるわけです。ところが、 amazonは2012年春のKindle発売を発表していたものの、春を過ぎてもなかなか発売されません。国内の電子書籍市場が初めて前年度割れした原因も、各社がKindle待ちでフリーズ状態にあったためかもしれません。

全てはKindle次弟か――。

そんな沈滞ムードが漂う中、状況を変える起爆剤として新たな電子書店が登場しました。

国内ECサイトの雄、楽天がカナダの電子書籍事業者Kobo社を買収して2012年7月に開店した楽天Koboです。

images


Koboは日本ではほとんど知られていませんが、当時すでに北米・欧州で600万人以上のユーザー数を抱える電子書籍サービスを展開していました。amazonやBarnes & Nobleなどにも対抗できる可能性を秘めた企業なのです。

三木谷浩史社長自ら店頭販売に立って大々的にアピールした電子書籍端末「kobo Touch」は当時画期的だった7980円という低価格と派手な広告プロモーションが奏功。これまで電子書籍に興味がなかった層にまで話題を呼びました。

国内ではamazon.co.jpをも上回る、一兆円を超える流通金額を誇り、ダウンロードコンテンツ販売経験も豊富な楽天Koboこそが外資系のApple、Kindleに対抗できる唯一のプラットフォーマーになりうるのでないか。
そういえば、楽天社員はみんな英語もしゃべれるじゃないか。

開店当初は、出版業界をはじめとする国内経済界全体が大きな期待を寄せたわけです。
ところが、Koboは発売当日からトラブル続き。
初期設定方法がわからない、本の買い方がわかりづらい、日本語で入力できない、正常に表示されない、日本語の本が少なすぎる……。

発売直後から、楽天Koboサイトの端末レビュー欄に山のようなクレームが書き込まれました。さらに、楽天史上初めてレビュー表示を停止する緊急措置をとったことがユーザーの怒りに火を注ぎ、しばらく炎上状態が続きました。

私がかつてプロジェクトに参加したパナソニックの電子書籍専用端末Σ(シグマ)ブックやSonyのリブリエが発売された2004年当時と比較すると、端末価格、コンテンツ数、端末とサービスの質、どれをとっても飛躍的に改善されています。なにせ当時は1台4万円以上する割に読める本はもっと少なかった。

しかし、電子書籍専用端末の歴史などに興味がないKobo購入者には何の関係もありません。安さとガジェット臭のしない親しみやすいデザインに惹かれて専用端末を初購入した一般読者にとって、使いやすい製品ではなかったのでしょう。

従来のガジェットユーザーの一般認識=安かろう悪かろうは通用しなかったのです。

もっとも、楽天が買収したカナダのKobo側だけにプロダクト責任があったわけではなく、きわめて短期間で日本語対応、日本語組版で縦書き表示にあわせつつ、EPUB3の仕様に合わせていく日本側のカスタマイズ開発は想像以上のデスマーチだったようです。

楽天の事業担当役員が「大きなミスを犯してしまった」と過失原因を語っていましたが、実は相当な炎上案件であることが開店前から外部でも予想されていました。

だいぶ長いこと、転職マーケットでは電子書籍事業経験者にKobo担当のプロデューサー求人のスカウトメールが飛び交っていたからです。

トップダウンで急遽きまったサービスなので、社内の企画開発部署も対応しきれず尻ごみしているのではないか?
カナダの電子書籍と日本固有の電子書籍事情のギャップが大きすぎて埋められないのではないか?

国内でWebサービス開発にかかわるエンジニアには技術書以外の本を読まない技術者、さほど先端技術を必要としない電子書籍サービスの開発に高いモチベーションを保てていない技術者が多い現実もあります。一方で、月に何冊も本を読む読書家は必ずしもITリテラシーが高いとはいえません。そんな開発側と読者とのITリテラシーや読書リテラシーのギャップが短期間で埋まるのか?

従来の家電メーカーでもなく、国内出版界事情に疎いWeb企業が読書家が使いやすい製品を開発できるのか?

そんな懸念が電子書籍関係者内で囁かれていたわけです。


三木谷さんが発売直後からのECサイト炎上の鎮火を図るため、メディアの取材に応えた言葉が不遜な印象を与える見出しになり、ネットユーザー間にあっという間に広まりました。

「細かいことで騒いでいるのは少数派ですよ」

20120918001742257-300x175


この一言に、ユーザー軽視の上から目線を感じたのでしょう。
常日頃から、国内企業が運営する電子書籍サービスにユーザー軽視の風潮を感じていたガジェット好きのネットユーザーの闘争心に火がつきました。

こうしたガジェット好きユーザーは、本をよく読み議論好きな電子書籍サービス評論家の側面があり、中には自分で書いたテクノロジー系の電子書籍を売っている作家もいます。敵に回すととても手ごわい存在です。Koboが公約した年内目標販売点数20万点の進捗を監視するサイトまで出来る顛末。

三木谷氏の発言が決定打となり、Koboのやることなすことはユーザーのバッシングを受けるようになりました。


●批評家ではなく、プレイヤーとして

一連のKobo炎上模様は、外野から騒ぐネタとしてはいいかもしれませんが、電子書籍事業者の視点で見ると、身につまされるものがあります。

日本語固有の表示の問題。電子化コンテンツの不足。とりわけフォーマットが統一されていないため、ePub化されている本はとても少ない。

大企業といえども、1社で根本的な解決ができる問題ではありません。電子書籍サービスが市場黎明期から抱え続けている問題であり、電子書籍元年からなかなか市場がブレイクしない要因でもあります。

Koboの炎上をきっかけに、電子書籍サービスが抱える根本的な問題が一般の読者にまで知られるようになりました。

三木谷さん個人の発言については意外と「軽いな」と感じましたが、リスクをとり、火中の栗を拾う形で電子出版事業にチャレンジした楽天の姿勢に関しては褒められてもよいものだと思っています。

もちろん問題は山ほどありましたが(とくに電子書籍と言えないコンテンツの水増しはいけません)、短期間でのリリースを目指す場合、完成度には目をつぶって、β版をいちはやく公開し改善を重ねていくほかありません。

今回、この新しいサービスを激しく批判し続けたネットユーザーの中には、本を読むために買ったわけではないガジェット好きユーザーもいます。不思議ですが、ガジェット批評して石を投げるためだけに電子書籍端末を買う人が一定数いるのです。
ネットにあふれる批判内容を見てると、自分は詳しいぞというガジェット知識のアピールが目的の人も見受けられました。特徴として、本の未来や理想について語りたがることです。

そんな人は、電子書籍に対してなんらかの期待、希望を持っているユーザーのはず。
しかし、その批判で電子書籍サービスのことを知った一般読者は、電子書籍全体にネガティブな印象しか持ちません。

電子書籍事業に限定して言うと、
サービスが良くなると、読者が増えるのではありません。
魅力的なコンテンツが読者を連れてきます。
コンテンツが増えて読者が増えると、サービスが良くなるのです。

少なくともKoboは少なからず電子書籍読者を増やしました。
これから徐々にサービスも良くなっていくはずです。

どうすれば読者が増えるのか。
どうすれば作品が増えるのか。

解決されない技術的なサービス課題が山ほどある中、電子書籍に関わる事業者達は意見を述べるだけではなく、地道に一つ一つ実行し続けてきました。

もしサービスを良くしたければ、安全なところから石を投げるのでなく、火事場に飛び込むしかありません。たとえ短期間でも、それぞれのプロジェクトに参加しない限り、そのサービスは良くならないからです。

これまで本に関するたくさんのプロジェクトに参加してきましたが、歴史が浅い電子書籍の現場は、常にプロフェッショナルが足りません。年々、傍観者やヤジ馬、業界関係者は増え続けますが、前線は常に人手不足なのです。


減っていく読者を、電子書籍というツールを使っていかに増やしていくか。

きわめて多品種を扱う出版ビジネスにおいて、中の人たちだけの議論では答えが見つからない永遠の課題です。電子書籍黎明期から延々と続く、細かいスペックや仕様をめぐるガジェット論議や理想論に終始せず、今や本質的で具体的な議論をするステージに移行しています。

ネットで遠くから石を投げただけで、セミナーや講演に参加しただけで理想のサービスが手に入ることはないでしょう。
すでに誰でも作家、誰でも編集者、誰でも書店の時代です。
これから電子書籍についての議論は、「当事者として」できることだけを話したいのです。


●読書革命なんていらない


昔から、「読書革命」というフレーズがよく使われますが、そもそも「読書革命」なんて誰が求めていたのでしょうか?
どんな革命が実現すると不満がなくなるのでしょうか?

少なくとも私自身は「電子書籍」を何千冊を持ち歩きたいと思ったことはありません。
軽さを競う意味もよくわかりません。
面白い本であれば軽くなくても読みます。

ただ、面白い本、役立つ本、泣ける本を手頃な価格ですぐに読みたい。

多くの読者にとって、何千冊入るとかわずかばかりの軽さより、どんな本が読めるのかが重要でしょう。
面白い本、役に立つ本にお金は払うけど、端末には1万円以上払えない。

Koboは、7980円という画期的な価格戦略によって、普及への最大課題とされていた価格面のハードルを払拭しました。しかし、Koboが実現したものは、謳っていた「読書革命」ではなくどこにでも持ち運べる手頃な電子本棚でした。

読者が求めているものは安い電子本棚ではなく、持ち運べる電子書店です。

2004年当時から、電子書籍専用端末は電子書籍市場に新規参入する大企業の広告宣伝戦略として発売されてきた側面があります。製品の実売で儲けを出すビジネスではありません。今後、無料サービス広告と割り切った企業が価格破壊の「千円端末」や「0円端末」を発売する可能性もあります。
※実際、楽天はその後、楽天カード会員にkobo touchを無料で発送しています。

冷静に考えると、国内市場だけを対象にしっかりした製品・サービスを開発しようと思ったら、原価がそんなに安くなるわけがないのです。ハードで儲けるのではなくコンテンツで儲けるビジネスモデルだと言われていますが、わずか数万人に対して1冊あたり利益数十円のコンテンツを売ったところで、数億円以上する端末開発・宣伝費を回収できるでしょうか?

たとえ端末が安くても、好みの本が読めなかったら何の価値もないでしょう。

長いこと使う製品であれば、見かけの安さや軽さや広告に惑わされず、本読みとして何を望むのかをしっかり考えたいもの。
本読みが望むものはいつの時代もそんなに変わらないはずです。

  • 品揃えが充実していること

  • 新作はもちろん品切れ・絶版本も手に入ること

  • お手頃価格であること

  • どんな場所にいても本が買えて読めること

  • 本の目利きが、未知の面白い本を教えてくれること

  • 本を読むこと以外のストレスを感じさせないこと

すなわち、どんな本もいつでもどこでも、すぐに簡単に読める書店です。

Koboの炎上が明らかにしたものは、読者が望むものはバーチャルな「読書革命」などではなく、「書店革命」だという事実だったのです。

出版、そして書籍の歴史が変わる重要な日だ
三木谷氏はKobo社買収の記者発表の場で力強く宣言しました。

私自身も、全てはKindle待ちの沈滞ムードを変える起爆剤かと期待したことを否定できません。
あれから月日がたって気づいたことは、革命によって歴史が変わることを望んでいるわけではなく、ただ、自分の人生を変えるような1冊に出会いたいだけなのだということ。

端末の市場獲得競争をめぐる報道合戦に惑わされることなく、1冊の本にいかに出会い、いかに届けるか。
Koboの炎上が、電子書籍に関わる人間のミッションを改めて気づかせてくれたのです。

そして、報道側も今回の教訓を生かし、各企業の発表を鵜呑みにしてそのまま掲載するのではなく、その端末でどんな本が読めるようになるのか、作家と読者の関係にどう影響を与えるのかを調べあげて報じてほしいと期待しています。