前回エントリーをアップした後に、文中で少しふれた電子書籍取次のBitwayが解散するんではないか、という観測記事が流れました。

ビットウェイとBookLiveが合併、業界再編に動くか

実際は解散ではないですが、ニュースを知った人の一部に流れた感情はある程度予想できます。

作家と読者がダイレクトに結びつくインターネット時代に
「電子書籍取次なんていらないんじゃないか」

いわゆる「取次不要論」です。

取次不要論は今に始まったことではありません。
取次不要論の歴史は古く、戦後のGHQ占領下の時代にまでさかのぼります。

GHQによって施行された独禁法によって、戦前の治安維持法にもとづく言論統制の役割を担っていた「出版省」とも言うべき存在の出版配給会社が「民主化するためには不要な存在だ」と見なされて、解体されました。
日配というその国策会社の元社員たちが、戦後しばらくして設立した会社が出版取次会社の東京出版販売でした。現在のトーハンです。
tohan


そして、反主流派でアンチトーハンの出版人たちが立ち上げた会社が日販こと日本出版販売だった。
細かい経緯はここでは省きますが、なにやら全日本プロレスと新日本プロレスの関係に似ています。

保守と革新の二大団体が抗争を繰り広げ、社内の序列を反映したマッチメイクに終始し始めると、置き去りにされたレスラーとプロレスファンは不満を持ち始めます。

全日と新日は図体が大きいだけでリスクをとってないじゃないか。
日々リングで体を張って熱いドラマを作り出し、ファンを引きつけているのは俺たちだ。
なのに給料が安い。プロレス人気は落ちる一方だ。
こうなったら俺たちが観客が求める、より生のプロレスを魅せる新団体を作るしかない。
ファンもそれを求めているはず。よし、奴らを中抜きして、直接ファンにドラマを届けよう。

こんなふうにして、思うようにならない不満が、資本金と図体の大きな会社にぶつけられるわけです。
出版業界でも同じこと。
かつて流行していた「総合商社不要論」「大手都市銀行不要論」。近年高まっている「全国紙不要論」「テレビ局不要論」「大手家電量販店不要論」等も本質的には同じことでしょう。

人によっては出版や書店の仕事を始めるや否や、すぐに取次不要論を主張する人もいます(笑)。
表に出す出さないは別にして、出版人と書店人は、老いも若きも取次という存在が嫌いなものなのです。

とりわけトーハンは、歴史的にも国策会社日配の流れを組む保守本流のせいか、出版業界一の嫌われ者です。
私が20代をトーハンで過ごしていた頃、書店とのやりとりを通じて薄々気がついてはいましたが、そこまで嫌われているとは思わなかった。
退社して、eBookJapanを代表して初めて訪れる出版社に行くと、必ずトーハンの悪口を言われた。大小の取次陰謀論もしばし。
「良い本なのになぜか配本部数削ってくるんだよ」
「売れる本なのに、売れない書店に送ってるんじゃないか」
「うちを潰す気なのか」
半官半民的な存在として、取次は赤字の出版社と書店を守ってきたはずなのに、これほどまでに嫌われていたのか、と驚いた記憶があります。

「いつか電子書籍が普及するといいよね。
そしたら取次はえばっていられなくなるよ。

本を書くわけでも編集するわけでもない。
売り場で選書したり売るわけでもない。
ただ取り次ぐだけの取次なんて不要になる時代が来るね」
まるで悪代官の悪行を告発する口ぶりで訴えられると、
「最近までそこにいたんですけど」
とはなかなか言いづらいもの。かといって隠すのも変です。
悪口を言われるより先に、カミングアウトしておく癖がつきました(笑)。

本を売っている電子書店ですら、当初は「ただ電子化してアップするだけで利益をかすめ取るだけじゃないか」と不信感を持たれたぐらいです。
規模の大きな電子書籍取次の会社も、取次と似たような感情を抱かれてるんじゃないかと。

そもそも、電子書籍取次や電子書店の流通ルールや販売、マーケティングノウハウを持ち込んだのは出版取次からの出向組や取次出身者だったりします。私もまた、その出身者の一人です。

意外と知られていませんが、出版社や書店を含め本に関わる会社には出向や転職の形で、取次から来た人間がけっこういるのです。いきなりなにかが変わって注目を浴びた、あるいはいきなり売上が伸びた会社に行くと、古巣の話で盛り上がることもしばし。

電子書籍業界にも、良くも悪くも出版取次のDNAが流れているといっていいでしょう。

今後、悪役になる可能性が高い会社といえば、「取次」+「官」+「金を持っている」という3大ヒール要素を抱える出版デジタル機構です。どうせ嫌われるのであれば、誰か取次から出向してビジネスモデルだけは早めに確立したほうがいいんじゃないかと。もっとも、すでに誰か行ってるかもしれませんが。


●本の霊力がたまる場所

かつて「世界最先端」と言われた出版取次の全国流通網とシステムが、戦後の読書人口と出版市場を大きくしてきたことは間違いありません。

世界の中で日本の出版業界がユニークな点は、取次という名の巨大流通機構が存在する点です。

約4千社といわれる出版社の新刊の多くは、ごく少数の取次会社に搬入されてそこから全国約1万店の書店に配本される。その流れの中で、トーハン・日販は出版流通シェアの約7割を占有する寡占企業です。ここまで中央集権型の出版流通は世界的にも稀。

その背景には、欧米などと違い日本の書店には、新刊本を事前に仕入れる商習慣、直接メーカーから仕入れて値引きして売る商習慣があまりないことが挙げられます。

取次が出版社・書店の規模や立地、販売実績に基づいて定めるパターン配本あるいはランク配本と呼ばれる自動配本システムによって、黙っていても書店には毎日新刊が入荷します。
逆に言うと、書店自らが目玉の新刊本をこれだけ委託販売したいと思っても、その通りに入荷することは少ない。中小の書店だとめったにありません。

いわゆる委託販売制度は、毎日売る本をいちいち1冊1冊仕入れなくてもいい。作った本を全て買い切ってもらわなくても書店に並べることができる便利な側面もあります。

そして「書店学」「出版学」はもちろん、販売士や読書アドバイザーといった資格や、経営学や商品マーケティングを学んでない全くの素人でも、本屋さんや出版社を始めることができる。儲かる商売とは言えない書店と出版社が国内にこれほど多い理由は、取次という世界的に珍しい流通機構が存在しているからなのです。

出版人や書店人も本音では取次を嫌いながらも、全否定できないのはそんな背景があるからでしょう。


その取次が年々、力を失いつつあります。

1990年代前半の出版バブル期に絶頂を迎えた取次は、出版販売だけでなく、映画への出資をはじめ映像・音楽・ゲーム関連事業を中心に多くの新規事業を始めました。東京出版販売も出版販売会社から「総合情報商社」トーハンへ社名変更し、「一兆円企業」を目指していたイケイケの時代です。

私が1996年、すなわち出版史上最高の販売金額を記録した年に働き始めた時、取次が誇っていた力は今はもうありません。

インターネットや携帯電話の普及による情報流通、コンテンツ流通の中抜きの影響は明白ですが、果たしてそれだけが原因でしょうか?

いつか電子書籍の仕事がやりたい、と取次に入社して8年後の2004年。世界初の見開き型電子書籍専用端末Σブックの販売に少し関わることができました。しかし、ごく一部の大手書店に端末を卸すだけで、電子書籍の企画や編集、流通・販売には関わることはできません。

なぜなら、取次会社が出版界全体に与える影響、とりわけ書店業界への損害を考えて、書店を中抜きする電子書籍事業に乗り出さなかったからです。

長いこと待ち続けた私はそれを知って失望し、Σブックに電子書籍を提供していた、よく知らない小さなベンチャー企業にひとりで飛び込んでしまいました。

以来8年間、いかにしてインターネットやデジタルを通じて出版物を読者に届け、減っていく読者を増やしていけるかだけを考えてきました。その考えの源になったのは、飛び出した出版取次時代の経験であり、本の仕事の先人達の言葉であり教えでした。

それは単に、プロモーションやマーチャンダイジング、新規事業やチャネル開発手法といった知識的なものだけではありません。

黎明期から今まで、電子書籍普及を推進した力の源泉になったのは、取次時代に知った「本の霊力」のようなものでした。素の私自身は、勉強熱心でも仕事熱心でもありませんが、本の霊力が怠惰な私をつき動かして止まないのです。

昔、本の仕事の先達からこう聞かされました。

本をただの薄っぺらい紙製品から作品に変えるものが本の霊だ。
システムやマーケティングや広告だけではない。
本の霊力こそが、膨大な本の洪水の中でその作品を求める読者に届かせる。
本の霊力は特定の会社や特定の誰かに宿るものではない。
本の仕事に取り組むすべての人に宿りうるもの。


出版人や書店員や図書館人。本に関わる人々がもっとも多く集う出版取次という場所に、本の霊力も集まっていたのではないか。たまたまその霊力が私の背中にもついてくれたのではないかと。

トーハンを離れて7年後。
動かざること山のごとしと思われた保守本流のトーハンは、電子書店デジタルe-honを開設して、電子書籍事業を本格的にスタートさせました。
すでに日販もトーハンに先行して、電子書籍の制作から販売まで関わっています。


●取次を動かした3つの理由

しかし、それは真のチャレンジを意味しません。

他業界から周回遅れで、取次が電子書籍事業を開始した理由は3つあります。

一つ目は、amazonの猛攻です。
アメリカとは交通事情も読書事情も違う日本では通用しないだろう。
そう甘くみていたamazonが21世紀に入ってから日本でも開店しました。瞬く間に国内出版市場を侵食し、わずか12年で年商2千億円を超える、すなわち市場の1割以上を占める「中抜き」書店と化したことです。
このままamazonが成長すると、売上高で取次が抜かれるのではないか。
取次以上の物流センターを各地に建設しはじめて、取次事業まで始めるのではないか。

Kindleが上陸し、amazonが中抜きで電子書店を始めたという既成事実ができるまで、電子書籍市場の伸びを静観する余裕がなくなってしまったのです。

二つ目は、
大手印刷会社が掟破りの書店買収にうって出て、業界再編成を始めたこと。
出版業界の縁の下の力持ちとして巨大になった印刷会社が、裏方ではなく表舞台に立ちたいと、大手書店だけでなく図書館流通会社や出版社まで傘下にするとは何たることか。おまけに、世話になっている製紙業界や書店業界への損害は考えず、出版社から預かっていた本の完全原稿データを人質にして、電子書籍取次に加えて電子書店まで始める始末。取次は憤りました。

amazonやTsutayaばかりを見ていた取次は、大手印刷会社への怒りとともに、出版社の裏方ではなく取次を凌駕する巨大資本を持った競合流通企業だと、改めて認識したわけです。


三つ目は、
予想を上回るスピードで雑誌市場が急激に落ち込んだこと。

とりわけ、東日本大震災後のさらなる落ち込みは衝撃を与えました。書店に限らず、総実売数の1/4前後を占めるコンビニエンスストアでも売れなくなった。コンビニはすぐに売れない商品の販売努力などしません。客寄せパンダとしての役割を果たす、代わりの商品に入れ替えるだけ。

取次は、単品が多く返品率が高い書籍ではなく、定期的に大量の部数が売れる雑誌売上に利益を負うところが多い。雑誌の広告収入が存在する出版社と違い、実売収入だけが全ての取次にとって、雑誌市場の急落は企業の存亡に関わります。

すでに返品率改善のため、数百億円かけて巨大な雑誌物流センターを建設。稼働させていたものの、期待どおりには改善されず、後がなくなってきたのです。

「出版不況とはいえ、まさか倒産することはないだろう。電子書籍といってもしょせんはまだ小さい市場。今進出することはリスクでしかない。失敗したらどこの部署が責任を取るんだ?」

電子書籍市場が拡大する中でも静観を決め込んでいた取次は、トリプルパンチに見舞われて、長い眠りから目を覚まし、ゆっくりと動き始めました。上層部がインターネットやメールを使わない世代から、日常的に使う世代に世代交代していたこともその背景にあります。


●電子書籍も「本」である

今年に入り、トーハン・日販は相次いで書店店頭での電子書籍販売事業を始めました。

トーハン 電子書籍書店店頭販売システム「c-shelf」の運用開始 

当システムを導入した書店1500店は、店頭での電子書籍販売により15~20%のマージンを受け取ることができる。さらに店頭で会員登録した読者が直接電子書籍を購入した場合にも、書店に5%のロイヤリティが支払われる新しい電子書籍販売モデルです。

日販 電子書籍の書店店頭販売フェアを開催

日販は、トーハンからやや遅れる形で、期間限定で電子書籍を店頭で購入できるフェアを開催。
フェアに参加した都市部の大型書店7店の店頭に、10点から20点の電子書籍を用意。電子書籍を購入した読者は、同社が開発した専用アプリ経由で電子書籍をダウンロードする。現時点では、実証実験を兼ねた電子書籍店頭販売フェアだといえるでしょう。

この動きに対し、

出版取次が電子書籍事業に手を出すのはいかがなものか

といった昔からある批判も再燃します。なにをするにせよ、大きなものは常に嫌われ者なのです。

下記のWEBサイト記事の中に書かれていた、3つの問いかけが批判を代表するものでしょう。

本屋は電子書籍の夢を見るか:トーハンc-shelf
c-shelf_flow

1.こうまでしなければ書店は電子書籍を扱えないのだろうか、
2.こうまでして電子書籍を扱う必要が書店にあるだろうか、
3.消費者がこの方法で購入するメリットはどこにあるだろうか、


確かに、購入から閲覧までのフローは決して便利とは言えません。
そして、出版社、取次、書店、読者双方にどれだけメリットがあるのでしょうか。

こうした意見は、きわめて正論だと思います。 

と同時に、私が取次にいた頃、上層部から似たように否定的な正論を言われたことを思い出しました。
1.本に比べて、電子書籍は面倒くさすぎて書店は扱えないだろう。
2.書店は紙の本を売るべきだ。電子書籍を売る必要はない。
3.消費者がパソコンや携帯電話で本を購入し読むメリットはどこにあるだろうか。

この問いに対し、映像や音楽、ゲーム、キャラクター商材といった「マルチメディア商品」を書店で販売する、書店複合化推進プロジェクトを担当していた当時の私はこう答えました。

1.本に比べて、電子書籍は面倒くさすぎる。

A.電子書籍より、商慣習や流通用語がまるで異なり、利益をあげるため単品単位で事前予約や価格改定が必要な映像DVDや音楽CDの方が面倒くさい。
電子書籍といえども同じ本。慣れれば映像や音楽商材より扱いやすいはず。


2.書店は紙の本を売るべきだ。電子書籍を売る必要はない。

A.書店は本を売るところ。
紙の本が売れなくなった今、デジタルという理由だけで本を売らない方がおかしい。
書店が売らなければ、他の店がデジタルの本を売って儲けるだけ。


3.消費者がパソコンや携帯電話で本を購入し読むメリットはどこにあるだろうか。
パソコンはもちろん携帯電話の小さな液晶画面で本を読むはずがない。

A.紙の本がすべての書店に満足に届くわけではない。
パソコンや携帯電話で電子書籍を読むことではなく、紙で届かない本をデジタルで届けられることが重要なのだ。読みたい時にいつでもどこでも読める環境を用意することが重要なのだ。

当時の問いと現在の問いはなんだか似ています。

ネット上の批評家ではなく、取次の上層部自体が正論を言い続けてきました。
正論を言い続けていれば、チャレンジするリスクを負わなくて済むから。

そんな取次上層部ですら、
正論を言うだけで済んだ、牧歌的な時代はもう過ぎました。

やったことがないことは、始めるだけで大変です。いきなり便利なサービスを実現するのはなお大変。

取次であろうが、別の会社であろうが困難の大きさに変わりありません。

トーハン在籍時代、私以外にもう一人、電子書籍に強い興味を持つ同期がいました。
一番仲がよく、一番頭の回転が速く、いろんなことを語り合えた同期でした。
2人で苦手なところをお互い補いあって電子書籍事業を立ちあげられたら、まだ見ぬ市場をブレイクさせられるんじゃないか。そう夢想した友でした。

私は、正論に抗い続ける困難、
いつ始められるか保証もない中で、ただ待ち続ける困難を選べなかった。
慣れ親しんだトーハンを去り、
なにも知らないインターネットの会社で一から電子書籍事業を始める困難を選んだのです。

彼はそれからすぐに辞令を受けて他社に出向し、自ら電子化のノウハウを学び、再びトーハンに戻った。
それから5年ほど、恐ろしく地道な社内調整を繰り返しながら、電子書籍事業を立ち上げる困難を選んだわけです。

その彼が今、電子書籍事業の中核で推進しています。
取次という巨大な物流会社の中で、物のない電子書籍事業を一から立ち上げる困難は想像できません。その困難に比べたら、すでに立ち上がった事業を利用しやすいものに改善していく困難は小さいように思えるのです。

私と彼のどちらがより困難な道だったのかはよくわかりません。
昨年、久しぶりに会った彼の頭に目立つ白髪の量から、その困難な道のりを察するだけです。

ただ言えるのは、
正論を吐く批評家としてリスクからうまく逃れるスキルを、お互い持っていなかったこと。
チャレンジしたものにだけ、本の霊力が宿るということ。

そして、はるか昔、先達に教わったことを思い出しました。




戦後は食べていくことで精一杯で本を読む金も暇もなかった。

東京は焼け野原になり、国土は荒れ果てた。

全国津々浦々に本屋さんがある現在を予想できた者はいなかった。

日本全国、本や雑誌がほぼ同時に届くなんて想像すらできなかった。

この1冊の本が誰かに届けば、明日への希望につながるんじゃないか。

1軒の本屋さんがその町に住む人々を明るくするんじゃないか。

町の復興につながるんじゃないか。

ただひたすらそう信じて、毎日、本を送り届けるだけだった。

高度経済成長の裏で、本好きはみんな一心不乱に働いてきた。

気がつくと、他の国が手本にするような出版大国、読書大国になっていた。

しかし、世界でも類をみない出版流通網を構想し、実現したのは取次会社ではなかったーー。




そして先達は、20世紀の本の歴史をゆっくりと語り始めました。


To Be Continued.