ある冊子に載っていた「ストーン・キャット」という話を記載します。

 欧州での古い教会のお話です。教会の神父が野良猫を飼っていました。神父が祭壇の前でお祈りをするときに猫が神父にいたずらをしたりするため、お祈り中は猫をひもで祭壇の脚につなげるようにしました。

やがてこの神父がなくなり、2代目の神父がその猫を世話して同じようにお祈り中に祭壇の脚に猫をつなげるようにしました。

飼っていた猫は死んでしまいましたが、3代目の神父はいつも猫を祭壇の脚につなげる先輩神父のことを思い出し、自分も猫を飼って同じようにお祈り中に祭壇の脚につなげていました。

4代目の神父は、めんどうくさがりやで生きた猫ではなく石の猫を作り、祭壇の脚の横に置くようにしました。

5代目の神父は床に置かれている石の猫を邪魔だと思い祭壇の上に置きました。

そして6代目以降の神父は、常に石の猫に向かってお祈りをするようになり、いつの間にかこの教会ではあの石の猫は祭壇上の神聖なる存在になりましたが、誰もその経緯は知らないのです。

これは習慣が長い間に神聖化された例え話です。自分の会社やまわりにもこんなことはないでしょうか?「そんなの常識だろ」「今までこれでやってきたから」と時々聞きますが、それは会社の中だけの常識ではないでしょうか?

会社の常識や習慣は、世の中の常識と合致しているでしょうか?自分の考えは古い常識に縛られていないでしょうか?

ダーウィンの進化論によると、生き残った種は、強い者でもなく、弱い者でもありません。変化に対応できた種だけが生き残ったのです。

自分がしていること、まわりで起こっていること、それらにホントに意味があるかどうかよく考える必要があります。そしていつも自分を変えよう変わろうとする気持ちが必要です。

まずは物事はすべて想うことから始まります。