『女教師狩り』
監督:鈴木潤一/プロデューサー:林功(日本トップアート)/企画:成田尚哉/脚本:斎藤博/撮影:前田米造/照明:矢部一男/録音:伊藤晴康/美術:金田克美/編集:西村豊治/音楽:前澤晃、安部弘高/助監督:金子修介/色彩計測:高瀬比呂志/製作担当者:桜井潤一/刺青:あとりえ千両箱/現像:東洋現像所/監督助手:池田賢一/撮影助手:栗山修司、小川真司/照明助手:保坂直宏、松沢茂樹、佐藤勝/記録:鈴木さとみ/ポジ編集:堀口正則/ネガ編集:米山幹一/スチール:井本俊康
監督:鈴木潤一/プロデューサー:林功(日本トップアート)/企画:成田尚哉/脚本:斎藤博/撮影:前田米造/照明:矢部一男/録音:伊藤晴康/美術:金田克美/編集:西村豊治/音楽:前澤晃、安部弘高/助監督:金子修介/色彩計測:高瀬比呂志/製作担当者:桜井潤一/刺青:あとりえ千両箱/現像:東洋現像所/監督助手:池田賢一/撮影助手:栗山修司、小川真司/照明助手:保坂直宏、松沢茂樹、佐藤勝/記録:鈴木さとみ/ポジ編集:堀口正則/ネガ編集:米山幹一/スチール:井本俊康
製作・配給:株式会社にっかつ
公開:1982年8月26日
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
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人気ない高校のプールで、この学校の生徒である大介(井上肇)と緑(伊藤京子)が愛し合っている。その光景を物陰から歯噛みして見つめる良夫(石神一)。良夫と緑は同じ放送部員で、良夫は緑に一方的な恋情を抱いていたのだ。
彼らの担任である坂谷島子が職員室にいると、男の声で大介が緑を強姦したという匿名の電話がかかって来る。半信半疑で島子は大介を誰もいない教室に呼び出すが、強姦の嫌疑をかけられた大介は激高。島子に襲いかかる。必死に抵抗する島子に向かって、大介は「みろ!強姦なんてな、そう簡単にはできねえんだよ!」と吐き捨てて出て行く。
その足で大介は放送室に向かう。一人でいた緑のことを大介は強引に犯した。自分に強姦の嫌疑がかけられても、保身のために事実を告白しなかった緑への怒りをぶつけたのだ。
そして、大介は退学届を提出すると姿を消した。
夏休み。島子は、一人湘南に出かける。島子は妻子のある編集者・一郎(錆堂連)と不倫関係にあり、彼の別荘でアヴァンチュールを楽しむためだ。彼女には、一郎の子供を堕胎した過去があった。
落ち合った二人は、一郎の別荘でひと時の欲情に身を任せる。しかし、一郎が娘にせがまれ家族サービスをしなければならなくなってしまう。
同じ頃、行き場を失った大介も偶然湘南にやって来ていた。夜の飲み屋街で酔客と喧嘩になった大介は、止めに入ったテキ屋の政治郎(石山雄大)に助けられる。昼間は海岸で物売り、夜は酒場をやっている政治郎の所の転がり込んだ大介は、政治郎の情婦・今日子(梓ようこ)と関係を持った。
緑の家に何度か不審電話がかかって来る。近くの電話ボックスから良夫が電話していることに気づいた緑は、良夫を問い詰めようとする。すると、良夫は紙袋に入れたセーラー服を着て欲しいと緑に迫った。
身の危険を感じて逃げる緑を良夫はゴミ置き場で乱暴しようとするが、緑は落ちていたビール瓶で良夫の頭を殴りつけ難を逃れる。良夫の怪我が原因で、島子は真実を知ることになる。緑は、島子のことを激しく責め立てた。
居たたまれなくなった島子は、もう一度湘南に戻り家族サービス中の一郎の別荘に電話する。困った一郎を強引に呼び出した島子は、カー・セックスに耽る。その帰り、一郎の車は偶然にも大介を乗せた政治郎の車と接触しそうになる。島子と大介は、あの時以来の再会をする。
その夜、島子は政治郎の酒場を訪ねる。大介の後を追って廃屋にやって来た島子は、そこで大介に犯された。ぼろぼろに破れた服のまま、島子は波打ち際を歩いた。一郎との関係に終止符を打ち、さらには大介に犯されたというのに、彼女の心は何処か吹っ切れていた。ヒールの折れた靴を、島子は海に向かって投げた。
夜の高校。誰もいないプールにやって来ると、島子は服をすべて脱ぎ捨てて泳いだ。すると、プールサイドに近づく人影が。大介だった。「気持ちいいわね、夜のプールって」という島子に、「でも、こんなところで裸で泳いでると、悪い奴に襲われるぜ」と大介。
そして、二人は笑った。
新学期初日。島子は、緑の家の前に立っている。家から出て来た緑に、島子は大介が復学したことを告げた。
校舎裏には、緑と大介、そして完全には怪我の癒えぬ良夫がいた。「俺はこいつと仲直りしたぜ。お前は、どうなんだ?」と大介。しかし、煮え切らぬ緑の態度に腹を立てた大介は、嫌がる彼女を襲った。さらには、良夫をけしかける大介。激しい雨が打ち付ける中、泥にまみれた姿で緑は良夫に犯された。
校舎裏にやって来た島子は、泥だらけにになってしゃがみ込んでいる緑を見つけて彼女の隣に座った。島子は緑をプールに連れて行くと、服を脱いでプールに入った。「あなたもいらっしゃいよ」と島子に言われ、緑もプールに。
そのまま、すべてを洗い流すように二人は泳ぎ出すのだった。
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1977年に新藤兼人監督『竹山ひとり旅』でデビューした風祭ゆき(クレジットは、本名の吉田さより)は、にっかつからの出演オファーを一年くらい断っていた。若ければそれを踏み台にという考え方もありだが、年齢的に自分が今さら…というのが彼女の考えだったようである。オファー当時、彼女はすでに26歳くらいである。
しかし、大島渚のすすめで彼女はロマンポルノへの出演を決める。1980年公開の小原宏裕監督『赤い通り雨』である。そして、彼女は後期ロマンポルノを代表するスター女優の一人となった訳だ。本作も、彼女のクールな魅力が堪能できる一本である。
ただ、作品トータルで見た場合、後期ロマンポルノの映画的停滞の影を感じるクオリティという印象が否めないのも事実である。それは、物語構築や人物造形の粗さに起因する。
主人公の島子を始め、大介や緑、良夫といったドラマの中心人物たちの行動があまりに短絡的に過ぎるのだ。密告があった。疑った。退学した。レイプした。何となく、和解した。それで終わりである。
物語の行間にあるのは、都合のいい納得と、うやむやに爽やかな展開…といったものばかりで、そこに人間的な深みを感じ取ることができない。
それに、物語の傍系エピソードともいえる島子と一郎の関係が、取ってつけたようにご都合主義的ステロタイプなのも食い足りない。そもそも、島子が中絶したという設定も不要だし、湘南で大介と再会するお膳立てなら、濡れ場の消化も含めてもう少しやりようがあったのではないか?
この映画を支えるのは、ドラマ的には無軌道に燻り憤る大介の若き蒼さであり、ビジュアル的にはやはり風祭ゆきのスレンダーな肢体とクールな眼差しである。それに尽きる。
加えて、重要なシチュエーションとなる学校のプールのシーン。要所要所に挿入されるプールのシーンこそがこの映画のカタルシスであり、物語的には浄化の役割を担っているのだ。
とりわけ、夜のプールを全裸で泳ぐ風祭の姿には、まるで人魚の如き美を感じてしまう。これこそが、ロマンポルノ的な機能美であり、鑑賞することの喜びだろう。
本作は、ロマンポルノを代表する女優・風祭ゆきの輝きを再確認すべき一本。
彼女こそ、「クール・ビューティ」という形容が相応しい女優である。
公開:1982年8月26日
こんな物語である。ネタバレするので、お読みになる方は留意されたい。
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人気ない高校のプールで、この学校の生徒である大介(井上肇)と緑(伊藤京子)が愛し合っている。その光景を物陰から歯噛みして見つめる良夫(石神一)。良夫と緑は同じ放送部員で、良夫は緑に一方的な恋情を抱いていたのだ。
彼らの担任である坂谷島子が職員室にいると、男の声で大介が緑を強姦したという匿名の電話がかかって来る。半信半疑で島子は大介を誰もいない教室に呼び出すが、強姦の嫌疑をかけられた大介は激高。島子に襲いかかる。必死に抵抗する島子に向かって、大介は「みろ!強姦なんてな、そう簡単にはできねえんだよ!」と吐き捨てて出て行く。
その足で大介は放送室に向かう。一人でいた緑のことを大介は強引に犯した。自分に強姦の嫌疑がかけられても、保身のために事実を告白しなかった緑への怒りをぶつけたのだ。
そして、大介は退学届を提出すると姿を消した。
夏休み。島子は、一人湘南に出かける。島子は妻子のある編集者・一郎(錆堂連)と不倫関係にあり、彼の別荘でアヴァンチュールを楽しむためだ。彼女には、一郎の子供を堕胎した過去があった。
落ち合った二人は、一郎の別荘でひと時の欲情に身を任せる。しかし、一郎が娘にせがまれ家族サービスをしなければならなくなってしまう。
同じ頃、行き場を失った大介も偶然湘南にやって来ていた。夜の飲み屋街で酔客と喧嘩になった大介は、止めに入ったテキ屋の政治郎(石山雄大)に助けられる。昼間は海岸で物売り、夜は酒場をやっている政治郎の所の転がり込んだ大介は、政治郎の情婦・今日子(梓ようこ)と関係を持った。
緑の家に何度か不審電話がかかって来る。近くの電話ボックスから良夫が電話していることに気づいた緑は、良夫を問い詰めようとする。すると、良夫は紙袋に入れたセーラー服を着て欲しいと緑に迫った。
身の危険を感じて逃げる緑を良夫はゴミ置き場で乱暴しようとするが、緑は落ちていたビール瓶で良夫の頭を殴りつけ難を逃れる。良夫の怪我が原因で、島子は真実を知ることになる。緑は、島子のことを激しく責め立てた。
居たたまれなくなった島子は、もう一度湘南に戻り家族サービス中の一郎の別荘に電話する。困った一郎を強引に呼び出した島子は、カー・セックスに耽る。その帰り、一郎の車は偶然にも大介を乗せた政治郎の車と接触しそうになる。島子と大介は、あの時以来の再会をする。
その夜、島子は政治郎の酒場を訪ねる。大介の後を追って廃屋にやって来た島子は、そこで大介に犯された。ぼろぼろに破れた服のまま、島子は波打ち際を歩いた。一郎との関係に終止符を打ち、さらには大介に犯されたというのに、彼女の心は何処か吹っ切れていた。ヒールの折れた靴を、島子は海に向かって投げた。
夜の高校。誰もいないプールにやって来ると、島子は服をすべて脱ぎ捨てて泳いだ。すると、プールサイドに近づく人影が。大介だった。「気持ちいいわね、夜のプールって」という島子に、「でも、こんなところで裸で泳いでると、悪い奴に襲われるぜ」と大介。
そして、二人は笑った。
新学期初日。島子は、緑の家の前に立っている。家から出て来た緑に、島子は大介が復学したことを告げた。
校舎裏には、緑と大介、そして完全には怪我の癒えぬ良夫がいた。「俺はこいつと仲直りしたぜ。お前は、どうなんだ?」と大介。しかし、煮え切らぬ緑の態度に腹を立てた大介は、嫌がる彼女を襲った。さらには、良夫をけしかける大介。激しい雨が打ち付ける中、泥にまみれた姿で緑は良夫に犯された。
校舎裏にやって来た島子は、泥だらけにになってしゃがみ込んでいる緑を見つけて彼女の隣に座った。島子は緑をプールに連れて行くと、服を脱いでプールに入った。「あなたもいらっしゃいよ」と島子に言われ、緑もプールに。
そのまま、すべてを洗い流すように二人は泳ぎ出すのだった。
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1977年に新藤兼人監督『竹山ひとり旅』でデビューした風祭ゆき(クレジットは、本名の吉田さより)は、にっかつからの出演オファーを一年くらい断っていた。若ければそれを踏み台にという考え方もありだが、年齢的に自分が今さら…というのが彼女の考えだったようである。オファー当時、彼女はすでに26歳くらいである。
しかし、大島渚のすすめで彼女はロマンポルノへの出演を決める。1980年公開の小原宏裕監督『赤い通り雨』である。そして、彼女は後期ロマンポルノを代表するスター女優の一人となった訳だ。本作も、彼女のクールな魅力が堪能できる一本である。
ただ、作品トータルで見た場合、後期ロマンポルノの映画的停滞の影を感じるクオリティという印象が否めないのも事実である。それは、物語構築や人物造形の粗さに起因する。
主人公の島子を始め、大介や緑、良夫といったドラマの中心人物たちの行動があまりに短絡的に過ぎるのだ。密告があった。疑った。退学した。レイプした。何となく、和解した。それで終わりである。
物語の行間にあるのは、都合のいい納得と、うやむやに爽やかな展開…といったものばかりで、そこに人間的な深みを感じ取ることができない。
それに、物語の傍系エピソードともいえる島子と一郎の関係が、取ってつけたようにご都合主義的ステロタイプなのも食い足りない。そもそも、島子が中絶したという設定も不要だし、湘南で大介と再会するお膳立てなら、濡れ場の消化も含めてもう少しやりようがあったのではないか?
この映画を支えるのは、ドラマ的には無軌道に燻り憤る大介の若き蒼さであり、ビジュアル的にはやはり風祭ゆきのスレンダーな肢体とクールな眼差しである。それに尽きる。
加えて、重要なシチュエーションとなる学校のプールのシーン。要所要所に挿入されるプールのシーンこそがこの映画のカタルシスであり、物語的には浄化の役割を担っているのだ。
とりわけ、夜のプールを全裸で泳ぐ風祭の姿には、まるで人魚の如き美を感じてしまう。これこそが、ロマンポルノ的な機能美であり、鑑賞することの喜びだろう。
本作は、ロマンポルノを代表する女優・風祭ゆきの輝きを再確認すべき一本。
彼女こそ、「クール・ビューティ」という形容が相応しい女優である。