川口英俊のブログ

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2007年08月

苦しみの素因・仏教雑談

苦しみの素因・仏教雑談

「シャボン玉はほしいと思いますか?」と聞いても、普通、誰も「そんなものはほしくは無い」と答える、というよりかは、「ほしいと思ってもすぐに持てなくなるものがシャボン玉じゃないか、そんなものは最初からいらないよ」と答える。

そう、シャボン玉は、あっという間に壊れる泡沫、すぐに形が無くなるもの、一瞬しか形が持たないもの、とみんなちゃんと理解している。であるから、もちろん壊れても形が消えても別に悲しくも苦しくも何とも思わない。

しかし、一方で、己の身体はどうであろうか・・みんないつまでもほしくてたまらない・・少しでも身体が変化して老いゆき、病となって壊れゆくと、死が近づくと、嘆き、悲しみ、苦しむ・・

所詮はシャボン玉も身体も、諸行無常なる中においては、泡沫で脆く崩れ消え去って滅してゆくものに変わりは無い、ではどうして一方では苦しみが生じないのに、一方では苦しみが生じてしまうのか・・

苦しみの原因がそこに隠れています・・それは、「執着」にあります。

諸行無常なる中、己の身体のみならず、あらゆる全てのモノ・現象がシャボン玉と同じだと理解でき、別に己の身体が崩れて壊れて死に近づいても、あらゆる全てのモノ・現象におけることも、当然に単なる生滅の変化だと悟れば、シャボン玉と同じように「ほしい」と思うことも無く、しがみつこうと「執着」することも無くなり、そうすると嘆き、悲しみ、苦しむことも無くなるというわけであります・・

・・平成19年度お盆施餓鬼法要後の法話の中で・・

私たちの苦しみの素因は執着から生じるわけであり、その執着を離す、無くすことで、苦しみから解脱できるようになるわけであります。

執着をもう少し分かりやすく私なりに述べると、価値・所有という誤った妄想を持ってしまうことでもあります。

価値についてもっと簡単に述べると、「特別」という考えとも言えます。私の特別の人・モノ・地位・名誉・財産・時代・・などなど。または主観的優劣・正誤・善悪も「価値」と言えます。

諸行無常、諸法無我なる真理に目覚めれば、当然に無執着、無価値、無所有に至るわけであります。しかし、無明に覆われてしまっている私たちが、そこへと至ることは相当に難しいものであるのも現実・・

無執着・無価値・無所有・・・

この三つをしっかりと理解すれば、心が安楽となり、貪・瞋・痴が無くなり、しかるべくに少欲知足となり、世の争い事、犯罪、戦争、資源の貪り、環境破壊なども無くなり、欲界も安楽になるわけであります。

この世においては、もともと何もしがみつけるものは無い、もともと何も価値は無い、もともと何も所有していない・・という諸行無常なる生滅の理を真に理解して、心の状態を禅定に保つ精進努力が大切となります。

更には、苦しみの生じる原因となる執着・価値・所有という妄想などの集まりである煩悩を完全に滅して、再び迷いの生存に戻ってこないように、輪廻転生の苦しみから解脱できるように涅槃へ向けて頑張らなければなりません。

今の己の身体が滅んでも、人類・生命が絶滅しても、地球・太陽が爆発して宇宙の塵となっても、この宇宙がやがて滅しても、繰り返す輪廻転生から完全に逃れない限りは、次の身体、人類・生命(欲界・六道、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)、地球・太陽、宇宙、色界・物質世界、に留まらずに無色界(欲界・色界を超越した精神的世界)にも輪廻転生し続けることとなり、その劫たるや何千兆年×千万にも亘る場合もあります・・滅しても生が起こるのは煩悩に素因があり、煩悩を完全に滅さない限りは、この生滅変化を繰り返す諸行無常なる一切皆苦からは全く逃れることはできないのであります。

川口 英俊 拝 平成19年8月22日

関連考察

「涅槃寂静」について
http://oujyouin.com/tayori1909.html
往生院だよりコラム 平成19年9月 彼岸号より

東大阪市(仮称)市民活動支援センター設立準備会・第10回世話人会

今日は朝から東大阪市立総合福祉センターへと行って参りました。

東大阪市(仮称)市民活動支援センター設立準備会・第10回世話人会の会議に出席。

報告事項、市民活動センター提言の取り扱いについて、市民活動センターの運営・財源・問題等について。

検討委員会・9月市議選などの日程も気にしながら、いよいよ機能・役割の次の具体的構想提言案の議論・検討に移ることとなって参ります。

とにかく一歩一歩であります。。

(仮称)市民活動支援センター・検討委員会の第一回会議録は下記ページに出ています。

東大阪市・市民生活部・まちづくり支援課
(仮称)市民活動支援センター検討委員会のページ

まちづくりメールマガジンも始まっています。ご興味のある方は是非ご登録下さいませ。
http://www.city.higashiosaka.osaka.jp/070/070170/index2.html

・・

東大阪市(仮称)市民活動支援センター構想イメージ図私案
http://www.hide.vc/imgs190617.html

・・

現在、東大阪市(仮称)市民活動支援センター設立準備会・世話人会における話し合いに参加しておりますが、とにかく議論における私の考えの要諦は、下記論説の中にもありますが、「市民活動・NPO活動の活発化により市の公益向上→住み良い町・働きやすい町・便利な町・安全な町・福祉の町・環境の町→住民増・各種地方税増収(固定資産税・住民税・法人税など)・地域消費拡大→ 市収入増・地域経済活性化→財政健全化→市民公共サービス向上(特に医療・福祉・高齢者介護など社会保障関連)にどのようにつなげていけるのかということ」であります。

そのためにも、〔唄嵌鷄塚セクターの包括的支援のための基幹組織、公益的社会活動・地域貢献活動・地域まちづくり市民活動の活性化・推進に係る社会資源間の協働確立のための基幹組織、8率的なまちづくりを目指すための基幹組織となること願っています。

・・

東大阪市・(仮称)市民活動支援センター設立準備について
平成19年3月3日〜3月13日
http://www.hide.vc/kousatu.html

「東大阪市(仮称)市民活動支援センターの設置運営のあり方について」
平成19年4月2日・CE東大阪・季刊誌・29号・寄稿・目線
http://www.hide.vc/kikou.html

特選論説・考察集
http://www.hide.vc/tokusen.html

第31回東大阪市民会議

昨日(8/9)に東大阪市民会議・平成19年度第5回・8月定例会に出席し、市民会議プランニング委員となって、これまで四回の定例会に参加して参りました。もちろん、委員となって一年目ですので、まずは市民会議の進行・流れの勉強からでございます。

さて、第31回東大阪市民会議の内容は既に決まって、広報案内もいよいよ始まりました。

東大阪市民会議は、住みよいまちづくりをめざす市民的な運動を推進することを目的として開催されます。

これまで30回にわたる提言において、実際にその提言が活かされた施策・市民活動がいくつも実現されて参りました。私が委員として来年で5年目となります東大阪市・市民ふれあい祭りも第3回の市民会議提言から開催されるようになりました。

市民会議の形式として、今回の場合では、まずメインテーマに則っての講師を招いての基調講演があり、その後、サブテーマごとの分科会が開かれて、それぞれにおいてプランニング委員が中心となって参加市民の意見を集約して、提言をまとめていく形となります。

これまでの形式では、各分科会ごとにも講師を招いて問題提起に関して助言して頂き、それからその講師を中心として意見集約を行う形、全く講師を呼ばずに委員が中心となって分科会を進めて意見集約を行う形などもあります。

市民会議の開催については、要綱において

一、市民会議は、住みよい東大阪市のまちづくりをめざす概ね300人の市民によって年2回程度開催し、会議は公開を原則とする。
一、市民会議は、市民による司会者によって進行する。
一、市民会議は、必要に応じ分科会を設けることができる。

とあり、

その市民会議を企画運営するためにプランニング・チームを置きます。

そして、プランニング・チームの主な役割は、

一、市民会議の開催及び運営に必要な事項を協議・決定し実践する。
一、市などから情報を求め資料を作成し討議された意見を整理・集約すること。
一、討議し集約された意見に基づき市民に広報し、広くよびかけるとともに市長その他関係機関に通知すること。

の三点であります。

とにかく、まずはしっかりと学んで参りたいと考えております。

東大阪市民会議

第31回東大阪市民会議
メインテーマ
「もったいない」の視点で市民が考える。

基調講演 「もったいない」
講  師  枚岡病院名誉理事長 川西主氏

第一分科会 テーマ 交通・環境マナーを市民が考える。
第二分科会 テーマ 学校と家庭の役割を市民が考える。
第三分科会 テーマ 行政と生活のムダを市民が考える。

平成19年10月8日(月・祝)午後1時〜午後4時
市民会館・大集会室(3F)近鉄奈良線・永和駅下車・南徒歩1分

参加事前申し込み必要・どなたでも自由にご参加お申し込み頂けます。
参加希望者は、電話・ハガキ・ファックスのいずれかで、お名前・住所・電話・希望分科会をご記入の上、事務局まで申し込み下さい。後日に案内ハガキを送付させて頂きます。

事務局 市役所地域振興室内 市民会議プランニングチーム
〒577-8521 東大阪市荒本北50番地の4
TEL 06-4309-3161
FAX 06-4309-3861

どうぞご興味のある方はお気軽にお申し込み下さいませ。

第31回東大阪市民会議・チラシ案内


とにかく市民活動も一つ一つであります。。

「涅槃寂静」について

「涅槃寂静」について・往生院だより・9月お彼岸号コラム
http://oujyouin.com/tayori1909.html

 今回は、仏教における四法印の一つである「涅槃寂静」(ねはんじゃくじょう)について考えて参りたいと存じます。
 涅槃寂静とは、簡単に述べますと「苦しみから解脱した静かで安楽なる悟りの境地」のことですが、苦しみの原因である煩悩・執着が完全に滅されて、再び三界(欲界・色界・無色界)の中に輪廻転生しなくなったことを意味します。
 この涅槃寂静に至るために、つまり、煩悩・執着を滅するために真なる理解が必要となるのが、何回かこの往生院だよりのコラムにおいても取り上げて、考えて参りました「諸行無常」・「諸法無我」という真理であります。
 しかし、「煩悩・執着を無くせ、滅せよ」と何度も述べてみたところで、やはり抽象論過ぎて、なかなかピンとこない部分があると考えます。そこで、今回は一歩踏み込んで具体論を扱ってみようと思います。但し、もしかすると、やや読みながら少し不快に思われるかもしれませんが、その点まずはご了承の程を賜りますればと存じます。
 まず、世俗における幸せごと、楽しみごと、歓びごとの具体例として、「結婚をする」、「子どもをもうける」、「出世する」、「友達・仲間を作る」、「財産を殖やす」など、たくさんありますが、現実において、では本当にそれらのことによって「幸せになった」といえるものなのかどうかについてであります。
 残念ながら、仏教においては、上記のことで本当に「幸せになる」ということはほとんどあり得ず、逆に「苦しみとなる・不幸になる」ことの方がはるかに多いとして危惧し、注意・警戒しなければならないとしています。なぜならば、上記のことで確かに一瞬・一時の快楽・幸せ・満足感・充実感があったとしても、あくまでもほとんどの場合が、一過性で、麻薬のようなものであり、結局は「執着、愛執、得た・有したという妄執」を抱えてしまうことによって、迷い・苦しみ・不満・不安が増える結果となってしまうからであります。また、世俗における争い事、様々な犯罪の原因もほとんどが上記のことに依拠しています。つまり世間においては、執着・煩悩の種となる原因を自ら喜んで作ってしまって苦しんでいるという皮肉なことが言えるわけであります。
 しかし、今さらながらにも「結婚をする」、「子どもをもうける」、「出世する」、「友達・仲間を作る」、「財産を殖やす」など、これらのことが悪い、ダメ、 やってはいけないということではありませんし、もちろん、そんなことを世俗において言ってしまったら嫌悪感を持たれて、何を言っているのだと逆に激 しく抵抗されてしまうだけのことであります。
 では、一体、何を一番に伝えたいのかというと、つまり、所詮は諸行無常・諸法無我の中、本来無一物であり、己の身体でさえも既に刻々と己のもの(所有)では無くなりつつあるのに、ましてや、「私には妻、子ども、仲間、地位、名誉、財産がある」と言っても現実は何も自分のもの(所有)になっているわけではなく、また、当然にそれらにしがみつけないし、囚われてもいけないし、こだわれないし、変わっていくものであり、何も頼りにもならず、思い通りにもならず、期待もできないということをちゃんと理解して、「執着、愛執、得た・有したという妄執」を無くしなさい、離しなさい、ということであります。そうすれば、無理に執着してしがみついて離さないように抵抗したりせずに、苦しまずに済むのであります。
 無理に執着して貪り・怒りを増幅させてしまっていけば、やがては、争い事・犯罪に巻き込まれてしまって、挙句の果てには殺人(または自殺)などの罪を犯 してしまう、更には殺されてしまうという災いにまで及び、身を滅ぼす結果となってしまうことも世間においては多々見受けられることであります。
 ですから、この世においては何も与えられてもいないものは欲さずに、例え欲を出して何かをするにしても、あるいはしてしまったとしても「執着」はしないということが第一で、貪らず、怒りも抱えず、迷惑もできる限り掛けず、「少欲知足」において過ごすことが大切になると考える次第でございます。
 但し、ここで勘違いしてはいけないことに、執着を無くすことと、自分の責任・義務を放棄することは当然に違います。例えば、執着を無くすのだと、幼い子どもを捨てたり、ほったらかしにするのは当然に悪行為で罪となります。子どもに対して親としての保護責任・監督責任は果たす必要があります。このような場合には、一人前の立派な社会人にまでしっかりと育てて、それから子どもに対しての執着を無くすようにすれば良いのであります。
 とにかく、諸行無常・諸法無我の理解を深め、執着・煩悩の種となるものをできる限りに抱えない、作らないようにして過ごしていくことが仏教的な賢い生き方というわけであります。そして、最終的には、「執着を無くすのだということにも執着をしない」というところにまで至って、再び迷いの生存に戻ってこないように、再び三界(欲界・色界・無色界)の苦しみの中に戻ってこないようにと、日々勤め励んで精進し、涅槃寂静へと向かうことが仏教の目標であると考えております。

 川口 英俊 合掌 平成19年8月5日

これまでのコラムバックナンバー
http://oujyouin.com/tayori.htm
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