【大震災・空と縁起と】大震災天罰論私見・ツイッター投稿シリーズ内より(12-47)・・

12大震災天罰論がありますが、地震に対する功罪判断、善悪判断は、人間の都合による恣意的思惟分別によるところが大きく、地震そのものは大自然の営みの一つであり、功罪・善悪も関係なく、ただ空・縁起によるところの現象に過ぎないものであります。

13 空・縁起によるものに過ぎない事象・現象について、天罰か、天佑か、そのどちらでもないか、という判断も人間の恣意的思惟分別によるところが大きく、あまりとらわれてしまうといけないものであります。では、なぜ天罰論が出てくるのか?

14 天罰論は、今のこの国の社会・世情や体制・システムなど色々なあり方に対しての不満があり、自分の思い通りの理想の世の中にならないことへの不満から、「それ見たことか、お天道様が罰を下したのだ」というような主張ではないかと思われます。

15 何事も思い通りにならない、求めても求めても得ることができないという不満によって、様々な煩悩が生じ、悩み迷い苦しむことが、八苦の一つ、「求不得苦」であります。大震災天罰論もこの苦しみから生じているものではないかと考えられます。

16 また、天罰論は、神仏などを実体視、絶対視してしまっている過ちからも生じてしまっているように存じます。もちろん、神仏も空・縁起においてでのありようであり、当然に「有」でもなく、「無」でもないものであります。

17 また、大震災天罰論には、この度の厄災をとにかく誰かの責めにして解決満足、決着させたいということもあるのでしょう。自然の責めや神仏の責めにはできない、であれば人間の責めにしよう、ということでの罰が下ったのだという意もあるのでしょう。

18 とにかく、今回の大震災を誰かの責めにしたいのであれば、空・縁起なることを認めれずに色々と誤って実体視して、とらわれを起こし、煩悩を抱え、迷い苦しみ不満に陥ってしまっている己自身を責めることの方が最も重要なことでありますでしょう。

19 少し大震災天罰論につきましてコメントをさせて頂きましたが、本来は、「災」や「厄」という文字は使うべきではないのでしょう。「災」や「厄」を使うと、人間の恣意的思惟分別によって固定された価値判断に陥ってしまう恐れがあるからです。

20 16において『神仏も空・縁起においてでのありようであり、当然に「有」でもなく、「無」でもないものであります。』と述べさせて頂きましたが、決して「神仏は無いと言っているわけではない」ので、誤解のないように宜しくお願い申し上げます。

21 また、大地震天罰論では、過去のありようを美化しようとするバイアスもかかってしまっているのではないかと推察致します。大自然・神仏への畏敬の念、崇拝の念が昔より少ない、昔より人間は傲慢になってしまった、といった主張であります。

22 昔も今も人間の愚かさ、無明を抱えているありようはそうは変わっておらず、そのような中で、過去と比べて大自然・神仏への畏敬・崇拝の念の大小、人間の傲慢さの大小を述べてもあまり意味のないことであると考えております。

23 つまり、過去は良かったのに論などで、猛省を促すのではなく、もっと私たちは根本的な無知、無明を抱えているがゆえにいつまでも迷い苦しんでいるのだ、という視点からも、現実的にとらえていかなければならないことがあると考えております。

24 大地震天罰論に関しましての私見の追記(19-23)を末木文美士先生のブログのコメント欄にも追記させて頂きました。 http://bunmao.cocolog-nifty.com/blog/ @bunmao

25 大地震天罰論に関しましての私見(12-23)を述べさせて頂いて参りましたが、その内容において、時間論の扱いや、非有・非無に関しての中観帰謬論証派の立場からの補足などについて、また後にも考察して参りたいと存じます。

26 次のダライ・ラマ法王猊下のお言葉については、二諦に関しての重要な視座を有している。・・先日の米・USC講演から・・「人は祈るだけでは幸福になれない。この幸せな人生というのは宗教的な概念ではない。幸福は世俗的な概念だ。..(続) 

27 ..だから、私の〔この話の〕目的は世俗的なものである」・「私は仏教徒だ。私は仏法を尊んでいる。しかし、私はいつも世俗について語っている。」(訳参照・石濱裕美子氏)・・法王猊下は、常に二諦を明確に意識して語られています。

28 もちろん、二諦とは、世俗諦と勝義諦のことであります。仏教者が仏法を扱うときには、語り手も聞き手も常に二諦を意識しておく必要があります。二諦の理解レベルの差異により、一つのコトバでも大きく解釈に相違が生じることがあるからであります。

29 この度の大震災に関して、例えばダライ・ラマ法王猊下のようなレベルの高いラマが語られたこと、あるいはこれからも語られることは、その対象が世俗一般人であれば、やはり世俗的なレベルに合わせて語られているということになります。

30 ですから、4/29に法王猊下が語られたことも、まずは世俗諦的なこととしての理解が必要となります。それでは、猊下は、勝義諦的なことを語られることはあるのか・・厳密には語られることは無いと言えます。つまり、「勝義無」であります。

31 確かに厳密には、勝義無でありますが、勝義諦を指向するところにおける世俗(言説)有なる言語表現までは否定されることではないと考えます。しかし、その場合にも、二諦の了解レベルの差異による理解の差異は生じてしまうでしょう。

32 世俗(言説)有の扱いに関しては、ツォンカパ論師の捉えている「正理の理解」も必要となってくるところでありますでしょう。この浅学非才の未熟者、まだまだでございまして、大変に申し訳なく存じております。

33 何とか、法王猊下の勝義諦を指向なされるところの世俗(言説)有の展開に関して、二諦を意識しつつ、少しでも理解が進みますように、これからも精進努力して行かなければならないと存じております。

34 ただ、もちろん、勝義無とはいえども、単なる無分別知、戯論寂滅が、果たして最高真理であると言えるのか、最高真理として扱うべきであるのかどうかについては、まだまだ十分な考察が必要であると考えております。

36 「正理の考察」に関して、〔ダライ・ラマの仏教哲学講義・p237〕を参考。1.対象は日常的な世界において認められている(世間極成)。2.日常世界における(世俗的な)正しい認識と矛盾しない。3.究極的なものを考察する正しい認識と矛盾しない。

37 中観帰謬論証派では、存在は、ただ概念的に認識思惟分別によって仮説・仮設・仮名されただけに過ぎないものとされ、それはもちろん虚無でなく、存在における効果的作用能力も認められており、縁起するものとして成立していると説明されます。

38 また、効果的作用能力の無い存在は、存在としては認められません。概念的な認識思惟分別において仮説・仮設・仮名されたものでも、36で挙げさせて頂きました「正理の考察」を経た上で認められるものでなくてはなりません。

39 では、様々な如来様・菩薩様・明王様など御仏の存在は、果たして「正理の考察」に耐えうるものであるのかどうか、効果的作用能力があるのかどうか・・ここの見極めが、仏教に携わる全ての者たちにとっての一大事であると考えております。

40 もしも、各御仏方、また、各神々の存在が、「正理の考察」に耐えれず、「効果的作用能力」が無いとなれば、ただの観念的・空想的な虚構の存在となってしまいます。ここの見極めが、浅学非才のこの未熟者、非常に難しい課題としてあります。

42 末木文美士先生 @bunmao が「天罰」問題以後の論点をまとめられて、ブログに「自然はただの自然か?(1)・(2)」をアップされておられます。 http://bunmao.cocolog-nifty.com/blog/

43 大地震天罰論に関して、末木文美士先生 @bunmao の再問題提起を受けまして、この機会に仏教における「有情と無情」の定義におけることと併せて、「仏性内在論」・「仏性顕在論」の問題等についても再考察して参りたいと存じます。

44 43の内容に関しての考察に入ろうと思いましたが、ふとその前に末木文美士先生の論考 http://t.co/jl0MUi6 を読ませて頂く中で、宿命論・決定論について考察する必要性もあるかと考えております。 

45 大地震天罰論に関して、「宿命論・決定論」と併せて「神の存在証明」からも末木文美士先生 @bunmao の論考内容を考えていかねばならないと思っていますが、その前に、自身、基本的な論点を学び直さないといけなくなってしまっています。

46 大地震天罰論に関して、神は有るのか、無いのか、そのどちらでもないのか、という議論は、本来は無記・戯論として仏教では退けられるものです。ただ、確かに勝義無であるものの、世俗有として仮説できるものであるのかどうかが目下の課題。

47 末木文美士先生 @bunmao 大震災天罰論に関する私見のコメントに関して、吉村均先生から丁寧なるコメントを賜っておりました。本日に気づきました・・誠に遅くて申し訳ございません・・ http://t.co/3EkFSWU

・・続く予定。

【大震災・空と縁起と】1-11
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52002925.html

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「法華経の省察―行動の扉をひらく」
ティク・ナット・ハン師原著 翻訳・藤田一照氏 春秋社


空・縁起思想と仏性・如来蔵思想における課題の解決は、現代仏教学においてもいまだ一大関心事であり、特に仏性・如来蔵思想を扱う法華経の解釈は、空と縁起に基づいて丁寧に行わないと大きな誤解が生じる危険性があります。

震災へ寄せた師のメッセージから、「・・このたびのような出来事は、命のはかなさ(無常)を我々に思い起こさせます。そして、お互いを愛し合い、お互いのために存在しあい、生かされている一瞬一瞬を大事にして生きることが、我々にとって一番大切なことだということを思い出させるのです。そのような生き方をすることこそが亡くなった人々のためにわれわれができる最善のことです。そうすれば、われわれは、亡くなった人たちが自分たちの中でこれからも美しく生き続けるように、日々を生きてゆくことができるからです。・・(抜粋ここまで)」 

読了直後の感想「爽やかな風が吹き抜けた感覚」。空(無自性・無実体)と縁起(相互的存在性)からも果敢に法華経と真摯に向き合われた師の痕跡が随所にみられ、新たな法華経解釈の扉を確実にお開きになられたものと存じます。

著書の中で何度も出てくるキーワード「マインドフルネス」の実践。五観(真観・清浄観・智慧観・悲観・慈観)の実践として、その内容が理解しやすく解説されていて誠に参考となります。

やはり菩薩行に実地にご精進なされている師による著書の内容は明らかに伝わるものが他とは異なる。佐々井秀嶺師「必生闘う仏教」の内容とも伝わってくるところが相似している。色々と考えさせられます。

僧侶として智慧・慈悲の実践を実地になされている師によって解説されている内容だけに、非常に説得力があり、理解も及んで参ります。歴史的次元・本源的次元・行動的次元・・色々と考えさせられます。

これまでの仏教思想・哲学の論考考察において、法華経の内容についての学びは意図的にまだ進めておりませんでしたが、なぜか本書は惹かれるところがあり、少しこの機会に本書にて法華経の学びを進めてみることと致しております。

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東日本大震災 ツイッターにて情報収集・情報発信が中心
http://twitter.com/hide1125

ツイッター・ログ
http://twilog.org/hide1125

大地震天罰論・末木文美士先生 @bunmao の論考内容について「神の存在証明」を考察していた中における宇宙物理学権威のこの発言は興味深いが・・。宇宙の創造に神は必要ない=ホーキング博士 | 世界のこぼれ話 | Reuters http://t.co/oJ4mdeC

本来は、無記、戯論として仏教では退ける議論でもあるが、空と縁起、非有・非無、正理の考察、効果的作用能力の有無等から、今一度、考察してみようと存じます。 宇宙の創造に神は必要ない=ホーキング博士 | 世界のこぼれ話 | Reuters http://t.co/oJ4mdeC

やはり、無記・戯論として仏教では退けられる議論の範疇にしか過ぎない。ただ、確かに勝義無であるものの、世俗有として仮説できるものであるのかどうかが目下の課題。宇宙の創造に神は必要ない=ホーキング博士 | 世界のこぼれ話 | Reuters http://t.co/oJ4mdeC

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【小池龍之介師 宗派離脱・単立寺院化】ツイッターコメント投稿・1-22
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52003212.html

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【4.29 ダライ・ラマ法王・震災特別慰霊法要・報告集】
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52002104.html

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東日本大震災・被災地にて震災犠牲者追悼慰霊御供養のご報告
(往生院だより・第68号寄稿文)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin/archives/51854274.html

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被災地入り・ご報告・1-55
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51999166.html

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改めまして、この度の大地震にて被災されました皆様方には心からお見舞い申し上げます。また、お亡くなりになられました方のご冥福を心からお祈り申し上げます。これから、私にできる支援、協力を考えて、実践致したく存じております。川口英俊拝

3/11・東日本大地震発生時より#buddhajihiのハッシュタグを利用して収集させて頂いて参りました「仏教・寺院・僧侶による支援の情報」の全ての過去ログは、Twilogにおいて閲覧して頂くことができます。

http://twilog.org/hide1125/hashtags-buddhajihi

http://twilog.org/hide1125

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他、これまでの考察シリーズは下記をご参照下さいませ。
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives

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少し話題が私事となりますが、高校時代からの親友が、上海に店を出して独立開業。以前より仏具で所望しておりました虎目石の数珠を頼みますと、早速に作って頂きまして、ご購入させて頂きました。

この親友とは、若き頃にお互いの生きる道、志を熱く語り合った仲。

当時からチベットについてかなり興味を示しており、大学進学・卒業後もその関連の道から外れずで、いよいよ本格的に。初志貫徹。すばらしい。。

ジービーズ(チベット天珠)のChagamo Craft チャガモクラフト
http://chagamocraft.ocnk.net/
【Chagamo Craft ではチベットのジービーズ(Zdi Beads・天珠) や琥珀、雲南・貴州省などの山岳民族衣装、その他希少なアンティークアクセサリー、天然石パワーストーンアイテムなどを取扱っています。】

ポリシーも熱いです。サイトトップの下段にある「店主のこだわりとコンセプト」を参考に。。

ブログも。

『旅遊のすすめ』〜団長のブログ〜
http://ameblo.jp/phoo-cha/

所望して、お作り頂いた虎目石の数珠の画像を下記に。何でもチベット仏教・タール寺・ゲルク派・元僧侶に作って頂いたもの。タール寺(塔爾寺)の地は、チベット仏教ゲルク派の開祖・ツォンカパ論師の生誕地。誠に凄く縁を感じます。。

ちなみに、所望する要因となったのは、ダライ・ラマ14世師の半生を描いた映画「クンドゥン」で主人公役の使っておられた数珠を観た時から一目でほしいと思っておりましたのです。。

タール寺・ゲルク派・元僧侶にお作り頂けるとは、とても思っておらずでありましただけに、嬉しさ倍増でありました。親友の縁のすばらしさに感動。大切に仏事にて使わせて頂きます。本当にありがとう。。

是非、皆様も何かご所望のお品、色々とご興味がおありでしたら、ネットを通じてでも連絡してあげて下さいませ。