往生院だよりコラム・十三仏シリーズをアーカイブとしてまとめさせて頂きました。

前半 初七日忌〜四十九日忌

十三仏・初七日導師「不動明王」様

 これから、シリーズにて十三仏につきまして私なりにまとめさせて頂こうと考えております。今回は、まず初七日の導師である不動明王様について扱わせて頂こうと存じております。

 不動明王様は、弘法大師空海が最初に大陸より日本へと伝えたとされる密教特有の尊格である明王の一つであります。

 密教の根本尊である大日如来の化身、あるいは、その内証・内心の決意を表現したものと見なされています。

 密教では、一つの「ほとけ」が、自性輪身・正法輪身・教令輪身という三つの姿で現されているとし、自性輪身・如来は、宇宙の真理・悟りの境地そのものを示し、正法輪身・菩薩は、仏説を説法するお姿を示し、教令輪身・明王は、仏法に従わない者を教化し、仏敵を退散させる実践的な働きを示し、不動明王様は大日如来の教令輪身とされています。

 不動明王様は当山では、奥の院の更に山を分け入った奥の岩瀧、境内御仏方における無縁塔のお隣と、十二支・酉年の御守本尊の三体が祀られております。

 不動明王様は、よく子どもさんが「こわい」と言うように、憤怒・鬼の恐ろしい形相をしています。これは、煩悩を抱え、もっとも救いがたい私たち人間衆生を力づくでも救おうとしているためであります。

 「不動」とされるゆえんは、釈尊が悟りを開くために最後の瞑想修行に入られた時、菩提樹の下に座して、「悟りを開くまでは、この場を立たず」と決心されて、数々の世界中の魔王(煩悩)が釈尊を挫折させ、その場を動かさせようと押し寄せてきたものの、釈尊はついに負けず動かずに悟りを開かれたところにあるとされています。常に穏やかで慈しみに溢れた表情をされている釈尊も、この時における魔王たち(煩悩)と戦った時には、心の中は凄まじい憤怒・鬼の形相であったことが、まさに不動明王様のお姿に現されていると言えます。

 不動明王様のお姿は、怒りによって逆巻く髪はまとめ上げられて弁髪となっており、法具は極力付けない軽装で、法衣は片袖を破って結び、右手に降魔の三鈷剣(魔・煩悩を断ち切って退散させる剣)、左手に羂索(悪を縛り上げ、煩悩から抜け出せない衆生を救い上げるための投げ縄)を握りしめ、更に火炎・迦楼羅焔(劫・見・煩悩・衆生・命の五濁のうち煩悩から生じる人間の三毒である貪・瞋・癡を食らい尽くす伝説の火の鳥の炎)を背負い、憤怒の形相で粗岩の上、「一切の衆生を救うまではここを動かじ」と決意されている像容であります。

 当山の境内無縁塔の隣におけるお不動さんの前には、八大童子のうち「こんがら童子」「せいたか童子」の二体も祀られています。

 お不動さんをお参りされる際には、五濁のうち特に煩悩から生じる三毒である貪(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(おろかさ)を反省することが誠に重要であります。また、亡くなられました方は初七日に、不動明王様から煩悩を滅するための重要な教説を受けることとなります。そのため、しっかりと御供養申し上げることが大切となるでしょう。合掌。

不動明王慈救咒

のうまく さんまんだ ばさ(ざ)らだ(ん) せんだ(ん) まかろしゃだ(や) そ(さ)はたや うんたらた かんまん


十三仏・二七日導師「釈迦如来」様

 十三仏シリーズの二回目は、皆様ご存じの仏教の開祖・お釈迦様でございます。お釈迦様は、紀元前五世紀頃、現在のネパール国境付近であったカピラヴァストゥ地方・釈迦族にお生まれになられ、本名はガウタマ・シッダールタ王子でございました。

 王子として富貴栄華に恵まれながらも、人間の根源的な苦しみである生老病死を超えていく方法を見つけるべくにご出家なされ、苦難の修行を経られた後、ついにお悟りを開かれて、目覚めた者「ブッダ」となられ、入滅されるまで、そのお悟りの内実について、様々に方便を用いて伝道活動を精力的に続けられました。仏教の基本的な教えとなるのが、「諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静の四法印」、「苦諦・集諦・滅諦・道諦の四諦」などとなります。

 お亡くなりになられて引導を受け、戒名を授けられて仏弟子となられた方は、二七日の日にお釈迦様より仏教の基本的な教えを賜ることとなります。仏教の基本的な教えにつきましては、これまで施本シリーズで私なりにある程度解説させて頂いておりますので、ここでは詳しくは扱いませんが、施本シリーズはホームページでも内容を全て公開しておりますので、この機会に学びの参考の一助となりましたら幸いでございます。合掌。
 
ご真言「ナウマク サウマンダボダナン バク」 


十三仏・三七日忌導師 「文殊菩薩」様

 三七日忌の導師は、文殊菩薩様でございます。文殊菩薩様は、空思想を説く般若教典や維摩(ゆいま)経に登場し、般若の智慧に優れた菩薩様として有名であります。

 お釈迦様入滅後、第一回仏典結集(けつじゅう)に参加した実在の人物であると目されていますが、大乗教典においては、徐々に神格化されて扱われる側面が強くなっていきます。

 大乗仏教において、空思想の理解は、基本中の基本であるものの、やはり難解至極で、その空思想を確かに説かれるため、智慧に優れている菩薩様として尊敬されているわけであります。このことが高じて、「三人寄れば文殊の知恵」という諺もあります。

 文殊菩薩様が登場なされるお経の中で、もっとも有名なものは、やはり「維摩経(不可思議解脱経)」であります。維摩居士との「不二法門」におけるやりとりは、空思想を考える上で、実に重要な内容となっています。私の拙著の施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」の第五章「般若思想について」において、少しだけ「維摩経」について触れさせて頂いております。

 文殊菩薩様のお姿は、獅子の背の蓮の華の上に座禅されており、右手に智慧を象徴する宝剣、左手に経典を持たれています。

 お亡くなりになられ、お葬式後、仏道を歩まれておられる方は、三七日忌において、文殊菩薩様より般若の智慧について重要な教説を受けられることとなります。特に、常日頃、私たちが実体の無い空なる世界において、様々なモノを実体視して執着してしまう誤った見方を正させるように働きかけて下さいます。

 私たちも迷い苦しみ、煩悩の第一原因である我執を滅ぼすことに精進していかなければなりません。

ご真言「オン アラハシャノウ」


十三仏・四七日忌導師「普賢菩薩」様

 四七日忌の導師は、普賢菩薩様でございます。普賢菩薩様は、十方世界に普くに現れ、方便を用いて仏法を説き、人々を救うとされる菩薩様であります。

 白象の背の蓮華座上に結跏趺坐(けっかふざ)して合掌されているのが一般的なお姿となっています。

 白象は、徹底した仏道行、衆生済度の利他行を表しています。また、白象には、牙が六本あり、基本的な大乗仏教の仏道行である「六波羅蜜(ろくはらみつ)」(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を表しているとされます。

 智慧の文殊菩薩様と共に、慈悲行の普賢菩薩様として、お釈迦様の脇侍(向かって左側)菩薩として鎮座されて奉られることもあります。

 また、密教の世界では、菩提心(悟りを求める強い心)を堅固に持った者として、金剛薩た(こんごうさった)と同一視されることもあり、大日如来の教えを受けた菩薩として、金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)と呼ばれることもあります。

 法華経においては、智慧と慈悲を兼ね備えて実践行に精進する菩薩様として描かれていることから、法華経を重んじる仏教徒たちからは、篤く信仰対象とされています。

 四七日忌において、仏道を歩まれている故人は、普賢菩薩様の方便による仏説を聴くことで、菩提心を強めて、より一層に六波羅蜜、慈悲利他行への精進を進めていくことを目指して参ります。

ご真言「オン・サンマヤ・サトバン」


十三仏・五七日忌導師「地蔵菩薩」様

 十三仏シリーズ、今回は、五七日忌の導師、皆さまにも非常に馴染み深い「地蔵菩薩」様でございます。大自然の大地が様々な恵みをもたらすように、大いなる慈悲の心を蔵する地蔵菩薩様は、その慈悲の心により、迷いの世界で苦しむ衆生たちに恵みをもたらし、お救いくださる菩薩でございます。

 お釈迦様が入滅されてから、五十六億七千万年後に弥勒菩薩様が現れるまでの間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)において迷い苦しむ衆生を救うために現世にお出でなされたという菩薩でもあります。一説(地蔵十王経)には、閻魔大王(五七日忌の裁判官)の化身ともされています。

 六道のそれぞれにおいて、地蔵菩薩様がおられ、「六地蔵」として有名であります。地獄道は、檀陀(だんだ)地蔵様、餓鬼道は、宝珠地蔵様、畜生道は、宝印地蔵様、修羅道は、持地地蔵様、人道は、除蓋障(じょがいしょう)地蔵様、天道は、日光地蔵様として、当山においてもお祀りさせて頂いております。六地蔵様の各名称は一定しておらず、「大日経疏」では、地獄道から順番に、大定智悲地蔵様、大徳清淨地蔵様、大光明地蔵様、清淨無垢地蔵様、大清淨地蔵様、大堅固地蔵様と呼称されてもいます。

 日本においては、子ども・水子さんを護る菩薩様としても有名であり、当山においても毎月二十四日には、境内・地蔵尊前にて月例の御水子供養、そして、毎年八月二十四日には、地蔵盆として、提灯を飾り付け、子どもたちが喜ぶ御菓子類をお供えし、ご法要を行います。その際に読経する「賽の河原地蔵和讃」の内容においては、幼く亡くなった嬰児(水子さん)たちは、娑婆と冥途との境である賽の河原を渡ってあの世の世界へと至ることができず、右も左も分からない賽の河原において留まり、寒く、石ころばかりの中をさまよい歩き、親恋しさと足の痛さ、ひもじく、つらく寂しい思いでしくしくと泣きながらも、娑婆に残った父、母、兄弟たちを想って、石積み組んで回向供養したりして一人で遊ぶものの、やがて日暮れともなると地獄の鬼が現れて、せっかく積んだ石積みを壊されたりして、追い立てられ、いじめられてしまっている、そんな中、地蔵菩薩様が現れられて、「私を父母と思って頼りにしなさい」と水子さんたちを慈悲の心で温かく包み込み、冥途の旅へと連れだっていくのであります。まさに衆生済度(あらゆるものたちを迷い苦しみから救い出す)の誓願を持たれている菩薩様のお役目を示す意義深い内容であります。

ご真言「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」合掌


十三仏・六七日忌導師「弥勒菩薩」様

 六七日忌の導師は、弥勒(みろく)菩薩様でございます。弥勒菩薩様は、サンスクリット語では「マイトレーヤ」と呼称され、慈悲の現れの菩薩として、「慈氏」・「慈尊」菩薩とも言われて、お釈迦様在世時には、実際に実在した人物であると目されています。

 お釈迦様入滅後、五十六億七千万年後に現世にお出ましになられて衆生を救済する如来として、お釈迦様から指名された菩薩でもあり、現在は、兜率天(とそつてん)で菩薩行にご精進なされているとされています。

 弥勒信仰として、特に末法と呼ばれるような時代になると、救世主待望論が高まる中、弥勒菩薩様への信仰が篤くなることがあります。

 また、七福神として有名な「布袋」さんは、弥勒菩薩の化身と言われることもあります。

 弥勒菩薩様の仏像は、瞑想にふける半跏(はんか)思惟の美しいお姿で表されるのが代表的で、優しく微笑まれているのが印象的です。

 現在は、兜卒天にて、どのようにして迷い苦しむ衆生たちを涅槃へと導いていくべきかを慈悲の御心にて思惟されているのでありますでしょう。

 誠に如来として現世にお出ましになられるのが、待ち遠しい限りでございます。

ご真言 オン・マイタレイヤ・ソワカ


十三仏・四十九日忌導師「薬師如来」様

 十三仏シリーズ、今回は、四十九日忌の導師、「薬師如来」様でございます。

 薬師如来様のご容像は、右手は施無畏印(衆生の様々な畏れを無くし、安心を与える施しを行う慈悲の印)、左手は与願印(衆生の願いを聞き入れ、望むものを与えようとする慈悲の印)で薬壷(やっこ)を持つのが一般的な特徴でございます。

 薬師如来様は、西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来様に対して東方浄瑠璃世界の教主で、正式には、薬師瑠璃光如来様、異名で大医王仏様と呼称されます。東方浄瑠璃世界の仏国土において、日光・月光菩薩・十二神将などの方々と共に衆生を見守っておられます。

 薬師如来様は、菩薩の時代における十二の大願を成就なされて、お悟りを開かれて如来様と成られました。その大願の一つに「除病安楽」(衆生の病気を治し、安楽を与える)の項目があり、病気を治癒して頂ける仏様であるとして、現世利益的な信仰が厚くあります。しかし、実際のところ、「衆生の病気」とは、迷い苦しみの輪廻の中にある私たちそれぞれの煩悩・業(カルマ)のことであり、真理を知らずに悪業を積み重ねてしまう「無明(むみょう)」のことでもあります。

 ですから、「除病安楽」とは、御仏の智慧・慈悲による様々な方便を用いて、それぞれの煩悩・業(カルマ)・無明に応じ、それを退治するための処方箋(薬)を薬師如来様がお与えになられるということと理解するのが良いでしょう。また、もう一つは、悟りを目指して頑張って修行している者の病気などによる修行の進みの妨げ、障りを除くということもあるかと存じます。

 四十九日忌においては、お亡くなりになられました方が、煩悩・業(カルマ)・無明を除滅させて、無事に修行が進むようにと御供養申し上げることが大切なこととなります。

ご真言「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」合掌


往生院だよりコラム・十三仏シリーズ・アーカイブ後半
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最近の仏教思想関係の主な考察についてのまとめ集
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コラム「追善供養・功徳回向の考え方について」 1〜4
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他、これまでの考察シリーズは下記をご参照下さいませ。
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