往生院だよりコラム・十三仏シリーズ・アーカイブ後半

百日忌〜三十三回忌

十三仏・百日忌導師「観音菩薩」様

 サンスクリットでは、「アヴァローキテーシュヴァラ」、「遍く観る自在者」として、漢訳では、観自在菩薩、あるいは観世音菩薩と呼称されて、登場される代表的なお経としては、般若心経や観音経(法華経・普門品)があります。

 般若心経では、釈尊の十大弟子の一人「舎利弗」(シャーリプトラ)に深遠なる「空」の教えをお説きになられておられます。

 大慈大悲のご誓願の下、智慧を備えて真理を観られる中、迷い苦しみにある衆生の救済のため、変化自在に顕れられる菩薩様でもあり、その変化身は、六から三十三と多く、代表的な六観音として、六道輪廻と対照されて、「地獄道・聖観音」、「餓鬼道・千手観音」、「畜生道・馬頭観音」、「修羅道・十一面観音」、「人道・准胝観音(または、不空羂索観音)」、「天道・如意輪観音」がございます。

 現世利益的な存在としての信仰が篤いですが、衆生それぞれの迷い・苦しみに応じ、方便によってその者の機根(仏法の理解力)に合わせて真理をお説きになられる菩薩様であると考えるのが良いでしょう。

 また、チベット仏教における代々の転生ラマであるダライ・ラマ師は、観音菩薩の化身とされており、篤く信仰されています。

 百日忌は、異名として「卒哭忌(そっこくき)」とも言いますが、その意は、「激しく嘆き悲しむ(哭)ことを終える(卒)ための御供養」ということでもあります。

 あまりに残された遺族が故人への嘆き悲しみの想い、苦しみにとらわれてしまっていると、故人の仏道精進の妨げとなってしまうため、百日忌の供養を機として、卒哭しましょうということでもありますでしょう。

 ご真言「オン・アロリキヤ・ソワカ」


十三仏・一周忌導師「勢至菩薩」様

 勢至(せいし)菩薩様は、サンスクリット語で「マハースターマプラープタ」、「偉大な智慧の勢いのある力を獲得した者」として、阿弥陀如来様の右側の脇侍として控えられて、阿弥陀三尊の一尊を担われています。左側の脇侍は、百日忌導師である観音菩薩様で、慈悲の観音菩薩に対して、智慧の勢至菩薩として敬われています。

 観音菩薩様の頭頂の宝冠には、化仏が頂かれているのに対して、勢至菩薩様の宝冠には、水瓶が頂かれており、水瓶の中には、甘露の法水(智慧の恵みの喩え)が溜められていると言われています。そして、お身体には装身具をまとわれ、軽く合掌なされておられます。

 勢至菩薩様は、その偉大なる智慧の勢力にて、迷い苦しみにある一切の衆生に菩提心(悟りを求める心)を起こさせて、修行・善行・慈悲行に励まさせて、何としても悪趣の世界(地獄・餓鬼界)に輪廻することのないように救済して下さる菩薩様であります。「大勢至」とも呼称され、「大」いなる智慧の「勢」力にて、衆生を利益(りやく)させるに「至」らせるという意であると言えます。

 迷い苦しみにある私たち衆生は、智慧(真理を正しく認識・判断・行動する力)が無く、無明(根本的無知)の中にあって、輪廻(迷い苦しみ続ける世界を廻り続ける)をさまようこととなります。勢至菩薩様は、その偉大なる智慧のお力にて、衆生に智慧を備えさせて、無明を打ち破らせ、輪廻からの解脱を図らさせるのであります。

 智慧に関しては、特に「空」と「縁起」の理法も正しく理解していることが必要となります。空と縁起に関することにつきましては、拙僧の小論、平成二十三年度・お盆施餓鬼法要配布資料『東日本大震災に思う』と平成二十三年度・秋季彼岸施餓鬼・配布資料『空と縁起と』〜仏教の存在論〜をご参照頂けましたらと考えております。ネット・ブログにても公開しておりますので、それぞれ、「東日本大震災に思う 川口英俊」、「空と縁起と 川口英俊」でご検索して頂けましたら、小論の内容をご覧頂けるかと存じます。合掌

ご真言 オン・サンザンザン・サク・ソワカ


十三仏・三回忌導師 「阿弥陀如来」様

 三回忌の導師は、阿弥陀如来様であります。サンスクリットでは、「アミターバ・無量光」、あるいは、「アミターユス・無量寿」と呼称されて、遍くに悟りの光を幾果てもなく、また、永遠に尽きることなく照らし続ける者と訳すことができます。

 阿弥陀如来様は、かつて法蔵菩薩様であった時代に、五劫という気の遠くなるような長い期間にわたり、世自在王仏様のもとで四十八の誓願を立てて修行を積み、ついに悟りを得て如来となられ、その後、西方極楽浄土において仏法をお説きになられているとされます。

 容像は、装身具を身に着けない質素なお姿で、定印・説法印・施無畏印・与願印などの印相を結ばれています。

 阿弥陀三尊として祀られる場合には、脇侍に百日忌導師の観音菩薩様と一周忌導師の勢至菩薩様が配されます。

 また、密教においては、五智如来として、大日如来(中心)・阿しゅく如来(東方)・宝生如来(南方)・阿弥陀如来(西方)・不空成就如来(北方)の一角を担われて、それぞれ五智(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を司り、阿弥陀如来様における妙観察智では、悟りの真理のありようを深く観じ察する智慧を扱われることで、無明(根本的無知)の中を輪廻し迷い苦しんでいる一切衆生を、その智慧からの大慈大悲により救わんとなされるわけであります。

 「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて、阿弥陀如来様に一心に帰依して極楽往生を願う信仰は、阿弥陀如来様のご誓願(第十八番目)によるご功徳を頼りにして、救いを求めんと欲するところから盛んになったものと考えられます。

 亡き方は、三回忌でこれまでの十王たちによる裁判もいよいよ最後となり、五道転輪王から結審を受けられます。三回忌以後は、これまでの様々なお経の字義通りの教えの学び・修行から、次に、お経に隠された教えである密教の教えの学び・修行の世界を進まれていくこととなります。私たちも無事に亡き方が三回忌を通過できるようにと追善供養をお勤めすることが大切となります。

 また、当山のご本尊様も阿弥陀如来様で、かつては壮麗な七堂伽藍を構え、極楽浄土への往生を目指して、日想観・念仏行を修する修行僧が絶えなかったと記録されています。

ご真言「オン・アミリタ・テイセイ・カラ・ウン」


十三仏・七回忌導師「阿しゅく如来(あしゅくにょらい)」様

 十三仏シリーズ、今回は、七回忌の導師、「阿しゅく如来」様でございます。

 阿しゅく如来様は、サンスクリット語で「アクショービヤ」と呼称され、揺るぎない者、不動なる者という意で、悪業や煩悩に決して負けない、動じないということと解せます。不動明王様の由来とも同意ではないかと思われます。

 阿しゅく如来様のご印相は、右手をそのまま下げて、指先で地に触れる触地印(そくちいん)、左手は金剛拳にて着衣の端を握った形をとられています。

 密教における五智如来として、大日如来(中心)・阿しゅく如来(東方)・宝生如来(南方)・阿弥陀如来(西方)・不空成就如来(北方)の一角を担われて、それぞれ五智(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を司る中、阿しゅく如来様における大円鏡智では、悟りの真理のありようをまるであたかも鏡に映したかの如く、そのまま、ありのままに悟り、悪業や煩悩によって曇ることの一切ない境地としての智慧を示されることで、一切衆生を輪廻から救わんとなされるわけであります。後期密教(無上瑜伽タントラ)では主尊として扱われています。

 阿しゅく如来様は、東方世界にある阿比羅提(・アビラッティー)という国において、遙か昔に大日如来様がその国を教化しに参られた時に発願、修行をなされて、やがて悟りを開かれて如来となり、それから建立された仏国浄土において仏説をお説きになられているとされています。主に発願・修行なされた内容とは、無瞋恚(どのようなことにおいても一切怒らない)であると言われています。また、一説では、同じく東方を司る東方浄瑠璃世界の教主で、四十九日忌の導師である薬師如来様と同格尊にて扱われる場合もあるようです。

 仏弟子となられて仏道の修行に励まれておられる亡き方は、先の三回忌において導師・阿弥陀如来様からのご教説と、最終裁判官・五道転輪王の結審を受けられて、修行も一つの区切りを迎えられて、次の段階に入られることとなります。初七日から三回忌までの仏説は、お経に顕れている字義通りの教えとしてある「顕教」を学び、三回忌以降は、お経に隠された秘密なる教えとしてある「密教」を学ばれて悟りの世界を一気に目指されていくこととなります。

 亡き方が無事に仏道を成就なされるようにと私たちも追善供養・功徳回向に努めていくことが大切なこととなります。合掌。

ご真言「オン・アキシュビヤ・ウン」 


十三仏・十三回忌導師 「大日如来」様

 十三回忌の導師は、大日如来様でございます。密教の代表的尊格の如来様であります。サンスクリットでは、マハー・ヴァイローチャナ、音訳で摩訶毘盧遮那(マカビルシャナ)仏となり、漢訳では大日如来の他に「遍照如来仏」と呼称されます。「大日・遍照」と訳されているように、日輪の如くに遍く悟りの大光明を照らし出して下さる仏様と解することができます。

 容像は、他の多くの如来たちのように質素ではなくて、菩薩と同様に豪華な装飾をお召しになられています。諸尊の代表として如来の中でも別格の扱いとなっていると言えます。

 大日如来様は、大宇宙の真理そのものであり、諸尊の根本仏として、主に曼荼羅においてその教えが顕されています。曼荼羅には胎蔵界(大日経)と金剛界(金剛頂経)があり、胎蔵界は、正式には大悲胎蔵生曼荼羅と言われるように、まるで母胎(大日如来様)で赤ちゃん(私たちの仏性)がすくすく育っていくように菩提心・慈悲心を育んでいくための教えが顕され、金剛界では、堅固なる悟りの智慧を得ていくための教えが顕されていると一般的に解されていますが、深遠なる密教奥義の真なる理解のためには、十分なる正しい仏道修行の前提が必要不可欠であり、この浅学菲才の未熟者があまり言及できるところではありませんので、あしからずご了承下さいませ。

 また、初七日導師・不動明王様は、大日如来様の化身(衆生教化のための姿)、あるいは内証(内心の決意)であると言われています。・

 仏縁を結ばれて、仏道の修行に励まれておられる亡き方は、いよいよ本格的に密教の灌頂を受けながら悟りの世界を更に進んでいくこととなります。合掌

ご真言・・オン アビラウンケン(胎蔵大日如来) バザラダトバン(金剛界大日如来)


十三仏・三十三回忌導師「虚空蔵菩薩」様

 いよいよ十三仏シリーズは最終回・三十三回忌の導師、虚空蔵(こくうぞう)菩薩様でございます。サンスクリットでは、「アーカーシャ・ガルバ」、「虚空の母胎」として、漢訳で「虚空蔵」と呼称されます。

 「虚空」とは、大宇宙の無限の広がりのことを意味し、「蔵」とは、その無限の広がりにおいて、遍くに福徳を与える智慧と慈悲を備え収めていると解されています。

 容像は、五仏宝冠を頭頂に、各手に、如意宝珠や宝剣を持つ場合と与願印の印相を表す場合など様々にあります。

 五仏宝冠とは、金剛界の大日如来様が頭にかぶる宝冠と同様で、金剛界五仏(大日如来様・阿しゅく如来様・宝生如来様・無量寿如来様・不空成就如来様)が配置されている冠のことです。

 密教尊格の菩薩であり、胎蔵曼荼羅においては、虚空蔵院の主尊、釈迦院における一尊として、また、金剛界曼荼羅においては、賢劫十六尊の一尊として配されています。

 一拙私見として、「虚空蔵」とは、あらゆる全てには実体がない(無自性・無自相・無実体)、一切全ては空であると明瞭に悟って、煩悩・根本的無知(無明)を排撃させるための大いなる智慧と慈悲を蔵している菩薩様であるとして理解させて頂いております。(無実体、一切空といえども、何もないという「無」ではなくて、存在は「縁起」として確かに成立していると考えるのが仏教の基本であります。非有非無の中道。)

 仏縁を結ばれて、仏道の修行に励まれておられる亡き方は、三回忌以降、密教の灌頂を受けながら、いよいよこの三十三回忌において修行も一つの満行を迎え、また、以後も更に悟りの境地を高めて修行に邁進していかれることとなります。亡き方が無事に仏道の歩みを進めていくことができますようにと、初七日から三十三回忌まで、何とか追善供養・功徳回向を勤めていきたいものであります。合掌

ご真言・・「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」、あるいは、「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」

前半 初七日〜四十九日忌
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108270.html

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最近の仏教思想関係の主な考察についてのまとめ集
http://t.co/RZJudE4f

コラム「追善供養・功徳回向の考え方について」 1〜4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108201.html

他、これまでの考察シリーズは下記をご参照下さいませ。
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51997575.html