このところ体調が優れず、ブログを書く気力が衰えており、申し訳ありませんが、しばらく休養させてください。 


《2》

 例えば、高速道路を走っているとして、このとき時速100キロなら100キロを、1000キロにわたって続けることである。それはコンピューターに時速をインプットさせてやらせることではむろん、ない。自分のアクセル操作、ブレーキ操作だけで神経を駆使して同じ速度を保つ。

 こんなことは脳細胞はやらない。やりたくない。だがあえてそれをやる。これが修行になる。

 

 ある方に聞いたが、運転の上手な人に乗せていただくと、いつ発車したのか、いつ停車したのかわからないほどだった、という。急ブレーキほどでなくとも、車を停車するときは若干前のめりになる。へたな運転だと、ブレーキ、アクセルのたびにつんのめったり、のけぞったりさせられるが、そういう動揺がいっさいないそうだ。

 

 天皇を乗せるお召し自動車もかくや、という運転だそうだ。こうやって車という対象と見事なる相互浸透を果たしていくことである。

 実際はよほどの足先などの神経をつかってアクセル操作しているのだ。

 あるドラマで、大企業の社長お抱えの運転手がこう言う場面があった。社長を乗せる運転手は、車のダッシュボード上に水を入れたコップを乗せ、その水が一滴もこぼれないように運転するものだ、と。これが誇りというものの、いわば初級レベルである。

 

 それから。

 運転中についていえば、自分の運転する車の周囲を運動しているものと見、また、いわば過程の複合体的に見ることであろうか。季節、天候、曜日、時刻(朝か深夜かのように)、道路状況を踏まえる。そして自分の前後左右の車がどんな車なのか、その運転者がどんな認識で運転しているのか(営業車なら仕事で急いでいるとか、家族で乗っていて談笑しながら運転しているから、やや注意力散漫になっているとかを瞬時に見極めるものだ)、初心者かベテランか女性かを見極め、信号や標識を判断し、この先にどんな信号や踏切があり、駐車中の車がいるか、右折車、左折車がいるか、歩行者が飛び出してこないか、警官はいないか、などなどを刻々と反映し予測しつつ運転するものである。

 

 これがいわば弁証法的な運転だ。

 運転する自分の車や周囲の対象(道路や信号機や前後左右の車など)との実体的関わりで相互浸透し、量質転化させることだ。すなわち、弁証法を実践によって発見し、創ることである。

 しかし以前にも書いたが女性ドライバーは得てしてこういう弁証法的運転はしない。前方は見ているが、後ろから来る車はまったく考慮のほかであるとか、自分が左斜線に入りたければ、周囲がどんな走行をしていようがお構いなくウインカーも出さずに入ってくるとか…、そういう運転をなさる。

 

 だから前後左右に女性ドライバーがいたら、それなりに注意しなければいけない。車間をあけるとか、先に行かせるとかを実施しなければ危ない。しかし車間を開けすぎると、今度は別の焦っている車が強引に割り込んで来かねないから、そこをどう判断して適切な車間をとるか、とか。

 

 こういう認識の流れを楽しまない人は運転がうまくならないだろうし、弁証法的運転の実践はできまい。要は自分が運転している現在の道路状況に、自分を合わせつつ、対立物の統一として自分の思ったような快適で安全な運転をやるのだ。道路状況に合わせることと、自分のやりたい運転をすることの統一、すなわちこれは矛盾であるが、それを刻々と「非敵対的矛盾」として刻々と流れるように創出していくものである。

 

 『自動車の選び方』で「躍動感」の話を紹介したけれど、端的に言えば弁証法は躍動感である。だから認識も実体も躍動感を帯びていなければ弁証法はわからないのである。

 弁証法とはこれまた端的には運動である。運転を見れば、まさに運動であって、刻一刻と状況が変わり、自分の認識も変化していく。その変化するなかで、誇り高く、志高く、を把持して運転していくのだ。

 

 と言われたところで、やったことがなければわからない。わからないからこそ工夫である。私の場合はこれという音楽を聴きながら運転をした。例えば軍歌や寮歌であり、ベートーヴェンの「運命」や「英雄」であった。それと相互浸透させながら、誇り高く運転するとはどういうことかを探った。

 これは同時に感性を磨くための運転にもなる。

 

 弁証法とは、対象を運動形態において把握するための一般教養なのだから、車の運転とは、自分の車との関わりもさることながら、運転中の躍動感や周囲の状況に的確にあわせた運転などを追及しつつ、その対象を変化発展として捉えていくことであろう。

 

 むろん自分勝手な運転をするヤカラもいるけれど、運転する人間は、これまで述べてきたごとく、社会関係に認識を置くのでなければならず、そうでない女性ドライバーは大変な迷惑なのである。そしてこうした社会関係に認識を置くからこそ発展があるのだ。

 例えば、より良い車に乗って、そのより良い車からより良い認識をもらう、というように発展させるのである。

 

 これまで、私の知り合いのなかには弁証法を勉強したい、認識論をわかりたい、と志望する人間はいた。その人に必ずアドバイスしてきたことは、できるだけクルマの免許をとって運転するべきだということだった。しかし、たいていの人は勉強するとは、本を読むことだと刷り込まれている、その思いが抜きがたいのだ。クルマなんか関係ないと思ってしまう。クルマなんか運転するより、ヘーゲルの本を理解しなければ…となってしまう。

 

 クルマに乗らなければ弁証法がわかる頭にならない、というわけではもちろんないけれど…。空手に役立つような運転を、弁証法の修得に役立つ運転を、なのであって、なにごとによらず目的意識的にやればいいのだ。

 

 例えば、われわれの空手でいえば、突きがまずければ、なぜそうなのか、そうなってきたのかを被指導者に(弁証法を踏まえて)説かねばならない。そして上達させなければならない。

 

 それが空手と弁証法を同じものとして教えることであり、それを世界で初めて実践されて、史上最高の頭脳を創られたのが南鄕継正先生であった。つまり、やっていることを弁証法として人に教えなければ実力にはならないのである。

 自動車の選び方も、そして運転のあり方も、なぜそうなのか、なぜうまく運転できなかったのか、誇り高く運転するとはいかなることか、などを実体たる外界(対象)と関わることで学ぶこと、あるいは弁証法として学ぶことにほかならない。

 

 


 クルマの選び方に続いて、これは2008年6月に書いた乗り方の話。

 

《1》

 本ブログを読んでくださっている方から先の「自動車の選び方」の感想をメールでいただいた。この方は、車の免許は学生時代にとったが、ペーパードライバーの時期が長く続き、現在は車の運転はあまり得意ではないそうだ。そして、社会性をもった運転ができるよう訓練していきたいとおっしゃったあとで、「機会がありましたら、運転を弁証法的に行なう方法についてご教示いただけましたら幸いです」とあった。

 

 そこで、弁証法的に車の運転をするとはいかなることかについて今日は説いてみたい。

 

 これはまず大きくは、対象を弁証法的に捉え返すとはいかなることかを問うべきである。すなわち人間の認識は問いかけ的反映であること、この大前提から考えていかねばならない。

 問いかけるもの(そのレベルや思想性)で、対象は反映する。だから志をもって問いかければ、志をもって反映するし、誇りをもって反映すれば誇りをもって反映する。また情熱をもって問いかければ、情熱をもって反映する。

 

 ところで、当時よくコメントをくださっていた松島様からは以下のコメントを頂戴した。

 「自動車の選び方には、個人の価値観、考え方等が最も顕著に反映されるものであるから、車選びには、職業とかステータスの問題よりも個々の抱えるTPOや価値観、そのプライオリティが大きく関係してくるし、個々のセンスの問題もある。張りぼての評価よりも中身を正しく見極めたく、自らの考え方を一貫して主張できる人間に大きな魅力を感じます。」

 

 松島様は、私のお勧めの車選びは「張りぼての評価」でしかないのではないか、とおっしゃるようだが、私が言わんとしている「認識は対象の問いかけ的反映である」という原則を理解していただいていない。

 また、「自らの考え方を一貫して主張できる人間」といったって、レベルがあるのである。それでいいなら、児童相談所の不逞の輩だって、自己主張を一貫している(強情だ)。

 

 松島様の反論は、結局のところ私には、社会を見ないで自分を見てしまっている。社会で見れば、たしかに見ようによっては「見栄」とか「張りぼてだ」とかに見えるかもしれないが、私が勧めたのは、見るなら将来のあらまほしき自分から見て車を選ぶべきだと言ったのである。

 

  話を戻すが、例えばあなたが、トヨタのクラウンを買ったとして、それを誇りを持って眺めれば「まんざらでもない車だな、うん」となるのだ。しかしいくら誇りを持って対象を見ても、軽自動車の三菱EKワゴンでは、チト無理がある。車はそれなりにメーカーとその技術者が技術の粋を結集した、魂のこもったものでないと、誇りや志を持ってみることはむずかしい。軽自動車には誇りや志はこめられない。

 軽自動車はしょせん下駄代わりと割り切るしかない。

 

 誇りのない人間が対象を見れば、誇りないものとしてしか反映しない。先のクラウンでいえば、誇りなきものとして反映させれば「それがどうした」でおしまいである。

 私はこれまでブログで述べてきた例えば体罰の問題にしても、DVの問題にしても、かかるごとく対象を大志や誇りや情熱として捉えて、至上のテーマとして反映させてきたのだ。

 児童相談所の木っ端役人どもや多くの小学校教諭どもは誇りも大志もないから、体罰を誇りも大志もないものとしか反映できない。それを批判してきたのである。

 

 われわれがやっている空手も同じくである。通常の人は空手を空手としてだけ見て、蹴ったり突いたりして、街中でも「オス!」などと言う野蛮な連中、としか見ないであろう。しかしわれわれの流派はそうではない。拳ひとつ握ることすら、世界最高の文化の創造として、人類の文化遺産の発展的継承として見るのである。つまり空手という対象を、どう問いかけたかといえば、史上最高レベルでの大志と誇りと情熱で捉えて(問いかけて)研鑽を積んできた。だから他のいかなる学者、学派の追随を許さぬ世界に冠たる学的成果を披瀝できるまでになった。

 これは事実である。

 

 松島様がおっしゃるとおり、今私が身分不相応に最高グレードのベンツを買ったとすれば、いかにも「張りぼて」であろう。「似合ってないよ」と笑われるにちがいない。だが、それでもあえてベンツを志や誇りをもって捉え返し、自分がベンツに相応しい人間になっていけば良いことである。志や誇り、あるいはステータスとして車を捉えなければ、それはむろん「張りぼて」でしかあるまい。

 

 私が『自動車の選び方』で述べたかったことは、優れた対象に自分を合わせること、これである。その基準で選び、かつ運転することとして車を勧めた。

 よくわが流派の最高指導者がおっしゃることであるが、三浦つとむ氏は、対象に弁証法を当てはめたのだ、と。それに対して最高指導者は対象的事実の中に弁証法を発見した、あるいは創った、のであった。

 

 どういうことかと言えば、対照的事実を例えば量質転化させることこそが、対象に弁証法を発見することだ。

 三浦さんは、それは自己の二重化だとか、そこに矛盾がある、というレベルであった。しかしだから、弁証法とは何かの教科書として良いのだ。最初から対象に弁証法を発見しろと言ったって、できるはずがないからである。

 

 したがって、車を弁証法的に運転するとは、車と言う対象の中に弁証法を発見すべく、あるいは創るべく運転することにほかならない。

 では具体的にはどういうことか。それは明日に。

 

 


《2》一流の自分を創るために乗る車

 前回、躍動感と言う言葉を使いましたが、人間に躍動感を付けるために車を活用した話を紹介します。

 昔、まだ庶民には車が高峰の花だった時代のこと。ある男性が大学を卒業して小学校の教師に赴任しました。小学校の先生ではとても自家用車など持てない時代です。しかし、彼は借金してでも車を買うことを勧められ、素直に実践しました。そして最初はそれこそ軽自動車から始まって、勧められるまま、給料があがるごとに無理してでも上級クラスの車に買い替えていったそうです。

 

 おかげでその男性は、トントン拍子に出世して、若くして校長になり、やがてその県では最年少記録の教育委員になったそうです。

 これはどういうことかと言えば、車によって認識の躍動感を養成したから、なのです。脳細胞が生き生きとし、躍動するようになるために、次々に良い車に買い替えて乗ったわけです。

 

 認識に躍動感が出るとは、例えば引っ込み思案ではなくなり、どんどん積極的に仕事をこなし、意見を堂々と言い、人を率いて行くことが好きになり、怠け癖が消え、背筋がシャキッとするようになることです。それを周囲の人は見ていますから、トントン拍子に出世していき、人から頼られていくのは当然のことなのです。

 

 ですから、鬱だとか、どうも性格が暗くて消極的だという人が、自分を変えたければ、派手なスポーツカーでも乗って、高速道路をぶっ飛ばすといいのではないでしょうか。そうやって日常生活で良いものと自分の認識を相互浸透させるわけです。

 高速をぶっ飛ばしても安全なように、次にはABSだとかの安全性確保が大事になるわけです。

 

 わが流派では、「車は感動を買うと思えば安いものだ」と言われます。感動!ですからね。これは軽自動車ではどうにもならないのです。みんなが平伏するような車、憧れるような車でないと、感動にはなりません。これは見栄ではありません。

 

 最先端の技術が積まれているとか、室内インテリアは高級な革シートとか、天童の木目パネルであるとか、オーディオも最高品質だとか。それにホイールはBBSで、ステアリングも…というように、それぞれのパーツでも名の知れた一級品をそろえていけば、それはそれはモノが違いますから、感動もいや増しになるわけです。

 そういう技術者の英知の結晶が車ですから、その技術者の最高の認識=魂をもらえるわけです。

 

 それに車種の中のグレードも大事です。つまりスタンダード・レベルではどうしても見劣りがします。超デラックスのレベルでないといけません。例えば社長同士がゴルフ場に行くとしまして、ゴルフ場の駐車場に車を止めたときに、自分の車が、A社の社長の車やB社の社長の車と同じベンツでありながら、グレードの低いベンツであれば、当然見下げられた気分になり、ステータスを失います。だから車種の中でも一番高いグレードを選ばなければなりません。

 車はとてつもなくカネがかかるんです(笑)。

 

 教師にしっかりしろと書いた流れで続けると、思想性の高みがないから生徒にバカにされるのであり、これはどんな職業であろうと。生きざまであろうと共通しています。

 思想性の高みは日常生活のなかで創られます。飯の食い方、歯の磨き方。服の着方、そして会話の仕方にそれが全部現れます。だからクルマなのです。

 

 例えばアウディが世界一の車だとしたら、その世界一の車を創った技術者(あるいは経営者)の思想性の高みが、アウディという実体を創ったのですから、われわれがアウディに乗るとは、その世界一の車を創った技術者の魂をも受け取るように乗るべきなのです。ただ自慢たらたら乗るものではいけないわけですね。

 

 これは女性がグッチの鞄のような一流品を身につける場合もそうなのであって、単に欲しいから、自慢したいから、では自分が一流になる目的には関係ありません。グッチの思想性の高みを相互浸透する目的で身につけるべきなのです。

 

 従いまして、自分がアウディを運転するのではないのです。アウディが自分を運転させるのです。“自分がアウディに乗る”のではないと思います。これが最初に書きましたように、車を選んで乗ることは、自分が文化を背負っているという自負を持つため、育てるためのツールが車であるとともに、自分を一流の何か(医者とか、指導者とか、芸術家とか)に位置づけた車に乗ることの実践的なあらまほしき姿なのです。

 

 車に興味がない人は、ほかのもので替えるしかないでしょう。着る服とかに…それが何かはご自分で判断していただきたい。ただ一点豪華主義(スーツはボロでネクタイだけ最高級品など)はいけないようです。

 

 

 


 apollon様からコメントをいただき、以前、本ブログで書いた「自動車の選び方」をもう一度見せてほしいとのご要望があったので、2008年6月にアップしたものを、以下に再度掲載します。

 

 

《1》自分を何か一流のものに位置づける車

 もこにゃ様から、車に関して以下の質問をいただいたので、お答えしたい。

 

 「ブログ主様おすすめの車はなんですか(^^;武道家なら何がおすすめでしょうか? 医療関係者なら何がおすすめでしょうか? また、芸術家なら何がおすすめでしょうか? 車が大好きなもので、以前からお聞きしたくてしかたありませんでしたm(._.)m

 

 これはわが流派で教えられることだが、一言でいえば、車はステータスなんですね。あるいは自分は文化を背負っているという自負を持つため、育てるためのツールが車である、と。

 どんな車を選ぶべきかを端的に述べれば、自分を一流の何か(医者とか、指導者とか、芸術家とか)に位置づけた車に乗ることです。

 自分が一流になるため、一流と見られるためです。一流と見られるためには、その車にふさわしい人間になる努力が必要ですから、一流の車を選ばねばなりません。

 

 その意味でまず外見、デザインは大事です。見た目で周囲の人は判断します。そしてその車の「格式」がその人に相互浸透して、その人を創ります。その観点から選ぶ必要があります。

 例えば社長ともなれば、ベンツ、プレジデント、センチュリーといったところを選ばないと格好がつきません。黒塗りのベンツで会社や取引先に乗り付けるところに意義があります。そうでなければ、相手に軽んじられる、見下されることにもなります。

 

 ですから車を選ぶ際の眼目は2点。自分がどういう人間になりたいか、そのために車をどう利用するかであり、もうひとつは、人からどう見えるか、に尽きます。次に車の性能、安全性、さらには名前も大事です。名前の付け方はトヨタがうまいですね、クラウンとかカローラとか。日産はスカイラインだけはうまかった。三菱はへたで、デボネアなんて…名前だけで乗りたくなくなるでしょう。

 

 武道家なら? 医療関係者なら? 芸術家なら? ということですが…一般的述べてみます。

 武道家なら強そうに見える車でしょう。それも現役ばりばりの人なら力強く、自分の運転技術でコントロールするのを味わうような(つまりコンピュータ任せにしない)車を選ぶこともあるでしょう。もっと指導者とか達人の雰囲気を自分で演出したいのなら、走りの良さに重厚感を加えたような車を選ぶとか。

 重厚感といっても、社長室のようなくつろぐ感じではなくて、雰囲気としては重戦車をイメージできるような車がいいでしょう。アウディにはそれ(辺りを睥睨(へいげい)する)がありました。グレードの低いアウディA4くらいではちょっと無理ですが。

 

 医療関係者といってもさまざまですが…、軽自動車では患者に権威を示せませんから、やはり重厚などっしりした安心感のあるような車になるでしょう。人様の命を預かるに相応しい車であるべきです。ベンツやBMWなど高級外車はいいのですが、患者が見ると、「ああ、ワルをやって儲けているな」と思われかねないのが、むずかしいところ。ほどほどの高級車にするか、そんな周囲の雑音を気にしないか、ですね。

 看護婦やパラメディアカルとなれば、これもそう高級車に乗るわけにはいかないでしょうね。身分不相応と言われますから、せいぜいマーク2、セフィーロ、インスパイアといったクラスでしょう。

 

 芸術家は多様でしょう。個性大事ですから、自分が重厚感のある作品を創りたいならベンツとかプレジデントとかでしょうし、文化を語るレベルならロールスロイス、ジャガー、レンジローバーなど。もっと軽快で切れのいい感性にしたいというのであれば、スポーツタイプの車がいいでしょうし、野生みたいなものを追及したければオフロードタイプのRV車、五感を磨きたいならオープンカーとか。

 

 ハイブリッドのプリウスは燃費では魅力ですが、小さくてステータスになり得ません。近所を走る下駄代わりとしての車ならお勧めできるでしょうが。「見せつける」という目的には合わない車ですね。

 一般的に捉えるべきところを書きましたが、それぞれ一概には言えないと思います。

 

 それに、個人のありかた(個性)があるうえに、その人間の目指すところによっても変わってきます。例えば、自分がどうも弱気で臆病だけれど、もっと堂々とした人間になりたいと望むのであれば、極端な話、ダンプカーがいいわけです。ダンプではいかにもガサツですが、そんな押し出しのある車、つまり街を走っていたら周囲がどいてくれるような周囲を圧する感じの車がいいでしょう。

 

 周囲を睥睨しながら運転したい、志を把持する感じを持ちたいというのなら、車高が高いRV車がいいでしょう。トラックに乗れば、「怖いものなんかないぞ! どけどけ!」という感じになるでしょう(笑)そんな感じがいいわけです。

 逆に、ビッツとかシティなんかの軽量感のある車を乗り回していると、その軽さ、手軽さと相互浸透します。

 

 つまり極端にいえば寝間着のまま乗り込んでも平気な感じになります。しかしベンツやアウディ、セルシオ、マジェスタあたりなら、一応構えて乗る感じになるでしょう。寝間着では乗れないというか。タキシードを着ないと相応しくないような気分にさせられるでしょう。

 しかも車は家とは違って、運動性がありますから、相互浸透が運動性を帯びたものになります。躍動感を含んだ認識が育つのです。

 

 このように書くと、車をそんな「見栄」で決めるのはおかしい、なんて文句を言ってくる人もいるでしょうが、そういう人は世の中の現実を知りません。そんな人だって、大企業の社長が日産モコ(すでに生産中止)のような軽自動車で自ら運転して会社に乗り付けたら笑うはずです。

 逆にセールスマンが個人の自由だとばかり、最高級のベンツで客の所に乗り付ければ「なまいき」と思われて、仕事ができなくなるでしょう。

 

 車は実用本位でいいんだと反発したい人は多いでしょうが、実用本位の車は、どうしてもステータスにはなり得ませんね。トヨタハイエースみたいなワンボックスカーは実用的には、荷物もたくさん積めていいでしょうが、そんな車で例えば「アカデミー賞の授賞式」のようなところに乗り付けるわけにはいきません。

 多くの教師は人からどう見られているか、人はどうあなたを見定めるかがわかっていないのでしょう。

 


《4》

 話を戻せば、戦国の世を統一した秀吉や家康は、キリスト教が日本を侵略しようとしている事を見抜いたから、キリシタンを禁制にし、やがて鎖国に至るのだが、キリシタンが広まってしまった島原や天草地方には手を焼いた。島原の乱は実際は、キリシタン一揆ではなかったそうで、徳川政権がこの地方からキリシタンを一掃しようとして、この地方全体に非常に苛烈な支配体制をとったことが原因である。

 

 島原の乱では原城にこもった民百姓3万7050人を全滅させている。乱のあとに幕府は、多くの寺や開拓者を各藩から集め、島原・天草地方に新しい村づくりをなさしめた。だからややオーバーに言えば、この地方は大昔からの人は絶え、新参者が居着いたことになった。この地方に立派な寺が多いのは、幕府が援助したからで、そうまでしてキリシタンを絶滅させ、二度と決起などさせないための施策だった。

 

 それにこの地方は火山灰地なので土地がやせていた。寛永4年には雲仙岳の噴火で1万人ほどの死者を出している。踏んだり蹴ったりだった。

 さらに明治維新となって、ついに本格的な白人どもの魔の手が伸びた。日本は彼らによって開国させられ、世界資本主義体制=ユダヤ金権力の枠にはめ込まれた。日清・日露の戦役に、あるいは世界大戦にと、ユダヤの陰謀によって狩り出され、日本の男たちは戦場で殺されていった。だから働き手の男がいなくなった農村はいっそう貧しくされた。

 

 もう一つ貧困化の原因は、明治以降の鉄道の普及である。おおかまに言えば、江戸時代までは、日本の経済活動は“面”であって、交通手段がろくに発達していなかったから、陸上交通は狭い道が編み目のように発達していて、そこを行商が歩いたのであった。

 

 だからある意味、人民の富みは均されていたのである。ところが明治になって鉄道が敷かれ、経済活動は点と線に変わった。集中させたほうが効率があがり儲かるからである。鉄道の拠点とその周辺は経済活動が活発化するが、そこから大きく外れた地域は取り残されることになった。

 

 地図を見ればよくわかるが、例えば島原半島や天草は、北九州から長崎への幹線から大きく外れてしまった。つまり農産物ひとつとっても、大都市へ出荷するに不利な状態にさせられた。これがまた貧困を増長させる原因、つまり出稼ぎに出たり、移民となったり、満州開拓に出るしかない状況が生じたのである。鉄道や道路の発展にはこんな負の面もあったのだ。

 

 明治以降、日本は商社などの海外進出で、アメリカ、満州、シベリア、支那、東南アジアなどに出ていった。例えばゴム農園で、あるいは真珠取りに、男たちが狩り出された。その男たちに提供されたのが娼婦である。資本家たちは、ヤクザをつかって娼館を経営させ、奴隷のようにこき使った男たちをさらに歓楽街へと誘導して散財させたのだ。

 

 だから女が必要とされた。まず最初は現地植民地で商売したり、原住民を監督(虐待)する仕事に来る男性の性処理のために女が集められたりした。日本軍が出向いた先でも女が必要だ、とされて将校、兵士らの相手として女がかき集められた。

 

 軍隊に娼婦はつきもので、何も日本だけの事情ではない。雑談的に言えば、源平の戦いの当時の白拍子は、兵についていった娼婦である。近くは大東亜戦争が終わった直後に東久邇宮首相は進駐軍のために、慰安婦7万人を用意させたという。戦国時代の武将は男色を好んだが、これも女の代替である。西洋でも軍隊には映画「外人部隊」に見るように、女がついて歩いたし、さらに昔はブタやヒツジなどの動物を連れて行軍したのである。

 

 閑話休題。

 満州や支那で、日本軍が占領した街にはまっ先に、ピー屋(売春宿)と赤提灯ができ(戦時中は朝鮮人経営者が多かった)、ついで三井や三菱の商社が進出してきたのであった。からゆきからやがて慰安婦へと変化した。三井などの大資本と天皇家や政治家はグルになって、戦争を仕掛け、麻薬や売春をセットにして発展したのだ。

 

 セットにしたのはそれだけではなかった。貧しい人びとをだまして信仰させたキリスト教や仏教が、それである。ユダヤ金権勢力にせよ、日本の権力者にせよ、民衆を困窮に落としこんでおいて、一方で宗教をあてがって、権力に歯向かうことなく、神仏という空想世界に安心立命を求めるよう、その心までも支配した。それゆえ私は広田言証のやった慈善行為を善とはし得ない。マルクスが言った「宗教とは麻薬である」は、正しいのだ。

 

 「からゆきの小部屋」サイトの解説に蛇足を加えるつもりが長くなった。見てきたように、とりわけ島原・天草はからゆきが多かったのだが、その原因たる貧困は、「創られた」ものだったのである。貧しいから人びとは海外に出稼ぎに出、移民となって出ていったのではあるが、そのからゆきも含めた出稼ぎや移民でも儲けようとした闇の勢力があったから、そうなったのである。

 

 日本の大衆を貧困にしておけば、彼らは自ずと食うために海外に出ていかざるを得ないし、宗教にすがらざるを得ない。そこに商売のタネを見つけ、ぼろ儲けを企んだのが大企業であり、その大株主であった天皇家であった。むろん、これはユダヤが世界に先駆けて実践し広めた、悪辣な手法であって、日本はそれをも猿マネしたのである。

 かくて、『島原の子守歌』の6番にあるように、「伴天連(バテレン)祭の 笛や太鼓も鳴りやんだ」のである。

 


《3》

 HP「からゆきさんの小部屋」に“からゆきさんとは”として解説がある。「なぜそんな仕事を?」についての説明が以下である。

 

 「まず第一に貧困です。当時の日本は貧しい人が多く、カネをかせぐために娘たちが当てにされました。また、日本には室町時代から続く公娼制(女性を廓に閉じ込める管理売春)があり、親が娘を売って、受け取ったカネで生計を立てていく風景は珍しくなかったのです。国が、そういう権限を親に認めていました。家や親兄弟のために苦界に身を沈める娘は親孝行、と世間はみるのが普通でした。からゆきさんの場合は、かせぐ場所がたまたま国の外であったということです。」

 

 これは端的に解説されていて、付け加えることはないが、あえて蛇足を書いてみたい。まず、「家や親兄弟のために苦界に身を沈める娘は親孝行、と世間はみるのが普通でした」とあるが、このサイトの管理者は、心優しい人柄ゆえに、ここまでしか書かなかったものと思われる。『島原の子守歌』の4番は、

 

あすこん人(し)は二個(ふたち)も

あすこん人(し)は二個(ふたち)も

純金(きん)の指輪(ゆびかね)はめちょらす

金な どこん金 金な どこん金

唐(から)金げなばよ ショウカイナ

 

 とある。「あすこん人」とは、からゆきから帰国した女性のことで、成金となって「金の指輪」を2つもはめている、と歌っているのだ。金の指輪はどこの金なのか、といえば、唐、つまり外国で稼いだ…と続けている。なにしろ、あばら家で粟飯しか食えない郷土で、金の指輪をはめているのだから、目立っただろう。それを見る郷土の人たちの眼差しの複雑さと、それに耐えて突っ張って指輪を見せびらかす女の心が実によく表現されている。見事な詩である。

 

 この詩からわかるように、苦海に身を沈めた娘が親孝行とは、必ずしも思われていなかったと思う。嫉妬、軽蔑、賎業で稼いだくせにという蔑視、そんな感情がどろどろと渦巻くのが人間社会である。からゆきに行った女性も、貧困のなかで郷土に残った女性も、互いに憎しみや蔑みの思いを抱いて反目しあったとは、あまりに悲しい。だから「からゆきさんの小部屋」の管理者は書けなかったのだろう。

 

 ただ、からゆきを親孝行と見るか、だまされて行ったと見るか、誘拐されて連れて行かれたと見るか、それは個々のケースでもちがう。また、郷里で貧困にあえいでいるよりは、からゆきになって稼いだおかげで裕福な暮らしができたケース、あるいは身請けされて外国人と結婚したケース、性病をうつされて悲惨な生活を送ったケースなど、個々に見るとさまざまである。

 

 とくに世間で誤解している点は、売春とレイプは違うということだ。レイプはれっきとした犯罪だが、売春はしょせん商売だという見方は成り立つ。からゆきは悲惨だと、全般的には言えるだろうが、女は強いものでいったん覚悟ができてしまうと、「儲けたれ!」という心境になって、積極的に客引きをやるようになる場合もあったのだ。(体を)売ればカネになる女がいて、欲望を抱いた男がいて、つまりは需要と供給が合致すると見ることもできないわけではない。

 

 それに男のほうも、異国の地で売春婦とはいえ、心癒されることもあったのである。ドストエフスキーの『罪と罰』に登場するソーニャは娼婦だが、その心のありように誰でも感動するはずだ。感謝すべきケースもある。

 だからこうした場合には、弁証法性で見る、つまりもっと大きな歴史的視点、ないし過程性を踏まえて理解することが必要だと思う。

 そこで簡単に、からゆきの誕生から生成発展を辿ってみたい。

 

 島原の歴史はあまりにも悲しい。

 発端は、キリスト教宣教師どもが渡来したところから始まる。ザビエルが、すべての厄を運んできたのだ。当時は戦国の世で、国内は統一されておらず、国と国が互いに食うか食われるかの熾烈な戦いのまっただ中にあった。鉄砲が伝来して…というより、日本の内戦を煽ろうと、ポルトガルやスペイン、支那が鉄砲を売りにきたのだ。それにまんまと乗せられて、戦国大名、小名たちは競って鉄砲を輸入し、あるいは自作した。おかげで民百姓は重い税や賦役を押しつけられて、貧困にさせられたたのだ。

 

 ところが鉄砲は火薬がなければ役に立たないのであって、これを日本の領主たちが欲しがることを見越して、キリスト教宣教師どもは、耶蘇教の布教とセットにして火薬の取引を始める。九州の大友や有馬らは自らキリシタンになって、宣教師と友誼を結び、輸出するものがないから、領内の女たちをひっ捕らえて奴隷として売った。実に当時ヨーロッパには50万人もの日本人女性が性奴隷として運ばれた。

 

 白人=キリスト教徒どもは、世界に商売と植民地支配を拡大しつつあったので、兵隊や労役夫を、例えば鉱山とか大農場の百姓とかに必要とした。男を鉱山や農場で働かせれば、それを監督・監視するためにヨーロッパの男どもは現地にとどまる。そこで必要になるのが、女だった。男の労働者たちにも、性処理をさせなければならない、というより、一度与えた賃金をまた巻き上げる装置として娼館が作られたのである。

 

 アヘンやタバコの吸引をさせたのも、労働者を服従させるためと、アヘンやタバコの売り上げで、再度儲けようという白人どもの悪辣さなのである。そうした売春や麻薬を扱う仕事をさせるために、白人=ユダヤどもは、世界中でマフィア、ギャング、ヤクザといった裏社会を利用、ないし意図的に育てた。世界的な資本主義経済体制の伸張と、戦争ないしヤクザによる売春、麻薬は「直接」の関係にある。

 

 これをキリスト教徒と称する連中は堂々やったのだから、後に少々廃娼運動をやったからとて、歴史の汚点は消せるものではない。

 

 


《2》

 『島原の子守り歌』を作詞した宮崎康平氏は、島原鉄道の重役だったが、なにより邪馬台国の研究家として有名である。「からゆきさんの小部屋」の主宰者の方から教えていただいたが、宮崎康平は歌手さだまさしの恩人でもあり、『関白宣言』は彼をうたったものである。

 「宮崎康平のページ」というサイトを参考に紹介する。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1430/page036.html

 

 1917年長崎県島原市生まれ。早稲田大学文学部時代は森繁久彌らと演劇をやり、卒業後東宝に入社したが、兄の死去により帰郷して家業の土建業を継いだ。戦後、病没の父に代わって島原鉄道に入社、過労のため失明。33歳の若さだった。と同時に妻が出奔し、乳飲み子を置き去りにされた。このときの経験を下敷きに作詞されたのが絶唱『島原の子守り歌』である。

 

 しかし、宮崎氏のこの逆境からの立ち直りが素晴らしい。

 「だが、この失明は、かえって彼に闘志と活力を与えた。以後、事業に、地域の開発に、そして邪馬台国の探求にと、常人以上の精力的活動がはじまる。かくて、島原鉄道には快速のディーゼルカーが走り、バス路線は伸び、島原半島には乳牛が草を食み、たわわなバナナが南国の陽に映えた。新しい妻和子さんを眼とし、杖とし、ペンとして、記紀、倭人伝を500回も精読し、日本各地の遺跡を探り、遂にこの『まぼろしの邪馬台国』がなった」(同サイトから)

 

 片や福沢や伊藤のようなクソ野郎もいるが、宮崎康平氏のような日本の誇りもおられるのである。江戸中期の盲目の国学者・塙保己一のような人である。塙保己一も人に書物を音読してもらって暗記し、『群書類従』を著した。

 『まぼろしの邪馬台国』は昭和42年、大ベストセラーになった。無名の学究が彗星のごとく登場したことに、歴史学会は衝撃を受けたものだった。彼の投じた一石で「邪馬台国論争」が起きたのであった。第一回吉川英治文化賞を授賞している。作家・城山三郎の『盲人重役』は宮崎康平をモデルにした作品である。1980年没。「宮崎康平記念館」まである。

 

 宮崎氏の生きざまこそ見事である。われわれは自身の怠惰を本当に恥じなければならない。だから私は、歩けなくなったとか目が見えないとかですぐ車椅子に乗って人様に押してもらう人間とか、辛いことがあったから悩んで心の病になりましたとか言う人を批判するのである。ブログでもこのことを再三言ってきたが、そうすると必ず、障害者への苛めだ、差別だとコメントが来る。何が差別だ、宮崎康平さんを見習え。

 

 また、彼は昭和15年、大東亜戦争の前年に早大を卒業しているから、いわゆる旧制高校の魂を学んだ世代である。宮崎康平は旧制高校の魂を把持した。これこそが「心に青雲」を抱いて苦難を乗り越えたということなのだ。

 彼は、絶唱『島原の子守り歌』をつくって、昔のからゆきの境涯に同情し悼んだだけではないのだ。からゆきの出ていかざるを得なかった極貧の社会を変えたのである。だから「かくて、島原鉄道には快速のディーゼルカーが走り、バス路線は伸び、島原半島には乳牛が草を食み、たわわなバナナが南国の陽に映えた」というサイトの文言になるのである。それを妻に捨てられ、乳飲み子を抱いて呆然と…はしなかった彼・宮崎康平が成し遂げたのである。

 

 ついでに仏教批判をしておくと、からゆきたちに手を差し伸べた坊主は誰もいなかった、たった一人裸足の僧・広田言証を除けば…。広田言証は裸足で托鉢しながら北はシベリア・満州から南は東南アジアやインドのジャングルまで歩いて、からゆきさんを訪ね、施餓鬼供養をした人物である。言証については後述するとして、まずは仏教僧の人でなしどもである。

 

 からゆきたちは、貧しい実家の家計を少しでも助けようと、必死になって故国に送金した。そして自分の死後の墓や死んだ仲間の供養のために、寺院に多額の寄進をした。文字通り身を削ったカネである。寄進された寺では、そのカネを受け取って、なにがし読経しただけであっただろう。仏の道を説くなら、どうして女たちを救おうとしないのだ?

 

 昔はどこの田舎に行っても、農家はまずしく、男も女も幼児のときから奉公に出され「粟ん飯」を食い、「あばら屋じゃけんど」だったのに、寺だけは武家屋敷並の威風堂々立派な造りであったが、あれこそ、貧しい百姓を地獄に落ちるぞとか、仏を拝まないと先祖が苦しんでいるぞなどと脅して、カネを(布施として)巻き上げた名残=証拠である。死ねば死んだで葬式代や戒名代をふんだくった。巻き上げたカネ(銭)は、本山にも納められた。本山は一大フィナンシャルグループとなり、貴族や武士らにカネを貸しなどして大勢力となった。

 

 そのわれわれ庶民を虐げ、収奪してきた天皇家や僧侶に向かって、ありがたい、もったいないと掌をあわせるのだから、いったいこれは何だろうか? 何千年、こんな愚行をやったら人は目覚めるのだろう。

 世間ではともすれば、オウム真理教や創価学会など新興宗教だけを「カルト」と言って蔑むけれど、在来仏教だって耶蘇教だって、宗教の基本は同じであって、蔑むべき対象である。さんざん殺戮をやり、貧民をだまして富を巻き上げてきたのだ。なんでそんなものを信仰するんです、みなさん?

 

 現世が不安だからですか? でも宮崎康平さんを見なさいよ。盲目になっても信仰なんかにすがらずに、世のため人のため、いばらの道を切り拓いたではないですか。

 さて、先ほど述べた広田言証であるが、彼は明治年間に海外のからゆきを訪ねて巡礼の旅をした人物である。酷寒のシベリアから南方のジャングルまで、娼館のからゆきを集めては施餓鬼供養を行った。そのとき、彼女らは一心に掌をあわせて拝み、布施を包んだのである。

 

 何を彼女らは祈ったのだろうか。故郷の親族の無事を、だろうか。それとも自分が故国に帰還する日の早からんことを、か? 身を削って得た貴重なカネ…ゴロツキ女衒に言われなき借金苦を背負わされて返済に追われていながら…、貯めたカネを布施にして故国の寺院に寄付してしまう…。そのカネは「浄財」などと体裁のいい言葉に換えられ、言証によって持ち帰られ、島原市の大師通りにある理性院大師堂の「玉垣と天如塔(からゆきの尖塔)」に化けた。

 

 言証としては善意であり、そうする他なかったのかとも思うが、からゆきさんの貴重なカネを、坊主と石屋が儲けて、こんな玉垣に換わっただけというのは、あまりに悲しい。せめて彼女らにおいしいものでも食べさせ、きれいな着物でも好きに買わせてやりたいではないか。あるいは故国に帰して、ゆっくり温泉にでもつかってもらいたいではないか。

 

 玉垣には紅の文字で「阿南トンキン 高谷マサ 六十円」とか「マンデレイ 前田フユ 七円」などとある。明治、大正期のカネにして60円とか7円とかいうのだ。なかなかの大金だったかと思うべきである。この玉垣だけが彼女たちの生きた証しである。これも先の「からゆきさんの小部屋」のサイトで写真が見られる。私たちは、今となっては、彼女ら同胞の在りし日を想ってあげる以外に、いわゆる供養の手段はないのであるが…。まずは彼女らの在りし日々の姿を知らねば始まらない。

 


《1》

 空手の道場で弟子たちに『島原の子守歌』を知っているか? と聞くと、誰も知らないという。そこで歌を聞けば思い出すかと、私が歌ってみせたが、一度も聞いたことがないと首をふる。『五木の子守唄』は? と聞くと、これはさすがに知っていた。

 日本人なら『五木の子守唄』と同様に、『島原の子守歌』くらいは知っていなければならない歌なのではないか?

 

 なぜならば、そこに官許歴史が隠す“本当の日本人の歴史”が隠されているからである。いずれも“子守唄”といいながら、子守りのときに歌ったというより、あまりに悲惨な自身の境涯を嘆くつぶやきに近い。

 『五木の子守唄』は、さまざまな歌詞があって、作詞者は不明である。無名の貧民によって歌い継がれるうちに、改変が進んだものと思われる。それに対して『島原の子守歌』は、作詞・作曲者ははっきりしていて、宮崎康平氏である(1959年作)。宮崎氏については後述する。

 

 島原の子守り歌は、「おどみゃ島原の おどみゃ島原の なしの木育ちよ…」という歌詞。

 これ以下の歌詞は、「からゆきさんの小部屋」というサイトかをご覧ください。

http://www.karayukisan.jp/no7/index.html

 ここで芹洋子さんの歌声で聴くことができる。悲しい歌を心のこもった優しさで歌い、心にしみる。歌詞は方言なので、意味がとりにくいが、同サイトや、「島原の子守り歌」のサイト

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/8142/lullaby.htmで解説されている。

 

「からゆきさんの小部屋」からの引用と書いたとおり、『島原の子守り歌』は、からゆきさんを歌ったものである。この「からゆき」についても、私の弟子に尋ねたが、誰も知らず、驚いた。

 からゆきとは、江戸時代末期から昭和20年までのあいだに外国に娼婦として売られていった女性たちである。端的に言えば国に捨てられたのだ。 からゆきは天草や島原が最も多かったそうだ。

 

 アフリカ西岸に「黄金海岸」という奴隷を運び出した土地に付けられた名前があるが、島原から口ノ津あたりの海岸を「白銀海岸(シルバーサイド)」と呼んだのは、こうした誘拐されたりだまされたりした女たちが密航していった場所だからである。

 歌詞のなかの文言に「鬼(おん)の池の久助どんの連れんこらるばい」とは、鬼池の久助という女衒が人さらいにきて、連れていくぞ、という意味である。

 

 また3番の歌詞にある「青煙突のバッタンフール」とは、英国貨物船のことで、青煙突がトレードマークだった。この船は北九州で産出する石炭を東南アジアに輸出するために往来していたが、からゆきの密航を乗せた。乗せられた女たちは、真っ暗な船底に押し込められ、飯もろくに与えられず、石炭の中に糞尿垂れながしにさせられ、道中屈強な船員たちに強姦され続けて行ったのだった。

 

 からゆきが、教科書には載っていなくても、われら同胞がかくも悲惨な目にあっていたことは、常識になっていなければなるまい。

 

 例えば、からゆきさんについては、森崎和江、山崎朋子、山田盟子、工藤美代子、谷川健一といった人たちの研究書があるし、文学作品としては、円地文子『南の肌』、秋元松代『村岡伊平治伝』、宮本研『からゆきさん』など多数ある。これらの一つ二つくらいは読んでいなければ、われわれが生きているこの日本社会というものがわかるわけがなかろう。

 

 言っておくけれど、からゆきは決して昔の話ではない。今は逆にフィリピン、韓国、ロシア、支那などなど世界中から「ジャパゆきさん」として身を売る女性が日本へやってきている。チリから来たアニータなる悪辣なジャパゆきさんに、青森住宅供給公社のバカ男が14億も貢いでしまった事件があったが…。

 

 それに、現代日本の女性にしても、OLだとか派遣社員とかも、基本構造は同じであって、昔のからゆきよりも相対的にカネは入るようになっただけのことである。劇作家・秋元松代氏が書いた『村岡伊平治伝』の村岡伊平治は、からゆき女性の生き血を吸って巨利を得た女衒の親玉である。

 

 われわれの先祖は天皇族とその配下の権力者によって、部落民とされて、千数百年に渡って虐げられてきたのだ。男は戦争に狩り出されて殺された。女は十代半ばから娼婦とされて世界中にバラまかれ、国にも家族にも捨てられて死んでいった。民衆は税金でしぼりとられるだけ収奪されてきた。だから「産めよ増やせよ」だったのだ。それが日本の本当の歴史である。

 

 慶応義塾をつくった福沢諭吉が、女性を海外に売り飛ばすことを推奨した。同じく明治の元勲・伊藤博文も女衒・村岡伊平治がゴロツキを集めて女性を誘拐したりだましたりして、海外に連れていき売春させる仕掛け(犯罪)を賞賛し、女郎屋をもっと増やせと言っているのである。こういう福沢や伊藤をわれわれは紙幣(1万円札)の顔にしていた(いる)のだから、日本の恥である。

 


 ある人から尋ねられた。

 「君は自分を唯物論者だと言っている。そして21世紀は学問や芸術なども唯物論で創りなおすのだと説いている。しかし、日本には山川草木すべてに神が宿るという神道の捉え方がある、これについてはどう考えているのか。迷信といって排除するのか。神道の考え方は、日本人であるあなたの心の素養にもなっていると思う。これを否定することはできないのではないか?」

 

 これは良い質問だ。唯物論では日本人の魂をどう捉えるか詳らかにせよというのだろう。以下に私がどう答えたかを再現してみる。

 

 日本における神と人の関係は、大きくは祖霊(それい)、御霊(ごりょう)、自然神にわかれる。祖霊は先祖の神様、御霊は先祖神に近いが祟り神、自然神は岩とか植物などの自然物である。「能」はこのいずれにも関わる芸能であり、また神事である。

 この件については、昨年秋に書いた「能」の記述に詳しく述べた。

 今回の質問は主に自然神に関わる質問だとして、先に進もう。

 

 拙ブログで何度もくり返し紹介したが、エルンスト・ヘッケルが発見した「個体発生は系統発生をくりかえす」は見事な法則である。ある動物の発生はその動物の進化の道筋をたどって行われる、というより辿らなければならない、とするものだ。

 この「個体発生は系統発生を繰り返す」という法則は「個人の成長過程は人類史を繰り返す」ともなる。言い方を変えれば「人間は胎内で生物進化の一般性をたどるが、成長過程でも人類の歴史の一般性を辿るのだ、と。「成長過程でも一般性を辿る」とは、たとえば赤ちゃんのハイハイは両生類段階を経験しているわけで、両生類の運動をしなければ哺乳類になれない。認識の成長でもである。

 

 『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社)には、こうある。

 「人間は二重の意味で『いのちの歴史』を歩まされています。一つは生物としての人間歴史として、もう一つは個としての人間の歴史として。このようにして人間は人間になってきているのです…」

 

 私たちは赤ん坊のころから、“生命体にとっての発生のくり返し”とともに、“人類の文化史のくり返し”をやらなければならない。私たちが幼児から小学校、中学校、高校へと受ける教育は、“人類の文化史のくり返し”なのである。

 端的に言えば、私たちは子どもの頃から、人類の、だけでなく日本人の、原初からの文化史のくり返しを経験しなければならない。

 

 よって原始人のアタマとココロであった「鳥獣木草すべてに神が宿る」を通過しなければならないのである。

 外国で生まれ育って青年になって帰国した人と接すると、日本語はできるのだが何となく違和感を覚えると思うが、その原因がこれではあるまいか。

 

 近隣に鎮守の森があり、路傍に地蔵が鎮座し、正月には初詣に行き、寝床の中で祖母や親から昔話を聴き、怖い幽霊の話に震え、お雛様を飾り、先祖の墓参りをし、お盆の行事をやり、(外国の習慣だが)サンタさんを信じ……と、誰でも子どものころに経験した、そういった原初の観念論は、なくてはならないものなのである。

 

 たしか三浦つとむさんは、自分は子どものころから神様なんか信じていなかった、と書いていたと思うが、それはたぶんウソであり、また本当ならそれではまずいのだ。

 しかし大人になったら、先に言った神に関わる行事を真っ正直に信じるヤツはおかしい人間である。神がいるわけはないと、思わないのは知恵遅れでしかない。大人にもなって正月にこぞって初詣なんかに行き、銭を放り込んでくるのはアホである。本人も神に祈って家内安全大願成就が叶うとは思っていまいに。祈れば願いが叶うなら、全員が宝くじに当たっていいはずじゃないかネ。

 

 こう書くと猛烈な反発があろうけれど、まちがいはまちがいなのだ。しかし、それは子どもには必要なものである。

 人類は、観念論(宗教)を通過してから、ようやく今、唯物論の世界へと進歩してきたからである。

 

 宮本武蔵も戦国末期から江戸初期の人だから、片足は宗教に突っ込んでいる。晩年は寺に住んだというが、決闘のさいには「われ神仏をたのまず」と言ったとか。そうやって徐々に我等の先祖は観念論から唯物論へと移行してきたのである。

 

 原始時代の人間は、稲は太陽や水の神が恵んでくれたのだ、洪水や土砂崩れは神の怒りだと、そう思って当然であろう。だから日本人は「山川草木」すべてに神が宿る、と思い、シンキロウ首相が、日本は神の国だと言ったことに賛同する。それはまあ良しとしても、21世紀になってもまだ宗教かよ、なのである。

 

 唯物論が正しいとはいうものの、子どもにいきなり唯物論でものを考えさせるのは好ましくない。

 なぜなら、これはどうせ大人になったらセックスするのだから、小学生からだって愛があればいいんだよ、というようなものになる。

 観念論の経験なしに唯物論から出発したら、子どもが生まれたのは親の愛情なんかではなくて、動物的な交尾のせいだ、などという話にもなりかねない。

 

 ものには順序があり、時期がある。

 いきなり唯物論では、ココロとは何かがわからない。子どもは例えば、神様という捉え方を通じて「優しさ」とか「人に尽くす」とか、怒りとかを学ぶのである。亡くなった先祖が自分たちを守ってくれるから自分も親や兄弟を大事にするんだなとか、小さなアリにも命があって、むやみに踏んづけてはいけない、とかを知るのだ。

 

 こうも言えるだろう。3歳児までは「即自」でしかあり得ず、そこから「対自」の目覚めていくには、相互浸透の対象として「カミ」のごときものがあったほうが、そこから先に「即自対自」へと量質転化しなければならないけれど、そこで唯物論を教育されるかどうか…であろうか。

 

 京都や奈良にある神社仏閣は、大人が信仰の対象にするべきものではない。われら先祖が今日の私たちにつながる文化を創ってくれた、過去の生きざまとか文化を偲ぶ対象である。

 あれらは全部幼児語でいえば「ののさま」となるであろう。

 亡くなった人を「ののさま」と言う。お月様も「ののさま」だし、仏さんも「ののさま」。あらゆる霊的なものを認めた場合に、幼児語で「ののさま」なのだ。

 

 先に能の話をちょっとしたが、能には仏教が日本に入って来る前の日本固有の、いわば国家が出来る前の、日本人のココロのルーツに辿っていけるものがある。以前にも書いたが、能が藝術となったのは、明治以降のことであって、江戸期までは明らかに神事(非業の死をとげた人間による祟りの防止)である。

 根本には人間が神になるという考えがある。死んだ人のことを仏様とは言うものの、本来の仏教では仏様とは悟った人を指す。解脱した人。だが日本人はそれを受け付けない。カミと言う代わりに仏と呼ぶ。西洋人の言うゴッドとは全然ちがう。

 

 だから死んだ人=神になった人を悪く言わない。支那人は死んだ人間をあしざまに扱って平気である。日本では仏=神の悪口はタブーだ。これが本来の日本人のルーツ、またはハイマート(故郷)なのである。

 ルーツを辿るとは「系統発生をくり返す」ことなのだ。原初からの系統発生を辿らなくては、われわれは21世紀の人間足りえまい。

 



 東京・日比谷のシャンテの1階「合歓の広場」には、美空ひばりや吉永小百合といったタレントたちの手形とサインがはめ込まれている。

 http://www.toho.co.jp/chanter/hot/index.html

 これはハリウッドの真似であって、人気スターの手の形を見たいファン心理に迎合したものだ。

 大相撲国技館のあるJRの両国駅前の歩道上にも有名力士の手形のレリーフが埋めてあった。

 

 床にスターの手形を埋め込む遊びは、日本古来の手形のありかたとは異なる。

 「手形」は昔は「てぎょう」と言った。今は商業手形(てがた)のほかに、力士が色紙に手形を捺してサイン代わりにすることがある。

 昔の手形(てぎょう)とはどういうものだったかを、八切止夫の“歴史ガラクタ箱”から拾ってみよう。

 

 戦国時代は、やたら戦争をし、しきりに人が殺し合っていたかに思えるが、平時よりは多かったにしろ、そう一概に敵と見たら必ず首をあげていたわけではなかったようである。足軽ふぜいは虫けらのごとく殺されたようだが、武将どうしの一騎打ちともなると、そこはそれ駆け引きが当たり前にあった。

 

 八切止夫は『庶民日本史辞典』のなかでこう解説する。

 「昔の武士というのは今でいえばプロです。プロはやたらに、死に急ぐものでは絶対にありません。手傷をおったりしていて到底戦えぬと、自分で見きわめがついた時は、『短間(タンマ)』と叫びます。暫く待て、ジャスト・モーメントの意味です。そして首を落とされる前に話し合いとなります。(中略) (負けそうになっている方が)今は手持ちが銀百匁しかない。ここで(貴殿が)首をはねればそれだけ入手できよう。しかし自分をここで見逃せば、後ではその10倍の銀を払うが如何かといった交渉。命がけの掛け合いの取引なのです。真剣でした。」

 

 こんな話は、戦記物の小説や映画には出てこない。しかしとてもリアルである。こういう交渉がありうるのが社会だと私は思うから、八切止夫説を信用したい。

 そして戦場での交渉は、「後日の証拠に、これなる料紙にかき申す、と矢立より筆はだしますが『花押』と呼ばれた印形は殿様ぐらいしか持っていなかった時代ゆえ、掌に墨を塗って押したのが手形となったのであります。」

 

 と、こうなのである。戦国時代の合戦も、なんだビジネスじゃないか、と思える。実際、戦国時代の戦争は(今もそうだが)ビジネスだ。ビジネスだから後に商業手形が誕生するのも、このエピソードからわかる。

 

 紙も筆も持っていない武士はしょうがないから口約束になる。八切止夫はそこから「武士の言葉に二言はない」と、武士たるものはウソをつかないというモラルがここに生まれたのだと説く。

 武士の掟の基盤はここにあったのか。

 

 これが支那人や朝鮮人なら、ウソをついて命だけは助かろうとしたであろう。だからあれらの国では、ウソをつかれたらウソをつき返す、という全員総嘘つきとなり、また人をみたら騙す、約束は必ず破る国民性となって今日に至る。しかし、日本ではそうはならなかった。

 口約束や、手形のような当てにならないものを、信じる社会を武士たちは創ることになった。命と引き換えの約束の金子(きんす)は確かに届けられたのであろう。そういう無理してでも約束を守る日本人の“ふう”はこうして武士によって創られたのだ。

 

 これが日本人の今日に続くモラルの高さとなって流れてきている。諸外国の人から、日本人は約束を守る誠実な国民だと高く評価される遠因はここにあった。

 

 さらに。

 よく時代劇なんかで、侍が敵を斬ったあと、懐から懐紙を出して、刀の血糊を拭いて捨てる場面があるが、江戸時代に今のティッシュみたいに、紙をやたらに汚れとりに使うほど潤沢にあったわけではないだろう。紙は諸外国に比べれば豊富にあったらしく、幕末に来た外国人が驚いているが、それでも貴重品である。

 

 だいいち、以前のブログでも紹介したが、江戸時代には実際は決闘などはほとんどなかった。武士といえども、刀の鯉口を切っただけで死罪に処せられたのだから、カッとなってもおいそれと刀を抜くわけにはいかなかった。

 その武士の鯉口を無理に切らせる(抜かせる)道具が、あの岡っ引きが持っていた十手である。十手は武器足り得ないのは明らかではないか。

 

 十手は鋳造品であって、日本刀のような鍛造品ではないから、十手と刀あるいは十手同士がぶつかりあえば、すぐ壊れる。

 だから十手を武器として、刀と張り合うことはできない。

 幕府が侍でもなくチンピラでしかない岡っぴきに刀は持たせない。実用と、誇りゆえである。

 

 江戸時代に武士が懐紙を持っていたのは、万一、巷で争いに巻き込まれ、自分が殺されそうにでもなったら、カネで命と引き換えにしてもらうために手形(てぎょう)を書かねばならなかったからである。だから「財布」のことを「金入れ」とは言わず「紙入れ」と称して白紙を懐に入れて大切に携行したものであった。

 懐紙は万一の際に手形を押さねばならぬ武士の貴重品だった。

 

 八切止夫によれば「月賦」という言葉に「武」の字があるのは、命の猶予をくれた相手に差し出した約束手形の額面を一度に払いきれないので、分割払いにしたための名残であるそうだ。

 

 テレビドラマ「水戸黄門」のクライマックスで、「この紋所が目に入らぬか!」と大見得を切る場面があるけれど、あの黄門様の印籠は、初めは決して薬入れではなかった。手形に捺す印判入れだったのである。

 角さん、助さんが派手な立ち回りで胸のすく活躍をしているが、実際は「命だけはたすけてちょうだい。おカネは払いますから」というときの手形を発行する用意がしてあったという、お粗末。

 

 八切止夫も言っているが、「武士道」なんてものは「そう恰好よくない」ものである。われわれがキレイごととして理解している武士の生きざま、主君に仕えるありようは、ほとんどが講談師の創作であろう。武士の決闘の場面も、小説家や講談師の創作である。

 

 

 

 知り合いの若い女性から、久しぶりに近況を報せるメールをもらった。

 なんでも新年会があったそうで、そこで酔った先輩にからまれたらしい。

 

 いきなり酒席で同席の女性から「あんたはね、人前ではいつもニコニコしているけれど、自分が気に入らない人への反応はものすごく冷淡なのよね。外面はいいようでも、家ではわがままで、本当は性格が悪いんでしょう」などと面罵されて、びっくりしつつも、当たっている面もあって「へこみました」とある。

 

 「私にも非はありますけれど、人には嫌なことはいうものではありませんね。言われた方は、ずっと忘れませんね。どうしても直してほしいことがあれば、直接、心をこめて言うべきだと思います」

 と書いてきていた。

 

 この女性がどういう性格なのかはどうでもいい。田舎(山陰地方)のジトッとした人間関係の一端をかいま見る思いがする。

 都会が住みやすいわけでもないが、私は田舎は絶対に住みたくない。

 以前にも紹介したが、丸山健二氏の「田舎暮らしに殺されない法」(朝日新聞出版 08年刊)から、田舎暮らしとはどういうものかを取り上げた。

 

 丸山氏は若者が都会に出て行く理由を、単に職がない、夢がない、男女の出逢いの場がない、刺激がなく退屈、などということではないと言う。

 「かれらは、暗く湿った、息の詰まるような、四六時中監視し合っているような、田舎の重苦しく狭苦しい雰囲気に対して背を向けたのです」と説いている。

 

 冒頭に紹介した山陰のある小都市に住む女性のいがみ合いの話も、まさに息の詰まるような、表向きは仲良くやっているようでも「四六時中監視し合っているような、田舎の重苦しく狭苦しい雰囲気」を思わせる。

 

 じゃあ都会はどうかということを、同じ丸山健二氏が自伝的小説ともいうべき『生者へ』(新潮社 2000年刊)で以下のように書いていることは痛烈である。

 これは丸山健二氏が当時としては史上最年少で芥川賞をもらって作家デビューする前の商社勤めの時代を回顧しての文章である。

 少々長いが、みなさんも身につまされるだろう。

 

     *     *

 

 だが、企業というところはそう甘くはなかった。八時間勤務で、残りの時間は全て自分のものと考えたのは大きな間違いだった。私のような成績のよくない者をなぜ積極的に採用したのか、その理由はすぐにわかった。配属された電信課の仕事の中身は想像していたよりも大変だった。日本の商取引の慣習として海外の時間に合わせて動くために早出と残業が連日つづいた。

 

 毎日へとへとに疲れ、余計なことを考える余裕はなく、帰りの総武線の電車の中ではしばしば眠ってしまい、津田沼の駅を乗り越して千葉の駅で目を覚ますということがたびたびあった。

 休日には寮で眠っていることが多く、映画を観る気力もなかった。そして、只生きているというだけの虚しい日々が素早く通り過ぎて行き、そんな暮らしに抵抗する体力がどんどん消耗してゆくのだった。

 

 最初のボーナスをもらったとき、ささやかな額ではあったが、どうして多くの先輩たちが羊のようにおとなしくそんな生活に耐えているのかわかった。わかったような気がした。1年に二度これをもらえるから何とか我慢していられるに違いないと思った。会社勤めにつくづく嫌気がさした頃に出るボーナスのカンフル注射にも似た効力は大したものだった。勤め人たちを生かさず殺さずの微妙な状態に保つボーナスにつられてずるずると会社に居ついてしまう危険性をひしひしと感じた。

 それは私の思い描くところの真の生者の道に著しく反する道であった。

 

 一番我慢ならなかったのは、職場の人間関係だった。人間が好きだからこそ堪えられなかった。家庭的と言えば家庭的、日本的と言えば日本的なのだが、公私の区別がない、上辺だけでありながら妙にべたべたした付き合いにはうんざりさせられた。課長が最初にしてくれたアドバイスはこうだった。「会社というところは仕事よりも人間関係のほうが数倍も大切なんだからね」としつこく言われたものだった。

 

 しかし、私のように生まれながらにして集団に組み込まれることを嫌う人間には心外な忠告だった。私がサラリーマンをしているのはひとえに一文無しの身分だからであって、あくまで口過ぎのための手段にすぎなかった。忠誠を誓ってまで資本家に尽くさなくてはならない義理などひとつもなかった。ましてや、こっちが選んだわけでもない職場の人間と温泉旅行まで共にしなければならないなんて論外だった。

 

 だが、そんな考えを持つ者はどうやら私ひとりのようだった。周辺にはサラリーマンになるためにこの世に生まれてきたような人間がごまんといた。適応力に富んでいるというか、従順な質(たち)というか、典型的な現実派であるというか。

 万歳突撃を命じられたら即実行に移し兼ねないような「君、よろしくね」と言われた肩をポンと叩かれたら、ビルの屋上から身を投げ兼ねないような、そんなタイプの数のあまりの多さがひどく不気味なものに感じられた。

 本当に自分と同じ人間なのだろうかと疑わずにいられなかった。かれらといっしょに満員電車に詰め込まれるとき、ゲットーに送り込まれる人々の気持を想像しないではいられなかった。

 

   (中略)

 九分九厘の人々が辛抱していたとしても、私だけはそんな現実をあっさり認めてしまうわけにゆかなかった。たとえ突然成功の道が開けて蒸し風呂のような満員電車にぎゅう詰めにされなくてもよくなり、冷房の効いた高級乗用車で送迎される身分になったとしても、こうした土地では絶対に暮らさないだろうと思った。

 

 ところが、周囲の人々はいらいらしながらも怒り狂うほどではなかった。己の行く手にどんな人生が待ち構えているのかを百も承知しながら、ささやかな変化に、プロ野球の試合の結果や、競馬の予想や、賭け麻雀の勝敗や、株式の相場といったことに楽しみを見いだし、一喜一憂しながら、半ば諦めの日々をきちんと生きていた。

   (引用終わり)

     *     *

 

 丸山氏が書いている状況はもう40年前の話だが、今も変わるまい。相かわらず会社勤めは奴隷の日々である。40年前より、女性がこの奴隷仲間に加えられた数が多くなったくらいの違いしかない。

 つい先だっても電通の女性社員が残業の多さに耐えきれず自殺した。

 

 この丸山氏の『生者へ』、いかがですかみなさん?

 苦い、砂を噛むような思いでこの丸山健二氏の突き刺さってくるような文章を読んだのではないだろうか。そんなこと言ったって、丸山は小説を書く才能があったからサラリーマン地獄から抜け出して成功したんであって、才能がない俺にどうしろと言うのか、耐えて家族のために生活費を稼ぐしかあるまいに…と、怒りを私や丸山氏に向けたくなったかもしれない。

 

 前回、この書を取り上げた際にも紹介したが、『生者へ』の「腰巻き(広告の帯」には、

 「いかなる権威にも屈することなく、いかなる集団にも頼ることなく、さりとて世捨て人に堕するわけでもなく、そのために支払う代償をものともしないで、どこまでも個人の自由という掛け替えのない精神と権利を求めずにはいられない激しい気性の持ち主こそが、真の創作者であり、真の生者たらんとする生者である。」

 

 とある。

 多くの奴隷となった日本人には、意味がわからない言葉であろう。ほとんどの大衆は、今の暮らしより「ほんのちょっと」豊かで、楽しければいいのだから、権威がどうたらなんて関心がない。半年に1回のボーナスをもらって得したような気分になって、一つ家電製品を買って、旅行にでも行ければ、従順に働くのみ。

脱却する方途へは絶対に足を踏み出さない。「だって、仕事が忙しいんだもの」と。「空手をやってみないか、だって? 仕事が山のようにあるんですよ。放っておけませんよ」

 

 そして「 己の行く手にどんな人生が待ち構えているのかを百も承知しながら、ささやかな変化に、プロ野球の試合の結果や、競馬の予想や、賭け麻雀の勝敗や、株式の相場といったことに楽しみを見いだし、一喜一憂しながら、半ば諦めの日々をきちんと生きていた。」となって、はい、おしまい。

 末路は、医者と製薬会社と役人に騙されて、病気をつくられて死んでいくのである。

 


《2》

 私は、ナチスによるユダヤ人迫害がなかったと言う自信はない。しかし「ユダヤ人が600万人虐殺された」というのは、誇張された話ではないかと思うのみだ。真実は検証されなければならないと思う。イスラエル=シオニストは、疑惑に対してまっとうに答えなければならない。言論を封じ、弾圧するやり口はあまりに卑劣である。

 人にいっさいの疑問も許さないのは、逆にそれがウソだからであり、バレると都合が悪いからだと疑われる。

 

 なんで自分たちを悲劇の主人公にし、ナチスを悪魔に仕立てるかは、税金問題だと言ったが、もう一つは、「しかるべき死体の数によって、イスラエルという国家にたいしてドイツが戦後一貫して毎年支払い、いまも支払いつづけている莫大な補償金の額を正当化するため」(ラッシニエ『ヨーロッパのユダヤ人のドラマ』(『ホロコースト物語とユリシーズの嘘』所収)より)なのである。これをイスラエル協定と言う。

 

 以下は昨日も紹介した「教えて!goo」の「ユダヤ人ガス室大量殺人の真実」にある“解説”である。簡潔にして的を射て見事なので、全文を引用させていただく。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2712606.html?from=recommend

 

     *     *

 

 

[引用開始]

 ラッシニエはさらに、「それは単に、純粋に、そして非常に卑劣なことに、即物的な課題でしかないのだ」という表現をもちいている。一九四八年までは存在していなかったイスラエルという国家にたいして、一九四五年以前の問題についての補償金を支払うという「イスラエル協定」については、その法的矛盾を指摘するとともに、「いかなる言語でも“詐欺”としか表現できない」という告発までしている。

 このラッシニエの告発は、決して突拍子もないものではなかった。永井清彦も『ヴァイツゼッカー演説の精神』のなかで「イスラエル協定」について、つぎのようにしるしている。

 

 

「この協定は日本では普通、『賠償』協定と呼ばれているが、実はボツダム協定にいう賠償の枠を越えた、『償い』の協定であった。イスラエルはかねてから、ドイツからの賠償を要求していた。しかし、戦時中には存在していなかったイスラエルに、賠償請求権があるかどうかについては法的な疑問がある、というのが戦勝四大国の立場であった」

()

 

 朝日新聞の特集記事「問われる戦後補償、下」(931114)によると、一九九三年現在で、一九四九年以来イスラエルがドイツからうけとった金額は、九〇四億九三〇〇万マルク[一九九四年現在の交換レートで約五兆七九〇四億五二〇〇万円]に達している。協定の期限の西暦二〇〇〇年までの支払い予定の残額は三一七億六五〇〇万マルクで、あわせて一二二二億六五〇〇万マルク[おなじく約七兆八二四九億六〇〇〇万円]になる。そのほとんどはイスラエル、ユダヤ人組織、ユダヤ人個人向けである。

 

 イスラエルは、砂漠地帯に給水設備をめぐらせつつ、国際的にも非難されている「占領地域」にまで入植し、いまや三〇〇発以上の核弾頭を保有するという事が公然の秘密とされている超々軍事国家である。人口の増加は、軍事的な意味でも必死の課題だが、移住者をむかえるためにも資金が必要である。イスラエルの経済はもともと、ドイツやアメリカからの資金援助なしには絶対に成り立たなかったのである。

 

 だから当然、以上のようなラッシニエのきびしい糾弾の言葉は、「イスラエルという国家」、またはシオニストにとって致命傷となりうるものだった。

()

 

 パリで、具体的には一九四五年一二月二一日、ドイツから取りたてる賠償金の配分を決める会議が開かれていた。『移送協定とボイコット熱1933』では、ユダヤ人自身の国際組織、「世界ユダヤ人評議会」が一九四八年にニューヨークで発行した活動記録、『離散の中の統一』の記述にもとづいて、この会議の経過を要約している。

 

 第一次世界大戦後の高額賠償金請求はドイツの経済を破壊し、ヒトラーの登場をまねいた。だから今度は金額は低くおさえられた。「二五〇〇万ドル」と「中立国でさしおさえたドイツの資産」および「ドイツで発見された金塊」が賠償金の基金となった。最初は、ユダヤ人への賠償という考えは、連合国首脳の頭のなかにはまったくなかった。世界ユダヤ人評議会はアメリカ政府に強力にはたらきかけた。

 

 その結果、最初の段階では、賠償金の配分を「ドイツの支配下で非常にくるしめられたもの」に優先するという原則が決まった。だが、そのときにはまだ「ユダヤ人」の名はでていなかった。以後、翌年の一九四六年一月一四日にいたるまでの「ユダヤ人組織のきびしい努力の結果、やっとのことで」、「二五〇〇万ドル」と「金塊」の九〇%、「相続者のいない資産」の九五%がユダヤ人に配分されることになった。その使用目的は、ユダヤ人組織の代理人が持ちだしたもので、「ユダヤ人戦争犠牲者の再定住」のための資金にあてるという計画だった。

 

 「ユダヤ人戦争犠牲者の再定住」、すなわちイスラエル国家の建設である。このための資金の獲得こそが、ラッシニエが「純粋に即物的」と表現した具体的な課題だったのである。「六〇〇万人の神話」は、まず最初に「しかるべき死体の数」として提示され、ドイツからの賠償金の配分獲得に役立ったのだ。

  [引用終わり]

 

 これらからお分かりかと思いますが、まず第一に金なんです。戦争の賠償金などというものは、通常では考えられないほど莫大な利権を生みます。

 その為には、歴史を捏造して、自分たちの被害を殊更に強調し続けるのも、自然な事です。

 

 また一度捏造したら、永遠に嘘はつき続けなければなりません。嘘によって成り立っている利権なのに、嘘と認めてしまうはずがありません。たとえそれがどんなに科学法則に反していて荒唐無稽であってもです。

 

 そして、欧米においては、少しでも真実を知ろうとする人がいれば、ユダヤ人の団体によって、潰されてしまいます。「知ろう」とした時点で、文字通り犯罪です。ホロコーストに少しでも疑義を唱える本は、児童ポルノと同じように、発禁処分を受けます。

 

 そのように法律によって、嘘を嘘のままにしておかなければならないのです。

 

 現在は、嘘をつき続ける事で、得をする人たちが、政治的にも経済的にも優勢で、メディアも支配されています。それが現実なんです。だから現状がそう簡単に変わるわけが無いのです。

 主流メディアとは、政治的に歪められているので、そこにはメディア支配者の見せたい「現実」しかありません。だから、本当の現実を知りたいならば、そこから離れるしかありません。

 そこから離れた場所で、幾多の科学的で自然な「本当の真実」が見えてくるでしょう。その為には、何が正しいのか判断できるメディア・リテラシーを持つ事が必要です。

 

     *     *

 

 日本でも、昭和天皇が本当はアメリカとの戦争を望まなかったのに、陸軍が暴走したんだとか、天皇は政治・外交・軍事には介入させてもらえなかった、昭和天皇ほど平和を希求された人もいない、などの話がまかり通っている。小林よしのりが最近そのプロパガンダの片棒を担いでいる。

 あるいは海軍は善玉で、国際的視野を持っていたが、陸軍が頑迷で覇権主義だったために大東亜戦争に突き進んでしまった、などいうウソも、人口に膾炙している。

 

 これはまさに「嘘をつき続ける事で、得をする人たちが、政治的にも経済的にも優勢で、メディアも支配されています。それが現実」なのである。

 

 最後にもう一度、ホロコーストに関する“感想”を述べておくと、いかなナチスが悪逆非道だったとはいえ、当時のドイツ人がそれほどのバカであったろうか? むろん騙された面はあろうけれど、市民はふつうの、今とさして変わらない認識を持っていたはずで、国中あげて犯罪集団と化したとは思えまい?

 われわれの祖父や父の代の人たちが、あろうことか南京に赴いて、虐殺のかぎりを尽くすなどということは、信じられないことであろう。

 

 あなたの周囲に、そんな大阪教育大付属池田小学校に乱入して児童を無差別に殺害しまくったとされる宅間守を、百倍ほども悪くした兵士たちが、南京に押し寄せたのか? 同様に、ナチス時代のドイツとて、国民みんながユダヤ人をいじめぬき、600万人も殺せるわけがなかろう。ましてヘーゲルやベートーヴェンを生んだ偉大なドイツ人が、である。

 

 600万人も虐殺? そんなバカなことはあるはずがない、という素直な目で、われわれはマスゴミや官許歴史教科書から離れてものごとを見なければならない。

 一方で、昨今でヨーロッパの難民・移民問題は、ドイツが大量に受け入れているが、その拝啓にはほとんど語られない、「イスラエル協定」がからんんでいるのではなかろうか? とも疑ってみるべきではないかということなのである。

 

 

 

《1》

 ナチによるユダヤ人迫害や強制収容所をテーマにした映画はずいぶんと観てきた。最近では、ハンガリーの映画で『サウルの息子』がある。

 サウルはハンガリー系のユダヤ人。ビルケナウ収容所のなかでゾンダーコマンドとして働いている。ゾンダーコマンドとは、収容所に連れてこられたユダヤ人のなかからナチスが選抜した部隊で、ユダヤ人の死体処理に従事させられるが、それもしばらくの間だけで、彼らもいずれガス室に送り込まれる(となっている)。

 

 2015年製作だから、今日でもホロコーストは(妙な言い方になるが)映画では人気のあるテーマであるらしい。『サウルの息子』は、収容所で働かされる主人公の目の前で、ガス室で殺されたばかりの息子がいた、というところから話がはじまる。

 サウルは何がなんでもユダヤ教で埋葬して、簡略ながらも葬儀をしてやりたいと思って、息子の死骸を隠し、ラビを探し回る。

 

 収容所のなかで、ナチの監視の下、そんな自分勝手なことが許されるわけがないし、ゾンダーコマンドの仲間たちにも多大な迷惑を被らせても、最後の「人間らしい(?)」埋葬にこだわる主人公に同情的に映画は描かれるけれど、私にはどうもこのテーマは無理があると思えたし、70年以上も昔のナチの収容所を舞台にするあたりも古いのではないかと思えた。

 

 いささか不謹慎は言い方かもしれないが、ナチの収容所を舞台にしたら、いくらでも映画は創れるではないか。ガス室に放り込まれるユダヤ人一人ひとりにドラマがあるし、ナチの人間にもドラマは考えられる。それが悪いと言うわけではないが、ホロコーストが本当にあったのか? と問い直されている現代において、ガス室があったことを前提とした映画がなお、なお、なお、創られることにはいささかの疑問を呈さねばならない。

 

 ナチス・ドイツによるユダヤ人へのホロコーストの真相はすこしずつ世間に浸透してきているように思える。ナチスがユダヤ人をいじめた事実はあっても、ガス室に放り込んで600万人もの大量殺人をやらかしたとは、戦後のユダヤ人による作り話だとする見解である。

 

 しばらく前に、イランのアフマディネジャド大統領が堂々と、ホロコーストはウソだと言って(2005年)、日本のマスゴミをはじめ世界中が驚いていた。

 アフマディネジャドはホロコーストについてこう言った。

 「イスラエルが建国の口実にでっちあげたものだ。西欧諸国はヒトラーが数百万のユダヤ人を殺し、強制収容所送りにしたと主張する。これに疑いを抱く者は、歴史家であれ、評論家であれ、科学者であれ、誰であれ手厳しく非難されるか、牢獄にぶち込まれる。」

 

 アメリカによるアポロの月面着陸もひどいウソだったが、ホロコーストもきわめて怪しい。

 アフマディネジャドが言うように、ホロコーストに疑念をいだいただけで、欧米では「誰であれ手厳しく非難されるか、牢獄にぶち込まれる」。ドイツでは5年の懲役、オーストラリアでも3年の懲役をくらうそうだ。職も失う。

 

 欧米では、少しでも真実を知ろうとする人がいれば、ユダヤ人の団体によって、潰される。知ろうとしただけで犯罪にされる。ホロコーストに疑義を唱える本は発禁処分を受ける。

 

 なぜそんな厳しい法律があるのか? それはユダヤ人がカネを儲けるためであると、斯界の権威たる宇野正美氏(国際時事問題評論家)は解く。

http://www.youtube.com/watch?v=JYBFJ0qHrcY&NR=1

 たとえばドイツでは、ユダヤ人の企業は無税だそうだ。それはユダヤがドイツを支配しているから出来る。もしドイツ人が、ユダヤの企業にも税金を払ってちょうだいな、とお願いすると、「貴様らドイツ人はヒトラーとともに俺たちユダヤ人を迫害して、600万人も虐殺したじゃないか、それを忘れたんか!」

 と、すごむのである。これでドイツ人は参ってしまう。

 問答無用がまかり通る。

 

 600万人という数値はニューヨークのユダヤ人協会なる団体が発表したものである。いささかも科学的裏付けがあるものではない。日本軍の「南京大虐殺」と同じプロパガンダである。

「教えて!goo」にある「ユダヤ人ガス室大量殺人の真実」にある、「疑惑」を並べてみよう。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2712606.html?from=recommend

 

・死因がガス中毒によるものの死体が一体もみつかっていない。

・当時のガス「チクロンB」では人を死に至るにはかなり難しい。

・死体を焼却するはずの焼却炉が見つかっていない。現在あるのは再現用である。

・焼却すれば当然、煙が上がる訳でありそのような煙を偵察機が捉えた記録は一度も無い。

  しかも、わざわざ場所を教えるような煙の上がる焼却をするとはとても考えにくい。

 

・死体の死因の大部分は「餓死」と「チフス」によるものだった。

  ドイツ側の言い分は「餓死」させてしまったのは連合軍側が補給路を断った為だからと発言している。

・迫害を受けていたユダヤ人側から「そんなガス室や焼却炉など見たことも聞いたことも無い」と裁判で発言しているがこの発言を一方的に破棄されている。

 

 一口に600万人を殺したというけれど、宇野正美氏はそれを4年間での仕業とすると、1日あたり5000人も殺さなければ間に合わない。神戸の震災でもおよそ5000人が死んだが、火葬するのに10日間もかかっているそうだ。

 ナチスはこれだけの遺体をどう処理したのか? そんな設備はなかったのである。

 人間一人を火葬するのに重油ベースで180リットルが必要とされる。当時のドイツ軍は日本以上に化石燃料が(アメリカから密かに売ってもらっていてもなお)足りず、モスクワ占領を諦めてまでコーカサスの油田を狙ったほどであった。

 

 そんな貴重な石油を、たかが虐殺した人間を焼却するのに使うわけがあるまい。 

 大戦中のドイツは人手不足で、実態はユダヤ人さえも工場などの単純作業についていたのだ。殺して処理をするには手間ひまがかかる。カネもかかる。いくらヒトラーがユダヤ人を根絶やしにしたくても、そんな無駄なことをする余裕が、本当にあったのか。

 アウシュビッツ収容所には、人間の脂から石鹸を作ったの、髪の毛で毛布を編んだのというおどろおどろしい“証拠”が展示されているようだが、そんなコストのかかる商売を、世界一合理的な考え方をするドイツ人がやるわけがないじゃないか。 

 

 フランクルというユダヤ人の心理学者が強制収容所での体験を書いた『夜と霧』という本があるが、あれもプロパガンダの一種だったのではないか。以前にも書いたが、有名な『アンネの日記』もウソっぱちである。ユダヤ人の三流小説家がでっちあげた“騙りもの”である。

 

 『夜と霧』のなかでフランクルはこう証言する。

 アウシュビッツ到着するとユダヤ人の囚人たちは一列に並ばされ、ドイツ軍将校によって身体検査され2グループに分けられる。一方の人々は石鹸を渡され、毒ガスが撒かれる「浴場」へ行った。別のグループは別の浴場へ行き、そしてそこで裸にされ消毒された。ガスの出る「浴場」へ行った人々はその後姿を見ることはなかった…。

 

 映画『ソフィの選択』にもあったショッキングな場面だ。映画ではメリル・ストリープ演じるユダヤ人の母親が、ドイツ人将校に連れている二人の子のうち、男の子か女の子かどちらかを選べ、と言われる。母親は男の子の手をひき、下の女の子は引きはがされてガス室送りになるという話である。

 あれは世界中の観客の紅涙を絞ったであろう。まったく…よくやるよ、ハリウッド映画は。これでもかとドイツ人を悪者に仕立てる。というより自分たちユダヤ人をこれでもかと悲劇の主人公に仕立ててきた。そのプロパガンダの役割を担ってきたのがハリウッド映画であった。

 

 私も昔、フランクルの『夜と霧』を読んで、ナチスはなんとひどい事をすると憤ったけれども、フランクルはその毒ガスとやらを殺人に使ったあとどうしたかを書かなかった。「浴場」で毒ガスを充満させたら、人は殺せるかもしれないが、そのガスの後始末が超困難である。うっかり窓やドアを開けて外気に放出したら、収容所のドイツ人にも被害が及ぶ。煙突から出したことになっているが、 周辺の村人も吸ってしまう。

 

 だからガス室うんぬんはウソか、もしくは超誇張なのだろう。『サウルの息子』では延々としたい処理の場面を描くが、死体は重くて1人ではそう簡単には運べない。二人掛かりでやっと持ち上げる。そんな作業を15000体も運ぶのはとてつもない重労働である。日にち毎日、それをゾンダーコマンドのユダヤ人にやらせるのは、相当無理がある。

 

 

 


《2》

 林秀彦著『日本人はこうして奴隷になった』のなかから、ひとつ選んで論じたい。先ずは、少し長くなるが引用から。

 

     *     *

 

 概して、日本人は支離滅裂な人間だと、かねてから思っていた。それは無論、今まで述べたように、論理性が頭の中にないからである。

 おしゃべりの、長話が好きな人の話を聞いていれば、すぐわかる。途中で話題が元からはなれ、とんでもないところに飛んでしまったり、こんがらがったりする。不思議なことに、白ンボにはこれがない。

 

 まったくちがう話に移ったな、と思って聞いていても、いつの間にはちゃんと元の話に戻り、それが起承転結の役を果たしている。論理性が魔法のように一貫している。これは無意識にも、論理の一貫性が頭に流れる本能的才能が彼らにはあり、こちらにないからだろう。それが彼らのレトリックとなり、弁論術ともなっている。

 

 この支離滅裂が顕著に現れるのが、演劇における役者の台詞術に見られる。

 台詞はちゃんと前もって作家が作り、作劇としてのレトリックも持たせてある。だから、それをそのまま言えば、役の人物は支離滅裂にならずにすむはずである。ところが、そうならない。こんな不思議なこともない。

 

 白ンボが、話を飛躍させ、再びいつの間にか戻し、関連付けている手法がマジックに思えるのと同様、この、最初から論理的に組み立てられている台詞の構成どおり演じ、それを話しているにもかかわらず、言っている内容(役者の台詞)が、意味不明、説得力消滅になってしまうのも、マジックみたいである。

 

 どうしてこのような不思議なことが起こるのか。

 先日、演劇をテーマにしたアメリア映画を見た。(グレース・ケリーがアカデミー主演女優賞を穢多『喝采』。ひとつの芝居を作り上げていく過程が、ドラマになったストーリーである。その中で演出家が、下手な役者の下手な台詞回しに怒り、怒鳴りつける。「Mean it!」と怒鳴るのだ。直訳すれば「意味しろ!」である。

 

 これでマジックのネタが知れた。

 日本人が日本語を話すとき、その言語自体が持つ意味が希薄(言葉の内容の密度が小さく薄い)なのと同時に、その使用者の使用法が、それにも増して希薄なのだ。

 

 この「ミーン.イット!」を、私も稽古をつける最中、喉が腫れ上がるほど役者たちに繰り返し言った。これを日本語で言うと「もっと心をこめろ!」という怒鳴りになる。台詞に心がこもっていないのだ。だから下手で、おざなりに聞こえる。

 ところが、この「意味しろ! Mean it!」を聞き、根本問題としての日本人演劇不適格性の謎が氷解した。

 

 意味———。これほど日本人に縁遠いものもないのである。

 意味の追及、これは結局言葉の追求と同じことになる。さらに言えば、論理の追求でもある。なぜなら、どんな事柄にも、概念にも、感情にも、それを表す論理としての言葉があるからだ。論理性を持たない言葉の意味など、存在しない。言葉を持たない意味もない。

 

 ところが、それは白ンボの世界の真理で、白ンボの意味には言葉がないものが多い。言葉に意味がないものも多い。つまり昇華して言えば禅の世界だ。不立文字というやつ。

 役者は台詞に意味を探していない。台詞のやりとりは、禅問答に近くなっている。お互いにミーンを無視して話しあっている。だからこちらも禅風な言い方で「こころをこめろ」というしかないのだが、「心」という日本語の単語も、実は非常に“意味”が曖昧で、希薄なのだ。

 

 何とでも解釈ができ、明快な定義ができない。巾は広いが、その分、純度が低い。これは同じように、「心」に当たる英語のスピリットやマインドやハートと比較してもわかる。

 日本語の「心」は、多義にわたりすぎ、定義は散漫になる。そして、少なくとも「心」には、英語で言うところの「論理的意味」は入っていない。

 

 しかし、台詞は、どれも論理に裏打ちされている「意味」なのだ。その意味には、その台詞を口にする人物のあらゆる意味、レゾン・デートル(存在理由・存在価値)が含まれている。なぜその人物が登場していて、なぜその他の登場人物と関係を持ち、なぜその台詞を言うのか、という一切の意味が登場人物の、レゾン・デートルなのだ。

 

 レゾンはフランス語だが、英語のリーズンも同じで、「背後の理由、わけ」のほかに「理性、思考力、推理、分別、道理、理屈、考える、判断する」と、「意味」を意味する「意味」がある。

 だから、私が見た映画の中の演出家のこの英語による叱咤は、「人物の背後を考えろ、論理的に表現しろ、もっと深く台詞の意味を考えろ、自分が何を言っているのかの意味を知れ」と言っていると同じになる。

 

 ドラマとは、必然の集約である。

 現実の人間の生活は、無意味な「余分要素」に彩られている。一組の男女の恋愛は、実生活に無論あることだが、その実生活の中には、お互いの朝の洗面、排便、食事、通勤電車の中の不快感、上司との諍い、などなど秒刻みの「添加物」がある。その添加物をできる限り取り去り、恋愛という一点、即ちテーマに集約する、それがドラマである。

 

 当然、集約(つまりコンデンス・濃縮、凝縮)は、言葉の濃縮となり、意味の濃縮となる。

 言葉にもなっていない溜息とか、それに近い最も短い「ああ」といった呟きも、意味の濃縮である。意味のない台詞はひとつもなく、意味のない動作もひとつのないのが演劇であり、そこで「人生の濃縮」、つまり意味の完結が可能になる。

 

 「意味しろ!」

 と、怒鳴れない日本の演出は、結局日本語の限界を意味し、日本人の人間関係の限界を意味し、日本人の人間性の限界を「意味」している。

 

     *     *

 

 まだまだ引用しておきたいが、このあたりで打ち切る。

 私のブログの文章も、論理的・論理性でありたいと願いつつ、いつまで経っても自信が持てないままだ。それは私自身の問題でありつつ、日本社会のせいでもあろうかと思う。

 

 それでも私がブログで懸命に論理的であろうとして書いたものほど、反響が薄いといつも思わされるのは、どういうわけかと長年不思議だった。

 例えば音楽批評は、「誰それの演奏は素晴らしい」と言うのではなく、なぜ素晴らしいといえるのかを論理的に述べるべきだと書くと、まったく無反応なのである。

 

 それには触れずに、およそ無関係な自分が言いたいことだけをコメントしてくるのが精一杯である。引用した林さんの文の冒頭にあった文句を使わせていただけば、「支離滅裂」、これである。

 あるいは宇宙人なんかいないということを論理的に解いても、無反応であることが多い、反論は「だって、ボクは見たんだもの」になってしまっていささかも論理で反論は来ない。

 

 それはここで林さんが解いておられる日本人の性向と同じなのではないかと思わざるを得ない。日本人は思索することができないのではあるまいか。それが言いたくて、長々と引用させてもらった。

 


《1》

 林秀彦の『日本人はこうして奴隷になった』(成甲書房)が発刊されたことを当時まだご存命だった太田龍氏の「時事寸評」で、知り、さっそく読んだのは2008年のことだった。

 太田氏は「日本民族有志にとっての必読の著作」と持ち上げつつも、「時事寸評」の中では、イルミナティの日本包囲網の中の、もっとも弱い環は、医療、医学の領域である、という問題が林秀彦氏は全く視野に入って居ない、と断じている。

 

 これはそのとおりであって、林さんはその2年後2010年に亡くなっている。

 もしも林氏が医療・医学の領域に関してイルミナティの策謀が視野に入っておられたら、健康分野でも十全に戦い、僭越ながら氏の抱える病はなかったやもしれないと、当時慨嘆せずにいられなかった。

 

 私は林秀彦氏のファンで、その著作はほとんど読んできている。だからあのとき『日本人はこうして奴隷になった』が読めることは感謝した。しかしその前の作『この国の終わり』で、「この命、最後の本」とまで言って、二度と本は書かないのかと思わせておいて、また書くと言うのはいかがなものかと思ったものだった。

 

 『日本人はこうして奴隷になった』は前半がやや具体が不足し、感情的に怒っているばかりのように思えたが、後半の氏の専門であるシナリオ論と日本人論を合わせて論じている部分は、この著作の白眉というべき内容だと思われ、そのあたりから具体もよく説かれ、日本を憂える情熱と真情に圧倒されたものだった。

 太田氏が「日本民族有志にとっての必読の著作」と言うのもむべなるかなだった。

 

 あくまで林秀彦氏は作家である。作家として日本人のダメになっていくさまを、認識を主たる対象として鋭く見つめる視線に嘘はない。しかし、しきりに岩波の「広辞苑」を引用して言葉の説明をされると、そのたびにしらける。自虐史観を批判している林氏なのだから、「広辞苑」は自虐史観の優等生であって、あれほどデタラメな辞書はないと、もう「定評」になっているのだ。渡部昇一氏と谷沢栄一氏の共著『広辞苑の嘘』くらいは読んでおくべきではなかろうか。もう「広辞苑」は使えない辞書である。

 

 以前から気になっていたことは、「右脳左脳」の創案者・角田忠信氏を絶賛するのも、どうかと思う。脳機能局在論は間違いであるからだ。やがて「右脳左脳」は嘘だったことがはっきりするだろう。そんな愚論に依拠しなくても、日本人の認識と白人の認識がまったく質が異なることは明らかである。そしてその理由は、認識は対象の頭脳における反映であるという(唯物論の)原理原則から解かれるべきである。林氏に弁証法がないのが惜しまれる。

 

 計量遺伝学などというニセものにも興味を示されている。知力、知能の80%は親から子への遺伝によって決定されるという説であるが、これも林氏が作家だから(学者でないから)やむを得まいが、誤りである。これでは観念論だ。すべて後天的に、教育されて創られるのだ。厳しい言い方をすれば林氏がオーストラリアに逃亡されている間に、日本では世界最高レベルの学問が形成されたという事情に疎いからである。林氏がオーストラリアに逃亡したくなった心情はよくわかるが、その代償も払わねばなるまい。

 

 林秀彦氏は日本人が単一民族であると思っておられるようだが、それはいかがなものか。たとえば顔の、鼻なんか実に千差万別で、鍵鼻あり、団子鼻あり、尖っているのありではないか。単一ではないから、としか考えられまい。

 また、八切止夫の〈庶民史〉をご存知ないとみえる。なんどか本ブログで説いてきたが、日本人の80%くらいは奴隷であったし、さまざまな民族がごちゃ混ぜになっているのだ。そうでなければ、何の産業もない江戸に百万もの人口が集中した理由が解けないし、明治以降に大量の移民が海外に〈棄民〉された理由も解けまい。

 

 最近知ったことだが、伊藤正敏氏の『寺社勢力の中世』(ちくま新書)によると、中世の日本は、天皇・貴族、武士、そして寺社勢力の三つに権力が分かれ、三つどもえの戦いをしていたというのである。そのなかの寺社勢力はほとんどの官許歴史では無視されているけれど、土地、経済(商業、運輸)を握っていたのは、比叡山、興福寺、本願寺などの寺社勢力であった。

 

 寺社には古代律令制の荘園で奴隷のように扱われていた民百姓が、過酷な生活から脱して多数逃げ込んだところであった。彼ら難民は律令制や武家の統括下と云う“有縁”の世界から“無縁”のアウトローとして(自由人として)寺社境内に巨大な都市を形成するまでになっていたのである。

 

 日本人の、勤勉さや同胞意識、和などはこうした中世の寺社に暮らした人たちの努力が背景にあって、育った認識ではないかと思われる。

 

 また林さんの哲学の捉え方も間違いだ。林氏の言う哲学は、せいぜい認識論である。これも南鄕継正先生の著作をお読みになられれば良かったのに、残念なことだ。南鄕先生の著作を読まれれば、「日本人には人生の意味を問うことがあっても、人間の意味を問わないまま生き続ける」と言わずにすんだであろうに。そこには氏が求めてやまない、本当の生きざまと学問があることが理解できたはずである。

 

 林秀彦氏の新著の欠点ばかりを書いてしまったが、氏が日本人に絶望するものはまったく同感である。日本人への愛情のゆえに激怒されていることは、痛いほどわかる。作家だけあって、人の認識を捉える鋭さはさすがであり、どんな作家より私は高く評価している。

 

 とくに前作『この国の終わり』から、果敢にイルミナティの陰謀に言及されるようになったことは、他の作家どもが全員ダメなのと対照的に、私は感動した。イルミナティを告発する立場を取れば、多くの出版社は引いてしまい、氏にとって生活の糧を奪われる事態が出来したかもしれないのに、よくぞ勇気を持って執筆された。

 

 林さんがまだ御存命のうちから、周辺の弟子筋の方から、だいぶ体調が悪いとお聞きしていた。日本に帰国後も一時入院されたよし。新著に書かれたそのときのご体験も共感できるものであった。日本の病院こそ日本の縮図だという見解に同感である。病院の医者や職員が取る態度が非人道的行為に満ちていると指摘しておられる。そのとおりだ。日本の病院ほど人の尊厳をずたずたにして平気なところもない。

 

 林さんの小説『老人と棕櫚の木』には最後のほうに感動的な場面がある。それは(林氏自身とおぼしき)主人公が自殺を図ろうとするところに一本の電話がかかってくるところだ。その電話はTS(おそらく言語社会学の鈴木孝夫慶應大学名誉教授)からであった。同氏は林氏の最も尊敬する学者だという。その場面を紹介したい。

 

     ※     ※     ※

 「夜分大変失礼だと思ったのですが、少しお話ししてよろしいでしょうか」

 「はい」

 「実は先刻あなたがお書きになった、日本の軍歌についての新刊書(『海ゆかば山ゆかば』)を読み終わったのです。すると涙が止まらなくなりましてね、それでお手紙を書こうと、いや、書きはじめたのですが、まどろっこしくなって、どうしてもお電話で直接あなたとお話ししたくなったんです」

 (中略)

 TSは小1時間、神馬(主人公の名)のいままで書いた本のすべてを読んでいること、そのことごとくに感銘を受けたこと、神馬には今後も書き続ける使命があること、それによって祖国日本の役に立てることなどを話した。(中略)涙が止まらず、頬を伝って流れ落ちた。声も出ず、ただ「はい、はい」と電話に向かって頷くよりほかになかった。 TSの真心と誠意に満ちた温かい言葉が続いた。それらはすべて神馬に生き続けるべき勇気を鼓舞するものだった。どのように電話が終わり、切れたかも思い出せぬほどに茫然と神馬は正座を続けていた。

 

     ※     ※     ※

 

 こうして主人公は自殺を思いとどまる。

 私も、鈴木孝夫慶應大学名誉教授と同じである。すべての本に感銘を受けた。とりわけ『海ゆかば山ゆかば』(現在は『日本の軍歌は藝術作品である』に変更)にはTS氏と同様に涙が止まらなかった。

 

 


 

 野球のWBC大会が始まる。大谷翔平選手の不参加で、日本チームはピンチである。出る以上は勝ってほしいが、選手の健康のことを考えたら、早々に敗退してそれぞれのチームに戻ったほうが望ましい。

 

 私はかねてより3月の時期にああいうスポーツの世界大会をやることに私は疑問を呈してきた。スキーやスケートならまだしも(覚悟のうえだろうが)、野球やサッカーのようなスポーツをやるには、寒い時期は非常にまずいのだ。それを興行上の理由でこの時期に強行するのだから、ひどい話だと思う。

 

 3月に試合ができないことはなかろうが、そのための準備を選手たちは例年より早くやらなければならないのが、実は深刻な問題になる。

 選手たちは、冬の間カラダを休めつつ次のシーズンへの準備をしなければならない。問題はこの準備運動の捉え方なのである。

 

 わが流派ではよく言われることだが、準備運動には2つあって、一つは「今日の練習」のための準備運動、もう一つは「1年の練習」のための準備運動である。

 

 プロ野球では昔は(と記憶しているのだが)オフシーズンはみんなランニングだけやって、2月からのキャンプではじめてバットでボールを打ったり、投手が投げたりし始めるありようだった。ところがたぶん興行的に春は早くから試合をやって儲け、秋は遅くまで試合をやって儲けようとの魂胆から、選手のコンディションを尊重しなくなった。

 

 だから2月のキャンプイン直後から打撃練習をやり、投手は全力で投げ込みをさせ、なかには最初から紅白戦をやる球団も出てくる。

 だから選手たちも必死に生き残らなければならないので、1月中からグアムやハワイに出かけて温かいところで身体を創り、早々に野球を始めてしまう。

 

 そのままずっとグアムやハワイにいて、キャンプをやり、公式戦をやって5月ごろ日本に帰って試合を続けるならともかく、1月に温かいグアム、ハワイで練習しても、日本の沖縄や宮崎などのまだ寒いところで全力で野球漬けになるキャンプをやるのだ。

 

 わが流派では、準備運動とは「準備運動」と称するものをやることではなくて、たとえば息も絶え絶えになってから空手なら空手の練習に入るのが準備運動なのだ。全身が温まった状態を準備運動ができた状態という。

 ところが冬とか春まだ浅い季節では身体は冷えている。沖縄や宮崎でも2月3月ではまだ相当に汗だくにしないと準備運動ができたとは言いがたい。

 

 選手は監督にアピールしなければと、準備運動もそこそこに、1月のうちから全力投球や全力でバッティングしてみせる。1年間のための準備運動は蔑ろにされて、いかに早い仕上がりかをやって見せることになる。

 

 冷えた状態で空手(あるいは野球など)の練習をやると、冷えた身体で技を覚えてしまう。冷えた身体で技を覚えると、夏になって身体が温まってきたときに、その技がダルになるというか、崩れてしまうのだと説かれる。

 だから技は身体が温かい状態で覚えなければならない。

 したがってわが流派では、冬の稽古は指導者は神経を使う。あまり技を覚えさせる練習は組まない。

 

 だから前回のWBCでは、イチロー選手の調子が上がらず、ファンはやきもきしたが、それは当然であった。他の選手も無理してWBCにあわせて、例年より早く(寒いうちから)野球の試合ができる身体にしたことは、今は目に見えなくとも、後々故障したり、選手寿命を縮めたりすることにもなりかねない。

 

 前回WBSでは中日ドラゴンズの選手がWBCに参加することを拒否したが、もし当時の落合監督が、寒いうちから野球をやる危険性まで見抜いての措置ならたいしたものであったが…。

 実際、前回出場した当時横浜の村田修一選手が故障したのは、寒いなか無理したからであろう。彼のようなホームランバッターは、イチローのような軽打で済む選手と違って、全力で打たねばならないから、寒いうちに身体が温まらないのに力一杯のプレーをするから故障しやすい。

 

 選手は若いしゲーム中は汗をかいていたではないかと言われるかもしれないが、足腰は冷えていたのではないか。アメリカの球場のベンチは半地下みたいになっていて、あれじゃ地面の冷気がもろに足にあたってたまらんだろうと思われた。

 

 WBCがあってもなくても、プロ野球が寒いうちから選手に万全の仕上がりを要求し、競争心を煽るようなことをすることは避けるべきことである。2月3月はまだ準備運動の段階であるべきだ。マスゴミもそういう選手の身体のことを毫も配慮することなく、キャンプの練習で今日もホームランを何本打ったの打たなかったのと、大ごとのように騒ぎたてるのは、アホである。

 

 WBCが3月のまだ寒い時期に興行するのは、非常にまずいことである。日本と韓国だけが国威発揚みたいに頑張って意地になっているようだが、ほかのアメリカや南米の国はまだ野球をやる季節ではないと、力を入れないのではないか。そのほうが正解であろう。

 本気で勝負をしたいのなら、夏にやるべきである。

 

 メジャーリーグに所属する日本人ピッチャーは全員、ダルビッシュ、田中将大、前田、岩隈らは、WBC参加を取りやめている。賢い選択である。

 

 


 最近、無農薬・無肥料の国産レモンをたくさんいただき、このところ毎日賞味させていただいている。ビタミンCが摂れますから、と。無農薬・無肥料だとレモンの形はやや不揃いだけれど別にどうでもいい。味は抜群である。

 

 海外での産地がイタリア、スペイン、カリフォルニアなどで、温暖な気候を好む樹木だが、原産地はヒマラヤなのが不思議である。

 昔はなかなか国産レモンは栽培されなかったが、たぶん品種改良がなされて、栽培法も研究されてよく栽培されるようになっている。

 

 さて、レモンといえばビタミンC、ビタミンCといえばレモンというほどの代表格で、酸っぱさでも女王格というべきか。

 ビタミンCは重要なビタミン類で、動物はビタミン類を自分でつくることができるが、人間だけは唯一ビタミンCを自分で生成できない。だから必ず経口摂取しなければならないと教えられる。

 

 以前ブログに書いたことがあるが、薬局で売っているビタミンCの純粋粉末アスコルビン酸を毎日飲むようわが流派では推奨される。

 レモンはビタミンCの女王であっても、レモン1個程度では1日ぃの必要量は足りない。それで純粋粉末を飲むと良いというわけである。

 

 風邪は体内のビタミンCの不足でも起きるから、ビタミンCを常にとっていると風邪をひかなくなる。動物は自分でビタミンCをつくれるから風邪を引かないのだ。飼っているペットは人間化するので、もしかして風邪を引く。

 そこで1日に1000ミリグラムを取り、あとは必要に応じて(ちょっと咳がでるなとか、鼻水がでるな、熱っぽいなと感じたとき)1000ミリグラムを2〜3時間おきに飲む。

 

 ビタミンCは多過ぎると尿として排泄され、またタバコを吸ったりコーヒーを飲んだりすると著しく消費されるので不足する、それで2〜3時間置きに摂ると良いのである。一度に大量に飲んでも排泄されてしまう。

 私はそれを実践して、かれこれ30年以上寝込むような風邪は引いたことがない。

 

 風邪といえば、分子栄養学の創設者・三石巌氏は95歳で天寿をまっとうされたが、『脳細胞は甦る』(祥伝社)のなかで、ご自分は風邪を引いたことがないと言っていて、それは偏りのない十分な栄養を摂っているおかげと、ものを考えるからだと説いている。

 ものを考えるとは、論理的に思考することで、「思う」レベルではなく「考える」レベルで脳細胞を働かせることだという。

 

 だから井戸端会議みたいなおしゃべりは、脳に緊張感が生じないから、アタマは良くならないし、風邪を引くのを阻止できない。その難しい分子生物学的機序は、『脳細胞は甦る』を読んでいただくとして、もう少し紹介する。

 三石氏は、脳細胞の活性化や病気にかからないためにはビタミン類をたっぷり摂ることだと説く。メガビタミン主義を貫いたとおっしゃる。

 

 大量のビタミンを摂るのが健康法なのだが、とりわけビタミンCは重要で、ボケや老化、癌などの原因を創る活性酸素を抑える働きを間接的に果たしている。脳の健康の第一はビタミンCを摂取することだと述べている。

 

 ただし、いくらビタミンCが良いからとて、それだけを大量に摂るのはかえって害がある。ビタミンCを摂ったら必ずビタミンEを十分摂らなければいけないというのだ。

 ビタミンEは小麦胚芽やアーモンド、大豆、シジミ、落花生などに多い。こういうものを意識して食べればいうことはないが、不足分はサプリメントで摂る。ここがちょっとやっかいである。

 

 ビタミンEがビタミンCの害を消してくれるには、合成品ではダメなのだ。天然ものでなければいけない。ビタミンEのサプリではカプセル入りと錠剤があるが、錠剤ならまず合成だろうと三石氏は言う。

 また天然とうたってあっても、ほとんどが合成でも天然をちょっと含ませるだけで温泉と謳えるので、安物はダメである。なかには「天然型」と銘打ってあって、まぎらわしいが天然物の型をとって作ったという意味になり、これも失格。

 

 温泉も、ほとんどが水道水の沸かし湯でも、スポイト1滴天然温泉の湯が入れば「温泉」と称して構わないというから、同じようなことである。それでは詐欺じゃないかと思うが、許可を与える木っ端役人は平然としている。

 ちなみに、三石氏はビタミンCに関しては、合成であってもレモンのような天然ものであっても分子構造は一緒だというが、ビタミンEでは合成と天然では構造がちがうのだそうだ。

 

     *     *

  (引用開始)

 天然物のビタミンEの場合、普通の大きさのカプセルには50単位しか入らない。ポーリング(ノーベル賞を2度とった化学者で、三石氏と親交があった)はビタミンEを1日800単位摂ったというから、おそらくこれは合成品だ。普通の合成品は、D型ではなくDL型である。二種の立体型の混合物なのだ。

 

 天然のビタミンEとして尊重されているものは、Dアルファトコフェロールである。このほかにビタミンEにはDベータ、Dガンマ、Dデルタの4種のトコフェロールがあるけれど、Dアルファ以外のものはいったん肝臓に納まっても、胆汁に混ざって捨てられるという事実が、一九九〇年代になってあきらかになった。

 

 ポーリングが摂った800単位のビタミンEも、おそらくそのまま排出されたのだろう。私のこの仮説が正しいとすれば、ポーリング夫妻はとんだ落とし穴にはまったことになる。

 ちなみに私は、吸収率を三倍から一〇倍に上げるように加工したDアルファトコフェロールを常用している。(『脳細胞は甦る』より)

  (引用終わり)

     *     *

 

 ポーリングは夫妻とも癌で亡くなっているが、友人の三石氏は癌の原因のもとはビタミンCの過剰摂取だろうと推測している。

 ポーリングは、メガビタミン主義で、ビタミンCを大量に摂ると同時に、ビタミンEの日々800単位(合成品1ミリグラムが1国際単位。天然物は0.67ミリグラムが1国際単位)も摂っていたというから、毎日800グラムも合成ビタミンEを(信じて)摂っていたことになる。

 

 だから、健康のため、美容のためと言ってビタミンCをたくさんとるのはいいけれど、そのビタミンC突出摂取の危険を回避するにはビタミンEをたくさん摂取しなければならず、さらにその質が問題になり、これを間違えると、ビタミンCの摂取がかえってカラダに害になってしまうというお話である。

 

 韓国がまたしてもバカをやらかした。対馬の寺から盗みだされた仏像を、裁判所が日本に返還しなくていいという判決を下し、あろうことかあるまいことか…韓国の素性も怪しい寺がそれは昔倭冦によって当寺から盗すまれた仏像だからうちに返せという主張を認めた。

 

 日本中が呆れ返った。

 倭冦には日本人だけではなく、支那人や朝鮮人も多くいた。だからあり得る話としては、朝鮮人海賊が朝鮮の寺から盗んで、どこかに売り飛ばしたのかもしれない。寺自身が食うに困って仏像を売り払ってしまい、回りまわって別の寺に買われたという事態もあり得る。

 

 今となっては、誰にもわからない。わからないことをいいことに、韓国の裁判所は、日本にだけは返すなの感情で動いた。

 倭冦が盗んだという確証があるわけでもないのに、とにかく日本には嫌がらせをすればいいという主判断だけで動く。

 この朝鮮人の感情の根底には、儒教思想が抜きがたくあるようだが…。

 

 それにしても言うに事欠いて、倭冦を持ち出してくるとは驚いた。

 ところで、この「倭」について、その由来を一度紹介したことがあった。

 

 日本人は古代、自分たち集団を何と呼んでいたかというと、「わ」つまり集団の単位(サークル)としての「環(わ)」と称した。支那人に、お前たちは何だ?と尋ねられて、「わ」と答えたのだが、性悪な中華思想を抱く支那人どもは、「倭」という悪字をあてた。

 支那人がそういう悪字を使っていると知って、われらの先祖は中華思想に反発して、「わ」は漢字に当てはめれば「和」なのだと改めて主張する。

 そして国名としては、列島に分立していた小国家である環(わ)をまとめた大きな「わ」という意味で、大きな和、「大和」となった。

 

 聖徳太子の一七条憲法の第一条は、ご存じのとおり「和を以て貴しとなす」である。これが日本人の根本原理と言われる。さらに、日本人がなぜこうまで「わ(和)」にこだわるかと言えば、それは霊の存在を認め、その祟りを恐れたからである。だから「わ(和)」という精神を生み出した。日本人は物事の解決を何より「話し合い」で決める。これは和を大切にするからである。

 

 この説は、作家・井沢元彦氏が『逆説の日本史 古代黎明編』(小学館刊 1993年)である。日本にだけなぜ御霊信仰が強烈にあったのかを大筋でこのように説いていた。

 井沢元彦氏はこの、「わ」と怨霊が、実は裏表の概念であるという捉え方が、ご自分の日本史に対する基本的な見方である、と述べている。

 

 この論理に従えば、呉善花氏の初期の著書にあった次の挿話は、実に明快に解ける。

  (引用開始)

 何年か前の夏、学生仲間数人が連れ立っての九州旅行の途中で、一人が海に溺れて亡くなった事件があった。私たちは旅行を中断し、急遽かけつけたご両親を迎えた。ご両親は私たちの待機する所へ来るや、「息子の死のために旅行を中断させることになって、ほんとうに申し訳ありません」と、何度も何度も頭を下げるのである。

 

 若かった私は、悲しみをすぐに見せようとしない親をまじかに見て、死んでいった友がいかにも哀れで、心の底に強い反発を感じていた。いまでも思う、そんなときに、お詫びを言う余裕はどこからくるのだろうかと。(『続スカートの風』一九九一年 三交社刊)

(引用終わり)

 

 息子を亡くした母親が、自ら悲しむよりも真先に、友人たちに詫びたのは、まさに「和」を重視したからにほかならない。韓国や支那には、こういう「和」の意識はなく、儒教の思想(一君万民のヒエラルキー)が根本にある。儒教は得体の知れない怨霊よりも、「孝」「義」「礼」「信」を尊い概念としている。

 

 むろん「和」という徳目はない。儒教の国(?)から来た呉善花女史が、だから来日当初は、日本人にしみ込んだ「和」の心が理解できなくて、「心の底に強い反発を感じ」てしまうのも無理からぬことであったと言わねばなるまい。

 

 仏教はこの日本人の「和」の心、怨霊に恐怖する心にうまく取り入ったのである。寄生木のようなものであった。

 だから、今度の仏像盗難事件に関しては、むろん悪党は韓国人だが、とりたてて対馬の寺を応援するほどの気分にはなれない。

 寺というものは、死に関してのビジネスである。

 

 やれ、墓を作れだの、法事を欠かすなだの、布施をはずめだのと脅して来る。

 戒名についても、いったん死者には戒名をつけるもの、そうしないと御霊となって祟るかも…、和が乱れるかも…と思わされた日本人は、この奇習を受入れざるを得なかった。

 

 実際、戒名代は高いと思いつつも、布施として払う理由には、現世の人の間の軋轢を避けたい、しきたりに従って波風をおこさないという心理があってのことではないか。

 もし戒名を付けなければ、もしランクが家柄にあっていなければ、親族や周囲の人間から変な目で見られる。これぞ和を乱すことになる。

 もし戒名を付けなければ、もしランクが家柄にあっていなければ、親族や周囲の人間から変な目で見られる。これぞ和を乱すことになる。

 

 だからやめられない。

 大東亜戦争末期、連合艦隊すでになく、広島・長崎に原爆を落とされ、満州・樺太にはソ連軍が不法に侵略し来たってもなお、日本陸軍は戦争をやめようとしなかった。

 それは、支那戦線や南方戦線で戦死した英霊に申し訳がない、あるいはまだ一戦も交えずに南の島でシラミをつぶしている将兵に申し訳ない、だから今ここでやめられない、そういう理由が陸軍上層部では大勢をしめたといわれる。

 

 まだある。金融機関の不良債券は、主としてバブル期に銀行がウラの筋に不正融資し、キックバックをとっていたとすると、債券がこげついても、不正発覚を恐れて金融機関はウラ筋の言いなりに融資を続けるしかない。

 企業の上層部が、スキャンダルを総会屋に握られてゆすられる実態もまた同断である。たかりを拒否できずに、腐れ縁をやめられない。

 

 やめられない、とまらない♪

 アラ、えっさっさあ♪

 

 死人に戒名をつける習慣、しきたりは、何百年、何代にもわたって続いている。いまさら、その連綿と続いてきた「和」をこわすことはできない。戒名を続けていさえすれば、先祖との「和」は保たれる。

 

 墓石や墓誌などは二百から三百年も経過すれば、庶民の場合はわけがわからなくなるものだが、寺には過去帳があって、先祖代々お世話になってきた証が認めてある。

 

 過去帳も疑いだせばキリはないのだが、自分の代ですっぱり寺と縁を切る気にはなれない。だからずるずる続く。続けば、やがてそれは仏教の既得権益となり、汗水流して労働しなくても、無税の現金収入として、坊主の生活を楽々と支えてくれる。ついには腐敗が始まる。

 

 坊主は生臭になり、国民は骨の髄まで「事なかれ主義」に侵される。

 ちなみに私は、きれいさっぱり私の代で寺とは縁を切った。墓も親が用意したものはあったが、それを残すと子や孫に維持費を負担させるので気の毒だから、棄てた。私が死んだから海に散骨してもらう予定である。

 葬儀もしないし、戒名もいらないのである。

 


 トランプ大統領が矢継ぎ早に「大統領令」を出して公約の政策実行を行なっている。アメリカのメディア、日本のメディアが反発し、トランプと全面対決の様相を呈してきている。

 イスラム圏からの難民や旅行者の入国禁止措置に対しては、それに反対する米民主党系の連中のトランプ抗議デモを大々的に取り上げている。

 毎日新聞はくる日もくる日も、反トランプ一色。

 

 すさまじい反トランプキャンペーンである。

 世界中、トランプに反対する人ばかりといった報道の仕方。

 日米貿易摩擦が再燃して、経済的にも日本は追い詰められるぞと不安をかき立てている。

 トランプを支持する声とか、公平に見た貿易の見通しは取り上げられない。すさまじい偏向報道だ。

 

 しかも、マスメディアは、米大統領選挙でヒラリー・クリントンが敗れ、トランプ氏が勝ったのは、フェイク(嘘)のニュースが広がったためだといまだに言い続けている。正しい情報を流している旧来のメディアに大衆が従っていれば、悪いことは起きなかったのにという、傲慢きわまる「指導者意識」のなせる業だ。

 デマ、嘘の情報がSNSで拡散しているからヒトラー再来のようなトランプが世界を破滅に導こうとしていると言い、「ネットを信用するな」と叫んでいる。

 

 どうやら欧米や日本の旧来のメデイアは、インターネットのすさまじい情報量とその拡散スピードが脅威で、自分たちの立場、利権、“正義”が奪われてしまうと思うようになっている。だからネット社会に対して強い敵愾心を持っている。

 

 けれど、メデイア自身が言うほど、ネット社会にはフェイクでいっぱいになっているわけではなく、有益な情報がいっぱいある。だから実際に爆発的に広がったのである。みんなが既存の、利権やカネに転ぶメディアの信用ならなさに愛想を尽かしているのである。

 そのことについての旧来のメディアに反省の色はかいもくである。相も変わらず、ろくに勉強もしないで、テメエたちのイデオロギーに適う主張だけが正しいと思い込んでいる。

 

 ニュース解説にひっぱりだされる大学教授や評論家、ジャーナリスト、タレントどもも、原稿料をくれて意見公表の場を提供してくれるメディアにシッポをふるばかり。サヨク思想でバイアスがかかっているうえに、利権にあぐらをかいて勉強しないものだから、ネット社会ではバカにされ、やつら自身が立ち遅れたのだ。

 

 そもそも、トランプが大統領になれたのはネットでのフェイク情報のせいだと、既存メディアが声をあげること自体、図々しいにもほどがある。

 就任式が終わってもなお、既存メディアはトランプに対するアンチ・キャンペーンを続け、まさに反トランプなら何をしてもいいような風潮までつくりだし、紙面をかざっている。

 デモが先鋭化し破壊行為をくり返す暴徒を批判することもなく、暴動が起きるのは当たり前のことのように報道する。

 

 あるいはヒラリー支持だった民主党支持者の主張を全面的に正しいとして紹介する。ヒラリーの闇にはいっさい触れない。対する共和党でも、反トランプ派の見解や動向ばかり取り上げる。

 ヨーロッパ各国の首脳の見解も、反トランプばかりを紹介する。

 見苦しく一方的である。

 

 メディアは、常に自分だけが正しいとする。長年、正しい報道のみをしてきたんだから、ネット社会は常に扇動的で、ポピュリズムで、デマが横行しているという抜きがたい不信感でいっぱいのようだ。

 宗教はなにしても許され、弱者は常に助けねばならず、権力は常に悪であるというサヨク思想に毒されたまま。

 

 既存メディアのやっていることは、反トランプと、トランプ大統領おろしなら何しても良い、偏向していたって構わないという姿勢である。

 これは反日なら何をしても犯罪にならない、という中共や韓国の風潮とそっくりだ。

 韓国メディアばかりか、日本のメディアも、欧米のメディアも、自分の決めた正義に逆らうものはきっとレッテルを貼って叩く。

 

 自分の正義と異なる意見に対して、今回は「フェイク」と呼んで傲慢、執拗な攻撃をくり返すメディアの方がネット社会よりも危険である。

 既存メディアのほうが、利権にしっかり食い込んでいるし、権力に密着しているから汚れはひどい。ネットにはデマも多いし、くだらないものも多かろうが、既存メディアより自由である。

 

 デマを流し、また扇動的なのは、ネットより既存メディアのほうなのだ。たとえば、地球温暖化などというデマを流し続けたのは既存のメディアどもである。ネットのほうが、いろいろな意見が見られる。

 

 そも、マスゴミをつくり出したのはユダヤ勢力であり、今もその支配下にあるのだから、ユダヤの利権と安全のためならなんでも許される報道の仕方を確立した、その歴史を知れば、今の反トランプ現象やネットを嫌う性向も首肯できるというものだ。

 ユダヤのやり口は、それぞれに潜り込んだ社会において、自分たちの存在を脅かされないために、その国の社会においてあらゆる分野で傲岸不遜な姿勢で“指導者意識”を前面に押し出してくるものだったと思う。

 

 ロシア革命は、本当のところユダヤ革命だったとは、欧米では知られたことである。フランス革命もそうだったのだ。ロシア革命=ユダヤ革命のあと、世界中に広められた共産主義思想も、リベラル思想も根っこは同じで、みんな“指導者意識”が強い。

 

 ここにも「二分法」が貫徹されていて、“正”か“邪”か、“真”か“偽”かと問われ、正しいことは虐げられてきた弱者のユダヤにあり、そうでないものは悪として断罪されて良いとする論法である。

 そこからいつでも、オレが導いてやる、正義を教えてやる、反対意見を封殺するなら何をしてもいい、こういう傾向は、みんなユダヤ革命の流れに合致しているように思える。

 

 

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