行田市が日本遺産認定の申請をしていた「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」のストーリーが平成29年4月28日に県内初の”日本遺産”に認定されました。そこで、日本遺産認定の足袋蔵を祝して、2017年7月より行田のまちを歩き、足袋関連のお店、足袋蔵、イベントなど、昨今の話題事を集めてみました。

私の行田発見記。2017.07.02その壱 20170702
「足袋とくらしの博物館」は元は牧野本店という足袋屋さんの足袋工場でした。建物が使われなくなった後、工場の面影をほぼそのままに残した博物館として変身しました。 館内では展示物や元足袋職人さんによる実演を見学できます。そんな博物館で半日受付しました。

私の行田発見記。2017.07.02その弐
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秩父鉄道持田駅の近辺に田山花袋の『田舎教師』に登場した、鰻料理”満る岡(まるおか)”があ。明治時代の行田町の風物を描写した文学作品です。南北に流れていた川は道路になり、柳の湯の名付け親であった川辺の大きな柳の木も、対岸の忍警察の庭に並んだ桜の木も今はない。作中の”柳の湯”という銭湯も、綺麗な女中がいる料亭”魚七”も今はない。柳の枝が川面にゆらゆらし、五米余の川が流れる桜の花びらで真っ白になる光景は、今は思い描くことしか出来ない。

私の行田発見記。2017.07.02その参
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 カタコトと鳴り響くミシンの音。ここは古から永続する「足袋とくらしの博物館」の足袋づくり現場です。このミシンは明治時代にここ行田に導入され、今もセッセセッセと活躍しています。こんな近代化の遺産。いつまでも見守り続けたいですね。

私の行田発見記。2017.07.22その四
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ここは「牧禎舎」昔ながらの藍染体験工房です。足袋の藍染を覗こうとおもいつつ、なんとこの日はアーティストシェア工房。アート×クラフトでした。児童書作家で活躍の”みずのよしえ”さんの藍染作品に触れることができました。牧禎舎のひとびとをつなぐ場が魅力ですね。

私の行田発見記。2017.07.30その五  
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ここ、「牧禎舎」は昭和15年、牧野貞蔵氏が足袋・被服商店を創業のときに建設した住宅です。壁は漆喰仕上げ-土壁貫構造-下見板張りで落ち着いた戦前の日本屋敷の佇まいを良く伝えております。 ここの”藍染体験”を覗きました。果して如何ようなものができるか。お母さんたちシクハクの作業。予想もつかない個性的で綺麗な”藍染作品に、大きな拍手をしました。誇れる”行田の藍染”ですね。私は一日カメラマンでしたが。

私の行田発見記。2017.08.6その六
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「忠次郎蔵」は大正14年に棟上げした小川忠次郎商店の店蔵《国登録有形文化財》です。今は蕎麦屋さんです。 ここ「NPOぎょうだ足袋蔵ネットワーク」主催で小学生を対象に「足袋蔵昔体験セミナー」が開かれました。元気な市内の小学生たち。昔の行田と今の行田を熱心に説明するNPOスタッフ。美味しい「蕎麦」を頂戴したお店の方々に感謝々です。私は一泊二日の体験記録人でした。

私の行田発見記。2017.08.11その七
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「高橋家の芭蕉碑句」は行田市野に明治9年頃に建立された貴重な碑。この地域は足袋の原料となる綿の生産が盛んであったことが伺えます。因みに、ここは利根川、荒川のに挟まれ、両河川の氾濫で堆積した砂質土、豊富な水、 夏季の高温が綿や藍の栽培に適していたとのこと。暑さは欠かせない要因ですね。

私の行田発見記。2017.08.18その八
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『高澤家住宅』は幕末を中心とした豪農住宅の様相が伺える歴史的価値の高い建物群。安政6年(1859)から明治にかけて建立、増築されたと思われます。主屋の2階には蚕室があり、養蚕民家の特徴を示す大切な建物です。県内の養蚕・絹文化の礎となっています。 現在は染色と陶芸の工房ギャラリー兼住宅であり、そしてカフェギャラリー高澤記念館 『行田古代米カレー』のお店として活躍中。

私の行田発見記。2017.08.19その九
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『日本橋』の酒銘は、横田庄右衛門が若き頃、お江戸日本橋の酒問屋で修行し、独立するときに「初心忘れるべからず」との思いを込めて、自らの修行の地を酒銘にしたとのことです。今では地名を商標登録は大変難しいことから、極めて貴重な商標といえます。ここ行田市の『横田酒造』は、彼の創業二百年年という歴史あるお江戸『日本橋』の造り酒屋です。 年間限定で、赤坂の料亭などでその封が切られています。

私の行田発見記。2017.08.21その十
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『栗代蔵』は文化5年創業の老舗足袋商店「栗原代八商店」が明治39年日露戦争後の不景気で、仕事が欲しがっていた職人に造らせたと伝えられている足袋蔵です。足袋を保管する倉庫が多くなった時代です。お店や工場、倉庫が立ち並ぶ、当時の足袋のまちの情景が醸し出されます。ここ行田の『足袋蔵』名の始まりです。今は「まちづくりミュージアム」として親しまれています。

私の行田発見記。2017.08.22その壱壱
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行田の住宅街に、大正11年フチイ写真館として建てられた木造の洋館『長井写真館』があります。当時、行田の足袋業はのれん分けされ、織布、染色、印刷、箱屋、糸商、ミシン屋など足袋づくり一色に染まっていった時代でした。この建物は当時の面影を残すものです。モダンで洒落たデザインの大正時代の感じる貴重な近代化遺産です。まちの「大正ロマン」そのものです。その後、長井写真館へと変わり現在なお店です。

私の行田発見記。2017.08.25その壱弐
20170825
足袋で栄えた行田の新町通りに面した3つの蔵。奥にどっしり構えた蔵が、この「足袋蔵ギャラリー門」です。2階の床を抜き、吹き抜けギャラリーとして改装。絵画・手芸などの企画展のほか、コンサート会場としても人気です。音響の良さから繰り返し訪れるミュージシャンも多いとか。そしてCafe「閑居」は全て手づくり季節ごはん膳が人気。ミニギャラリーも併設されています。この蔵たちは”ほうらい足袋”で知られた奥貫家(明治20年創業の奥貫忠吉商店)の足袋蔵として大正5年に建てられたものとか。

私の行田発見記。2017.08.27
20170827
『栗原家モルタル蔵』 戦後、昭和25年になると行田の足袋産業は息を吹き返し、足袋商店は分離独立しました。新しく足袋商店も数多く生まれ「足袋蔵」も次々に建設されました。また、大正時代に足袋産業から派生した被服産業も台頭し倉庫を建設しています。この市内の足袋蔵は昭和28年に館林市の農家の「米蔵」から引っ越してきた、モルタル造の「足袋蔵」。どのように運んだかは不明だが数少ない戦後の移築転用された足袋蔵です。

私の行田発見記。2017.09.02その壱参
20170902
『大澤蔵(大澤家住宅旧文庫蔵)』は書類などの保管のための文庫蔵です。大澤久右衛門(江戸時代行田町最大の豪商)から7代目の大澤専蔵が、関東大震災で土蔵が破損したのを契機に大正15年に建設したものです。自ら東京の「復興博覧会」でレンガの耐火性をみて、深谷の「日本煉瓦」に相談に行くなど、”レンガ蔵”にこだわったと伝えられています。今も、”行田市の大正期のロマンを蘇させる”市内唯一のレンガ造りの文庫蔵です。

私の行田発見記。2017.09.12その壱四
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『長光寺の石蔵』 利根川ほとりの行田の寺院『長光寺』。ここの石蔵は法事だけではなく、俳句会、コンサート、書道などイベントの場「石乃蔵 空華」として親しまれています。しかも、小さな自由図書館がいい。石蔵は戦後まもなく建てられ、その後平成8年に改修されたそうな。因みに、かつてこの付近に「須加城」という忍城の支城があり忍城主成田氏長の妹は、須加城代の妻でした。

私の行田発見記。2017.09.15
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青柳スクールメイトの『店舗兼住宅と土蔵』 行田国道125号線に面して、漆喰壁の店蔵と塀は赤煉瓦を使ったイギリス積み、塀の奥には土蔵(足袋蔵)が見える。短冊形の細長い処に、これら店舗、庭、倉庫が1列に並ぶは、当地独特の古からの景観です。しかし、痛ましくも道路拡張のために切り取られ、表通りから見えにくいことは、誠に残念。かっては足袋屋が連なっていたことでしょう。


私の行田発見記。2017.09.16壱六
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イサミ足袋工場の『ノコギリ屋根』 行田市内の足袋工場はノコギリ形。それは採光と動力機械を使うのに高さが必要なためです、そして窓は北向きです。 ノコギリ屋根は「直射日光の入らない北向きの窓は、柔らかな一定の明るさを保ち、糸と織物の色を見るのに適し、電灯を使わなくとも正確な色の確認をすることができる」だそうだ。なるほど。

私の行田発見記。2017.09.18壱七
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『十万石ふくさや行田本店』 行田の国道125号線表通りに、珍しい江戸様式の土蔵づくりのお店が際立ちます。明治16年に棟上げされた呉服商山田清兵衛商店の2階建て、建物のもつ歴史的風格を生かしたお店です10月からTBS放映の「陸王」にちなんでの「十万石まんじゅう」をご賞味あれ。

私の行田発見記。2017.09.21壱八
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『旧忍町信用組合店舗』大正11年の銀行店舗。 ルネッサンス風の木造二階建で、屋根にはド-マー窓、屋根と壁面の配色がなかなかいい。表通りに面してないのも珍しい。元来は、足袋商店主たちが出資した忍町信用組合(地元金融機関)の店舗で、その後、新町自治会の集会所として使われ、現在は廃屋。このたび、引っ越しするそうな。大正の洋風建築、いつまでも残していただきたい行田の資産ですね。

私の行田発見記。2017.09.25壱九
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『日和cafe(ひよりカフェ)』 行田の足袋で知られた『牧野本店(足袋とくらしの博物館)』の前にある、街の古い民家を可愛らしく改装したCafé。中のインテリア、落ち着いた雰囲気、満々。そうなんです、「前方後円墳」の形のライスも。これぞ行田の名物だとさ。一度覗いてみましょう。

私の行田発見記。2017.09.26
20170926
『屋敷稲荷』 江戸は弘化3年(1846)。このときの大火は「お稲荷様が日除けをしてくれたため天万稲荷神社より南側へは燃え広がらなかった」という言い伝えから、行田の各家の敷地奥に、屋敷稲荷が祀られる風習があり、現在でも祀られる家が多く存在しているそうな。ついでに「防災倉庫」も備えてみました。

私の行田発見記。2017.09.27弐壱
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『行田窯』に商標アート登場《空想》 行田の玄関に、昭和初期に「穂国足袋」で知られた新井八郎商店であった倉庫があります。そして、今は陶芸工房として活躍しています。この壁面に商標アートがあっていいかも。アートは『足袋被覆商標名簿(昭和29年発行)』の一つです。陶芸工房ですから、行田足袋商標のすべてを焼き物皿にしたら、もっといいかも、私が勝手に描いだ空想です。

私の行田発見記。2017.10.01弐弐
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『武蔵野銀行行田支店』 この建物は昭和9年、忍貯金銀行の店舗として建てられたものです。彫の深い近代復興式の鉄筋コンクリート造り、外壁は当時流行のスクラッチタイル貼りの本格的な銀行建築です。昭和21年には昭和天皇が巡行の際にお立ち寄り、2階の貴賓質でお食事をとっています。いょ、日本一。

私の行田発見記。2017.10.02壱参
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孝子たびの『孝子蔵』 『孝子蔵』は孝子たびのマークで知られた大木商店が、昭和26年に建てた足袋蔵です。そのマーク、蔵の看板になっていいかも。ちゃんと「足袋被覆商標名簿(昭和29年発行)」に載っているのに。凛とした石蔵にマーク、行田の足袋産業の最後の輝きを伝える近代化遺産です。

私の行田発見記。2017.10.09
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『懐かし屋』 なんでもコレクター栗原さんは映画のポスター・めんこ・おもちゃ・コカコーラグッズ・野球グッズ・箸の袋など。さまざまなモノを収集されその数は何と数万点にもなるそうです。そんなコレクションをいつも見れるところが、ここ行田市国道沿いの建物「常設ギャラリー」です。その一方、テーマを変えた企画展も展開中。いつも「街角ギャラリー」的なものをお店でチラホラ見受けられます。そして、栗田さん、自ら手作りの”昭和レトロの懐かしビラ”がいいですね。

私の行田発見記。2017.10弐五
20171010
『川端酒造』は安政元年(1854)創業の伝統のある造り酒屋。母屋、そして酒造場のほとんどが檜と杉で出来た江戸時代からの建造物で、酒造場に一歩足を踏み入れると、すがすがしい清酒の芳香につつまれます。利根川と荒川の二つの水系の軟水に、山田錦をはじめとする酒造好適米を使用し酒造りを継続中。清酒「桝川」は当店自慢の名酒です。

私の行田発見記。207.10.12壱六
20171012
『今津蔵』は元禄年間創業。江戸後~末、最古の店蔵です 昔、忍藩の藩札の印刷を行っていたいた由緒ある老舗「今津印刷所」。蔵の中には県内最初と言われる明治15年ドイツ製の活版印刷機が置かれています。この印刷機ともども「行田印刷所」として田山花袋の小説「田舎教師」に登場します。また、その当主であった今津徳之助氏は、郵便局、電話、電灯、馬車鉄道など行田の近代化事業に中心的な役割を果たし「行田の渋沢栄一」と言われた偉人です。その「今津印刷所」は今も健在、元気なお店。 すごいですね。

私の行田発見記。2017.10.14壱七
20171014
『創作足袋』の千代の松。 行田ならではの足袋をつくり、お売りするお店。足袋づくりを始めて三代目のご主人と奥さん。奥さんは彩の国、埼玉県伝統工芸師、すごいですね。若もののファッションとして人気の柄足袋を手掛けています。日本古来の伝統文化である足袋生産の再生に奮闘するご夫婦に感銘を受けました。今も、100年ものドイツ製のミシンがガタゴトと活躍していました。

私の行田発見記。2017.10.17拾八
20171017
『松坂屋蔵』 戦後まもなく創業した松坂屋建材株式会社さんが、昭和24~25年頃に建設した倉庫です。当時熊谷にあった軍事施設のボイラー室を解体し、その建材を再利用して建てられたそうです。頑丈な造りの均整のとれた2階建てのモルタル蔵で、現在も同社の倉庫として使用されていますよ。

私の行田発見記。2017.10.19拾九
20171019
『忍馬車鉄道』行田馬車鉄道 忍馬車鉄道は吹上~行田間の鉄道です。明治32年「忍馬車鉄道株式会社」が設立。吹上~佐間(行田市内)が部分開業、次第に延伸し、明治34年6月には吹上駅~行田下町間が全線開通しました。1日12往復、料金は片道5銭。が、大正11年の秩父鉄道開通の影響や、自動車の発達によって経営困難で廃止されました。惜しい。

私の行田発見記。2017.10.22弐拾
20171022
『マンホールカード』 マンホールカードは下水道広報プラットホームが考案したマンホールの蓋を活用した全国統一のコレクションです。市町村によっていろいろな特色がサイン化されています。普段、気にも留めていない足元のマンホールの蓋。 行田は忍城と足袋蔵といったところでしょうか。行田市郷土博物館でケット可能とか。

私の行田発見記。2017.10.24弐壱
20171024
行田はTVドラマ『陸王』、そして日本遺産関連イベントラッシュ。私は行田市民大学のテーマである「行田の足袋・足袋蔵」の魅力に苛まれています。目につくものを纏めてみました。

私の行田発見記。2017.10.27
20171027
『秋山蔵』蔵のインテリア。 こんな蔵もあってもいいかも。と思いつつ細工してみました。実はこの蔵2012年から「行田の蔵めぐり」に、参加いただいている秋山蔵だとさ。小さくてかわいらしい蔵です。行田中心街の奥に静かに今も佇んでいます。この蔵の中で楽しく戯れてみたいものです。

私の行田発見記。2017.10.31弐参
20171031
『翆玉堂』 この建物、昭和4年に山田三之助氏の店舗(山田荒物店)でしたが、おしくも平成7年頃に閉店。その後平成20年から「翠玉堂」が歴史ある建物を生かして個性的な商売をしながら、若手芸術家のアートイベント、展覧会などで活躍しています。そして今、レトロな雰囲気の素敵なパン屋さん。SNSで話題沸騰と叫ばれています。行田市を訪れたら覗いてみましょう。

私の行田発見記。2017.11.03弐四
20171103
『彩々亭』は、かつては足袋屋の荒井八郎が昭和初期に建てた住宅兼事務所でした。当時は”足袋御殿”と呼ばれただけはあって贅をつくした建物です。そして今は、”懐石料理亭”として行田市民に親しまれています。屋根には緑色の光沢のある瓦、2階はモルタルで化粧、1階にはスクラッチ・タイルと魅力満載の、昭和のレトロを感じる素敵な建物です。やはり行田での宴会といえば、この料亭ですね。

私の行田発見記。2017.11.07弐五
20171107
行田市街の表通りに美しい二階建ての土蔵が目にとまります。ほうらい足袋の商標で知られた、明治20年創業の奥貫忠吉商店の足袋蔵『奥貫蔵』です。氏は日露戦争、第一次世界大戦による戦争景気で財を成し、足袋工場を建設し、その商品倉庫としてこの蔵を建設したようです。”行田の足袋産業の栄華を伝える足袋蔵”ですね。いまや、蕎麦・創作料理の店「あんど」で親しまれています。

 私の行田発見日記。2017.11.12弐六
20171112
『牧禎舎』の藍染体験工房 牧禎舎は昭和15年に建設されたノコギリ屋根工場と事務所兼住宅です。落ち着いた戦前の日本屋敷の佇まいを良く伝えております。今や行田の藍染体験工房として親しまれています。そんな工房に久々に訪れました。二人の青年の藍染体験。すばらしい出来栄えでしたね。

私の行田発見記。2017.11.24弐七
20171212
飯田屋の『奈良漬』 明治初期の行田市近郊の農家においては、白瓜が大量に生産されておりました。その白瓜をおいしい漬物にしようと酒粕に漬けたものが大変評判となり、今日の行田の奈良漬となりました。飯田屋の奈良漬は、選別された国内産の良い原料を良質な酒粕と味醂(みりん)粕を、ふんだんに使い職人が丹念に仕込みをした創作漬物です。自然の素材を大切にした味の逸品です。合成(着色料・保存料・甘味料)は一切使用しておりませんので安心してお召し上がりいただけます。毎日の食卓に…季節のご挨拶や贈り物に…ご賞味あれ。

私の行田発見記。2017.12.02弐八
20171202
「中川の碑」-中川と元荒川- 行田市の長野地区、さきたま調整池(旧忍川)沿いにある「中川の碑」。ここで、かわいらしい河童の石像が、元荒川の歴史と埼玉県東部の水田地帯を流れる中川流域の特徴を紹介しています。元荒川ってどんな川? 熊谷市の佐谷田地先を起点として、越谷市の中島地先で中川に合流する延長約六十一キロメートル、流域面積二百十六K平米の、山岳部からの源流のない川だよと。

私の行田発見記。2017.12.12弐九
20171212
行田名物『フライとゼリーフライ』 農家で手軽に作られていた『フライ』は昭和初期の行田全盛期の足袋工場で働く女工さんのおやつとして人気ものでした。名の由来は、行田周辺が布の産地だったことから「布来(ふらい)」だそうです。一方『ゼリーフライ』は、じゃがいも、おからを小判型にして油で揚げた食べ物。衣のないコロッケといった感じ。ルーツは日露戦争に従軍した「一福茶屋」の店主が野菜まんじゅうをアレンジしたもの。その形が小判に似ていて”ゼニー”が”ゼリー”に変わった。いずれも、庶民のおやつとして今も愛されています。

私の行田発見記。2017.12.28参拾
20171228
『新町ほっとステーション』の石蔵 ここは、行田の新町アーケード沿いの新町ほっとステーション。裏に佇むどつしりした石蔵です。「蔵めぐりまちあるき」の日は見学できそうです。そのルートはここから、今津蔵 、足袋蔵まちづくりミュージアム 、奥貫蔵(あんど) 、牧禎舎 、足袋とくらしの博物館 、大澤蔵、足袋蔵ギャラリー門 、忠次郎蔵 、保泉蔵 、小川源右衛門蔵、旧忍町信用組合、イサミ工場など。来年の「第14回のぎょうだ蔵めぐりまちあるき」は4月21-22日に開催予定と

 私の行田発見記。2017.12.31参壱大晦日
20171231
忍城の『鐘楼』 あの「のぼうの城」で知られた行田の忍城の鐘楼に目が惹かれます。明治の郷土史家「清水雪翁」が著した北武八志には「今現に忍城にありて日々時を報する者、即ち是なり。曽て総州候が伊勢桑名治城の時、鋳造するものなり」と記されており、忍城に由緒深い名鐘です。今や、鐘は取り外され郷土博物館に展示されています。

今年の発見シリーズ見納めです。 以上、2017.07.02~2017.12.31の期間中にFacebookに掲載しました。