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2018年08月

関門“ノスタルジック”海峡

~時の停車場、近代化の記憶~
 古来より陸上・海上交通の要衝であった関門地域は、幕末の下関戦争を契機とした下関・門司両港の開港以降、海峡の出入口には双子の洋式灯台が設置され、沿岸部には重厚な近代建築が続々と建設された。狭隘な海峡を外国船が行き交う景観の中、日本が近代国家建設へ向け躍動した時代のレトロな建造物群が、時が停止したかのように現在も残されている。渡船や海底トンネルを使って両岸を巡れば、まるで映画のワンシーンに紛れ込んだような、ノスタルジックな街並みに出会うことができる。憧れの、北九州は関門の旅。下関、門司港、門司、若松、戸畑へぐるっとひと回り。最後は博多に立ち寄ってみました。

"下関"エリア

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和風意匠と古典主義系のデザイン建築『山口銀行旧本店』sh01

明治9年関門地域に進出した大正9年竣工の元三井銀行下関支店。日本の近代化建築の古典派、分離派、合理派を代表する作風の建築であり、下関にその3派の建築が揃うところに大きな価値があります。正面玄関脇の、ギリシャ建築様式である渦巻状のイオニア式とアカンサスの葉飾りのコリント式を組み合わせたコンポジット式の柱頭をもつピラスターが際立ちます。

レトロな雰囲気を醸し出す下関南部町郵便局庁舎sh02

この下関南部町郵便局は明治33年に建築された現存する最も古い現役の郵便局舎です。隣には、下関の繁栄の象徴、旧秋田商会ビルがあり、この辺一帯がレトロな雰囲気を出しています。

下関に現存する最も古い洋風建築物で外壁のレンガは厚さ60cmという堅固なものです。

夜間のライトアップがいい。『旧秋田商会ビル』sh03

この旧秋田商会ビルは、大正4年(1915)に竣工した和洋折衷のユニークな建築物。屋上には日本庭園と茶室を備えている。西日本で最初の鉄筋コンクリート造の事務所建築であるとともに、わが国に現存する同種建築物としては最古級のもの。隣の下関の繁栄の象徴、「南部町郵便局ビル」があり、この辺一帯がレトロな雰囲気を出しています

赤煉瓦に包まれた日本に現存する最古の領事館旧下関英国領事館sh04

旧下関英国領事館は、領事館として使用する目的で建てられたわが国に現存する最古の明治39年建築。明治期の領事館の様がうかがえる貴重な建造物です。これをきっかけに、明治後期から大正にかけて日本銀行、商社、食品工場群などが続々と関門海峡沿いに開設され、当時最先端の意匠をもった近代建築が林立する街並みが形成されていきました。レトロな感じと、ガス灯がいい。

時代を感じる少し色あせた煉瓦色の『旧宮崎商館』sh05

炭輸出業を営む宮崎儀一が事務所として建てた明治40年の竣工の商館。1階中央のアーチ型エントランス、2階には5つのアーチが連なるバルコニーが特徴の煉瓦造り。赤煉瓦と白い石の組合せが旧英国領事館の意匠に影響を受けたようです。領事館の翌年の建設です今は「ロダン美容室」として使われています。

シンプルモダン美が魅力の『田中絹代ぶんか館sh06

大正13年に旧逓信省下関郵便局電話課庁舎として竣工。この建物は高さを強調する直線と塔屋や窓に見られる曲線による、シンプルかつモダンなデザインが特長です。昭和41年まで局舎として使用されていました。その後平成22年より「田中絹代ぶんか館」として利用が始まりました。

模様が目立つ『蜂谷ビル(旧東洋捕鯨株式会社下関支店)』sh07

蜂谷ビルは「下関における捕鯨業の隆盛を偲ばせる事務所建築」として重要な文化財です。煉瓦造2階建。大正15年竣工。窓の間にある方立にはタイルが貼られ、外壁はモルタル仕上げ。外壁から突き出して設けられた柱形の頂幾何学部には、幾何学模様の装飾が特徴です。


以上"下関"エリアでした。

次は、"門司港"エリアです。

アールデコ調の飾りに大正モダンを感じる『旧門司三井倶楽部』mk01
大正10年に三井物産門司支店の社交倶楽部として門司区谷町に完成。昭和24~62年までは旧国鉄の所有となり、「門鉄会館」として利用されていました。建物は木造2階建でアールデコ調のモダンなデザインが見られるなど大正ロマンの香りを今に伝える建物として貴重なものです。今や門司出身の女流作家「林芙美子の記念室」となています。


八角形の塔屋が美しいモダン建築『旧大阪商船門司支店』mk02

明治8年、門司港は横浜・神戸‐上海間定期航路の就航時代。ここに大阪商船株式会社が進出し、外国へ胸躍らせて旅立つ人々で賑わっていました。「旧大阪商船」は大正初期に建てられた大阪商船門司支店を修復したものです。オレンジ色タイルと白い石の帯が調和した外観と八角形の塔屋が美しい。

超近代タワーの『門司港レトロ展望室』mk03

門司港レトロはもちろん、関門橋や対岸の下関市、日本海まで見渡せる展望室。徐々に陽が沈み、空が赤く染まる夕景は息をのむ美しさで、そこから夜になればライトアップしたロマンチックな景色に変わる。特冬季の門司港の街並みはイルミネーションでロマンチックに輝く。黒川紀章氏が設計したマンションの最上階にある展望ルームです。

茶と白のタイルのコントラストが美しい。国際友好記念図書館』mk04

中国の大連市と門司港は国際航路で結ばれ交流が盛んでした。そして、昭和54年に両市は友好都市を締結し更なる交流を深めてきました。この図書館はその友好都市締結15周年を記念し、大連市の「東清鉄道汽船事務所」を、そっくり複製し建てられたものです。外壁は茶と白のタイルのコントラストが美しく、煙突や屋根に取り付けた窓などのデザインも印象的。

モダンデザインの定番『旧門司税関』

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門司税関発足を機に、明治45年に建設された税関庁舎。昭和初期まで税関庁舎として使用されていました。近代的なデザインとモダンなネオルネッサンス調が交わり非常に奥深い建物ですライトアップされた旧門司税関と木々のイルミネーションが揺れる美しい水面が魅力です。門司港のイルミネーションとともに、オルガンの音色も格別です。

電信電話の歴史を伝える館NTT門司電気通信レトロ館mk06-1

大正13年に建築された、門司における最初の鉄筋コンクリート建造物。放物線アーチと垂直線を基調とし、天井が非常に高く、洗練された大正モダンの姿を今に伝えている。今は、明治から現代までの電信・電話機を展示した博物館。明治33年に東京・京橋に完成された日本初の公衆電話ボックスの復刻版。灯台をモデルにしたデザインで、港町らしいレトロな雰囲気を漂わせている。

白壁の和風建築の岩田家住宅
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岩田家は明治32年から門司港地区で酒類販売を行っていました。住宅は大正10年上棟の木造2階建。この建物は"旧岩田商店"もしくは、"旧岩田家住宅"と呼ばれています。交差点の角にあり、大変目立つ建物ですが、白壁の和風建築に煉瓦の塀がセットになっているのが特徴的です。

ヨーロッパ風の白い壁『ホームリンガー商会』mk08

旧大阪商船の斜め横にあるホームリンガー商会。戦後の築らしいですが、ヨーロッパ風の白い外観が爽やかな印象を与えます。長崎でE・ホームとF・リンガーが設立した英国・スコットランド系の会社で、現在も船舶貨物に関する検査や海上保険のロイド船級協会の代理店です。鉄筋コンクリート造り、2階建。

アールデコ調のデザイン『旧大連航路上屋・松永文庫
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定期航路を結んでいた中国・大連をはじめ、世界各国と密に交流をしていた門司港。1929年に国際旅客ターミナルとして建てられたのが、ここ「旧大連航路上屋」です。幾何学模様を取り入れたアールデコ調のデザインが、当時の門司港の華やかさを物語ります。映画の資料を展示する「松永文庫」があり、文化発信拠点として親しまれています。 

アメリカ式高層オフィスビル『旧JR九州本社ビル』mk10

このしっかりしたレトロビル、昭和12三井物産の門司支店として建てられた鉄筋コンクリート造6階建物。当時は最先端の高層オフィスビルです。その後国鉄に買収され、民営化後はしばらくJR九州の北九州本社だったそうです。規則正しく並んだ窓に、入り口は正面ではなく、アンシンメトリーに右寄り、そして彫刻の施された黒い石。一見シンプルですが、見れば見るほど味のあるビルです。

昭和のアメリカ式オフィスビル『門司郵船ビル(日本郵船門司支店)』
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昭和2年、船会社の日本郵船門司支店として建設。当時は入出港する客船の乗降手続きの事務所でした。改修により外観はかつての装飾性を失いましたが、玄関ホールのモザイクタイル、階段の手すりや照明などから、当時の面影を感じることができます。当時の最新設備、エレベーターを初めて見る市民が長蛇の列を作ったというエピソードも。

明治の赤煉瓦つくりの建物『九州鉄道記念館』
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明治24年に建てられた赤レンガ造りの歴史ある建物、旧・九州鉄道本社。門司港地区最古の歴史的建造物です。内部は半分を吹き抜けの構造で、レンガのレトロな雰囲気を損なわない構成です。その本館は鉄道博物館。蒸気機関車や人気列車の実物展示、実物資料等、触れて楽しめる展示物がぎっしり。

明治モダンの足跡『門司港駅』
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 九州鉄道の起点として明治24年に開業した門司駅の2代目駅舎。この建物はネオ・ルネッサンス調の木造建築です。当時の駅のモダンさを知るにはトイレを覗いて見ると分かります。青銅製の手水鉢や水洗式トイレ、大理石とタイルばりの洗面所、御影石の男性用小便器などはとても重厚でモダンな作りです。あいにく今は工事中。完成は2019年度とか。

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http://hifu-koworks.com/nostalgickannmon2018.ver07/shimonoseki.html


以上"門司港"エリアでした。

次は、"門司"エリアです。

煉瓦造平屋建・赤煉瓦の倉庫群。『ニッカウヰスキー㈱門司工場製造場』

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鈴木商店の大里酒精製造所として始まった大正14年竣工の煉瓦造平屋建。これら赤煉瓦の倉庫群は人々の心を魅了する貴重な佇まいです。その後平成18年にアサヒビールグループの蒸溜酒製造会社であるニッカウヰスキーの焼酎製造工場となりました。鈴木商店はあのドラマ『お家さん』の大正3年創立の世界の商社でした。

大正期の砂糖貿易商の面影残す『関門製糖

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明治36(1903)年に設立の鈴木商店大里進出第一号となる大里製糖所から関門製糖へ。近代化産業遺産。大里製糖所は、現在も関門製糖として110年間経った現在も稼働を続けている。概観も当時のままの煉瓦造りをそのまま維持している。道路を挟んだ原料用倉庫も当時の建物をそのまま使用。岸壁にも当時の面影を感じることができる。

門司赤煉瓦プレイスの『北九州市門司麦酒煉瓦館』
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明治末期、山田弥八郎らは九州で最初のビール会社設立を画策。赤煉瓦プレイスである大里町のこの地に煉瓦造建物群ができあがり、ビールの製造を始めました。これら歴史的建造物の多くは1913年に竣工した帝国麦酒の工場施設です。日本における最初期の鉱滓煉瓦建物であり、現存最古の本格的鉱滓煉瓦建築です。歴史的建造物を未来に伝えるため4棟の煉瓦造施設を活用し、資料館や飲食店として広く多くの方に利用されています。

帝国麦酒株式会社の工場施設『旧サッポロビール九州工場の醸造棟』
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門司駅近辺にはレトロな赤煉瓦の建物「旧サッポロビール九州工場の醸造棟」が聳えます。大正2年建築のレンガ造りの建物です。外観は赤レンガの化粧積であるが、内部は鉱滓レンガ積となっている。外観の主要な部分は石材を使用するなど固有の装飾が施されています。

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http://hifu-koworks.com/nostalgickannmon2018.ver07/moji.html

以上"門司"エリアでした。

次は、"若松"エリアです。
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石炭積み出し港の『若松石炭会館』
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明治38年に建てられた当時の最新式洋風建築木造2 階建。レンガ造りの華やかな外観、平坦な壁面に目地を多用し石造風の表情が与えられている。若松石炭商同業組合の事務所として建設された石炭積み出し港若松の歴史を象徴する建物です。ライトアップされた夜はいっそう美しい。

赤煉瓦造りでルネサンス様式を基調としたの『旧古河鉱業若松ビル』
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旧古河鉱業若松ビルは、大正8年に造られたレンガ造りの洋風建築。当時、石炭の積出港として栄えていた若松の歴史を今に伝える貴重な建物で、近代的なオフィス街の象徴的な存在です。その華やかな外観と近代建築の魅力を凝縮した美しいなめらかな漆喰の壁とが見事に調和がいい。

煉瓦造の重厚な外観。『上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)』

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北九州市若松区の海岸通りに建つ上野海運ビルは、旧三菱合資会社若松支店として大正2年に建設され、若松バンド(海岸通り・船着場)の中心的な存在でした。一世紀もの年月を経て、今日まで生き抜いてきたビルです。本館は左右対称の立面構成で、縦長窓を規則的に配した煉瓦造の重厚な外観をなし、対照的に内部は中央を広い吹き抜けとし、装飾付の手摺やステンドグラスを用いて華やかな雰囲気を醸し出している。

若松で最初に水洗トイレが設置された『杤木ビル』
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上野海運ビルと共に、現役で頑張っている大正生まれの造船と船舶代理業を行う杤木商事の本社ビル大正9年竣工の鉄筋コンクリート造3階建です。若松で最初に水洗トイレが設置されたそうです。当時としては珍しい半地下室、自家用浄化槽等を備える栃木造船所(栃木商事)のビルでした。戦後九州造船となりました。

明治、大正期からの営業の『料亭金鍋本館、表門』

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経済人や文化人が集った場所として広く知られる大正6 年竣工の料亭。港湾と鉄道整備に伴って拡大した若松の市街地において、明治、大正期から営業していた多くの料亭の中でも著名な店の一つです。本館は珍しい数寄屋風の3階建てで、重厚な黒漆喰の外観と一部に洋風の意匠を用いた建物。表門は角柱を立て,腕木,軒桁,垂木に丸太を用い,ガラス欄間を嵌め込むなど,近代的な数寄屋風の意匠です。

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以上"若松"エリアでした。

次は、"戸畑"エリアです。
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日本水産(ニッスイ)戸畑ビルの『ニッスイパイオニア館
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ニッスイは昭和4年には下関から戸畑に移転し、水産物供給のための機能を結集しました。戸畑は製氷、冷蔵・冷凍、加工、流通、販売の機能を備える水産物供給拠点となりました。『ニッスイパイオニア館』は、昭和11年建築の『ニッスイ戸畑ビル』に開設しました。洞海湾に面して個性的で魅力ある都市景観の向上に寄与したとして、「北九州市都市景観賞」を受賞しました。

アールヌーヴォー様式の『旧松本家住宅』
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旧松本家住宅は明治45年、松本健次郎氏により住居と迎賓館を兼ねて建築されました。外観・内装に19世紀にフランスで流行したアールヌーヴォー様式を取り入れた洋館と書院造りの日本館で構成されています植物模様など流れるような曲線が優美な雰囲気を醸し出しています

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「博多町家」ふるさと館

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明治中期の町屋建築の価値とともに、博多の伝統産業である博多織の生産・販売とその生活を一体としてみることのできる唯一現存する町屋である。中では博多織の実演や展示が行われている。みやげ処には博多人形から昔懐かしいお菓子や玩具までを揃える。町屋棟は明治20年代前半に博多織元の住居・店舗兼織り場として建てられた旧三浦家住宅を移築復元したもの。

「博多町家」ふるさと館(博多の祭り)
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  映像シアターで「博多祇園山笠」の臨場感を味わおう。

陽気で明るい博多っ子は祭りが大好き。盛大に行なわれるお祭りだけでなく、四季折々、博多のどこかの町で行われています。博多松囃子は福を願って古くから続く素朴な行事「博多どんたく」です。

 

「博多町家」ふるさと館 (博多の町”””)
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明治~大正期の街並の写真と現在の写真(同じ位置)を並べて比較展示しています。失われた記憶が蘇ります。

「博多町家」ふるさと館 (明治博多往来図会人形)
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朝のおきゅうと売りの声で始まる博多の町。往来にはさまざまな商売の振り売り子の声が響いていました。当時の博多の町並みと活気を博多人形で表現しています。

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憧れの、北九州は関門の旅。下関、門司港、門司、若松、戸畑へぐるっとひと回り。最後は博多に立ち寄ってみました。


ここは行田の『足袋蔵ミュージアム』2018.05.01
①栗代蔵

「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」の開会、受付会場でした。出展者は・大泉太鼓(和楽器演奏)・行田ゼリーフライ研究会(ゼリーフライ)・昔あそび体験でした。

 

ここは行田の『新町ホットステーション』2018.05.02
②新町ホットステーション
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」昔のまちの写真展でした。

ここは行田の『今津蔵』2018.05.03
③今津蔵
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」今津蔵の当主、今津徳之助氏は、郵便局、電話、電灯、馬車鉄道など行田の近代化に尽力し「行田の渋沢栄一」と言われたそうな。あの「田舎教師」の舞台。

ここは行田の『田代蔵』2018.05.04
④田代蔵
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」国道125号と新町アーケード(行田市駅前からつづく道)の交差点の少し先にある田代蔵。 今年もスタンプラリーのポイントになっています。

ここは行田の『足袋蔵ギャラリー2018.05.05
⑤足袋蔵ギャラリー門
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」は毎年恒例となっている木暮照子さん主催・木心会による木の人形展、そして、力丸潮展、そしてパン屋です。

ここは行田の『大澤蔵』2018.05.06
⑥大澤蔵
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」蔵の中を一挙公開。行田唯一のレンガ蔵の設計図も拝見できました。いにしえの足袋屋を覗くことができました。
行田のむかしの風景のスライドを上映。

ここは行田の『松坂屋蔵』2018.05.07
⑦松坂屋蔵
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」今回発公開となりました「松坂屋蔵」では、クラフト木楽屋さんが国産間伐除伐材を素材に企画製作をした暮らしに寄り添う木工品を出店。実演あり。

ここは行田の『奥貫蔵』2018.05.08
⑧奥貫蔵
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」奥貫蔵あんどの蕎麦いかがでしょうか?
昼からビールを出してくれるお店でもあります。隣にある「くましん」駐車場はボンネットバスの乗り場&整理券引換所になっています。

 

ここは行田の『イサミスクール工場』2018.05.09
⑩イサミスクール工場
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」「陸王」の放送でこはぜ屋の社屋として撮影されたこともあり、聖地めぐりされてる方が多い場所。
敷地内には足袋屋横丁が登場しました。

 

ここは行田の『小川源右衛門蔵』2018.05.10
⑪小川源右衛門蔵
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」蔵出しグッズの展示販売をされてマニアの間で賑わいをみせています。蔵の前で販売しているラムネも大人気です。『陸王』パッケージのお酒を販売しています

 

ここは行田の『翆玉堂』2018.05.11
⑫翆玉堂
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」翆玉堂は
レトロな雰囲気が素敵な、一見"普通"のパン屋さん。としてSNSで話題彷彿。一度行田の表通りをみましょう。

 

ここは行田の『十万石ふくさや行田支店』2018.05.12
⑬十万石ふくさや
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」「うまい、うますぎる」のフレーズでお馴染みの十万石まんじゅうの行田本店。説明不要なくらい誰もが知る行田の老舗和菓子店ですが、洋菓子もあります。 『陸王』の焼き印入りの十万石まんじゅうも販売

 

ここは行田の『森家土蔵もりばん蔵2018.05.13
⑭森家土蔵
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」もりばん蔵は2017年度に日本遺産として認定された古蛙庵(こああん)です。

今は私的な民芸館 として活用されています。蔵めぐり初参加ですが、ご好意で書斎の見学ができました。

 

ここは行田の『保泉蔵』2018.05.14
⑮保泉蔵
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」ずーっと長い奥行きのある蔵です。 蔵めぐりのときにだけ一部を公開いただいてます。瀬藤貴史さんによるアート展:350年前の伝統技法で作成された工芸の世界をお楽しみください。

 

ここは行田の『武蔵野銀行行田支店』2018.05.15
⑯武蔵野銀行行田支店
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」
忍貯金銀行として建設。鉄筋コンクリート造2階建の銀行建築で外壁はスクラッチタイル張とし,開口部周りやコーニスには装飾を施した「カストストン」を張る。昭和初期地方銀行建築の好事例

 

ここは行田の『足袋とくらしの博物館』2018.05.16
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」足袋づくりの工程が見学できるという、ライブ感のある珍しいの博物館。昨年の「陸王」の番宣でたびたび取り上げられ、セットづくりのために美術さんが計測にも来られました。

 

ここは行田の『牧野本店』2018.05.17
⑰足袋とくらしの博物館
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」。
足袋とくらしの博物館の隣にある牧野本店。ここは行田に残る5つの店蔵のうちの1つで、行田を代表する足袋産業関連の近代化遺産です。

 

ここは行田の『牧禎舎』2018.05.18
⑱牧停舎
14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」牧亭舎は藍染体験工房とアーティストシェア工房です。ここは出展者が一番広く、多いスタンプラリー会場です。活気あふれる催しが印象的でした

 

ここは行田の『忠次郎蔵』2018.05.19
⑲忠次郎蔵
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」忠次郎蔵はもともとは小川忠次郎商店の見世蔵だったので昔から「おがちゅう」と呼ばれ親しまれていたそうです。見世蔵というのはお店として使われていた蔵のことです。今はお蕎麦屋さんです。

 

ここは行田の『行田窯』2018.05.20
⑨行田窯
「第14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」
昨年2017年末に惜しまれつつ陶芸工房としての役目を終えましたが、蔵めぐりにあわせて特別に一般公開いただけることになりました。

ここは行田の『旧忍町信用組合店舗』2018.05.21
⑳旧忍町信用組合店舗
「第
14回ぎょうだ蔵めぐりまちあるき」今年の4月に今津蔵付近から水城公園へ移築作業された旧忍町信用組合店舗。蔵めぐり開催に合わせて、特別に内覧できました。一般のオープンは秋とか

関門"ノスタルジック"海峡。日本が近代国家建設へ向け躍動した時代のレトロな建造物群が、時が停止したかのように現在も残されている。渡船や海底トンネルを使って両岸を巡れば、まるで映画のワンシーンに紛れ込んだような、ノスタルジックな街並みに出会うことができる。

関門のノスタルジック日本遺産シリーズ。2018.1.1
関門海峡の『様式灯台』
m4関門の灯台a
m4灯台
今も輝く関門海峡の洋式灯台。ブラントン率いる英国人技術者集団が設計した海峡西側の「六連島灯台」と東側の「部埼灯台」です。ともに1872年に初点灯され、日本の文明開化を照らし始めました。

関門のノスタルジック日本遺産シリーズその弐。2018.1.3
門司港の『北九州市旧大阪商船』
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明治8年、門司港は横浜・神戸‐上海間定期航路の就航時代。ここに大阪商船株式会社が進出しました。「旧大阪商船」は大正初期に建てられた大阪商船門司支店を修復したものです。オレンジ色タイルと白い石の帯が調和した外観と八角形の塔屋が美しい。外国へ胸躍らせて旅立つ人々で賑わっていました。

関門のノスタルジック日本遺産シリーズその参。2018.1.4
『門司港レトロ』について
m21門司港レトロ
明治初期に開港して120年。門司港には、明治から大正にかけて作られた建物が今でも残っています。 木造建築の門司港駅を初め、大正浪漫ただよう建物たちがエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。しばし関門の界隈を満喫ください。

関門のノスタルジック日本遺産シリーズその四。2018.1.5
夜を堪能ください『門司港』
s03夜の門司港
古来より陸上・海上交通の要衝であった関門地域は、幕末の下関戦争を契機とした下関・門司港の開港以降、海峡の出入口には双子の洋式灯台が設置され、沿岸部には重厚な近代建築が続々と建設された。狭隘な海峡を外国船が行き交う景観の中、日本が近代国家建設へ向け躍動した時代のレトロな建造物群が、時が停止したかのように現在も残されている。渡船や海底トンネルを使って両岸を巡れば、まるで映画のワンシーンに紛れ込んだような、ノスタルジックな街並みに出会うことができる。『関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~』より。

関門のノスタルジック日本遺産シリーズその五。2018.1.6
明治モダンの足跡『門司港駅』
t3門司港駅
明治24年には九州鉄道の開通にともなって門司駅が建てられました。この建物はネオ・ルネッサンス調の木造建築で、トイレに魅力があります。青銅製の手水鉢や水洗式トイレ、大理石とタイルばりの洗面所、御影石の男性用小便器などはとても重厚でモダンな作りです。


関門のノスタルジックシリーズ”1.6
吹き抜けが印象的な『九州鉄道記念館』
m24九州鉄道記念館
明治24年に建てられた赤レンガ造りの歴史ある建物、旧・九州鉄道本社(門司港地区最古の歴史的建造物)その本館を活用した鉄道博物館です。本館内部は半分を吹き抜けの構造としつつ、レンガのレトロな雰囲気を損なわないような印象で構成しています。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.8 
『南部町郵便局ビル』と『旧秋田商会ビル』
m33下関南部町郵便局と旧秋田商会ビル
関門海峡には、外国船がもたらした舶来文化が根付き、狭い海峡を外国船が行き交う景観の中に、日本が近代国家建設へ向け躍動した時代のレトロな建造物群が現在も大切に残されています。 「海峡七路」を使って両岸を巡れば、まるで映画のワンシーンに紛れ込んだような、ノスタルジックな街並みに出会うことができます。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.9
レンガ造りの『若松石炭会館』
m38若松石炭会館a
明治38 年に建てられた最新式洋風建築木造2 階建。レンガ造りの華やかな外観、平坦な壁面に目地を多用し石造風の表情が与えられている。ライトアップされた夜はいっそう美しい。若松石炭商同業組合の事務所として建設された石炭積み出し港若松の歴史を象徴する建物です。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.10      

赤煉瓦に包まれた『下関英国領事館』 
m39下関英国領事館
m39下関英国領事館d
旧下関英国領事館は、領事館として使用する目的で建てられた建物としてはわが国現存最古のもので明治39年の建築です。明治の領事館の様子を窺い知ることのできる貴重な建造物として平成11年に重要文化財に指定されています。領事館のガス灯のレトロな感じがいい。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.11      

九州で最初のビール工場『旧サッポロビール醸造棟』
m45旧サッポロビール九州工場
大正2年建築のレンガ造りの建物です。明治45 年設立の「帝国麦酒株式会社」の工場施設。外観は赤レンガの化粧積であるが、内部は鉱滓レンガ積となっている。外観の主要な部分は石材を使用するなど固有の装飾が施されている。いまや「門司赤煉瓦プレイス」でレトロな赤煉瓦が輝き続けています。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.12
『若松石炭会館』
m38若松石炭会館a
明治38 年に建てられた最新式洋風建築木造2 階建。レンガ造りの華やかな外観、平坦な壁面に目地を多用し石造風の表情が与えられている。石炭積み出し港若松の歴史を象徴する建物です。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.14
『旧門司税関』
m45旧門司税関
門司税関発足を機に、明治45年(1912)に建設された税関庁舎。近代的なデザインとモダンなネオルネッサンス調が交わり非常に奥深い建物です。ライトアップされた旧門司税関と木々のイルミネーションが揺れる水面に美しく輝いています。PCでオルガンの音色が聞こえないのが、残念。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.15
『旧宮崎商館』
m40宮崎商館
石炭輸出業を営む宮崎儀一が事務所として明治40年に建てた商館。時代を感じる少し色あせた煉瓦の色。1階中央のアーチ型エントランス、2階には5つのアーチが連なるバルコニーが特徴。赤煉瓦と白い石の組合せが旧英国領事館に似ています。領事館の翌年の建設ですから、意匠的に影響を受けたようです。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.16
『三菱重工株式会社下関造船所』
t11三菱重工株式会社下関造船所
大正3年山口県下関市彦島に設立した造船所。第3ドックは大正11 年竣工の石造。第4ドックは大正5年竣工のコンクリート造。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.17
『料亭金鍋本館、表門』
t6料亭金鍋本館、表門
明治・大正期から営業の料亭の中でも著名な店の一つ。経済人や文化人が集った場所として広く知られる。大正6 年竣工。本館は珍しい数寄屋風の3階建てで、重厚な黒漆喰の外観と一部に洋風の意匠を用いた建物。表門は角柱を立て,腕木,軒桁,垂木に丸太を用い,ガラス欄間を嵌め込むなど,近代的な数寄屋風の意匠です。当時の若松地域の歴史的景観を維持する貴重な存在です。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.19
『旧古河鉱業若松ビル』

t8旧古河鉱業若松ビル
若戸大橋を臨む若松南海岸通りは大正期の近代建築が残るレトロ散策路。そのシンボルともいえる『旧古河鉱業若松ビル』は、大正8年に建てられたルネサンス様式の建物。レンガ造りの外観が華やかで、ライトアップされた夜はいっそう美しい。当時の若松を思い浮かべながらのレトロ散歩が楽しめる。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.20      
『若松南海岸(若松バンド)
m38若松石炭会館a
ドラマ『お家さん』に出てくる神戸湾はこの若松南海岸をモデルにしたものです。若松南海岸通りは石炭景気に沸いた若松の歴史と発展を伝える大正期の建物が乱立しています。若松石炭会館、旧門司税関、旧古河鉱業若松ビル、上野ビル(上野海運ビル)などなど、もちろん実話の、鈴木商店本社が登場します。

ノスタルジックそのものですね。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.21      
『山口銀行旧本店』
t9山口銀行旧本店
大正9年竣工のコンクリート造2階建の三井銀行下関支店。昭和8年百十銀行本店を経て、19年~40年まで山口銀行本店として使用され、今や「山口銀行旧本店」として開放。銀行建築の設計の大御所、長野宇平治の設計。和風意匠や銀行建築における古典主義系のデザイン建築で知られていますよ。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.22
『ニッカウヰスキー㈱門司工場製造場』
t14ニッカウイスキー門司工場製造場
大正3鈴木商店の大里酒精製造所として始まった、大正14年竣工の煉瓦造平屋建。貴重な赤煉瓦の倉庫群は人々の心を魅了する佇まいです。その後平成18年にニッカウヰスキー㈱の焼酎製造工場となっています。鈴木商店はあのドラマ『お家さん』の世界の商社でした。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.25
『旧逓信省下関郵便局電話課庁舎』
t13旧逓信省下関郵便局電話課庁舎
大正中期から後期にかけ急増した通信需要に応えるため、旧逓信省下関郵便局電話課庁舎として大正13年に竣工、鉄筋コンクリート造3階建。昭和41年まで局舎として使用されていました。その後平成22年より「田中絹代ぶんか館」として利用が始まりました。

関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.30
『上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)』
t2上野ビル
北九州市若松区の海岸通りに建つ上野海運ビルは、旧三菱合資会社若松支店として大正2年に建設され、若松バンド(海岸通り・船着場)の中心的な存在でした。一世紀もの年月を今日まで生き抜いてきたビルです。煉瓦造3階建の本館、煉瓦造2階建の倉庫、木造平屋の旧分析室の建物群です。

"関門ノスタルジック海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~1.31    
Moji Port (Fukuoka)
s01関門の建物

Used as a special port during the Meiji Period (1868-1912) for exporting coal and rice, Moji Port was one of Japan's three major ports, made prosperous also for it being on foreign shipping lanes and as a trading port. The wooden Mojiko Station was designated as an important cultural property in 1988 by the Japanese government, and the area became popular to tourists from in and outside Japan for its Western atmosphere in the commercial facilities and museums, gaining the name "Mojiko Retro.
 

 行田市が日本遺産認定の申請をしていた「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」のストーリーが平成29年4月28日に県内初の”日本遺産”に認定されました。そこで、日本遺産認定の足袋蔵を祝して、2017年7月より行田のまちを歩き、足袋関連のお店、足袋蔵、イベントなど、昨今の話題事を集めてみました。

私の行田発見記。2017.07.02その壱 20170702
「足袋とくらしの博物館」は元は牧野本店という足袋屋さんの足袋工場でした。建物が使われなくなった後、工場の面影をほぼそのままに残した博物館として変身しました。 館内では展示物や元足袋職人さんによる実演を見学できます。そんな博物館で半日受付しました。

私の行田発見記。2017.07.02その弐
20170703
秩父鉄道持田駅の近辺に田山花袋の『田舎教師』に登場した、鰻料理”満る岡(まるおか)”があ。明治時代の行田町の風物を描写した文学作品です。南北に流れていた川は道路になり、柳の湯の名付け親であった川辺の大きな柳の木も、対岸の忍警察の庭に並んだ桜の木も今はない。作中の”柳の湯”という銭湯も、綺麗な女中がいる料亭”魚七”も今はない。柳の枝が川面にゆらゆらし、五米余の川が流れる桜の花びらで真っ白になる光景は、今は思い描くことしか出来ない。

私の行田発見記。2017.07.02その参
20170716
 カタコトと鳴り響くミシンの音。ここは古から永続する「足袋とくらしの博物館」の足袋づくり現場です。このミシンは明治時代にここ行田に導入され、今もセッセセッセと活躍しています。こんな近代化の遺産。いつまでも見守り続けたいですね。

私の行田発見記。2017.07.22その四
20170724-
ここは「牧禎舎」昔ながらの藍染体験工房です。足袋の藍染を覗こうとおもいつつ、なんとこの日はアーティストシェア工房。アート×クラフトでした。児童書作家で活躍の”みずのよしえ”さんの藍染作品に触れることができました。牧禎舎のひとびとをつなぐ場が魅力ですね。

私の行田発見記。2017.07.30その五  
20170730
ここ、「牧禎舎」は昭和15年、牧野貞蔵氏が足袋・被服商店を創業のときに建設した住宅です。壁は漆喰仕上げ-土壁貫構造-下見板張りで落ち着いた戦前の日本屋敷の佇まいを良く伝えております。 ここの”藍染体験”を覗きました。果して如何ようなものができるか。お母さんたちシクハクの作業。予想もつかない個性的で綺麗な”藍染作品に、大きな拍手をしました。誇れる”行田の藍染”ですね。私は一日カメラマンでしたが。

私の行田発見記。2017.08.6その六
20170807
「忠次郎蔵」は大正14年に棟上げした小川忠次郎商店の店蔵《国登録有形文化財》です。今は蕎麦屋さんです。 ここ「NPOぎょうだ足袋蔵ネットワーク」主催で小学生を対象に「足袋蔵昔体験セミナー」が開かれました。元気な市内の小学生たち。昔の行田と今の行田を熱心に説明するNPOスタッフ。美味しい「蕎麦」を頂戴したお店の方々に感謝々です。私は一泊二日の体験記録人でした。

私の行田発見記。2017.08.11その七
20170811
「高橋家の芭蕉碑句」は行田市野に明治9年頃に建立された貴重な碑。この地域は足袋の原料となる綿の生産が盛んであったことが伺えます。因みに、ここは利根川、荒川のに挟まれ、両河川の氾濫で堆積した砂質土、豊富な水、 夏季の高温が綿や藍の栽培に適していたとのこと。暑さは欠かせない要因ですね。

私の行田発見記。2017.08.18その八
20170818
『高澤家住宅』は幕末を中心とした豪農住宅の様相が伺える歴史的価値の高い建物群。安政6年(1859)から明治にかけて建立、増築されたと思われます。主屋の2階には蚕室があり、養蚕民家の特徴を示す大切な建物です。県内の養蚕・絹文化の礎となっています。 現在は染色と陶芸の工房ギャラリー兼住宅であり、そしてカフェギャラリー高澤記念館 『行田古代米カレー』のお店として活躍中。

私の行田発見記。2017.08.19その九
2017081920170819-1
『日本橋』の酒銘は、横田庄右衛門が若き頃、お江戸日本橋の酒問屋で修行し、独立するときに「初心忘れるべからず」との思いを込めて、自らの修行の地を酒銘にしたとのことです。今では地名を商標登録は大変難しいことから、極めて貴重な商標といえます。ここ行田市の『横田酒造』は、彼の創業二百年年という歴史あるお江戸『日本橋』の造り酒屋です。 年間限定で、赤坂の料亭などでその封が切られています。

私の行田発見記。2017.08.21その十
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『栗代蔵』は文化5年創業の老舗足袋商店「栗原代八商店」が明治39年日露戦争後の不景気で、仕事が欲しがっていた職人に造らせたと伝えられている足袋蔵です。足袋を保管する倉庫が多くなった時代です。お店や工場、倉庫が立ち並ぶ、当時の足袋のまちの情景が醸し出されます。ここ行田の『足袋蔵』名の始まりです。今は「まちづくりミュージアム」として親しまれています。

私の行田発見記。2017.08.22その壱壱
20170822
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行田の住宅街に、大正11年フチイ写真館として建てられた木造の洋館『長井写真館』があります。当時、行田の足袋業はのれん分けされ、織布、染色、印刷、箱屋、糸商、ミシン屋など足袋づくり一色に染まっていった時代でした。この建物は当時の面影を残すものです。モダンで洒落たデザインの大正時代の感じる貴重な近代化遺産です。まちの「大正ロマン」そのものです。その後、長井写真館へと変わり現在なお店です。

私の行田発見記。2017.08.25その壱弐
20170825
足袋で栄えた行田の新町通りに面した3つの蔵。奥にどっしり構えた蔵が、この「足袋蔵ギャラリー門」です。2階の床を抜き、吹き抜けギャラリーとして改装。絵画・手芸などの企画展のほか、コンサート会場としても人気です。音響の良さから繰り返し訪れるミュージシャンも多いとか。そしてCafe「閑居」は全て手づくり季節ごはん膳が人気。ミニギャラリーも併設されています。この蔵たちは”ほうらい足袋”で知られた奥貫家(明治20年創業の奥貫忠吉商店)の足袋蔵として大正5年に建てられたものとか。

私の行田発見記。2017.08.27
20170827
『栗原家モルタル蔵』 戦後、昭和25年になると行田の足袋産業は息を吹き返し、足袋商店は分離独立しました。新しく足袋商店も数多く生まれ「足袋蔵」も次々に建設されました。また、大正時代に足袋産業から派生した被服産業も台頭し倉庫を建設しています。この市内の足袋蔵は昭和28年に館林市の農家の「米蔵」から引っ越してきた、モルタル造の「足袋蔵」。どのように運んだかは不明だが数少ない戦後の移築転用された足袋蔵です。

私の行田発見記。2017.09.02その壱参
20170902
『大澤蔵(大澤家住宅旧文庫蔵)』は書類などの保管のための文庫蔵です。大澤久右衛門(江戸時代行田町最大の豪商)から7代目の大澤専蔵が、関東大震災で土蔵が破損したのを契機に大正15年に建設したものです。自ら東京の「復興博覧会」でレンガの耐火性をみて、深谷の「日本煉瓦」に相談に行くなど、”レンガ蔵”にこだわったと伝えられています。今も、”行田市の大正期のロマンを蘇させる”市内唯一のレンガ造りの文庫蔵です。

私の行田発見記。2017.09.12その壱四
20170912
『長光寺の石蔵』 利根川ほとりの行田の寺院『長光寺』。ここの石蔵は法事だけではなく、俳句会、コンサート、書道などイベントの場「石乃蔵 空華」として親しまれています。しかも、小さな自由図書館がいい。石蔵は戦後まもなく建てられ、その後平成8年に改修されたそうな。因みに、かつてこの付近に「須加城」という忍城の支城があり忍城主成田氏長の妹は、須加城代の妻でした。

私の行田発見記。2017.09.15
20170915
青柳スクールメイトの『店舗兼住宅と土蔵』 行田国道125号線に面して、漆喰壁の店蔵と塀は赤煉瓦を使ったイギリス積み、塀の奥には土蔵(足袋蔵)が見える。短冊形の細長い処に、これら店舗、庭、倉庫が1列に並ぶは、当地独特の古からの景観です。しかし、痛ましくも道路拡張のために切り取られ、表通りから見えにくいことは、誠に残念。かっては足袋屋が連なっていたことでしょう。


私の行田発見記。2017.09.16壱六
20170916
イサミ足袋工場の『ノコギリ屋根』 行田市内の足袋工場はノコギリ形。それは採光と動力機械を使うのに高さが必要なためです、そして窓は北向きです。 ノコギリ屋根は「直射日光の入らない北向きの窓は、柔らかな一定の明るさを保ち、糸と織物の色を見るのに適し、電灯を使わなくとも正確な色の確認をすることができる」だそうだ。なるほど。

私の行田発見記。2017.09.18壱七
20170918
『十万石ふくさや行田本店』 行田の国道125号線表通りに、珍しい江戸様式の土蔵づくりのお店が際立ちます。明治16年に棟上げされた呉服商山田清兵衛商店の2階建て、建物のもつ歴史的風格を生かしたお店です10月からTBS放映の「陸王」にちなんでの「十万石まんじゅう」をご賞味あれ。

私の行田発見記。2017.09.21壱八
20170921
『旧忍町信用組合店舗』大正11年の銀行店舗。 ルネッサンス風の木造二階建で、屋根にはド-マー窓、屋根と壁面の配色がなかなかいい。表通りに面してないのも珍しい。元来は、足袋商店主たちが出資した忍町信用組合(地元金融機関)の店舗で、その後、新町自治会の集会所として使われ、現在は廃屋。このたび、引っ越しするそうな。大正の洋風建築、いつまでも残していただきたい行田の資産ですね。

私の行田発見記。2017.09.25壱九
20170925
『日和cafe(ひよりカフェ)』 行田の足袋で知られた『牧野本店(足袋とくらしの博物館)』の前にある、街の古い民家を可愛らしく改装したCafé。中のインテリア、落ち着いた雰囲気、満々。そうなんです、「前方後円墳」の形のライスも。これぞ行田の名物だとさ。一度覗いてみましょう。

私の行田発見記。2017.09.26
20170926
『屋敷稲荷』 江戸は弘化3年(1846)。このときの大火は「お稲荷様が日除けをしてくれたため天万稲荷神社より南側へは燃え広がらなかった」という言い伝えから、行田の各家の敷地奥に、屋敷稲荷が祀られる風習があり、現在でも祀られる家が多く存在しているそうな。ついでに「防災倉庫」も備えてみました。

私の行田発見記。2017.09.27弐壱
20170927
『行田窯』に商標アート登場《空想》 行田の玄関に、昭和初期に「穂国足袋」で知られた新井八郎商店であった倉庫があります。そして、今は陶芸工房として活躍しています。この壁面に商標アートがあっていいかも。アートは『足袋被覆商標名簿(昭和29年発行)』の一つです。陶芸工房ですから、行田足袋商標のすべてを焼き物皿にしたら、もっといいかも、私が勝手に描いだ空想です。

私の行田発見記。2017.10.01弐弐
20171001
『武蔵野銀行行田支店』 この建物は昭和9年、忍貯金銀行の店舗として建てられたものです。彫の深い近代復興式の鉄筋コンクリート造り、外壁は当時流行のスクラッチタイル貼りの本格的な銀行建築です。昭和21年には昭和天皇が巡行の際にお立ち寄り、2階の貴賓質でお食事をとっています。いょ、日本一。

私の行田発見記。2017.10.02壱参
20171002
孝子たびの『孝子蔵』 『孝子蔵』は孝子たびのマークで知られた大木商店が、昭和26年に建てた足袋蔵です。そのマーク、蔵の看板になっていいかも。ちゃんと「足袋被覆商標名簿(昭和29年発行)」に載っているのに。凛とした石蔵にマーク、行田の足袋産業の最後の輝きを伝える近代化遺産です。

私の行田発見記。2017.10.09
20171008
『懐かし屋』 なんでもコレクター栗原さんは映画のポスター・めんこ・おもちゃ・コカコーラグッズ・野球グッズ・箸の袋など。さまざまなモノを収集されその数は何と数万点にもなるそうです。そんなコレクションをいつも見れるところが、ここ行田市国道沿いの建物「常設ギャラリー」です。その一方、テーマを変えた企画展も展開中。いつも「街角ギャラリー」的なものをお店でチラホラ見受けられます。そして、栗田さん、自ら手作りの”昭和レトロの懐かしビラ”がいいですね。

私の行田発見記。2017.10弐五
20171010
『川端酒造』は安政元年(1854)創業の伝統のある造り酒屋。母屋、そして酒造場のほとんどが檜と杉で出来た江戸時代からの建造物で、酒造場に一歩足を踏み入れると、すがすがしい清酒の芳香につつまれます。利根川と荒川の二つの水系の軟水に、山田錦をはじめとする酒造好適米を使用し酒造りを継続中。清酒「桝川」は当店自慢の名酒です。

私の行田発見記。207.10.12壱六
20171012
『今津蔵』は元禄年間創業。江戸後~末、最古の店蔵です 昔、忍藩の藩札の印刷を行っていたいた由緒ある老舗「今津印刷所」。蔵の中には県内最初と言われる明治15年ドイツ製の活版印刷機が置かれています。この印刷機ともども「行田印刷所」として田山花袋の小説「田舎教師」に登場します。また、その当主であった今津徳之助氏は、郵便局、電話、電灯、馬車鉄道など行田の近代化事業に中心的な役割を果たし「行田の渋沢栄一」と言われた偉人です。その「今津印刷所」は今も健在、元気なお店。 すごいですね。

私の行田発見記。2017.10.14壱七
20171014
『創作足袋』の千代の松。 行田ならではの足袋をつくり、お売りするお店。足袋づくりを始めて三代目のご主人と奥さん。奥さんは彩の国、埼玉県伝統工芸師、すごいですね。若もののファッションとして人気の柄足袋を手掛けています。日本古来の伝統文化である足袋生産の再生に奮闘するご夫婦に感銘を受けました。今も、100年ものドイツ製のミシンがガタゴトと活躍していました。

私の行田発見記。2017.10.17拾八
20171017
『松坂屋蔵』 戦後まもなく創業した松坂屋建材株式会社さんが、昭和24~25年頃に建設した倉庫です。当時熊谷にあった軍事施設のボイラー室を解体し、その建材を再利用して建てられたそうです。頑丈な造りの均整のとれた2階建てのモルタル蔵で、現在も同社の倉庫として使用されていますよ。

私の行田発見記。2017.10.19拾九
20171019
『忍馬車鉄道』行田馬車鉄道 忍馬車鉄道は吹上~行田間の鉄道です。明治32年「忍馬車鉄道株式会社」が設立。吹上~佐間(行田市内)が部分開業、次第に延伸し、明治34年6月には吹上駅~行田下町間が全線開通しました。1日12往復、料金は片道5銭。が、大正11年の秩父鉄道開通の影響や、自動車の発達によって経営困難で廃止されました。惜しい。

私の行田発見記。2017.10.22弐拾
20171022
『マンホールカード』 マンホールカードは下水道広報プラットホームが考案したマンホールの蓋を活用した全国統一のコレクションです。市町村によっていろいろな特色がサイン化されています。普段、気にも留めていない足元のマンホールの蓋。 行田は忍城と足袋蔵といったところでしょうか。行田市郷土博物館でケット可能とか。

私の行田発見記。2017.10.24弐壱
20171024
行田はTVドラマ『陸王』、そして日本遺産関連イベントラッシュ。私は行田市民大学のテーマである「行田の足袋・足袋蔵」の魅力に苛まれています。目につくものを纏めてみました。

私の行田発見記。2017.10.27
20171027
『秋山蔵』蔵のインテリア。 こんな蔵もあってもいいかも。と思いつつ細工してみました。実はこの蔵2012年から「行田の蔵めぐり」に、参加いただいている秋山蔵だとさ。小さくてかわいらしい蔵です。行田中心街の奥に静かに今も佇んでいます。この蔵の中で楽しく戯れてみたいものです。

私の行田発見記。2017.10.31弐参
20171031
『翆玉堂』 この建物、昭和4年に山田三之助氏の店舗(山田荒物店)でしたが、おしくも平成7年頃に閉店。その後平成20年から「翠玉堂」が歴史ある建物を生かして個性的な商売をしながら、若手芸術家のアートイベント、展覧会などで活躍しています。そして今、レトロな雰囲気の素敵なパン屋さん。SNSで話題沸騰と叫ばれています。行田市を訪れたら覗いてみましょう。

私の行田発見記。2017.11.03弐四
20171103
『彩々亭』は、かつては足袋屋の荒井八郎が昭和初期に建てた住宅兼事務所でした。当時は”足袋御殿”と呼ばれただけはあって贅をつくした建物です。そして今は、”懐石料理亭”として行田市民に親しまれています。屋根には緑色の光沢のある瓦、2階はモルタルで化粧、1階にはスクラッチ・タイルと魅力満載の、昭和のレトロを感じる素敵な建物です。やはり行田での宴会といえば、この料亭ですね。

私の行田発見記。2017.11.07弐五
20171107
行田市街の表通りに美しい二階建ての土蔵が目にとまります。ほうらい足袋の商標で知られた、明治20年創業の奥貫忠吉商店の足袋蔵『奥貫蔵』です。氏は日露戦争、第一次世界大戦による戦争景気で財を成し、足袋工場を建設し、その商品倉庫としてこの蔵を建設したようです。”行田の足袋産業の栄華を伝える足袋蔵”ですね。いまや、蕎麦・創作料理の店「あんど」で親しまれています。

 私の行田発見日記。2017.11.12弐六
20171112
『牧禎舎』の藍染体験工房 牧禎舎は昭和15年に建設されたノコギリ屋根工場と事務所兼住宅です。落ち着いた戦前の日本屋敷の佇まいを良く伝えております。今や行田の藍染体験工房として親しまれています。そんな工房に久々に訪れました。二人の青年の藍染体験。すばらしい出来栄えでしたね。

私の行田発見記。2017.11.24弐七
20171212
飯田屋の『奈良漬』 明治初期の行田市近郊の農家においては、白瓜が大量に生産されておりました。その白瓜をおいしい漬物にしようと酒粕に漬けたものが大変評判となり、今日の行田の奈良漬となりました。飯田屋の奈良漬は、選別された国内産の良い原料を良質な酒粕と味醂(みりん)粕を、ふんだんに使い職人が丹念に仕込みをした創作漬物です。自然の素材を大切にした味の逸品です。合成(着色料・保存料・甘味料)は一切使用しておりませんので安心してお召し上がりいただけます。毎日の食卓に…季節のご挨拶や贈り物に…ご賞味あれ。

私の行田発見記。2017.12.02弐八
20171202
「中川の碑」-中川と元荒川- 行田市の長野地区、さきたま調整池(旧忍川)沿いにある「中川の碑」。ここで、かわいらしい河童の石像が、元荒川の歴史と埼玉県東部の水田地帯を流れる中川流域の特徴を紹介しています。元荒川ってどんな川? 熊谷市の佐谷田地先を起点として、越谷市の中島地先で中川に合流する延長約六十一キロメートル、流域面積二百十六K平米の、山岳部からの源流のない川だよと。

私の行田発見記。2017.12.12弐九
20171212
行田名物『フライとゼリーフライ』 農家で手軽に作られていた『フライ』は昭和初期の行田全盛期の足袋工場で働く女工さんのおやつとして人気ものでした。名の由来は、行田周辺が布の産地だったことから「布来(ふらい)」だそうです。一方『ゼリーフライ』は、じゃがいも、おからを小判型にして油で揚げた食べ物。衣のないコロッケといった感じ。ルーツは日露戦争に従軍した「一福茶屋」の店主が野菜まんじゅうをアレンジしたもの。その形が小判に似ていて”ゼニー”が”ゼリー”に変わった。いずれも、庶民のおやつとして今も愛されています。

私の行田発見記。2017.12.28参拾
20171228
『新町ほっとステーション』の石蔵 ここは、行田の新町アーケード沿いの新町ほっとステーション。裏に佇むどつしりした石蔵です。「蔵めぐりまちあるき」の日は見学できそうです。そのルートはここから、今津蔵 、足袋蔵まちづくりミュージアム 、奥貫蔵(あんど) 、牧禎舎 、足袋とくらしの博物館 、大澤蔵、足袋蔵ギャラリー門 、忠次郎蔵 、保泉蔵 、小川源右衛門蔵、旧忍町信用組合、イサミ工場など。来年の「第14回のぎょうだ蔵めぐりまちあるき」は4月21-22日に開催予定と

 私の行田発見記。2017.12.31参壱大晦日
20171231
忍城の『鐘楼』 あの「のぼうの城」で知られた行田の忍城の鐘楼に目が惹かれます。明治の郷土史家「清水雪翁」が著した北武八志には「今現に忍城にありて日々時を報する者、即ち是なり。曽て総州候が伊勢桑名治城の時、鋳造するものなり」と記されており、忍城に由緒深い名鐘です。今や、鐘は取り外され郷土博物館に展示されています。

今年の発見シリーズ見納めです。 以上、2017.07.02~2017.12.31の期間中にFacebookに掲載しました。

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