
JABEZ and GOD
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LOVE JESUS
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Jesus mighty name
In the name of Jesus Christ
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Jesus is my Lord
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John Chi with Jesus Christ
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On the sea-shore of the Vancouer Island
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With Lord Jesus.
In the name of JESUS TBジョシュア
2008年 夏
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その辺りでは、RICHARDS STREET と、PENDER STREET の交差点にあるネットカフェの、INTERNETがハイスピードだという事だったから、そこに入り浸るようになった。
たしか、こうしたインスタント・ヌードルは、日本の安藤百福さんがオリジナルだと思う。いまや、世界中にインスタント・ヌードルがある。チキン味のフランス製のヌードルを、宿のキッチンでフィックスして食べた。
チキンのシャワーマと、タプーリを食べた。コークと合う。
店内には中世のバグダッドの大きな絵が飾られていた。
テーブルの上に置いていた、ショートブレッドとオレンジジュースで、イングリッシュ・スタイルのブレックファストをいただいた。イングランドは歴史的 に、いくつかのアジアのスタイルを、その文化に取り入れているが、シンガポール風の食事も、その一つだ。シンガポールスタイルのヌードルを少しフィックス してみた。
オルガナは、私に「あの人は、おもしろい人よ」と、ちらと目で合図して教えてくれた。その人は、白髪の洒落た老齢の紳士で、窓の横のテーブルについていた。
宿は、イスラミック音楽がいつもホールで鳴っている。
午後、私は、これまでの疲れも出たのか、夕食までベッドで寝ていた。イスラミックのサウンドが、心を落ち着けてくれた。
アジアでは、西洋より多くの日本アニメが流入しているようで、私の知識は、そこでは、大きくはなかった。我々は、このごろ、『アメリカン・アニメーショ ン』と『アニメ』が、いろいろな所で「結婚しはじめている」(西洋では、二種の文化が混合してゆくことを、文化が結婚する、という表現を多く使用する)こ とを面白く話せた。
『アニメーション』(ANIMATION)という単語は、英語の『アニメイト』(ANIMATE)=生命を与える、から出たわけだが、まさに、芸術家たち が、絵に命を与える、絵を動かす、という夢を持っていたことが分かる。神が人を造った、その精神が、人の中にもあって、それが、こうした創造物を生み出す 原動力になっているのかもしれない。そんな話をしながら、我々は、アジア料理のお店で、食事をし、お酒を飲んだ。その日は、アジアンな1日となった。
{アジアのディッシュ} ライス、アジアン・ポーク・スープ、アジアンビール、アジアンワイン、アジアン・スパイス・スープ、肉料理アジア風。110ドル。ラウンジでデザート。17ドル。
その後、二人と別れて、一人、カフェで、コーヒーを飲む。四ドル。
そして宿泊先に戻る前に、
私は、キリストの教えを小さい頃から多く聞いたが、キリスト教会を離れたこともあった。しかし、キリストの教えは、真理だと感じることは変わらなかった。
私の欲望が、教会を離れた原因であった。
しかし、再び、教会に戻った私を教会は、温かく迎えた。
私には、一種の放浪癖があった。
長く、同じ状態に居られなかったのだ。
人間は、難しい存在だと思う。聖書は、こういう存在である人間について、多くのインストラクションを内包している。命について、そこから、学ぶことができる。
人間は現在、多くの自然に対し、危機的状況を作り出しているという。しかし、人間は、テクノロジーを必要とする。それがなければ、生きられない。我々は、自然環境とテクノロジーの共存を模索していかねばならないのだ。これは『生命』に関する課題だ。
結局、我々は、経験を踏まえて、その経験から、次の行動の指針を見つけて行く。まあ、私は、そのような事を文学に於いて研究していた。多くの文学が聖書 をその基点に持っていることに納得させられることも多かった。聖書は、けっしてフェアリーテールではなく、それは、人間の心の地図なのだ。聖書が示す知恵 の中には、人間が人間である限り、ついて回る本質や、人間を人間たらしめ共同生活を可能にする心の設計図が書かれている。
草野神父 帰天 ありがとうございました
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「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16章31節) …
TBJ2020
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Jesus Teaching
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我々は崖をあがり、原っぱへ出る。原っぱの上空の雲間からライトは落ちる。
フラットウッズ型スペースメイドROBOTが降りてくる。
私は叫ぶ。「これ、みんな知ってるヤツだ! 一九五二年、米国ウエストバージニア州フラットウッズに飛来したとされる『UFOと宇宙人のロボット』事件のヤツだ!」
フラットウッズ型スペースメイドROBOTは、我々の前に着陸し、そのハッチを開くのだった。
あの高倉健似の宇宙拉麺シェフが現れ、言う。
「選ばれし者よ、平安京デジタリアで、タイム・エンペラー・システムを破壊せよ。我々は敵ではない。WE CAME IN PEACE. チュパカブラは火星種の生物で、我々がこのハビタブルエリアに入植したときに入り込んでしまった。スマン。」
高倉健似の宇宙人との会話の中で、多くの謎が解けた・・・。
平安京デジタリアン、と名付けられた八十年代のロム・カセットのゲームワールドに、イーブル意識『タイム・エンペラー』が封印されていた。それは、あの時代の光ディスク・ゲーム形式だった。
宇宙人らは高度なテクノロジーで、地球のゲームカセットカートリッジを改造していた! それは、宇宙的VR空間とのコネクトさえ可能にしていたのだ。決戦の場は宇宙人らの技術により、VRスペースに持ち込まれていたのだが、それに参戦する選ばれしデジウォリアーが現れていなかった。
『コードネーム:平安京デジタリアン』、そのセントラル・プログラム『タイム・エンペラー』は擬人化されたシークレット地球開発プログラムだ。だが、このプログラムは八十年代に考案されたもので、すでに古びた開発意識を持ち続けているのだ。開発者は去り、『タイム・エンペラー・システム』のみが動き続けて、地球崩壊への間違った道の途上に居た。これは、GAME化されたコントロールメソッドで動作しており、・・・古びた開発意識をRE-IMAGINATIONし、エコシステム化するために全プログラムを改変するには、ウォリアーが、そのGAMEに参加し、擬人化したリーディングプログラム『タイム・エンペラー』と、動作システムを21日間で断ち切り、意識システムを刷新するしかない。
宇宙人は言う。
「『タイム・エンペラー』は分断を主張する過去的人類意識の権化だ。過去の分断を継承させんとする権力を行使しようとする意識だ。だが、時代は変わろうとしている。地球規模の気候変動、グローバルクライシス、もう国家主義では対応できない。新しい世代は感覚的に受け止めている、もう、変わらねばならないと。すでに国家主義、民族主義は過去のものとなり、グローバルクライシスを人類全体の問題として解決するために考える時代が来ている。人類の心に期待している。」
宇宙人との会話で分かったこと。
→ 湖に落ちていたのは、隕石ではなく、宇宙船。(かつて火星に存在した、インテレクチュアル・BEINGが、自ら起こした環境破壊によって住環境が壊滅したために、ブラックウッド南山奥ジャングルに舟で移住し、彼らは古代からひそかに住み続けていた。 ・・・バブル時代の開発でジャングルが消され、彼らのハビタブルエリアに人間がはいりこんだ。)
→ 火星の住環境の崩壊は気候危機がまねいた。不必要なものを無駄につくってそれを過剰に消費し続ける社会構造・社会形態が、土地・惑星・大地・ハビタブルゾーン・海を汚染し、けがしていった。だが、かれらの生活は火星崩壊をまねいたことから学び、極度にエコ化していた。
→ より暮らしやすい住環境を求めて、宇宙人らは移動しようとしている。
宇宙人はモニタリングを始めた。水木りんが、バーガスXアバタールXをコントロール。
ハイパー次元モニタにVr世界が映し出されたようだ・・・。
バーガスが次元を超える。
私もVr世界に入り込む。そこは、8世紀のheiankyoの様相だ。その世界は仮想現実。
だが、その世界の中心キャスルに居る、タイム・エンペラーと呼ばれるプログラムが!
彼は、プログラムだが、擬人化されている。その姿は未来兜を被り、ビッグソードの使い手。
私、Tホークシャーは、Vrアバタールとなる。少年のようになった、デジ化身がその世界の門へ。
空中から羅生門へ降りる。財団は、ハイテクを使い、そこへ送り込む、Vr化トランスポートトレーラを! トレーラを動かしているのは、バーガス。
トレーラから忍者ロボットが出て来る。それに乗り込む。タイム・エンペラーとの決戦。
タイム・エンペラーは聖母マリアのような光に包まれ消滅。




bergus!
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THE BIBLE
神の救い
Mask Trip The Movie
FROM YOSHIMASA HIGASHI (AKA: Yoshimax)
my name : Yoshimasa Paul Higashi (This is my real full name)
but, also I create films and comics with these names too;
Yoshimax / Jownmakc / Yoshi Higashi
Recent films of mine, the TITLES;
“MASK TRIP”
LINK: (feature)
https://www.youtube.com/watch?v=rEsumSDnWQU
FOTO of the FILM;
“TAKA KURA OMEGA”
LINK: (short)
https://www.youtube.com/watch?v=CR1Dr-Wm1DI
FOTO of film;(Taka Kura Omega)
PROFILE BIO:
Yoshimasa
Higashi (YOSHIMAX)
Born 1973
- STUDIED FILM AT OUA, OSAKA UNIV OF ARTS (filmschool)
profession:manga-creator,
filmmaker, film lecturer
Having: PHD at University
of Kitakyushu
Creating comic for the East Europa comic
mag"Devetka"
As a comic-creator, biz-name is YOSHIMAX.
2010-2018: Had experiences as a film lecturer at University of
East Asia & KDU.
While making comic, doing filmmaking
independently, and had screening
at some international film
festivals like Global India Film Festival
(where a work got the
script-award)
and FILMSTOCK.
In the near future: planning the extended version of a fantasy sci-fi JIDAIGEKI, Taka Kura Omega.
(will-be) “TAKA KURA OMEGA
WORLD.”
For the project, he wants to be the writer-director.
He
also looked for getting the sense of JIDAIGEKI in the Master Session
in the center, KYOTO.
(Kyoto Filmmakers Lab. 2019) He also attended the Italian Film Session of CINEMADAMARE.
Also, MASK TRIP was screened in India's TAGORE FILM FEST 2020.
PHOTO OF YOSHIMAX:
(center)
ANSWERS OF THE QUESTIONS;
How did you become interested in cinema? (When answering this question, please refer to the state of cinema and the geography of your country and the fans or anything else you think will be interesting for the readers of the world and eager to make a film)
I was seeing when I was a boy, the films of Steven Spielberg, George Lucas, Hayao Miyazaki, James Cameron. That was the point I started to love films. In my boyhood, movies were really entertainments for children. And especially in Japan, ANIME was really pop. Hayao Miazaki changed the expressons of Japanese animation. And his film were very fun and interesting for kids. He was the wizard of ANIME of Japan.
Also, Hollywood sci-fi films were fun to us. Hollywood sci-fi ones were looking so nice and great for the expression of the live-actions. It was really fun, but Hayao Miyazaki did the same or bigger entertainment as Hollywood sci-fi fantasies. I was lucky that I could see Miyazaki films when I was a boy. It is still my great memories...
So, I include ANIMEtica expressions into my own made films.
Also, I liked KUROSAWA, KATSUHIRO OTOMO, and many.
I loved Wim Wenders sci-fi, “Until the End of the World” … it was not hit, but still a cool cinema.
My nex sci-fi will be like that.
How did you make your first film (please write to me about your personal efforts as well as the hardships and… who helped you or anything else that will be interesting for other people who are just starting out).
I made my first feature when I was 30. My filmschool friend helped me.
It was a kind of fantasy..., it was called “Modern Legends”, and we the film group, (at that time, the group was called LOUVY JAPON) screened the film at the VAN CITY THEATRE of Vancouver, Canada. (Also, in Hong Kong)
Before that, I made some shorts, but making feature films were a kind of different experience. Much bigger efforts, we needed.
To finish all process, we needed much much longer time...
Sometimes, editing was harder. I saw the same cuts again and again and again , and took many many many times.
Well, … but I loved. I loved filmmaking!
Also, filmmaking is like adventures. It is like a trip to another universe.
I LOVED IT AFTER ALL!!
Yoshimax
2020
FOR INDIA
JABEZ PRAYERS
TBJ from JESUS
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JABEZ PRAYER
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Japanese Film Director Sadao Nakajima and me
ヤベツ
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15分の、VR映像作品 企画
赤い人形集団の、うねり、白い無数のしかばねから、ひとり、天空に浮かびラストマンとなる、えらばれしもの、終末セカイを撮影。
セカイ系。
セカイ系は、ヨーロッパでどう受容されるのか、いや、すでにされているのか。
セカイ系VR。
見る視点、赤い人形レッドマンのひとりの目になって、うねりのなかに、埋没している人間に観客もなってしまう。
のがれがたい、この時代をあらわす。
われわれは、のがれたいのか?
プロデューサー ヨシマックス
ディレクター トミナガアスカ
トミナガアスカ 近年の赤い作品
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「脂肪の塊」
精神的な死をテーマとした作品を制作した。
精神的なショックは目には見えないものの必ず存在するものである。だが目には見えないため、他者が ショックの幅を理解することは困難と言える、例えばショックを受けたという話を聞いても同調する、実感 するということは不可能であり、この気持ちは誰にも理解することができない。このことをどうにかわかっ て欲しい、ショック・悲観・悲しみ、その手の気持ちの最大の表現を考えた時、極端ではあるが自殺した人 が思いついた。 自殺からはショック、悲観、悲しみ、やるせなさ、絶望・・・様々な面があるが負の方向を向いているこ とは明らかである、逆に生きることが正の方向なのかということは今回はフォーカスしないが、マイナスイ メージが付きまとわるものである。 精神的な死を肉体的な死の姿で現し、それが蓄積していく様子・そこから復活の儀式を行うが生と死とは どうやっても覆らないこの世の理であり、精神的な死も回復しない、蓄積し続ける様子を表現している。 また死をイメージしているが、精神的な死は実際には死んでいないので、嘘の血を意味する、スパンコー ルの血が流れ出している設定となっている。
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「animal farm」
群衆として存在する人間達 幼少期より人間は個である、個性があって、一人一人が尊いものという道徳教育がされるが、学校、社会、 といった組織に属すると人間は個ではないことがわかる。生徒、部員、社員、といったように大きく括るこ とで人間は個を失う。また視覚的に見ても、一人と会うと年齢、容姿、雰囲気、と個を実感できるが、高い ところや遠くから人を見つめると、人がいる、いっぱい人がいるといったように人間という大きなくくりで 捕らえられ、そこを抜け出すことは困難である。群衆となった人間は一人二人入れ替わったところで気付き はしない、社会の姿と酷似している。 1枚1枚のティッシュを1人間と見立て社会の姿を表す、1枚1枚はテクスチャが異なるが、集まるとた だ赤いだけの物体が見える。個はあるものの群衆となるとそれは薄れてしまうことを表現した。
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「Slow Down」
人々は物事に熱中し盲目的になることがある。そこには統一の色を纏い一体感を望んでいることや、効率 よく熱狂対象を全員が見れるよう円形で囲むという姿が見られた。 実体の有る無しや生死に関わらず概念を信じ、実質的には空白を祈る人々は確かに存在し、誰の心にも大 小あれどもその気持ちは存在する。 熱狂される対象は、対象自身が望まなくとも熱狂した人々は個人の感情くを一方的にぶつけられる。 これらをもとに、空白に祈る人々が個人の感情だけをぶつけることに一生懸命になっている様子を制作し た。熱狂する人々の盲目的な姿を中心から見ると、周囲はファンや信仰者であり、一個人として認識できな い姿を人影と捉えて、制作を行った。
一体の、赤いヒトガタ、レッドマンが、宇宙をさまよい、地球におちてくる。観客は、このヒトガタの視点に同化する、視点POVは、レッドマン、あなたは、ひとりのレッドマンとして、VR体験。
Storyboard
超未来 過去体験 今。
マインドジャーニー
Sekai kei
映像テーマ
・過去の発言にとらわれて動けない
・プライドが邪魔して一生懸命になれない
・小さなことが怖い
悪夢の再現
止まってる自分と変化する周り、置いていかれる
解釈は限定されない。
永遠の謎 白昼夢 シュールレアリスム
重いテーマと、軽い素材感 ギャップ
意図的チープ
ビジュアルイメージ pop cultural
手作り感 情熱 こどもがつくった虫の墓
たくさん、くるくる回りながら上昇して行く
アートの小屋 部屋 それは宇宙 ひとつの宇宙
長い部屋をくぐりぬけてゆく
マナーハウス
広角レンズ
迷路
15 分間 マインドトリップ
さまざまな部屋を通っていく。
ラジコンにカメラつけて撮影
Photo
導入、こうやの、むこうに、心を想像させる、やかたがあって、そこにむかっていく、そこにはいる。
Photo
無数のレッドマンらが、地球めざして、とんでいく
地球にうまれることへの肯定と祝福
おわり
まなび
ジャネット・スミス著
学んだこと
(一回より)
牧会とは、「神の言葉」を1人1人に伝えることである。
説教とはまた違うものである。
牧会は牧師のみのものでなく、信徒ひとりひとりとの集まりの中で出来ていく。
礼拝と関係なく、個人的に牧師をたずねてくることも、牧会と言える。
み言葉が語られるところ。自分の欲を満たすより、神の言葉が正しいことを認める。
(牧師であっても、おしゃべりの中で、み言葉が崩れていく場合があるから注意)
(2回目より)
教会形成・・・教会=キリスト者の交わり ⇒ 聖霊、キリストはそこにいる。
教会は、この世にあって、神の言葉に立つ人の群れ。
近年、「無牧の教会」とは言わず、「無牧師の教会」という場合が主流。
*牧師は居ずとも、牧会はある、という見地から。
すべてのキリスト者は、できれば、奉仕のつとめを。
教会は、この世の全ての人々が射程である。
(すでにキリスト信徒になっているものだけに、ではない)
真実の神をまだ知らないものへ。
*人は、何かを信じて生きているものである。そのひとなりに、何かを信じている。
牧会は伝道である。膝をつきあわせての伝道といえる。
み言葉には、力がある。 (暴力的にみ言葉を利用してはいけない)
み言葉に傷つく、み言葉が痛い、と感じることもある。では、なぜ、そのみ言葉が痛いのか、
それを整理していくことも大切かもしれない。
あせらずにいこう。
全てのひとは神によって生きていることを忘れてはいけない。
世界と教会を区別はできない。
神は世界におられるのでもあるから。
言葉を見抜いていくことが大切。
(3回目より)
すべての牧会で行動しているのは、主イエスである。
ひとではない。しかし、ひとをとおして、ということもある。
教会の行動を起こすのは神。そのなかで私たちも用いられる。
外側へとひろがっていく行動である。
肉と魂が区別されて教会があるのではない。
人格的全体として考えるべきことである。
心の問題のみ、というわけではない。
宣教して救われたら終り、というわけでなない。持ち続ける。
よくあることは、
バプテスマを受けたときの感動が薄れる、また、バプテスマを受けて大きく変われるのでは、
と思ったが、なかなかそうならない、など。
ひとびとのなかに、こういうタイプがある:
1 教会の周辺居住者=求道人
2 神の言葉をむなしく思うひと=眠っている人
3 神の言葉に反抗する人
私たちは神の言葉をつたえないといけない。会話しながらつたえる。何年もかかることもある。忍耐
神の言葉と出会っていく。⇒自分が変えられていく。くだかれる。
神に対してもつべき畏れがある、しかし、ひとにたいして持つべきではない。
牧師・神父と信徒は、応答をもつべきである。
私たちの基本は、「神の言葉にたつ」ということ。そうでなければ、自分とは何か分からなくなる。
実際的に、教会に天国の一面を見る人もいる。
変わっていくこの世の中で、み言葉は古臭くはなりはしない。
違った福音を語る必要はない。私たちは、どんなふうに福音を聴き直すことが出来るか、考える
正しい神学は、理論のみでなく、実践をともなう。
神学は反省の学問である。
牧会は祈りによって支えられる。聖霊を求める。牧会は神様がなされる。神が先だってくださる。
(4回目より)
神の国=神の支配
キリストは、病気の人、障がいのある人のところに、まず、来た。大切な事実。
神の国はそのようにやってきた。
ひとりひとりがイエス・キリストに出会う。そのことが大切。
神の国は、神みずからが創られる。わたしたちを用いることもありながら。
主の祈りに込められた祈りの力。
われわれは、イエス・キリストの所有。くらやみは、すでに、イエス・キリストによって、
打ち負かされている。
悪への抵抗、そして、神の導きに身をゆだねる。
*問われ続けている課題・・・教会は敷居の高いところと、日本では、教会の外に思われている
開かれた教会を目指さねば。
目の前の傷んでいる人に近づいたイエス・キリストを思おう。
教会はイエス・キリストを指し示す存在だから
キリストが主である
・・・・・神は、それぞれを創ったあとに、「よし」とされた。
まず、光、・・・よしとされた。
現実は問題が多い、神が分からなくなることもある、しかし、光さえ出来ていれば「よし」とされた神
神のわざが、混沌の中でもみることが出来れば、光があれば、よし、・・・「よし」といえる信仰は大切
目の前の人と心を合わせ祈る・・・牧会
問題はあれど、「よし」といってくれる神がいる。
(第5回より)
冒頭、トランプ大統領の、聖書と教会のまえで記念写真、という事件に、なにかコメントがあれば、とありましたので、少し書いてみます。
トランプ大統領というひとは、よくもわるくも、これ迄、アメリカ大統領が持っていた「品」というものを(私が知っているかぎりでは)もっていない初めての大統領ではないか、と思います。
私は大学時代にアメリカに留学した経験があり、そのときの大統領はクリントンでした。彼は当時モニカ・ルインスキー事件を起こしたり、ひとによってはあまり好きではないという人も居ましたが、すくなくとも、品はあったし、私の見る限り、差別のない人だった。
トランプは、就任当初から、喋り方や身振り、発言、すべて「品」がない。
そういうひとなんだなあ、と思っていたので、その意味では聖書記念写真事件も、そうした品を欠く行為としての人柄が出てしまったのだろうと感じました。
この事件の捉え方は、もしかすると、アメリカ、ヨーロッパ、日本、それぞれの国民の捉え方があるかもしれないとも思います。聖書が大きく一般化しているアメリカと、日本のようにあまり浸透していない国では、受け取り側の意識もかなり違うような気もします。
牧会学・・・ 自分が思うよりも前に、すでに神様が働いている、そういうことが真理なのだろうと思う。
牧会をしているのは神であり、私たちは託された働きをする。
(言葉ではシンプルに言えるが、実際はかなり気をつかう行為であるとも思います)
自分で抱え込まなくていい、われわれは神ではないのだから。
出会いとは・・・牧会においてキリストに出会う、み言葉に出会う、悔い改めともつながる、それは喜びになっていく。
牧会の危機とは・・・
①個人的信仰と呼ばれるものに、縮小されている
②揺り動かし、奮起、が起こらない
③神の国の宣教をどこかに追いやった
④人間が要求するもののみを与えようとしている
⑤終末論が消えている
⑥イエスを見ない
⑦聖霊による宣教がない
(第6回より)
希望の牧会・・・牧会は希望をもって行われるもの。
救いのために来られるキリスト。
イエスのゆるし。
罪を荷って下さり、それを消し去ってくださるイエス。(イエスを指し示す)
*この状況さえも、神の御わざが明らかになっていくため、とイエスは教えた
「だけど、ゆるされている」「だけど、生かされている」・・・神のみわざが現れるため(福音ゴスペル)
*いそがず、あわてず。
病める魂は、祈りによって癒されゆく。祈りの大切さ。
祈りは支える・・・自分はひとりではない。神様とつながっている。
そして、ともに祈る兄弟姉妹とつながっている。
>DVの問題は教会の中の家族にもおこる。実際、どうしたらよいのかの答えはむずかしい。
離婚を選んでさえ、DVの傷を抱えることも多い。
そこでも、祈りをしていくことが大切。
祈祷会の場=祈りの場=神が聖別された場所
祈りの場=神の祝福の場となっていく場。・・・わたしたちの祈りが、この場をつくりだす。
祈りの場=思いをつなぐ=神が聖別される場所=祝福された場所=イエスさまはたしかに、そこにおられる。「場所」が変えられていく。聖別される
目の前の人の痛みの声をたいせつにし、聖書の言葉に希望をもって向き合う、クリスチャンは許された罪びとである。イエスが罪を荷ってくれた。
(第7回より)
希望の教会:
1946年、第二次大戦後、たくさんの人々が痛み、傷を抱えていた。
教会はAGENT OF HOPE, 希望の教会となるべき。
それは、一切の悪霊に対するキリストの勝利、それを伝える。
偶像=むなしいもの、無に帰したもの、との戦い。
偶像はむなしいが、ある種の現実をもつ。その力に我々は魅かれてしまう。
悪霊、偶像は私たちをキリストにフォローする思いから引き離し、私たちを支配しようとする。
聖書の有名な著述では、悪霊=レギオンにつかれていた男、が出て来る。
彼はイエスに走って来て、癒された。
私たちが神から離反していることに対して、神のいかり・かなしみがある。
イエスの無条件の愛、それは何でもあり、というものではない。
(もし、何でもありなら、神は私たちに無関心、ということになる)
人は神の裁きについて考えようとしない傾向がある。
神を畏れる(畏怖)はもつべきものである。
人は根源的に何かをおそれている、
ほんとうは、神を畏れる、のが正しい・・・他のおそれから、解放される。
*何もおそれていない、というのはタチがわるい・・・自分が常に正しいという間違いを起こしている
今日の世界における偶像の1つは「原子力」といえるかもしれない。
また、それは金、拝金主義かもしれない、・・・神を離れる=自分の主を失う、ということになる。
金は使用するために作られたが、かえって金に支配されている世界が目立つ。
原子力発電の安全神話は崩壊した、これは、アダムとエバを誘惑した蛇ともいえる。
いいものだ、問題ないのだ、という嘘があった。(この嘘により神から離れ、土が呪われた)
人が、神でもないのに、自分を神のようにしようとしたことが罪、問題だ。
原子力・戦争・拝金主義の根はつながっているのかもしれない。
神を見あげ、希望の根源をみてゆこう。
人間の尊厳を踏みにじる、そういうことには反論すべき。人命に関して譲れない事は譲っては駄目
イエスの名
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piano
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子供を祝福する
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主なる神イエスキリストは、われわれの罪のために十字架にかかり、3日目に復活した!
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MR NAKAGAWA
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バイブル+心理スパイス Asafu より
祈りの生活を続けることで得られる恩恵をいくつかお伝えしたいと思います。これは完全なリストではありませんが、本ではなく記事なので、ここから始めるべきだと考えました。
グランマスクの男
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エリック・デュレ監督、
ジャンレノ主演、マルク・デュレ出演の、
『グランマスクの男』は、あまり知られていない映画かもしれないが、
すばらしい、超名作だ。
レノは、メキシコの貧しい村の神父だが、孤児の子供たちをやしなうために、
ルチャドール、つまりプロレスラーをやっている。
これは、実話をもとにした、ヒューマンドラマCINEMA.
こころがあたたかくなる映画。
DVDにまだなっていないようだが、ぜひ、DVD化してほしい1本!
Jesus POWER
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COVENANT
Jesus Christ's Church in China.
jesu
TBジョシュア he say in the name of Jesus
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love
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タカクラ・オメガ TAKAKURA OMEGA a film by yoshimax
TAKAKURA OMEGA 英国版
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MANGA OF YOSHIMAX
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