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    主よ、永遠の安息を草野純英神父に与え、絶えざる光を彼の上に照らし給え。
    彼の安らかに憩わんことを。


    アーメン




    活の時には、娶ることもなく嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
    (主イエス・キリスト)

    「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16章31節) …93970389_1638038153023960_8035472700841394176_n
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    https://www.youtube.com/watch?v=nMKHC0tW2Ew

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    ほんこん松尾ちゃん (29)

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     我々は崖をあがり、原っぱへ出る。原っぱの上空の雲間からライトは落ちる。

     フラットウッズ型スペースメイドROBOTが降りてくる。

     私は叫ぶ。「これ、みんな知ってるヤツだ! 一九五二年、米国ウエストバージニア州フラットウッズに飛来したとされる『UFOと宇宙人のロボット』事件のヤツだ!」


     フラットウッズ型スペースメイドROBOTは、我々の前に着陸し、そのハッチを開くのだった。


     あの高倉健似の宇宙拉麺シェフが現れ、言う。

    「選ばれし者よ、平安京デジタリアで、タイム・エンペラー・システムを破壊せよ。我々は敵ではない。WE CAME IN PEACE. チュパカブラは火星種の生物で、我々がこのハビタブルエリアに入植したときに入り込んでしまった。スマン。」

     

     高倉健似の宇宙人との会話の中で、多くの謎が解けた・・・。

     平安京デジタリアン、と名付けられた八十年代のロム・カセットのゲームワールドに、イーブル意識『タイム・エンペラー』が封印されていた。それは、あの時代の光ディスク・ゲーム形式だった。

    宇宙人らは高度なテクノロジーで、地球のゲームカセットカートリッジを改造していた! それは、宇宙的VR空間とのコネクトさえ可能にしていたのだ。決戦の場は宇宙人らの技術により、VRスペースに持ち込まれていたのだが、それに参戦する選ばれしデジウォリアーが現れていなかった。

    『コードネーム:平安京デジタリアン』、そのセントラル・プログラム『タイム・エンペラー』は擬人化されたシークレット地球開発プログラムだ。だが、このプログラムは八十年代に考案されたもので、すでに古びた開発意識を持ち続けているのだ。開発者は去り、『タイム・エンペラー・システム』のみが動き続けて、地球崩壊への間違った道の途上に居た。これは、GAME化されたコントロールメソッドで動作しており、・・・古びた開発意識をRE-IMAGINATIONし、エコシステム化するために全プログラムを改変するには、ウォリアーが、そのGAMEに参加し、擬人化したリーディングプログラム『タイム・エンペラー』と、動作システムを21日間で断ち切り、意識システムを刷新するしかない。


     宇宙人は言う。

    「『タイム・エンペラー』は分断を主張する過去的人類意識の権化だ。過去の分断を継承させんとする権力を行使しようとする意識だ。だが、時代は変わろうとしている。地球規模の気候変動、グローバルクライシス、もう国家主義では対応できない。新しい世代は感覚的に受け止めている、もう、変わらねばならないと。すでに国家主義、民族主義は過去のものとなり、グローバルクライシスを人類全体の問題として解決するために考える時代が来ている。人類の心に期待している。」


     宇宙人との会話で分かったこと。

     湖に落ちていのは、隕石ではなく、宇宙船(かつて火星に存在したインテレクチュアルBEINGが、自ら起こした環境破壊によって住環境が壊滅したために、ブラックウッド南山奥ジャングルに舟で移住し、彼らは古代からひそかに住み続けていた。 ・・・バブル時代の開発でジャングルが消され、彼らのハビタブルエリアに人間がはいりこんだ

     火星の住環境の崩壊は気候危機がまねいた不必要なものを無駄につくってそれを過剰に消費し続ける社会構造・社会形態が、土地・惑星・大地・ハビタブルゾーン・海を汚染し、けがしていった。だが、かれらの生活は火星崩壊をまねいたことから学び、極度にエコ化していた。

     より暮らしやすい住環境を求めて、宇宙人らは移動しようとしている。


     宇宙人はモニタリングを始めた。水木りんが、バーガスXアバタールXをコントロール。

     ハイパー次元モニタにVr世界が映し出されたようだ・・・。


     バーガスが次元を超える。

    私もVr世界に入り込む。そこは、8世紀のheiankyoの様相だ。その世界は仮想現実。
    だが、その世界の中心キャスルに居るタイムエンペラーと呼ばれるプログラムが
    彼は、プログラムだが、擬人化されている。その姿は未来兜を被り、ビッグソードの使い手。
    私、Tホークシャーは、Vrアバタールとなる。少年のようになった、デジ化身がその世界の門へ。
    空中から羅生門へ降りる。財団は、ハイテクを使い、そこへ送り込むVr化トランスポートトレーラを! トレーラを動かしているのは、バーガス。

    トレーラから忍者ロボットが出て来る。それに乗り込む。タイム・エンペラーとの決戦。

    タイム・エンペラーは聖母マリアのような光に包まれ消滅。

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    https://www.youtube.com/watch?v=Eo9ZXfeMe1c


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    FROM YOSHIMASA HIGASHI (AKA: Yoshimax)


    my name : Yoshimasa Paul Higashi (This is my real full name)

    but, also I create films and comics with these names too;

    Yoshimax / Jownmakc / Yoshi Higashi



    Recent films of mine, the TITLES;

    MASK TRIP”

    LINK: (feature)

    https://www.youtube.com/watch?v=rEsumSDnWQU


    FOTO of the FILM;

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    TAKA KURA OMEGA”

    LINK: (short)

    https://www.youtube.com/watch?v=CR1Dr-Wm1DI


    FOTO of film;(Taka Kura Omega)

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    PROFILE BIO:
    Yoshimasa Higashi (YOSHIMAX)

    Born 1973

     - STUDIED FILM AT OUA, OSAKA UNIV OF ARTS (filmschool)


    profession:manga-creator, filmmaker, film lecturer


    Having: PHD at University of Kitakyushu
    Creating comic for the East Europa comic mag"Devetka"
    As a comic-creator, biz-name is YOSHIMAX.
    2010-2018: Had experiences as a film lecturer at University of East Asia & KDU.
    While making comic, doing filmmaking independently, and had screening
    at some international film festivals like Global India Film Festival

    (where a work got the script-award)
    and FILMSTOCK.

    In the near future: planning the extended version of a fantasy sci-fi JIDAIGEKI, Taka Kura Omega.

    (will-be) “TAKA KURA OMEGA WORLD.”
    For the project, he wants to be the writer-director.
    He also looked for getting the sense of JIDAIGEKI in the Master Session in the center, KYOTO.

    (Kyoto Filmmakers Lab. 2019) He also attended the Italian Film Session of CINEMADAMARE.

    Also, MASK TRIP was screened in India's TAGORE FILM FEST 2020.

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    PHOTO OF YOSHIMAX:

    (center)

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    ANSWERS OF THE QUESTIONS;

    1. How did you become interested in cinema? (When answering this question, please refer to the state of cinema and the geography of your country and the fans or anything else you think will be interesting for the readers of the world and eager to make a film)



    I was seeing when I was a boy, the films of Steven Spielberg, George Lucas, Hayao Miyazaki, James Cameron. That was the point I started to love films. In my boyhood, movies were really entertainments for children. And especially in Japan, ANIME was really pop. Hayao Miazaki changed the expressons of Japanese animation. And his film were very fun and interesting for kids. He was the wizard of ANIME of Japan.

    Also, Hollywood sci-fi films were fun to us. Hollywood sci-fi ones were looking so nice and great for the expression of the live-actions. It was really fun, but Hayao Miyazaki did the same or bigger entertainment as Hollywood sci-fi fantasies. I was lucky that I could see Miyazaki films when I was a boy. It is still my great memories...



    So, I include ANIMEtica expressions into my own made films.

    Also, I liked KUROSAWA, KATSUHIRO OTOMO, and many.

    I loved Wim Wenders sci-fi, “Until the End of the World” … it was not hit, but still a cool cinema.

    My nex sci-fi will be like that.






    How did you make your first film (please write to me about your personal efforts as well as the hardships and… who helped you or anything else that will be interesting for other people who are just starting out).



    I made my first feature when I was 30. My filmschool friend helped me.

    It was a kind of fantasy..., it was called “Modern Legends”, and we the film group, (at that time, the group was called LOUVY JAPON) screened the film at the VAN CITY THEATRE of Vancouver, Canada. (Also, in Hong Kong)

    Before that, I made some shorts, but making feature films were a kind of different experience. Much bigger efforts, we needed.

    To finish all process, we needed much much longer time...

    Sometimes, editing was harder. I saw the same cuts again and again and again , and took many many many times.

    Well, … but I loved. I loved filmmaking!



    Also, filmmaking is like adventures. It is like a trip to another universe.

    I LOVED IT AFTER ALL!!



    Yoshimax

    2020


    FOR INDIA

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    ほんこん松尾ちゃん (29)

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    I, YOSHIMAX, studied film-script-making from the famous NAKAJIMA.
    Mr MAESTRO NAKAJIMA did many Japanese JIDAIGEKI FILM,
    the script and the direction.
    He made some standard of WOMAN-NINJA films in JAPAN.
    And, he made 多十郎殉愛記 last year.
    From him, I, Yoshimasa Higashi YOSHIMAX, learned how to write scripts.
    And I could get award from PUNE INDIA'S Global India Film Festival 2019
    the Best Screenplay Award, thanks to Mr Maestro Nakajima SADAO.



    ほんこん松尾ちゃん (29)
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    15分の、VR映像作品 企画


    赤い人形集団の、うねり、白い無数のしかばねから、ひとり、天空に浮かびラストマンとなる、えらばれしもの、終末セカイを撮影。


    セカイ系。


    セカイ系は、ヨーロッパでどう受容されるのか、いや、すでにされているのか。


    セカイ系VR。


    見る視点、赤い人形レッドマンのひとりの目になって、うねりのなかに、埋没している人間に観客もなってしまう。


    のがれがたい、この時代をあらわす。


    われわれは、のがれたいのか?


    プロデューサー ヨシマックス

    ディレクター トミナガアスカ


    トミナガアスカ 近年の赤い作品


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    「脂肪の塊」

     精神的な死をテーマとした作品を制作した。

     精神的なショックは目には見えないものの必ず存在するものである。だが目には見えないため、他者が ショックの幅を理解することは困難と言える、例えばショックを受けたという話を聞いても同調する、実感 するということは不可能であり、この気持ちは誰にも理解することができない。このことをどうにかわかっ て欲しい、ショック・悲観・悲しみ、その手の気持ちの最大の表現を考えた時、極端ではあるが自殺した人 が思いついた。  自殺からはショック、悲観、悲しみ、やるせなさ、絶望・・・様々な面があるが負の方向を向いているこ とは明らかである、逆に生きることが正の方向なのかということは今回はフォーカスしないが、マイナスイ メージが付きまとわるものである。  精神的な死を肉体的な死の姿で現し、それが蓄積していく様子・そこから復活の儀式を行うが生と死とは どうやっても覆らないこの世の理であり、精神的な死も回復しない、蓄積し続ける様子を表現している。  また死をイメージしているが、精神的な死は実際には死んでいないので、嘘の血を意味する、スパンコー ルの血が流れ出している設定となっている。


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    「animal farm」

     群衆として存在する人間達  幼少期より人間は個である、個性があって、一人一人が尊いものという道徳教育がされるが、学校、社会、 といった組織に属すると人間は個ではないことがわかる。生徒、部員、社員、といったように大きく括るこ とで人間は個を失う。また視覚的に見ても、一人と会うと年齢、容姿、雰囲気、と個を実感できるが、高い ところや遠くから人を見つめると、人がいる、いっぱい人がいるといったように人間という大きなくくりで 捕らえられ、そこを抜け出すことは困難である。群衆となった人間は一人二人入れ替わったところで気付き はしない、社会の姿と酷似している。  1枚1枚のティッシュを1人間と見立て社会の姿を表す、1枚1枚はテクスチャが異なるが、集まるとた だ赤いだけの物体が見える。個はあるものの群衆となるとそれは薄れてしまうことを表現した。



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    「Slow Down」

     人々は物事に熱中し盲目的になることがある。そこには統一の色を纏い一体感を望んでいることや、効率 よく熱狂対象を全員が見れるよう円形で囲むという姿が見られた。  実体の有る無しや生死に関わらず概念を信じ、実質的には空白を祈る人々は確かに存在し、誰の心にも大 小あれどもその気持ちは存在する。  熱狂される対象は、対象自身が望まなくとも熱狂した人々は個人の感情くを一方的にぶつけられる。  これらをもとに、空白に祈る人々が個人の感情だけをぶつけることに一生懸命になっている様子を制作し た。熱狂する人々の盲目的な姿を中心から見ると、周囲はファンや信仰者であり、一個人として認識できな い姿を人影と捉えて、制作を行った。



    一体の、赤いヒトガタ、レッドマンが、宇宙をさまよい、地球におちてくる。観客は、このヒトガタの視点に同化する、視点POVは、レッドマン、あなたは、ひとりのレッドマンとして、VR体験。


    Storyboard


    超未来 過去体験 今。


    マインドジャーニー


    Sekai kei 



    映像テーマ

    ・過去の発言にとらわれて動けない

    ・プライドが邪魔して一生懸命になれない

    ・小さなことが怖い


    悪夢の再現


    止まってる自分と変化する周り、置いていかれる


    解釈は限定されない。


    永遠の謎 白昼夢 シュールレアリスム


    重いテーマと、軽い素材感 ギャップ


    意図的チープ

    ビジュアルイメージ pop cultural

    手作り感 情熱 こどもがつくった虫の墓


     たくさん、くるくる回りながら上昇して行く


    アートの小屋 部屋 それは宇宙 ひとつの宇宙


    長い部屋をくぐりぬけてゆく

    マナーハウス

    広角レンズ


    迷路


    15 分間 マインドトリップ


    さまざまな部屋を通っていく。

    ラジコンにカメラつけて撮影


    Photo


    導入、こうやの、むこうに、心を想像させる、やかたがあって、そこにむかっていく、そこにはいる。


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    無数のレッドマンらが、地球めざして、とんでいく


    地球にうまれることへの肯定と祝福


    おわり








    セックスに関する三つの真実  

    ジャネット・スミス著


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    ひずんだセックスについてキリスト教的伝統が明らかにした三つの基本的真実に焦点を当ててみましょう。

    その一は性活動が許される唯一の場は結婚生活、

    その二は夫婦の愛が育つために両者の忠実が不可欠、

    その三は子供たちは神から両親への贈り物です。

    なぜ、性の結合が結婚という場でのみ許されねばならないのでしょうか? 性的結合の結果、そういうことをことさら望まない人たちの間にさえも、強力なきずなが生じることはおそらくだれも否定できないでしょう。性的に結ばれる人たちの行為は相互への深い関わり合いに他なりません。教皇ヨハネ・パウロ二世はセックスに関する教えるときに「体の言語」という非常に興味深い言葉を用いられます。その理屈によると、口から出る言葉と同じく体の行為には意味があり、行為によってその意味を意図しない限りわたしたちはそのような行為をするべきではありません。つまり、意図しないことを口に出せば、その言葉がうそになるのと同じです。両方ともうそを「つく」ことになります。性的結合が意味するのは「君には魅力がある」、「愛している」、「君を幸せにしたい」、「君と深くつながるきずなが欲しい」などでしょう。性的に結合しても、ある人たちの行為自体がこういうことを語っていない場合があります。彼らが望むのは性的快感を満たすために相手を利用することでしかありません。自分の望みをかなえてもらうために「君を愛している」と偽る者と同じく、彼らは体でうそをつきます。 しかし、婚外セックスの場合でも、当事者たちは性的結合が暗示することをすべて意味し、自分たちの体でうそを付かないと主張する者もいますが、婚外セックスに溺れる者は自分たちの体の行為が意味する約束を実行できないので、偽りの約束をしているに過ぎません。彼らには相互の幸福のために苦労し、深い相互のきずなを作り出す約束をする準備ができていません。これらを達成するには一生かかるのですから、短い出会いの間にそういうことを実現できるわけがないのです。 結婚制度の存在は人間が幸せになること、結婚によって可能になる生涯続く無条件の愛がいかに重要であるかを示します。愛はそれ以外のいかなる力にもまして、人間の中にある善を引き出します。例えば、愛があれば自信を持ちやすくなります。愛は他人に関わり合う際に必要な自信を与えます。それは自分の中にある才能を発揮するための勇気を与えます。また、愛は過去の傷を癒します。ほとんどどのような形であっても、愛はこれらの恩恵を人類にもたらします。しかしそれが夫婦の愛であれば、それにもまして特別な恩恵を与えます。人間は複雑な存在であり、相互理解は簡単なことではありません。生涯続く関係があっても、ある人を知り尽くすには十分でないぐらいです。ところが性的親密は自分の中身までも相手にさらします。それは自分を相手に排他的に与えることを意味します。性的親密の本来の目的は結婚の中で初めて達成されます。 キリスト教は性的結合を結婚のために保留することを主張しますが、その一つの理由は性的結合が相互に対する深い献身的関係の願望を表現することを教えたいからです。このような関係は結婚生活の中でのみ可能になります。なぜなら、結婚は愛する人への忠実を誓う約束の上に建てられるからです。聖書、特に、旧約聖書はしばしば姦淫の罪を糾弾します。相互に忠実な結婚は、神の民が神に対して持つべきパラダイムとして使用されます。格言と知恵文学全体は不実な配偶者を厳しく糾弾します。結婚している人であればだれでも配偶者が、不実であった場合はもちろんのこと、自分以外の人を愛しているかもと考えるだけでも絶望的になります。忠実は、結婚から生じる他のすべての善にとって基盤になる信頼関係を築くために欠かせません。 結婚するときに男女は誓いを立てますが、その理由は困難が生じたとき人々は簡単に諦めてしまいがちだからです。実に、社会は一般的に言って結婚が大好きであるかのように見えます。結婚しないで同棲していても周りがことさら眉を顰めるわけでもない現代にあってさえ、多くの人たちは結婚の誓いを立てます。新夫婦は結婚の誓いがあるから相互に対する献身を表現し、実現することができると感じるものです。しかし、離婚率が示すのは、結局、現代社会はこの誓いを真面目に考えていないということ、少なくともこの頃の夫婦はこの誓いを守るつもりで結婚式に赴くのではないということでしょうか?

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    牧会とは?

    学んだこと


    (一回より)

    牧会とは、「神の言葉」を11人に伝えることである。

    説教とはまた違うものである。

    牧会は牧師のみのものでなく、信徒ひとりひとりとの集まりの中で出来ていく。

    礼拝と関係なく、個人的に牧師をたずねてくることも、牧会と言える。

    み言葉が語られるところ。自分の欲を満たすより、神の言葉が正しいことを認める。

    (牧師であっても、おしゃべりの中で、み言葉が崩れていく場合があるから注意)


    2回目より)

    教会形成・・・教会=キリスト者の交わり ⇒ 聖霊、キリストはそこにいる。

    教会は、この世にあって、神の言葉に立つ人の群れ。

    近年、「無牧の教会」とは言わず、「無牧師の教会」という場合が主流。

    *牧師は居ずとも、牧会はある、という見地から。


    すべてのキリスト者は、できれば、奉仕のつとめを。

    教会は、この世の全ての人々が射程である。

    (すでにキリスト信徒になっているものだけに、ではない)


    真実の神をまだ知らないものへ。


    *人は、何かを信じて生きているものである。そのひとなりに、何かを信じている。


    牧会は伝道である。膝をつきあわせての伝道といえる。

    み言葉には、力がある。 (暴力的にみ言葉を利用してはいけない)


    み言葉に傷つく、み言葉が痛い、と感じることもある。では、なぜ、そのみ言葉が痛いのか、

    それを整理していくことも大切かもしれない。


    あせらずにいこう。


    全てのひとは神によって生きていることを忘れてはいけない。


    世界と教会を区別はできない。


    神は世界におられるのでもあるから。


    言葉を見抜いていくことが大切。


    3回目より)

    すべての牧会で行動しているのは、主イエスである。

    ひとではない。しかし、ひとをとおして、ということもある。

    教会の行動を起こすのは神。そのなかで私たちも用いられる。

    外側へとひろがっていく行動である。


    肉と魂が区別されて教会があるのではない。

    人格的全体として考えるべきことである。


    心の問題のみ、というわけではない。

    宣教して救われたら終り、というわけでなない。持ち続ける。

    よくあることは、

    バプテスマを受けたときの感動が薄れる、また、バプテスマを受けて大きく変われるのでは、

    と思ったが、なかなかそうならない、など。


    ひとびとのなかに、こういうタイプがある:

    1 教会の周辺居住者=求道人 

    2 神の言葉をむなしく思うひと=眠っている人

    3 神の言葉に反抗する人


    私たちは神の言葉をつたえないといけない。会話しながらつたえる。何年もかかることもある。忍耐


    神の言葉と出会っていく。⇒自分が変えられていく。くだかれる。

    神に対してもつべき畏れがある、しかし、ひとにたいして持つべきではない。


    牧師・神父と信徒は、応答をもつべきである。


    私たちの基本は、「神の言葉にたつ」ということ。そうでなければ、自分とは何か分からなくなる。


    実際的に、教会に天国の一面を見る人もいる。


    変わっていくこの世の中で、み言葉は古臭くはなりはしない。

    違った福音を語る必要はない。私たちは、どんなふうに福音を聴き直すことが出来るか、考える


    正しい神学は、理論のみでなく、実践をともなう。

    神学は反省の学問である。


    牧会は祈りによって支えられる。聖霊を求める。牧会は神様がなされる。神が先だってくださる。



    4回目より)

    神の国=神の支配


    キリストは、病気の人、障がいのある人のところに、まず、来た。大切な事実。


    神の国はそのようにやってきた。


    ひとりひとりがイエス・キリストに出会う。そのことが大切。


    神の国は、神みずからが創られる。わたしたちを用いることもありながら。


    主の祈りに込められた祈りの力。


    われわれは、イエス・キリストの所有。くらやみは、すでに、イエス・キリストによって、

    打ち負かされている。


    悪への抵抗、そして、神の導きに身をゆだねる。


    *問われ続けている課題・・・教会は敷居の高いところと、日本では、教会の外に思われている


    開かれた教会を目指さねば。


    目の前の傷んでいる人に近づいたイエス・キリストを思おう。

    教会はイエス・キリストを指し示す存在だから


    キリストが主である


    ・・・・・神は、それぞれを創ったあとに、「よし」とされた。

    まず、光、・・・よしとされた。


    現実は問題が多い、神が分からなくなることもある、しかし、光さえ出来ていれば「よし」とされた神


    神のわざが、混沌の中でもみることが出来れば、光があれば、よし、・・・「よし」といえる信仰は大切


    目の前の人と心を合わせ祈る・・・牧会


    問題はあれど、「よし」といってくれる神がいる。




    (第5回より)


    冒頭、トランプ大統領の、聖書と教会のまえで記念写真、という事件に、なにかコメントがあれば、とありましたので、少し書いてみます。


    トランプ大統領というひとは、よくもわるくも、これ迄、アメリカ大統領が持っていた「品」というものを(私が知っているかぎりでは)もっていない初めての大統領ではないか、と思います。


    私は大学時代にアメリカに留学した経験があり、そのときの大統領はクリントンでした。彼は当時モニカ・ルインスキー事件を起こしたり、ひとによってはあまり好きではないという人も居ましたが、すくなくとも、品はあったし、私の見る限り、差別のない人だった。


    トランプは、就任当初から、喋り方や身振り、発言、すべて「品」がない。

    そういうひとなんだなあ、と思っていたので、その意味では聖書記念写真事件も、そうした品を欠く行為としての人柄が出てしまったのだろうと感じました。



    この事件の捉え方は、もしかすると、アメリカ、ヨーロッパ、日本、それぞれの国民の捉え方があるかもしれないとも思います。聖書が大きく一般化しているアメリカと、日本のようにあまり浸透していない国では、受け取り側の意識もかなり違うような気もします。


    牧会学・・・ 自分が思うよりも前に、すでに神様が働いている、そういうことが真理なのだろうと思う。

    牧会をしているのは神であり、私たちは託された働きをする。

    (言葉ではシンプルに言えるが、実際はかなり気をつかう行為であるとも思います)


    自分で抱え込まなくていい、われわれは神ではないのだから。


    出会いとは・・・牧会においてキリストに出会う、み言葉に出会う、悔い改めともつながる、それは喜びになっていく。


    牧会の危機とは・・・

    個人的信仰と呼ばれるものに、縮小されている

    揺り動かし、奮起、が起こらない

    神の国の宣教をどこかに追いやった

    人間が要求するもののみを与えようとしている

    終末論が消えている

    イエスを見ない

    聖霊による宣教がない



    (第6回より)

    希望の牧会・・・牧会は希望をもって行われるもの。

    救いのために来られるキリスト。

    イエスのゆるし。

    罪を荷って下さり、それを消し去ってくださるイエス。(イエスを指し示す)


    *この状況さえも、神の御わざが明らかになっていくため、とイエスは教えた


    「だけど、ゆるされている」「だけど、生かされている」・・・神のみわざが現れるため(福音ゴスペル)


    *いそがず、あわてず。


    病める魂は、祈りによって癒されゆく。祈りの大切さ。


    祈りは支える・・・自分はひとりではない。神様とつながっている。

     そして、ともに祈る兄弟姉妹とつながっている。


    >DVの問題は教会の中の家族にもおこる。実際、どうしたらよいのかの答えはむずかしい。

     離婚を選んでさえ、DVの傷を抱えることも多い。

    そこでも、祈りをしていくことが大切。

    祈祷会の場=祈りの場=神が聖別された場所


    祈りの場=神の祝福の場となっていく場。・・・わたしたちの祈りが、この場をつくりだす。



    祈りの場=思いをつなぐ=神が聖別される場所=祝福された場所=イエスさまはたしかに、そこにおられる。「場所」が変えられていく。聖別される


    目の前の人の痛みの声をたいせつにし、聖書の言葉に希望をもって向き合う、クリスチャンは許された罪びとである。イエスが罪を荷ってくれた。



    (第7回より)


    希望の教会:

    1946年、第二次大戦後、たくさんの人々が痛み、傷を抱えていた。

    教会はAGENT OF HOPE, 希望の教会となるべき。


    それは、一切の悪霊に対するキリストの勝利、それを伝える。

    偶像=むなしいもの、無に帰したもの、との戦い。


    偶像はむなしいが、ある種の現実をもつ。その力に我々は魅かれてしまう。


    悪霊、偶像は私たちをキリストにフォローする思いから引き離し、私たちを支配しようとする。

    聖書の有名な著述では、悪霊=レギオンにつかれていた男、が出て来る。


    彼はイエスに走って来て、癒された。


    私たちが神から離反していることに対して、神のいかり・かなしみがある。


    イエスの無条件の愛、それは何でもあり、というものではない。


    (もし、何でもありなら、神は私たちに無関心、ということになる)


    人は神の裁きについて考えようとしない傾向がある。

    神を畏れる(畏怖)はもつべきものである。

    人は根源的に何かをおそれている、

    ほんとうは、神を畏れる、のが正しい・・・他のおそれから、解放される。


    *何もおそれていない、というのはタチがわるい・・・自分が常に正しいという間違いを起こしている


    今日の世界における偶像の1つは「原子力」といえるかもしれない。

    また、それは金、拝金主義かもしれない、・・・神を離れる=自分の主を失う、ということになる。

    金は使用するために作られたが、かえって金に支配されている世界が目立つ。

    原子力発電の安全神話は崩壊した、これは、アダムとエバを誘惑した蛇ともいえる。

    いいものだ、問題ないのだ、という嘘があった。(この嘘により神から離れ、土が呪われた)

    人が、神でもないのに、自分を神のようにしようとしたことが罪、問題だ。

    原子力・戦争・拝金主義の根はつながっているのかもしれない。


    神を見あげ、希望の根源をみてゆこう。


    人間の尊厳を踏みにじる、そういうことには反論すべき。人命に関して譲れない事は譲っては駄目


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    祈りの生活を続けることで得られる恩恵をいくつかお伝えしたいと思います。これは完全なリストではありませんが、本ではなく記事なので、ここから始めるべきだと考えました。
    1.イエス様との関係

    もしこれが祈りの唯一の理由だとしても、祈る理由が十分あります。私達は神様との友情を築きあげるのです。でもこれ以外にも理由が沢山あります。

    2.健康的な理由

    科学も、祈りのために時間を取ることは健康にとって良いことが沢山あると示しています。血圧を下げ、免疫システムを強め、関節炎を軽減させるのです。

    3.人間関係を助ける

    祈り終わると自分が付きやすい人間になっているということに気がつきました。これが私の祈りの時間を、周りの人達にとって建設的なものとしています。私が、周りの人達にとって、より思いやりのある人であるなら、友情はより成長するチャンスがあるのです。

    4.祈りは私の家族に影響を与える

    私が祈っている時、家族の中に何か違いがあることに気がつきました。娘のために毎回祈る時、私は彼女の将来に投資しているのです。私が祈ると、私の結婚生活はより深いものとなります。

    5.私が祈ること全てに、祈りは影響を与える

    教会やリーダー達のために祈ると、違いが生じるのです。それはまるでビュッフェのようです。(因みに私は、ビュッフェが大好きです。)この世界のもので私が影響を与えたいと思っているものは、祈りの時間の中で触れられるのです。

    6.祈っている時に、その日の方向性が与えられる

    時々、神様は、その日の特別な任務について語られたり、ブログのトピックについて語ってくださいます。また別の時には、長期間の方向性を与えてくださいます。私が祈っている時に、神様が何を語ってくださるのか私には見当もつきません。

    7.祈りは私に大局観を与えてくれる

    自分の目の前の心配事に集中してしまうのは簡単です。祈りは私が1歩後ろに下がって、天国と永遠の視点を持つことができるように助けてくれます。このことは、人生で起こる諸問題を実際より大きく見たりせずに適切に向き合うことが.できるように助けてくれるのです。

    8.祈りは誘惑を避けることができるように助けてくれる

    イエス様は私達に、「試みに会わせないでください。」(マタイ6:13、ルカ11:4)と祈るようにと教えられました。この祈りをすることによってどれだけの罪を避けることができたのか私達には見当もつきません。この祈りはする価値があるということを私は知ったのです。

    9.祈ることによって能率がよくなる

    自分のtodo リストのために祈ると、その効果に驚きます。どういうわけか、私はより生産的になるのです。そして時々、とても重要に思えたやらなければいけない事(複数形)が、リストから消えるのです。

    10.必要としていたものが与えられる

    このリストに加えずにはいられないほど、私は、長年に渡って、本当に沢山の祈りの答えを見て来ました。奇跡は起きるのです!しかし私達は求めるのでしょうか?

    先に言った通り、1番目の理由だけで十分ですが、他の9つの理由もお粗末なものではありません。
    さあ、これらの恩恵を受けるために、今時間を取って祈りましょう。

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    エリック・デュレ監督、
    ジャンレノ主演、マルク・デュレ出演の、
    『グランマスクの男』は、あまり知られていない映画かもしれないが、
    すばらしい、超名作だ。

    レノは、メキシコの貧しい村の神父だが、孤児の子供たちをやしなうために、
    ルチャドール、つまりプロレスラーをやっている。
    これは、実話をもとにした、ヒューマンドラマCINEMA.

    こころがあたたかくなる映画。

    DVDにまだなっていないようだが、ぜひ、DVD化してほしい1本!


    ほんこん松尾ちゃん (29)

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    詩篇91篇を読み、神様の守りを、イエス様の血潮の守りを信頼していきましょう。
    でも、まだイエス様を信じていない方は、まずなによりも、今日イエス様を信じてください。

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    -詩篇91篇

    いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。

    私は主に申し上げよう。
    「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。

    主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。


    主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。
    あなたは、その翼の下に身を避ける。
    主の真実は、大盾であり、とりでである。

    あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。

    また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。


    千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。

    あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。

    それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。


    わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。

    まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。

    彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。

    あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。


    彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。
    彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。

    彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。
    わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

    わたしは、彼を長いいのちで満ちたらせ、わたしの救いを彼に見せよう。


    Psalm 91

    He who dwells in the shelter of the Most High will rest in the shadow of the Almighty.

    He will say of the LORD.''He is my refuge and my fortress, my God,in whom I trust.''

    Surely he will save you from the fowler's snare and from the deadly pestilence.


    He will cover you with his feathers, and under his wings you will find refuge; his faithfulness will be your shield and rampart.

    You will not fear the terror of night, nor the arrow that flies by day, 

    nor the pestilence that stalks in the darkness, nor the plague that destroys at midday.


    A thousand may fall at your side, ten thousand at your right hand, but it will not come near you.

    You will only observe with your eyes and see the punishment of the wicked.

    If you make the Most High your dwelling - even the LORD, who is my refuge -


    then no harm will befall you, no disaster will come near your tent.

    For he will command his angels concerning you to guard you in all your ways;

    they will lift you up in their hands, so that you will not strike your foot against a stone.

    You will tread upon the lion and the cobra; you will trample the great lion and the serpent.


    ''Because he loves me,'' says the LORD, ''I will rescue him; I will protect him, for he acknowledges my name.

    He will call upon me, and I will answer him; I will be with him in trouble, I will deliver him and honor him.

    With long life will I satisfy him and show him my salvation.''


    自分自身、家族、友人達、職場の人達、親族、周りの人達、医療関係者の方達が守られるように、神様の力によって感染された方達が奇跡的に速やかに完全に癒やされるように、コロナウィルスが完全に死滅するように、そして世界中の人達が神様に立ち返るように祈り続けていきましょう。

    イエス様はコロナウィルスよりはるかに力があるお方です。
    イエス様は救うに力あるお方、癒し主です。

    意外なことに、仏教とキリスト教はわかち難く結びついている、とはいいすぎかもしれないが、キリスト教から仏教へ影響は決して無視することはできない、というのは正しいだろう。
    9世紀に空海は、中国(唐)へ渡って真言密教を学んだが、この「真言密教」は当時中国に影響を与えていた様々な宗教の混合宗教であった。空海にとって大きな「めぐり合わせ」といってよいのが、真言密教の立宗者であある不空三蔵がいた中国の首都・長安では、当時、景教寺院、仏教寺院、ゾロアスター教寺院、道教寺院などが軒を並べて建っていたのである。
    空海が唐で居住した長安の同じ居住区に、大秦寺という景教(キリスト教ネストリウス派)の寺があり、空海がサンスクリット語の教えを受けた般若三蔵も景教に心酔していたため、空海もキリスト教に関するかなりの知識を得ることができたと考えることができる。
    つまり空海が日本にもちかえった真言密教にはキリスト教的要素がかなりふくまれており、(あまり学術的知識はありませんが)景教版「仏教」という言い方もできるかもしれない。
    真言密教の儀礼にはキリスト教のそれに似た点が見られる。
    弥勒とは、へブル語のメシア、ギリシャ語のキリストであり、原始仏教にはなかった「キリストが再臨するときに復活する」というキリスト教信仰、景教の信仰と同じものです。真言宗では、法要の最初に胸の前で十字を切るとか、高野山奥の院御廟前の灯篭に十字架がついているとか、景教の影響がみられる。
    例えば灌頂(かんじょう)=洗礼、そして儀式の初めに十字を切る点などである。
     そもそも仏教そのものが釈迦のオリジナルの教えを超えて様々な宗教の影響をうけている。この段階でキリスト教の影響をうけているかもしれない。なぜならはキリストの使徒トマスは、インドへ渡ってすでにキリスト教を広めていたからである。
    イエス伝とシャカ伝には共通点が少なくない。っとえば処女懐胎伝説、イエスの洗礼とシャカの洗身、両者の修行と悪魔の誘惑などである。「法華経」特に「寿量品」は「ヨハネの福音書」の思想に実によく似ているそうだ。
    お盆はユダヤ教で7月15日に行う仮庵(かりいお)の祭などで先祖のために祈るユダヤ人の風習が中国にもたらされたもので戒名の風習も本来の仏教になく、本来は景教の風習だったという。
    数珠も焼香も、ユダヤ教から景教へと伝わった可能性が高い。 中国の慈母観音、日本の子安観音の起源は聖母マリアである。
    当然、キリスト教的要素が混入した仏教が日本にも混入した。聖徳太子の本名が厩戸王子(うまやどおうじ)などの話は、キリストの生誕譚と重なりあっているではないか。
    平安朝半ばに藤原兼輔(かねすけ)が書いた聖徳太子伝にある太子生誕物語は、福音書のルカ伝とそっくりそのままの順序で書かれているという。

     


    空海がつくったといわれる「いろは歌」であるが、「いろは歌」は七言絶句に並べ、47文字の「かな」を並べ、しかも深い意味のある一つの歌にしている「天才的」な歌である。
    上表の青文字の部分「とかなくてしす」には幾つかの説がある。
    これは「咎なくして死す」つまり「罪もなく死んだ」を意味し、これが偶然ではなく作者の意図した暗号であるというものである。
     現代になってある詩人が柿本人麻呂説をとなえ、推理作家の井沢元彦氏が「猿丸幻視行」でそれを発表した。
    しかし上記に論じたように空海が、中国で景教(ネストリウス派キリスト教)の影響を受けたのならば「咎なくて死す」をイエス・キリストの十字架と解することができる。紫文字で示した部分は「イエス」という言葉が配置され「イエス 咎なくて死す」、これを偶然ということができるだろうか。
    もちろん、これが暗号だとしても作者の意図までも理解できるわけではないが、作者の信仰表明とみることもできる。

    歴史的にどのようにして、キリスト教の思想が大乗仏教の思想の中に混入していったのかについては、紀元1世紀に、イエス・キリストの十二弟子の一人トマスは中国およびインド地方に伝道に行きインドで殉教したと伝えられている。
    実際インドでは、すでに2世紀にはキリスト教徒の数もかなりのものになり、3世紀にはキリスト教の団体もあった。
    龍樹(紀元150-250年頃)という人物が、キリスト教思想に触れ「龍宮」で法華経を授けられ、その後大日如来に関する経典「大日経」を授かったと主張している。
    龍樹が授かったとする大日経も、その内容は太陽崇拝、バラモン教、キリスト教、ゾロアスター教などの影響を受けた混合宗教であることが、歴然としている。
    したがってこれらの経典が、誰から授けられたにしても、あるいは龍樹自身の創作によるものであったにしても、彼以後、仏教思想は大きく変貌した。
    635年に、ネストリウス派キリスト教徒アラボンは、21人の信徒を率いて中国に渡り、聖書や教理を漢文に訳して、唐の皇帝(太宋)に献納した。
    そしてネストリウス派キリスト教が「景教」で、景教は7世紀から12世紀にかけて、中国で栄えた。
    真言密教の内容は、明らかに仏教とは異なるもので、そこにはゾロアスター教や、景教、バラモン教などの影響が歴然としている。
    空海自身、中国にいたときに、景教に触れる機会があった。空海は、景教徒で「大秦寺」という景教の教会を営んでいた般若三蔵という人物に会い、景教の知識を吸収した。
    なんと高野山には、景教碑がたっている。実は現在中国、西安市の博物館に保存されている「大秦景教流行中国碑」のレプリカ(複製品)で、オリジナルは781年、唐の都・長安の大秦寺に建立され、1623年西安で土中より発掘された。
    高野山に景教碑のレプリカを建てたのはE.A.ゴルドン夫人という女性である。
    1851年イングランドに生れ、日本の文化を愛し、様々な日本を援助する活動を行った。 また日本に長期間滞在して仏教の研究をし、仏教もキリスト教も元は一つであるという「仏基一元」の考えをもつようになった。
    「大秦景教流行中国碑」のレプリカを高野山に建てたのも、彼女の研究の一環で、ゴルドン夫人は唐で学んだ空海が景教にも深く関係を持っていたと認識していた。
    空海が今一歩景教に踏み込んでキリスト教信者となって日本に帰国していたならば、1549年のザビエルによる「キリスト教」伝来の出来事は少なくとも7世紀は、早まっていたということになる。
    些細なことのようで重大な歴史の「めぐり合わせ」である。

    タカクラ・オメガ

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    ピンチの時に「聖霊様助けて下さい」と小さく囁くと、内なる神である聖霊が瞬時に動いて下さって、そのピンチを切り抜けることができる、ということがあります。例えば、職場の会議で、複数の人がなぜか理由もなく、自分を非難し始めた時、どこにも脱出の糸口がないような状況で、「聖霊様助けて下さい」と、自分にしか聞こえないような小声で、みんながいる前でも唇を小さく動かして言うだけで、聖霊様が動いて下さいます。こころの中で思っているだけではダメです。聖書の神は、「ことば」と密接に関わる神ですから、音に出して言わないといけません。通例は、普通の声の音量で言うべきところ、ピンチの時には、ささやき声で構いません。みんなが見ている前では、唇を小さく動かして、「聖霊様助けて下さい」とつぶやく。それだけでいいのです。

    そうすると、聖霊は神ですから、神の御業を現して下さって、そのピンチからあなたを救い出して下さいます。1488116_1391437421102555_320223263_n
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