2020年10月27日

真価

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 その子は会話が比較的達者だった。でも全体を視て捉える事や作業を効率よく進める事が極端に苦手だった。
 一斉指導での教員の指示や説明は会話ではない。一方的なお話は、その子の理解の進度に合っていなかった。板書や教材を示しての教示は、全体の捉える弱さがあるので、理解の混乱に拍車が掛かった。何をすべきか分からないまま、作業に入るが効率の悪さから全くはかどらない。その結果、学習内容の定着が進まず、勉強が分からなくなってしまった。検査結果を解釈して、そんな見立てを示した。
 良好な会話能力を活かした学び方として、個別指導が有効ではないかと提案した。個別指導が提供できる場が特別支援学級なのだと伝えた。特殊学級と言われていたふた昔前と違い、今は、子どもの育ちに合わせて個別指導と集団での学びを組み合わせている事を説明した。
 特別な指導に難色を示していた保護者は、在籍の変更に同意した。保護者は決して納得したわけではない。我が子を思い、体面やこだわりを捨てたのだ。
 提案したからには、結果を示さなければならない。その子が「勉強って楽しい♪」と言えるようになる事がさしあたっての目標になる。
 ここからが、その学校の特別支援教育の真価が問われるのだ。


higeoyagi1109 at 06:00|PermalinkComments(0)特別支援教育 | 実践紹介

2020年10月24日

検査

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 子どもが学ぶ場を決める就学判断に、知能検査の結果を求める自治体が増えているようだ。最近は、検査の実施規定が厳格になり、有資格者じゃないと検査できないようになった。
 田舎に有資格者は何人いるのか?
 保護者は平日を一日つぶして専門機関に出向くことになる。
 “おたくの子どもを支援学級に入れる事を検討したいから検査を受けてこい”と言われて、快く納得できる保護者なんているわけがない。
 離れた街の検査者は、その子が過ごす街の支援システムや学校のリソースを知ってるわけではない。彼らができるのは検査結果の数値を示すことで、就学判断なんてできるわけがない。
 知能検査の結果は、教育的判断の材料の一つに過ぎない。
 就学判断を検査結果に依存し過ぎてはいないだろうか?
 知能検査は、認知機能の育ちを測る目安に過ぎない。対人関係や集団適応の育ちは、知能検査では測れない。測れるのは知的障害の有無。知能検査の結果をもって、その子を情緒障害児学級の在籍が妥当と就学判断するなんてできるはずがないのだ。
 就学判断は、教育的判断だ。その子の育ちと家庭環境と学校のリソースと保護者の希望と、何よりも子ども自身の思いが反映されなければならない。


higeoyagi1109 at 08:00|PermalinkComments(0)特別支援教育 

2020年10月23日

健気

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 その子のテストの解答欄は全て埋められていた。そして全て誤答だった。
 処理速度指標が年齢相応で、他の指標が著しく低い子の学習の実態を目の当たりにした。
 やれと言われた学習課題は健気に頑張る。作業への集中が維持出来るので、途中で投げ出すことがない。ぱっと見は、ちゃんとやっているように見える。でも、作業の意味や何を求められているかが何も分かっていない。だから誤答を繰り返す。
 教室の中にいる健気に静かに困っている子たち。
 やがて周りの子が出来ている事を自分だけが出来ない事に気付き、突然の登校渋りや不適応が始まる。それは突然ではなく必然だったのだ。
 辛かったろうなぁ。
 保護者は、新しい支援を始めることに気持ちの折り合いをつけるには、半年の猶予期間が必要だったとおっしゃった。
 そうなのかもしれない。
 でもなぁ……。
 この子の育ちの気掛かりは、三歳児健診から関わるヒトたちは気付いていたはず。誰も何の指摘もしなかったのだろうか?
 この街の乳幼児の育てのシステムは、どこかおかしい。


higeoyagi1109 at 06:30|PermalinkComments(0)実践紹介 | 学び
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