ワールドメイトと共に−強運の秘密

ワールドメイトの現会員が、ワールドメイトで感じた感動体験、楽しかったことを書いてみます。深見東州先生のこと、世界中に愛をワールドメイトのこと、救霊のこと、支部のこと、日々の幸せ等、書いています。

ワールドメイト・深見東州先生のお話し143−男の子は言うことを聞かなくなるのが自然

(深見東州先生のお話し142からの続きです)

その優れた人間が神様のお取り次ぎをし、神の話をすると、よほど優れた神様だということが証明できますよ。それが、今までの宗教団体の教祖さんには無い、新しく出されたこのたびの仕組の生活の中の修業の中で出てくるもの、こういうものであり、経済の時代、民主主義の時代、国際主義の時代の中で、この現代の中に降ろされた仕組だからこそ私にやるようにおっしゃっているわけです。自分がやっていることの意義が分かるから、好き嫌いを越えて、今もやっているのです。そういう先生、教祖さんが率いている教団の会員になり、即ち神縁があって入会して、私の話を聞いているのに、厳しそうだからイヤだなんてバカじゃないかと思いますよ。青山塾生も、マザコンを脱却できないという、何でもかんでもお母さんが出てくる、その息子も娘も、そのお母さんも、賢いとはあんまり言えませんね。

自分が子供のことを監視していても、二十歳を過ぎたら母親は一切子供のことに口出ししてはいけません。面倒を見てはいけません。相談に乗ってはいけませんよ。時々、うちの予備校の横浜校で、高校三年生がいて、時々お母さんとね、このお母さんは会員の場合もありますが、高三の男の子がいて、お父さんとはうまく行っているんだけど、お母さんとはなかなか、仲が良くないんだと。お母さんとはなかなか上手くいかない。そういう高三生が横浜校にいました。横浜校の高三生何人か。私は、「それは素晴らしい、その子は。」、「君、お母さんとなかなか上手く行かなくて、ぶつかるんだって?」、「はい、そうなんです」、「素晴らしいじゃないかそれは。それは素晴らしいよ。高三、浪人になってお母さんとずっと仲良くしていて、というのでは、それではマザコンだからね」。一八歳、一九歳、二十歳になって大人として生きていかなければならない男の子が、人格の目覚めで、社会人として目覚めようかという時に、お母さんといつも仲良しで一緒に行くというのではマザコンですからね。少なくともマザコンの気があると言えますからね。高三の男の子がお母さんとぶつかるというのは、非常に健全です。「素晴らしい」と。大いにぶつかったらいいですよ。お父さんとは上手くいくというのは、それはおそらくお父さんのほうが社会性があるからです。お父さんとは仲良く話しができるというのは、お父さんとは、社会性がある、社会的なものの考え方、社会性を持った理知的な話をしているというのは、その子が健全な大人として育っているということの現れですね。高三や浪人でお母さんとぶつかる、こういう男の子がいたら「素晴らしい君は」、「素晴らしい、健全だ、立派だよ」と言って褒め称えてあげますよ。

お母さんも、「うちの息子が、もう本当に言うことを聞かないんですよ、母親の私の言うことを聞かないんです」とお母さんがぶつぶつ文句を言いに予備校に来るんですが、「それはお母さん、素晴らしい!それは息子さんは素晴らしい!健全ですよ!立派ですよ!」と。社会性が目覚めてくる、大人としての自我が目覚めてくる、だからですね。お父さんとも仲が悪い、誰とであれ仲が悪い、こういうことであれば問題ですけどね。お父さんとかお兄さんとは話しはするけれども、お母さんとはなかなか話しもしないし言うことを聞かなくなったというのは素晴らしいことなんですよ。

(つづく)

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ワールドメイト・深見東州先生のお話し142−誰もが陥る問題を理解し、その理由と背景を知ることが大切

(深見東州先生のお話し141からの続きです)

くそ、あの女め、負けてたまるか。その女性が書道で文部大臣賞をもらったから、あの女に負けるかということでやり始めたのが、高校二年生の時、書道をやり始めたきっかけなんです。あの女に酷い目に遭わされたというので、文章力が足りないからというので文章を書くようになって、また中一の時みたいに日記を書くようになった、浪人してからね。浪人してから毎日本を読むようになったのもあの女に絶対負けてたまるか、絶対あの女を見返してやるんだというのがずーっとね。一五歳から七年間、二十二まで。その女に負けてたまるかというのがあったので、変な女とつきあわなくてよかったですね。あの女に絶対打ち勝って、あの女に負けるかと。何年か経って会ったら、平凡な女性で、私のほうはそれ以来ずーっと進化し続けていますから、もう、二十五、六になったら論外のような女性ですね。ただ、振り返ってみたら、早熟で、早熟の女性で、ま、それなりに勉強のできた早熟な女性で、普通の気の強い女性だったという、それだけのことですね。ああ、早熟だったというだけのことだなと。私は晩熟だったというだけのことです。そして性悪の、自分を中心とする早熟、大人だったと。私は、あまりにも優しくて純粋で少年のような夢とロマンに生きている、晩熟だったと。純粋でみんなのことを思って。それだけだったんですよ結局ね。それは大人になってわかったことです。

あの時のことを振り返って思いだした時に、後ろに神様が立って、神様が立って、「変な女とつきあわないように」。高校時代も素敵な女性はいましたが、本人はそんなことは一切眼中に無い。大学時代も眼中に無い。眼中に無いぐらいに、くそ、この野郎め、と思って見返してやるんだ、というのと、くそ、このクラブのために、と好いたはれたを超越していましたね。好いたはれたは、素敵な女性は一杯いて時めいていましたけどね、そんなものよりももっと大きなもののために生きなければと思って生きていた十代、二十代でしたね。

だから、高校時代も生徒会のこともやりクラブ活動もやり書道もやりで、高校を出たら毎日本を読んでいたけど、浪人して。今度大学に入ったら、ずーっとそれですよ。二五歳までに、植松先生と出会うまでに、ある程度の基礎が出来上がるために神様が、結局神様が育てておったんです。結局神様が育ててくれていたんだ。でも神様って肉体が無いからね、あの一五歳の時に手紙が来たとか、どうしようもないようなあの女、クラブ活動の責任者になった時に、おのれのマザコンの中身を自覚して反省して乗り越えたわけなんですね。

でも会員の若い男性とか女性の場合は、深見東州先生という、生きたお手本がすでに存在しているわけですから、神人合一の道が降ろされていて、その足跡があるわけだから、そこから学ぶということが、この神縁に恵まれたことを真に活かして、生きた学びができるということに他なりません。予め、先々に起きるであろう、想定される、誰もが陥るような罠と問題点というものをわかって、なぜそうなのか、という理由があるわけです。理由と背景が。なるほど、そういうふうな、平凡で普通でどうしようもないような、どこにでもいるような人間ではなくってやっぱりキラッと光る、かなり光る、一角の者になる、そうとうすごいものになる、オリンピック選手、まあ、社会的なオリンピック選手になるようなやっぱり優れた人間になる。

(つづく)

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ワールドメイト・深見東州先生のお話し141−優しくして欲しいのと同時に否定もして欲しい

(深見東州先生のお話し140からの続きです)

優しくして欲しいけれども、今の自分がいいとは思っていないから、自分のことも否定して欲しいんです。しかも気持ち良くね。一刀両断のもとにね。ぐじゃぐじゃ、ぐじゃぐじゃ、ぐじゃぐじゃ、ぐじゃぐじゃ、うちのスタッフにいますけどね、□□くん、ねちねち、ねちねち、ねちねち、ねちねち。ずばーっと日本刀で首を切って欲しいのに、のこぎりでギコギコ、ギコギコ、「切れてます?」、「だいぶ骨まで行きましたね」、ギーコ、ギーコ、ギーコ、ギーコ、のこぎりでちょっとずつ首を切られて処刑されるみたいな。ずばーっと切ったら一瞬のうちにもう、あ、ぽろんとなって、首を切られるんだけど、ちょっとずつのこぎりで切られるとこれは腹が立ちますね。

そういうところが無いとダメなんだということが、骨身に染みましたね。それはみんなのことを思うが故に、愛情と責任感の極限までいった時にガラッと変わったんだね。おそらくまあ守護霊も替わったんでしょう。自分の意識が反省したからね。でも、今日こうしたことを思い返していたら、「ああ神様がそうなるように導いていたんだな」と思ってね。

高校一年生の時のことも思い出してね。一五歳の時。もう天真爛漫に少年のように生きていてね、女の子から手紙が来たんですけど、書いた返事があまりにもレベルが低いというかありのまま過ぎて、女の子にフラれた。で、ずーっと高校三年間が、あの女に絶対負けるかくそ、あの女を見返してやるんだ、絶対あいつに負けるか、なんて言って、その女に対して見返してやるんだという高校三年間だったんですね。

だから、マザコンの青山塾の何人かは、青山塾を辞めて、女にフラれたほうがいいというのは、つきあってみてね、その女にフラれて悔しかったならその女以上の人間になって、その女が「ぐうの音も出ません、あんたに殺されてもいいから好きなようにしてくれ」と言うまで、圧倒的に男らしく、頭脳においても知識においても根性においても度胸においても実力においても圧倒的な男だったら、「もう参りました」って言ってどんな女性もガタガタ言いませんよ。くそ、あの女に絶対に見返してやるんだ、という高校三年間だったんです。それを思い出していた時にふわっと神様が立たれて、ああ、私はやっぱりちゃんと導かれていたんだな、と思ってね、高校。本当に天真爛漫で、背も小さくて少年のようだったから。「いつまでもお前は少年じゃいかん。大人になれよ」ということで、神様がお懸かりになって手紙が来て、あんなひどい仕打ちをされたんだなと。高校時代でよかったと思ってね。これが、二五歳とか二八歳とかになって来ていたら、衝撃が大きすぎるのと、高校時代だったら、そんな、女にモテたとかどうのこうの、モテかかったんだけどね。あまりにも少年で純粋で優しすぎて結局マザコンだったんですよ。優しかった。知識が無さ過ぎたね。

(つづく)

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ワールドメイト・深見東州先生のお話し140−自分中心の気持ちと社会も良くという気持ちが混淆している

(深見東州先生のお話し139からの続きです)

それでバシバシに女の子に対して厳しくボロクソに言ってね、ガンガンにしごいてやったんですね。その代わり誰よりも勉強するから次々と私が行って対外試合でも打ち勝ってくるわけですね。早稲田、慶應、明治、明学、関関同立、行って試合すれば打ち勝ってくるわけです。絶対にお前たちなんかに負けないぞ、という気迫で、どこに行っても次々に打ち勝ってくるわけです。度胸と根性と迫力で。

そうするとみんな「先輩カッコイイ」となって。ボロクソに言って厳しい鬼のような先輩になったんですが、その時からですね、女の子がたくさんラブレターをくれるようになって、くれるんならもっと早くにくれたら良かったんですけど、でもそんなものには全然興味は無くて、女とつきあうなど時間の無駄だ、ひとつでも多く英単語を覚えろ、大きな試合に出て勝ってこいこの根性無しめが、と言ったら、半田先輩カッコイイとなって。三年生からガラッと変わったんですよ。二年生までは、優しいだけだった。しかしそれは本当の愛ではないということがわかったんですね。その女の子というのはワガママで自己中心で、おのれの事しか考えないような、そういう快適な時間を過ごしたいだけなのに、そういう女の子のために一生懸命気を遣っていた自分がばかばかしくなってね、自分の浅はかさを自覚して、「なんて自分はマザコンだったんだろう」って悟ってね。あまりにも父親が厳しかったために、あまりにも母親を愛していたので、女性全部にとにかく優しくあるべきだと思っていたんですね。ところが実はそんなことをしても意味は無いんだと悟ったわけですね。女性の実態とは、このような、ワガママで自己中心で自分のことだけを考えているような、それでも一応クラブもより良くなって自分も幸せになりたいという気持ちも持っているわけですけどね、混淆している(=異質のものが入りまじること)わけです。

「自分は優し過ぎたんだな、愚かだった、マザコンだった」と大学三年生になって反省したんですね。それからは、自分が一年生の時に四年生だった林先輩みたいに、林先輩は新島襄杯で優勝したんですね。その後どこに就職したのか分からないんだけど、眼鏡をかけてね、さわやかな感じで、滅茶苦茶英語がうまくて、次々と優勝した。あんまり出てこないんだけど、その先輩のトレーニングを受けたらもの凄く厳しくて、遅れて来たり遅刻したら、「お前なんかもう辞めろ!来るな、君のために時間を使うその時間がもったいない」と言ってね、首になった、しごかれたって女の子が泣いているんですよ。林先輩に叱られたって。でも、その林先輩が次々と勝ってくるから、女の子が「林先輩カッコイイ」ってね。ボロクソに言われてもニコニコしているんですね。これが女の実態か、と気がついてね。

(つづく)

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ワールドメイト・深見東州先生のお話し139−慈悲が極まって鬼になるのが本当の愛

(深見東州先生のお話し138からの続きです)

みんなのためといって、優しい優しい私が、みんなのことを考えてと言いながら女性が、結局はクラブ活動のために、みんなのためにといっても自分のことしか考えない、厳しいのはイヤ、イヤなものはイヤ、義のためにみんなのために組織のために、体を張って行くぞというだけの根性が無い。みんな楽しく。女の子のためにみんなのために一生懸命頑張ろうと思ったんですが、そのみんなというのは本当にワガママで自己中心でおのれのことしか考えないような楽して楽しい思いをしたいという考えが中心の、それが心の中の7割か8割を占めるような、これが女の子の実態だということがわかった時に、これから先のクラブのことを思ったら、それまでは今までみんなのためにと思ってきたけれども、この女どもの実態を知って、クラブの、組織の未来のことを考えた時に、どうあらねばならないか、何が今組織に足りないのか、それを考えた。すると、鬼のように厳しい恐い強烈な先輩、引っ張っていく先輩、これがいないから組織が緩んでいたんだと分かったんですね。

私が一年生の時には四年生がものすごく恐くて、鬼のような先輩がいっぱいいてみんな恐がっていたんだけど、でもしびれるようなカッコイイ先輩もいてね、カッコ良くてものすごく厳しいんだけど、次々にコンテストに勝って優勝していくんですよスピーチコンテスト。林さんという。滅茶苦茶カッコイイ人だけどもの凄く厳しい先輩で、バシバシ叱っているんだけれども、コンテストに次々と優勝していくんですよ。それで女の子が、「林先輩カッコイイ」とか言って。で恐がっているんですよ厳しいから。でも、林先輩カッコイイって言って。滅茶苦茶カッコイイんですけれども。恐くて厳しいんだけれどもバシバシコンクールで優勝していくんですよ。そういう先輩が私たちが一年生だった時に四年生にいたんですが、四年生が卒業し、三年生も卒業して私たちが三年生になった時にはそういう先輩が一人もいなくなってしまって。

我々が、同志社大学ESSがどこと対戦しても勝てなくなって。女の子は楽しい楽しいと言ってやっているけれども、いったいこのクラブはどうやったら立て直すことができるのだろうかと考えた時に、あの林先輩のように鬼のようにもの凄く恐くて厳しいんだけど滅茶苦茶実力があって、次々とコンテストで優勝してくるようなそういうカッコイイ強烈な先輩、鬼のようなしかしカッコ良くてもの凄く強いような実力のある先輩が存在するということが、結局は女の子もカッコイイと言ってクラブ活動が引き締まっていたわけで、サークル活動というか学術団だから、「この組織のために、組織の代表者は、組織の知性であらねばならない」と本に書いてあってね、なるほど、組織の知性であらねばならない。いったい、プレジデントとしてこのクラブを、学術団のクラブとして、これからどういう責任を生きていかねばいけないのかというと、あの鬼のような先輩、あんな先輩が一人もいなくなってしまったから、私があのような先輩になれば、それがみんなのためなんだと。あんないい加減な適当な女の子のために生きていた自分がバカだったと思ってね。私も突然鬼の半田というので、突然私も鬼の半田に生きるんだ、と決心したんですね。みんなのことを思うからですよ。憤怒の相となって出てくる不動明王と同じですね。慈悲が極まって鬼のような姿となっていくのが、これが本当の愛なんだと思ってね。

(つづく)

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