ワールドメイトと共に−強運の秘密

ワールドメイトの現会員が、ワールドメイトで感じた感動体験、楽しかったことを書いてみます。深見東州先生のこと、世界中に愛をワールドメイトのこと、救霊のこと、支部のこと、日々の幸せ等、書いています。

ワールドメイト・深見東州先生のお話し48−打ち勝ってきた御魂の力と霊威に感応する

(深見東州先生のお話し47からの続きです)

だから、みな、何か先生のやるのは、喜んで感激して、たいしたことではなくても泣けてくると。神様にお仕えする心で一生懸命歌を練習して、魔と闘いながら過酷な思いをして、ステージに立った時というのは、打ち勝ってきた御魂の力と霊威にみな感応するんだけどね。なんか先生の顔を見ただけで泣けてくるという。なぜ泣けるのか。何が泣けるのか、なんです。先生の、神にお仕えするという心でやって、磨いてきたその魂の輝きを感じて、そこを応援している神々たちの御働きを感じて泣けるし、泣ける自分はどこが泣くかというと、神にお仕えして生きていこうと心掛けている自分の御魂がそれを感じて泣けるのです。

これが先生の演劇を見たり、絵を見たりして何か顔を見ただけで泣けてくる理由というのを論理的具体的に細かく分析するとそういうことです。だから、どんな場合でも行き詰まった時の答えは、御神業が行き詰まっているから全て行き詰まるんです。御神業とは何か。神様にお仕えする心構えの全ての行動・行い、またの名は、神様のお取り次ぎをさせていただくという気持ちでする行い、だから救霊師・九頭龍師の霊力は、一番出ているのは神様のお取り次ぎをさせていただくという心で神様と同じき心、すなわち広大無辺にして清涼な心で全て愛を以て帰一するを真心となすという心構えと、イエス=キリストが言った神は愛なり、愛は神なり、というんですが、その愛というのは広大無辺にして清涼なりというのは本当なんですけれど、その愛に基づいて、愛念で祈りを捧げる、その気持ちに基づいて愛念で祈りを捧げた時からボワーッと発動し始めるわけですよ。原点に帰った後、発動しなきゃいかんからね。発動するのが、これ、愛の祈りを捧げるということなんです。そういう、神にお仕えする心を持って、という原点と、これが神業奉仕の原点、これが神のお取り次をするという心構えの原点、その原点から今度は発動するのは何かというと、全ては愛の祈りなんです。広大無辺で清涼なる愛の祈りなんです。広大無辺で清涼というものは、身内の身びいきの祈りじゃないよ、好きな恋人の祈りじゃないよ、好きな自分の嫁さんとか子どもとか旦那とか身内の者とか親戚のものとか家族のものとか、よりも、少なくとも会社の人とか、会社だけではないよ、広大無辺ですから。どんどん広げていく。人類みんなに至るまで、の愛情、愛の祈りというのが、その御魂の、原点に帰った御魂がブワーッと広く発動しているわけです。

(つづく)

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ワールドメイト・深見東州先生のお話し47−芸術の奥にある御神業の本質は

(深見東州先生のお話し46からの続きです)

芝居していても、何かしていても、何か知らないけど役柄になりきってもなりきらなくても、そんなことも関係なくばあーっと胸に響いてくる、演技の中の演技、演劇の中の演劇は、やっぱり御神業と同じです。神にお仕えする心構えで生きている人が、たまたま芝居を通して神にお仕えしていると思ってやっていたなら、魂が共鳴して輝いているから、見る人の魂に響いていく。これが究極の演劇ですよ。これを劇団員がしょっちゅう忘れるので、しょっちゅう私に注意されて、この間の血統転換の時と守護霊交替の時も、喝を入れられたんだけど。自分で考えても答えが得られないんで、私が今日答えを言ってあげているわけですけど。自分で考えても答えが出るほどインプットしていませんし、だから代わりに答えを言ってあげているんだけど。言わなければ三万年たってもたぶん答えは出ないでしょう、うちの劇団員。代わりに答えを言ってあげているんです。

神にお仕えするという心構えで演劇をやり、踊りを踊り、演出をしていくという心でなかったならば、魂から外れているので、だんだんだんだん行き詰まってしまうんだよ。すべての行き詰まりは御神業の行き詰まり。神にお仕えするという心構えで、神様にさせていただく、お取り次ぎさせていただくという心で、御神業を進めているその心が、増長魔になったり慢心になったり歪んだり、あるいはいい演技をしたいとか、いい歌を歌いたいとかいい仕事をしたいとかっていうふうに、この現実界の事柄に心を向けるが故に、だんだんだんだんだんだんだんだん、御魂が曇っていって、ある時二進も三進も行かなくなって自分で自分が行き詰まる。自分が自分で爆発する。自分が自分で行き詰まっていつも悩んでいるのは、劇団だったら○○くんですけどね。お前、アホじゃあって言って。本当に余計な大学院なんか出るから、余計なことを考えてしまって、迷路ですよ。結論は、○○で一生懸命御神業していた時の自分、神にお仕えするという心構えで日々生きていたら、魂がうわーっと喜ぶ。守護霊団がうわーっと同じ心だからお懸かりになる。神様も仏様も龍神も天狗も白蛇もみんな、同じき心で神様に愛されて、愛されるが故に喜びと歓喜に満ちているから、魂が喜びと歓喜の気に満ちているわけだから、何を歌っても何をしても何を話してもみんな喜んで、みんな盛り上がってみんな感動しますよ。芸術の奥にはそれがあるんだよ。

深見先生が芝居をやってもパントマイムをやっても絵を描いても歌を歌っても文章を書いても、それなりに努力して素晴らしくするように努力はしていますけれども、何だか知らないけれども先生の歌を聴くと泣ける、何だか先生の絵を見たらすっきりして元気が出る、先生の文章を見たらやる気が出て何かスカッとする、先生のパントマイムとかギャグを聴いても何だか元気が出て笑っている中にも元気が出てきてやる気が出てくるというのは、私の、一体何の、どういう部分に感応しているのかというのは、お祈りもいつもしっかりしていますけれども、そのお祈りは、神様のお取り次ぎをするお祈り、神様にお仕えするという心構えのお祈り、それが御魂の部分なんだ。御魂はいつもそうやって生きていますからね。神様も仏様も、全ての本当の神なる御魂はみなそういう心です。その部分に何かみんなが感じているわけなんだ。みんなの御魂の部分ね。何かがわからないんだけどそれは。

芸術の奥にある御神業の本質はそれなんです。何かが分からないんだけれども、何かを感じますね。何かがわからないって言っても答えは簡単。神にお仕えする心で全部やっているんです。

(つづく)

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ワールドメイト・深見東州先生のお話し46−心構えがあれば普通に歩いても人が感動する

(深見東州先生のお話し45からの続きです)

正されたら、ここがモロに間違っていましたといって反省する。神様に滅ぼされたら、ああ歪んでいたんだなと思う。ところが神様に守られていたら、どんどん進んでいくと、ああ、これは神様が応援しているんだと分かる。反省するといったって何を反省するのか。自分が、神にお仕えするという心構えを忘れてしまったこと、そうすることによって、この世の地位や名誉や権力や、妻や夫や子供や会社や金や、チャンスとか能力とか才能を磨くために生きていきたいと。能力や才能を磨くために生きていきたい。

劇団の人間にいつも言うんだけど、いい演劇をしようなんて思うなと。いい演劇をしようなんて誰だって思うことなので、神にお仕えする心構えで生きていこうと思ったら、普通になんか歩いていても人が感動して涙が出てくるよ。それが最高級の演劇だよ。もう、芝居すれば芝居するほど、あの佐○○市なんてそうですよ。お父さんの、三○○太は体の中まで役が染み込んで出てくるという感じですけど、三○○太の息子の佐○○市というのは、どんな演技をしてもあざとくて、どんな演技をしても役柄になりきらずに佐○○市がやっているという感じですよ。

○○リーの主演した、鈴木清純監督の竹久夢二なんかも、最低でしたね。竹久夢二じゃなくて○○リーがやっているのね。もちろん、そんなことは言わなくてもみんな知っていることだけど、キ○○クの演じるものというのはみなキ○○クがやっていてね、どこがいいんじゃこれはって言ってね。過去最低のものは、宇宙戦艦ヤマトの実写版。古代守、キ○○クがやりました。もう噴飯ものでね。どこに古代守がいるんだ、キ○○クがやっているという形でもう。これほどの最低の演技はなかったですけどね。評論家もみなそう言っていますわ。台無しにした芝居とかアニメは何かを知りたかったら、だいたいキ○○クが主演したものはだいたいそうですよ。それはどこを見ても普通に全部キ○○クがやっていますよ。もちろん○○リーもそうです。でも魔界転生という、あの魔界の転生というのは本当に魔界の人間みたいになって、魔界におるんですな芸能界は。あの○○リーは素晴らしかったですね。魔界ですからね、あの芸能界なんていうのは。本当に魔界にいるから、それは○○リーと見まごうほどの魔界の転生で、あれは良かったですけどね。竹久夢二なんていうのは全然なりきっていない。もう坂東玉三郎のうまいこと、比べてみたらね。全然違いますわ。

要するに話は横にそれるけれども、みんなみんなそうやって、演劇とか劇団とか言ってみても、劇団劇団、演劇演劇と言っていても、神にお仕えするという心で生きていなかったら、その劇団員がやる芝居というのは、みんな、鼻持ちならない、あざとい、佐○○市の演技を見ているようなものですよ。キ○○クの芝居を見ているようなものですよ。芝居に凝れば凝るほど、芝居しているということが伝わってくる。

(つづく)

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ワールドメイト・深見東州先生のお話し45−魂を売り飛ばしたら魂がなくなってしまう

(深見東州先生のお話し44からの続きです)

魂を売ったというのはどういうことか。神にお仕えするという心構えや生き方よりも、女性とのラブロマンスに生きていく。神にお仕えするという心よりも、お金を必要とするようなやりくりに生きていく。神にお仕えするという心よりも、出世名声成功チャンス、脚光を浴びる道のほうに生きていく。これはみな、心の奥にある魂をサタンや魔王やセイレーンなど、いろんな魔物に魂を売り飛ばしてしまったからそうなるんで、魂を売り飛ばしたらどうなるかというとね、魂がなくなってしまうのです、そっちへね。その売り飛ばしたものに占領されるのです。悪魔に占領されたり、サタンに占領されたり、セイレーンに占領されたり、金毛九尾に占領されたりして、だからそこにいろんな浮遊霊とか地縛霊とか魔界の住人が、その人の心の中にも肉体にも巣を作ってしまうわけだね。二進も三進も行かなくなって、死んでからもそういう怪しい魔界の霊界に行ってしまうんですよ。

これが本質的なものの考え方です。みんな、御魂とは何かと考えたら、神にお仕えするという心や衝動や心構えが、御魂の部分なんです。人間の神なる部分なんです。そこが本当に理論的にも学問として、法則性ということをしっかりと頭に入れて、理性と知性と神業知識の大原則というものの、元にしっかりと持っていないから、やられてしまうのです。一時は誰でも熱心になるんだけれども、嫁さんができて、子供ができて、旦那ができて、仕事が忙しくなってきて、あるいは距離が離れたとか、お父さんお母さんの面倒を見なければいかんからとなってきたら、一過性のものですよ。それはみんな神にお仕えするという心を売り飛ばしているのです。サタンや、魔王やセイレーンや家族への愛、夫への愛、子供への愛、妻への愛、実家への愛と。会社への愛、公務員で、お国への愛と。それは世の中では決して悪いものではないし、悪いとは限らないんですけれど、一体心の置き所がどこなのかということによって、その人の住んでいる魂の世界が変わってくるし、そういうもの自体が決して悪いことではないんだけれども、そういうものにずっと心が行くと、そこに執着心、そこに愛欲、そこにおのれの功名心、そこにおのれの欲心というものが伝わってくるので、だんだんだんだん、自分の本質を見忘れるわけですね。だから行き詰まった時にいつも言うのは、御神業上の行き詰まりはなぜ行き詰まるかといえば御神業が行き詰まるから。仕事の行き詰まりはなぜ行き詰まるかというと、御神業が行き詰まっているから行き詰まる。精神的な行き詰まりはなぜ行き詰まるかというと、御神業が行き詰まるから行き詰まる。肉体的に、健康面がなぜ行き詰まるかというと、結局御神業が行き詰まっている。社会的に行き詰まっている理由は何かというと、やっぱり御神業が行き詰まっている。全て行き詰まりの原因は、御神業が行き詰まっているからなんです。その御神業の行き詰まりは、増長魔とか慢心とか怠りとか心が悪魔やサタンやセイレーンやいろんなものに売り飛ばしているという、例えだけれどね。

要するに結論から言うと、神にお仕えするという心構え、神にお仕えするという真心、神にお仕えするという自分というものが、希薄になり忘れてしまってなくしてしまう。これが御神業の行き詰まりなんですね。

御神業の行き詰まりというのは、慢心と増長魔と怠りによって起きてくるんだけど、慢心し増長してしまうというのも、何が慢心し増長し何が行き詰まるのかを考えると、「神にお仕えするという心構え」が行き詰まるんですよ。

ということは、物事が行き詰まったなら、御神業上の行き詰まり、精神の行き詰まり、肉体健康の行き詰まり、家庭の事情の行き詰まり、会社の行き詰まり、社会的なあらゆるものの行き詰まりというものを打開しようと思ったなら、御神業の原点に帰ることなんです。すなわち、神様にお仕えするという自分というものに帰って、神様にお仕えする心構えで、神にお仕えするわけだから、神様がいいというものはきっと実らせていくだろうし、神様がよくないというものは滅んでいくだろうし、神様がちょっと歪んでいるんじゃないのと思うものは正されるだろうと。

(つづく)

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ワールドメイト・深見東州先生のお話し44−魂を悪魔に売り飛ばす

(深見東州先生のお話し43からの続きです)

そして、結局それは、そういうものなのだっていうことの、人間界における知識とか情報とか心構えができていないからなんです。それは何かというと、やっぱり神にお仕えするという心構えがいつの間にかなくなって、ロードオブザリングのリングのリングの誘惑みたいに現金を触っていると人の念が飛んでくるので、お金を着服したくなる、お金に困ってきたらね。その悪循環に入る前に、神にお仕えする心の原点に戻って、「いやこんなこと思ってはいけない」と打ち勝たないといけないことなんです。

しかしそれができないというのは、まさにお金というのは、自分の御魂を、魂を、魔王に売り飛ばしたんです、その人はね。神にお仕えするという心の、神なる部分を、魂の神なる部分を、目の前にあるお金を着服して、やりくりに遣う、すなわち自分の魂を魔王、お金を管轄する魔王に売り飛ばしたということなんです。そして魂を魔王に売り飛ばしたんで、御神業もできなくなってしまって、除名せざるを得なくなります。でもまあそういうきついことはしませんのでなるべく、産土神社の信仰に戻っていけばいいじゃないかといって、どんな人も励ますし憎みはしませんけれどね。ただ、この上なく悲しみますけれどね。憎まないですよ。ただ哀れと思って慈しむだけのことですよ。

それもやっぱり、神にお仕えするという心構えが支部長や支部や救霊師・九頭龍師、特にみんながちやほやするような、たいして変わらない普通の人間で、どっちかというとアホな人間なのに、支部長になったというだけでみんながちやほやして、「支部長!」なんてやっているとかっこ良く見えてね、不倫が始まるセクハラが始まる、またパワハラが始まる、あるいはマタハラが始まる。そういったことの差別とか傲慢なる、人の道から外れたようなことが、起きてくるのは、ある程度普通の人には無理もないことなんです。それは、みなやっぱり魂というものをサタン、出世とか名声に売り飛ばしたり、あるいはお金という悪魔に売り飛ばしたり、色恋沙汰とかラブロマンスのために売り飛ばしたりしているんです。これはまた別の魔界がありますけれどもね。多くの場合は金毛九尾だったり、エロスの世界の、エホバの神というのはエロスの世界があるので、そちらのほうに売り飛ばしたりで、魔界もいろいろありますけれども。大きく分けて、サタンと魔王ですけどね。色恋沙汰というのもエホバの魔界のところのなんとかという、セイレーンだったかな、セイレーンとかなんとかという名前のね、女の悪魔がいるんですよ。それはね、恋愛に魂を売った人です。

(つづく)

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