2009年12月

救済の神法、それは奇跡の神法である−ワールドメイト節分祭でのお話し(14)

深見東州先生(半田晴久氏)はワールドメイトの主宰者です。ワールドメイト教祖としての顔に加え、国内外でいくつもの会社を経営する経営者でもあります。

(13)からの続きです。

節分祭や北極免因超修法などの救済の神法とは、深見東州先生が祈りに祈りを重ねて、神々様とのやりとりがあった後にようやく神界の許可があって、許されたものなのです。それは、

「何とか劫を減らして、会員の皆さんの苦しみを救っていただけないでしょうか?救い難きを救い、許し難きを許していただいて、せっかく本当の神仏が降臨している斎庭であるワールドメイトの会員の皆々に、大慈によって神なる奇跡をお与えいただくことはできないでしょうか?」

という深見東州先生の神様への訴えかけを神様が聞し召して、それではそのように許すことにしよう、と神様が動いていただいた結果が、北極免因超修法や、黒豆木、その他の救済の神法なのです。

何代もの間に積み重ね、繰り返されてきた劫のすべてを、10万円や20万円といった金額の物施で「即座に何もなかったかのように」すべて劫祓いすることはもちろん不可能なことなのでしょう。また、お玉串に込められた誠−この誠を込めるために2時間〜3時間と祈って初めて、証が出てくるのです。何百年もの間積み重ねられてきた劫を祓おうというのに、どうして10分や20分、ぶつぶつ祈ったくらいで証が出るものでしょうか、ここが皆さんが行き詰まる点の一つなのですが−この誠の他に、日頃の体施、物施、法施の分もご神霊が照覧(しょうらん=神仏、また、貴人がご覧になること)されて、許された分だけ、先祖が救済されるのです。

北極免因超修法も黒豆木も、深見東州先生存命の間しか行われることはない、特別な救済の神法なのです。

(続く)

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運は自然に良くなる−ワールドメイト節分祭でのお話し(13)

深見東州先生(半田晴久氏)はワールドメイトの主宰者です。ワールドメイト教祖としての顔に加え、国内外でいくつもの会社を経営する経営者でもあります。

(12)からの続きです。

神心を第一とし、学びと研鑽に励んでより良い自分であろうと向上に努め(=内修)、体施・物施・法施を実践し世の中に善行をなしていく(=外慈)と、その生き方は神様の御心に沿ったもの、神心に近づいているものだからこそ、当然、神仏と守護神・守護霊たちの応援が加勢し、守護が厚く=篤くなり、だからこそ自然に運が良くなるのです。

肉眼では見えないけれども、背後にいる相談役がどんどん厚みを増す、ということですね。

しかし、このように、神心を第一とする想念、言葉、そして実践が無いなら、信仰といってもそれでは偽物になってしまいます。

そして、神心を第一とできていない、つまり優先順位が逆転しているのが巷の宗教組織です。建物に凝り、組織の拡充に奔走し、信者数を誇る、という姿勢のことです。

私たち会員は、いつも「神様の御心にかなっているあり方、祈り方、取り組み方でありますように」と想いを抱き、言葉に出し、実践していければと思います。

このあり方が一番根本の基準であり、何事も神心にかなうものであれば、それは善なのです。

そして、神心にかなうあり方とは、「明るく楽しく前向きに積極的に発展的に」ということであり、「AMETIKS」ということですね。

どんなに誠を実践しようとしていても「明るく楽しく前向きで積極的で発展的で」ないなら、実はその人は真実ではなく、その書物は真実ではなく、その言葉は真実ではないのです。

(続く)

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神心を第一とする−ワールドメイトの節分祭でのお話し(12)

深見東州先生(半田晴久氏)はワールドメイトの主宰者です。ワールドメイト教祖としての顔に加え、国内外でいくつもの会社を経営する経営者でもあります。

(11)からの続きです。

深見東州先生は、いつも優先順位を間違わないように細心の注意をしていらっしゃいます。巷の宗教団体では、建物の豪勢さの威光を誇り、組織の大きさを誇示して、「形あるものを第一に優先するという姿勢」を露骨に表していることが多い。しかし、ワールドメイトでは、神心を第一とし、学びと研鑽と布施行(体施・物施・法施)を実行し、他のどこに比べても、より優れた生き方、すなわち神様の御心に沿う生き方を、いつも実践しようとしていますね。

神心を第一として、そこから現れ出てくる無形の御稜威=神様の息吹きを大切にし、その神様の息吹き、神様の御心と働きをいつも人のために取り次ぐことを可能にする無法の法、すなわち「道」を大切にしているのです。

これが本当の神人合一の神法がワールドメイトに降ろされているという証です。

そしてまた、こうした無形の道を体得し、実践するための学びや研鑽を行い、終生変わらないところの「社会生活において神心を行じ神心を表現していく布施行」を貫くのです。

布施行には「弱者救済」があり、しかし同時にまた「文化芸術の振興」もあります。

この二つの局面の両面に同時に貢献することが、偏りのない布施行の表現であり、だからこそ偏りなく神心を行じていることになるわけです。

こうしてどこよりも優れた神様の御心に沿った生き方を、会員一人ひとりが実践できるように準備されているのが、ワールドメイトであり、先頭にたって実践しておられるのが深見東州先生なのです。

(続く)

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なぜ先祖供養をするのか?−ワールドメイトの節分祭でのお話し(11)

深見東州先生(半田晴久氏)はワールドメイトの主宰者です。ワールドメイト教祖としての顔に加え、国内外でいくつもの会社を経営する経営者でもあります。

(10)からの続きです。

先祖供養をするのはなぜでしょうか?それは、先祖を敬う信仰心からするのです。自分の運を良くするために先祖供養をするのではありません。自分に命を与えてくれたことへの喜びと感謝、お礼、報恩、これが先祖供養をする本来の意義です。

そして、先祖供養をした結果として、先祖が喜び、御利益=証があるのです。

また、誤解してはいけないのは、我々に運を添え、救済の力を発揮して下さるのはご先祖ではなく、ご神霊だということです。

一番大切なのは、目に見えない神の御心と無形の御稜威(=神様の働きの活き活きとした様子のこと)であって、神事に向かう一人ひとりの心や全人的な努力です。これが誠です。これが本質なのです。

天と地が一体となって、奇跡を起こすのです。神と人が一緒になって、現実に変化をもたらすのです。

ですから、神事で祈りを捧げ、誠を行動で表したなら、続いてそのあとに、結果として有形の証や、お蔭がついてくるのです。後からついてくるのです。

そして、一時のお蔭とはその時その場限りのもの。しかし、お蔭を引き寄せるだけのエネルギーを発揮する「誠の信仰心」とは一度身につけて、毎日練り鍛えることを怠りさえしなければ、永遠のものになるのです。そして、信仰心を練り鍛えるには日々、神との語らいを繰り返していくしかないのです。神と語らって返ってくるものは神様からいただく愛と歓喜なのです。

つまり、本当のおかげとは、「永遠の宝である信仰心が、いっそう確かな揺らぎのないものになること」であり、また「本当の神仏からいただく愛と歓喜」なのです。これらは死んでからあの世へ持っていけるもの。すなわち無形の宝です。

だからこそ、これらを御魂の喜びだと言うのです。

(続く)

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運が良くなることは通過点に過ぎない − ワールドメイトの節分祭でのお話し(10)

深見東州先生(半田晴久氏)はワールドメイトの主宰者です。ワールドメイト教祖としての顔に加え、国内外でいくつもの会社を経営する経営者でもあります。

(9)からの続きです。

運が良くなるとか、開運するという言い方は、占い師がお客を励ます言葉としては良くても、ワールドメイトの活動や活動の趣旨を説明するのに適当な言葉ではありません。

なぜなら、運が良くなることが目的で会員を続けていくわけではないからです。また、御利益が目的で会員として活動するわけではないからです。

結果として運が良くなることは、もちろん歓迎すべきことだし、何も都合が悪いことではないのですが、「運が良くなること」は通り道で起きてくることではあっても、最終的な目標ではないのです。

あたかも御利益があることだけを、つまり証があることのみが素晴らしいかのように言い過ぎると、具体的な証が出ないで、少しずつ少しずつ劫減らしに励んでいる人が浮かばれないし、地道に堅実に真実を求めていこうという姿勢の本当の意味がわからなくなってしまいます。つまり、御利益信仰ばかりをあげつらうと、ものの見方が歪んでくるのです。

本来の神学びや、実践を喜んでするという姿勢、そういう姿勢で日々取り組む支部長やエンゼル会員が、本当はワールドメイトにとって一番貴重な人材なのです。なぜなら、目先の御利益に心奪われることなく、真を黙々と実践しているからです。

運不運より以前に徳と劫があり、それ以前に善行と悪行があり、それ以前に良き心と悪い心があり、それ以前に良き念や言霊と、悪い念や言霊があり、そらにその前には、本当の神に向かう人としての正しいあり方があるのです。

運不運とは、あくまで結果であって、御神業や神事の本質ではないんですね。御神業や神事においては、本当の神の本当の神力が顕現するよう、良き念を良き言霊で表現し、その結果、自分たちの良き想いがいよいよ具体的に良き心として確立し、そして善行を具体的につみ重ね、自分自身の徳積みとしていくのです。皆さんと一緒に徳を積んでいるわけです。

真実の神の御稜(みいづ)が具体的に現れて、御国が守られ人々に幸せがもたらされるよう、自分の内なる想いを良き祈りの言葉で表して、人によかれという内なる想いを具体的に行動に出そうとして、人形を書いたり、入会にお導きしたり、神様の御用の役に立ちますようにとご寄付をしたりして、自分の徳を積んでいくわけです。

それが神仏や守護霊のあり方と同じだからこそ、ワールドメイト会員としての活動、エンゼル会員としての活動、神業としてのご奉仕、これらを実践するのです。いったんは、運の良し悪しにこだわりたいところを捨ててしまって、運が良くなっても良くならなくても、実践するのです。

すると、こういう姿勢が神仏や守護霊のあり方と同じなので、結果としてやっぱり運がよくなっていくのです。

捨てれば得られるのです。

(続く)

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ワールドメイトの節分祭でのお話し(9)

ワールドメイトは、深見東州先生(半田晴久氏)が主宰するグループです。

(8)からの続きです。

神仏に「わが誠を受け取って下さいますように」と祈りを捧げた上で、体施・法施・物施に取り組むからこそ、その心と行いの源にある誠が神仏や守護霊の愛でるところとなって、その結果として運がよくなるのです。

もっと細かく説明しますと、神仏に自分の想いを向け、祈りを捧げた上で、行動に移り、想いの真・言葉の真を実際に行動で表現した結果を「誠」といいます。そして、この誠の行動は、神仏の御心と同じあり方なので、神仏の応援がもらえるのです。神仏の応援は、具体的には守護霊・守護神の守護となって顕現し結果として守護が厚くなり、さらに誠が極まってくると、神仏の直接の守護が加わって、自分のことを守ってくれる存在が一層増えるのです。それ故、運がよくなるのです。

運がよくなるとは、ものの運びがよくなる、ということであり、ものの運びがよくなるとは、「良い出会いに恵まれる」ということであり、「時期・タイミングが丁度良い」ということであり、「物事が過不足なく、行き過ぎず、足り過ぎず」という状態であり、「ツボを得て中庸に入る」、ということです。

それゆえ、自分の心も過度に執着を持つことなく、人も自分に対して好印象ばかりを持つようになり、良い霊界に囲まれて、ますます運が上向きになっていくのです。

しかし、本当の神徳とは何かというと、先に劫祓いが始まるとお話ししましたが、それと同じく根本的なもの、それは何かというと、「神仏から頂く愛と歓喜」なのです。この御魂の喜びは死後も続くのです。

これが「奉仕者としてなぜ奉仕するのか」「なぜエンゼル会に入るのか」「ワールドメイト会員として真の神の道を学ぶのは何のためか」という質問に対する答えなのです。

神仏のあり方と同じき心に自分の心を置くよう心掛け、生ける神々や御仏との間で活き活きとやりとりをして、真の神なるものに同調して自分という存在を向上させていく、周囲に神仏の息吹きを分け与えていく働きを担う、つまりは、神仏の意志と働きの代行者としして毎日を過ごす、ということなのです。だからこそ、おのずから神仏の守護が与えられるようになるわけです。

(続く)

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ワールドメイト中期富士箱根神業

ワールドメイトは、深見東州先生(半田晴久氏)が主宰する宗教グループです。

12月6日の夜のお話し、そしてその後の7日の2時頃(夜中の2時頃)までのお話しが本当に素晴らしかったので、今回は「私もぜひ!」と思って7日の朝から急遽現地に行ってきました。

現地について、やあやあと旧知の会員数名と久しぶりに会って話しました。前日(6日、日曜日)も朝から天気がよく、富士山がとても綺麗に見えていたとのこと。私が現地に行ったこの日も富士はきれいに見えていました。

会員は、九頭龍師の衣装に着替えて、いつ大元帥明王修法が始まっても良いように準備して、待機していたんですね。そして、衣装のままずっとビデオを見ていたのは、私も衛星で見て知っていましたから。

さらにその前の日(=土曜日)の骨改善祈祷を受けた方のリアルな体験談の発表があったりした時は、やっぱりずいぶん盛り上がったようです。

日曜日の例の深見東州先生の天の声があったので、私も、気が重くなり過ぎないように、真面目に真剣に祈り過ぎないように、明るく楽しく軽やかな想いを思い描いて、会場で過ごすことにしました。個人的にはついつい盛り上がるたちなんで、盛り上がりすぎないよう、自制していたんですけどね。

私が会場についてからも特に動きはなく夜になったのですが、この日一日天気が良くて、モニター画面に映る富士山は、絵のように美しく日の光に照り輝いていました。

月曜日だったので、会場に残っている会員はかなり減って、一〇〇名を切るくらいでしたね。それでも、みんなで真剣に画面に向かって先生のお話に耳を傾けていました。そこで驚いたのは、22年前の「箱根40時間ぶっ通しセミナー」のビデオ。画面に登場された深見先生が大変お若くて驚きました。22年前ですから、深見東州先生は36歳くらいだったのではないでしょうか。あの若さであんな深い講義が出来ると言うことに、改めて感服しました。

夕方になり陽が翳ってくると急速に寒くなり出して、とうとう陽が落ちてしまうと氷が張り出し、おとといの雨で出来た水溜りや、ドロドロの道も完全に凍ってしまいました。場所によっては零下になったかもしれませんね。陽が暮れてからは本当に寒かったです。

日付が変わろうかという時点では、会場に残っている会員はさらに少し減って、学校のクラス一つか二つか、そのくらいの人数かな、という感じでした。

で、いよいよ火曜の朝になったら帰ろうかな、と考えていたら、再び天の声で大元帥明王様がこれで終了せよということに。そしてケーキの直会。やっぱりケーキ、という単語には、女性がモロに反応しますね。

ご神業としては、あの2回の天の声が大切だということみたいですね。これについては後ほど、書いてみたいと思います。

しかし、いよいよケーキが登場した時の女性たちの盛り上がりといったら…大変でしたね。テントの気温が少なくとも3度くらい上昇した感じでした。もちろん私もいただきました。スタッフさんたちも一緒に食べて、みんなで盛り上がった直会でした。コーヒーは個人的にはアツアツのが好きなので、その点だけは残念ちょっとだったのですが…

結局、具体的にはケーキ食べただけ…でもやっぱり現地に行って祈りを捧げてきて良かった…ということで、満足して帰途についた、今回のワールドメイト中期富士箱根神業でした。

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ワールドメイトの節分祭でのお話し(8)

ワールドメイトは、深見東州先生(半田晴久氏)が主宰するグループです。

(7)からの続きです。

証に気を取られ過ぎて見忘れてしまうこととは何でしょうか?

それは、ワールドメイトが御利益信仰のためのグループではない、ということです。

ワールドメイトとは、御利益を追求したり御利益があるから会員になる、という団体ではないのです。

ですから、「何もしないままで、会員でいるだけでは、どんどん運がよくなることはない」のです。

蛇足ながら申し上げますと、このことは、他のどんな宗教団体であっても同じことでしょう。入会したり、入信したりするだけ(=文字通り入会するのみ)で運が良くなるとか、月々の会費、例えば毎月500円を納めるだけで運が良くなるとか、そういう話が本当なわけがないのです。

「入会したら運が良くなるから入りませんか」という誘い方では、御利益信仰と勘違いしてしまうのかもしれません。

会員になるのも、さらには、ご奉仕をするエンゼル会員になるのも、自分の運を良くすることが目的で会員になるのではないのです。

「自分の欲得を離れ、自分の願いを離れて、純粋に利他の想いで、よかれ、と思って世のため人のために尽くすというあり方」が、「神様や天使たち、あるいは如来、菩薩たちと同じ心、同じ生き方である」からこそ、そうするのです。

また、最も御魂が向上し、体施、法施の徳積みがたくさんできるから、自分から喜んでご奉仕者となり、あるいはワールドメイトの会員となって、自分から積極的にさせていただくものなのです。

(続く)

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ワールドメイトの節分祭でのお話し(7)

ワールドメイトは、深見東州先生(半田晴久氏)が主宰するグループです。

(6)からの続きです。

証が出たら喜んで、証が出なかったらがっかりしてしまうのが私たちの心というもの。

でも、ついつい証を下さい、証が欲しいです、と祈ってしまいます。

しかし、証を下さい、と祈っても証は出ないのです。

事柄の成就を祈るのは、100パーセント間違いであり、結果を指示したり指定したりする祈り方は、それこそお蔭信仰そのものですね。皆様ご存じの通りです。

しかし、人の証を見聞きしたら、心が揺れ動きますね。

そして、その心の動揺のせいで、自分の祈り方に歪みが出てきてしまうのです。

そうすると、今まで、本当に正しい祈り方で陰徳を積めていたのが、お蔭信仰になってしまって、神様が動かなくなる、だからますます証が出にくくなる、こうしたことが起きる場合があります。

豆木を申し込んでこうなったああなったという話を見聞きして「私も証が欲しい」というほうに心が奪われてしまって、肝心なことを忘れてしまうとしたら、その肝心なこととは

「信仰の本質とは何か」

「ワールドメイト会員として御神業するという時に、何が一番大切で、
 何をすることがより本質的な御神業なのか」

ということだと思います。証に心奪われるあまり、本末転倒−根本の大切な事と、枝葉のつまらない事とを取り違える−してしまうのです。

ですから、ここでもう一度、「運が良くなる」ということと、「信仰をする、神様の御用をする」ということの相関関係を整理しておくことが必要だと思います。

(続く)

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ちょっとの災いで信仰を投げ出さない

ワールドメイトの節分祭でのお話し(6)

ワールドメイトは、深見東州先生(半田晴久氏)が主宰するグループです。

(5)からの続きです。

話を戻しますと、証というのは方便で出されるもので、入会して、「頑張ろう!」という気持ちで取り組んでいる当初のうちは神様も分かりやすい幸せを下さるのです。

しかし、本当の道、あるいは魂の本当の幸せを考えたら、これまでお話ししたような背景と法則があるわけで、そのような移り変わりになるのが本来あるべき姿だと言えるでしょう。

因縁が噴きだして、ちょっと災いがあったくらいで、物事を表面的にしか見ないで、信仰を投げ出してはいけないのではないでしょうか。

そして、他宗教で、さんざん苦しんできた人なら、ワールドメイトに入会して、真面目にお祈りされたら、すぐに証が出て、さらには出続ける、ということもまま、あることなのです。もう劫をある程度祓ってしまっているからですね。

証のみに心を奪われてどうしても証が欲しいと考えて、過度に期待しすぎるのは、証のみを読み、また証だけを強調する人から中途半端な聞き方をして、自分の射幸心が刺激されるからです。証に過度に心が奪われるということは、御利益信仰の段階でストップしているということに他なりません。

ご神徳とは、お金で買えるものではないのですから、体験者と同じように証が出るとは限らないし、体験者と同じリズムで証が出るとも限らない。しかし、神様のためにと真心で祈って、このお金を神様の御用に使っていただければ、と真心で納めるから、結果として証が出ることがあるわけです。

他宗教でさんざん苦しんできた人とは逆に、何もそういう劫祓いを体験しないまま入会して、重い劫を少しずつ解消していっている、という人であれば、「まだ証が出る状況にないい」ということですから、いつまでたっても証が出ないなあ、ということもあるのです。

(続く)

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カルマが縮小され、その因縁を早期に解消できるよう導かれる

ワールドメイトの節分祭でのお話し(5)

ワールドメイトは、深見東州先生(半田晴久氏)が主宰するグループです。

(4)からの続きです。

開運するには、要するに不運の源になる劫を祓えばいいわけです。

そこでさらに考え方を発展させて、劫祓いをするのに単に苦しむだけでは芸がない、だからどうせなら、苦しみながら徳を積み、徳を積む過程で劫祓いをさせてもらおう、そして、劫を祓うのと同時に徳を積めるようにしていこう、と考えるのです。

こう考える時に一番いい方法は、体施・法施・物施をしていくこと、すなわち、

体施…神様の御用にお仕えして、手間暇や労力が必要となる奉仕活動をする

法施…神様のことを骨折って人々に伝えていく

物施…神様の御用に役立ててもらおうという気持ちで寄付をする

という、この三つに集約されるのです。

このどれかもしくはすべてを実行することで、神の大愛でカルマを縮小して下さり、かつ、自分が若い内に、その因縁を解消させて下さるよう導いてくれるのです。

ですから、いつまでも証を期待して、とにかく申し込めば証が出るはず、と考えるのではなく、証が出るのは、神様のことをさらに確信できるよう導いて下さっているのだ、そのうち根本的な開運=劫祓いがやってくるぞ、しかしそれもまた次のステップの開運であり、よりレベルが上級の神徳の現れ方なんだ、と考えていくことが必要なのではないでしょうか。

そして、ここからが大切なのですが、

道を究めるにつれて途中からよくないことが起きてきたら、

災いが起きるたびに「神様、私の前世と私の家代々のカルマを、小さくまつり変えてくださってありがとうございます。大難を小難にまつり変えてくださってありがとうございます。苦しみを最小限にしてくださってありがとうございます。」

と何度も何度も祈るのです。そうすると実際に、本当に大難が小難になるのです。次にまた何か起きたら、

「今回もまた、守護を与えていただいて、大難を小難にまつり変えてくださってありがとうございます。」と苦しいほどに反比例して感謝するのです。

すると、ますます、因縁が縮小されて災いが小さくなります。

災いが起きるたびに「神様、私の前世と私の家代々のカルマを、小さくまつり変えてくださってありがとうございます。大難を小難にまつり変えてくださってありがとうございます。苦しみを最小限にしてくださってありがとうございます。」

と何度も何度も祈るのです。

次にまた何か起きたら、

「今回もまた、守護を与えていただいて、大難を小難にまつり変えてくださってありがとうございます。」と苦しいほどに反比例して感謝するのです。

すると、ますます、因縁が縮小されていきます。

そうして薄皮をはぐように劫を祓っていくと、どうなるでしょうか。

ある時から、突然、利他の祈りならなんでも、自分の願ったことがすぐにかなえられるようになるのです。

自分の霊層が上がり、魂が極まったら、一つ願えば百かなうようになってくるのです。神霊世界に近づけば近づくほど、澄みきれば澄みきるほど、神仏のご加護と神力、霊力が強くなってくるのです。

(続く)

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前世の業が出てくることが開運の始まり

ワールドメイトの節分祭でのお話し(4)

ワールドメイトは、深見東州先生(半田晴久氏)が主宰するグループです。

(3)からの続きです。

前世のカルマが出てくる、すなわち、前世の業が出てくることが、どうして「神徳」なのか。

前世のカルマ、つまり、自分が前世で成した悪行は、いくら神様を信じたとしてもなくなりません。業を減らすには、自ら苦しんでなくすか、その業に等しい徳を積んで相殺するか、このどちらかしか方法はないのです。

しかし、入会して、いろいろな機会に神様に祈ると、この業を祓う機会を与えてくれるのです。それも、普通に生きていくのよりもずっと祓いやすい形で、また、より早い時期に業が祓えるように、導かれることになるのです。

自分の成した前世の悪行である業は、今世の不運の根本原因となっています。したがってこの業をできるだけ早い内に、自分が若くて苦労をいくらでもできる内に祓っておくことが、後々開運するために大切なことなのです。だから、業を祓う機会に出会えること、実際に業を祓いながら徳を積めること、つまり前向きな姿勢で苦を体験できる機会があることが大切になってくるのです。

御利益信仰では、他力本願のままで精進努力しないので、御魂の修業にならないのです。つまり、本当に進歩向上したいと考えるなら、御利益信仰にとどまっていてはいけないのではないでしょうか。

というか、進歩向上して欲しい、と神様が願っておられるので、御利益信仰のまま突きすすんでいくことはできなくなるのです。

真実なるもの、神なるもの、これらを求めて発願されると、前世のカルマ、家のカルマをを縮小して、若い内に出しきってしまうよう、導かれるようになるのです。

これが本当の神徳の表れ方なのです。

業の祓い方にはどんなものがあるかというと、軽い順に

1.好きな仕事に就けないで苦しむ。(一番軽い)
2.人間関係で苦しむ。
3.病気で苦しむ。
4.お金のやりくりでとにかく苦しむ。
5.早死にする。病死する。事故死する。死に絶える。(一番重い)

仕事が面白くなくてね…という人、上の1だけが当てはまって、後は違う、という人なら、まだ業は軽いほうだと思います。

しかし、生まれてこのかたずっと貧乏で、両親は病死してしまっていて、自分も慢性病で二〇年苦しんでいる、というのであれば、かなり業が重い人になってくると思います。

話を戻すと、実在の神様をつかむためのきっかけとして、最初の内はいっときお蔭が出て嬉しいことが続くのです。しかししばらくしたら、先にお話ししたような五つの苦しみが起きてくることがあります。

そして、肝心なことは、このカルマの解消の段階に入ってきたら、それこそが神徳なんだ、神様のご守護なんだ、と受けとめることなのです。

この「業祓い」が起きてくると、一見形の上だけで見れば全然よいことはないかのように思えてくるのですが、自分の運の根本にある業を祓っているのだ、というそのことが、実は後々の開運に確実につながっていくのです。

これを理解して、積極的に業祓いしていくことこそ、具体的な開運であり、神徳のあらわれなのです。

(続く)

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自分が望んでいるような形で、証が出るとは限らない

ワールドメイトの節分祭でのお話し(3)

ワールドメイトは、深見東州先生(半田晴久氏)が主宰するグループです。

(2)からの続きです。

証が具体的に出る期間というのは、自動車の運転で言えば、路上教習を習っている期間のようなものです。

周囲がつきっきりで運転を教えてくれる、そうした期間のようなものかもしれません。

証が出たというコミックを見たり、実際に証があった話を聞くと、自分にもそういうことが起きるのではないか、と誰でも思います。私も申し込んでみたい、と誰でも思います。

しかし、証が出ている人、というのは条件がいくつかあるのです。別な言い方をするなら、誰でもその人と同じように証が出るわけではないのです。もっとわかりやすく言うと、

「自分が望んでいるような形で、証が出るとは限らない」

ということです。

では証とは出たり出なかったりするものなのでしょうか。

そうではなく、証は常に出ているのです。というか、神徳は常に、申し込んだ人の誠に相応しく、与えられているのです。

しかし、自分で分かる形に出ないこともあるのです。どういうことでしょうか。

自分が意識して注意しているあり方、自分が願っている形で出てこないから、気がつかないだけなのです。

あるいは、「自分はまだ、願うことが願う通りに成就する状況にないのだ」という自覚がないから、自分の願いがかなわない、つまり証が出ない、と思ってしまうのです。

しかし、本当はそうではないのです。神徳は、ご本人の誠に相応しく、そういう意味で、真実、平等に、全ての人に行き渡っているのです。

自分が願っている形で出てこないから、証が出ないと思ってしまうのです。

あるいは、「自分はまだ、願うことが願う通りに成就する状況にないのだ」という自覚が足りないから、証が出ないと思ってしまうのです。

実は誰にも、もれなく与えられている神徳とはどういうものでしょうか。

それは、入会して、正式に会員になった人なら誰にでも起こることなのですが、おおまかに言うと次の三つです。

1.人との御縁、出会う人、友人・知人の縁が変化してきます。これが開運につながっていくのです。古いお友達が去っていって、新しい知り合いが出来るのです。

2.自覚はないかもしれませんが、意識の奥で変化が起きるので、一時的に体調が不安定になったように感じます。微熱が出たり、下痢があったり、という時期がごくわずかな期間、起きてきます。

3.前世の劫が出始めます。

この三点が、どなたにも与えられる、ご神徳なのです。そしてこの3の「前世の劫が出始める」という点が一番大切なところなのです。

(続く)

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ワールドメイトの節分祭でのお話し(2)

ワールドメイトは、深見東州先生(半田晴久氏)が主宰するグループです。

(1)からの続きです。

それでは、御利益とは何なのか、本当の御利益とは何なのか。

会員も、最初は、自分の願ったことが具体的にかなうので、実在の神様がいるんだ!という手応えを実感し、どんどんいろいろと祈ってみるようになります。

しかし、そのうち徐々に、神様からの応答が鈍ってきているように感じられるようになり、さらには、全然自分の祈りが実現しにくくなる人が多いのです。

それはなぜか。

いつまでも御利益を求めているからですね。

そして、証が出なくなってきた、ということは、その御利益信仰の水準にとどまっている自分の心を、より本物の信仰心へと切り替えていくべき時が来たよ、ということの表れだと思います。

いつまでも御利益信仰にとどまっていてはいけないよ、と教えてくれているんではないでしょうか。

そして、改めて、自分の足下を見直して、祈り方を切り替えていくことが大切になってくるわけです。

こういう切り替えポイントが来るまでは、どちらかというと自分のことを中心に祈る人が多いのですが、ここから、家族、知人、友人、さらには、見ず知らずの人のこと、日本国民のこと、と祈る対象を広げ、大きくしていくことが大切かと思います。

自分のことを離れて、自分の利害を離れて祈る、ということを実践してみるのですね。

深見東州先生は、神のために生き、国のために生き、人類のために生きていらっしゃるのですから。

証とは、神業の一部であり、実在の神様を掌握するまでの方便でしかありません。神様が本当にいらっしゃることを体得するまでの便宜的な方法でしかないのです。

神様とのやりとりを実習している時、というのが、証がどんどん出てくる時だと言えるでしょう。

(続く)

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ワールドメイトの節分祭でのお話し

今回の伊勢で行われた、2009年の節分祭。11月に節分祭を斎行したのは、ワールドメイト史上、初のことでしたね。

そして、ワールドメイト史上最初で最後のことになると思います。

今回、神業をどうとらえるのか、証というか御利益ですが、この御利益というものについてどう考えるべきか、改めて明確な説明がありましたね。

一般には、御利益があるのが当たり前なんだ、と考えられていることでしょう。

御利益があるから信仰をするんだ、というのが当然だとされていると思います。

さらに別な言い方で言うと、「自分の願ったことがかなうから、その神社に通うんだ、何も自分の言い分がかなわないのであれば、神社に行く必要なんかないはずだ」、というのが一般的な考え方ではないでしょうか。

そして、御利益が出やすいのがお稲荷さんなので、稲荷信仰、稲荷神社に出掛けていったり、自分の会社や自宅の庭に分祀して、祠(ほこら)を作り、毎日熱心に祈る、ということになっていくのでしょう。

しかし、御利益とは「祈ることを習慣にするための方便」あるいは「目に見えない神仏について自分の中で位置づけができるようになるまでの方便」でしかないのです。

例えば、お蔭信仰の典型である「稲荷信仰」に染まるとどうなるのか。

稲荷を崇敬すると、はっきりと現世利益がもたらされるので、主宰神を祈るのを止めて、眷属の稲荷狐ばかりを祈るようになってしまった−これがお蔭信仰の始まりですが、いろいろと願い事をするその本人の願いを、すぐにかなえてあげるのが本当にいいことなのかどうか、あるいは、本人がぎりぎりまで努力した後にかなえたほうがいいのか、あるいはどんなに願っても聞き入れないほうがいいのではないか等、より高い次元から、本当の真心に基づいた判断から答えを出すのではなく、眷属として結果のみ出すべくどんどん働きますから、稲荷信仰をすると御利益が具体的に出てくるわけです。

そして、崇敬する側も、努力を省き、手間暇を省き、自分の欲望を満たすために祈るようになる−つまり、欲しいものを手に入れるために稲荷を利用するようになる。打算的に祈り、計算して祈るようになるわけです。

欲しいものがすぐ手に入り、ますます人欲が刺激され、感謝の心が薄れてくると、さらに稲荷を利用して自分の煩悩を満たすために祈るようになるのが普通です。普通の人なら必ずそうなっていくでしょう。

しかし、崇敬し、信仰する、ということは、その信仰対象を仰ぎ奉るということ。自覚の有無にかかわらず、その対象の価値観に自分を従わせる、いわば、自分がその信仰対象の配下に下る、ということ。つまり、信仰するとその信仰対象の霊流を受けるようになるので、稲荷信仰をする人はすべて、狐の霊流を受けることになります。

稲荷信仰をしている人は、自分の想念が「お蔭だけ、煩悩・本能を充足させることだけ」に向かっているため、死後霊界に行くと、自分の想念そのものの姿、すなわち人霊狐となり果ててしまうのです。

そして、自分が動物霊の配下に下ったことの意味を自覚することなく、子孫について霊流を送り、その子孫たちも、狐のような性格を形成しやすくなります。つまり、人霊狐の再生産につながっていくわけですね。

ですから、稲荷信仰に手を染めると、一族全部が皆稲荷狐信仰となり、そろって人霊狐に堕ちてしまうこともあり得るのです。

(続く)

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