ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1

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圧倒的な権勢を誇り、ヴォルデモートの闇によって、魔法界は覆われて行く。力による支配であり、その畏怖を受けて、中立姿勢を取っていたり、ハリーらの側に居た魔法使いも、籠絡されて行く。果たして、権力闘争に「勝っている」から、過激思想や革命家に付いて行くのか、それとも、思想の主体が、主流派に対して「正しい」から、付いて行くのか、いずれであろうか。闇の原理というのは、示される事は無く、その詳細は不明だが、おそらくは、ナチズムに非常に類似した民族過激思想だと思われる。魔法使いの覇権であり、ナチズムは敗れはしたが、一時は、欧州を策源地として世界を覆いかけた、強者の理論ではある。思想として、清らかであるか、という問いはナチズムには無用であろう。だから、ナチズムの支持者というのは、当時にあって、覇権を達成する歪な新異論への迎合であり、生き延びる事だけを考えた妥協のゆえであり、シリウスを罠に嵌めたワームテールや、マルフォイ家などは、その畏怖に恐れをなして、従属を誓ったに過ぎないだろう。

死喰い人は、そのヴォルデモートの暴力性に魅かれ、その庇護を受ける事によって、粛清などに陶酔しているものであるが、自滅にも繋がり兼ねない過激思想が、世界で唯一の一神教となり、具現化されれば、自分たちも粛清の被害を蒙る事態を考えなかったのか。宗教とは、その教義への信頼性や、感じられる魅力によって、信仰されるが、過激思想ほど、それを信仰し、布教し、生活の中で体現する大人たちが、しっかりして、過激な原理を、汲み取って咀嚼して、万人が愛し得るものへと転化せねばならないのではないか。つまり、宗教の危険性というのは、その原理だけでなく、その共同体を作る信者たちによって、善悪に分かたれる、という事なのだ。

魔法界は、闇の拡張に対して、非常に鈍く、その抵抗も低調である。秩序の守護者たる魔法省が、そんな事では、革命を許してしまう。ファシズムは疑似革命に過ぎないが、ヴォルデモートも然りであろう。だが、光や中立姿勢の魔法省が、復活した脅威に対して、個々の魔法使いや戦士たちの組織化によって、対抗するのと同じように、闇もまた、死喰い人などを中心とした、チームの組織化を図る。そこには、闇は反主流派である事から、社会の現実に対する不満や憎悪を持った階層を掌握し、革命を煽る事によって、熱狂的なセンセーションを起こし、大衆の心を掌握する。それは、革命という、暴力主義による強味であり、既存の伝統的集団や共同体が、既にある事から、統制への抵抗勢力となる事があるから、円滑に戦える集団が形成されるとは限らない。つまり、戦争は光の正義に対して、闇もまた敵なりに成長するという事である。

ハリーは天才ではあるが、一人重荷を背負う様は悲壮であり、ダンブルドアの死によって、その立場は更に厳しくなった、と言える。ダンブルドアは、かつてのトム・リドルの師であり、その成長を助けてしまったという負い目があるが、ハリーもまた、赤子にして、両親の愛の願いによって、ヴォルデモートを退けた過去がある。つまり、この二人は、愛を絆として、過去の遺物としての大敵と戦っているのであって、今を生き延びる事が全てであり、その大敵の実力も未知数、という、ロン、ハーマイオニーら、あるいは、厭戦気分の蔓延る魔法省には、優位に戦い得ない存在なのである。分霊箱を探し、その破壊の為に、秘密裏に冒険を続けるハリーは、闇が政権に近付き、その勢威は益々盛んであるのに対して、貧困と孤独に塗れているが、ヴォルデモートの社会の破壊行為というのは、世代間抗争ですらなく、死喰い人を個のまま解き放ち、工作をさせている事から、その戦術は奇襲やテロには非常に有利だと言える。組織化でありながら、その構成員の生殺与奪を握っているのは、ヴォルデモートであるからである。

今やスネイプが校長を勤めているホグワーツも、かつてとは全く違った場所となり、カリキュラムにはヴォルデモートの意向が反映され、政治的なパージもある。死喰い人とは、犯罪者ではなく、かつて、闇で席巻したヴォルデモートでさえ、法に追われる身では無く、政治力を発揮している。魔法界は、守旧的な体制にあり、おそらくは、アンブリッジを中心として、闇と妥協しようという、弱腰の政策が浮上しているのだと思う。そして、非魔法族であるマグルへの殺傷事件にも沈黙を保っている。権力を争点として、人が人を支配し、治め、虐げる、体制にあるのだろう。魔法とは、古典を読み解き、その真髄を解読、理解して、道を習得する、内向的な作業である。対する、マグルの技術革新とは、知識を学びながら、新しき情報媒体や新機軸とのハイブリッドによって、未知のものを生み出す、外向的な作業であり、マグルにとっての魔法とは、科学技術に当たる。だから、闇とは、マグルとの人と血の交わりによって、古典が軽視されるようになり、その未来への光を恐れる事から生まれた、抵抗の過激思想であり、ヴォルデモートもまた、古典を追求しながら、古の大魔法の習得に腐心している、極めて、保守的な魔法使いである。

過去と対決し、その清算を付ける事、同じ過ちを犯さない事は、ハリーへ課せられた天命でもある。だが、不死鳥の騎士団の、抵抗する生徒らを中心として、賢者の集いであったホグワーツは、暗く変貌を遂げて、良識の府、学びの場ではなくなった。それによって、退学するなど道を違えてしまった若者たちが少なからず居る事と、それを全く恥じぬ誤った体制は、いつか、打破されねばならないだろう。ダンブルドアとの血の絆、師弟愛を失ったハリーが、今や求めるものは、次世代への愛と希望なのである。

否定と肯定

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ナチドイツによるホロコーストというのは、ドイツの敗戦によって、未曾有の戦争犯罪として決定付けられた、根源的な悪である。それを否定して、自由主義陣営に与するリップシュタットは、自身の正義を信じて疑わない。嘘を吐いているのではなく、それが絶対常識であり、陣営が形成する社会を信じ、利害や正論を共有しているからこそ、リップシュタットは、御用学者になるリスクさえるのだ。対する、アーヴィングは、ナチズムの擁護者であり、公職を失い、市井に溺れている処を、自身の著作への名誉棄損の法廷への提訴を橋頭保として、蘇生を果たした。

リップシュタットは、公を背負い、その直接的なシェアホルダーを抱えているのに対して、アーヴィングは、私であり、間接的なステイクホルダーに支えられている。その背景にある利益関係から言えば、組織内にあるリップシュタットが優位という事になる。また、アーヴィングが標的を定めた根拠とは、距離が近い事にあり、その意味で、アーヴィングの社会性、行動範囲というのは非常に狭い。なぜなら、自由主義陣営の一要人ではなく、本当に自身の正義を信じているのであれば、ナチズムの宿敵であるイスラエルやアメリカへと、その批判の矛先は向く筈だからであるが、そんな勇敢さはない。また、そうした強大な敵を相手としないで、一要人との法廷闘争に臨んでいる事からも、彼は不器用だが爽やかな好漢ではなく、極めて強かな策略家であり、功名心もあった、という事である。

また、アーヴィングの周辺というのも、ネオナチなどの際立った過激思想家、活動家によって囲まれているが、言論の自由を含めた思想闘争というのは、まず、当該の知識人や政治活動家というのは、自分の縄張りである社会関係を持っているから、その抵抗が最も強いと思われるのは、第一撃である。だから、アーヴィングのリップシュタットへの抗議による奇襲攻撃というのは、最初のセミナーにおいてこそ、最大の負の影響力を発揮する。対立が深まり、また、法廷闘争に持ち込むという決定的な不利を蒙る事によって、それまで、好き放題、毒を吐いていて、歓心も買っていたアンダーグラウンドの世界は一変してしまうのだ。同じ、ネオナチ的思想や言論を法廷に持ち込むほど、アーヴィングも愚かでは無いのだ。

二人の法廷闘争は、漫画「火の鳥」の我王と茜丸との闘争のようなもので、当人らの背景や思想、人格は全く異なり、対比的である。どだい、強大な対国家闘争を仕掛ける事は出来ないし、絶望的な戦いであるから、個々の知識人などを、撃破して行く他に、アーヴィングの取り得る戦術は無いのだろう。日輪の指す法廷とは、厳しい清流の場なのである。そして、アーヴィングとは、その精神的な病理を抱えており、ナチの復権やヒトラーの再評価といった、個人で抱えるには余りに過剰な大義を抱えているのだ。それが、正義かどうか、ではなく、本人が満たされている、という事であり、大戦の善悪が、戦勝国からの正義のみで裁かれて来た事実がある限り、そうした知識人同士の闘争というのは無くならない。

だが、アーヴィングは幸せだったと思う。ネオナチの悪友たちに囲まれ、自身が積み上げて来た知識や理論によって武装を固め、常に臨戦状態にある。つまり、史実としてナチズムが正しかったのか、という事ではなく、禁欲的、教条的であったヒトラー時代のナチズムが、今では、本能的で欲望の塊のような若者たちから、アジールのような限定的な世界で支持されている。その本質は、知識人を気取るアーヴィングも同じである。法廷とは、善悪双方を吟味して、丸裸にするのだ。その試練に耐える事によって、リップシュタットは大きくなった。彼女はライバルを研究したが、アーヴィングは最後まで折れないし、屈さない。そうした人生の送り方は、全てが流れ、去って行き、豊穣の地は熟し得ない。こうした大事をこそ、貴重な経験として、受け止められたリップシュタットは、美しい。美女と野獣、のようなものであり、その双方の対立を不毛に煽る、難解な映画であった。

イチローの遺した蒼い波濤

米マリナーズのイチロー選手が引退するそうで、世間を騒がせているが、それほどのものだろうか。

オリックス時代での日本の活躍もあったが、アメリカに渡ってメジャーでの活躍は素晴らしく、抜きん出たものがあった。アメリカでの生活やライフスタイル、実質的にセレブであり、清原選手のように、贅沢な暮らしを欲しいままにする事も出来ただろうが、ストイックであり、グランドでは非常に好戦的でもあった。戦場を求める戦士であり、心の底から、野球が好きなのだと思う。

WBC第一回目では、日本代表にヤジを飛ばす韓国ファンを睥睨し、その再戦を誓う、非常に男らしい言動があった。韓国に勝利して、その言を明かし、真実である事を証明したが、その時の、プレースタイルには、キャプテンらしいリーダーシップすら感じたものである。チームのルーティンには、向かないかも知れないが、騒ぎがあったり、有事には、暫定的なキャプテンとして、イチローには向いているかも知れない。

つまり、有事というのは、個人の資質や意志というのが、全面に出て、問われる事になるから、イチローのような、人格、というよりは、能力や現場のプレーで引っ張る選手というのは、煌めき輝いて活躍する事が出来るのである。韓国戦という、因縁があり、また、国家間の対立、国民間の感情的な対立が起こるマッチでは、相手を意識しながらも、自分達の力量や適性を見極めながら、一球一球を狙いすまし、「自分達の流儀」を貫く事によって、勝利出来る。本来の力量差を覆すサプライズ、というのは、プロである選手までもが感情的になり、自壊する事によって起こる、心の乱、である。

イチローは、人格として好ましい処がある人では無いし、自分の為、愉しいから戦う、という、生粋のプレイヤーであるとは思う。球打ちが、そこまで偉いのか、と言えば、自分には良く分からない。日米間の友好や理解にとって、少なからず貢献した人ではある。イチローの打法は、侍にも比されたが、アメリカにあって、日本人として染まらず、自分のスタイルを貫けたのも、実力が全てであったと思う。逆に、最近の不調になってからも、自己顕示的な侍打法を貫いた様には、観ている側として、痛々しさもあった。打力でメジャーリーガーに及ばないならば、技やスピードで勝る事、イチローだから出来る事というのは、いつしか、日本人だから出来る事をする、という、高尚なコンセンサスに変わって行った、と思う。

つまり、イチローという個のスターの活躍というのは、日本人全体に波及して、ヒロイズムに感染して、自信を与えた、というのが、長期に渡ったメジャーでのイチローの功績だとは思う。これは、メジャーでの優勝成績は無いものの、そのアメリカのファンにまで及ぶ、高い人気や実力、功績からすれば、メディアでの熱狂的な報道姿勢は、今思えば、尋常ではないと思う。社会問題の報道でもそうだが、真実とは、メディアが作る一面もあると思う。自由な議論によって、人や事件の善悪を諮り、一定の論評を行うという意味で、メディアの寵児となったイチローの存在意義を観れば、チャンピオンに比肩するインパクトを遺した、と思う。つまり、イチローとは、球打ちとしてではなく、情報社会でチャンピオンに押し上げられたのである。

東京から始まる後日譚のツーリズム

日本国内の人口は、関東圏への移動が起こり、東京への一極集中が想定されている。それは、大都市にモノの豊かさや雇用を求める、金銭、物質的な欲望によるものであるが、若者が志す新天地というのは、それなりに資本の投資が行われるべきだと思う。

外国人観光客も、日本の都市部への観光を愛好しているが、新たなグリーンツーリズム(記事「やがて独立した地方が東京を包囲する」)は、地方での産業起こしであり、消費型から、経験型へのトレンドを読み込んで行くべきではないか。地域の観光では、温泉や保養地での観光の他に、ブランド食品の製造工場や農家の体験は、六次産業化における地域創生の要である。特に、工場は、加工、製造の工程から、食を直に体験する事が出来る、人気である。最も、その知名度というのも、地方にコアとなる都市や名所があって、その中の一指であるパッケージ型の観光地巡り、という傾向が強いと思う。

食品工場も、メジャーであり、絶対安泰という事ではないし、素晴らしい食や菓子、酒などを生産し、家庭に届けているのに、もっと観光客が来てもおかしくない、という隠れた名所もあると思う。これは、日本人や、異である外国人観光客の、東京への観光のトレンドを突き、地域の工場や厨房などの、出向機関を作り、食の提供と宣伝を兼ねた政策作りをすべきである。

東京に、観光特区を作り、地域の酒食などの、製造工場がある商品を主体とした、カフェ、レストランを作ってはどうか。そこで、観光客が美食と出逢う事によって、その製造本拠である地域に行く情報を入手し、動機も出来る。限られた食材を使った特別な酒食に触れて、その地域への愛着と知識を深めるのではないか。また、農業においても、工場を有する企業、メーカーとの協同が図られるべきで、特産の農産物を限定使用したメニュー、あるいは、国産品でのファーストフードといった、画期的な食の改革も期待出来る処である。資本主義における、実在し得ない「黄金の林檎」を、アップルパイにするのではなく、ありのまま具現化し、欲と願を刺激するのである。

また、外国人観光客は、よほど酷い国でなければ、再来日するリピート客が想定される。地域カフェ、レストランを訪れた東京への観光客は、既に、目的地の計画を立てていて、東京周辺などの観光で済んでしまうだろうから、カフェ、レストランを訪れて、再来日の計画を立ててもらい、今度は東京だけでなく、地方も観光する意志を持ってもらうようにすべきである。観光特区に、プランやツーリズムのインフォメーションセンターを併設して、後日のガイダンスを行い、その行動を促進する必要がある。また、帰国後の生活への影響も重要であるから、地域でまとまった、広報やブログ、SNSなどを観易くアクセスを容易にして、管理しておき、外国人観光客に紹介しておく事も、ソーシャル化における、有効な手段だと思う。

櫻の園

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黄金律の木村拓哉だ、ぴょんか。スターが集う伝統的なエリート女子高校。規律にこだわる学校に対して、結城桃は、自由を求める。音楽か、学校か、多彩な桃は、青春の舞台をどこに選ぶかという、贅沢な悩みを抱えている。音楽は創造的な才能を活かす場所であり、学校は、学力などの基礎的な才能を伸ばす場所である。学校に与せば、平凡だが、安泰の人生が待っているかも知れない。その妥協をしたわけではないが、桃は学校に、過去にお蔵入りとなった演劇物語「櫻の園」の脚本を発見し、その上演を目指す事によって、学校にも、自分の才能を活かす場所へと変えて行く。

学校側は、頑なであり、いわくつきの櫻の園、を演じたい、という桃達、有志の生徒ら、それに、それを擁護する教員の坂野にも厳しい態度で臨む。当初、双方には対話の糸口もなかったが、演劇に対する情熱と本気度を明らかにする事、独立を希求する、ひたむきな行動を観て、学校側も、生徒らの奇矯な行動を、子供ゆえの暴走、と観るのではなく、大人として尊重して行く、穏健な方針に転じて行く。そこには、個として、校長の高山とワンオンワンで対峙する桃の強い意志がある。その社会的に立派だとされる大人と五分で渡り合い、協調出来た事は、桃に大人になる準備期間としての、青春期の人生に自信を持たせる事だろう。

過去に事件があった事によって、お蔵入りとなった櫻の園は、それを再現したいという桃らの意志と行動によって、物語として蘇生するのである。それは、旧世代と現世代を繋ぐブリッジ役として、演劇が生きる、という事であり、それは、守旧的な学園の体制に対する疑問ともなる。なぜなら、高山は頑なに上演を拒むからであり、そこには、生徒が主人公ではなく、学校権力の体制の利害があるからである。組織対個人、との戦い、学校において、反抗するのは、思春期の若者にとっては、稀有な事ではない。そこで、物申すのは、個人の意志であり、能力とは個人間の格差であるが、意志は平等である。多少の能力の差異というのは、意志によってカバーされるのだ。

最も優れた演者の才能があるのは、桃であり、それゆえに主役を張るが、演劇とは、学園のスターらしき者が相応の役割を得て、一層輝き、バイプレーヤーもまた、相応の役割を得て、物語の添え物となる。自分を知る、という事において、生徒時代の演劇というのは、主役の奪い合いや競争があって、お花畑のエンターテイメントというよりは、学校での競争原理のリアリズムと共にある。生徒らが、自分達で最も優れた人物を主役として、抜擢し、また、共演する事によって、思考して、良いものへと、手作りの物語を上昇させるのである。

そして、学園の軛には、嫌な事ばかりではなく、心地良い緊張関係にあり、それは、組織と個人、双方の和解によって、無上の経験となるが、いったん、桃らは、野外のステージにおいて、櫻の園を演じる事によって、学校という権力と場所との制約から脱して、劇を自分達のものとするのである。そこは、表現を通した、自由と独立心の最大限の心が現れる時であり、坂野も同伴している。学校側は、高山は劇を止める方向で、坂野は進める方向であり、学校の教員というのは、一枚岩ではない。それが、大人の意志と選択肢の多さのわけであるが、生徒達は目標に向かって一丸となり得るのである。それが、青春時代の良さでもあり、生徒らも、自分を知り、合うか、合わないか、付き合うべきか、そうではないか、を判断して行くが、概ね、学校の「公」の部分こそが、そうした個人主義を統制して、多数派の自由なる理想を体現するのである。

相撲は生命の重みを問う競技

相撲が熱いが、貴景勝の大関昇進が懸かった大一番だという。

相撲は、格闘技の中でも異質であり、まず、勝負が長丁場であり、一場所が15番勝負もあり、年間を通してのマッチ数で、相撲に勝る競技はない。ボクシングであれば、チャンピオンが居て、不動の覇者である事、決して敗けない事が求められるが、相撲では、覇者というのは、デビュー時の逸ノ城然り、話題をかっさらうダークホースも居り、場所ごとに異なり、必ずしも、横綱が無敗である事は求められない。

下剋上が肯定されている相撲の革新性というのは、日本の伝統的な思想や競技に対して、際立った、矛盾があるが、それは心地良いものだ。今の二横綱はいずれも、外国人力士であり、上位の力士にも異国からの風が吹いている。そうした、国際性があるからこそ、逆に、相撲協会が品格や規範意識を喚起するのであって、貴乃花元親方(記事「貴乃花親方、カリスマの限界とは」)の改革への情熱というのは、その不可侵性にあるのだろう。

相撲は、男性の競技であり、土俵には女性は上がる事は禁忌とされている。だが、これは、女性差別ではなく、男性を守る為の伝統であろう。これが不当な差別、理にかなわない差別であれば、全ての男性が特別視される。だが、土俵に上がっているのは、選ばれた力士たちであり、男性の相撲ファン、弱者も含めた全ての男性ではなく、戦う人、士分だけが、特別視されているのだ。つまり、侍である。

レクリエーションで、芸能人や子供力士に、土俵が開放され、その机上で相撲を愉しむ事は出来る。力士には実力に応じた序列があるが、それは、個を活かす為であり、力の対決に対しては、力士は場外ではなく、土俵上で応じる事になっている。角界という、厳正な門閥がありながら、武の応酬には、立場を超えた正統性があり、あくまで、力が争点となる。だからこそ、強い者ほど、規範を持つ事が求められ、それゆえに、横綱に対しては、求めるものが高くなるのであろう。

横綱とは、実力も伴うが、長い長い戦いにおける、精神的な象徴であり、高潔な品格が求められるのは、相撲に生き場を求める、無類の人々が居るからではないか。つまり、胸を貸すぐらいの度量が無ければ、横綱として失点がある、という事である。ボクシングであれば、一戦にて興亡が決められるが、相撲の長丁場は、その勝負の厳しさを緩ませると同時に、明日があるさと、再起への想いが込められている。

力士は侍であるのと同時に、超重量級の超人である。引退して、親方になって、ダイエットをすると、イケメンだった事が知れる人が多いのではないか。相撲に勝って、勝負に敗ける、いくら現役でも、糖質には勝ってもらいたいものである。言葉を寄せ付けない、排他的、守旧的な人は、覇者には向いていないし、次世代に繋がれる生命の種も無い。

誰も知らない

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福島一家は、父親が亡くなっており、母親と子供四人の母子家庭である。夫婦が健在であれば、家族関係というのは、夫婦間での愛情関係を軸として、子供達は、その恩恵に預かる、という事になる。だが、母子家庭では、家族というのはセーフティネットとなっており、子供達が衣食住を受容する立場にあるのに対して、母親は経済、教育的な優位性と共にある。夫婦では、いずれが優位か、という事はなく、また、子供達も、理想としては、家族全員が平等であり、非優位の関係という事になる。そして、その環境下にある母親もまた、子供からの恩恵を受けており、それは、金銭や養育関係を超えた、精神的な癒しであり、共同体としての穏健な考え方である。

けい子は酷い母親だが、子供というのは、養育と指導を必要としている。それは、一家の働き手でもある大人が、大黒柱であり、持続的に仕事をこなしている、長期的な労働感覚とは違って、子供は、一日一日が冒険であり、刺激と新たな発見に満ちている。学校に通い、そこで起きた事、勝ったとか経験した事は、帰宅して、晩御飯を食べて、家族で団欒し、その関係性の中にストックされて行かねば、経験値は半減するだろう。子供とは、短期的、本能的な存在であり、母子家庭の母親が、その愛情関係の受け手となり、また、同時にキャスティングボートを担わねば、上手く運ばなくなるのである。

不出来とはいえ、けい子は、四人の子供たちの為に、常に家族と共に暮らすべきだったのである。亡き父親の忘れ形見、面影を残した明、茂、そして、自分の分身である京子、ゆきらを愛せない事は、自分を愛せなくなった、その反面として、愛人を欲した、という事であり、けい子も非常に弱い人間ではある。育児の放棄、ネグレクトも虐待であり、母親無き家族、子供達だけになった四人の共同体の背景には、孤立と貧困という絶望が隠されており、それは、生活費が尽きて行く事によって、益々、厳しい現実として、明たちの目の前を覆って行く、暗い幕である。

金銭による経済支援もまた、けい子がせねばならない義務であるが、それが絶える事によって、子供達が無間地獄に陥る事は、観えて居た事ではないか。これは、職場も同様だが、家族のルーティンとは、立場の違いを明確にはしない、むしろ、有事において、権限と義務を果たしているか、とか、権力を持つ上位者、母親の本質が露にされるのである。だから、この子供達の貧困が、極みに至るほどに、今は大坂に出て行ってしまったけい子の存在の大きさが際立つのであって、他に保護者の居ない明たちにとって、けい子は絶対的な長者であったのである。

何故か、明たちは、地域や警察といった、大人たちの保護を受ける事を頑なに拒否しているが、これは、けい子への信頼が強かったが為であり、また、双方に愛があったからだろう。核家族において、子供とは、夫婦のかすがいであり、絆の中心にある愛されるべき存在である。世代間の相違は、その家族内での人間関係に帰結される。保護を受けるべき未熟さがあるからこそ、愛らしいのが子供達であり、街で出逢った援助交際をする中学生の紗希とは、その弱き者同士での同盟でもある。つまり、静かな破綻を背景としながら、大人たちには頼らない、という頑なな気概がある。それによる多大な障害に対して、一縷の希望を探し求める、苦難の旅路にあるリアリズムのストーリーだと思われる。

是枝監督の名作、映画「万引き家族」では、全てが物質に落とし込まれて行く、反道徳性がありつつも、遠距離になって気付く家族の絆があり、その逆転によって、万雷の拍手喝采があったのだと思う。対する、本作では、一貫して、固い絆が描かれている。

生徒会にもクールなメディア部を

学校には、公教育におけるスタンダードの人材育成を目的としており、実質的に、教育され統制された優秀な生徒というのは、官僚に近い人格に成りがちである。

大学では、生徒から学生へ、と移行する事が要され、学生とは自由を謳歌して、自分の学歴、何を学ぶかを選択する事が出来る。だが、未成年の生徒というのは、思想や人生観の「教化」ではなく、規範や学力の「教育」が主たる目的とされている。学生が自由な個であるのに対して、量産、教育される公教育の生徒には、官僚制への準備機能がある。つまり、生徒が、その統制に対峙して、主人公となるには、まずは、教えられる、という一方的な上下関係を克服して、生徒が主体的に言論や表現を行う事が出来るようになる事である。これには、生徒会が重要なキーマンとなると思う。生徒会(記事「学校時代は中心円を思い描け」 )とは、生徒たちの代表者であり、その考えや要望を伝える、最前線に居るものである。

社会がIT化して、魅力的な情報や商品が溢れ出している。その中心にあるものは、リアルの生活の急変というものではなく、ITインフラという、サイバースペースでの革命であり、消費行動や情報伝達の習慣にある。生活を変えたものは、サイバースペースであり、そこで起こる出来事というのは、瞬時に世界に伝達される。学校での苛めといった、ネット社会上での特定の個人への攻撃や排斥、というものは、犯罪に繋がる行為なのだ。ともあれ、小中といった思春期の生徒も、スマホなどのITを使いこなし、学校内でのコミュニケーションにも利用されている。

ITは時代の需要であり、それに対する学校側の対応も、時代に付いて行く為には、止むを得ない改革の道がある。SNSで注意すべきは、邪心があったり、危険な大人に子供を近付けない事であるが、そうした、対話や交流の自由というのは、現代社会だからこそ、警戒されねばならない。だが一方で、社会活動や結党などを行う有志の大人も、地域には居り、そうした、志を持った人材を活かす事も、学校や教員は考えねばならない事である。これは、クラスの教員が、生徒らが出逢った大人との連絡、ラインやメールなどのブリッジ役となり、管理してはどうか。(記事「道徳で大人と生徒を繋げ」)個人間での交流や対話というのは、その良い絆に恵まれれば、貴重な情報源となり、大人を強くする。教員が、それを掌握して情報強者となり、モチベーションを高めるのは良い事だし、あくまで生徒が主人公であっても、より多い情報源を持っていても、その個人が主人公とは限らない。それは、ネット社会において、情報の小出しや、対話での意思疎通の現実を観れば一目瞭然である。つまり、教員は、生徒らの要望に応えて行く為にも、強度な情報源を保持しているべきなのである。

生徒会は、学校内での自治を役目としているが、思想、人生観の押し売りをする大学でもそうだが、事実上、地味な作業を積み重ねている。だが、書類作成や作文といった行為が、果たして、多数の生徒らがリスペクトするクールな仕事と言えるだろうか。これには、生徒会は、学校行事や学祭などの、堂々たる見せ場もあるが、時代に沿った改革が必要ではないか。IT社会然り、時代は、言論や表現の自由の場を求めている。無論、自由とは、社会的な行為や、国民としての権利と義務の適用内であるべきだが、クールジャパン然り、メディア全盛時代、百家争鳴なのだ。生徒会にも、情報発信や取材などのメディア活動を行う人材や部署が必要ではないか。

そして、国体やインターハイ、公式戦などの部活動を行う生徒らの輝ける時などを、取材して、録画、編集して、凝縮されたプレゼンテーション化して、SNSなどのメディアに掲載するようにしてはどうか。生徒会は、生徒代表であるが、その求心力というのは、政策力や行動範囲、草の根での人気にある。学校の花形である部活動と密接なコミュニケーションを取り、その信頼を得る事は、必ず、生徒会の知名度や支持率の上昇に繋がる。アスリートは自由人であり、その生活空間は極めて濃厚である。全体として、学校は好きでなくとも、専攻の部活動での繋がりや、仲間は大切に思う生徒も居る事だろう。ネット上での苛めなども、ネット社会における学校空間の優位性が高まり、そうした、「公」の領域に対する批評や意見が飛び交うように成れば、苛めによる反社会性というのは、恥ずかしくカッコ悪いものとして、多数者から蔑視されるようになるのではないか。

また、その生徒会のメディア部においては、書籍、映画、音楽などの批評を行い、担当者が自由な考えや趣味によって、その同志を募る、という、メディア活動も行われるべきではないか。つまり、ITと学校新聞やジャーナリズムとの融合であり、生徒らは、基礎学力を超えた、文章能力であったり、多彩な才能を活かし、目立たせ、更にステップアップするチャンスを得られるべきなのだ。そこで、試した事によって、それが白くとも赤くとも、人生経験となり、将来や職業に対する決意を固めるに至るだろう。そうした、新聞やジャーナリズムというのは、人と同じ趣味やメディアを論じても、余り反響は無い、と思う。伝統的な名作や、或いは、全くのオリジナル、その新機軸を提唱出来てこそ、文書活動というのはリスペクトされるし、密接なフォロワーが出来るものだと思う。その積極的なメディア活動は、自治会の硬質的なイメージを変えて、クールなものに押し上げるのではないか。

ピエロがお前を嘲笑う

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ネット社会には、様々な面白いドラマもあるが、好ましからざる興亡劇もある。その暴力性、異端性というのは、社会問題でもあるが、概ね、人と社会は、自由を好み、その言論は、よほど常軌を逸していても、許容される処ではある。天才ハッカー、ベンヤミンは、ハッカー集団「クレイ」の悪友たちに勧誘され、工作員として、政治集会や、政府系の機関、銀行などにサイバー攻撃を仕掛ける。学校時代における優等生だった自分に決別し、新たな個を確立して行くのである。その才能が切り開くものは、新天地である。社会からの蔑視に対して、本音を塞ぎ、己を守り、秘密のベールに包んだベンヤミンが、そのシェルターを求めたが、親密なクレイでは逆に全てがオープンになる、という矛盾がある。対する、ネット社会における匿名性というのは、ナルシシズム無くしては成り立たない。皆がどこかで新しい自分を探し求めている。

クレイは、当初は、無名のギークたちの結党に過ぎなかったが、それも、ハッカーとして、サイバー空間での戦争経験を深める事によって、自信を深めて、スター集団として成長して行く。その過程で求められるものは、ジャイアントキリングであり、無名とは、社会集団として、一国民に過ぎない、という事である。また、学歴競争における官僚機構という、巨大な家の中では、門外漢でもある。だから、そうした若者たちが、リアル社会での不満や願いを、投影し、また、実現する新たな居場所として、ネット社会に移住する、という事は、人間の感情的な自然の行為とも言える。ハッカー集団は、犯罪者にも近いが、その目的が重要であり、市井を騒がせ、愉しませ、その輪の中心に居る事だけを考えるクレイの面々は、若きに過ぎるが、清らかでもある。

最有力なハッカー集団「フレンズ」のボスであるMRXは、ハッカーのビッグネームであり、彼を超える、という野心をベンヤミンは抱くようになる。ネット社会は、シェルターともなり得るが、危険な紛争地帯にもなってしまう。弱小のクレイが、ジャイアントキリングを挑む事は、大志と共に生きる若者にとって、本能的な選択肢である。クレイが、必死に、銀行、連邦情報局などの、ハードターゲット、一般人から観た、雲の上の存在である巨人と戦っているのに対して、MRXは、功績は高いのだろうが、狭い中心円、身内での権力闘争に腐心しており、とても、ハッカー集団の大連合のボスとは言えないようにも観える。人とは、大義や人生観の達成という事よりも、同じ生活圏に居る人達との闘争に腐心する傾向があるのは、自明の事であり、MRXは態度を賢明に考え、その重みを熟慮すべきでは無かったのか。

ジャイアントキリングでの闘争、政府系統の機関などといった、公共への敵対行為というのは、犯罪者の法治に対する甘えがあると思う。映画「パブリック・エネミーズ」では、ジョニー・デップ扮するジョン・デリンジャーが、銀行ばかりを狙う義賊として、大衆の熱狂的支持を集めて、犯罪界のスターダムにあったが、政府とは、闇社会やマフィアと違って、法によって人を裁く。つまり、犯罪とは、悪い種であり、犯罪に対する償いの受刑とは、更生の為に保護される事が前提と成っている。だから、クレイの面々が、大敵だと思って戦って来た政府というのは、MRXに比して、非常に防衛的であり、徹底攻撃して殺す、という事はないのである。だから、サイバーマフィアとも結託しているMRXに、挑戦するのは、勇気が要る事だ。そして、強力な連合体ではあるが、サイバー空間とはアクセスが自由であり、ベンヤミンの提唱に対して、MRXは、組織によって守られている、とは言い難く、その下僕たちは、個々にはそれほど大した人材ではない。つまり、個として象徴としての自身に降り懸かった異論や危難を何とかせねばならないのだ。

ベンヤミンは、クレイの仲間たちを得る事によって、変わって行った。社会的にはギークというのは、変人でもあり、とても良い導き手とはなり得ないのが常識であろう。だが、人には、必要な時と場所、他者があり、放蕩の経験が、大成する為の人格形成の起爆剤になる事もある。大人が、コントロールしない事が、ネット社会の美点でもあるが、それを、MRXは大人として、苛酷に、狭量に支配して、自分の居場所を最大化して、独立国家を作り上げている。無論、ネットとは自由主義の風が吹いているから、その支配というのも、実力や威厳が伴わねば、崩壊する砂上の楼閣でもある。ネット社会では、人は資産であり、それを分け合う事、連合が争い合っている利益の中心地でなくとも、人の営みはどこでも生まれ、穏健な生命のサイクルがある。そして、事件には必ず落し処があり、そのパラダイムシフトに上手く乗れる事によって、失われた人生は取り戻されて行くのである。

畏怖すべきは言論の壁

中朝などの圧政国家では、ネット社会の統制など、言論の自由が無いが、日本においては、大学や知識人のメディアを活かし、その批評などの言論の自由は認められるべきである。

中朝は、ファイアウォールなどの言論統制を行い、そのマンパワーとは、才能や情報を活かすよりも、殺すやり方であり、とても未来に繋がるような建設的な議論はなされない。官僚主義とは、体制の維持や統制には向いているが、変動を起こす競争には向かない。サイバーテロに参加するような、圧政国家のネット要員、あるいは工作員というのは、本来、メディアや政治の第一線で活躍するような、潜在力のある人々であり、政策や提案の才能を延ばし、国家や社会環境に好影響を与えるべきである。

世界には、秘密主義があるからこそ、ウィキリークスのような機密漏洩を狙った有害サイトが存在するのである。日本では、そうしたスキャンダルは、官僚機構がサボタージュや漏洩の思惑から、起こす事にあり、国家間でのリスクレベルの機密とは、政治家が責任を持って管理、保守すべきであろう。むしろ、日本では、サイバーテロから守るべきであるような高度な機密や技術情報というのは、民間企業にあり、ITやクラウドシステムを導入していないような中小企業や、技術を有する町工場のような業者は、パトロンを必要としたり、大企業の下請けとして、生き残りを懸けて行くのであろう。

いずれにしても、優れた技術力を持っていても、マインドが腐っていれば、とても、社会的に成功する事はなく、知識のポケット、あるいは、AIに取って代わられる事となる。また、ローンウルフ型であれば、技術集団を組織化出来ていないという事だから、サイバーテロの標的にも成り易い。サイバーテロとは、中朝などでの乱用が危惧されているが、ファーウェイにあるように、民間企業として、独自の研究・開発チームを結成出来ているならば、まだ、科学研究とフェアな競争意欲がある、という事だが、それも、基礎研究をおざなりにして、ブレイクスルーとなる技術開発、他社の利益を蹂躙して、果実ばかりを取りたがる資本至上主義的な企業には、良心が欠落している、と言える。

基礎研究は、多企業が参画し易いし、普遍的な情報や技術を集積するものである。だが、サイバーテロとは、他社、他国から機密や情報を盗んでしまう、という事だけだから、そこに、フェアな競争意識も、良識も無ければ、ライバルと共存する考えも無い、という事で、サイバーテロは、今までもこれからも、常に地殻変動の中心に居座り続ける事だと思う。サイバーテロも、他のテロと同じように、奇襲やリスクを取って攻撃を仕掛ける事であるが、国境を越えた、SNSやITの新世界の構成員らしからぬ、国家主義的な思想を持っており、いずれ、ヒューミントのスパイは、サイバーテロ軍隊に取って代わられる事だろう。

在野に埋もれた賢者のような論客の意見は、重要である事は分かる。陣営や政党の利害を超えて、画期的な意見や政策の提唱が出来るのは、そうした、賢く、何も守るものが無い人々であるからだ。フェイクニュースは、権力者側から見た、メディアへの敵視、言論への統制の一つであるが、メディアでは出来ない、独自の見解や提唱を織り込んだ意見こそが、フリーランスに求められるべき事ではないか。リアルの社会では、組織的序列や地位が無い人は、門外漢とされるが、同時に、硬質化した高い地位が、立場を超えた反官僚主義的行動や果断を阻害するのである。それは、社会の秩序を守っており、リスク管理には強いが、同時に、打開策の発見や提唱を拒んでいる原因でもある。自由を守るのが、国家の正義であり、管理し合う事に対して、要人はもっと批判的になるべきではないか。

男性も化粧をするわけとは

フェミニズム運動を契機とせずとも、旧来の保守的な男女観は変容し、新たな関係性が生まれる。そのコアとなるものは、資本主義であり、男がしない、と思われて来たような文化やブームが生まれる事によって、新市場が開拓されて行く。

男性のヘアメイクは、女性が本来、美しさを飾り立てる為に、行って来た、美容を男性にも開放するものであり、その流儀は、個人的ではなく、男女同権であり、女性から倣う、という事である。街の美容室も女性が主体であったものが、男性も、より高度なサービスを求めて、男性用の理容室に比べれば高価なサービスを選ぶものだろう。男性が、美しさを気にする、というのは、それだけ、コミュニケーションに要される条件として、外面的な綺麗さが、重しと見られる様になった、という事であり、社会的に独立志向の強かった男性が、周囲とのコンセンサスを気にするようになった、という事でもある。

LGBTの人々が、増えて来た事も関係があろうが、性によって隔てられる境界が緩められ、トランスジェンダーのブームが、定着して来たのである。化粧品店は、女性が利用して、試供品を試す事、サービスを利用するものであり、男性が入ると、違和感があるし、目立ってしまい恥ずかしい。相撲の土俵のようなもので、誰が何を言おうと、性ごとの聖域とか、相応しい場所というのはあるのである。そして、男性が縄張り意識や、組織を重視する、つまり、場所に相応しい行動を選ぶのに対して、女性は、変わった行動やLGBTに対して寛容である。女性が消費社会の主役であるのと同時に、改革の受容者となるのである。

ファッションとは、愛国心や武士道の安売り、つまり、ネット右翼などの社会基盤を持たない、保守層にとって、批判の対象となって来たが、ファッションから入る、という事は、消費社会の常識であり、思想や文化を自由に分け合える事、というのは、容易に、個が社会と繋がる社会性における、重要なモチベーションとなるものだ。男女の違い、というのは、対立を生むのではなく、違うからこそ、その行動の選択しは増えて、自由を謳歌する事が出来る。腕力が強い、体力で勝るから、男性は優位に立って来たが、社会的には、男女は平等であり、ヘアメイクの男性の愛好というのは、そうした、力から、遊や美に、個人の趣向や比重が移って来た、という事でもあろう。

男性のトランスジェンダーの受容というのは、女性に対する媚びを持った人も居る、と思う。だが、それでは、女性を主体としたパワーゲームに屈する、という事であり、同性からリスペクトされる、という事は無いだろう。男性の男性らしさ、を基盤としながら、自分の美をも追求出来る事であり、それは、個としての精神的な余裕を示し、LGBTの例にあるように、ヘアメイクをする男性が女々しい、という事ではないと思う。単に、市場や習慣の変化であり、行動範囲が広く好奇心の強い男性ほど、トランスジェンダーに対して寛容だと思う。

市場とは、単にマーケットの事を指すのではなく、人が集まったり、行動する場所にも、その動機となる消費性や資本的な刺激はある。キャッシュを使わない市場である。そうした環境にあって、人が豊かさ、金だけでなく心も含めたもの、を享受するには、新奇なものに対する理解を持つ事だと思う。

保守的な思想というのは、資本主義とは異なる基盤を持って来た。欧米、アメリカなどのアングロサクソンにおいては、自由主義こそが伝統であるが、アジアや、日本の封建主義や家長制度というのは、天皇制という、日本の国体を輔弼して来た政治思想であった。皇室じたいが、妻妾を廃した皇后へのたゆまぬ愛や、家族の重視による、今上天皇のリベラルな考え方によって、一般の家庭像に限りなく近付いている。その事によって、右寄りであっても、男性は変わる事が求められている時代だと思う。どこかで、そうした革新的な思想や政策と折り合いを付けて行くかが、次世代への課題であろう。

キャプテン・マーベル

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ヒーローだけでなく、戦っている人というのは、世界中の重大な局面に居るものだ。そして、未来の為、守るべきものの為であるが、その不撓不屈を支えているのは、過去であり、歴史である。国家には歴史認識における、決して手放せないプライドがあるが、それは、人においても、苦しい時を乗り切る自我を支える、個のプライドがあるのではないか。記憶を無くした、超能力者であるキャロルは、仲間たち、上司であるヨンの命令によって、戦っているが、その目的は明確ではなく、それゆえに、彼女は揺れる。だが、迷いはさて置き、機械的に疑いの無いスーパーマンとして、戦っているさまは、紛れもなくヒーローのものである。

そして、自分の過去が明らかになり、超能力を手に入れた過程をも知る事によって、迷いは吹っ切れる。戦士を支えているものは、戦闘能力や技術だけでなく、人としての矜持であったり、自信、思想である。つまり、ヒーローの偉大たる理由というのは、誰でも手にする事の出来る、銃などの殺傷兵器や、危険な大量破壊兵器ではなく、自身の肉体を融合核とする、超然的なパワーである事である。それを扱う資格がある事、肉体的に恵まれている事が、ヒーローの条件であり、また、特権でもある。そして、その権利というのは、紛れも無き、世界の為に戦うヒーローの行動によって、裏付けられている。パワーの破壊力というのは、それが正義の為にのみ使われる事が、保証されているゆえに、全く畏怖は無く、リスペクトの対象となり、それは、人全般に及ぶのである。

そして、味方だと思っていたヨンたちが、実際には、二心を持った逆賊であり、戦う事になるが、キャロルは、能力を高める過程において、ヨンとは、立ち会った絆があり、恋愛感情に近い想いを抱いたかも知れない。だから、キャロルが、ヨンと組手をして戦う事は、自身の成長を裏付け、偉大なる勝利を得る為の、必須の経験なのである。そして、ヒーローの精鋭部隊「アベンジャーズ」結成の前日譚であるが、組織の側が、キャロルの資質を見誤り、それゆえに、彼女はかつての仲間たちと戦う事になる。ハードとして、キャロルの戦闘能力は想定内であったろうが、それを超える個の成長、つまり、ソフトパワーとは、無限であり、統制し切れないものであり、それは、戦う人の領域を拡げ、途方もない結果をもたらす。それを、奇跡的な戦果といい、個の勝利というのだ。

宇宙人スクラル人は、変身能力を持っているが、それほど危険な連中ではない。むしろ、善と思っていたもの、それを戦う人々というのは、正義を上流とみなし、悪、戦う敵を下賤と見下しがちである。つまり、善悪の構造が完成してしまうと、その暴力の応酬は止まる事はなくなり、敵を滅ぼす処まで、ズルズルと事態を引きずって行ってしまう。それは、戦いが組織的になり、国民戦争の時代、第二次大戦が最も顕著な善悪の戦いであり、破壊的な乱世の歴史である。当時の英雄は、ヒトラーやムッソリーニ、或いは、チャーチル、ルーズベルトのような政治指導者であったが、ヒーローもまた、頑なな正義を背負い、衆議に諮る事無く、正義の鉄槌を発動している。つまり、ヒーローとは、正義の原理があり、それが、万人の良心に訴えかけ、支持される事を絶対視している以上、戦争は止められない。

キャロルは、女性的な優しさのゆえか、そうした独断も、時に危険な熱情にも駆り立てられず、自分の為に戦っており、その力にブレーキを懸ける良識こそが、個としてのプライドなのである。つまり、組織の幕下に居なかった事から、ただ、見え易い敵を叩くのではなく、想定外の結果をもたらしたのは、本来、組織の主力格として、内部で働くべき主人公が、野放しになり、自由な思想や価値観に至るように、独自の成長を遂げたからである。そして、その超能力が余りに、未知であったがゆえの、劇的なドラマであろう。
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天使の分け前
天と地と
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Dolls
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楢山節考
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マミー
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