2019年09月07日 10:08
機動戦士ガンダム 第08MS小隊 1~5
戦争が無ければ、もっと運命にた易く、感情に素直に結びつく絆がある。シロー・アマダが宇宙の戦闘空域にて出逢ったのは、アイネ・サハリンという敵方のジオン兵であり、怪我をしていた事から、捕虜としてその治癒を行ったが、その事務的な作業においてさえ、潜在的に心通じる相手というのは、印象に残るものだ。つまり、彼らは恋に落ちたのであって、宇宙の廃墟にて出逢い、対話を重ねるうちに、警戒を解き、危険な宇宙空間に出て、蒼き地球を眺めるという、長年の知己のような行動を共にする。むしろ、アイネを救いに来たジオン側のMSというのは、無粋にすら感じられるも、シローの側も救援が来る事になり、この出逢いは一旦、記憶の片隅に保たれる事になる。
地球に降り立ち、シローには小隊が任される事が明らかになる。個性豊かな隊員達であり、サンダースは死神の異名を取り、かつて所属した部隊の尽くが全滅するという、札付きである。だが、それは、翻せば、サンダースが修羅場を潜り抜けた屈強な老兵であり、その失った者に対する責任感の重さから、軍隊に絶対的忠誠を誓っているという事でもある。つまり、サンダースが過去に捉われているのに対して、若いシローは未来を見据えており、また、サンダースの夢が軍隊と共にある、つまり、戦争の中から生まれ、そこでの獅子奮迅の働きを願っているの対して、シローは個としての来る平和へ夢を託している。
小隊には、三機の陸戦型ガンダムが配備されており、互いに協力し合い、作戦を遂行する事が求められる。つまり、ガンダムといっても、アムロ・レイが搭乗したような特別なMSではなく、この通常戦力としてのガンダムというのは、ガンダム神話に一石を投じるものであり、同時に、ダウンサイズを描くものである。つまり、傑出したニュータイプに牽引されるのではなく、正規兵が優秀なMSの能力を引き出す事によって、それぞれの戦局を全体として制覇して行くという事であり、三機揃っての威力を放つ小隊なのである。だから、その足並みが乱れる事は危うい事で、如何に量産型ザクであっても、ガンダム一機で生き延びられる戦況には無い、と言う事である。
だから、サンダースへの懸念というのは、彼のジンクスではなく、実戦面で三機の心が一つにならず、分裂する事である。ただでさえ、東南アジアの深い密林地帯であり、ゲリラからの奇襲を受けるという懸念があるが、それは、シローの行動によって払拭されて行く。つまり、民間人を含んだゲリラじみた現地人との遭遇であり、それは、大いなる疑念があったが、地球連邦全体への支持と交流へと発展する。地球連邦もジオンもMSという万能型の兵器を運用してるから、戦車や戦闘機といったかつての戦場の花形は、最早旧式となっている。つまり、人型のパフォーマンスというのが、複雑な戦場においては最も有利であり、MSの戦場での優位とは、人間の姿形をしている事、その能力にスポットを当てる事になり、戦場の原理は大きく変わってしまった事を示す。
なぜなら、かつてのベトナムのように、人間こそが、ゲリラの罠や奇襲の絶好の標的であったのに対して、MSとは、戦場を蹂躙する実力があり、装甲は厚く、よほど脆弱な部分を集中攻撃しないと、小火器や爆弾の罠が通用しないからである。ゲリラにすればカルチャーショックであり、戦争の様相が豹変してしまった事を悟る。それによって、地球連邦かジオンかという、いずれの陣営を支持するかという、戦争に積極参加しない平和な集団となったのである。軍人とは、いつでも国家や勢力の代表であり、その行動とは、常に監視され、また評価されるものであり、つまりは、それだけ関心を買っている実力集団だという事である。地域統治を思えば、軍隊とは畏怖されるよりも、親しまれる事によって、その作戦行動を自由にする。そして、シローはそうした外交交渉における達人であったのである。
ジオン軍のMAアプサラスは、そうした地域破壊をもたらす強力な兵器であり、ガンダムが地上にて製造された、つまり、魂として地球に生まれたのに対して、天空から投下されるアプサラスは、地球外からの力のアイコンと言えるかも知れない。つまり、地球のものには似つかわしくない破壊力と衝動を秘めているという事であり、誇張をすれば「恐怖の大王」とも言える。つまり、先端兵器とは、ジオンの侵略思考を体現しているアイコンであり、ジオンはしばしば、その軍国的精神を体現する、モンスターのようなMAが登場して、戦場を引っ掻き回すのである。密林の破壊というのは、ゲリラたる現地人の意志や共有物への完全否定にして、徹底的な破壊であり、この暴挙に対して、ゲリラは奮起するか、諦めて征服されるか、答えは出ないが、これが帝国主義ジオンのやり方なのである。
機動戦士ガンダム 第08MS小隊 6~11
地球に降り立ち、シローには小隊が任される事が明らかになる。個性豊かな隊員達であり、サンダースは死神の異名を取り、かつて所属した部隊の尽くが全滅するという、札付きである。だが、それは、翻せば、サンダースが修羅場を潜り抜けた屈強な老兵であり、その失った者に対する責任感の重さから、軍隊に絶対的忠誠を誓っているという事でもある。つまり、サンダースが過去に捉われているのに対して、若いシローは未来を見据えており、また、サンダースの夢が軍隊と共にある、つまり、戦争の中から生まれ、そこでの獅子奮迅の働きを願っているの対して、シローは個としての来る平和へ夢を託している。
小隊には、三機の陸戦型ガンダムが配備されており、互いに協力し合い、作戦を遂行する事が求められる。つまり、ガンダムといっても、アムロ・レイが搭乗したような特別なMSではなく、この通常戦力としてのガンダムというのは、ガンダム神話に一石を投じるものであり、同時に、ダウンサイズを描くものである。つまり、傑出したニュータイプに牽引されるのではなく、正規兵が優秀なMSの能力を引き出す事によって、それぞれの戦局を全体として制覇して行くという事であり、三機揃っての威力を放つ小隊なのである。だから、その足並みが乱れる事は危うい事で、如何に量産型ザクであっても、ガンダム一機で生き延びられる戦況には無い、と言う事である。
だから、サンダースへの懸念というのは、彼のジンクスではなく、実戦面で三機の心が一つにならず、分裂する事である。ただでさえ、東南アジアの深い密林地帯であり、ゲリラからの奇襲を受けるという懸念があるが、それは、シローの行動によって払拭されて行く。つまり、民間人を含んだゲリラじみた現地人との遭遇であり、それは、大いなる疑念があったが、地球連邦全体への支持と交流へと発展する。地球連邦もジオンもMSという万能型の兵器を運用してるから、戦車や戦闘機といったかつての戦場の花形は、最早旧式となっている。つまり、人型のパフォーマンスというのが、複雑な戦場においては最も有利であり、MSの戦場での優位とは、人間の姿形をしている事、その能力にスポットを当てる事になり、戦場の原理は大きく変わってしまった事を示す。
なぜなら、かつてのベトナムのように、人間こそが、ゲリラの罠や奇襲の絶好の標的であったのに対して、MSとは、戦場を蹂躙する実力があり、装甲は厚く、よほど脆弱な部分を集中攻撃しないと、小火器や爆弾の罠が通用しないからである。ゲリラにすればカルチャーショックであり、戦争の様相が豹変してしまった事を悟る。それによって、地球連邦かジオンかという、いずれの陣営を支持するかという、戦争に積極参加しない平和な集団となったのである。軍人とは、いつでも国家や勢力の代表であり、その行動とは、常に監視され、また評価されるものであり、つまりは、それだけ関心を買っている実力集団だという事である。地域統治を思えば、軍隊とは畏怖されるよりも、親しまれる事によって、その作戦行動を自由にする。そして、シローはそうした外交交渉における達人であったのである。
ジオン軍のMAアプサラスは、そうした地域破壊をもたらす強力な兵器であり、ガンダムが地上にて製造された、つまり、魂として地球に生まれたのに対して、天空から投下されるアプサラスは、地球外からの力のアイコンと言えるかも知れない。つまり、地球のものには似つかわしくない破壊力と衝動を秘めているという事であり、誇張をすれば「恐怖の大王」とも言える。つまり、先端兵器とは、ジオンの侵略思考を体現しているアイコンであり、ジオンはしばしば、その軍国的精神を体現する、モンスターのようなMAが登場して、戦場を引っ掻き回すのである。密林の破壊というのは、ゲリラたる現地人の意志や共有物への完全否定にして、徹底的な破壊であり、この暴挙に対して、ゲリラは奮起するか、諦めて征服されるか、答えは出ないが、これが帝国主義ジオンのやり方なのである。
機動戦士ガンダム 第08MS小隊 6~11