エリアス・ムバレク
2019年03月18日 20:57
ネット社会には、様々な面白いドラマもあるが、好ましからざる興亡劇もある。その暴力性、異端性というのは、社会問題でもあるが、概ね、人と社会は、自由を好み、その言論は、よほど常軌を逸していても、許容される処ではある。天才ハッカー、ベンヤミンは、ハッカー集団「クレイ」の悪友たちに勧誘され、工作員として、政治集会や、政府系の機関、銀行などにサイバー攻撃を仕掛ける。学校時代における優等生だった自分に決別し、新たな個を確立して行くのである。その才能が切り開くものは、新天地である。社会からの蔑視に対して、本音を塞ぎ、己を守り、秘密のベールに包んだベンヤミンが、そのシェルターを求めたが、親密なクレイでは逆に全てがオープンになる、という矛盾がある。対する、ネット社会における匿名性というのは、ナルシシズム無くしては成り立たない。皆がどこかで新しい自分を探し求めている。
クレイは、当初は、無名のギークたちの結党に過ぎなかったが、それも、ハッカーとして、サイバー空間での戦争経験を深める事によって、自信を深めて、スター集団として成長して行く。その過程で求められるものは、ジャイアントキリングであり、無名とは、社会集団として、一国民に過ぎない、という事である。また、学歴競争における官僚機構という、巨大な家の中では、門外漢でもある。だから、そうした若者たちが、リアル社会での不満や願いを、投影し、また、実現する新たな居場所として、ネット社会に移住する、という事は、人間の感情的な自然の行為とも言える。ハッカー集団は、犯罪者にも近いが、その目的が重要であり、市井を騒がせ、愉しませ、その輪の中心に居る事だけを考えるクレイの面々は、若きに過ぎるが、清らかでもある。
最有力なハッカー集団「フレンズ」のボスであるMRXは、ハッカーのビッグネームであり、彼を超える、という野心をベンヤミンは抱くようになる。ネット社会は、シェルターともなり得るが、危険な紛争地帯にもなってしまう。弱小のクレイが、ジャイアントキリングを挑む事は、大志と共に生きる若者にとって、本能的な選択肢である。クレイが、必死に、銀行、連邦情報局などの、ハードターゲット、一般人から観た、雲の上の存在である巨人と戦っているのに対して、MRXは、功績は高いのだろうが、狭い中心円、身内での権力闘争に腐心しており、とても、ハッカー集団の大連合のボスとは言えないようにも観える。人とは、大義や人生観の達成という事よりも、同じ生活圏に居る人達との闘争に腐心する傾向があるのは、自明の事であり、MRXは態度を賢明に考え、その重みを熟慮すべきでは無かったのか。
ジャイアントキリングでの闘争、政府系統の機関などといった、公共への敵対行為というのは、犯罪者の法治に対する甘えがあると思う。映画「パブリック・エネミーズ」では、ジョニー・デップ扮するジョン・デリンジャーが、銀行ばかりを狙う義賊として、大衆の熱狂的支持を集めて、犯罪界のスターダムにあったが、政府とは、闇社会やマフィアと違って、法によって人を裁く。つまり、犯罪とは、悪い種であり、犯罪に対する償いの受刑とは、更生の為に保護される事が前提と成っている。だから、クレイの面々が、大敵だと思って戦って来た政府というのは、MRXに比して、非常に防衛的であり、徹底攻撃して殺す、という事はないのである。だから、サイバーマフィアとも結託しているMRXに、挑戦するのは、勇気が要る事だ。そして、強力な連合体ではあるが、サイバー空間とはアクセスが自由であり、ベンヤミンの提唱に対して、MRXは、組織によって守られている、とは言い難く、その下僕たちは、個々にはそれほど大した人材ではない。つまり、個として象徴としての自身に降り懸かった異論や危難を何とかせねばならないのだ。
ベンヤミンは、クレイの仲間たちを得る事によって、変わって行った。社会的にはギークというのは、変人でもあり、とても良い導き手とはなり得ないのが常識であろう。だが、人には、必要な時と場所、他者があり、放蕩の経験が、大成する為の人格形成の起爆剤になる事もある。大人が、コントロールしない事が、ネット社会の美点でもあるが、それを、MRXは大人として、苛酷に、狭量に支配して、自分の居場所を最大化して、独立国家を作り上げている。無論、ネットとは自由主義の風が吹いているから、その支配というのも、実力や威厳が伴わねば、崩壊する砂上の楼閣でもある。ネット社会では、人は資産であり、それを分け合う事、連合が争い合っている利益の中心地でなくとも、人の営みはどこでも生まれ、穏健な生命のサイクルがある。そして、事件には必ず落し処があり、そのパラダイムシフトに上手く乗れる事によって、失われた人生は取り戻されて行くのである。
クレイは、当初は、無名のギークたちの結党に過ぎなかったが、それも、ハッカーとして、サイバー空間での戦争経験を深める事によって、自信を深めて、スター集団として成長して行く。その過程で求められるものは、ジャイアントキリングであり、無名とは、社会集団として、一国民に過ぎない、という事である。また、学歴競争における官僚機構という、巨大な家の中では、門外漢でもある。だから、そうした若者たちが、リアル社会での不満や願いを、投影し、また、実現する新たな居場所として、ネット社会に移住する、という事は、人間の感情的な自然の行為とも言える。ハッカー集団は、犯罪者にも近いが、その目的が重要であり、市井を騒がせ、愉しませ、その輪の中心に居る事だけを考えるクレイの面々は、若きに過ぎるが、清らかでもある。
最有力なハッカー集団「フレンズ」のボスであるMRXは、ハッカーのビッグネームであり、彼を超える、という野心をベンヤミンは抱くようになる。ネット社会は、シェルターともなり得るが、危険な紛争地帯にもなってしまう。弱小のクレイが、ジャイアントキリングを挑む事は、大志と共に生きる若者にとって、本能的な選択肢である。クレイが、必死に、銀行、連邦情報局などの、ハードターゲット、一般人から観た、雲の上の存在である巨人と戦っているのに対して、MRXは、功績は高いのだろうが、狭い中心円、身内での権力闘争に腐心しており、とても、ハッカー集団の大連合のボスとは言えないようにも観える。人とは、大義や人生観の達成という事よりも、同じ生活圏に居る人達との闘争に腐心する傾向があるのは、自明の事であり、MRXは態度を賢明に考え、その重みを熟慮すべきでは無かったのか。
ジャイアントキリングでの闘争、政府系統の機関などといった、公共への敵対行為というのは、犯罪者の法治に対する甘えがあると思う。映画「パブリック・エネミーズ」では、ジョニー・デップ扮するジョン・デリンジャーが、銀行ばかりを狙う義賊として、大衆の熱狂的支持を集めて、犯罪界のスターダムにあったが、政府とは、闇社会やマフィアと違って、法によって人を裁く。つまり、犯罪とは、悪い種であり、犯罪に対する償いの受刑とは、更生の為に保護される事が前提と成っている。だから、クレイの面々が、大敵だと思って戦って来た政府というのは、MRXに比して、非常に防衛的であり、徹底攻撃して殺す、という事はないのである。だから、サイバーマフィアとも結託しているMRXに、挑戦するのは、勇気が要る事だ。そして、強力な連合体ではあるが、サイバー空間とはアクセスが自由であり、ベンヤミンの提唱に対して、MRXは、組織によって守られている、とは言い難く、その下僕たちは、個々にはそれほど大した人材ではない。つまり、個として象徴としての自身に降り懸かった異論や危難を何とかせねばならないのだ。
ベンヤミンは、クレイの仲間たちを得る事によって、変わって行った。社会的にはギークというのは、変人でもあり、とても良い導き手とはなり得ないのが常識であろう。だが、人には、必要な時と場所、他者があり、放蕩の経験が、大成する為の人格形成の起爆剤になる事もある。大人が、コントロールしない事が、ネット社会の美点でもあるが、それを、MRXは大人として、苛酷に、狭量に支配して、自分の居場所を最大化して、独立国家を作り上げている。無論、ネットとは自由主義の風が吹いているから、その支配というのも、実力や威厳が伴わねば、崩壊する砂上の楼閣でもある。ネット社会では、人は資産であり、それを分け合う事、連合が争い合っている利益の中心地でなくとも、人の営みはどこでも生まれ、穏健な生命のサイクルがある。そして、事件には必ず落し処があり、そのパラダイムシフトに上手く乗れる事によって、失われた人生は取り戻されて行くのである。