奇跡のリンゴ

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自然から学び、賢者の果実を得る。

1975年、秋則(阿部サダヲ)は青森県弘前市で妻の美栄子(菅野美穂)と共にリンゴを栽培していた。彼は、年に十数回にわたり散布する農薬が原因で皮膚に異常をきたしてしまい、寝込むこともある妻の体を心配して無農薬でリンゴを育てることを心に誓う。だが、農薬を使わないリンゴ栽培はその当時「神の領域」ともいわれ、実現するのは絶対無理だと思われており……。(シネマトゥデイ)

 人と違う事をするのは、非常識とも映るが、それは偉大な事である。リンゴ栽培で無農薬という困難な方法に挑戦したのは、妻の身を慮っての事であり、秋則の全ては、家族の為により良い食を求めるという原点にある。どんな困難があっても原点に立つ事は、変化に対しては、不寛容になりがちであり、秋則が視点を変えて、リンゴを自然環境に回帰させて、新たな農法を開発するまで、そして、実を結ぶまでは気の遠くなる闘いがある。それは、地域における異端者としての誹りを受ける、孤独な闘いであり、地域とは、彼ら家族にとっては 、住民との共生を強いるものでもある。だが、一方で、地域に助けられている事もあり、地域からの排除とは、一端は、非常識に身を委ねる者が通らねばならない「試練」なのであろう。

異端者としての扱いを受けた上で、その中で闘うという事は、 あらゆる敵意を受け止める聖人としての振舞いを義務付けられる。人は、ルサンチマンを抱え、その中で、倒すべき相手や競争の目的を設定し、 ゴールを目指す。だが、弱い立場である異端者とは、孤立するがゆえに、ルサンチマンを露わにして、敵意をむき出しにすれば、却って、懲罰として排除される事があるのだ。だから、ルサンチマンを抱えない闘いというのは、予想以上に厳しく、忍耐を強いられるものなのである。それはむしろ、自然の環境へとリンゴ農園を回帰させる上では、QOLを改善して、環境を管理する神の手による、画期的な農法がある。大いなる試練が課される時には、それに見合った人間、聖人になって行く事が、唯一の成功の道なのだ。

 自然のままに自生する胡桃の木を観て、逆転の発想に至る秋則は、自然をリスペクトしてその中の一個人である事に誇りを持っている。あるがままに生かされている事、それは人間も同じであり、リンゴ栽培にそれを活かす事は、多大な苦労と試練を持って、必然だったと思うに至る。だが、不条理な試練であっても、それを欲して、寵愛できる事は、奇しくも成功の条件となるのだ。一度は、絶望しかけた秋則は、農と生が融合した自身の人生を振り返り、地に根差した仕事が無ければ、生きて行けない事を悟る。地域主義とは、序列を混沌とさせて、不満や嫉妬を均等化させるが、仕事を持たない者や弱きものに対しては、厳しい態度を持つ事がある。だが、奇行とも映る無農薬農法への挑戦は、一個の自我を強めて、生活の為の仕事を、プライドへと昇華させたのである。

 仕事に対するプライドとは、それが社会から求められており、強い需要があれば、仕事人の意志と技術力は共生するものである。コロンブスの卵という陳腐な言葉もあるが、最初に発明を作った事は、開拓者として最大限尊重されるべき事なのだ。

リアル~完全なる首長竜の日~

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閉鎖されたアジールが、凶暴な本能を育てる。

自殺未遂が原因で1年も眠り続ける幼なじみである恋人・淳美(綾瀬はるか)を救い出すため、浩市(佐藤健)は昏睡(こんすい)状態の患者と意思の疎通が可能となる先端医療・センシングを受けることに。センシングを繰り返し淳美の潜在意識に接触していくうちに、浩市は不思議な光景を見始めることになる。現実と仮想の境界が崩壊していく中、浩市は淳美と幼少時代を過ごした島へと足を運ぶ。(シネマトゥデイ)

 昏睡状態で、長き眠りについている淳美であるが、それと対話するには、研究所の科学者が設計したセンシングによって、無意識状態に陥る、夢の中で会うしかなかった。センシングの世界では、淳美の意識内であり、その脳内の力量が、完璧な幻想を形作り、彼女は、自作の漫画「ルーミィ」に暴力や凶暴なゾンビを描く事によって、外部者から、自己を防衛している。つまり、彼女の精神というアジールとは、凶暴さの温床であり、それは、外部の世界に対して閉ざされた空間を作る事によって、外から自身を守る事であるのだ。そして、センシングによって、浩市は、淳美が如何に暴力を秘めた世界観を作っているかを知り、その影響下に自身を置く。最大の理解者にして、恋人としての自負すら持っていた浩市は愕然とする。

 つまり、世界の出来事とは、夢の中であってこそ、自分達の希望を映す鏡であって欲しいと考えるのは当然であり、幻想が持つ麻薬のような魅力は、浩市の心を捉えて止まないのである。淳美は、強固な城壁の中に住まい、不死者の兵隊を抱えながら、その本心は、孤独と不安に苛まれ、深く傷付いている。なぜなら、自殺を試みた時から、彼女の昏睡状態は始まっているからであり、そのリアルから逃れる為に、彼女は麻薬の毒素を強めて、異形の世界を構築するのである。つまり、淳美の精神世界では、互いに自己と敵との闘いが起きており、それは主に、自己の葛藤による混乱があるのだ。それは、過去にも及ぶものとなり、自殺した履歴としての過去の時間を、2人に清算させ、事件を未然に防ぐように「未来の行動」を強いる。

 つまり、過去は変えられないものである限り、淳美の過去への逆行は、無意味であり、その心の城壁も無力だという事になる。過去などは振り返るものではない。それは、個人を形成しているものであり、結果ではあるが、個人には世界のメインプレイヤーになるチャンスが与えられているからだ。世界が創造的であればあるほどに、そのチャンスは深みを見せる。だが、権力とは、人間の生からすれば、無為に過ぎない。リアルとは、逆転と奇跡の連続の彼方にあるからだ。浩市と淳美との対話には、物語世界の背景にある、深淵な嘘とリアルが交錯している。そのトリックは、単純だが、物語へのマンネリズムを鮮やかに裏切るものとなっている。精神世界というアジールでは、若いカップルは極限化され、アダムとイブに成り得るが、それゆえに、アジールを侵す不協和音に対しては、許せないという気持ちになり、強い憎悪と怒りを発し得るのだ。

 科学によって、センシングは浩市と淳美が対話する、唯一の絆の拠り所を提供している。だが、本当の助けとは、如何に優れた大人達によってすら、与える事は出来ないのである。至高の助けとは、唯一の恋人が生むものなのではないか。

ドラゴン・ブレイド

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いつかまた会おうと、戦友と交わした約束の杯。

前漢時代、中国シルクロード国境近辺では36もの部族がそれぞれ覇権争いを繰り広げていた。西域警備隊隊長フォ・アン(ジャッキー・チェン)は久々に教師の妻(ミカ・ウォン)の元に戻ったものの、金貨密輸の濡れ衣を着せられてしまう。そして、彼が部下と共に雁門関に流されてから数日後、ルシウス(ジョン・キューザック)率いるローマ帝国軍が現れる。(シネマトゥデイ)

流浪のローマ軍が、シルクロードを通って、漢の領土にたどり着いたという、異説の出来事を、瑞々しい脚色で飾り立てた物語である。軍隊とは、戦争をするための集団であり、それ対する国防の備えは、当然無ければ、敵国に蹂躙されるままに許す事になる。そして、戦争の精神とは、実際には個人の冒険心であったり、フロンティアとして他国の領土、あるいはシルクロードのような経済地区を横断出来たのは、シルクロードが行商にとっての自由な空間であり、また、砂漠のハイウェイであり、軍隊の横断を遮る存在が無かったがゆえであろう。つまり、フロンティアとは戦争を起こす、国家の軍隊に加えて、在野の盗賊や武装集団の介入を予期せねばならないのである。漢では、武帝の治世によって、遊牧帝国を築いてシルクロードを支配した匈奴を攻撃し、その弱体化に成功している。だから、フォ・アンは、漢の西域司令官であり、国境警備というルーティンの最中に、奇跡的にローマ軍に遭遇したことになる。

 だが、漢帝国の将軍にして、フォ・アンは驚くほど、民政家であり、高潔な将軍の精神は、愛民の心に繋がっている。かつては敵であった冷月という妻にも恵まれている。西域には多彩な部族が割拠している。だから、それを尽く武力によって支配するのではなく、割拠を基本として、友好関係を結び、互いを守り合う事は、漢を大いに利する事になる。つまり、フォ・アンは、信頼を持って威徳を施し、部族を見下さず、共闘体制を築いているのである。それは、後々、フォ・アンを佑る事になる。異民族に畏れられるよりも、威徳を感じさせた方が良い。それは、長期的に、シルクロードの恩恵とは、沿路に割拠する中小の部族国家の繁栄と資源を分け合う事から、得られるものであり、中国だけでは、ローマはシルクロードの覇権に対してたいした関心を持たない。だから、漢だけを相手にせず、とは、正しい戦争の運び方だと言う事が出来よう。

 ローマという大国の尖兵が遥か東方にまでやって来た事は、西域を守護するフォ・アンに懸念を抱かせた。だが、将軍ルシウスとは、一戦を交えた後に友情を結ぶことになり、そのライバルとして、同じく東方に現れたティベリウスとの闘いに、参加す事になる。旗下の兵隊のみならず、人民と部族からすら愛されるフォ・アンに対して、ティベリウスは、弟を毒殺する陰謀家であり、偉大な父クラッススの威徳にも関わらず、母国からは追われる身にやつしている。罪を犯したり、政変によって命の危険に陥った将軍というのは、しばしば、辺境に出征し、そのまま駐屯して、割拠して、軍団を堅持する、という事はよくあるが、中国にまでやって来たティベリウスには、母国でないがゆえに、侵略者として、漢からも迎撃される運命にあるのだ。フォ・アンという最高の将軍と、親類にまで劇毒を及ぼす最悪のティベリウスという、二極の対決は象徴として、鮮烈なイメージがある。

 異郷の地にあって、彼方のローマからやって来たものは、戦友であり、また、政敵でもあった。それは、漢に波乱をもたらすが、それら追われる人間がやって来るものに対して、フロンティアは寛容である。数多くの機縁に恵まれた自由と繁栄の地においては、波乱によって戦地への混迷も起こりえるのだ。それは競争による自由と繁栄の地の宿命でもある。
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