October 18, 2019

2019年10月31日  狭山事件 石川一雄さん10・31メッセージ

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◇2019年10月31日  狭山事件 石川一雄さん10・31メッセージ

寺尾不当判決45か年糾弾集会に決起して下さった全ての皆さんに感謝の
一文をお届けいたします。

現在、検察側は下山第2鑑定に対し、反証を出すといいながら、反論も
反証も出さないで、一年以上がたちました。当然にも検察は下山鑑定に
対して、これまでに反論反証を出すためにあらゆる手段を駆使し、努力
をしてきたと思われますが、検察の思い通りの結果が出ず、このままでは
被害者のものとされた発見万年筆は偽物(捏造)の烙印を押されてしまい
かねないことを恐れ、出せないのではないかと、私自身は思っています。
下山第一鑑定の時も、検察側の鑑定人の名前を公表しない、できないと
いうお粗末なものでありました。そもそも万年筆に関しては、発見経過も
含めて当初からいわくつきであったわけです。事件発生当時、発見万年筆
のインクや、被害者が使っていたインク瓶のインクなどを検査した検察側
の鑑定人である、荏原・科学警察研究所技官が発見万年筆のインクは、被
害者が使用していたインクと異なることを指摘していたにも拘わらず、検
察官は、インク補充説を唱えました。寺尾判決はインクの違いを無視して
万年筆発見を有罪の根拠にし、その後の裁判所はインクの違いを別インク
補充の可能性でごまかしてきた訳です。

下山第一、第二鑑定は、発見万年筆には、被害者が使用していたインクが
入っていないことを科学的に指摘して、被害者の物ではないことを看破し、
またコンピューターによる筆跡鑑定をした福江報告書は、脅迫状の筆跡は
99.9パーセント以上の識別精度で、私が書いたものではないことを満天下
に明らかにしたのです。

これらの鑑定結果は、科学的な鑑定結果であり、普遍的なものということ
であり、決して揺らぐことはなく、検察にとって、もはや覆すことは困難
であると思われます。

証拠開示で明らかになった資料をもとに科学的、客観的な新証拠が多数提
出されているこの第3次再審請求で、なんとしても証人尋問、鑑定人尋問を
させることが最重要な闘いであり、再審開始へのカギとなりましょう。

何れにせよ、さほど遠くない日に判断されると思われますが、私も心を引
き締め、全力で闘って参る所存ですので、どうか皆さんも此の第三次裁判
以外にないと思う私の意を汲んで頂き、最大限のご協力下さいますよう、
衷心よりお願い申し上げます。お願いばかりさせて頂きましたことをお許
しいただき、失礼させて頂きます。

今日は本当にありがとうございました。

2019年10月31日

寺尾不当判決45ヵ年糾弾・再審要求集会参加者ご一同様



                           石川 一雄

冤罪狭山事件HP http://www.sayama-jiken.com/



higurashi at 17:11|PermalinkComments(0) 2019(令和元)年 

September 02, 2019

1963(昭和38)年9月30日・第一審第二回公判

第一審第二回公判

 脅迫状発見の経緯

<検察官尋問>




中田健治供述 
 一)帰って部屋に入って、
すぐ食事をしたとおっしゃいましたが、
食事を始めてからどうなりましたか。
    食事をしながら僕は
こういうふうに言ったわけです。
一度、善枝が、入間川に友達が
あるもんですからそこへそこへ
養老院を慰問した時に、
一晩だけ泊ったことがあるんです。
台風にあいまして、ですから、
そこへでもまた泊ったのかなと
いうことを口にしただけで、
すぐ食事についたわけです。
別に他に善枝について特別に
話したということもありません。
ただ、その言葉だけだったと
僕は記憶しております。







 
二)食事をして、それからどうなりましたか。
    食事をして、僕が何の気なしに、
ちょっと自分の入ってきた入口を見ると、
そこに脅迫状があったわけなんです。
白い封筒があったわけなんです。
 三)あなたが食事をする時には、
どの位置でされたんですか。
上にあがられたのですか。
あるいは、下か。
    下のままです。土間で、
木のいすがあるのですが、
そこへかけまして。








 四)土間に掛けて、
どちら側を向くわけですか。
    南西ですか。南西に向いて
左手の方を入口にして
食事についたわけです。
 五)脅迫状を発見した時には、
食事は終わってたんですか。
食事中なんですか。
    みなさんは食事中でした。
僕はちょうど終わった時でした。
 六)最初はそれを発見して、
どういうふうに見たんですか。
脅迫状とすぐ
わからなかったわけですね。








    ええ、それは
わからなかったんだけど、
武志は僕の一番小さい弟なんですが、
それが特に、僕たちがかまったり
するもんですから、
それがわるさでもしたわけなんかなと
思ってたわけです。
意地悪でもしたのかなと思って、
武志、またわるさでもしたのかなと、
ひょっとその時、何の気なしに思いまして、
武志、取ってみろというわけで、
武志に取らせて、見たら中に
大学ノートですか、それにはさまれて
身分証明書もあって、
脅迫状だったわけなんです。






 七)あなたが善枝さんを捜しに
行かれまして帰ってこられた時に、
あなたのお宅におられたのは
何人ですか。
    父に、それから登美恵に、
喜代治に、それから武志、
四人ですね。
八)みなさんご一緒にお食事を
なさったわけですか。
    そうです。
ほとんど一緒ぐらいだったと
記憶しております。
 いや、あのとき登美恵はまだ、
天ぷらをあげておりまして、
ちょっと遅れて
食事についたようです。








 九)みなさん、あなたと同じように
土間にあるいすに向って
おすわりになっていらっしゃったんですか。
    いえ、土間で食事についたのは
僕だけだったと記憶しております。
それから、父に武志に喜代治は
上に上がっておりました。
 十)そうすると、あなたとは
向かい合うような形ですか。
    そうです。
 十一)みなさん、
うどんをおあがりになったんですか。
     そうです。






higurashi at 16:04|PermalinkComments(0) 1963(昭和38)年