January 07, 2020

狭山事件 石川一雄氏の2020新年メッセージ

狭山事件 石川一雄氏の2020新年メッセージ

◇新年メッセージ

昨年も、支援、要請のお願いに目一杯活動してきましたが、私の願いも
空しく、再審開始の前提である証人調べに入る目処が明らかにならない
まま新年を迎えてしまい残念無念でなりません。

結局検察側の言う通り次回の三者協議までインクを探すということに
なってしまった訳でしたが、裁判官は検察の引き延ばし理由において、
道理に反していると思いつつも、検察官の主張を認めたのではないか、
と思われます。

弁護団に反証の目処を追及され、検察官は当時のジェットブルーインク
を入手するまで待ってほしいと言っているそうですが、国家権力の力か
らみれば、事件当時、被害者が使っていたインクが見つけられない筈が
ありません。そもそも、下山第2鑑定の結論を検証するために、被害者
が使っていたインクを探す必要はないと思います。恐らく下山第2鑑定
に対して、すでにあらゆる角度から実験、鑑定を試みたと思われます。
しかし、自分たちの思い描く結果が得られず、さりとて、このまま、
下山鑑定を認めるわけにはいかないので、時間稼ぎをしながら、いかに
難癖をつけられるか検討しているのではないかと、私自身は推測してい
ます。下山第1鑑定の時も、鑑定人の名前を公表しなかった、できなか
ったように、今回もそのようなこともあるかもしれません。

元より、弁護団は、反証があれば、徹底的に再反証するでしょうが、
有罪証拠の根拠となった「発見万年筆」は、下山博士の、蛍光X線分析
検査で、科学的、客観的に「偽物」である事を明らかにしたのです。
弁護団も、下山鑑定を覆すことはできないとの確証の上に立って、裁判
所に、正々堂々と鑑定人の尋問を強く求め、また、裁判所に職権で鑑定
を求めていくのではないかと思われます。

支援者皆さんもご承知の様に、被害者が事件当日に書いたペン習字の
浄書のインクからは、クロム元素が含まれていたのに対し、私の家から
発見されたという万年筆で書いた数字のインクからはクロム元素が含ま
れていなかったことを下山鑑定人が明確に指摘したのです。この鑑定は、
弁護団が証拠開示を求め、2016年10月に、当時、発見万年筆で書いた
「数字」を含む調書が証拠開示されたことから実現しました。実に53年
も検察に隠されていた証拠なのです。前記のような検察官の再審妨害活
動を制限し、再審における証拠開示を義務化する法改正が必要だと痛感
します。


弁護団の方針は飽く迄も事実調べ、再審開始を実現させることが前提で
あり、私自身も裁判官が誰に代わろうとも焦らず、今後も無実の証拠を
突き付けて闘って参る所存であります。
 皆さんにも大変ご心配、ご迷惑をおかけして申し訳なく思いますが、
どうか昨年同様にご協力下さいますよう心からお願い申し上げます。
 尚、全国の支援者皆様から私の体調面に対し、大変ご心配をおかけし
ておりますが、目、耳が若干悪いこと以外は盤石であり、この第3次
再審で再審実現を目指し、全力で闘って参る所存です。

  権力の犯罪暴いた万年筆 許せぬ怒りは法廷の場で

 2020年1月1日

狭山支援者ご一同様
                            石川 一雄

冤罪狭山事件HP http://www.sayama-jiken.com/

higurashi at 19:13|PermalinkComments(0) 2020(令和2)年 

December 12, 2019

1963(昭和38)年9月4日狭山事件一審開始。石川一雄さんが虚偽自白を維持し続けた第一審公判の記録

1963(昭和38)年9月4日

 [[狭山事件]]で、[[浦和地方裁判所]]にて、[[第一審]]が始まる。
 石川一雄さんは起訴事実を認める。
*(裁判は、[[石川一雄]]さんが、[[第一回公判]]において「事実はいずれもそのとおり間違いありません」と延べたあとも最後まで「[[自白]]」を維持し続けたのに対し、[[弁護士]]・家族が法廷で無実を主張し、[[捜査]]の[[違法性]]を鋭く争う、という異例の特徴をもっていた)。

*(内田裁判長は証人・証拠調べ請求をすべて却下。六ヶ月のスピード審理で「死刑判決を下した。判決内容も、生い立ち、生活環境などを犯行原因とする、部落差別に基づく差別判決であった。石川一雄さんは、一審中、「一〇年で出してやる」という警察の言葉を信じ続けていた。)

*(中田弁護人が、石川一雄さんが裁判所に来て、看守に囲まれて下を向いており、殆ど裁判の進行に関心を示さなかったと供述している点について、石川さんは控訴審第一四回公判で、浦和刑務所教育部長の安藤義祐などに、「数を数えておれば良い」と教えられたと供述している。)








公判証人
人定質問
被告人
訴訟状に対する陳述
第一回公判
1963(昭和38)年9月4日
  「事実はいずれもその通り間違いありません」
「現場検証には立ち会いたくありません」
第二回公判中田健治、塚本昌三、佐野良二、増田秀雄、山下了一裁判長、被告人に反対尋問を促すが、被告人“別にない”と答弁。
健治、山下に対して、反対尋問行なわず。
第三回公判関口邦明、飯野源治、橋本喜一郎、鈴木要之助、新井千吉、大野喜平被告人反対尋問行なわれず。
新井の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第四回公判野本定雄、福島英次、星野正彦、阿部孟朗、五十嵐勝爾、高橋乙彦、長野勝弘、岸田政司、関根政一、吉田一雄被告人反対尋問行なわれず。
五十嵐、高橋、長野の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第五回公判 小島朝政、佐藤祐一、須田ギン、石田一義、宮岡貞男、内田幸吉、伊藤操、清水利一、関源三被告人反対尋問行なわれず。
石田、宮岡、内田、伊藤の際、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第六回公判 今泉久之助、三沢弘、大沢徳太郎、吉沢栄、山下宣子、中根敏子、宇賀神敏枝、西川正雄、水村成子、村松定夫、渡辺俘 水村を除いて被告人反対尋問行なわず。
山下、中根、宇賀神、西川、村松、渡辺の際、裁判長、被告人に促すが“別にない”旨答弁。
第七回公判 中田健治、中田登美恵裁判長、反対尋問を促すが“別にない”旨答弁
第八回公判中田栄作被告人、反対尋問を行なわず。
第九回公判石川リイ、石川富蔵被告人、反対尋問を行なわず。
第一〇回公判石川茂、関源三 被告人、反対尋問を行なわず。
第一一回公判
1964(昭和39)年2月10日
原正検事、死刑を求刑。最終陳述
被告人「言いたいことは別にありません」
 1964(昭和39)年3月11日
第一審浦和地裁の内田武文裁判長、求刑通り死刑判決を言い渡す。
1964(昭和39)年3月12日
石川一雄、控訴する。


東京高等裁判所第4刑事部. 河合健司裁判長は、
東京高検公判部長・園部典生検事に対し
証拠隠しを許さず 開示するよう勧告を行ってください。
証拠リストを開示するよう勧告してください。
全証拠を保全し 弁護団へ開示するよう勧告してください







*東京高裁前連続アピール行動
 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
8:30〜10:00、11:50〜13:00
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*ドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』完成!!
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「冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決文は「判例タイムズ」に掲載されました。読みこなすには大変なエネルギーの要る分量です。研究者の方はどうぞ。」へのリツイートをよろしければお願いします

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higurashi at 23:40|PermalinkComments(0) 1963(昭和38)年