1963(昭和38)年9月4日狭山事件一審開始。石川一雄さんが虚偽自白を維持し続けた第一審公判の記録1963(昭和38)年8月3日

July 08, 2019

1963(昭和38)年7月10日

1963(昭和38)年7月10日
 [[狭山事件]]で、[[石川一雄]][[起訴]]を受け、[[捜査本部]]を[[解散]]する。


亀井トム著『狭山事件 無罪の新事実』(1977)より抜粋

  ここで正直にありのまま(犯人取り逃がしの)失態を失態として公表したら、事件は今日のような「差別に基づく複雑で悪質な権力犯罪の集大成」とはならずにちがった展開をとっており、真犯人はもっと早くシッポを出していたかもしれない。そして真犯人に弱点をつかまれ、部落の人々への疑惑を煽られて、部落青年のいけにえによる解決という非道極悪な差別犯罪、権力犯罪へと堕ちてゆくことも、さらに連続変死事件の発生と、それらすべて「自殺」で処理するという警察のつくった無警察状態の出現はくいとめられたかも知れない。
 

 しかし権力機構が威厳を保ち、官僚世界が面目と体面をよそおうとする傾向や不始末の責任の波及をくいとめようとする構造的体質をもっていることは否定しえないし、中央、地方の上層のエリート官僚にとっては出世栄達のため下僚や人民の弱い部分を犠牲にして、場合によっては欺瞞や作為や権力犯罪を敢えて行なっても権力の威信や機構の安定をはかり、個々の官僚の保身、栄達をはかることは、官僚社会にはいたるところにみられる現象であり傾向でさえある。
 
 しかもたまたま村越吉展事件で誘拐事件が社会の表面におどり出し、社会不安を煽るばかりでなく、これが流行し政治化すると上層官僚、政治家、財閥、皇族の子弟に及ぶことは必然で、上層、支配層にとって大きな政治的、心理的危機を育てるのである。そのため吉展ちゃん事件で犯人を包囲しながら母親のもって行った五十万円をまんまとせしめられた失敗を再びくり返すなという訓戒は警察界に行きわたっていたのであり、各県の警察首脳が誘拐事件に敏感でないことは微塵もなく、誘拐事件の知らせには首脳部はとびあがっておどろく心理状態であったのである。
 

 しかもその時、狭山での一日の張込みは、みじめな、わらうべき失態を演じたのである。善枝はその結果殺される可能性は多い。そのまま発表したら上司、マスコミ、世間の批難と嘲笑が殺到することは目にみえていた。ここから上でふれたような警察官僚の事件の偽装と嘘発表への作業が始まったのである。・・・こうしてまんまと上層部とマスコミと世間をだまし、裁判が始まってからは弁護人と傍聴者をだまし、事件の自然的展開を作為的展開にすりかえたのである(他方真犯人の方は逆に事件の作為的展開が自然的展開らしくなったのであるが、これは別の個所でふれる)。
 



*『狭山事件 無罪の新事実』(亀井トム/三一書房//1977-7-31)より



 石川起訴後は片方の弱点が明らかになれば両方が破滅となる運命共同体になるという羽目にいたった。そのため事件関係者のうち権力犯罪人と真犯人の真相を知る人たちの連続変死事件、連続行方不明事件、さらに最近判明した記憶喪失疾患者続出という稀代の副産物が起訴以前から一、二審の裁判中に生まれており、今日でもその後遺症は続いているのである。




 被害者家族中田家が世の常の普通の家庭であったなら、警察の一部幹部のああいう演出(二日の張込み)に協力しないで、きっぱり拒否しただろうし、警察の一部幹部も二回目の張込みを断念したろう。また中田家族は一日、二日にとられた供述調書を後になってつくり変えることなどに応じなかったであろう。




 さらに石川自身、起訴、公判になると善枝のものでないカバン、万年筆、腕時計を善枝のものだと偽証したり、自転車のゴム紐、ビニールふろしき、封筒のちぎれた紙片の偽証を重ねて、権力の部落青年の極悪ないけにえ工作の片棒かつぎをしなかったであろう




 今日、当時表向きに狭山事件捜査と取調べに関係した警察官は、二、三を残して殆ど退官しているが、司法上層と一部末端機構、そして、緊密に連絡をとっている一部退官者は、事件の「真相の真相」の発覚を懸命に防衛しようとしており、支援運動側の裏面調査に対して予防的デマと妨害、支援運動の情報集め、関係者の威嚇とデマあるいは情実による口封じにつとめており、




上記の三つの型の不祥事の連続発生による真相隠しのほころびをこまかくつくろっている実情で、いずれその真相の全面ばくろも多くの調査活動家、良心的マスコミによってなされるであろう。彼らのデマの中心は狭山裁判批判は一部の極左勢力の破壊活動とか、一部の革新勢力による司法警察の正当な捜査を裁判に対する政治的反対運動であるかの如く印象づけ、




それに部落問題に対する偏見を結び付け、うっかり話したり、証人になったりすると大変な迷惑やわずらわしさに見舞われるようなことをいい、裁判と人民、支援運動と市民をきりはなし、権力犯罪者と真犯人を守ろうとしているのである。






higurashi at 18:06│Comments(0) 1963(昭和38)年 

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1963(昭和38)年9月4日狭山事件一審開始。石川一雄さんが虚偽自白を維持し続けた第一審公判の記録1963(昭和38)年8月3日