2013(平成25)年10月18日冤罪・田園調布資産家殺人事件で最高裁第三小法廷は判断とはいえない判断によって特別抗告棄却10.31<狭山事件>寺尾東京高裁裁判長無期懲役判決39か年 きゅうだん

October 28, 2013

10.31狭山事件寺尾差別判決きゅうだん



狭山裁判 上 野間宏 頁四四七〜四四八より


部落問題を理解することなくして、この裁判を
進めてきた、第一審、原審の裁判官は、この
裁判を行う資格を欠いていたというべきだろう。
これらの裁判官は憲法第一四条も十分に読み
とってはいなかった。部落問題を理解すること
なくして、憲法第一四条がそのもっとも深い
内容を担って実現するその「差別されない」と
いう言葉の包みこんでいる意味を理解する
ことは出来ない。・・・
最高裁判所第二小法廷の裁判官もまた、この点に
おいて、第一審、原審の裁判官とまったく変わる
ことがない。


このように言ってもこの私の言うところについて、
これらの裁判官がただちに受け入れるなどという
ことは、考えられない。
私は、部落問題の何たるかをここで、まだ解明する
ことをしていないし、さらにまた、この文章の中で
それをするなどということは出来ないからである。
とはいえ、これらの裁判官たちも、やがて、私の
言うところに、真があるということに思いあたる
時が、必ず訪れるということを私は考えている。
そのとき、これらの裁判官は、もちろん、各自の
根底からの自身のあやまりに気づいて、自分自身に
ふるえおののくだろう。
そして差別的審理と判決の責任の重大なことを
考えつくす、その入り口のところに立つほか
ないのである。・・・

狭山裁判 上 頁四五三より


寺尾裁判長は、青木英五郎弁護人に島崎藤村の
『破壊』を読んでいることを語っているが、この
藤村のすぐれた作品、部落民である瀬川丑松を
主人公にした作品も、まことの被差別部落に生を
うけたものの心と肉体を欠いているのであって、
『破壊』を読んで、被差別部落に生まれ、部落
差別を受けてきたもののすべてを、とらえている
との判断に立っているとすれば、それは、
まことに誤りというべきものである。




昭和四六年一一月一一日 二審第五五回公判調書


昭和四一年四月一四日 二審第一五回公判


昭和四六年一一月九日 二審第五四回公判




狭山裁判 中 野間宏 頁一二九二より


(寺尾裁判長が判決で一言も触れなかった
戸谷鑑定人提出の筆跡鑑定については)
似ている、違っているなどという余りにも
主観的すぎる鑑定方法によって、すぐにも
犯人と決定されるような従来の筆跡鑑定
方法に代わる、精密にして誤ること少ない、
筆跡鑑定は如何なるものか考えつくそうとし、
その鑑定方法作成に全力を傾けている
戸谷鑑定人の苦闘の跡を 私は出来る限り、
解りやすく伝えることにより、日本の犯罪
捜査と裁判制度を、人権にふさわしい
ものにし、冤罪を一切なくすために生命を
削っている方々の努力によって日本の裁判は
必ずよくなるとの希望が多くの人々のもとに
生まれることを願いながら 書いたのである。




狭山裁判 下 野間宏 頁一三九七 より


裁判所は・・・世論はすぐには動きはしない
だろうと判断したとするならば、それは世論
なるものを余りにも、ないがしろにしている
と言ってよいのであって、(小名木証言は)
非常に有力な、それ以前の異議申立棄却決定、
再審請求棄却決定、上告棄却決定、二審の
確定判決いずれをも、破り去る力をもって
いるのである。・・・
本事件の捜査担当の司法警察員、検察官、
また本事件について「罪となるべき事実」を、
もっぱら石川一雄申立人の「自供」のみに
基づいて、作成した検察庁、さらにまた
同じくただただこの検察庁検察官の作成した
「罪となるべき事実」に拠って行った
論告求刑を採用してきた地方裁判所、
高等裁判所、最高裁判所に於ける「公判」、
「審議」を重ねての判決決定の、誤りに
誤りを重ねるものであることを 白昼の光の
ただなかにひきだしているということが
できるのである。



狭山裁判 中 野間宏 頁八七九より


証拠開示をいつまでもすることのない
東京高等検察庁は・・・これをこの問題に
強い関心を持っている人々
の前に提出し、
その人々の意見もまた素直に受け入れ、
裁判は決して被告人、裁判官、検察官、
弁護人だけのものではなく、日本国民
大衆のものでなければならないという
意味を、その胸中深くに収めて、
狭山裁判の新しい出直しがすでに来ている
こと、はじまっていることを銘記すべきで
ある。・・・
もともと証拠は非常に重大であって、
これを一つでも欠くことがあっては公正な
真実追求の裁判はすすめられないのである。
・・・

これがいかに大切であるかを考えて
こなかった東京高等検察庁に対して、私は、
心のない検察庁という言葉を提出しなければ
ならない。
法というものを考える場合に、一つ一つの
法を支えている憲法は、決して心がないと
いうようなものではない。それは基本的人権
という、少し武ばった言葉になってしまうが、
一人一人の人間を大切にしようという深い
心がそこに集めよせられているのである。
私はこのことを裁判にかかわる人々が、もう
一度その心中に呼びだし、法を生きた心の
あるものとしてもらいたいと願うのである。



higurashi at 19:25│Comments(0) 2013(平成25)年 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
2013(平成25)年10月18日冤罪・田園調布資産家殺人事件で最高裁第三小法廷は判断とはいえない判断によって特別抗告棄却10.31<狭山事件>寺尾東京高裁裁判長無期懲役判決39か年 きゅうだん