1963(昭和38)年8月3日1963(昭和38)年7月10日

July 08, 2019

1963(昭和38)年9月4日狭山事件一審開始。石川一雄さんが虚偽自白を維持し続けた第一審公判の記録

1963(昭和38)年9月4日

 [[狭山事件]]で、[[浦和地方裁判所]]にて、[[第一審]]が始まる。
 石川一雄さんは起訴事実を認める。
*(裁判は、[[石川一雄]]さんが、[[第一回公判]]において「事実はいずれもそのとおり間違いありません」と延べたあとも最後まで「[[自白]]」を維持し続けたのに対し、[[弁護士]]・家族が法廷で無実を主張し、[[捜査]]の[[違法性]]を鋭く争う、という異例の特徴をもっていた)。

*(内田裁判長は証人・証拠調べ請求をすべて却下。六ヶ月のスピード審理で「死刑判決を下した。判決内容も、生い立ち、生活環境などを犯行原因とする、部落差別に基づく差別判決であった。石川一雄さんは、一審中、「一〇年で出してやる」という警察の言葉を信じ続けていた。)

*(中田弁護人が、石川一雄さんが裁判所に来て、看守に囲まれて下を向いており、殆ど裁判の進行に関心を示さなかったと供述している点について、石川さんは控訴審第一四回公判で、浦和刑務所教育部長の安藤義祐などに、「数を数えておれば良い」と教えられたと供述している。)








公判証人
人定質問
被告人
訴訟状に対する陳述
第一回公判
1963(昭和38)年9月4日
  「事実はいずれもその通り間違いありません」
「現場検証には立ち会いたくありません」
第二回公判中田健治、塚本昌三、佐野良二、増田秀雄、山下了一裁判長、被告人に反対尋問を促すが、被告人“別にない”と答弁。
健治、山下に対して、反対尋問行なわず。
第三回公判関口邦明、飯野源治、橋本喜一郎、鈴木要之助、新井千吉、大野喜平被告人反対尋問行なわれず。
新井の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第四回公判野本定雄、福島英次、星野正彦、阿部孟朗、五十嵐勝爾、高橋乙彦、長野勝弘、岸田政司、関根政一、吉田一雄被告人反対尋問行なわれず。
五十嵐、高橋、長野の時、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第五回公判 小島朝政、佐藤祐一、須田ギン、石田一義、宮岡貞男、内田幸吉、伊藤操、清水利一、関源三被告人反対尋問行なわれず。
石田、宮岡、内田、伊藤の際、裁判長、被告人にそれを促すが“別にない”と答弁。
第六回公判 今泉久之助、三沢弘、大沢徳太郎、吉沢栄、山下宣子、中根敏子、宇賀神敏枝、西川正雄、水村成子、村松定夫、渡辺俘 水村を除いて被告人反対尋問行なわず。
山下、中根、宇賀神、西川、村松、渡辺の際、裁判長、被告人に促すが“別にない”旨答弁。
第七回公判 中田健治、中田登美恵裁判長、反対尋問を促すが“別にない”旨答弁
第八回公判中田栄作被告人、反対尋問を行なわず。
第九回公判石川リイ、石川富蔵被告人、反対尋問を行なわず。
第一〇回公判石川茂、関源三 被告人、反対尋問を行なわず。
第一一回公判
1964(昭和39)年2月10日
原正検事、死刑を求刑。最終陳述
被告人「言いたいことは別にありません」
 1964(昭和39)年3月11日
第一審浦和地裁の内田武文裁判長、求刑通り死刑判決を言い渡す。
1964(昭和39)年3月12日
石川一雄、控訴する。


東京高等裁判所第4刑事部. 河合健司裁判長は、
東京高検公判部長・園部典生検事に対し
証拠隠しを許さず 開示するよう勧告を行ってください。
証拠リストを開示するよう勧告してください。
全証拠を保全し 弁護団へ開示するよう勧告してください







*東京高裁前連続アピール行動
 2013年9月10日(火)、17日(火)、24日(火)、30日(月)、
10月8日(火)、15日(火)、22日(火) 
8:30〜10:00、11:50〜13:00
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「冤罪・田園調布資産家殺人事件の1審判決文は「判例タイムズ」に掲載されました。読みこなすには大変なエネルギーの要る分量です。研究者の方はどうぞ。」へのリツイートをよろしければお願いします

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higurashi at 17:53│Comments(0) 1963(昭和38)年 

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