1963(昭和38)年6月8日1963(昭和38)年6月3日

May 28, 2019

1963(昭和38)年9月30日狭山事件第一審第二回公判



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第一審第二回公判

 封筒の切れ端

<検察官尋問>


中田健治供述 
 一)記憶ありますか。
    これよりかもっと小さいもの
だったと記憶しています。
 二)それよりも・・・
    はい、・・・この場合も
インクがにじんでおりますけれども・・・
 三)これではないということを
はっきり言えるのですか。
    はい。
 四)紙切れはいくつあったのですか。
    一つです。









 <弁護人尋問>


 一)それで、その日にすぐ警察に知らせた。
   そうです。翌日二日に来られた時に、
お話しました。
二)何という人にそのことを話したんですか、
ご存知ですか。
   ぼく、名前は・・・。
三)名前は記憶ない。
    はい。









 四)その時には、大事にしておいてくれ
という趣旨のあれで、それを持っていくと
いうことはなかったわけですね。
    はい。
 五)それで翌日が翌々日、
あなたの方から持っていかれたわけですか、
それとも警察の方から
持ってきてくれということだったのですか。









    あの時に、来た人に一応他に
変わったことはなかったかと
聞かれるもんですから、
そのことをお話したけれども、
こういうものが取ってあると言ったら、
じゃ、いただいていきますというわけで、
ちり紙ですか、あの間にはさんで
持っていかれたように
記憶しています。









 六)そこへ来ておられた警察で、
自分のちり紙を出して、
その中へはさんで持っていかれた。
    はい。
 七)そのちり紙の中へ、
たたんで持って行かれた人の
名前はわかりませんか、
ちょっとくどいようですが。
    えーとね、記憶はないんです。









 八)堀兼の駐在の人ですか、
それとも狭山の警察の方ですか。
    いえ、違います。
県の捜査課の方だったと
記憶しています。








<検察官尋問>




増田秀雄供述 
 一)その声を聞いて、
佐野屋の呼びかけた声とは、
どう思いました?
    二時間ばっかし聞きましたが、
その声にあまりその、
問答もございませんで
よくわかりませんでしたですが、
まあ声が「おらあ」というような
ところは似てたと思います。
そう思います。
 二)その音声、音の音色・・・
それはどうですか、声の。
    まあ似ているじゃなかろうかと、
決定的なものじゃなくて、なかろうかと
いうようなぐらいの感じでした。





<1963(昭和38)年9月30日狭山事件 第一審 第二回公判>
*犯人とり逃しの原因についての<検察官尋問>より



登美恵供述 
 一)それからどうなりました?
取れないから帰るぞといわれた後に。
    一番最後に私が、道路標識の
ちょっと東側まで進んで行って、
ちょっと立っていると、
白っぽく人影が動いたのを
覚えています。








 二)それは一番最後ですね。
    はい、最後です。
 三)白っぽいものが動いたというのは、
どちらからどちらへ動いたのですか。
    北側から南側へ。
 四)動いたのはどのくらいの間隔か、
見ていますか。
    二米ぐらいだったと思います。



*ニセの二十万円札
<検察官尋問>




登美恵供述 
 一)二十万円現金ですか、それとも
・・・ ・・・
    家でつくったものですけれど。
 二)二十万円じゃなくて、家で作った
ものを入れてあったわけですね。
    はい。




*犯人の声と被告人のそれとの同一性
<弁護人尋問>




登美恵供述 
 一)あなたはその声の特徴について、
検事さんに、その声はたいへん素直な
感じを受けたという趣旨のことを
お話になった記憶がありますか。
   はい、あります。
 二)素直な感じというのは
どういう感じだったでしょうか。








   そうですね、声もそんなに力の
こもった声でなくて、ドスのきいたとか、
そういう声じゃなかったです。
4)どちらかといえば、あまり特徴のない、
ごく普通の声だったと、
こういう感じだったわけですか。
   はい。




higurashi at 18:18│Comments(0) 1963(昭和38)年 

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