1963(昭和38)年8月3日1963(昭和38)年11月21日狭山事件 第一審 石川一雄さん「 細引紐と荒縄について」供述。無実の人が「犯人を演じ」て語った任意の「自白」からも無実を証明されてきた心理学者浜田寿美男氏

September 02, 2019

1963(昭和38)年9月23日

 [[狭山事件]]で、[[荻原佑介]]が、[[警察]]の[[石川一雄]]さんに対する[[拷問]]を[[内田武文裁判長]]に具申する。




 荻原佑介氏宛書簡(一九六五年十一月二二日)より


 六月二三日(一九六三年)、調べ室に遠藤、青木、斉藤さん達が居る所で長谷部さんが、
 「石川君 何時まで強情張って居るのだい、殺したと言わないか、そうすれば一〇年で出してやるよ、石川君が言わなくても九件も悪い事をしてあるのだしどっちみち一〇年は出られないのだよ・・・
 とこの様に言われました。・・・知らない刑事さんが
 「課長(長谷部)さん 狭山の関部長が此方に来るそうです」・・・



 「そうか、それでは石川君 君に言ってくれ、男同士の約束だ
 と私の手を握りました。
 そして暫くしたらさんが、
 「石川君 元気かい、今署長さんに『この前一八日の裁判が終ったら三人での事を教えると約束して有るのだから聞いて来い』と言われて来たのだが吾に話してくれ」
 といきなり私の手を握って泣きつきましたが、私は三人でのこと(三人共犯)を話しませんでした。そしたらさんが



  「石川君 教えないなら帰るど」
 と立ち上がったら 長谷部さんが、
 「石川君 殺したと言って呉れ 吾は必ず一〇年で出してやるからな君 今話すそうだから待ってくれ、我々が居ては言いづらいだろうから外に出ましょうか 遠藤さん」
 と言って皆出てしまいました。そしたらまた泣きながら、石川君 殺したと言ってくれと手を握ったので、私もつられて泣いてしまい「入曾、入間川、と私と三人で殺した」と言ったのです。



 六月二四日月曜日、長谷部さんが
 「鞄の事を教えてくれよ」
 と言うので、狭山署に居る時、嘘発見器に掛かった際先生に本が出た所の地図を見せられたので、その山を書いてさんに渡したのです。そしてさんが探しに行ったら、長谷部さんが
 「今君に渡した地図の所で間違いないのかい、吾は本が出た所の様な川に有る様な気がするが恐らく見つからないと君がおこってるど、



もし無いと戻って来たらこの川の所を書いてみないか」
 と言うので書きました。そして暫く経ったら本当に見つからないとブツクサ言いながらさんが戻ってきましたので、二枚目の地図を渡したら午後六時頃だと思いますが、今度見つかったと何かで連絡がありました。で長谷部さんが
 「吾の勘は皆当たるのだから嘘をついても駄目だ」
 と言うので、私はあやまったのです。



 六月二五日火曜日、朝頃だと思いますが、長谷部さんが次の様に言いました。
 「石川君の家から万年筆が見つかったそうではないか、なぜ今まで教えなかったのだ」
 「本当に知らなかったのです」
 「---嘘をつけ、知らない物が見つかる訳がないだろう。・・・善枝さんを殺してから風呂場の方の入口から入ったと言ったがその時鴨居の上に置いたのではないか、何でもその当りから見つかったと言ってたよ・・・」



 六月二六日長谷部さんに
 「お寺の所で殺してから四本杉まで運んだのでは大分かかったろう 車で運んだのかい」
 と言うので
 「入曾、入間川から何も聞いていないから分からない」
 と答えたら
 「何時までもそんな事を言っておると、一〇年で出してやらないよ、吾が裁判官に死刑にしてくれと頼めばすぐに死刑にされるのだよ、嘘だと思うのなら遠藤さん達に聞いてみな、遠藤さん、石川君死刑にされても良いのか 嫌だろう」



 と言われたのですが、私は入曾、入間川の人も知らないし教える事も出来ないので
 「一人で殺した」
 と言ったのです。そしたら長谷部さんが
 「吾も石川君が一人でやったと思って居たよ、で善枝さんの死体にナワなどが付いてたがそのナワを何処のを盗んで来たのか覚えてるかい、吾は死体が見つかってすぐに自殺した源さんの近くのだと判ったよ、吾の鼻は犬より良いからな どうだい当ったろう」



 「俺ら殺したときおっかなくて忘れちゃったんです」
 「なに忘れた 自分で殺したくせに忘れるわけがないだろう、よく考えてみろ」
 とどなられたので泣いてしまいました。そしたら泣いて居たのでは解らないではないかと叱られてた所へ運よくさんが夕飯を運んで来たので、寄ったのだが家に何か伝言でも有るかと入って来たので助かりました。



 六月二七日、善枝さんの腕時計は何処へ捨てたと聞くので、質屋へ入れたと言っても信用されず田中へ捨てたと話したら地図を書けと言うので書きましたら、あろうことか翌日の夕方だと思いますが知らない刑事さんが、
 「課長(長谷部)さん 時計が見つかりました」
 と持って来たので、長谷部さんから借りて腕にはめて見たら私の腕にピッタリ合ったので



 「善枝さんも案外太かったのだな」
 とこの様に言いましたら、遠藤さんが「石川君が殺したのではないのか、殺した人がそのような事を言えば、わらわれるど」
 と言ったので皆で大笑いしました。
 以上が川越での出来事でしたが、言葉づかいが多少違います。・・・

 荻原様 私に代って地裁内田武文を綿密に御調べの上裁判をして私同様死刑にして下さい。・・・



  又私は川越署で口ではあらわせられない程のひどいめにあいました。荻原様はご存知と思いますが、国民の皆様にこの文面を見せてください。そして武文を絞首台に上げて下さい。又長谷部の両人も死刑にして貰います。この二人は私が出てやりますから・・・

 勝手な事ばかりで申し訳けございません。では右の事を是非御願い致します。
案山子蜻蛉


higurashi at 16:02│Comments(0) 1963(昭和38)年 

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1963(昭和38)年8月3日1963(昭和38)年11月21日狭山事件 第一審 石川一雄さん「 細引紐と荒縄について」供述。無実の人が「犯人を演じ」て語った任意の「自白」からも無実を証明されてきた心理学者浜田寿美男氏