1971(昭和46)年8月16日 狭山事件 第二審(寺尾裁判長)第五十三回公判1963(昭和38)年5月18日

May 16, 2019

1971(昭和46)年11月9日 狭山事件 第二審(寺尾裁判長)第五十四回公判

野間宏著『狭山裁判・下』裁判年譜より

1963(昭和38)年5月16日
五十嵐勝爾(埼玉県警察本部刑事部鑑定課、警察技師医師)が死体鑑定書を作成する。






 狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第五十四回公判/1971(昭和46)年11月9日

*「五十嵐鑑定」にふれられていない背部所見について
<証人>五十嵐勝爾(埼玉県警察本部刑事部鑑定課、警察技師医師)
<弁護人尋問>





一、ついでに伺いますが、身体の腹部、背部とも左右外側部、それから上下肢に死斑があったと、こう書いておられるのですが、この状況から死体が置かれていた状況を推測することは可能でしょうか。










   死斑について言われていることは、学者によって短い人だと四時間、長い時間を言う人で六時間ぐらいといいますけれども、四時間乃至六時間ぐらい一定地に放置されていて死斑が発生したあと、体位の変換があった場合、たとえば











仰向けだったのを、裏返しにしたというような場合には、一度できた死斑は完全には消失しないと、それで新たに下になった部分に死斑がまた起きてくると、そういうことが言われておりますけれども、私の経験から言ってもそれは、その時間は











むづかしい問題ですけれども、確かにそういう事実はあると思います。
二、完全には消えないけれども、新たに死斑が生じてくることがあると。
   新しい死斑も起きてきます。











三、一般に十二〜三時間を過ぎれば、新たに死斑は生じないというふうに言われていますが、そうは言えませんか。
   十二時間ぐらいから、時によっては二十四時間ぐらいは最低といわれております。
    ・・・ (中略) ・・・












四、そういううつ向けになってからずうっといた場合にも、背中にも死斑が出てくるんでしょうか。
   それは死因との関係がある程度あると、私は考えますけれども、しかしこれはうつ伏せになる前に、先ほど申したようにかなり長い間仰向けの姿勢をとられていたのではないかと思います。










五、そう考えるわけですね。
   四時間乃至六時間以上たつと、一度できた死斑が消えないという理由は或る書によりますと、最初は血管の中に血液を確保していますけれども、時間がたってきますと、











 赤血球が壊れて血色素が血管外に出てくる。それが周囲の軟部組織の中に沈着していますと、体位変換があっても完全に消えなくなってくるそういう説明がされております。










 狭山事件/第二審(寺尾裁判長)第五十四回公判/1971(昭和46)年11月9日

*「五十嵐鑑定」にふれられていない背部所見について
<証人>五十嵐勝爾(埼玉県警察本部刑事部鑑定課、警察技師医師)
<弁護人尋問>

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  http://blog.livedoor.jp/higurashi/archives/1971-11.html





higurashi at 17:16│Comments(0) 1971(昭和46)年 

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1971(昭和46)年8月16日 狭山事件 第二審(寺尾裁判長)第五十三回公判1963(昭和38)年5月18日